「恋とマシンガン」を英訳してみた。そしたら・・・・・・(小沢健二の歌詞その2)

kenzee「前回の続き。小沢健二さんの歌詞とはなんだったのかのその2。前回、村上春樹のデビュー時における日本語小説へのアプローチと実験の話で終わった。村上はデビュー作をまず、タイプライターで英語で書いた。それを原稿用紙と万年筆で自分で日本語訳していった。結果、今でも議論の分かれる「乾いた文体」が生まれたのである。まず、すでにアルフレッド・バーンバウムによって英訳されたデビュー作「Here The Wind Sing」から有名なチャプター11のシーンを読んでみよう。N・B・EポップステレフォンリクエストのDJのオープニングトークだ」

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DJらしいカッコいい響きの英語であることがおわかりいただけるだろう。英語の優れた点は「Greatest Hits Request Show,~NEB Radio」のようにルーズな発音だとあまり意識しなくても簡単に韻が踏めるところだ。この英語の小説の作者は「カッコいい英語を操るカッコいい発音のラジオDJ」を描きたかったのだな、とわかる。つまり他意が見当たらないのである。次が広く知られている日本語の「風の歌を聴け」の同シーンである。

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なにか微妙な感じがしないだろうか。はっきり言うと「地方のローカルFM局にいがちなちょっとイタイバイリンガルDJ」という感じがする。また、英語のほうはDJの喋り方の抑揚まで伝わってくるようだ。最後の「This one you can just sit back and enjoy.A Great little number,and the best way to best the heat.」のクダリもこの英語だと畳みかけるような語勢の迫力を感じ取れる。いかにもスゴイ曲がかかるんだよ、という感じだ。同じ文でも日本語のほうはこんな感じ。


これをただ黙って聴いてくれ。本当に良い曲だ。暑さなんてわすれちまう。」


これだとDJがどんなトーンで、勢いで喋っているのか見当がつかない。back and enjoyやbest way to best the heatの響きのカッコよさも失われてしまう。それとは別に「作者がこの登場人物に対してどう考えているのかがわからない」という奇妙な効果も醸成している。英語のほうはいわゆるプロのDJだ、というつもりで描いているのがわかる。しかし日本語のほうではカッコいい人物にしたいのかイタイ人物にしたいのかが判然としない。現代の目線から見るとすでにFMのDJといえば関西弁や方言で話すことは珍しいことではなくなっている。今、このような喋りのDJがいたら「アメリカングラフィティの世界に憧れた、イタイバイリンガル系DJ」と見られるだろう。で、作者はこの人物をそう描こうとしていたのかな、と読めなくもない。前回紹介した村上のエッセイ「職業としての小説家」に「外国語で書く効果の面白さ」という記述があったが、この効果の中に「日本語で直接書くよりも人物と作者の距離が離れる、限りなく傍観者的な立場に近づく」というのがあったのではないか。結果、この人物ひとつとっても時代や読者の立場によって見え方の変わる多面的な存在となる。少なくとも「日本人が原稿用紙に向かって万年筆で書く」という姿勢からは逆立ちしても出てこないタイプの文体となる。つまり村上初期作品とは「何を書くか」より「どう(作業工程含め)書くか」が問われるタイプの作品で「原稿用紙と万年筆」の当時の作家や批評家とはそもそも評価する価値観を共有していない作品であったと言える。結果、前回紹介したような「ハイカラぶった青年がいい気になって翻訳調の外国みたいな~」といった批判に繋がるのである。作者、村上はこの作業工程を発見することで「新しい文体を獲得する」「これまでの日本語の小説の文章(すでに耐用年数の切れかけた)をリセットし、再起動させる」という目的をおおむね果たせたと言える。また、この「日本語の小説の文章リセット運動」を経なければあの直球の恋愛小説「ノルウェイの森」を完成させることも難しかったであろう。ただ、このリセット運動の中でひとつ、村上が泣く泣く捨て去ったものもある。ライミングに代表される「英語の響き」の輸入である。上記のDJも長いトークのわりに大したことは言っていない。「今日は暑い日でした。こんな日はゴキゲンな音楽で暑さを吹き飛ばそう」「どんどん電話でリクエストしてね」これぐらいのことしか言っていないのである。ではあの長い英語のトークでは何を表現しているのか? ライムの効いた口調や「象の足ぐらいの太さのケーブル」といった話の要点とは関係のない軽口である。この、英語のコミュニケーションでないとニュアンスの伝わりにくい要素を泣きながらバッサリ捨て去った、つまり決して安くない資産をドブに捨てることで手に入れた「独自の春樹文体」だったのである。上の世代の日本語小説と自身を切り離すためにはこのぐらいの大手術が必要だったわけである。そこで小沢健二さんの日本語歌詞の創作の格闘についてである。


小沢健二の日本語歌詞の作業工程についての仮説


kenzee「その前に英語詞をおさらいしよう。小沢氏が英語(プラス対訳)の歌詞を商業音楽の世界で発表したのはフリッパーズファーストの全12曲と二人組になってからの最初のシングル「フレンズ・アゲイン」の13曲である。これ以降、小沢さんは英語詞を発表していない。対訳だけ読むとどれも「ちょっと切ない外国が舞台の青春小説」のよう。「サリンジャーのような」などと安易に評されることも多い。実際にはどれも大したことは語られていない。「コーヒー牛乳が好き」とか「大好きないとこがくるのでチャリで迎えに行く」といったほとんど内容の無いものである。無論、内容が希薄であることはポップミュージックにとって落ち度ではない。だがすでにこの89年の日本の音楽の世界ではユーミン、松本隆などの日本語を洋楽風のサウンドに載せる実験の過渡期であり恋愛観、人生観をかなり深いレベルで語れるところまで押上げていたのである。また、ブルーハーツや奥田民生のような日本語詞の天才もバンド界隈から登場しはじめていた。すでに日本語のロック、ポップスは成熟期を迎えていたのである。これは逆に言うと誰が書いても何かにに似てしまう、という状況であったと言える。OLさんが恋愛の歌詞を書けばユーミン風になってしまうし平易な語彙で素朴なことを歌ったなら甲本ヒロトのパクリと言われてしまう。賢そうな女子高生が意識高いことを歌おうとすればただちに渡辺美里風になってしまう。そのぐらいには成熟していた時期である。数少ない例外として同じような危機意識を共有していたと思われる電気グルーヴは「ナンセンス」を歌うことでこの引力圏から逃亡を図った。同年にデビューしたスチャダラパーは日本語ラップという未だ実験段階にある表現に取り組むことでこの引力圏から逃れた。小沢さんが歌詞を書こうと思った時点でこれだけの状況が揃っていたのである。」


意味なんてもうなにもない(この時点では飛ばしすぎたジョークではない)


小沢さんはこう考えたのではないだろうか。「日本語の文の意味に拘泥してもしょうがない。別の価値を引っ張りだすしかない。(そこはさすが少年時代より英米文学に精通した人らしく)英語のライミングで突破するしかない」と。意味などどうでも良い、響きやリズムが大事なのだ、と。この視点から小沢英語詞を今一度、音読してみよう。

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英語の韻に意識的だということがおわかりいただけるだろう。無論、英語圏では歌とはもともと韻を踏むのがマナーであり、洋楽育ちの小沢氏がこのような歌詞を書くのは自然だ、という意見もあろう。ただ、「フレンズ・アゲイン」の歌詞は挑戦的(ネイティブでもここまで徹底的に韻ふまないだろう、ドヤ!)と言っても過言ではないほど同じ韻が続く。

https://youtu.be/xloIquo2H3A

小沢英語詞の特徴は「外国の青春ドラマみたい」といった内容面ではなく、ネイティブと張り合うほど徹底したライミングにある。ボクが一番好きなのはやっぱり「The Chime will Ring」だが到達点と言えるのは「フレンズ・アゲイン」である。この曲でで小沢氏としても英語をやりきったという感触があったのではないだろうか。この次のシングル「恋とマシンガン」以降、現在に至るまで小沢氏は日本語詞を書き続けている。この時、日本語詞に移っていった理由として小沢さんは1994年4月号のロッキング・オンジャパン2万字インタビューで「なんで英語なんですかって言われるんで、日本語でもできますよって」と、アッサリした言い方で片付けている。が、すでにサウンド、メロディーについては業界内でも高評価を得ていたわけで周りとしてはすぐにでもタイアップを取りに行きたかったはずである。広告が絡む以上日本語詞は必須である。小沢氏もそう焚きつけられると「できるワイ!」とすぐ啖呵をきる性格なので「日本語のポップス」と向き合わなくてはならなくなった。ただし上記のような状況である。普通に恋愛っぽい歌詞書いても松本風になってしまっては意味がない。そこで小沢氏も悩んだはずである。「自分の文体、言葉を手に入れるには?」

普通の作詞家と違う作業工程を経る。


kenzee「ボクがはじめて「恋とマシンガン」を聴いたのは1990年4月である。TBS系ドラマ「予備校ブギ」の主題歌として15歳の耳に飛び込んできたのだ。この年齢の子どもは歌といえばまず、歌詞に注意が行くのである。「結局、なんの話なのかわからない」というのが当時のわたしの率直な感想であった。「恋とかキスシーンとか言ってるのでたぶん恋愛っぽいことなんだろうけど、よくわかんない」というもの。ところで恋とマシンガンの歌詞とはこんなんである。皆さん、改めてなんの歌なのか考えてみよう。

https://youtu.be/bJxajh5XOgE


ドアの向こう気づかないで
恋をしてた 夢ばかり見てた そして僕は喋りすぎた
ホテルの屋根滑り降りて 
昼過ぎには寝不足の僕にテイクワンの声がする
真夜中のマシンガンで君のハートも撃ち抜けるさ
走る僕ら回るカメラもっと素直に僕が喋れるなら
本当のこと隠したく
嘘をついたでまかせ並べた やけくその引用句なんて
いつものこと気にしないで
1000回目のキスシーン済んで口の中もカラカラさ(恋とマシンガン)


やっぱりなんの話なのかよくわからない。なんとなくイメージとしては古いトーキーみたいな白黒映画で主人公の男がチャカチャカ走り回っているような、ぐらいのボンヤリしたイメージしかない。あまり日本のポップスでは見かけないような雰囲気である。ちなみにこの年のオリコン上位は1位、「おどるポンポコリン」2位米米クラブ「浪漫飛行」3位リンドバーグ「今すぐKiss Me」というもので時代性がわかる。こちらとしてはフリッパーズの代表曲であり(今回の件のニュースでもイチイチこれが流れるのにも辟易する)オリコン10位ぐらいには入っていたかな?ぐらいに思っていたのだがウィキペディアの1990年年間シングルチャートによればトップ50にも入っていない。たまやジッタリンジンにボロ負けの二人である。で、この歌詞、紙とペンではじめから順番に書いて、こんなものが出来上がるだろうか。絶対ムリだと思います。これは普通とは違う作業工程がないとこうはならない。で、やっとオイラの仮説である。
「小沢日本語詞の多くはまず、英語詞を書いて、対訳をして、それから訳の日本語の詞をまた編集して仕上げる」
という工程を経ているのでは。無論、小沢英語詞なので韻バリバリの詞である。そこから→対訳→歌に合うよう編集、切り貼りといった作業。こうすれば納得いく自分の表現になるかはともかく、現行の日本語ポップスの言葉の引力圏から逃亡はできる。つまり誰にも似ていない日本語となる。ここでわたしはこの仮説を検証してみたいのだ。


「恋とマシンガン」を英訳してみる


わたしの仮説が正しければ韻バリバリのいわゆる小沢英語が現出するはずなのである。そしてその最初に書かれた英語詞のタイトルこそが「Young,Alive in Love」ということだったのではないか(たった4語でも韻踏むこと忘れない。小沢英語)
やってみた。


I did'nt notice that you are in the other side of the door,
and I was loving you,I wasdreaming only,and I was too talking it.
I slid down rhe hotel's roof.I was called out from the voice"Take One"
in the Afternoon.
I can shoot through your heart at midnight by the machine gun.
We are runnin',the camera is tunin'
If I can talk to you more obediently
I lied because I wanted to hide the truth.and I said a tall tale.
I cited in desperate. as usual thing.you may not hane to worry about it.
My mouth is drying.reason by my shooting of the thousandth time kissing scene is finished.
I found a room number from the character of the cap.
We laughin'.we are saying the pompous words.if I can talk to you more obediently.
(英訳kenzee)

たぶん間違いありマス。英語得意な方、指摘してください。


司会者「全然、韻なんか踏んでねえじゃねーかバカ!」
kenzee「おかしいな、この仮説からいったら「Young Alive in Love」はもうNasかラキムぐらいのライムの連続のはずなのだが。この歌詞、~ingが結構多いじゃないですかあ。なので書いてから編集をいっぱいしてると思うんでえ。韻バリバリにはならないんですネー。ただし、1コ注目すべき箇所がある。「1000回目のキスシーン済んで口の中もカラカラさ」のところの英訳の
My mouth is drying.reason by my shooting of the thousandth time kissing scene is finished.
で、shooting of the thousands time kissing scene is finishedというラインに注目だ。このス、ス、ス、ス、と「th」(だっけ?)のハイハットみたいなサ行でライムするとこあるじゃないですか! コレもともとの英語詞の名残だと思うんですよね。だいたいね、「1000回目のキスシーン」なんてこの世にないじゃないですか。コレ、日本語で書いてたらこんなフレーズでてきませんて! 最初に上記のライミング英語があったからとしか考えられない。だって
shooting of the hundreds time kissing scene is finished(100回目のキスシーン)だったらなんの韻も踏まないことになる。ここは絶対1000回目じゃないとダメなのです!」
司会者「なんか騙されてるような気がするなあ」
kenzee「イヤほかにもこういう手がかりのあるフリッパーズ詞あるような気がするのよね。オイラ「カメラ、カメラ、カメラ」は怪しいと思ってるのだが。あと渡辺満里奈「大好きなシャツ(1990旅行作戦)」もタイヤキ工法の疑いがある。あと小沢ソロデビューの「天気読み」もあの曲だけ妙に難解だ。怪しい。よって次回は他曲の「タイヤキ工法」疑いを検証してみる。
司会者「いつになったら「Mellow Waves」にたどりつくの~」

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いくら輸入文化っつっても日本語の歌詞は輸入できないので一から構築しないと問題(小沢健二の歌詞編その1)

kenzee「さて、今回はコーネリアスマラソンはお休みして、元相方の小沢健二さんの歌詞とはどういうものなのか。考えてみよう。前回までのコーネリアスアルバム「ファーストクエスションアワード」の小山田さん自身の手による歌詞はカメラ・トーク期の小沢さんのような語彙、文体、相対主義や諦念といった思想を模倣したものと考えられるが、まったく小沢さんに適うレベルになかった。ただ逆説的に言えば小山田詞の失敗とは、オシャレな語彙を「~だろう」に代表されるモラトリアム感でコーティングすれば誰でも小沢になれる、というものではない、ということの証左とも言える。それでは小沢詞とはどういうものなのか。まず、小沢健二とはどういうアーティストなのか。100年後の人類にもわかるように小沢を説明するとこうなる」


 1990年代の日本の流行歌「J-POP」の象徴的なアーティスト。自身で作詞作曲編曲歌唱を担当するシンガーソングライターである。作詞家としての功績としては日本の流行歌における「ラブソング」の語彙、文体、言葉遣いを更新したことにある。1994年のアルバム「LIFE」はこの時代の恋愛観、人生観を従来的なニューミュージックのそれから決別したもので、これ以降日本のロック、ポップスの歌詞はより口語的、散文的な方向へ進化を遂げることになる。


 ここで言う「従来的」とはユーミンさん的、松本隆的、中島みゆき的、小田和正的なるもので、彼らの恋愛の歌詞とは70年安保の「学生運動の敗北」が前提にある、という共通項がある。敗北とオイルショックの73年、そこから十数年で日本経済が一気に成長し、90年にバブル崩壊を迎える、この約20年間の間の耐用年数しかそもそもない世界である。実際「従来的」な恋愛作詞家たちはバブル崩壊の気分が決定的となった震災、オウムの95年以降、代表作と呼べるようなヒットをだしていない。「LIFE」は94年当時の時点で80万枚のセールスを記録し、現在では累計100万枚を超える90年代を象徴するラブソング集である。「LIFE」の小沢詞と上の世代のラブソングの違いを挙げ出だせばキリがないのだが、たとえば上の世代にあって小沢ラブソングにないもの。「失恋」が描かれない、松本やユーミンさんは洒落た「風景」にこだわったが小沢詞は「東京タワー」や「原宿」といった固有名詞がわずかに登場はするが、それが広告代理店的なトレンドワードでなく、若者の日常を演出するワードとして、つまり逆の意味として登場する。そもそも「風景」はほとんど描かれず「君と僕とは恋に落なくちゃ」「いつも僕さって考えてる」といった断定的に恋愛を決めつける主体が主人公となる。上の世代がもっとも得意とする「迷う」とか「恋に揺れる」といったグラデーション的な心情を意識的に切って捨てるようなところが小沢詞の恋愛のあり方である。また、小沢詞は技術的な面で「日本語の韻の可能性」に挑戦している点も特徴的である。「~会ってfeel alright ~なって知らない(ラブリー)」、「ヤングアメリカン、~オンリーワン、夜のはじまりは(今夜はブギーバック)」などに見られる。95年以降に勃興した日本語によるラップ詞の韻の進化と比べると未だ実験段階ではある。しかし日本語の韻の可能性を94年の時点で示唆していることは後のJ-POPの詞に少なからず影響を与えたはずである。ところで小沢健二は音楽活動の当初から日本語で歌詞を書いていたわけではない。商業音楽活動のスタートはバンド、フリッパーズギターのファーストアルバム('89)からである。

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このアルバムは全12曲、英語詞のアルバムである。すべての英語詞と対訳は小沢氏の手による。

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このアルバムのあと、小山田氏と小沢氏の二人組となったバンドは「フレンズ・アゲイン('90)」というシングルを発表したのを最後に英語(プラス対訳)詞を封印し、最初の日本語詞の楽曲でありそして今日もフリッパーズの代表曲とされる「恋とマシンガン('90)」を発表する。そして小沢氏の最新シングル「泣いちゃう('21)」に至るまで日本語詞による楽曲を発表し続けている。フリッパーズギターは3枚のアルバムを残し、突然解散したが、すべての日本語詞を小沢氏が手がけた。この作詞のキャリアを俯瞰するとまず、英語詞と日本語対訳から詞作にアプローチし、やがて日本語詞と向き合い、そして大衆歌謡と呼べる地点まで推し進めていった、と読める。小沢さんが新しいタイプの恋愛ソングを創作するにあたって、この「英語詞(対訳)」からスタートした、という点は重要である。なぜなら「LIFE」の恋愛ソングは上の世代、ユーミンや松本隆らの語彙、文体(面倒なのでここではユーミン、松本辞書、YMDと省略しよう)を借りずに94年の恋愛のリアリティを獲得するうえで英語でスタートを切る、というのは「ここで日本語のポップス詞をいったんリセットします」という行為にほかならないからである。小沢さんはほとんど雑誌のインタビューなどで「創作の秘密やテクニック」的な話をしない人物である。2010年の復活以降は「インタビューを受ける」ということをしていない。(ただし公式サイトひふみよにおいては頻繁に更新を行い、ファンへのメッセージを欠かさない)つまりここで私が考える小沢氏と日本語の格闘の歴史、などというものはほぼ推論、仮説にすぎないという点もご了承いただきたい」


司会者「推認、推認、公正な裁判やないねえ!」


kenzee「フリッパーズ時代はなにを聞かれても話をはぐらかし、ソロデビュー後は実作についての話はまずしない、つまり小沢氏の創作とはとても謎めいたところがあるのだが唯一、93年のソロデビュー直後のみ小沢ソロとはなにか、創作とはどういうことかということについて意欲的に語っている時期がある。1993年10月号のロッキンオンジャパンのロングインタビューと93年11月号の月刊カドカワのインタビューである。この時期のみ集中的に「歌詞とは」ということについて話している」

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 じつは僕はほんとにネタなしで絶対いいと思う日本語の歌詞っていうのをもうほんとにオリジナルに書いてきたと思うの。語法から文法から小沢語彙みたいなものとか小沢文法っていうのもほんとに一人で作ってきた。いちおう5年間の日本語との戦いで1個形ができたの。(中略)何かこれが1個完成形なのね。(中略)僕は積み重ねてきた結果として少なくとも日本語でこういうことを歌うってことについては文法も語法もオリジナルに積み重ねてきたしその点はこのアルバム(ファーストソロ)に関して一番よくわかるし一番自信のあるところだし!(中略)それにあとまあ日本語詞っていうのの前段階として何も言いたくないから英語詞ってのもあんだけど。そんときはわりと虚構ありだよね。(ROJ93年10月号)


日本語に関してはすごく開発してきたなと思ってます。4年間ぐらい真面目にそれと向き合ってきたな、小沢文法、小沢語法みたいなものがちゃんとやれてきてるし、どんどん広げていきたいな、と。(中略)この曲(天使たちのシーンのこと)に関しては遠景とかじゃなくて総体っていう感じで。総体にいきたいって。なんでこんなに長くなったかというのはね、単純に日本語って母音が多いから英語にくらべて情報量が少ないわけです。僕ぐらい言葉のなかにいろんな風景や概念を短くギュギュっと押し込める人でも13分半ぐらいないと総体は書けない、ということをやってしまったという。(月刊カドカワ93年11月号スピリチュアル・メッセージ新しいフレーズを届けたい)


小沢氏が正面から日本語詞とは、というテーマで語ったのはおそらくこの時期だけである。ここで言わんとしているのはかつて小沢氏がやっていた音楽というのは海外の音楽に強く影響を受けたものでいわば輸入文化であると言われてきた。実際、同時代のUKの動きに注意を払ったもので洋楽オタクなどと言われるものであった。しかしここで言外に訴えているのは「サウンドは多少、技術やセンスがあれば真似ること、輸入することはできる。そもそも日本はソニーとトヨタの輸入とモノづくりの国である。だが歌詞を輸入することはできない。たとえばロディ・フレイムのネオアコサウンド自体は肉薄することもできる。だがロディの左翼よりの歌詞を真似ても意味がない、同様に最新のプライマル・スクリームのサウンドを早速取り入れることはできる。しかしイギリスの80年代の世相と密接に関係しているボビーギレスピーの歌詞など輸入文化にとってほとんど意味がない。ではどうするか。日本語で歌う、とは。いきなり日本語で恋愛っぽい歌詞を書いたならばどうしてもYMDに似てしまう。だったらいっそ英語で歌えば・・・」というところからスタートしたのではないか。結果、小沢詞とは「恋とマシンガン」及び「カメラ・トーク」の世界、「ヘッド博士の世界塔」を経て、ソロ活動「犬は吠えるがキャラバンは進む」へと自身の日本語を掘り下げていった軌跡であったと言える。とくに「天使たちのシーン」がなぜ13分半もあるのかということについて英語と日本語の情報量の差、という思いもよらない事情があったというのが興味深い。「英語からやり直さないと現代の日本語の言葉で恋愛や人生は歌えない」という命題があったればこその「LIFE」の成功だと思うのだ。


J-POP史と戦後日本文学史との相似について考える


kenzee「ここで小沢の足跡によく似たキャリアを持つ日本人作家がいたなあ、と思い当たる。村上春樹である。村上春樹は1979年、「風の歌を聴け」でデビュー、1987年発表の恋愛小説「ノルウェイの森」が1000万部を超えるベストセラーとなり、現在「もっともノーベル文学賞に近い作家」ということになっている。いったいなにが似ているのか。デビュー作「風の歌を聴け」は講談社の「群像」という文芸誌が主催する「群像新人文学賞」を受賞し、作家デビューとなった。この作品は今でも言われることだがまるで海外小説を翻訳したかのような乾いた文体が軽やかで新しい、と言われる。またこのデビュー作は上の世代の日本文学、戦後文学に特徴的な戦争の傷、貧困、差別、また政治運動などの歴史から断絶している、その代替としての翻訳調なのだ、といった批判もある。この春樹デビューを現代的な視点で捉え直したさやわか「文学の読み方」(星海社新書)を参考に当時の春樹文学がどのように受け入れられたか見てみよう。まず群像新人賞では好意的に受け入れられたようだ。当時、群像1979年9月号の選評ではこんな評価だった」


ポップアートみたいな印象を受けた。(中略)軽くて軽薄ならず、シャレていてキザならずといった作品にあっているところがいいと思った(佐々木基一)」


「実は今なにが書いてあったのか思い出せないのだが、筋の展開も登場人物の行動や会話もアメリカのどこかの町の出来事(否それを書いたような小説)のようであった。(島尾敏雄)」


「カート・ヴォネガットとかブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでいる。その勉強ぶりは大変なものでよほどの才能の持ち主でなければこれだけ学び取ることはできません。(丸谷才一)」


基本、褒めてはいるのだが「海外の小説をよく勉強しててシャレてるね」ぐらいのことしか言っていない。さやわかさんは「初期の村上春樹はしばしば、海外の小説を翻訳したようなスタイリッシュで乾いた文体によって心情を強く表現しないことに特徴がある、と評価されたのです」とまとめている。ところでこの評価、フリッパーズのファーストの英語の歌詞の評価によく似ているとも思うのだ。「海外の短編小説のよう」「外国のどこかの出来事」「ポップアートのような」小沢英語詞の評価によく似ている。村上は当時、デビュー作と2作目が芥川賞の候補にもなっている。結果、落選したのはよく知られているところである。つまり芥川賞選考では非難されていたということである。


「外国の翻訳小説の読みすぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。(瀧井考作)」


「今日のアメリカ小説を巧みに模倣した作品もあったが、それが作者を彼独自の創造に向けて訓練する、そのような方向づけにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた(大江健三郎)」

また別のところ(文藝春秋1980年9月号)では

「ひとりでハイカラぶってふざけている青年を、彼と同じようにいい気で安易な筆使いで描いても、彼の内面の挙止は一向に伝達されません。(中村光夫)」


これもまたフリッパーズ英語詞への評のように読める。未だバンドブームのさなかにあって、バンドとは反抗的な姿勢を良しとする日本の音楽シーンにあって「ハイカラぶっていい気になっている坊ちゃんバンド」と感じた者もいたであろう。村上への批判とはおしなべて「ハイカラぶってシャレたような小説だが、現実の日本の若者の心情が描けていない」ということになる。たぶん小沢英語詞もそういうことになる。しかし当時の村上は「現実の日本」とかとはもっと別の、大変なものと戦っていたのである。その戦いについて「職業としての小説家(新潮文庫)」に述べられている。


「風の歌を聴けは書き上げるまでにずいぶん手間がかかった」「そもそも小説というものをどうやって書けばいいのか見当もつかなかった」「それまでロシア小説や英語のペーパーバックを詠むのに夢中で日本の現代小説を系統的にまともに読んでいなかった」「たぶんこんなものだろうという見当をつけ書いてみた」「しかし自分でも感心しないものができあがった」「そこで原稿用紙と万年筆を放棄することにした(その道具ではどうしても姿勢が「文学的」になってしまう)」「押し入れにしまっていたオリベッティの英文タイプライターを持ち出した。試しに書き出しを英語で書いてみた」「外国語で書くと、それなりに効果があることがわかった」「それで書き上げると今度はまた原稿用紙と万年筆を引っ張り出し日本語に「翻訳」した」「翻訳といってもがちがちの直訳ではなくどちらかといえば自由な「移植」に近いもの」「するとそこには必然的に新しい日本語の文体が浮かび上がってくる。それは僕が自分の手で見つけた文体である」(前掲書よりオイラが要約)


このような工程を経て、従来のベタっとした湿度の高い日本語の小説(小説とはもともと明治期に輸入したものです)の文法、語彙をいったんリセットし、新しい文学を獲得したのである。一度、英語で書く。そして日本語に翻訳(それも直訳っではなく彼言うところの移植)する。そこで日本語から湿度を取り除き、ドライ化するという工程。この工程を小沢さんはポップミュージックの分野で行っていたのではないだろうか。この複雑な工程にそれなりに苦労したであろうことはフリッパーズファーストの全曲の英語詞が「1番の歌詞を繰り返す」という苦肉の策で構成されているところからも窺える。無論、現在の村上はすでにはじめから日本語でパソコンに向かって書く、というスタイルに移行しているはずだ。この工程(勝手にオイラが名付ける。英語から日本語にひっくり返すのでタイヤキ工法と呼ぶことにしよう)で書かれたのはおそらくデビュー作と2作目「1973年のピンボール」までであろう。3作目「羊をめぐる冒険」はその長さから鑑みても最初から日本語で書かれたものだろう。最初にタイプライターで書かれた英語の「風の歌を聴け」がどういうものであったか。これは未公開なのでなんともいえないが、「風の~」はすでに英訳(「Hear The Wind Sing」Alfred Birnbaum訳)されている。つまりこの英訳版は最初英語で書かれ、作者の手で日本語訳され、また英語に訳されるというダビングにダビングを重ねた昔のAVみたいなことになっているわけだが、これと読み比べることでどういうファクターを自身の日本語としてピックアップしていったかある程度推測できる。もし、村上がこの工程のなかで捨て去ったものがあるとすれば「英語の響き」である。いわゆるライムに象徴される、英語のカッコイイ響きである。これは「風の~」の有名なシーン、チャプター11の「ラジオN・B・Eポップス・テレフォンリクエスト」のラジオDJのしゃべりを英語版と日本語版で比較するとよくわかる。ようするに日本語のほうはカッコつけたDJを小馬鹿にしたような文体になってしまっているが、英語のほうは単純にカッコいいのである。結果、村上はこのカッコ良さを放棄しないといけなくなった。同じことが「恋とマシンガン」制作の小沢さんにも起こったのではないか、というのがこの話の本丸。次はこの「ラジオDJの英語のカッコよさと「恋とマシンガン」もしかしてもともと英語詞だったんじゃ?から考える」だ。


司会者「いつになったらコーネリアスマラソン、「Mellow Waves」のいたどり着けるの~」

 

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歌詞って大事だったんだね。今頃気づいたヨ。(コーネリアスマラソンその7)

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今回で使用した資料。


kenzee「コーネリアスマラソン、アルバム10曲目「The Love Parade」後半です。この曲はコーネリアス史上、もっとも「ソフトロック寄り」な曲でコレ以降、自身の曲ではソフトな曲をやらなくなります。カヒミカリイ提供曲などを除いて自分名義の作品ではディストーションギターとかゴチャゴチャしたサンプリングとかノイジー方向に行くことになる。小山田さんのソフトロック傾向はすでにフリッパーズ出世作「カメラ・トーク」の「1990サマービューティー計画」でクロディーヌ・ロンジェ「Who Needs You('68)」で顔を覗かせていたのだが、「Love Parade」までに全面的に60年代ポップスに取り組む機会があった。プロデュースを担当したピチカートファイヴのアルバム「Bossa Nova2001('93)」である。このバンドのリーダー小西康陽と話し合ったのは「68年前後のA&Mやバーパンクサウンドをはじめとするソフトサウンディングポップで行こう」ということである。確かにアルバム全体にバカラック、セルジオメンデスやハーパース・ビザールのような職人的なこの時代の中流階級のアメリカ人に向けたようなサウンドである。エラいもんでこのアルバムの記事は日本のウィキペディアには存在しないが、英語版には詳細な記事がある。ちなみにジャンルは「Shibuya-Kei」だそうである。ほとんどの楽曲の作曲者はメンバーの小西氏と高浪敬太郎氏であるが最後を飾るのが小山田氏の作曲編曲による「クレオパトラ2001」である。

 https://youtu.be/AM299s4a4Vw

小西曲で代表曲の「Sweet Soul Revue」や高浪曲「愛の神話」など錚々たる楽曲がひしめく中、小山田曲は先輩方の曲に引けを取らない名曲をものしたことがおわかりいただけるだろう。このアルバムは1993年6月1日発売で、このタイミングとはフリッパーズ解散後、未だ小沢ソロもコーネリアスもデビューしておらず、ファンは小沢プロデュースの渡辺満里奈「バースデイ・ボーイ('92)」と「Jazz Jersey('92)」収録の小山田曲「Into Somethin'」で飢えを凌ぐしかなかった状況であった。なのでてっきり今後、小山田さんはクレオパトラのソフトなメロディーものの路線を行くのかなと思っていたら数年後「69/96」~「ファンタズマ」へ向かっていくことになる。おそらく「The Love Parade」の企画プロセスとはこういうことである。

ピチカート仕事の時にサンザン68年頃のポップス聴いたワ。元々こういうアメリカの小金持ち向けのソフトサウンドは好きなのだ。(ていうかお父さんがそもそも日本のソフトサウンディング音楽のバンドやないか!とはいえ小山田さんの場合、エルとかペイルファウンテンズ経由でたどり着いたと思われるけどね)フリッパズ1stではハーパースビザールっぽい味つけの「Goodbye,Our Pastels Badge」やったし2ndではサマービューティーやったしピチカートではニック・デカロがアレンジしたみたいな「クレオパトラ」やったし。ああいうのの総括みたいな曲も1曲いれておきたいな。となるとロジャーニコルズか。じゃあ「Don't Take Your Time」か。

というような連想ゲームがあったであろう」

司会者「で、改めて「Don't Take Your Time」およびロジャーニコルズ&ザ・スモ-ルサークルオブフレンズについて考えてみたのです」

 https://youtu.be/shSp1DiFI_U

kenze「超有名なロジャニコアルバムがアメリカA&Mから発表されたのは1967年のことである。ただし当時は本国でも鳴かず飛ばずであった。よって日本では当時A&Mの権利はキングレコードが持っていたが日本盤は発売されず。バカラックとかセルメンをバンバン押していた。ロジャーニコルズの名前が世界的に有名になるのはカーペンターズ「We've Only Just Begun('70)」のヒットによってである。クロッカーナショナル銀行のCMソングで一気にメジャー作曲家となる。ところで日本でロジャーニコルズの名前を意識されるようになったのはいつ頃か? 1973年にはすでに森山良子の海外録音アルバム「イン・ロンドン('73)」で「Something Never Change(変わらぬ心)」を提供している。これを企画したプロデューサーは「カーペンターズの作家」として依頼したのであろう、「We've Only~」タイプのバラードである。1980年の竹内まりやアルバム「ミスM('80)」にも「Heart to Heart」を提供している。やっぱりカーペンターズタイプ曲である。では日本では例のロジャニコアルバムは聴かれていなかったのか?例のアルバムの日本の受容について興味深い証言がある。山下達郎さんのラジオ「サンデーソングブック」において2007年4月22日から3週にわたってロジャーニコルズが特集された。この1回目の22日の放送で「Don't Take Your Time」はオンエアされた。この時に山下氏自身がどのようにこのアルバムと出会ったかを話している」

わたくし自身がこのアルバムを一番はじめに聴かせてもらったのは大瀧詠一さんにでありまして、大瀧さんのまえには細野晴臣さんがコレを持ってたそうで結局こういうもののルーツってみんな同じなんですよね。わたくしは、ですから20歳の時に大瀧さんの家で聴かせてもらいまして。1973年ぐらいの話。この1曲目のこの曲が、マーほんとに。日本でこの曲キライな人はいないだろうという曲であります。(書き起こし終わり)

やはり作曲家オタクの人々は70年代初頭には外盤で手に入れていたのだ。たぶん「カーペンターズのこの曲の作家のソロはないんか?」という疑問からの探索であろう。例のアルバムが日本のラジオの電波にはじめて乗ったのは大瀧さんのラジオ「ゴーゴーナイアガラ」に違いない。いつオンエアされたか?文藝別冊「増補新版大滝詠一」のなかに「ラジオゴー!ゴー!ナイアガラ全放送曲リスト」という便利なものがある。1975年6月から1978年9月に終了するまでの全曲リストである。このなかの160回目「さわやかサウンド(1978年7月3日放送)特集」なるものがある。この番組の歴史でも最後のほうの回である。この時、いわゆるソフトロックの曲を10曲流しているが最後に例のアルバムから「I Can See Only You」をオンエアしている。たぶんこれが放送に乗った最初ではないか。不思議なことに「Don't Take Your Time」ではなくアルバム中、わりと地味な「I Can~」を流したのである。おそらくロジャニコ信者の小西さんがはじめて聴いたのもこのオンエア時である。小西著「これは恋ではない(幻冬舎)」収録の解説の中にも「この素晴らしい「グループをはじめてぼくの耳に届けてくださった大瀧詠一氏のように」との記述がある。だがこの時点の日本では「ロジャーニコルズは洗練されたバラードを書く作家」と認知されていたようだ。大滝さんですらもそう考えていたのではないか。では日本に「Don't Take Your Time歌謡」が登場したのはいつなのか。この曲ということになるエポ「Twinkle Christmas('86)」」 

 https://youtu.be/pVRazSRepNg

まあ、作・編曲小西さんなんですけどもね。このあとピチカートアルバム「カップルズ('87)」で「Love So Fine歌謡」の「そして今でも」を発表するが「Don't Take Your Time歌謡」は長らく控えていたようだ。ようやく渋谷系ブームも落ち着いた1997年に満を持して「Don't歌謡」の決定版「大都会交響楽」を発表する。

 https://youtu.be/ewQ14eyFPto

以上が例のアルバムと「Don't Tske Your Time」の日本小史といったところか」

ーところで「Don't Take Your Time」とはどういう音楽なの?ー

kenzee「何回聴いてもAメロのコードが採れない曲。Bメロの「Now the night is right to~」からは単純なメジャーセブンスの2コードなのだけど肝心のAメロは未だによくわからない。もともとこの曲はデモテープでラフに録ったものをトニーアッシャーが絃足して本チャンにした、という逸話もある。このコード感の不思議さは編曲のボブ・トンプソンの手による部分もあるのか?なにしろロジャーニコルズ自身、「Don't~」タイプの曲をこのあと発表していない。ブレイク後は基本カーペンターズ曲のようなバラードタイプの曲がほとんどだ。なのでマネするにしてもベースの5度で「デードーデードー」と4部音符で進んでいく感じとストリングの雰囲気とあと女声を強調した複雑味のコーラス、という部分しか真似ようがない曲なのである。他の有名曲、「Drifter」や「Love So Fine」ならちょっとピアノが弾ける者なら簡単にコードがとれるであろう。「Don't~」だけが不可解なのである。またもともとデモだったというだけあって複雑な割に小編成の簡素なオケでもある。しかも2分足らずで終わってしまう。たぶん「編曲欲」を掻き立てる曲なのだ。結果、「Don't歌謡」は「Love Parade」も「大都会交響楽」にしてもファットな、過剰な、音多すぎじゃね、な音像に仕上がっている。「ついカヴァーが大げさになってしまう、結果いつまで経ってもオリジナルにかなわない曲」という存在で今日に至っている。その手の曲の代表でビートルズの「イエスタデイ」がある」

ー小山田さんの凄さについて。ー

kenzee「作曲・編曲家としての小山田さんのすごさというのはどんな職人芸的、難しそうな音楽でも単純化して自分のサイズに合うようにアレンジしてしまうところなんですよ。ふつう、パンク出身のギター小僧がロジャーニコルズとかバカラックとかニックデカロに手はださないんですよだって難しそうだから。ところが小山田さんはアシッドジャズでもなんでも自分サイズに圧縮して商品化してしまう。「Love Parade」も例の不思議コード進行の部分は普通の循環コードに解釈して結果オーライにしてしまう。で、この人の持っているサイズ感というのが当時の渋谷系の耳にちょうどいい感じのサイズだったのだと思う。これはバカにできない才能で、難しい哲学とか現代思想をチャート化して単純化してヤングに届けた浅田彰とかに近い仕事であったと言える。「本物を知りたかったらどうぞタワーやHMVに行ってバカラックの諸作やハーパースビザールを買いなさい」ということである。渋谷系の購買行動の本質はここにあった。だってね。昨日まで渡辺美里とかプリプリとか聴いてた田舎の子がいきなりTVパーソナリティーズ聴いても意味わかんないですから。でもあの人たちがいいって言ってるからという理由で必死になって聴く、という行為。現代におけるサブスク的音楽消費とは真逆ということがおわかりいただけるだろうか」

司会者「アルバムラスト。11曲目「Moonlight Story」」

 https://youtu.be/5KN7yq4PUM8

kenzee「アルバム中、唯一バンドらしい曲。もしコーネリアスを学園祭でコピーするならこの曲だけであろう。元ネタはスタカン「A Solid Bond in Your Heart」である」

 https://youtu.be/SIZxNy2i5EQ

kenzee「「デレレローン」と下降していくベースラインも同じ。一応コーネリアスがバンドっていうフレコミでデビューしているのでバンドっぽい曲もいるか、ライブもあるし。。といった理由か。バンドはバンドでもネオアコじゃなくソウル寄りのパンク、というところに「フリッパーズじゃないよ」という意思表示が窺える。ただポールウェラーよりコードチェンジの激しい歌謡曲寄り、というところに小山田曲らしさがある。ほかにあんまり言うことがない曲だな」

以上、First Question Awardは終了。

kenzee「20何年ぶりにちゃんと聴きかえした。やっぱり今聴くと古い音楽だとは思う。でも「カメラ・トーク」を聴いてもそんなに昔の音楽って感じはしないし、小沢さんの「LIFE」を今聴いても27年前の音楽という感じがしない。なぜなのだ。歌唱力という点ではどう考えても小山田さんのほうが勝っているのに。もしかして歌詞って大事なんじゃないだろうか。「歌詞って大事なの?」ってバカみたいな文面だが要因はこれしか考えられない。ふだん歌ものを聴く人の多くが歌詞など真剣に聴いていない、と思っているだろう。ボクもそう思っていた。だが歌詞が不格好だと全体が不自然に聴こえるのだ。聞き流していてもだ。確かにユーミンさんとかドリカムさんとか小沢健二さんの歌詞は自然と音楽的に聴こえる。よく練られた歌詞だからであろう。歌詞、大事だったんだね。日本語の歌詞だけは「最新のロンドンのトレンドを取り入れて~」とかそういうわけにいかないからね」

司会者「じゃあ次はセカンドアルバム「69/96」に突入か」

kenzee「今、歌詞のことを考えていて、ちょっと思いついたことがあるのだ。小沢さんの歌詞についてなんだけど。日本語の歌詞はサウンドみたいに輸入できないじゃない?ロディ・フレームの英詞を日本語に訳して歌っても違うし。それどころかビートルズの歌詞を訳して歌ってもおかしくなる。日本語詞だけは一から構築していかないといけないのだ。まあそれがはっぴいえんどだって言われたらそうなんだけど。じゃあ小沢さんの歌詞ってなんだったんだってことを考えた。フリッパーズの英語詞から。そしたらしゃー。小沢詞ってそんな簡単に真似できるわけがないってことが感覚ではなくて理論的に説明できるってことがわかったのだ。「カメラトーク」風の語彙と文体で相対主義みたいな話をすれば小沢詞っぽくなると思ったら大間違いで小山田さんは必然的に作詞家としてボロ負けに負けた。これを理論的に説明できるとわかったのだ」

司会者「小山田さん擁護ブログだったのでは・・」

kenzee「なので次回はマラソンをお休みして「小沢詞の日本語との戦いの歴史とは」について考察してみようと思う」

司会者「いつに「なったら「Mellow Waves」にたどりつけるの・・・」

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コーネリアス「The Love parade」はソフトロック者の目から見ると・・・(コーネリアスマラソンその6)

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9月10日はコーネリアス「ホリデイ・イン・ザ・サンe.p.」発売28周年です。初回限定ジャケのステッカーは昔のパソコンに貼っている。


kenzee「コーネリアスマラソン、今回はアルバム10曲目「The Love Parade」からです」

 https://youtu.be/MOqQPqkxCe4

kenzee「一聴して元ネタがソフトロックの重要曲、ロジャーニコルズ&ザ・スモールサークルオブフレンズの「Don't Take Your Time('67)」とわかる」

 https://youtu.be/shSp1DiFI_U

kenzee「このアルバム中、もっともコーラスが分厚い一曲。コーラスには野宮真貴さんが参加。このアルバム中もっとも女子人気の高い一曲であろう。歌詞は当時の小山田さんらしい「決して変わらない何かとあきらめを乗せたパレード」という諦念と相対主義の歌。ただしラブパレードといえばドイツの有名なテクノのイベント名でもあり、デビュー前の旅行で参加したレイブのイメージと重ねた歌詞かもしれない。当時のインタビューによれば「レイブはイギリスの若者の中でも失業保険で食いつないでいるような人が多かった」という証言もある。サウンドと歌詞が乖離しがちなこのアルバムのなかでもこの曲は詞・曲・編一体のオブジェクトという感じで成功している。フリッパーズ時代の小山田曲「1990サマービューティー計画」も小山田流ソフトロック曲だがゲストヴォーカルには元ピチカートファイヴの佐々木麻美子を招いていた。小山田さん自身のこのファーストアルバム制作の直前にピチカートアルバム「ボサノヴァ2001」をプロデュースしたこともあってか「ソフトロックの曲の時はピチカートのヴォーカル呼ぶ」という公式ができあがっていたのかもしれない。とにかくこのアルバムは現在の眼から見るとこの92年~93年頃の「フリッパーズ解散後のブームやトピック(フリーソウル、ソフトロック、アシッドジャズ、プライマルスクリームの変化、ジャミロクワイの登場など)を一通りフォローしたドキュメントとして機能している。ただし、どの曲も器用貧乏というか「これで行く!」というような明確な音楽的キャラのないレコードではある。(例、オレは日本のジャミロクワイになる!というような)これは歌詞でも「これで行く、とかそういうことじゃないんです」と繰り返し述べていることでもある。まったく余談だが数年後にドラゴンアッシュ「Vi Va La Revolution」を聴いた時の「器用貧乏なバンドダナ~」と感じた時の感じがFirst Question Awardの器用貧乏感の既視感だった」

司会者「ここから話は大きく逸れていきます」

kenzee「ボクのように地方でフリッパーズ「カメラ・トーク」を聴いてぶっ飛ばされた10代の者は多いだろう。ただしクラスでこの衝撃を分かち合える友はゼロであった。もしこれを読んでいるアナタが「イヤ、一人いた」ということならそれは幸福者である。「オマエ、音楽が好きなら何組の○×が音楽好きでギターも弾けるって言ってたぜ」ということで話を聞きに行ったらエンエン、メタリカとガンズとホテイさんのギタリズム2の話を聞かされて終わった、という思い出もある。そんな時代である。ただその人はいい人でフリッパーズは偶然NHKのジャストポップアップ出演時のものを観ていたのだった。「フリッパーズのギターの細い人、グレッチのギター物凄い勢いでカッティングするよね」と感想を述べたのである。このように同世代でカメラトークにぶっ飛ばされた人とちゃんと話ができたのは20歳になってからである。カメラトークで目覚めた者はカメラトークの世界を深堀りしたいという欲望に駆られる。あの頃、一体何人の若者が田舎の商店街の中にある藤あや子のポスターバーンっ貼ってあるCD店で「アズテック・カメラってありますか?」「モノクロームセットありますか」と、ロックなどアバあたりで終わっているような店主のおじさんおばさんを困らせたことだろう。ないんですよ。そんなもの田舎に。90年や91年頃には。「イヤ、アタシ地方人間だけど国道沿いのツタヤでフツーにアズテックカメラとかマイブラレンタルしてたよ」という方もおられるだろう。それは90年代半ば、95、6年の女子高生であろう。全国の田舎にブルドーザーのごとくツタヤが爆増しまくった時代の話である。フリッパーズの現役時代と小沢「LIFE」、小山田「69/96」の時代とは音楽性の変化とかより聴き手を取り巻く音楽インフラが急速に整っていった変化のほうが重要なファクターである。この地方における音楽インフラの整備と小室ファミリーを筆頭とするJ-POPの隆盛はパラレルな関係にある。ツタヤという物理的なハードと小室さんたちのソフトが密接に絡んで走り出したところに上手く乗ったのが音楽番組「HEY!HEY!HEY!Music Champ」だった、という見取り図は概ね間違いではないだろう」

司会者「で、こんな話をしようと思ってたのでもないのです」

kenzee「カメラトークに出会った者は、この世界をもっと深掘りしたい、という欲望に駆られる。小沢歌詞も言っている「ぼくらは 古い 墓を暴く夜の間に」と。で、大人になってから「カメラトーク」人間にいろいろ出会ったわけだが、みんな方向性が違うのである。それほど多面的なアルバムだったのだ。たとえばボクの場合。ボクはどうも「カメラトーク」に「オールディーズ風味」を嗅ぎ取っていたようなのである。つまりアレをポストパンクであるとかUKニューウェイブのなんとかであるというような音楽、という風には受け取っていなかったのである。ボクのイメージではカメラトークは「バカラックとA&Mの60年代ポップスのヤングなヤツ」という受け取り方であった。なのでペイル・ファウンテンズ「Pacific Street」に出会った時は驚喜だったのである。しかし同じく地方でカメラトークに出会った者でもそこからまっすぐ同時代のUKのダンスシーンに向かう者もいた。つまりストーンローゼズとかハッピーマンデーズとかが重要で90年代を通じてオアシスとポールウェラーのソロが重要、というような(ちなみにオイラはオアシスのなにが良いのか未だによくわからないのだ。でもあれほど人気があったのだからスゴイバンドなのだろう)で、この人にビーチボーイズとかバカラックとかハーパースビザールの話をしてもあんまり乗ってこないのだった。で、こちらもケミカルブラザーズの新譜の話聞かされてもあんまりなのだった。ボクはそのままオールディーズの道へ邁進していく。ちょうど90年代の半ばというのはCDのリマスター技術が進んだ時期らしく、60年代のソフトロックやソウルの名盤が次々と再発されていった時期である。その道を走っていると必然的に山下達郎、大滝詠一の両巨頭に出会う。94年にシュガーベイブのリマスター再発、95年には大瀧氏自らの監修、ライナーつきで70年代のナイアガラの諸作品の再発、と親切な時代であった。おかげでボクは人生で「レコードに大枚を払う」という経験をしていない。しかしUK道の彼にはボクの山下達郎話は意味がわからないのであった。曰く「達郎、ユーミンなどバブル世代のBGMであって、むしろ(カメラトークで産湯をつかった)我々の敵ではないか」とのこと。(無論、今は彼も考えが変わっていると思いますよ)しかし「これは言い得て妙で「渋谷系」の気分の実態を言い表しているとも言える。もし、渋谷系がポストパンクの「パンク的な反抗のムーブメントだった」と仮定するなら反抗する敵は「バブル的、ホイチョイ映画的な大手広告代理店主導よるマス的ユーミンさん的音楽、中産階級の大学生のカップルがカーステや苗場スキー場でセックスの前菜として消費するためだけの機能的な音楽」ということになる。そうではない草の根的な純粋に音楽を愛する者の動きなのだ、とでも言うような気分があの時代にはあったのである。ただし、2021年の現在からこの時代を振り返った時、「気分」のムーブメントであったと思う。恐ろしいことに私たちが反抗しようとした「バブル的OLさん的ライフスタイル」とはその感覚を用意したと言われている田中康夫「なんとなく、クリスタル」が提唱したものであり渋谷系の「気分」と同一である、ということである。」

司会者「そしてこの20代の時期に60年代ポップス、ソフトロック道を歩んでいったkenzeeから見た「The Love Parade」とは。タダのロジャニコのパクリなのか。そうでもないのか」

kenzee「それは次回」

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The Back Door to Heavenだけが異質な曲。そして現在につながる曲(コーネリアスマラソンその5)

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(コレがファーストクエスチョンアワードだ!)

kenzee「コーネリアスマラソンその5。今回は8曲目「The Back Door To Heaven」から。」

 https://youtu.be/tAtVc0kbvZY

kenzee「このFirst Question Awardアルバムはほぼマニュアルプレイ、つまりスタジオミュージシャンによる人力プレイのアルバムなのだが唯一、マシンのビートと小山田氏自身のアコギのみで構成、という6分半もある曲なのに基本EM7→AM7の2コードだけで突き進んでゆく異色の一曲。一応歌ものではあるのだが歌が始まるのが4分近くになってから、という内省的な曲。無論、この曲のアイデアはプライマル・スクリーム「ディキシーナーコEP('92)」収録の「Screamadelica」で間違いないであろうが、今聴くと元ネタがどうこうとかより後のコーネリアスを考えるうえで重要曲と思えてくる。

 https://youtu.be/F-JtmHJ6ZgI

このアルバムは全11曲、インスト曲1曲を除き、「歌もの」のアルバムなのである。うち9曲がこの時の小山田氏の態度表明のような歌詞で占められている。すなわち「この情報社会でボクたちは安易に特定の思想信条にとらわれるわけにはいかない。自分の身を守るためにはあらゆる価値を相対化し、軽やかにセンスで乗り越えてゆくのだ。無責任と言われようがこれが現代の都市をを生きる若者の生き方さ、」とでも言うようなオピニオンの言葉である。いわば「外部に向けられた」言葉で占められたレコードである。結果、1枚聴き通すと妙に疲労感に包まれることになる。だがこの「The Back Door~」だけが異常に言葉数の少ない、内省的な言葉だけで綴られた曲なのである」

  The Back Door to Heaven 近づいてく 海の底深い宇宙へ 内側へと広がって行くよ遠くへ

たったこれだけの歌詞。サンザン、「俺は相対主義者の虚無主義なんだ!ほっといてくれ!」と開き直ってきた楽曲のさなかにふと、内なる声に耳をすませた瞬間がある。この曲だけが屹立している。また、それが魂の解放とえもいうようなイメージであることに注目である。というのもこの曲のみが2006年のシングル「Music」、「Breezin'」~アルバム「Sensuous」へと繋がるコーネリアス流のミニマルの音と言葉の世界の源流のように思えるからだ。無論「Sensuous」期の細やかなサウンド作りに比べるとまだまだ大づかみな音と歌詞ではある。しかし我々のよく知る現在のコーネリアスの世界、たとえば「デザインあ」の言葉とサウンドの世界の萌芽がすでにこの時点で芽生えていた、というのはこのマラソンでの発見である。おそらくこの時小山田さん自身も「The Back Door~」が自分の音楽の本質で、今後これを深めていくことになる、とは思ってもいないだろう。コロコロ変化していくプライマルの最新サウンドを取り入れてみた、ぐらいの感覚だっただろう。この曲の歌詞だけがリリックと呼びうるものだ。他の歌詞など青年の主張レベルに過ぎない」

司会者「ヒドイな、オイ」

kenzee「このアルバム中、繰り返し聴いても疲れないのはこの曲だけなのだ。不思議なものだ。セコイ話、他の曲は結構高いスタジオミュージシャン使いまくった予算のかかったレコーディングで、会社的にも売る気の企画だっただろう。「The Back Door~」はほぼ小山田さん一人で完結した曲で、予算的にはゼロに近い。なのに四半世紀あとの未来の耳で聴くとこれだけが純粋に音楽的な音楽なのだ。無論、当時18歳の耳で聴いたときはなんとも思わなんだ。「なんか地味な曲が混じってるナ~」ぐらいの感じだったと思う。こんな流行にばっかり気を取られているようなアルバムの中にずっとひっそりと収まっていたのだ。未来の耳に聞かれるために」

司会者「それは聞き手が単に年をとって音数の多い音楽を聴くのがシンドくなっただけでは(ニヤニヤ)」

keznee「まだ3曲も残ってるのにまとめみたいな話するのは早い気もするが、このFirst Question Awardアルバムはとても「強い」音楽なのだよ。脆さ、とか弱さ、といった要素がまったくない。ポップスメーカー小山田さんの作曲、編曲で一流のスタジオミュージシャンが演奏、で歌詞は決意表明のような強い言葉でスキのないように作られた音楽なんだね。だが、日本人って私小説の国で強いから好きになる、という文化ではないのだよ。「脆さ、弱さを告白する自我こそに価値がある」みたいな文化の国なのよ。太宰治と村上春樹「ノルウェイの森」が大好きな国民で、私小説性を全面に打ち出していった小沢健二さんが国民的な人気をえるのは必然でもあった。(あの人はそもそも私小説がすきなんだと思う。)First Question Awardは今の耳で聴くとよくできたポップス集とは思うが、あんまり感動しない。悪いと言っているのではない。私小説の国では相容れないタイプの資質だったのだと思う。後に国境を超えてグローバルに受け入れられていくのも偶然ではなかった。小沢さんの音楽は国境を越えようがないところがある。極めて日本人的な音楽なのだ」


司会者「9曲目Theme From First Question Award(ファースト・クエスチョン・アワードのテーマ)」

 https://youtu.be/ZultlXQ7GdI

kenzee「一聴してだれでもわかるようにこれはバートバカラック作曲の「007カジノロワイヤルのテーマ」を参考にしたものだ」

 https://youtu.be/kyMziCJYHkw

kenzee「2分足らずの小品。バカラックをネタにアルバムの雰囲気をガラッと変える用のスキットみたいな曲を挟むアイデアはフリッパーズ時代にも「カメラ・トーク」で「南へ急ごう」で試し済。オイラも今回の騒動がなかったら改めてコーネリアスをファーストから聴き返そうなんて思わなかったわけで。四半世紀ぶりにファースト聴こうと思ったら2017年にリマスターでてたと知らなくてスポティファイにあがっててビックリ。したらアルバムにもシングルにも入ってなかったこの曲の英語の歌詞ヴァージョン(マヨネーズのCM)もリマスター盤には入ってて二度ビックリ。全然クエスチョンって感じのしないひたすら明るいポップス。でも、とくに言うことがないなア。。。カジノロワイヤルのテーマ。。。筋少がカヴァーしてたな・・・日本語詞つけて。。。」

司会者「あと2曲」

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私たちが「ジャンル」と呼んでいるものの多くは「先入観」である、という話。(コーネリアスマラソンその4)


司会者「コーネリアスマラソンその4です」

keznee「今回はアルバム6曲目、「Cannabis」からです。反応が薄いのでザクザクいきます」

 https://youtu.be/0evbtYPGG64

kenzee「全編にシタールがビヨンビヨン鳴り続けるラーガロック。60年代後半にビートルズ周辺で流行ったインド風のロック。サウンド的にはデイヴ・パイク「Mather」などのベタなシタールのロックを参考にしたに違いない」


 https://youtu.be/kO2icPddH5g

kenzee「で、よくこの曲の元ネタはキャロル・キングが在籍していたThe Cityの「Snow Queen('69)」だなどという指摘があるがこれも典型的な「そう言われてみれば似てるな」の消極的引用で別にパクリというほどのものではない。では当時の小山田さんの脳内ではこの曲の企画はどういうプロセスで進んでいったのだろうか。たぶんこういう流れ」


 オイラ、元々変な形をしたギターが好き。「カメラ・トーク」期のアー写でオナジミのグレッチのランチャーファルコン(オレンジで三角のサウンドホールのエドヴィン・コリンズのサイン入ってるヤツ、後に福山雅治さんも使用)とか69/96期のフライングVとか「Perfect Rainbow」のPV(北海道の牧場ロケ)で使用したドブロギターとか、音質とかともかくオモチャみたいな要素のある楽器が好き。(テルミンとか)そこでオイラが目をつけたのがエレキシタールなのでアール。なんと、エレキシタールはフリッパーズのファースト「海へ行くつもりじゃなかった」ですでに弾いている。「海へ~」最後のクレジットの欄にご丁寧に小沢・小山田氏が何の楽器を使用したかの記載がある。このなかの小山田使用楽器にCoral Guitar Sitarとある。(小沢氏にはない)

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おそらくこのフリッパーファーストで小山田さんがシタールを弾いたのは「Exotic Lolipop」であろう。(ほかにシタール使用の楽曲はないので)このようにオイラ、もともとシタール好きなのでアール。シタールに限らず、変な形の楽器が好き。そういえば小沢ってグレッチテネシアンとか赤のフェンダーテレキャスターとかガットギターとかオーセンティックないかにも「音にこだわってます」的なな楽器が好きだよな、ツマラン。アイツはツマラン男だよ。そこでシタール主体のラーガロックの曲をやってみよう。となるとサウンド的にはデイヴパイク的なラーガ・ジャズ・ロックって感じかな・・・

というような思考をめぐらされたに違いない。この曲はライヴビデオ「Love Heavymetal Style Music Vision」の中でも披露されている曲だが曲間でティトプエンテの「Oye Como Va」を挟んだメドレーとなっている。「オイェコモヴァ、テキ~ヨ~ペゴパゴサ、」と歌い始めるのだ。この時代にサルサのカヴァーなんて進んでるナーと思ったらビックリ! コーネリアスより2年も早くこの曲をカヴァーしてる日本人アーティストがいた!森高千里である「古今東西('92)」に収録されている。タダのカヴァーである。どういう文脈でこの曲をやろうとしたのかわからん。森高さんが単に好きなのか?サブスクで簡単に聴くことができる」

司会者「aikoマラソンの時同様、だんだんコーネリアスから話が脱線していくフェーズに突入しました」

kenzee「アルバム7曲目「Raise Your Hand Together」

 https://youtu.be/mhzPAkBGqw0

93年9月1日に「太陽は僕の敵」でデビューした直後の9月10日にマキシシングルとして発表されたもの。ハッキリとジャミロクワイ「Blow Your Mind('92)」のサウンドを取り入れようとした確信犯の曲。

 https://youtu.be/MVTkbCCl3-I

ジャミロクワイのこの曲は初期の曲だがいかにもアシッドジャズ、クラブ映えするファンクサウンド。「トゥットゥッナ、トゥットゥナ、」のスキャットもしっかり写し取っている。90年代のジャミロクワイの存在感というのをどう説明したらいいだろう。有無を言わせぬカッコよさがあったのである。どんなに音楽に無知な大学生でもコレかけておけばバカにはされないで済む、というような安パイ感、とでも言うか。「つってもジャミロクワイって渋谷系だろ?」と思ってるキミはこれを聞いて「ジャンルとはなにか」というテーマを一度、考えてみたまえ。TSUNKUソロシングル「Touch Me」カップリングの4曲目「Touch Me#4」

 https://youtu.be/ZDHdwWv6ZOY

ハッキリ言おう。「ジャミロクワイモノまね合戦」という視点から見るとコーネリアス「Raise Your Hand Together」はTSUNKU「Touch Me#4」('99)(編曲、河野伸)に負けている。サウンドの完成度もさることながらつんく氏のジャミロクワイ理解があまりに秀逸なのである。実際のジャミロクワイ(ジェイ・ケイ)はコンシャスな考えの持ち主で環境保護とか真剣に考えているタイプのミュージシャンなのだがつんく曲はそういった背景を一切無視し、フェイク混じりのわりといい加減な歌唱で「いい加減な人間関係や恋愛模様を語る音楽」と理解したのである。引き換え、小山田さんはマジメにサウンドを引き写し、「現代社会における若者を取り巻く思想や言説に簡単に自分は簡単に染まらない、この情報過多な世の中をそのまま受け止める所存である」というようなマジメな歌詞を載せてしまう。また、詞作にまだ慣れていないと思われる時期で「このサウンドにその言葉か?」となる場面も多々ある。シングル収録の別ミックス「320Right Mix」はもっとリズムを強調したよりファンクなヴァージョンで音はカッコいいのだが結果、多弁な歌詞がよけいにうるさく聴こえる、という陥穽に陥ってしまう」

司会者「つんくのほうがより洋楽志向だったというパラドックス」

kenzee「ただし小山田さんはこの後、短期間で詞作についてはだいぶ改善していくことになる。この時の「日本語との苦闘」が「SENSUOUS」~「デザイン あ」以降の日本語の言葉に生きているのではないか、というのがボクの「コーネリアス詞」観」

司会者「順調に行っているのかな? 次は8曲目「The Back Door to Heaven」からだね」


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結局ふたり仲いいんジャン!(コーネリアスマラソンその3)

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kenzee「コーネリアスマラソン、その3。今回は4曲目「Perfect Rainbow」からです」

 https://youtu.be/V9ytKaZ6uo0

kenzee「70年代のフォーク・ロック然としたアコースティックソウル。いかにもギター弾きながら鼻歌で作ったという感じのポップス。この曲のネタは有名なフリーソウル定番曲、Alzo&Udine「Hey Hey Hey,She's O.K.('68)」である」

 https://youtu.be/W6evJsSYbBg

単純なメジャーセヴンスの2コードの小粋なヤングソウル、といった元曲だが小山田さんは「もっと歌ものらしい歌ものに展開できるのではないか?」と考えたに違いない。GM7→Am7onDのポップスの進行でスタートするがサビになると小山田さんにしては珍しく饒舌な展開となる。「なーなつーのーいーろーをー」の箇所だが、

GM7→F#m7-5→B7→Em7→Dm7→G7→CM7→Bm7→Em7→Am7→Am7onD

というなかなかコードチェンジの激しい歌謡曲らしくなる。この歌謡曲らしさ、というのがこのThe first question awardアルバムの特徴であまりクラブユースみたいなシブヤ的、ヤング的な方向に意外と目が向いていない。むしろ「歌もの」とはなにか、というテーマがあったように思える。これは同時期にソロデビューした元相方小沢氏も同様の方向を向いていた。上記のコード進行は当時、気に入っていたようで「Moonlight Story」のAメロでも使われている。あとAlzo&Udine曲になくて「Perfect Rainbow」にあるものとなると八木のぶお氏のクロマチックハープ(ハーモニカ)ということになる。このクロマチックというのはスティービーワンダーでオナジミのレバーで半音がでるというもので長渕さんや甲本ヒロトさんが使用しているブルースハープとは違うものです。間奏で転調を繰り返すシーンで軽々と乗りこなすハープは高等テク。「ハープを入れよう」というようなアイデアは小山田さんの発案と思われるがフレーズやメロディを指定することはなかったと思われる。「歌とカブらないところで適当に吹いてください」といったようなアバウトな指示だったのでは。無論、八木さんクラスの名手ともなると自由にやってもらった方がいい結果になるのだが小山田さんの才能とはこの「年上のプレイヤーに与えるスペースを踏まえた曲作り」ということになろう。ガチガチに決めてしまわない、その場の空気とか偶然まで取り入れて形にする寛容な作家イズム、とでも呼びたい才である。歌詞は当時の小山田さんらしい「まるで弾みやしない会話続けるように」という諦念についての歌。歌詞に関してはアルバム全体に言える「せっかく最高の素材で甘いお菓子作ったのにその上に塩コショーぶっかける」みたいなことになっていて今聴くと古く感じるものになっている。この年になってわかるのはポップミュージックの歌詞とはくだらない、単純な内容であればあるほど歴史の試練に耐える、ということだ。そう考えるとシュガーベイブや大瀧さんの初期の歌詞はポップス的に正しかったのだとわかる」

司会者「5曲目「Bad Moon Rising」」

 https://youtu.be/-IMAwRGcvNk

kenzee「ニューソウル期のカーティスメイフィールドやダニーハザウェイを思わせるコーネリアス流のシカゴソウル。ただしジャミロクワイ経由のノーザンソウルという感じ。「デッデッンデッンデ、ドゥン、デッデッンデッンデ、」のカーティス「Tripping Out」や山下達郎「甘く危険な香り」でオナジミのリズムパターンのソウル。四管のブラスに金子飛鳥ストリングというなかなか予算のかかった1曲。

Gm7→FM7の2コードの繰り返しからサビで大展開、という「太陽は僕の敵」と同パターンの進行。注目すべきはブリッジの部分。「永遠に続く 退屈な昼と 嘘くさい夜の間~」の箇所だが、

Cm7→F7→B♭m7→E♭7→E♭m7→A♭7→D♭M7→D♭m7→G♭7→G♭m7→B7→Gm7→A7

と8小節の間にエンエン転調を繰り返す箇所だが、同じブリッジ展開を小沢健二さんも「ローラースケートパーク」で「それでここで君と会うなんて 予想もできないことだった 神様がそばにいるような時間」のブリッジ部で使用しているのである」

司会者「「二つにわかれたストーリー」とか言って! 結局気が合ってるじゃねえか!」

kenzee「サウンドだけ「アシッドジャズ風」とか「フリーソウル風」とか言ってても骨格は一緒、みたいな。仲良しダナーホンット、アンタたち。ついでに言うと「デッデッンデッンデ、」のビートは小沢さん「天使たちのシーン」でも使用されているものです。結局似たようなこと考えて制作してんジャン」

司会者「友だちっていいもんだね」

kenzee「ていうことを言いたいためだけに必死にコード採ってます。次回は6曲目「カナビス」からだな」

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そういえば小山田さんは絶対恋愛の話をしないな。元相方と違って(コーネリアスマラソン2)

kenzee「コーネリアスマラソン、2回目。リリース順に行くと今回は「ホリデイ・イン・ザ・サンep」から「Raise Your Hand Together」行って「Perfect Rainbow」に流れることになるのだが」

司会者「で、アルバム「The First Question Award」の前にシングル「What You Want」があって、アルバムの後にリカットシングル「Moon Light Story」と行くのが正しい流れ」

kenzee「その流れだと話がしにくい、ということが分かった。いきなり前言撤回するけどアルバム曲順に行こうと思う。幸い前回の「太陽は僕の敵」はアルバム1曲目なので都合がいい。なので今回はアルバム2曲目「You Can't Always Get)What You Want」からです」

 https://youtu.be/TI4Gu1_JBN4

kenzee「小山田さんの曲はよく「洋楽のパクリばかりだ」などと揶揄されることが多い。実際「コレ、替え歌ッスカ?」と言いたくなるほどそっくりな曲も見受けられる。その是非はここでは問わない(だって小山田さん擁護ブログだからね)だが一口にパクリと言っても小山田さんの場合はいくつかのパターンがある。「鼻歌で曲作ってみた。そしたら○×に似てるって言われた、そういえば似てるな~」と「気がついたら似てたワ」という消極的パターン。前回の「太陽は僕の敵」のAztecaなどはこれにあたる。もうひとつはハッキリと「このサウンド、この雰囲気を再現しよう」とレコードを聴いてソックリな曲を作ろう、という積極的、確信犯パターン。今回の「What You Want」はこれにあたる。よくネットの「渋谷系元ネタバラシサイト」などで挙げられるのはこの曲の場合、スタイルカウンシル「Internattionarists」とMothe Earth「Mr.Freedom」の2曲だがどちらも当たらずとも遠からず、というかだいぶ遠い。もっとソックリな曲があります。コーデュロイ「The Corduroy Orgasm Club('93)」です」

 https://youtu.be/gffuvEYqPSQ

司会者「オルガンの「テッテレッテッテー」というフレーズもそのまま」

kenzee「このブライアンオーガーのような猥雑な感じのオルガンサウンドを再現しようと思ったのだなとわかる。ちなみにこのコーデュロイというバンドはイギリスのアシッドジャズムーブメントから登場したグループで小山田氏の主宰するトラットリアレーベルからもリリースしている。彼らはコーネリアスファーストシングル「太陽は僕の敵」のPVにも小山田さんと一緒に出演している。つまりレーベルオーナーが所属アーティストの曲をパクった格好だ。パクリというと言い方は悪いが小山田さんの場合、この剽窃の仕方は極めて批評的なので許されるのだ(主にオイラの中で)たぶん「What You Want」の製作の動機はこんな感じだと思う。」


小山田さん、コーデュロイのサンプル盤聴く→メッチャカッコイイインストやないか!60年代ロンドンのモッドジャズのようだ!→だが短すぎない?なんで2分足らずの小品なんだ?どうせソロ主体のインストなんだから5分にでも10分にでも伸ばせれるのに→このサウンドをABサビ構成のいわゆる歌モノの構成にして歌、載せたらどうなる?日本初のアシッドジャズ歌謡だぜ~→あともっとギターの要素足してよりロック色の強いサウンドにしたいな→フッこれで小沢に勝った


というような思考の流れであったのではと思う。つまり元のコーデュロイの曲のアイデアのさらに先になにがあるか、という足し算の発想によるもので安易にパクリパクリとバカにしないでいただきたい」

司会者「そういうキミが率先してバラシてもうたガナ」

kenzee「小山田さんのこういうジャズ要素のある曲を作る時の癖、その一でコード進行はトゥーファイブで始める、というのがある。(この曲はAm→D7の繰り返しで始まります)「Moon Walk」もそう。この曲はいかにもギターで作ったという感じ。「ワッチュウウォーン」のところがAm→G#m→Gmと同じコードフォームで降りていくだけ、という展開などギターらしい曲である。あとコーデュロイ曲になくて「What You Want」にあるもの。それは「ギャーギャーガガガガギャーギャー」のディストーションギターのイントロである。やっぱり小山田さんはギターが上手いなあ、と見直す一曲。例の不機嫌な歌詞もこのサウンドなら違和感はない」

司会者「3曲目。「Silent Snow Stream」」

 https://youtu.be/YUoQIJW-Yro

kenzee「ようやく一息つける、16ビートのAOR調ポップス。「実はホール&オーツのカヴァーです」と言われても信じてしまいそうな王道の循環コードポップ。もしかするとヘアカット100をイメージしたのかちょっとファンカラティーナの要素もあり。フリッパーズ「ビッグバッドビンゴ」の続編のような気怠い午後の1曲。サウンドだけならわたせせいぞうのイラストのBGMにでもなりそうなくらいの優秀なポップスだがこの頃の小山田さんの世をすねたような歌詞が載って台無しな気分。このThe first question awardアルバムは楽曲はヴァリエーション豊富でどれもCMとかに使えそうなくらいウェルメイドなポップなのだが全編にわたって小山田氏の不機嫌な歌詞が乗る。しかも割とマジメな。そもそもこの手のポップスのレコードで一切、一ミリたりとも恋愛の話が出てこないという変わった音楽。 購買層の多くがオリーブ少女だったというのに。そういえば小山田さんが恋愛話をしているところというのが想像つかない。下ネタの話はしょっちゅうするのにね。しかも元相方の人は「LIFE」という90年代を代表するラブソングのレコードを作った人なのに。つくづく真逆の二人が結託していたのだと思う。なんだったっけ。「Silent Snow Stream」だった。コレ、人力マニュアルプレイの演奏なのに同じドラムのブレイクが何度も出てくる。コレ、小山田さんから指定があったのかな。この手の古き良きAOR曲をスタジオミュージシャンに好きにやらせると勝手に熱くなって盛り上がってしまう恐れあり。そこで同じブレイクばかり叩かせることでクエストラブ的な人間がサンプラーのマネをしているようなクールな感じを狙ったのか? 94年にその発想はかなり早いといえる。今日はここまで。次回「Perfect Rainbow」からです」

司会者「この調子で「Mellow Waves」にたどり着けるのはいつのことか?」

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コーネリアスでマラソンを走ってみようと思う。(「太陽は僕の敵-The Sun is My Enemy」('93年)のみ)


kenzee「フリッパーズ・ギター及び小山田圭吾さんのソロワーク、コーネリアス の音楽はボクの人格形成に強く影響を与えている。小山田さんが歌うのを聴いたのは高校入学の1990年、予備校ブギ主題歌であった。すでに中学時代から音楽好きではあった。時代はバンドブームであったがそういうのとは全然違う音楽。コレ、ジャズとかいうヤツかなよく知らないけど、という印象だった。当時15歳の田舎の子供の感想。それでも6歳上の姉がいたために普通の子より音楽には詳しかったのである。ジャズ風ということが珍しかったわけではない。佐野元春や大江千里の楽曲にもジャズ風に展開するものはある。それらとは何かが違う、と感じたのだ。こういう勘というのは子供のほうが鋭いもので「その手の上の世代とは違うポップス」とボクは勝手に認識した。ただしこの時代、彼らの来歴を知る手段は田舎では絶望的になかった。ユーミンさんの新譜をバーン並べるだけのCD店、週刊誌と学習参考書とマンガのコミックしかない書店、これが文化のすべてである」

司会者「急に小山田圭吾の話をし始めた彼になにがあったの?」

kenzee「夏に予備校ブギ主題歌を含むアルバム「カメラトーク」が発売となる。当時一件だけあったレンタルCD店藜紅堂にて借りたのである。これは衝撃的なアルバムでジャズ風と呼べる曲は結局予備校ブギ曲のみで変わったコード使いのアコースティックギター主体のロック、複雑な陰影をともなった歌詞、バラエティに富んだ曲調、だがどれもストレートなポップス。なんというか大人っぽい音楽に聞こえたのである。当時、ボクが彼らの情報をリアルタイムで追えるメディアはなんとGBとパチパチ、つまりソニーマガジンしかなかった。まだ版形のデカイロッキングオンジャパンは近鉄奈良駅東向き通りのコトーモールの中の本屋さんにはあったかもしれない程度。宝島など影も形もない。昔の日本の地方とはそんなもんである。なので「彼らは口が悪い」とか言われるのもよくわからない。ソニーマガジンではそこまでひどい発言もなかったからだ。GBはもともとギターファン向けの雑誌だったので歌本が付録でついていた。歌詞にギターコードが載っているというもので、昔の読者はこれを観てチャゲアスや長渕等をコピーしたのだろう」

司会者「急に青春の音楽思い出話」

kenze「余談になるがこのGBの歌本は異常に正確であった。明星などとは比べ物にならないくらいだ。普通の歌本なら省略しそうなテンションコードもちゃんと採譜、というか採コードしていた。たぶんジャズの素養のある人がやっていたのだと思う。当時バービーボーイズのいまみちともたかが自分の曲のコード忘れた時にGBは重宝する、と言っていてそれも頷けるものだった。ちなみにバービーは作曲者も忘れてしまうほどヘンテコなコード使いのバンドである。そこでGB歌本で採譜された「恋とマシンガン」は当時のバンドブーム期の楽曲ではまず登場しないディミニッシュやフラットフィフス、オーグメントでしかも分数和音、Aメロの中で転調、といった見るからに「ドヤッ」と言わんばかりの構成で「やっぱり普通のバンドの曲と違うなあ」と思った16歳」

司会者「キミは楽器の素養があったのかね」

kenzee「ボクは小学校の1年生の時から「あこや楽器音楽教室」(ヤマハではないところに注目!コレが地方だ!)のエレクトーンを習わされていた。ムチャクチャイヤであった。教室のお友達は女の子ばっかりだし、そういう子たちはピアノも並行して習っていたりするのでまあ、上手いのだよ。それでも4年生ぐらいまで通った。そして中学生になるとバンドブームがくる。お父さんの(音楽の素養まるでなし)古賀政男のクラシックギターでブルーハーツなどをコピーするようになる。エレクトーンという楽器の素晴らしいところは音楽をメロディ、コード、ベース、リズム(エレクトーンにはリズムボックスがついている)と四大要素にバッコリ分類して子供の脳に叩き込む点である。これはポピュラーミュージックというものを効率的に理解するうえでよくできた仕組みである。話が逸れた。実際にGB歌本を見て弾いてみると恋とマシンガンと長渕のとんぼでは使われているコードが全然違う「なんか音楽に詳しい賢そうなバンド」というイメージ」

司会者「高2の時にヘッド博士を残してフリッパーズは解散」

kenzee「そう。で、高3ぐらいになるとどうも彼らには独自のルーツがあるということがわかってくる。アズテックカメラとか。そしてそういう音源を手に入れようにもそんなものどこにもないのだった。そして高校を卒業すると93年がやってくる。小沢と小山田のソロビューの年だ。偶然なのか必然なのか同時期に彼らはソロデビューするのだ。オイラは予備校生である。予備校ブギであった。普通は悲しき受験生のはずである。だがオイラの記憶は93年から急に白黒からカラーに変わるぐらいここから明確になる。予備校が大阪の上本町という、今考えたら近鉄百貨店と都ホテルと予備校しかない郊外なんだけどオレの目には大都会にあった。当時は古本屋も何件かあったしアナログを扱うレコード店もあったと思う。なにより本屋である。上本町ハイハイタウン内のルーブル書店(なんと去年閉店した!)にはほぼすべてのめぼしい音楽雑誌は揃っていた。ロッキング・オン関係、ソニーマガジン、ミュージックマガジン関係(レココレとか)はもとよりフールズメイトなどまである。ついでに文芸誌を売っているのをはじめてみたのもここでだ。この時代のオイラ日課は10時にルーブル書店で音楽誌、文芸誌(文學界、群像、すばる、文芸、あと海燕とかあったナー)一気立ち読み、あと週刊朝日のダウンタウン松本の連載オフオフダウンタウンの忘れてはならない、とバカの浪人生の日常である。あの二人のソロデビューを知ったのもここでロキノンジャパンを読んで、だ」

司会者「バカの浪人生」

kenzee「なんでこんなにハッキリ覚えているのか? アラフィフのオイラときたら昨日食った昼飯も思い出せないのに。やはり10代ってスゴイのだ」

司会者「早い話が今、世間からかなり冷たい仕打ちを受けている小山田圭吾さん。だがkenzeeにとっては重要なミュージシャンである。過度な社会的制裁を受けているとしか思えないが、個人の力では限界がある。もともと風評被害というものはほぼ手立てはない。そこで」

kenzee「コーネリアスマラソンを走ってみるというのはどうかなと思いまして」

司会者「kenzeeがaikoマラソンを走ったのはもう8年も前のこと。もう年だ。間寛平やあるまいし、こんな長期のキャリアのアーティストをマラソンしたら死ぬのでは」

kenzee「死ぬ。なのでaikoの時、読んでくださってた方。最初に断っておきますけど今回は完走はしません。大体「Point」以降ほぼインストなのに走れるわけがない。なので飛び飛びで走ります。一応「Mellow Waves」までは行きたいな。無理かも。そのぐらいaikoの時は若かった。一応リリース順に走ろうと思う。ウィキではなくこの本

Img_20210822_152028

「コーネリアスの音楽とデザイン」を参考に走ろうと思う。その前にフリッパーズ解散からソロデビューまでの経緯をたどってみよう。月刊カドカワ1994年3月号のインタビューによるとこんな流れ」

フリッパーズ解散後は基本、家でごろごろする生活だった。キョンキョンに曲書いたり、友だちとロンドンやパリで旅行に行ったりしていた。ただし旅行先でもレコードばかり買っていた。レコード以外では当時ヨーロッパで盛り上がっていたレイブに行った。この時、アムステルダムで7万人のレイブがあったようだがそれには行けず、3000人ぐらいのイベントだった。客は失業保険で食いつないでいるような若者が多かった。別のベクトルでジャミロクワイを観た。まだシングル1枚でたばっかり。でもギャル人気高かった。当時、イギリスではすでにフェス文化が形成しつつあってグラストンベリー、フェニックス、レディングが三大フェスだった。(日本の初回フジロックの4年前の話なので違う意味で興味深い話)そのうちエルのマイク・オールウェイからサッカーのコンピレーションCDをやらないかのオファーがきてプロデュースした。その中でレーベル運営、という方向性もでてきた。トラットリアというレーベル名はマイクが命名。そうこうしてるうちに後輩バンドのブリッジのアルバムをプロデュースした。ピチカートファイヴのアルバムもプロデュースした。整髪料ウーノのCMもでた。この時の楽曲、「Into Somethin~More Mission」(Mo' Music名義)作った。当時のアシッドジャズの影響色濃いインスト。これ含むコンピ「Jazz Jersey」だした。ここまでが92年~93年までの動き。そしてコーネリアスとしてのソロデビューが93年9月1日発表「太陽は僕の敵」左端のジャケ。

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 https://youtu.be/KezBVFWX68s

kenzee「よくAzteca「Someday We'll Get By」('73)

 https://youtu.be/Xd8jq9ogByk 

が元ネタと言われるがラテンとジャズファンクが融合したような景気のいいポップス。当時さかんに雑誌でも言われたのは「フリッパーズ・ギターのような」という形容。本人も「普通にやってるとこういうふうになる」と述べている。だが「太陽は僕の敵」はフリッパーズ的だろうか。もう少し詳しく見ていこう。まず、この曲を聴いて「フリッパーズ的」と感じる人の脳内では「カメラ・トーク」期のサウンドが鳴っているハズである。ではカメラトークのなかにこの曲が収められていたらそれはそれで違和感があるのではないか。その違和感とはなにか。「カメラ」の曲は多くを小沢健二氏が手がけている。小沢楽曲とは「恋とマシンガン」でも触れたように複雑なコード使いや転調の多用による陰影を帯びたサウンド、ということになる。これは小沢曲と思われる「カメラ、カメラ、カメラ」「全ての言葉はさようなら」でも言える。(注1)つまりカメラトークの印象とは小沢のちょっとムリクリ感のある複雑味の楽曲、そして抽象的で哲学的な、使われている言葉そのものはポップだが全体として難解な歌詞、でできていると言える。つまり「カメラトーク」において彼らは音楽のうえでも「ボクら、一見オシャレでカワイイ優等生ポップス職人にみえるかもだけど、陰影のある難しい人間なんですよ」と主張している。しかし「太陽~」にはこのような屈託がまったくない。上記の小沢曲のような複雑味を排したストレートな楽曲、という特徴がある。掟ポルシェさんも「当時コピーしようとしたらフォークソングみたいな簡単な曲でビックリした」とツイートされていた。なにせこの曲はAm7とGM7の繰り返しが基本でサビになるとAm7→Am7onD→GM7→E7(ココ、細かく言うとBm7onE→E7というべきか)と回転する、というむしろ「コレが元フリッパーズか?」とあっけにとられるような曲なのである。フリッパーズにしてはあまりにストレート、あまりにも直球の曲なのである。これならまだインストの前曲「Into Somethin'のほうがなんぼか陰影があるというものだ。もしやこれはむしろ「フリッパーズではありません宣言」の曲だったのではないか。元々小山田曲とは「カメラ」においても小沢曲に比べるとスッキリ素直なのだった。「サマービューティー」がそうだ。多少ギターが弾ける者なら誰でもすぐ耳コピできる曲。だからといって小沢曲に見劣りするどころか強いインパクトを残す曲。これが小山田氏の資質だ。これはヘッド博士曲にも言えることで「ウイニーザプー」「クイズマスター」が小山田曲と思われるが難しくしようとか賢そうに見せようといったスケベ心の一切ない直球のポップ。この「小沢と違って俺は直球」宣言は4年後、たった2つしかコードのない「Star Fruit Surf Rider」でひとつの到達点を迎える。今となっては目立たないデビュー曲だが小沢氏に向けたメッセージだったのかも知れない。そして歌詞だ。残念ながらフリッパーズの歌詞のマネと言われても仕方のない一生懸命書いた作文のような詩ごころというものが感じられない歌詞。小沢さんはホッとしたことだろう。元々言葉の人ではないのだし本来なら思い切ってプロの作詞家に頼む、というの手もあっただろうが「一度決めたらやり通す」不思議と男気もある小山田氏。ファーストアルバムではたくさん書いてるうちにだんだん上手くなっていく過程も見てとれる。ラブパレードあたりになると「言いたいこと」と「言葉のセンス」がギリギリのバランスを保つところまで向上する。とにかくまるでフリッパーズのようでフリッパーズじゃない曲。これが第一歩なのだった」

司会者「こんな走り方で「Mellow Wave」まで行くの?死ぬぞ」

kenzee「ホントだ。まだ一曲目でこんな感じでやってたら死ぬワ。来週はちょっと考えて走ろう」

注1・・・・・・フリッパーズ曲のクレジットはDouble Knockout Corporationというもので二人の共作ということになっている。(作詞はすべて小沢氏の手による)ところがどういうことか小沢健二氏のオリーブの連載、ドウワッチャライク最終回にて彼は作曲者のクレジットを明かすのだ。これによれば小沢一人で作ったのは「フレンズ・アゲイン」「恋とマシンガン」「カメラ!カメラ!カメラ!」「全ての言葉はさようなら」小山田のみで作られたのが「ヘアカット100」「偶然のナイフ・エッジ・カレス」「ビッグバッドビンゴ」「午前3時のオプ」「サマービューティー」「ラブ・トレイン」とのこと。急になんでバラそうと思ったのか不思議だがこの情報によってそれぞれの曲作りの癖というか個性が判明したのである。なぜか小沢氏はこの時「ヘッド博士」曲には触れていないが、ボクの予想では「ドルフィン・ソング」(共作)、「Groove Tube」(小沢曲)、「アクアマリン」(小山田曲)、「ゴーイング・ゼロ」(わからない。たぶん共作)、「スリープマシーン」(小山田曲)、「ウイニーザプーマグカップコレクション」(こんな単純な中にこんだけのドラマを展開できるのは小山田に決まっている)、「奈落のクイズマスター」(小山田、プライマルスクリーム大好きっ子だし)、「星の彼方へ」(小沢曲)、「世界塔よ永遠に」(共作)と睨んでいる。それぞれ見分ける特徴がある。ソロになってからガラっと変わったとか言われたが言うても人間。その後も特徴は変わっていない。おいおい述べるとしよう。

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レジー著「夏フェス革命」(blueprint)はP148から大笑いしながら読め!

kenzee「音楽ライターのレジーさんが本を出された」

司会者「「夏フェス革命ー音楽が変わる、社会が変わる」(blueprint)」

Reji1


kenzee「4年ぐらい前、彼が大阪に来られた際にメシ食ったことがある。その時はちょうどクイックジャパンやMUSICAなどの音楽誌にコラムを寄稿されはじめた頃だ。オイラもその時は多少、偉そうに先輩ヅラしていたものだが」

司会者「エライ水開けられましたナ~、センパ~イ(葉巻をくゆらせながら)」

kenzee「今、この夏フェス革命を読み終わって、静かな興奮を噛みしめている。夏フェス弱者のボクでもこんな面白いんだからたぶん、コレ面白い本なのだろう。この本の骨子はこうだ。著者のレジーさんは高校時代にフジロックでフェス初体験をしたが、まだまだフェス黎明期のこの時代、今ほどフェス環境が整備されていなかった時代の初体験はボロボロになったそうだ。そして2年後、大学生になっていた彼はロックインジャパンのドラゴンアッシュに感動し、それからというもの彼の人生は音楽フェスとともにある。今30代半ばでそういう人は多いのではないだろうか。で、ここ20年ぐらいのフェスを振り返ってみて、いろいろ変化がある、というところからスタートしている。そしてフェスの変化は社会の変化を先取りしているところがある、フェスの変容を知るということは社会、メディア環境の変容を知ることナリ、といった論旨」

司会者「コレ、そこらの新書のレーベルだったら「フェス化する社会」ってタイトル無理やりつけられたりしそうですが、編集者は理解がある人にちがいない」

kenzee「この一件ひとつとっても著者が計画的に物事を進めていく「デキる社会人」タイプの人なのだとわかる。このコンセプチュアルな論考に的確なキャッチフレーズを次々に投下していくのだ。「夏フェス革命」という多少乱暴なタイトリングも素晴らしいし、その中で「協奏」という著者が考案したフレーズも的確なのだ。で、この20年の変化てナニって言うと、主役がバンドの「出演者」ではなくなって、オーディエンスが主役に変わってきた。それはSNSの普及とパラレルな関係にあって、誰が出演するかということより「フェスに行くことが目的化されていった、という話。これはフェスに限らず、SNS以降の「祝祭の感覚」の変化を先取りしていた。たとえば渋谷のハロウィン騒ぎとかワールドカップの時のスクランブル交差点とかいった。また、音楽を供給する側もCDビジネスが短期間で恐ろしい勢いで縮小するなかでフェスビジネスに一気に傾くことになる。畢竟、ミュージシャンの側もこの変化に対応を余儀なくされる。つまりフェス中心のスケジュールを組むようになる。「あのフェスで新曲を発表」「あのフェスのあのステージのあの時間帯にゼヒ出演したい!」といったような競争が起こるようになる。また、フェスが変容するなかで「音楽がもともとそれほど好きじゃない層」が拡大していくなかで起こる軋轢や問題、ダイブ、モッシュ問題、恋愛ネタとしてのフェスなど、日本にフェスが根付いてからの諸問題を過不足なく取り上げてゆく。ブロガーがだした本ってオイラやっぱり気になるんで、一応立ち読みぐらいはするんですよ。したら、「ネットでは面白いのに紙になったとたんツマンナイ人」っていうパターン多いわけです」

司会者「キミがそうなのでは?(葉巻をくゆらせながら)」
kenzee「ところがこの「夏フェス革命」初の単著なのに、もう3冊ぐらい新書だしてる作家みたいな不思議な貫禄がある。偉そうに言うと「よく書けている」のだ。なんだか「スゴイよくまとまったパワポのプレゼン」を聴いたような読後感がある、とか皮肉のひとつも言いたくなるぐらいキチンとしている。揚げ足とり専門のオイラがあまり言うことがないタイプの本なのだ。しかし、やっぱり著者の人生とともに伴走してきたフェスについての文章だ。そこはガチガチのビジネス書とは違う、わりと青春タッチの匂いもあって、アツさがある。と、思ってフンフン読んでたら急に面白い箇所にでくわして大笑いしてしまった場面があった。具体的に言うとP148の「雑誌」から「フェス」へ、という項のところなんだけど「ロックインジャパン」の総売り上げを限られたデータから推計するトコで、それまでの青春語りが急にコンサル口調みたいに具体的な数字をたたき出すトコがムチャクチャ面白いのでそこだけでも立ち読みしてみよう! あの、「逃げ恥」のなかでわりと恋愛っぽいトーンの場面から急に星野源が「恋愛とか夫婦生活のコスト計算」みたいなこと言い始める時の面白い感じによく似ているのだ。だが、数字の出し方が現実的で「アナタ、青春のフェス話が急に普段のコンサル業務になっとるガナ」などとツッコむ楽しさなども含まれている」

司会者「まとめると「音源が売れないんだから興業で稼ぐしかないだろう」の20年間の音楽ビジネスの軌跡、ということかな?」

kenzee「最後のほうででてくる定額制配信サービスの登場ともフェス文化を下支えしたのでは?という話も頷ける。今、初めて観たバンドをすぐアップルミュージックなどでチェックする、といった聴取スタイルもあるのだろう。これは「所有」ということがどんどん無価値になっている、ていうことでもあるんだよね。それより自分で撮った思い出の瞬間をSNSに流す、その画像のほうに今の子たちは価値があると思っているのではないだろうか。ボクは未だにフェス弱者のうえに定額サービスを使っていない人なのだが、この数年の世の中見てると「所有」はどうなっていくのか、と思うのだ。映画やドラマはネットフリックスで観るし、音楽はスポティファイで十分、フェスのような「体験」こそが自分の財産だ、という思想は大げさに言うと資本主義をハッキングしていると言える。そんな時代にどうやってお金を稼いでいくのか、とか。とにかくいろんな議論を誘発しそうな面白い本です」

司会者「生きてるか死んでるかよくわからないキミは今、ナニしてるの?(葉巻をくゆらせながら)」

kenzee「今年は10月までなにも書く気がしなかった。先月から急に日本の流行歌史についての原稿を書き始めている。去年の冬に100枚ぐらい書いて頓挫していたものなのだが、正岡容「定本・日本浪曲史」というのを読んだら、自分が何が言いたかったのか一気に全貌が見えたのだ。なので来年には形にしたいのだ」

司会者「水開けられたからネ~(葉巻を二本、くゆらせながら)

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