2009年6月 8日 (月)

ナゼ我々はMCUをダサイと感じてしまうのか(佐々木寛太郎さんへの返答Part.2)

kenzee「イアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」読みました」

司会者「エ? いつものようにクチだけでスルーするかと思われていたのに!」

kenzee「これは力作ですよ! 2800円の価値はあります。日本のヒップホップを扱った書物は過去にもイロイロあった。だが、ほとんどはインタビューとカタログでお茶を濁すようなものだった。悪名高き後藤明夫の「Jラップ以前」に始まり、陣野俊史さんのヒップホップ・ジャパンとか。BLAST誌はそういう意味でジャーナリズムの立場から日本のシーンを捉えた書物としてはかなりハイレベルだったんだと廃刊してから気付きます。そしてアカデミズムの立場から切り込んだのがこのイアン・コンドリーの大著だ」

司会者「全然評価変わっとるガナ」

kenzee「インタビューとかナシで論考だけでこの分厚さはスゴイです。そしてオレはどうやらイアンの言う「現場」の意味を誤解していたようだ。彼の言う「現場」とは単にクラブやレコーディング・スタジオのことではなくてもっと多面的なものだったんだ。80年代の原宿・ホコ天のブレイク・ダンサーに始まり、クラブ、レコード会社、雑誌を始めとするメディア、予備軍としてのファン、そしてクラバーと呼ばれる若者たちの社会的地位(イアンが実際に会った人々のほとんどがフリーターであり、そうでなければ学生だったという)まで含めたヒップホップを取り巻く社会全体のことだったんだ。モチロン現在の日本の音楽シーン全体までそれは視野に入っている。たとえばツタヤの会員カードはコンビニとかファミレスでポイントが付くのだが、そうやって集められた情報は他のメディアに売られる。そういう環境が音楽シーン、ひいてはヒップホップにどう影響を与えているかまで論じるのだ」

司会者「スゲエ。アメリカのエライ文化人類学者なのに、日本のボンクラ大学生のような視点までも兼ね備えたニクイ男だぜ!」

kenzee「そして現場の可能性を示唆しながらも、その閉鎖性にも言及していく。イアンは日本のサブカルチャーを理解する手がかりとして宮台真司のオタク論を参考にする。

 宮台は、島宇宙の特徴として、同じジャーゴン、同じ活動空間、同じ知識、同じメディアの使用を挙げている。ヒップホップ・ファンにあてはめるならば、私たちはこの現象をアメリカのヒップホップ・スラングの使用に見ることができるだろう。(イアン・コンドリー「ヒップホップ・ジャパン」)

そしてイアンは「真にヒップホップに関与したいなら、現場で演奏し、スキルを示し、生産者とならなければならない」と訴える」

司会者「でも、宮台さんや宇野さんなら、「島宇宙を乗り越えて人と人が繋がっていくのが批評だ」とかいいそうです。ただ、生産者になればいいという話ではないのでは」

kenzee「そこはさすがアメリカ人で、その閉鎖性を乗り越える方法として「商業的成功」を挙げる。「第7章、メイクマネー、日本式」では日本のレコード業界の複雑にしてドンブリ勘定な側面を指摘し、ヒップホップと親和することの難しさを述べている。イヤーとにかく面白かったです! ボクもいろんなJ-POP評論読んできたけどなかなかここまでの力作に出会うことはないよ! 大体日本のポップミュージック関連の書籍ってカタログかインタビューかのどっちかなんだよ。論考ってのがないんだな。もっとも気になったのは日本の若者文化がアンビバレンツな背景を背負ってるっていうトコね。これからこの国はアニメ、マンガ、音楽などのコンテンツ産業で輸出成長しようという計画があるよね。もう製造業で雇用も創出できないし。だからこそ麻生を始め、政府は「オタク」に新しい評価を与えている。だが、その担い手である若者、つまりクラバーやオタクたちのほとんどは低賃金の仕事に甘んじている。なんとも皮肉な状況なのだ。こういった日本の若者を覆う状況とキングギドラの歌詞などの反映とか論じてみせる。宇野さんみたいな外人だね」

司会者「で、佐々木さんのレスなのですが。MSCは批評的な表現ではないのかって」

kenzee「ああ…N.W.Aみたいだよねえ。ていうかこの文脈で佐々木さんて言うと佐々木士郎(a.k.aライムスター宇多丸)かと思うよな」

司会者「そんだけ!?」

kenzee「ただ、MSCの描く新宿も、フィクションなんじゃないかって思うんだよ。よく知らないけど。おなじフィクションならDABOのほうが好きかなーって」

司会者「じゃあ、我々はナゼ、MCUをダサイと感じてしまうのか問題について。聴いてみましょうか。MCU featuring浜崎貴司「幸せであるように」

kenzee「ダサイ。なぜ我々はMCUをダサイと感じるのか。例のZEEBRA自伝においてもZEEBRAは苦言を呈している。

 MCUはオレの想像から外れすぎちゃったんで、ちょっとよくわからない。「悪名」のMCUはおもしろいなと思ってたし、それなりにラップ、上手いなと思った。でも気がついたら「オレのルーツはJ-POPだ」みたいになってた。ちょっと狐につままれた気がする。実は双子の別のヤツがでてきたんじゃないかなっていうくらい、わからない。(ZEEBRA自伝)

 それでは作品に批評性が介入するとはどういうときなのか。それは歴史を読み替えたときに発生するのではないかと思うのだ。たとえばタランティーノの映画を観て、我々は純粋に映画として感動しているか。否。タランティーノは今も昔も演出家としては相変わらず二流なのだ。タランティーノの決定的な功績は「映画史を読み替えた」ことにある。たとえばタランティーノは日本映画を黒澤史観でなく深作史観で読み替えた。有名な「仁義なき戦い」のみならず、かなりマイナーな三隅研二の時代劇などまで日本映画史に含めた。また、カンフー映画においてもジャッキー史観やブルース・リー史観を読み替え、ショウブラザースなどのZ級映画の魅力を指摘した。タランティーノの仕事とは70年代の世界映画史を読み替え、その読み方が先進国の多くの「オタク」と呼ばれる若者に支持されたことにつきる。東浩紀がデビュー評論、「ソルジェニーツィン試論」で試みたのもロシア文学史の読み替えであった。おそらく東氏はフツーにソルジェニーツィンみたいなパッとしない作家よりドストエフスキーのほうが好みだろう。だが、そんな趣味性を一旦、カッコにいれる作業を経てソルジェニーツィンに光を当てることで文学史の見え方がどう変わるかの実験。これを彼は批評と読んだのだ。もっと卑近な例ではナゼ、フリッパーズギターの批評性は今も強度を失わないのか。それは彼らが80年代のニューウェイヴを読み替えたことによる。従来、日本のニューウェイヴといえばYMO、ムーンライダース、プラスティックスとその一派といったところに集約されていた。だが、フリッパーズはこれらの文脈とまったく無関係に登場した。彼らはニューウェイヴ史においては完全に傍流と見なされていたポストカードやエルといったイギリスのインディーレーベル、またトットテイラーのコンパクトオーガニゼーションやポール・ウェラーのレスポンドといったアーティストが立ち上げたレーベル(商業的には大失敗)を引き合いにだし、80年代のポップ史を読み替えた。モチロンこれは彼らの趣味性を反映したものだったが、戦略もあったに違いない。その証拠にフリッパーズのメンバー小沢健二はソロデビュー後、そういったフリッパーズ的記号を意識的に排し、サザンの曲のタイトルを自作につけたり、筒美京平とコラボしたりするのだ。そういったソロ活動には最早フリッパーズに見られたような戦略的に歴史を読み替えるような姿勢はない。ただ、自分のリスニング人生と戯れているだけだ。そして最早それは批評ではない」

司会者「MCUがダサく見えるのは……」

kenzee「つまり、MCUの活動(フライングキッズの浜崎、ブームの宮沢和史とのコラボ)がサブい理由は「歴史を読み替えようという意思」がまるっきり欠如しているからなんだ。MCU(オレとおない年なんだよ)ぐらいの世代の人間がフライングキッズやブームを10代の頃に好んで聴いていたのはちっとも珍しくないんだよ。単に「好きだから」じゃなんの価値もヒップホップに付与しない。なにもゲームのルールを変えたことにならないんだよ」

司会者「もしかしてkenzeeってJ-POPコラボは全部ダウトなんじゃないの?」

kenzee「いわゆるラッパーとJ-POP歌手とのコラボ。この世に無数にあるけども。そのなかでオレが「これは批評的だ」と思った一曲を紹介しよう。それは槇原敬之featuring KURO from HOMEMADE家族「ほんの少しだけ」だ。(2006年発表のアルバム「Life in Downtown」収録)おそらくこの曲は槇原がイニシアチブをとって制作された一曲だ。R&B歌手とラッパーがコラボする際、J-POPにおいてひとつのヒットパターンが完成されていた。手垢にまみれたといっていいほどのね。それはAメロをラップが担当し、Bメロで歌が登場、そしてサビで大合唱、大抵は歌に対してラップが後ろでヨーだのハーだの言うパターン。コムロのGlobeあたりから連綿と続くアレだ。こういうの大ゲサに言うとフォルマリズム(形式主義)というのさ」

司会者「とにかくこの形式にハメときゃオッケーでしょっていう」

kenzee「だが槇原はこの形式自体を疑った。この曲はまず、16ビートではない。つまりファンクミュージックではない。KUROのラップが不自然なのはこの曲がメローな8ビートで構成されているからだ。そしてまず、槇原の歌から始まる。そしてもっともコード進行がメロディアスに展開するBメロでラップが登場する。そして2コーラス目ではなんと、歌とラップがユニゾンになるのだ。つまり、どう考えても形式を壊すことを目的に作られてるとしか考えられないのだ。モチロン、槇原がラップミュージックを理解してないために生まれたトンデモ曲などではない。その証拠に2004年発表のアルバム「EXPLORER」に収録された「ハトマメ」は完全にブラックミュージックのマナーに則って作られている。そしてこの曲の間奏で槇原は達者なラップを披露しているのだ。J-POPにおけるヒップホップへの批評というテーマなら槇原作品のほうが一枚上手だと思うのだがどうか」

司会者「槇原相当R&B精通してますからねえ。アースそっくりな曲とかあるし。絶対アルバムに一曲、ブラコンの曲入ってるし」

kenzee「MCUは自分のことはおいといて、歴史を読み替えようという意思に欠けるところが決定的にダサイのだね。だが、「好き」がないとモチベーションが続かないのも事実だ」

司会者「そういえばなんでアナタこのブログ続けてるの? 一銭にもならんのに。やっぱり「書くこと」や「文学や批評について語ること」が好きなんですよね!」

kenzee「ていうか、フツーになんにも更新しなくても一日300アクセスとかいくようになるとね、もう「なんか面倒だから」とかそういう自分の意思でやめられなくなるんですよ。でね、たぶん自分の意思でやめられるものって大したものじゃないんですよ」

司会者「東浩紀って本気でエロゲーとか好きですよね」

kenzee「本気で好きだろう。でも「オレ、エロゲー超好き」だけでは編成通らないのでムリクリ現代思想とかと結び付けてるわけだ。これが批評のいいところだと思うのだが。たとえば宇野さんが心配なのは、あの人は本気で仮面ライダーが好きなのかな? オレは仮面ライダーをこよなく愛する人に仮面ライダーを論じて欲しいのだが。ケータイ小説が大好きな人にケータイ小説を論じて欲しいのだが」

司会者「アナタはホンットにJ-POPが好きですよねえ」

kenzee「ウ~ン、オレこんなに歌謡曲が好きだって自分でも気付かなかったよ。次はイアン・コンドリーの言う「現場」が果たして批評を生成しているか。2ちゃんねるで生成される批評とはどのようなものか。そのヒントは「思想地図Vol.3」収録のシンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」にヒントが隠されている気がする。意外なことに磯崎新の建築論のなかにそれがある」

司会者「アレ? 文芸誌は?」

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2009年5月31日 (日)

kenzeeさん、アンタァ……Part.5ぐらい?(佐々木寛太郎さんへの回答)

司会者「えーと前のエントリーで引用させていただいた(「東浩紀のゼロアカ道場伝説の文学フリマ決戦」収録の「Xamoschi」掲載の佐々木寛太郎「日本のヒップホップ「現場」とジャンル論の関係から)佐々木さんから反論がありました」

kenzee「……」

司会者「ところでアナタ、そもそもこの佐々木論文で紹介されてるイアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」読んだんですか?」

kenzee「モチロン、読んでないヨ」

司会者「なーんで、読みもせんとチョッカイだすかねえ、アナタは。円城さんときにもそんなことがあったでしょ?」

kenzee「でもオレ、このコンドリーとかいう外人の記事、昔BLASTで読んだような希ガス。でねえ、いろんなクラブとかフィールドワークしてたみたいで。で、ウサンくさいなあ、と思った記憶があるんだよね」

司会者「でも、ソレ最初のほうの囲み記事でしょ? 一応単著がでてるんだから読めよ!」

kenzee「で、佐々木さんの反論を整理してみよう。

①(「現場」に「批評」はない、というワタシの批判に対し)ヒップホップは他の表現形態と比べて消費者と表現者が反転しやすい環境にある。つまり、受容者が次の日には批評的な表現者になりうる、ということ。

②また、そういった批評を判断するのが「現場」であり、また、判断に必要な教養を供給する場としてクラブやレコ屋といった現場が機能していた。

③そもそも海外文化のヒップホップを日本に輸入し、翻訳するという行為自体にすでに「アメリカのヒップホップ」への批評がある。この時点ですべてのプレイヤーは批評家である。そのようなシーンに対して整理し、マッピングを施すことにどれほどの意味があるのか。

④「批評」を行う者が、「歴史」を踏まえていなければならないというルールはない。文化・ゲームの流れを変えることができれば批評たりうる。

司会者「現場に批評なんかあるカイ、というアナタの乱暴な批判に対し、真摯に回答いただいてると思うんですがねえ」

kenzee「フ~ン(流し目)」

司会者「まさか文章の流れ上、思いつきで書いた批判がこんなマジメにリアクションされると思ってなくてビクビクってトコでしょう? だが佐々木さんはマジだぜ。いつものようにコントで逃げようったってそうはいかないよ!」

kenzee「あのね、コレは佐々木さんのみならず、たとえばゼロアカ参加者にもに言えることなんだけど、みんな視野が狭いんだよ」

司会者「(ハッハ~ン、逆ギレに逃げる系?)」

kenzee「たとえば「最終批評神話」における峰尾俊彦さんのニコマス論とか。で、ニコマスのことはよくわかった。わかむらPさんの作品も見た。でね、ここまで追い込んでいながらなんでヒップホップを始めとするサンプリングミュージックとの類似性について論じないんだろう。ニコマス動画はサンプリングミュージックとよく似た歴史を歩んでいるように思うんだ。著作権侵害という違法性も含めてね。峰尾さんはニコマスに作家性は宿るか、ということを問題にしてるみたいだけどサンプリングミュージックの世界では元の著作権者に許諾を得ることで法律的に作家性をゲットしたりしている。また「WAKAMURA RECYCLE」という表記が示すようにリサイクルという概念がとてもヒップホップ的だよね。ニコマス作家とはつまりリミキサーだと思うんだ。例えば勝手に安室のリミックスの12インチをインディーズでだしてたダブマスターXのような人のキャリアをたどることでニコマスの今後もみえてくるかも知れない。機材やソフトが進化すればニコマスも進化するだろう。ニコマス界のDJプレミアのような人物も現れるかも知れない。ただ、決定的な違いはヒップホップにおいてはいかにありもののリサイクルアートであろうとも「One For The Money,Two For The Show」(まずは金だ)であるのに対し、ニコマスは視聴者からのプロップスが最大のモチベーションになりそうなところだろう。そしてそれは国、時代、人種の違いとしての表れとなる」

司会者「峰尾さんはカンケーないじゃん。佐々木さん問題は?」

kenzee「佐々木さんはヒップホップ文化について述べている。だがオレは「歌謡史におけるヒップホップ」という文脈で論じている。この時点ですれ違いが起こってしまうのはしょうがないんだよね。たとえば③なんだけど戦後歌謡史は輸入文化をいかに翻訳するかの歴史であったといえる。ヒップホップも例外ではない。この点については大滝詠一が「分母分子論」のなかで詳しく述べている。いわく、歌謡曲とは常に洋楽という分母の上に翻訳モノとしての日本的叙情という分子が乗っかったときに初めて成立する。フランク・シナトラという分母ありきでフランク永井は成立している。だが、やがて分母は小さくなってゆく。いわゆる「演歌」が登場したのは60年代に入ってからだけど演歌には洋楽という分母がほとんどない音楽なのだ。これはロックにも当てはまる。はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールド、バンドといった分母を携え、日本の叙情へと翻訳した(風街ろまん)。CAROLも初期ビートルズという分母を持ちつつ日本のツッパリ文化という分子と接続したのだ。だが、やがてユーミンさんとか甲斐バンドとかツイストとかまでくると洋楽分母が減少していく。たぶん、ヒップホップもさんぴん世代までは海外との参照性、同時代性を意識していた。つまり分母を持っていた。でも、ゼロ年代、ケツメイシやKREVA、リップスライムなどの時代には分母は失われていった。アンダーグラウンドシーンにおいてもMSCや韻踏合組合などのサウンドやリリックに最早、海外との参照性はみられない。確かに、さんぴん世代までは佐々木さんの言うように「アメリカのヒップホップの批評」でありえたかも知れないが、その分母が守られていたのはせいぜい2000年までだ。むしろ、洋楽分母を失って久しい現代のドメスティックなヒップホップを論じるほうが今日的な批評となりえたかも知れない」

司会者「Perfumeってああ見えて海外との同時代性皆無ってとこが逆にコワイんですよね。あれほど特徴的なサウンドなのに「~の日本版」みたいに名指しできる海外のグループがいない」

kenzee「④の問題だけど、パフ・ダディがいみじくも言ってたのは「歴史をつくる者にだけルールを破ることが許される」と。現代の読者とコミュニケーションがとれれば歴史なんか知らなくても批評になるんだよ。今回の群像新人賞評論優秀作・伊東祐吏「批評論事始」はあざといまでにこの問題について思考した佳作だ。なにしろこんな人を食ったイントロで始まるのだ。

一、私が批評をしてみようと思ったわけ。

 論壇の人々のすなる批評というものを、私もしてみむとてするなり。しかし私は批評が何かを知らない。それどころか、有名な批評家たちが書いたものをほとんど読んだことがない。そんな私に批評ができるのか? むろん、できるのである。(伊東祐吏「批評論事始」群像6月号)

そしてこんな加藤典洋の文章を引用して「批評ってなに?」という佐々木さんや藤田さんが問題設定しているテーマについて答えてみせる。

批評が何か、そんなことは知らない。しかしお前にとっては、批評とは、本を一冊も読んでいなくても百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ。(加藤典洋「僕が批評家になったわけ」)

そして伊東氏は知識ではなく、自身の感覚でもって、批評の古典中の古典、小林秀雄の「本居宣長」を読み解いていくのだ。2009年に「本居宣長」を読むためには確かにこんなアクロバティックな方法が有効だろう。「批評論事始」はストリート批評のひとつの成功例かもしれない」

司会者「しかし、まさか絲山秋子にあざといとか言われるとはね! アナタの「沖で待つ」も相当ですよ!」

kenzee「②の問題だけど。現場(クラブ・レコ屋)の人的ネットワークによって教養・価値観が養われるという機能を果たしていたというトコね。オレも必死でムロのミックステープとか買い漁ってたクチだから人のこと言えたアレではないんだが。ムロっていっつも「ホコリの被ったファンク」みたいなこと言うけど実際には中身は80年代のブラコンが多かった。キラキラした曲ばっか入ってたワ。ホンマ百円ぐらいで転がってそうな曲ばっかり入ってるんだけどムロが繋ぐと輝きだすんだな、コレが。確かにメディアとしての役割は果たしてたかもなあ。でも批評を生成するだけの力、場として機能してたかはナゾだなあ。オレが藤田さんの言う「2ちゃんねるの批評の生成力」という論にどうしても馴染めないのは、批評というものが…まあ表現一般にいえることなのだが、文学、批評、音楽。それらは個人的なイデアから出発するものだ、という定義があるからなんだよなあ、オレのなかで。だから音楽でも集団的なセッションでワーッといくタイプの……Pファンクとか韓国のサムルノリとかアフリカンドラムとかダメなんだよ。要は「計画性のない表現」がダメなんだと思う。ヒップホップでもフリースタイル合戦とかダメなの。ちゃんと家でリリック書いてきて、リハーサルしてっていう音楽じゃないと楽しめない。だから同様にジャズもダメなの」

司会者「エ! それ趣味の話じゃん!」

kenzee「で、ウチの文脈ってのが「歌謡史におけるヒップホップ」なので残念ながらグラフィティ、ブレイクダンスについてはバッサリ切らざるを得なかった。オレが佐々木さんの論文で違和感を持ったのは……佐々木さん自身気付いてると思うけど、コンドリーの本に引っ張られちゃったのかもしれないけど現代のヒップホップ論とするにはチト古い感じがする。冒頭で、今の日本のヒップホップを取り巻く環境についてかなり正確に把握してるのに本論に入ると10年ぐらい昔の感覚になる。今の問題は「現場」が横に繋がらなくなった、「現場」という全体性がなくなったってことだと思う。

ライムスター宇多丸「95年だったら「とりあえず現場行けよ」で済んだんだよ。でも今は現場っつっても東京にもいろんなクルーがいて、みんなそれぞれで盛り上がってるし。そんな状況で「現場行け」って言うことにどんだけ意味あるかっていう…(映画「DEAD NOISE」2008年)

最大の違和感はね、「今、現場なんてあんのか?」っていうことかな。クラブは潰れる、レコ屋も潰れる。レコ屋のサイトは試聴し放題で便利だけどそれは「現場」なのか? ヘイ、批評の現場ってドコにあるんだい?」

司会者「それは佐々木さんに聞いてもしょうがないですよ」

kenzee「でも佐々木さんの評論は本当に興味深く読ませていただきましたよ。コレでSerato Scratchって言葉初めて知りました」

司会者「そんなトコで感謝かよ!」

kenzee「批評ってなんだろうなあ。最近読んでガツーンとヤラレたのは大澤信亮さんの「柄谷行人論」なんだけど、あの人は全部自分の問題として引き受けていくんだよね。「ネタ的に、今コレがオイシイ!」とか戦略みたいなのがあの人にはなんもナシ。いかに柄谷と訣別していったかというドキュメントなのよ。実はオレ、柄谷行人って「日本近代文学の起源」一冊しか読んでないんだけど」

司会者「オイ!」

kenzee「でもこれは柄谷がどうとかじゃなくて大澤さんの心のドキュメントなんだな。批評ってなに?ってことだと当事者性ってポイントはこれからは必要かもしれない。ゼロアカ同人誌見てても自分語りする人が全然いないんでビックリだったよ。もっと自分探しして自分語りすればいいのに。批評って対象にかこつけた自分トークだもん。「ニコマスの現在」よりニコマスに夢中な峰尾さんの内面、のほうがじつはエンターテイメントだっていう。批評ってそういう恥ずかしいものだとボクは思うんですよ」

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2009年5月24日 (日)

レイプ・ファンタジーでもEE JUMP!(自分探しとJ-POP Part.10)

kenzee「で、前回の続きなんですけどね。98年問題と渋谷系の問題。童貞→ヤリチンとPerfumeの問題」

司会者「(もうイイカゲン終わろうゼ~。もう半年もJ-POP論引っ張ってるし)」

kenzee「最近、興味深いDVDを観ました。m-floのVERBAL監督作品「DEAD NOISE」2008年作品。「ノイズは死んだのか」と題されたこの作品、ノイズとは90年代の後半に盛り上がりを見せたあの日本のヒップホップのことだ。こんなイントロで始まる。

 日本のヒップホップは90年代、ピークを迎えた。(中略)しかし日本のヒップホップは突如、衰退を始めた。CDセールスの落ち込み。ヒップホップ音楽専門誌の廃刊。アーティストのメジャー契約解消。日本のヒップホップに何が起こったのだろうか。

こんな問題提起で実際のシーンの当事者たちに監督自らがインタビューを試みる。そのメンツがスゴイ。ZEEBRA、ライムスター宇多丸、MUMMY-D、DJ JIN、スチャダラパーBOSE、NIGO、DABO、KREVA、MURO、ILMARI、DJ KAORI、CRAZY-A、高木完などそのまま日本のヒップホップ史だ。そして現在の衰退した状況についてズバズバ聞き出すのだ。で、「ヒップホップの現状はヤバイ」という問題意識はみんな同様に抱えてるのだが、分析は人それぞれ違うところが面白い。たとえばZEEBRAは「メディアの問題」だという。アメリカでは新譜のプロモーションはFMラジオを通じて行われるが日本の場合はMTVやスペースシャワーTVといったテレビメディアとなる。するとPVを作れないアーティストは新曲を届けるとこもできないのか。(ZEEBRA)日本は驚くほど政治的でラジオで曲ひとつかけるにも会議で決まる。(DJ KAORI)宇多丸氏はジャーナリズムの不在を指摘する。「批評の場がネットに移ったというが、実際には批評として機能していない(宇多丸)」また、DABOはネットの功罪について述べる。「ネットの普及でタダで音楽が手に入るようになった。たとえばYou Tubeあたりでテキトーに10曲くらいチェキればもう今のシーンがわかった気になってしまう」。ZEEBRAはシーン内部の問題についても指摘する。「現場のDJたちがクラブで日本のヒップホップをプレイしない。一晩で2曲かかればいいほう。それじゃアウトプットはテレビしかなくなる」KREVAは言う。「日本のヤツはリリックとか言葉とか言う以前にサウンドがショボイ。ノリじゃなくて鳴り」と、メディア、シーン内部、ネットの普及など様々な問題点を指摘するのだ。あと、サクラップにもインタビューしてたら完璧だったんだけどねえ、VERBAL。個人的にはやっぱり宇多丸の「BLASTのようなオピニオン誌を失ったことによるジャーナリズムの不在がジャンルとしての全体性を空洞化させてしまった」という指摘が一番グッときたな。ヘッポコブロガーのオレが言うのもアレだけど「ブログ論壇」なんかないよ。どこまでいってもブログだの掲示板だのはアテにならないと思う。「紙」は違うよ。「紙」あってのオルタナティブなの。文芸誌が「権威」である内はウチもワケのワカランもんとして機能するんだよ。「ゼロアカ道場伝説のフリマ決戦」収録の「Xamoschi」に掲載された佐々木寛太郎「日本のヒップホップ現場とジャンル論の関係から」によると90年代、クラブやレコ屋といった「現場」においては良い表現と悪い表現が選別されていて、「批評」の場として機能していたという。つまり、クラブでのヘッズたちの雑談などが批評であったと」

司会者「文化人類学者イアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」を参考に論じていますね。でも、彼らって(現場に集う若者たち)ほとんどが「ドラゴンアッシュクソだろ」とか「ジブラもセルアウトになったな」とか言い合うだけだったと思いますけど」

kenzee「ウーン。佐々木さんの議論は悪いけど楽観的にすぎると思う。批評と雑談は違う。いいたかないが夜な夜なクラブに集まる若者ほどプロパガンダの影響をマトモに受ける層もないよ。ボクはやっぱりFMラジオ(ナイトフライトなどのヒップホップ番組)などの電波やBLASTを始めとする「紙」だったと思うな。そういったジャーナリズムを失ったとたんに求心力を失った。と考えるのが自然だろう。でね、R&Bとヒップホップは98年前後、ほぼ同時に盛り上がりを見せた。入れ替わるようにコムロと渋谷系は失速した。まあ、ポップミュージックは流行り廃りのモンだからしょうがない。でも、ヒップホップは上記のような凋落を検証するような書物や映画がつくられるのに、渋谷系は落ちたら落ちたままだった。この違いはどういうわけか。おそらく渋谷系はデータベース理論によって成立していたので「渋谷系」というデータベースが失効したところで屁でもなかったのだろう。落ちたら落ちたで新しいネタを探せばそれでよかったのだ。だが、ヒップホップは違った。彼らにとってヒップホップはデータベースではなく、「物語」なので失効してしまえば彼らの存在そのものが問われ、アイデンティティの危機となる。それはヒップホップというジャンルが根源的に内包している要素ではなくて、たとえばヒップホップ第一世代、近田春夫やいとうせいこうなどはヒップホップを当初からネタとして捉えていたので、流行らないとわかるとサッサと別のネタへと移動していった。渋谷系の態度は彼らに近い。だが、さんぴん世代と言われる人々はヒップホップという「物語」を生きていたので、まあ上記の映画のように真剣に悩まざるをえなくなるのだ」

司会者「アレ? 東浩紀のアレでは近代化が進行するにつれて人々は「物語」から「データベース」に読み方を移行するんじゃなかったでした? ナゼ、データベース理論の渋谷系から物語のR&B、ヒップホップへ逆に進行したのでしょう?」

kenzee「95年問題に対応しようとする動きが顕在化したのが多分、98年だ。この時代、まだネットはロクに普及してなかったし、ケータイはi-modeサービスがやっと始まった程度だ。つまり、ギリギリ「物語」が全体性を確保することが可能だった。その場その場で消費してオワリの「動物化」データベース消費がリアリティを失った。価値の比重が「物語」へ移行していった。必然的に渋谷系は凋落せざるをえなかった。つまり、渋谷系失速→ヒップホップ、R&Bの台頭とは「データベース消費」→「物語の復権」への移行である。そしてこの変化を宇野常寛なら「決断主義」と呼んだだろう」

司会者「決断主義」って言葉がうまくないですよね。たぶん、「物語の再帰的選択」とでも言い換えたほうが適切。でも、コムロはデータベース消費じゃないですよね。コムロ世界は速水さんも指摘するように徹底して「ベタ」だったじゃないですか。なんでコムロまで一緒に凋落しなきゃならんのですか」

kenzee「まず、ヒップホップのストーリーを確認しよう。

 常に奮戦、ヒップホップ文明とともに生き、ともに死ぬのが運命(ZEEBRA「Original Rhyme Animal」)

今年はヒップホップが旬、とかじゃなくて人生ヒップホップなのですよ。R&B歌手もそうだろう。ブラックネスとともに生きともに死ぬのが運命に違いない。ところがコムロのストーリーとは生き方の問題じゃなかったんだな。

 なにからなにまであなたがすべて私をどうにか輝かせるため 苦しんだり悩んだりしてがんばってる いつからかどこからか Hate tell a Lie 輝きたくて(華原朋美「Hate tell a Lie」

コムロのストーリーとは「無力で無名な田舎者のお嬢ちゃんをこのボクちゃんの力で輝かせてあげよう」というものだ。

(レイプ・ファンタジーとは)弱めの肉食恐竜たちのマチズモ=「自分より弱い女の子への所有欲」を、彼らの肥大したプライドを傷つけないように満たすため極めて周到な構造が提供されているのだ。(宇野常寛「ゼロ年代の想像力」早川書房)

司会者「……弱めの肉食恐竜、まさにコムロ! 「自分より弱い女の子」…トモちゃん! いろんな意味で! 極めて周到な構造! コムロ帝国! そうかコムロ世界が美少女ゲームさながらのレイプ・ファンタジーだったとは! 意外と誰も気がつきませんでしたね」

kenzee「オレは宇野さんみたいに「レイプ・ファンタジー」そのものを糾弾する気はない。大体、サブカルチャーってエゴイズムと欲望のコミュニケーションだし。歌謡曲ってもともと反社会的、反倫理的な要素を含むものだからそこで常識人ぶってもしょうがないと思うんだよ。しかも、97年まではホントに「無名の少女が一躍スターダム」というストーリーが支持されてたわけだから。以前、コムロソングとは「少女が(コムロと)出会うことによってアイデンティティを獲得する」「(コムロが)生きる意味と承認を与える」という二つのプロットで成立していると説明した。つまり、「モノ」はあっても「物語」がない90年代、自前で「承認」や「物語」をゲットするのは大変なコストがかかるのでコムロ先生に代わりの調達してもらおう、そのかわり、コムのレイプ・ファンタジー欲求はワタシが埋め合わせてあげるわ~ん」というコムと少女のギブアンドテイクの構造で成り立っている。それがナゼ、98年にR&B歌手たちに取って代わらねばならなかったか。ふたたび「ゼロ年代~」から引用しよう。

 国家も歴史も社会も(物語や承認を)与えてはくれない。だがこれは不幸な世の中を意味するだろうか。私はそうは思わない。確かに世界は冷たくなったかもしれないが、そのかわり「自由」になっている。佐藤青年(滝本竜彦「NHKへようこそ!」の主人公)のような「与えられたロマンをまっとうする」古いタイプの人間には生きづらい世の中かもしれないが、逆に「自分で立ち上げる」新しいタイプの人間には非常に生きやすい世の中である。そういう意味では、世界は変化しているだけで、トータルでは良くも悪くもなっていないと考えることができるのだ。(第14章「青春」はどこに存在するか)

そして、人々は宮藤官九郎ドラマのようにローカルな共同体のなかから自前で物語を調達するようになった、というのが宇野さんの話なんだけどヒップホップがなぜローカリティーにこだわるのかという問いへの答えにもなっている。要は、95年から3年が経って、「コムロに物語と承認を調達してもらうのはやめよう、多少、リスクやコストがかかってもそれは自前で調達しよう」という前向きな決断主義とR&B、ヒップホップの思想が合ってたんだね。そうしてコムロは凋落し、R&B、ヒップホップが台頭したのです」

司会者「この「ローカルな共同体から物語を立ち上げる、という方法論を一貫して続けている柴崎友香さんがデビューしたのは99年です」

kenzee「だが、そんなR&B、ヒップホップ的「前向きな決断主義」な価値観もゼロ年代初頭にはアッサリと無効になる。これは価値観ウンヌン以前に下部構造に大きな変化が訪れたのだ。早い話がCDが売れなくなった。

 98年は日本の音楽産業にとって記念碑的な年だった。オーディオレコード生産金額が未到の最高記録、6074億9400万円に達したからである。(中略)ところが、その成功も長くは続かなかった。この98年をピークに、オーディオレコード生産金額はまるで突然死したように急激に減り始めたのである。6年連続で減少は止まらず、2004年にはとうとう3773億690万円にまで落ち込んでしまった。率で言えばマイナス約38%、なんとレコード市場の三分の一以上が吹き飛んでしまった計算になる。(烏賀陽弘道「Jポップとはなにか」岩波書店)

 2008年の時点だとすでに半分が吹き飛んでます。そしてネットの普及とi-Podの普及。J-POPから全体性が失われ、音楽の価値は相対化された。R&B、ヒップホップのアーティストたちの多くが契約切りに遭い、むやみやたらとベストアルバムばかりが乱発されたゼロ年代。人々は音楽に物語を求めなくなったのか」

司会者「DABOの「You Tube観て、音楽聴いた気になるな」という発言は結構胸に突き刺さります」

kenzee「実際オレがそうだからなあ。You Tubeの最大の功罪は、音楽をふたたび、PV文化に戻してしまったことかな。ZEEBRAも言うようにPV作れないアーティスト、またはPVのない名曲もいっぱいあるわけですよ。You Tubeってあるようでないからなあ。あと、宇多丸の言うジャーナリズム不在の問題。もう音楽雑誌全部bounceかよっていう状況ですからねえ」

司会者「次は、そんなゼロ年代後半にナゼPerfumeが浮上したのか。もう大詰めってコトでね」

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2009年5月18日 (月)

童貞ミュージックとヤリチンミュージック(J-POPと自分探しPart.9)

司会者「速水さんから大変に愛のこもったトラックバックをいただきました」

kenzee「イヤー嬉しいですね。ていうか速水さんて「オレはミスターファスト風土」とか言うワリに都会モンだよね」

司会者「瀧見憲司とか神田朋樹のラブ・パレードにフツーに通っていたとは!」

kenzee「スチャダラのLBまつりの打ち上げなども目撃していたのだろう! イエローにおけるU.F.OのJazzin'、DJ BARインクスティックにおける小林径、荏開津広、田島貴男のミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ、橋本徹ののサバービア・パーティーなどにも通っていたに違いない。そしてオレはどれも実際に見たことない」

司会者「プッ。kenzeeって所詮田舎者だからなあ。奈良生まれ渋谷系育ちヒョロそうなヤツは大体友達だからなあ」

kenzee「で、そんな全身小説家ならぬ全身渋谷系の速水さんが「渋谷系はニューヨークの動きとのリンクだ」と。コレ、結構珍しい渋谷系論ですよ。だって基本、一般的には渋谷系はロンドンのレアグルーヴムーブメントとの連動ってことになってますから。確かにデ・ラ・ソウルの存在なくしてスチャダラはありえないですし。例えばピチカートン小西さんはデ・ラ・ソウルこのように激賞していたのさ。

 かなりアートなことをやっても、たとえばクリスチャン・マークレイなんかと違って印象がポップでユーモラスなデ・ラ・ソウルにいちばん近いのはゴダールかもしれない。(小西康陽「これは恋ではない」幻冬舎)

アーティストの側は当然当時のニューヨークのシーンを意識していただろう。ただ、受容する側(渋谷系女子)が圧倒的に支持したのはほとんどブラックミュージックのイディオムを使用しなかったフリッパーズだった。結局渋谷系史はフリッパーズ史観で形成されてしまったためにウィキのような語られ方をされてしまうのだ。もし、これがスチャダラ史観に基づいていれば速水さん的な渋谷系論が形成されていただろう。むしろ教授が「商業的なポップ」を狙って、コムロではなく渋谷系のイディオムを導入して作った「Sweet Revenge」(94年)が商業的には失敗したことがニューヨークと日本の渋谷系との温度差を物語っているのではないか」

司会者「で、ポップミュージックには「童貞ミュージック」と「ヤリチンミュージック」しかない、という論ですが具体的にどういうことなんでしょう?(くだらないオチになりそうだなア、オイ)」

kenzee「音楽には二種類しかない。童貞とヤリチンだ。そしてこれは送り手がどうかという問題ではなくてどう受容されたか、つまり受容理論なのだ。わかりやすい分類の仕方として「ヤンキーの痛車のウーファーでの爆音プレイに耐えられるか」というジャッジの方法がある。TMネットワークはそのプレイに耐えられないがtrfはOKだ。林原めぐみはムリだが浜崎あゆみは当然OK。他のジャッジの方法として夏の湘南や須磨海岸で流すことが可能か、またはゲレンデでのプレイに対応できるか、という判定の仕方がある」

司会者「ははあ。チューブはOKだけどキリンジはムリってことですね」

kenzee「そう。長渕は童貞ミュージックだが矢沢はヤリチンミュージックだ。ヒップホップもそう。服装やスタイルがヤリチン的だからといって音楽までそのままヤリチンとは限らない。例えばブルーハーブは童貞ミュージックだがZEEBRAはヤリチンミュージックなのだ。繰り返し言うが「童貞ミュージック」の演奏者が童貞というワケではない。あくまで受容する側、聴き手の心の童貞な部分を直撃するか否かにかかっている。ナゴムは童貞ミュージックだがBOOWYはヤリチンミュージックだ。ゆずやコブクロは童貞ミュージックでEXILEは当然ヤリチンミュージックだ。そしてこれは今に始まったことではなくて歴史的に分類が可能なのだ。たとえばはっぴいえんどは童貞ミュージックだがCAROLはヤリチンミュージックだ」

司会者「あ、完全にわかりましたワ。モンゴル800は童貞ミュージックでオレンジレンジはヤリチンミュージックってことですね! AKB48は童貞でモーニング娘。はヤリチンだと!」

kenzee「そうさ。だが、音楽の世界にはときどきどうしようもない「天才」がいて、両方を完璧に兼ね備えた世界を描いてしまう者がいる。たとえばブルーハーツなどは見事にヤリチンでありつつ童貞だ。尾崎豊もそうだ。あれほどヤンキーの心を捉えながら童貞ミュージックたりえている。岡村靖幸など眩暈がするほど見事に両方の要素を兼ね備えている。最近、オレが思うのは「人を感動させる」「人の心をえぐる」というのはつまり、この童貞がヤリチンを、あるいはヤリチンが童貞を越境する瞬間に爆発するなにかなのではないかということだ。速水さんの議論ではよく「オタク」と「ヤンキー」に分解し、民俗学的な分類を図ろうとする試みが見られる。「ケータイ小説的」における「再ヤンキー化」なども要はそういう議論だ。だが、人間とはオタクとヤンキーを同時に内包しているものなのだ。考えてみよう。ヤンキー文化は常にオタク的な線の細さを要求される要素を内包している。暴走族のバイクのカスタマイズやチューンアップなど相当オタクな知識や技術が要求されるだろう。ヒップホップ文化においても一流とされるDJの音楽の知識は凄まじいものがある。また、オタクも部屋に閉じこもってばかりいるかといえばそうでもない。コスプレイヤーなどは竹の子族にも似た開き直りがなければ奇抜な衣装で(手作り)人前にでる、ということはできない。おそらくこの両者(童貞とヤリチン)が微妙なバランスで共存するとき、人は「感動」するのだろう。たとえば東浩紀という人物がナゼあれほど若者を惹きつけるのか。彼の書く文章はそれほど優れているのか。それもあるだろう。だが、ザクティ動画などでもわかるように東さんはドがつくほどのオタクなのに同時にヤンキー性も兼ね備えているのだ。そのバランスが魅力なのだろう」

司会者「で、90年代のJ-POPとは渋谷系の童貞ミュージックとコムロのヤリチンミュージックがせめぎあっていた、ということですか?」

kenzee「速水さんのユリイカの原稿では「ネタ」の坂本龍一(GEISHA GIRLS)が「ベタ」のHジャングルに敗れたとあるが、「WOW WAR TONIGHT」は「ベタ」とかいう以前に極めてヤリチン性の高い音楽なのだ。GEISHA GIRLSのアルバムは「Grandma is Still Alive」「Kick And Loud」などはテイトーワのヒップホップトラックなのだが半分はダウンタウンのコントで占められている。ネイティブタン一派のアルバムによくありがちなスキットの役割を果たしている。だがこうしたコンセプチュアルな発想自体が童貞的なのだ。社会不安が増大すると人の心の中にあるヤリチン性が増加するのでこの時代にコムロが勝利を収めたのは当然だ。Hジャングルのセカンドシングル「Going Going Home」は南国の海岸でつかの間のオフを楽しむ、というヤリチンミュージック以外の何ものでもない設定だ。ベースが上昇するコード進行、レゲエのリズム、そして誰の影響も受けてない浜田のナチュラルな歌唱、この曲は名曲ですよ!」

司会者「(グワ~kenzeeイタイわ。やっぱオヤジなんだよなあ。今の若い子Hジャングル自体知らんし)」

kenzee「コムロっていい曲書くよね」

司会者「アンタア…ホンットに90年代の人なんだね」

kenzee「でも人は無意識の内に「童貞」と「ヤリチン」を分類して生きているものなのだよ。例えば木村紅美さんの「花束」という小説がある。この小説は大学受験予備校の女子寮が舞台で設定がすでに童貞的なのだ。(けっして「処女的」などといったキレーなものではない)主人公の一人、あおいは東北の田舎町から希望を抱いて上京し、この女子寮に入る。その理由は実家の民宿にフラリと現れた杉浦さん(東京の大学生で青山のクラブのDJ)への憧れからだった。モチロン、のちに杉浦さんはカスみたいな男だと判明するのだが。だが、田舎者の予備校生あおいは杉浦さんのミックステープを擦り切れるまで大事に聴くのだ。

「The Sugiura Selection」と題されたカセットテープが同封されていた。その名の通り、杉浦さんの愛好する英語のロックやポップスばかりが編集されたそのテープは届いた日からずっと私のウォークマンに入っている。もちろん、東京にも忘れずに持ってきた。(木村紅美「花束」朝日新聞出版)

で、その中身はロバート・ワイアットとかパティ・スミスなのだ。ね、スゴイでしょ? 童貞的な小説世界の小道具としてちゃんと童貞ミュージックを配している。これがマドンナとかマイケルジャクソンみたいなヤリチンミュージックだと小説世界自体が崩壊してしまう」

司会者「木村先生はわかってるなあ」

kenzee「そして我々は純然たる童貞、純然たるヤリチンには心は動かされないんだ。童貞がヤリチン性を獲得する、そのダイナミズムが人を感動させるのだ。たとえばコムロはTMネットワークという完璧な童貞ミュージックから出発し、コムロ帝国というヤリチン世界を実現した。我々はその音楽のみならず、その「童貞」が「ヤリチン」へと越境しようとするダイナミズムに感動していたのだ。あるいはそれは江藤淳なら「成熟」と呼ぶかもしれない」

司会者「エートもう時間なんで、次回は「ナゼ渋谷系を抜かすと98年問題が語れなくなるのか」という問題。そしてPerfumeは「童貞」が「ヤリチン」を獲得したのか、あるいは「ヤリチン」が「童貞」を獲得したのか? そしてそんな逆パターンはありえるのか、という問題まで着地して、J-POP論終了ってことでお願いしますよ!」

kenzee「そう、オレ最近文芸誌とかも読んでるんだよ」

司会者「とか!」

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2009年5月17日 (日)

コムロと渋谷系とわたし(自分探しとJ-POPPart.8)

kenzee「速水さん相変わらずクダラナイこと言ってるなあ

司会者「ディスコ葬は当然サタデーナイト・フィーバーの曲とかじゃなくてユーロとかかけるんでしょ?」

kenzee「オレはさしずめ渋谷系葬かな」

司会者「プッ。カフェとかでやるワケ? フリッパーズとかカジヒデキとかかけんの?」

kenzee教授「スチャダラまではセーフなのか?」

司会者「脱線3とかは違うんでしょうね」

kenzee「こう、セルジュ・ゲンスブールとかボリス・ヴィアンとか流れてるような」

司会者「リアルにありそうですよソレ」

kenzee教授「暴力温泉芸者はフツーにアリなんだろ?」

司会者「イヤな葬儀だなあ」

kenzee教授「みんなベレー帽とかボーダーシャツとか着てくるのかなあ」

kenzee「オレ、10年ぐらい昔カラオケとか行くとねえ、♪オレは奈良生まれ渋谷系育ち、ショボそうなヤツは大体友達、ヒョロそうなヤツと大体同じ、とか歌ってたよ」

司会者「ネロリーズ奈良のCD屋でバイトしてたんでしょ?」

kenzee「ああ、90年代初頭よ! そういやなんで速水さん渋谷系の話しないんだろ? 速水さんの歌謡史って「ザ・ベストテン」的な80年代から急にコムロ帝国の90年代に移行しちゃうんだよなあ。確かにそれは間違ってないんだが、それでいくと98年問題を語るのが難しくなる。速水さんの捉えかたはこうだ。

 さて、作者や演奏者の特権が消滅した「工学的」作曲メソッドで90年代中盤の音楽市場を制した小室哲哉だが、1998年頃を境に凋落の一途を辿る。その原因は、宇多田ヒカルやMisiaといった「本物志向」のR&B色の強い歌手たちの登場によるものだったと考えられる。つまり、人々はあまりに「工学的」になったポップミュージックに背を向けたのだ。しかし、それは一時的な揺り戻しにすぎない。「本物志向」の歌手が飽和したあとにでてきたのがPerfumeのような「工学的」なアイドルであり、さらにはアイマスMADや初音ミクというインターネット登場後の「作者や演奏者の特権が消滅した」世界を象徴する記号たちであった。(速水健朗「90年代の坂本龍一またはGEISHA GIRLSは如何に戦いそして敗れたのか」ユリイカ4月号)

 だが、90年代をコムロがひとりで牽引していたワケではない。コムロが本格的にプロデュース業を始めたのは1993年、篠原涼子やtrfのヒットを契機に本格化する。そんなメインストリームの動きに対して、J-POPのオルタナティブの動きも活発化していた。要は「渋谷系」の登場だ。93年7月に元フリッパーズギターの小沢健二が「天気読み」でソロデビューを果たす。9月には同じく元フリッパーズの小山田圭吾がコーネリアスとしてデビューする。この年の3月、ピチカートファイヴがスマッシュヒット「Sweet Soul Revue」含むアルバム「Bossanova2001」を発表する。6月にはオリジナル・ラヴ、サードアルバム「EYES」がオリコン一位になる。モチロンオリジナルラヴを除いてセールス的には彼らはコムロ帝国には比べるべくもない。だが、コムロが地方のファスト風土カラオケ需要に戦略的なマーケティングを行ったのに対し、彼らは都市のクラブ文化を背景に自然発生的に需要を喚起してきた、という経緯がある。モチロン、単に自然発生、というワケではなく再開発前の下北カルチャーとかセゾン文化とか、バンドバブル直後でまだレコード会社に内部留保があったとかいろんな要素が絡んでのアレだが、オルタナティブ勢力として機能し始めていた。速水さんはコムロとは作家としてニコマスPとかに近い、と新しい視点で論じている。

 カラオケボックスの普及、音楽製作環境のコンピュータ化という90年代前半の音楽のシーンが、特権的な作者を消滅させるような作用をもたらした。そうした90年代だったからこそ、自ら「僕は音楽をマーケティング的に作っている」と標榜する匿名的な作家として活動した小室哲哉を全面に押し出したのだ。(前掲書)

kenzee「コムロなら①匿名的なサウンド②戦略的なマーケティング、で定義できるだろう。では渋谷系は? それでは「音楽誌が書かないJ-POP批評25フリッパーズギターと渋谷系の時代」から社会学者南田勝也さんの原稿から引用してみよう。

 さらにいうと、音楽ジャンルとしての渋谷系には、もっとはっきりとした輪郭が与えられていたはずだ。その特徴とされてたものを便宜的に整理すると、おおよそ次のようになる。前記した(流行の最先端地区の都会的センス)渋谷発の流行現象を①として、②音楽的素養の深さと音の断片への偏執狂的こだわり、③フライヤーやジャケットのアートワークに凝る姿勢、④ポップなメロディーとキャッチーなフレーズ、⑤過去の作品や同時代の洋楽から引用したサウンド、⑥価値の重さや意味の深さへのシニカルな態度、などである。これらの特徴があいまって「音楽の膨大な情報をデータベースとして処理し、ゲームを楽しむ感覚で楽曲を次々と生み出していく」渋谷系のアーティスト像は造形されていった。(南田勝也「渋谷系とは何だったのか」)

司会者「ハッ! もしやコレって……」

kenzee「そう、例の動物化するナントカだ。ビートルズを神として崇めるのではなく、「ビートルズ」という記号をデータベースとして組み込む。あらゆる価値観をベタに信じるのではなくネタとして捉え、常にオイシイ立ち位置を求めて情報の海を泳ぎ続ける。これが渋谷系」

司会者「なんでそんなに得意気なんですか」

kenzee「ま、東さん得意の「ジャンルの越境」「全体性」をサラっと補完してやったゼ、ぐらいの?」

司会者「(ていうか必死ジャン)」

kenzee「速水さんがユリイカの原稿で「WOW WAR TONIGHT」を引用している。この部分だ。

 温泉でも行こうなんていつも話してる 落ち着いたら仲間で行こうなんて でも 全然暇にならずに時代が追いかけてくる(WOW WAR TONIGHT)

この部分はコムロのベタさを象徴している。だが、「自分探しがとまらない」の著者、速水さんはナゼ、次の箇所を引用しなかったのか。

 自分で動きださなきゃ なにも起こらない夜に なにかを叫んで 自分を壊せ(WOW WAR TONIGHT)

こんなメッセージを含んだ唄が200万枚を越えるセールスを記録したという事実にもうちょっと触れてもいいだろう。こんな陳腐なフレーズがホントにメッセージとして機能していたのだ。だが、上記のようなメッセージ性はコムロ特有ものではなくて当時のJ-POP全般の空気としてあったものだ。オウムと地震の95年に発表された楽曲という点も見逃せないだろう。だからこそオルタナティブとしての渋谷系のシニカルさもそれなりの意味を帯びる。1991年、フリッパーズギターラストアルバム「ヘッド博士の世界塔」発売時のロッキンオンジャパン誌上でのインタビューで、インタビュアーで当時の編集長でもあった山崎洋一郎氏は二人にこう感想を述べている。

山崎「例えば僕がこの曲で感じたのは…まあアルバム全体からでもあるんだけども…要するにロックとかいったっていつまでもブルース的姿勢の延長線上で「人生はツライけどでも俺はこれを見つけたぜ」的なものが色々と相変わらず並んでいるだけじゃない? そういう姿勢とは全く離れたところに立ってみようよ、という解放に向けてのすごく誠実なメッセージだったんだけども」

小山田「最終的にポジティブなものがないと、それはダメですよ」

小沢「そう、その辺で僕らはすごく誤解されている。最終的にそういう救いのあるものは必要なのよ。でもそれをただやればいいっていうんじゃなくて、それには手続きをちゃんとやんなくちゃいけないんですよ」(ロッキンオンジャパン1991年7月号)

もはや神も物語もない社会において相対的に価値を並べる、そんな手続きを経て、「意味」へとたどり着く。ロキノン2万字インタビュー(94年4月号)によれば小沢さんは浅田チルドレンだったようだ。これほどシニカルだった小沢さんが「オザケン」となりポップス歌手となるのに2年とかからなかった。小沢さんは「成熟」したのだと思ったよ。小沢さんの歌詞は89年のフリッパーズのデビューアルバムから一貫して「成長」することがテーマだ。いかに青春と、イノセントと訣別するか。現在、父である小澤俊夫責任編集「子どもと昔話」連載中の小説「うさぎ!」は高度に近代化が達成された現代社会を啓発する内容だ。なにしろデビュー作で「RED FLAG」をカヴァーしていた小沢さんだ。一貫した姿勢だといえるだろう」

司会者「問題は速水さんは98年ごろにR&B歌手の登場でコムロ人気が凋落したと言ってるが、渋谷系も一緒に落ちた、ってことでしょ?」

kenzee「ウン、コムロと渋谷系はサウンドは全然違うけど方法論としては同じなのだね。速水さんは作者や演奏者の特権性が消滅した時代にコムロが浮上したのは必然だと論じた。渋谷系も膨大な音楽の歴史をデータベースとして捉え、好む物語を生成していった。例えば、コーネリアスデビューアルバム「First Question Award」は70年代のソウルミュージックや90年代イギリスのアシッドジャズなどの引用が見られた。では、作者の小山田氏がブラックミュージック信者なのかといえばそうではない。現在のコーネリアスの音楽から黒人音楽の影響を見るのは難しい。彼にとってブラックミュージックはデータベースなのだった」

司会者「渋谷系もまた「動物化」してたんですね。でもなんでコムロと渋谷系、メインストリームとオルタナティブの関係にあったわけですけど。90年代。なんで98年ごろ一緒に落ちていったんでしょう? そして宇多田やMisiaと入れ替わったんでしょう? R&Bだってサンプリングミュージックという点でサウンド面では渋谷系と変わんないじゃないですか。ある程度音楽的教養が要求される点でも」

kenzee「それはね、時代がどうとか環境がどうとかいう問題じゃなくてもっとポップミュージックの根源的な問題なんだ。速水さんの論はそこをスッポリと抜かしてしまっている。つまり、音楽には二種類しかないということさ」

司会者「ははあ。ダンスチューンとバラードってことですか?」

kenzee「違うね。そんな表面的なことではない。つまり、ポップミュージックには「童貞ミュージック」と「ヤリチンミュージック」の二つしかないってことさ! 常にこの二つが入れ替わりながら音楽は前進し、進化しているのだ」

司会者「ハッ! (速水さんの呆れる顔が目に浮かぶようだ!)」(次回につづく)

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2009年4月16日 (木)

総論って大体ツマンナイものです(J-POPと自分探しPart.7)

司会者「で、J-POP論、どう落とし前つけるんですか? 話の途中で放りだして」

kenzee「イヤ~わたしもどうにか今の仕事を続けることができましてありがたいことですワ。でねえ、J-POP論の続きなんだけど、もうそろそろ総論に入らないとマズイかなと思うんだ。で、前回の「アオゾラペダル」で言いたかったのはスガの歌詞の秀逸さでね。つまり、「自分探し」を経て、挫折した若者がどう生きるべきかという内容なんだけど。つまり、「新しい扉を開けよう! もっと大きな自分がいるはずさ!」とミスチルなどが相変わらず時代錯誤な風呂敷を拡げまくってる状況を尻目に「過去を折りこんだうえで現実的な未来をデザインしよう」という歌なんだよ。で、あのPVはストーリーものなんだけど原案は二宮和也によるものなのね。彼はこのPVでジャニーズPV史上初の試みに挑戦したのだ。彼はジャニのオフィシャル映像に初めて女性を、それも年頃の女性(佐藤ありさらセブンティーンのモデル)を出演させている。そしてひと夏の恋的な恋愛が描かれる。もちろん今までもジャニーズアイドルたちは恋愛の歌を歌ってきたし恋愛ドラマにも登場してきた。だが、それらは「作家の先生」たる職業作家によって与えられた役割であって彼らの虚像を脅かすものではなかった。だが、このPVはメンバー自ら原案を書き、失恋を描いている。つまり、嵐は等身大の……」

司会者「まえから疑問に思ってたんですが…」

kenzee「なにかね」

司会者「嵐のスゴさはよくわかりました。でも、この論考、J-POPの歌詞から現代の想像力を読みとるって企画でしたでしょ? 結局ゼロ年代のJ-POPの想像力は嵐に集約されるのでしょうか。嵐を取り上げることでオルタナティブは設定できたかも知れませんが本来語るべき部分が抜け落ちてません?」

kenzee「それはねえ、ボクが2002年以降のJ-POPをよく知らないからなんだよ。大体オリコン的価値観が崩壊したあと、セールス以外になにを頼りに展開していいのかわかんなくなっちゃって」

司会者「さらにトータル的な疑問になりますけど、そもそも音楽の歌詞だけを取り出して社会反映論を論じること自体ムリがあるんじゃないですか?」

kenzee「ドキ。実は宇野さんの「ゼロ年代の想像力」を読んだときの最大の違和感はそこにあったんだ。宇野さんの論は大前提として「ポップカルチャーは社会を反映・批評する」というものだ。95年問題の反映として「エヴァンゲリオン」が登場した。小泉改革以降のネオリベ状況を反映してデスノートが登場した、と。「ゼロ年代~」に登場する作品群はどれもヒット作ばかりでそこで取り上げられてるものが社会を反映している、というのは一定の説得力がある。でも、広く大衆に受け入れられた作品の内容と社会状況をそのまま接続して語るのはもともとムリがあるんだ。たとえば終戦直後にヒットした並木路子の「リンゴの唄」ってあるじゃないですか。

赤いリンゴに唇よせて だまって見ている青い空 リンゴはなんにも言わないけれどリンゴの気持ちはよくわかる リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ(作詞サトウハチロー)

えらく抽象的な歌詞のうえにマイナーメロディーなんだよ。混乱した時代にどうしてこんなヘンな唄が受け入れられたのか。こじつけるのは簡単だけどやっぱりよくわからないんだ。笠置シヅ子のような爆発的なエンターテインメントならわかる。でもリンゴの唄はわからないんだよ。日本人が大好きな恋愛も上昇志向もなにもない。内省的な歌詞だよ。だから、宇野さんの社会反映論は一見、説得力があるように見えるけど書き手の恣意的な取捨選択によって捏造されるとこがあるんだよね。とくに音楽は、歌詞のみならず、曲、編曲、演奏、歌唱、もっと言うとどこのスタジオで誰がミックスしたかでも違ってしまう。自分でやってみて気付いたんだけど社会反映論はどっか胡散臭いんだわ。ヒット曲って時々理解不能なものがある。山下達郎の「クリスマス・イブ」も不思議なんだよ。あの戦後歌謡史上最長のロングセラー作品が世に出たのは1983年、アルバム「メロディーズ」のなかの一曲としてだ。そしてバブル全盛期の89年、JRとのタイアップで大ヒットを記録する。その後、日本のクリスマスソングの定番として毎年、なんらかのタイアップとともにお茶の間に流れるようになる。昨年も自動車メーカーのCMに使われてたはずだ。ところであの曲は「ひとりきりでクリスマスを過ごす」というウカレ気分へのチャチャ入れソングなんだよ。「クリスマスで恋人たちが結ばれてハッピー」とかじゃないんだよ。さらに不思議なのはバブル絶頂期に聴いても未曾有の社会不安の2008年に聴いても違和感がないんだ。ユーミンさんとか稲垣潤一とかだと明らかに違和感があるんだけど。なんでだろう。歌謡曲ってホンット、奥が深いよ」

司会者「クリスマス・イブはメロディーも地味ですしねえ」

kenzee「達郎お得意のハイトーンを一切使わない曲なんだ。ヒットってなんなんだろうねえ。まあ「自分探しとJ-POP論」結論としては「ムリクリ社会反映論してみましたがやっぱムリありました」ってトコかな。よく宇野さんへの批判で、各論は結構面白いのに最後は「友達からはじめよう」かよ、ガックシ、っていう人がいるけど評論て各論やってるときが一番楽しいんであって、総論て大体つまんないもんなんだよ。未完の状態が一番美しいんだよ」

司会者「プ、最後グダグダになってる言い訳してるし」

kenzee「これやっててひとつ歌謡論でテーマがでてきてさ。「いつから歌謡曲は反抗しなくなったのか」ってことで。かつてフォークかロックって社会に反抗、あるいは異議申し立てしてたじゃん。岡林信康とか吉田拓郎とか。頭脳警察とか。あとスゴイいかがわしいものでもあったじゃないですか。青江三奈とか。いつから歌謡曲は反社会的要素を失ったのか。とくにラップなんて異議を申し立てる音楽なのに誰もそういうこといわないね。コレ、なんかヒントがあるような気がするんだ」

司会者「昔は歌謡曲が担うものが多かったんじゃないですか? 一部の演歌とか初期の山口百恵とかあんまりおおぴらに歌っちゃいけないものだったわけじゃないですか。「網走番外地」とか反社会的なヤツとか。関西フォークの社会への異議申し立てとか。そういうのって今、ロスジェネ論壇が担ってるんじゃないかなあ。あと、ピンクレディー以降のアイドル歌手も「性欲」って要素と不可分だったわけでしょ? その部分は今、グラビアアイドルとかAVとかが担ってるんじゃないかな? そうすると今の歌謡曲の役割って純粋に音楽的な部分だけだと思うんですよ」

kenzee「最近、20歳の人からメールをいただいてですね。まあ、J-POP論面白いからもっとやってって内容だったんだけど。オレ凄く不思議な気がしたのね。だって今までさんざん話してきたJ-POPってもう10年以上昔の話ばっかりでしょ? 20歳の人にとっては浜崎だの椎名林檎だのって物心つく前のヒットだよ。どこが面白かったんだろう。で、こんな返信を差し上げたワケさ。

kenzeeです。貴重な感想ありがとうございます。
実は私は2002年以降のJ-POPについてほとんど知りません。
(2001年まではCD屋で働いていた)
たまーにオリコンとか見てももうワケわからないのです。
(中略)
J-POP論は宇野常寛さんの「ゼロ年代の想像力」(早川書房)の社会反映論と速水健朗さんの「自分探しがとまらない」(ソフトバンク新書)の若者論を参考にしたものです。        どういうわけか両者ともJ-POPの歌詞には言及しなかったので「じゃあオレが」ということなんです。宇野さんや速水さんの議論になんらかのヒントを提示することができたら、また、20歳の、これから社会へでていく人へなにかヒントを与えられていたらこんな嬉しいことはないです。ですが○○さんが挙げられた今のバンド(UVERWORLD,RADWIMPS)を今までの文脈で語るのは難しいと思います。理由は「私が今までそんなバンド、知らなかった」という事実に尽きます。つまりヒットの構造が私の知ってる90年代とはまったく位相が異なるからです。10年前は、「宇多田ヒカルが売れている」といえば大抵の人がその曲を知っていました。でも今は、結構売れてるバンドでも30代のオッサンの耳に入ってこない。これはヒット曲というものがカラオケなどで共有するものではなくなったことを意味しています。あらゆる価値観が並立する現代においては(ポストモダン社会とか再帰的近代とか言いますが)ある集団においてはUVERWORLDは高く評価され、ある集団においては「ハレハレユカイ」が一位だったりするわけです。そしてUVERWORLDの集団と涼宮ハルヒの集団とは一切意思疎通が行われない。これが「全体性の喪失」という現代の特徴的な現象なのです。今まで論じてきたコムロ、ミスチル、浜崎、椎名などは全体性を捉えることで機能してきました。ミスチルや浜崎の歌詞が社会論めいてくるのは必然だったのです。これからJ-POPは大衆に奉仕する歌謡ではなくなってくるのではないかと思います。もっと趣味的な、ある共同体の中では爆発的な人気を得るが、別の共同体では名前も知らない、というような方向に先鋭化していくのではないかと思います。私はこれらの論考で「自分探しはよくないよ」とメッセージしていたのではありません。そもそも「自分とはなにか」「自分はなにをすべきか」という問いは哲学の根源的な思考で20世紀文学の思想的支柱であった実存主義などは「自分探し文学」であったともいえます。だが、この自分探しの価値観は、資本の側が若者から労働を搾取する、という副作用も生みました(小泉改革と改正派遣法)。ナンデそうなるの?ってことを考えて書いてみたのです。この、「理想が結果的に悪い状況を生む」という現象についての研究のことを社会学といいます。たとえば人民のための社会を作ろう→フランス革命→結果的に恐怖政治へと帰結。もっとも民主的といわれた憲法を有したといわれるワイマール体制→ナチスの独裁へと帰結。といった具合に。このメカニズムの解明を目指すのが社会学と呼ばれるものです。というワケであとJ-POP論はPurfume論ぐらいで終わると思いますがひとつヨロシクお願いします。むしろ私は今の20歳のひとが「ドツボにはまってる上の世代」をどう見てるのか興味ありますね。

こんなんです。これからPerfume論やって一応J-POP論終わりになりますけど、ゼロ年代の歌謡を考えるときに重要なのは「最早、オルタナティブという概念は成立しない」ってことかな。もともとロックだのフォークだのいったサブカルチャーってザ・歌謡曲というメインカルチャーが存在したからこそ対抗文化として機能したのだ。ところがそんな仮想敵が存在しない現代のポストモダン状況においてJ-POPは不特定の大衆へのメッセージを失ったんだね。ゼロ年代のiPodと配信の時代がなにをもたらしたかというと、音楽とアイデンティティが結びつかなくなったってことだな。その昔、ロックを聴く、という行為はそれだけで社会への反抗のメッセージだったんだよ。個人の思想信条と音楽を聴く、という行為は密接に結びついていた。つまり、フリッパーズ・ギターを聴いて、ボーダーシャツを着て、アニエスbのベレー帽を被って、レコ屋を巡るという行為。これらはひとつの思想信条であって全部結びついてるのね。そして彼のCD棚にはスチャダラはあってもいいけどジュンスカはあってはならないわけです。このように音楽はアイデンティティの表明の手段であった。モーニング娘。のことを考えてみよう。モー娘を支持する、という行為はひとつの思想信条の表明である。なぜならモー娘の音楽は単に音楽として機能しているのではなく、その背景にさまざまな「物語」が織り込まれているわけですよ。テレビ番組のオーディション企画の負け組み集団の敗者復活戦という。モー娘の時代、90年代終盤とは山一や拓銀など大手金融機関がバタバタ破綻するなど日本経済自体、負け戦感が漂ってた時代だ。そういう時代とモー娘の「イマイチな女の子たちが力ワザで勝ちあがる」というストーリーはピッタリとリンクしていた。99年のヒット「LOVEマシーン」の「ニッポンの未来はウォウウォウ」という歌詞は端的に「モー娘とはなんであるか」を表現した秀逸なフレーズであった。モー娘のユーザーは単に音楽を消費していたのではなく、彼女らにまつわるストーリー、ドラマを読み込んで消費していたのだ」

司会者「オレ、ラッパーなのにモー娘ファン。どう、個性的でしょ?」という言い分はひとつのアイデンティティの表明になりうるってことですね」

kenzee「ウン、ラッパーという職業に期待される「物語」とモー娘の「物語」は一般には異質なもの、相容れないものと理解されているからだ。で、再三いうようにゼロ年代はこの「物語」が機能しなくなるのですよ。そうすっとどうなるかというと、「電車のなかで爆音でモー娘聴く男」→これはキモい。フツーこう解釈されるだろう。だが、「電車で爆音でPerfume聴く男」→Perfumeという選択そのものはキモいとされない」

司会者「ウ~ン。恣意的な気もしますが」

kenzee「ナゼ、前者はストレートにキモいのに後者はさほどキモいと感じられないのか。それは我々が「モー娘」という言葉から様々な「物語」を読み込んで解釈するためなのです。つまり、「プッ。コイツ「ASAYAN」とか観てるワケ? そんでそんなブサイクの集団に熱中してるんダ。どうせモテないんだろう、プゲラ」というプロセスを経て、軽蔑へと至る。だが、後者は純粋にPerfumeのサウンドに熱中しているように見える。だから、即キモい、という判断には至らないんだ。勿論、Perfumeにも「物語」はある。SPEEDに憧れ、広島アクターズスクールで結成された女の子3人。不遇の時代を経てブレイク、という。だがこの「物語」とPerfumeの音楽は全然結びついていないんだ。つまり、「Perfumeの音楽を支持することがそのまま彼女らの「物語」を支持することにはならない」ということ。モー娘と違って、Perfumeの音楽は「若い女の子が夢を掴む」というストーリーを背負ってないのね。純粋にダンスミュージックとして機能する。勿論、モー娘にもダンスチューンはある。だが、「ダンスミュージックとして機能する」と「ダンスチューンもある」では大きな違いがある」

司会者「モー娘っていろんな要素担ってたと思うんですよ。「ブサイクがスターダムを駆け上がる」というドラマも背負ってたし、性的な面も担ってたと思います。特に初期の楽曲は意図的にそういう面を強調した曲が多かったですね」

kenzee「でもPerfumeを性的な面で消費するユーザーはいないだろう。純粋に音楽として消費されていると思う。ていうか音楽としてしか機能していない。これが再帰的近代というヤツの特徴でね。「LOVEマシーン」は街歩いてたら勝手に聴こえてきた。でも、「ポリリズム」はYou Tubeなりなんなりで自分で能動的にアクセスしないとなかなか聴こえてこないんだ。この事実がゼロ年代の歌謡のあり方を象徴してると思うんだ」

司会者「という感じでPerfume論続きます」

kenzee「藤田さん見てる~?」

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2009年3月11日 (水)

サクラップとゼロ年代(J-POPと自分探しPart.6)

kenzee「前回、櫻井翔ソロ曲「HIP POP BOOGIE」を聴いていただきました。あのリリックのスゴイところはまったく従来の「ストリートの論理」が通用しない「ジャニーズアイドル」という立場を見事に逆手にとった姿勢なのだ。

 大卒のアイドルがタイトルを奪い取る マイク持ちペン持ちタイトルを奪い取る HIP HIP POP BEAT YO ステージ上終身雇用

これは慶応幼稚舎からエスカレーター人生を歩んできたボンボン櫻井にしか書けないパンチラインだ。「マイク一本で夢をつかむ」という陳腐な物語を見事に相対化し、オルタナティブの設定に成功している。

 What's Goin' On なにか違うと思わないかい? あんな大の大人が罵り合い大会なんてぼくらは見たくないんだい こうなりゃもう、おう咲き乱れる 本業の方々顔しかめる(櫻井翔「HIP POP BOOGIE」2008年)

これはおそらく日本のヒップホップの祭典、B-BOY PARKにおけるMCバトルについての批判だろう。エミネム主演のMCバトルを描いた映画「8Miles」でも登場する「MCバトル」について説明すると、ラップの腕に覚えのある者同士がフリースタイル(即興のラップ)で相手をDisり、ボクシングのようにトーナメント戦を戦い、勝ちあがっていく、というものだ。因みにKREVAはこのバトルで3年連続優勝という未だ誰も破っていない記録を持っている。このフリースタイルというものは非常に高度な技術を要するものでプロだからといって必ずしも勝ちあがれるとは限らない。事実、かつてラッパ我リヤのQなども参戦したがサッサと敗退したりしている。確かにラップには相手を批判し、言い負かす(Disる。Disrespectの略)という側面もあるが、既に日本語ラップは高度に成熟しており、相手を罵る以外にも様々な可能性を秘めた表現スタイルだ。例えば櫻井のリリックはボンボンらしいおおらかな上昇志向を歌ったものが多い。

 ぼくはただただ黙々と Dreamと書いて「目標」と読む 想像以上向こう向こうへと Go Go and Go and On and On(嵐「We Can Make It!」2007年)

 日々をこうして過ごすなかに 灯りのようキラリ光るばかり そういま僕らは交点を結びそれぞれの道へと進み 包み込む日々が輝きだすのは 時がそれを彩りだすから ぼくはそして交点の先へ いつかまたね交点の先へ(嵐「Step And GO!」2008年)

 短い夏が終わろうとしている 僕はただ海辺だけを見ている 今はこうして碧が満ちている 空はいまも僕たちをみている そうまた集まって 悩んでいたって語って笑って 飾っていた自分照らしだす またあの日の夕日照らしだす はにかむ日々を包んでく 風が僕を包んでる(嵐「風」2007年)

司会者「ホンット、リリカルアイドルですねえ。サクラップは。「風」とかフツーに青春歌謡じゃないですか」

kenzee「All or Nothing」なんて結構、本格的に韻踏んでてスゴイよ」

 ジャニーズ代表 嵐 is in Da House Yo そうこれがAll or Nothing S.H.O.W spelling words on this Track bring it on like this yeah check it 雲のない空 ほらもたもた 模索せずに 余暇楽しんだほうが 今日は消化にもよさそうだ 時には部屋でかけるボサノヴァ 外で奴とChill ゆったりと話し込んで明日を見る 枠を切ることにより 明日を知る You Know What I Mean?(嵐「All or Nothing」('02)

このようにサクラップの特徴は「品がいい」ってことかな。ヒップホップ用語を使うにしてもshitだのbitchだのfuckだのいった下品な言葉は使わないし。あと、かなりKREVAとキックザカンクルーに影響受けてるなあと思うんだけど。あんま英語日本語チャンポンじゃなく、日本語だけで韻踏もうとしてる感じが。「オレが最初で最後のパイオニアきっと笑うぜ最後には」、とかリトルが書きそうなラインだし。櫻井は昨年、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で嵐特集のときにコメントを寄せた。ちょっとそのときの様子を聞いてみよう。

 …中学生の頃にさんぴんCAMP、とか盛り上がってて、自分がラップをやるのはこの時代に青春を送った者の運命かな、と思います。自分がデビュー曲「A・RA・SHI」でラップしたのも偶々だった。ちょうどその頃ドラゴンアッシュとかが盛り上がってきてるときで、やがて自分でリリックを書くようになった。リリックを書くときに気をつけていることは(歌が入っている状態でデモを渡されるので)歌の世界を尊重したリリックを心がけている。そして語呂合わせではなく、リリカルに響く詞であること。リリックには2パターンあって、ひとつは風景描写に重きをおいたもの。もうひとつは歌の主人公になって一人称で書くパターン。だが、ラップは自分にとっては趣味だ。影響を受けたのはm-floのverbal、sing02、ライムスター、ZEEBRA、ブッダブランド。さんぴん世代の人々。それが自分の青春だ。(櫻井翔談)

このコメントを聞いても櫻井が「アイドルソングにラップ風味の味付け要員」とかではなく、自覚的な表現すべきなにかを持ったラッパーだということがわかる。sing02聴いてたとはビックリだね。嵐のライヴでシンゴ補完計画! とかやらないかな。嵐と櫻井のスゴさを語りだすと止まらないね。2002年ごろからメンバーのソロ活動が目立つようになり、櫻井は「木更津キャッツアイ」松本潤は「ごくせん」などのテレビドラマに主演し、役者としても知られるようになる。櫻井は現在、三池祟志監督作品「ヤッターマン」のプロモーションで大忙しなのだ。「真夜中の嵐」「~の嵐」「嵐の宿題くん」といったバラエティでも活躍する」

司会者「でもこのへんまでの展開は90年代のSMAPと同様ですね」

kenzee「でね、嵐の楽曲は常に大ヒットを叩きだしているのだがジャニーズの場合、通常のヒット曲とはヒットの構造が違うのだ。普通新人アーティストのヒット曲というものはタイアップなりなんなりで楽曲がユーザーに浸透したうえでセールスに繋がっていく、という流れなのだが彼らのデビューは破格の扱いであった。嵐は99年、11月3日「A.RA.SHI」でデビューするのだがデビュー前に行われた握手会には8万人ものファンが殺到したのだ。そして曲が決定する以前にイニシャル(初回出荷枚数)36万枚という数字が決定していたという。そして実際のセールスはイニシャルを大きく上回り、累計売上97万枚を記録した。まさに鳴り物入りのデビューだ。そしてその後も嵐シングルは順調にヒットを飛ばし続け2007年には「Happiness」はオリコン一位を獲得する。2008年には年間ランキングで「truth/風の向こうへ」「One Love」が一位、二位を独占する。そして嵐の時代、ゼロ年代とは急速にCDが売れなくなった時代でもあるんだ。とくに2005年、大手音楽配信サイトiTunes Music Storeが登場して以降、音楽のセールスは配信の比重が高くなる。ジャニーズに代表されるアイドルタレントのCDは単に音楽を消費するというよりノベルティグッズという側面もあるので今までやってきたJ-POP批評の文脈で語るのはムリがあるのだが、嵐の楽曲はメンバーが関わってる部分も多く、彼らが体現したものがゼロ年代性と強く関わってると思うのであえて接続しようと思う。話を90年代まで戻そう。ミスチルやSMAPに象徴されるような「自分探し」ソングは90年代後半、オウム、地震の95年、911テロとネオリベラリズムの2001年を経て、否定されていく。この時代、急速に市民権を得たヒップホップというジャンルは「バトルして勝利する」という価値観を備えていたために「バトルロワイアル」の時代と親和性が高かったのだろう。だが、ゼロ年代半ばごろにはそんな価値観も相対化され、陳腐化してゆく。宇野常寛さんの年表でいけばこの頃からサブカルチャーはクドカンドラマやよしながふみのマンガに見られるように期限付きのローカルな共同体を築くことで、コミュニケーションによって人は物語を獲得していく、という流れになる。だが、J-POPに限っては産業構造が大きく変化したため、そこまでハッキリとした状況がみえにくいのが現状だ。むしろかつてのようにオリコンという価値観に一元化されずにあらゆる価値観が並立しているのが配信が生みだした状況だ。まさに島宇宙化というアレだ。そんなゼロ年代ではミスチル的価値観もまた、ひとつの価値として生き残っている。例えば2008年のミスチルの代表曲「GIFT」などは時代を15年ぐらい遡ったかのようなアナクロでベタな「自分探し」ソングだ。

 白か黒で答えろという難題を突きつけられ 立ちふさがった壁の前で僕らはまだ迷っている 迷ってるけど 白と黒のその間に無限の色が拡がってる 君に似合う色を探して優しい名前をつけたなら ホラ一番きれいな色いま君に贈るよ(Mr.Children「GIFT」2008年)

司会者「まだそんなん言うてるんですねえ、ミスチルって」

kenzee「時代錯誤丸出しの一節だ。自分らしい生き方や個性を尊重しようという95年あたりで一旦リセットされた言説をまだ朗々と歌い上げるのだ、コッチの桜井は。大体、ゼロ年代とは最早、「白か黒かで答えよ」などと我々に迫る主体というものが相対化され、敵が見えないがゆえに人々が混乱するという状況だというのに。また「無限の色が拡がってる」のは構わないのだが、それを再帰的に選択する根拠(物語)が希薄なため、ナニを選んだところで常に不安と隣り合わせなのがゼロ年代の特徴でもある。このような「ミスチル論理」が大量の非正規労働者をドン底に叩き込み、社会不安を招いたという現実を指摘する人は少ない。例えば派遣労働者の問題を扱ったドキュメンタリーなどに登場するハケンの人の喋り方が実にミスチルっぽいことにオレは気付くのだ。

 「派遣って……いらなくなったら使い捨てにされる部品て感じですね。「感情のある部品」ですね…」(NHKスペシャル「非正規労働者を守れるか」)

「感情のある部品」てフレーズがミスチル感をホーフツとさせます。しかし「GIFT」はけっこうなヒットを叩きだした。北京オリンピックテーマ曲だったという要素をさっぴいても、やはりミスチルワールドに生きる人々が相当数いることを裏付ける。価値が相対化された現代においてはミスチルの国の人に別の価値観、論理の言葉は届かないのだろうか。それでは90年代末にミスチル的価値観「自分探し」を否定したあの男は今、ゼロ年代をどう捉えているか。あの男はなんと2006年に嵐にシングル曲を提供している。そのなかで彼はゼロ年代の状況を認識したうえで新しい価値と生きかたを提示しているのだ。

 あの日の風の色は思い出せるけれど あの時のユメと日々はずっとくすんだまま 明日をまぶしいくらいにうまく描こうとして 僕らはキレイな色を塗りすぎたみたい ちょっとカッコ悪いこともこわれたユメの色も パレットに広げもう一度明日を描こう 悲しいページなんてなかったことにしようとして ぼくらはいくつも色を重ねてしまった きっと塗りすぎた色って白に戻れないけど それでいい新しい色で明日を描こう(嵐「アオゾラペダル」作詞作曲スガシカオ)

あの男はゼロ年代をどう捉えていたか。次回はこの曲からいきます」

司会者「ようやくゼロ年代後半まできました。ナゲ~」

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2009年2月25日 (水)

ジャニーズワールドの現在(日本語ラップと自分探し5)

司会者「もしかして行き詰ってません?」

kenzee「オレはこの2週間ぐらい、嵐及びジャニーズについて考えてきた。そしたらどうにも思考が堂々巡りになっちゃったんだな。コレが。オレはジャニーズ文化を改めてちゃんと捉えなおすべきだと思った。我々が「ジャニーズ」という言葉から連想するのはカワイイ顔した男の子たちがローラースケートで滑ったりバク転したりしながら歌ったり踊ったりするというものだ。そしてタレントたちは訓練生の中からエグゼグティブ・プロデューサーがスターを抜擢するというもので宝塚によく似たシステムといえる。いまや全国に支部を持つ沖縄アクターズスクールも同様のシステムだ。つまり極めて職人芸的なエンターテイメント集団であり、リアリティ重視のジャーナリズムからは仮想敵にされやすいプロダクトなのだ」

司会者「つまり「ロ」とか「キ」とか「オ」とか「ン」とかがつく雑誌などで仮想敵にされやすいということですね」

kenzee「だがいろいろ調べていくともはやジャニーズとは我々が認識しているようなベタなアイドル集団ではなくて、どこまで喜多川さんがコントロールしてるのかわからないポストモダン状況にある。まず、嵐の特徴として、彼らはCD制作においてクリエイティブの面でかなり関わっているという点。櫻井翔は2003年のシングル「言葉より大切なもの」以降、ラップ部分の歌詞の全てを担当している。また嵐のステージプランを担当しているのは二宮和也だ。櫻井は俳優としてドラマ「木更津キャッツアイ」に出演した。この宮藤官九郎の脚本によるヒットシリーズだが、クドカンの脚本というのは通常のドラマのシナリオとは違うようなのだ。文藝クドカン特集によるとクドカン脚本とはコントの台本のように大きな枠組みと設定のみで小ネタなどはその場で作られることが多いという。櫻井もまたクリエイティブの面で多く関わったのだろう。だが、ジャニーズタレントがクリエイティブに関わるのは嵐が最初ではない。もともと90年代からそういう流れはあったのだ。90年代を代表するジャニーズグループといえばSMAPだ。彼らは意識的に従来のアイドル像を壊そうと目論んだ。王子様のような虚構の存在としてジャニーズは芸能界に君臨してきた。だが、SMAPは等身大の若者であろうとした。マッチやトシちゃんや少年隊のようにアイドル然とした衣装を身に着けなかった。ストリートを意識したカジュアルな服装で我々の前に現れた。そして積極的にバラエティ番組でのお笑いトークを買ってでた。そしてSMAPの楽曲は筒美京平先生や松本隆先生のようなプロの作家に発注せず、山崎まさよしやスガシカオ、槇原敬之といった90年代以降に登場したシンガーソングライターに託した。いったい、SMAPが体現していたものがなんだったか、おわかりかな?」

司会者「ま、まさか……「自分探し」じゃ!!!」

kenzee「その通り。バブル崩壊後に登場した彼らは「本当の自分」「本当のジャニーズ」を求めて歩き出した。確かに彼らはジャニーズアイドルでありながらほとんど喜多川さんの影が見えない。彼らが視聴者に訴えたのは「華麗なダンス」でも「きらびやかな衣装」でもなく「セルフコントロールするアイドル」だった」

司会者「しかし、それは欺瞞では?」

kenzee「そうだ。単に彼らは「ストリートワイズ」というコンセプトを掲げたに過ぎない。彼らほどそのストーリーが喧伝されたグループも珍しいのだ。いわく「キムタクは苦労人だ」「SMAPは最初、全然売れなかった、でも敏腕マネージャーとの結束の強さでスターダムにのし上がった」「でも人気がでてもフツーっぽいとこがステキ!」などいかにもな物語に裏打ちされていた。95年以降、SMAPのステージングを監修しているのは中居正広だ。つまり、ジャニーズタレントのクリエイティブへの介入は95年あたりから始まっているのだ。97年デビューのKinki KidsはSMAP人気を背景に「伝統的なジャニーズ文化の継承」をコンセプトに典型的な「王子様」として登場する。デビュー曲「硝子の少年」は「ジャニーズらしい濡れたメロディー」を意識して書かれたものだ。作曲を担当した山下達郎の当時のインタビューを紐解いてみよう。

Q「Kinki Kidsの「硝子の少年」予想外の音作りがすごく興味深かったんですが」

達郎「ボクのファンにはうるさい人が多いから、あの曲に関してはひとこと言いたい人もきっといるだろうな。でも、あの曲をつくるに当っては色々と苦労があってね」(中略)

Q「どのように状況を打破されたんですか?」

達郎「今、筒美京平さんだったらどういう曲を書くのかなって思って。僕にとってのジャニーズっていうのはジャニー喜多川さんが作られた40年近く続く一種の伝統芸能なわけ。(中略)僕はマッチや少年隊のプロジェクトを横から見ることができたんで、そうした「ジャニーズ的」な色合いについてある程度知識があった。それを形作ってきたのには筒美さんや馬飼野さんたちの作ったメロディーラインが大きな役割を果たしてるんだよね。だからひとことで言えば「よろしく哀愁」と接点を持てるような曲にしようと思って、それであれになったの」
Q「なるほど、だからあのマイナーメロディーなんだ」

達郎「販促用のパンフに載せた僕のコメントがあるんだよ。「フォーリーブスを生きたママたちと、今まさにKinkiを生きる娘たちとが、時を越えてつながる何かを表現できたらと思い、この曲を作りました」これがあの曲のコンセプトのすべて。(中略)作家の世界も今、転機でね。作家としてのプロがいない。みんなシンガーソングライターと呼ばれる人たちで。そういう人たちは得てして自己主張を過度にアイドルに押し付けようとする。(中略)自分で歌えない曲を作れるのが作家だって思ってるから。でも、そういう美学って今、あまり通用しないからなあ。素人音楽家に牛耳られてる時代だから」(TATSURO MANIA(ファンクラブ会報)No.23.1997Autumn)

このように山下氏もSMAPのCD制作の方針に違和感を持っていたようだ。だが、果たしてKinki Kidsが山下氏がイメージしたような「伝統的なジャニーズ」の世界を受け継いだかどうか。堂本剛は早くもセカンドアルバムで自作曲を披露する。以降、セルフロプデュースを強く打ち出すようになり、やがてソロで活動するようになる。ところでオシャレで知られる堂本剛だが、CDのジャケットなどのアー写の衣装は彼の自前である。(ことが多い)」

司会者「つまり、山下さんのなかの「ジャニーズ」とは古きよき時代のもので、もはや昔には戻れないっていうことですよね。事実、シンガーソングライターがSMAPに提供した「セロリ」(山崎まさよし)や「夜空のムコウ」(スガシカオ)は大ヒットしたわけで」

kenzee「このような状況を背景に、嵐が即席で結成されたグループの割にサッサとクリエイティブを発揮するようになったのにはすでに90年代に前提ができてたのね」

司会者「ところで、嵐の作家って誰なんですか?」

kenzee「一応CDのクレジット色々見てみたんだが、知らない人ばっかりなんだな。一応こないだのエントリーの「A Day in Our Life」の作曲はスケボーキングによるものだ。嵐の楽曲は主に作曲は飯田建彦、山本博、ZAKI、といった人々、作詞に元東南西北の久保田洋司、戸沢陽美といった職業作家が配されている。つまり、「レコード」という製品単位で見れば Kinkiなんかよりよっぽど嵐のほうが鑑賞に耐えられる出来なのだ。だって素人曲なんか入ってないからね。もちろん、そういったプロのトラックに自作のラップを乗せるのが難しいのは言うまでもない。ところで日本語のラップシーンもこれだけ成熟した現在ならそれらしいリリックを書くのは比較的難しいことではない。オレら登場、気分は上々、ここ東京、王道を暴走とか言ってればいいわけでいまや誰でも書けるんだよ。そうなると「誰が、なにをメッセージしているのか」というリリックの内容が重視されるようになる。多くのアイドルラッパーはこういったラップを取り巻く状況に対して無頓着だ。KUT-TUNの田中聖も例外ではない。2006年発表のデビューシングル「Real Face」において田中は見事な早口ラップを披露しているがラップの定型文を並べただけという印象も否めない。

 俺がハスラーKID これ果たすだけ 声枯らすわけ 越えられるかDis それは誰かだ? Ha-Ha俺はJOKER DoopなRhymeで泣きだす嬢ちゃん 待ちに待ったこれが俺のShowTime 壮大キメろ All Night ヤバめなFLOWで湧きだす場内 Westside Eastside 上げろHands Up!(KUT-TUN「Real Face」2006年)

まあコレ一曲で田中さんをDisるのもアレなんで今後が楽しみだということで。で、櫻井のラップを考える上でどうしても聴いていただきたい曲がるのだ。2008年発表の8枚目のオリジナルアルバム「Dream"A"Live」はCD2枚からなる大作なのだが、Disc.1がニューアルバム、Disc.2がメンバーのソロ曲が人数分、収められている。当然、我々としては櫻井のソロに着目するワケだが、これがちょっとスゴイ曲なのだ。「HIP POP BOOGIE」これ聴いて、みんなちょっと考えてみて欲しい。結論は次回に回したいと思う。ラップとは「誰が、なにを発するか」が重要だって話。さすがにソロ曲までYou Tubeになかったので自分で上げてみました」

司会者「(エ!?コレkenzeeが自分でアップしたの? このアナログ人間のどこにそんな技術力が?)」

kenzee「MP3Tube便利だワ~これから手持ちの音源アップできるからJ-POP評論スゴイよ!」

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2009年2月17日 (火)

ココログガイドとか津村とか嵐とか(日本語ラップと自分探し4)

kenzee「正体不明のkenzeeでーす」

司会者「なんか、ココログガイド(2月12日)で紹介されたみたいですね。この下らないブログが」

kenzee「で、他の紹介されてるヤツ見たら、「絵本作家の○○さんのホノボノ日記」みたいなのとか「現役社労士の○○氏が語る、社会保険講座」みたいな紹介のされ方なんだけど、ウチの…

 正体不明の kenzee さんが、同名の教授たちとともに、文学や音楽を通して現代社会やサブカルチャーを徹底議論。文芸論壇を読み解くためのサブテキストとしてもどうぞ。

こんな紹介のされ方でした」

司会者「だって、アンタ正体不明だもん。たぶん、あのリード文てプロフィールのトコ見て書くんだろうけどウチのアレじゃ、そりゃそう書かれますよ。アレは意図があるんですか」

kenzee「昔、そうバブル絶頂の1989年、バンドブームがあった。その頃、多分宝島だったと思うけど「決定版!バンド図鑑」みたいなムックがでて、ジュンスカとかユニコーンとか当時のバンドの一人一人のプロフィールが載ってたのね。で、フツーは「奥田民生、何年生まれ、広島県出身、担当、ヴォーカル、ギター、みたいな感じなんだけどX(エックス)のヨシキのプロフィールがシビレたんだな、コレが。

 生年月日X(エックス)、出身地X(エックス)、性別X(エックス)、担当楽器、ドラム、ピアノ。

司会者「ついでに楽器もエックスにしとけよ!」

kenzee「それであの時代へのオマージュのつもりであーゆープロフィールにしたんだけど。もし、コメントで「オマエはヨシキか!」ってついたらオイラビックリしたと思うんだけど遂にそんなことはなかったなあ」

司会者「わかるかよ! そんな細かいボケ!」

kenzee「ホンット、大体ウンコかチンコか文学の話しかしてないのにそんな公共的なトコで紹介されてもいいのかな?」

司会者「デタラメも多いのにね」

kenzee「ところで最近、近所の本屋がまた潰れました。奈良の押熊っていう典型的なファスト風土のど真ん中にある本とCDの複合店だったんだが、ブラっと寄ったらもう張り紙してあってさ」

司会者「最近ツタヤとかでもシンドイらしいですからねえ」

kenzee「これから奈良人どこで本買うんだろ? 奈良っていわゆるジュンク堂とか紀伊国屋に代表される「大型書店」てのがないんですよ。文芸誌まとめ買いできる本屋も近鉄奈良駅ヨコの啓林堂のみ。これはもう絶望的な文化状況DEATH。でも救いなのがね、文芸誌のコーナー見たら文學界にも群像にももちろん文藝春秋にも津村さんが載ってて、しかも平台にはドドーンと津村作品が並んでるワケですよ。もう新刊がでてるし。しかも文學界には宇野常寛さんの津村論も載ってるし。しかもそれが結構面白かったんだよ。いつもの「島宇宙化した現代のポストモダン状況をいかに快適に生きるか」という宇野節とデビュー作(君は永遠にそいつらより若い)の持つこの世代特有のモラトリアム感を見事に接続してて。

 現代という時代を生きるとき、多少なりとも考えることができれば、まだ何もなしえていない若者たちはアイデンティティ不安を前に再帰的に物語を選択することを強いられる。自分の物語を、自分で選択する。ただし、その価値は誰も保証してくれない。自分が信じ、賭けることしかできない。だからこそ、自分の決断した物語の正当性を確認したいという欲望、いや不安が浮上する。(文學界3月号「見えざる<敵>のリアリズム)

その「物語の正当性を確認したいという欲望、不安というのがまさに「自分探し」なワケで。津村さんと宇野さんは78年生まれで同い年なんだよ。この78年生まれっていうのがオレは昔っから引っかかってて、つまりハッキリとした世代交代があるの。音楽のほうだと椎名林檎と降谷建志が78年生まれなんだ。この78年組には共通の感覚があるように思う。あの山崎ナオコーラさんも78年生まれなのだがデビュー作、「人のセックスを笑うな」から引用してみたい。

 オレは人生について考えるとき、「自分の中身」や「自分の成功」というようなことより「サバイバル」という感覚のほうが強い。はっきり言って、オレは非常事態のときに力強く生き残る自信がある。(山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」2004年)

たぶんこの、「人生は基本、サバイバルするもの」という感覚なんだ。78年組に共通しているのは。彼らは人生で一番多感な17歳を、あのオウムと地震の95年で迎えてしまった。そして17歳以降、彼らは常に社会が混乱するさまを目撃し続けることになる。そう考えるとナゼ、宇野さんが大きなテーマとして「トライブ間の抗争の調停」とか「楽園を守るがゆえの暴力」という見えざるものに敏感なのかわかる。ナオコーラさんの「非常事態のときに」という設定の仕方がいかにも78年らしい感覚なのだ。我々70年代前半生まれの人間には絶対ない発想なの。それは多分、あのバブルを子供の目で目撃したからだろう。オレとか72年生まれの東浩紀さんとかはまだ、頭のどこかで「バブルってまた来るんじゃね?」とか思ってるフシがある」

司会者「なんとかなるっしょ!みたいな」

kenzee「でもナオコーラさんにせよ、津村さんにせよ、人生とはサバイバルであって、落ちたらオワリという、悲壮感というか覚悟があるよね。そして「人生とはサバイバルである」という集合的な認識をハッキリと形にしたのが「バトルロワイアル」(99年)だったのだろう。偶然か必然か、映画「バトルロワイアル」のテーマ曲はドラゴンアッシュの「静かな日々の階段を」だ。殺し合いの果てに流れる歌は78年組にしか歌えないだろう」

司会者「じゃ、そろそろ日本語ラップ論の続きにいってもらいましょうか」

kenzee「前回、ゼロ年代におけるジャニーズラップってナニ?って話をするって言って終わった。日本のヒップホップを語る文脈では絶対に無視されるフィールドでね。だからこそ、オルタナティブを設定するためにも、ジャニーズラップについて語る必要があった。まず、その先駆者であり、急先鋒となったのは嵐の櫻井翔だ。そして嵐や櫻井の資料をこの2週間ぐらいで集めまくった。オレは最近、音楽といえばあらCDばっかり聴いている」

司会者「なんスか。あらCDって」

kenzee「嵐のCDに決まってるだろう! そして嵐ってオレが想像してる以上にスゴイグループだということが判明した。ハッキリ言う。嵐を、櫻井の軌跡を語れば自動的にゼロ年代を語ることができる。むしろナゼ、宇野さんは嵐の、櫻井の話をしなかったのだろうと不思議なくらいだ。ツベコベ言う前に一曲きいてもらおう。2002年作品「A Day in Our Life」。これは嵐初の全編に渡って櫻井のラップが導入された記念碑的な一曲だ。また「木更津キャッツアイ」のテーマ曲でもあり、広く一般に知られた嵐の代表曲でもある」

司会者「コレ、サンプリングネタ少年隊じゃないスか!?」

kenzee「そうだ。少年隊の「ABC」のイントロがループして使われている。つまり「A Day in Our Life」のサウンドプロダクトは単に、「カッコよさげにラップ決めてみました」という安直なものではなく、「先人(少年隊)へのリスペクト」というヒップホップの基本精神を嵐なりに表現したものだ。このようにこの曲には確信犯的にヒップホップを取り入れようとする意思がある。もちろん、こうしたコンセプトはラップの担当者であり、「木更津…」の出演者でもあった櫻井の提案によるものだろう。この2002年以降、嵐のサウンドはグッとブラックミュージックに接近していくのだ。なにより嵐がクレバーなのは、そういった意匠を取り入れながらも彼らが体現したのは「架空の王子様」でもなければありもしない「ニューヨークのダウンタウン」などでもなく、日本の郊外(ファスト風土)であった点だろう。「PICA・NCH」などでもわかるように彼らは日本の郊外の風景を全肯定している。その点において彼らはSMAPが成し遂げられなかったことを達成したのだ。SMAPは郊外を認めなかった。彼らは都会に生きる若者であり続けた。では、櫻井はどんな戦略でゼロ年代を駆け抜けたか。彼らは2006年にジャニーズ史、または自分探しソング史に足跡を残すことになるんだ。次は2002年から順を追って見て行こう」

司会者「次からは早いですよ」

P.S読者の皆様。更新遅れてゴメンね。そしてココログ事務局のみなさまありがとう。こっからは早めにいきますのでヨロシコ。

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2009年1月29日 (木)

日本語ラップと自分探しその3

司会者「ラップとか自分探しとか言ってる間に津村記久子が芥川賞獲っちゃいましたよ。津村オシのウチとしてなにかコメントしなくていいんですか?」

kenzee「イヤ、ホントうれしいですよ。津村オールドスクーラーの私としては。「ポトスライムの舟」は奈良が舞台なのね。そして主人公の家に転がり込む友人が後半、アパートを見つけるのだけど、そこが生駒という」

司会者「アナタの住所ですね」

kenzee「柴崎さんの「星のしるし」には石切とかでてくるし。ナニ、この最近の文学における近鉄奈良線の熱さは! しかも「ポトスライム」は奈良のイナタさもちゃんと表現されててリアルだったよ。ホントに奈良市内、いわゆるならまちとか奈良公園とかあの辺の観光地ってサ店か寺しかないですから。確かにカネのかからん街ではあるな。いわゆる歓楽街ってのもないですし」

司会者「全然小説の評価になってませんが」

kenzee「去年の今頃「津村のよさが一般層に届かない」とかウチらブツブツ言ってたわけですけど、心配しなくても届くべきところにちゃんと届いていくんだね。誰かが言うほど純文学はクローズじゃないよ。「ポトスライム」の評価についてはJ-POP論終わってからやろうかな。ちなみにオレの津村最高傑作はなんといってもデビュー作(君は永遠にそいつらより若い)だな。20代の人にしか絶対書けない世界がある。「ポトスライム」では誰かのためになにができるか、という義侠心が描かれるが、その源流はデビュー作に色濃くある。虐待児を救うために携帯で窓ガラスを叩き割って侵入する主人公が形を変えて描かれている。それにしても津村小説がフツーに本屋で平積みになるなんて痛快ですよ。単純に」

司会者「では日本語ラップの続きですが」

kenzee「前回、「Grateful Days」の登場はJ-POPシーンに広く日本語ラップの存在を知らしめた、新しいスタイルを提供することとなった、という話をした。そしてリアリティを失いかけていたJ-POPの「上昇志向」に再び命を吹き込んだ。99年の話だ。この我々が問題にしている「リアリズム革命」「98~99年問題」についてもうちょっと背景を探ってみたいと思う。この99年という年は、来るべき混迷のゼロ年代の状況設定が着々と進んでいった年だと言える。まず宇野常寛さんもいうように決断主義の原点「バトルロワイヤル」のヒットがある。そして今、大問題の派遣法が改正されたのがこの年だ。完全に悪者扱いのこの改正派遣法だが、コレのおかげでゼロ年代はゆるやかに景気を拡大することができた。そして国家国旗法が成立したのも99年だ。ゼロ年代は若者が、ネットユーザーを中心に右傾化していった時代でもある。そして奇しくも2ちゃんねるが登場したのも99年だ。こういった社会の変化をJ-POPは敏感に感じ取っていたのだろう。ミスチル、コムロ、ビーイングの90年代型J-POPが終わりを告げ、多くのCDユーザーは音楽を「カラオケで歌うために」聴くよりも、よりリスニングに比重を置いた受容の仕方へと変化していく。具体的な例を示すなら98年はMisia、UA、CHARA、Cocco、aiko、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみといった女性アーティストの登場が目立った。また、97年から始まった野外イベント「フジ・ロック・フェスティバル」が恒例化し始める。99年には同様の野外イベント「ライジング・サン・ロック・フェスティバル」も開催される。また、AIR-JAMのようなインディーズ・バンドのイベント、スカ・オブ・イット・オールのようなインディーズレーベルのイベントが商業的に成功を収めるようになる。日本語ラップに関して言えば、98年にはZEEBRAが国産ヒップホップでは初の全国ツアーを成功させている。そしてなにより重要なのはこの98年という年はわが国のレコード産業史上、最高のセールスを記録した年なのだ。ちなみに現在のレコード産業の市場規模はこの頃の約半分ぐらいである」

司会者「そういや、CD屋さんみかけなくなりましたね~」

kenzee「関西人のオレの感覚では、タワーレコード心斎橋店が閉店した瞬間、この産業に大きな空洞ができたように思った。アレとCISCOの閉店でなにかが終わったんだと思う。リアリズム革命までは順調にCDが売れていたので単純にJ-POPの歌詞の変化に着目していればよかったのだがこっから先は産業構造の変化にも目配せしながらでないと大事な論点を見逃してしまうだろう。ついでに言うと烏賀陽弘道さんのJ-POP評論「J-POPの心象風景(文春新書)」は個々のアーティストの論考はそれぞれ面白いのだが(特にGLAYとモーニング娘。を成長の物語として論じたトコは秀逸)社会の変化との関連、また、ユーザーの受容の変化(iPod、音楽配信を始めとするハードの側の変化)J-POP以外のポップカルチャーとの関連についてはなにもナシ、なのが残念だ。烏賀陽さんの論は平面的でつながりがないんだよ。せっかく椎名林檎と浜崎あゆみを取り上げたのなら、同時代に現れたこの二つ(ホントのこと言えば宇多田も足して三つ)の異質なキャラクターに関連性を見出せなかったのはツライ。また、椎名論やるのに「歌舞伎町の女王」一曲に頼りきっちゃうのはどうか。ブルーハーツ論にしても「ブルーハーツ→仏教性」でオワリではリアルタイマーとしては反論したくなる」

司会者「まあ、99年以降は慎重にいかないとダメだ、と」

kenzee「烏賀陽さん63年生まれでしょ? オレとか速水さんの10コ上なんだよ。だからサザン論、ユーミン論とかあの世代のものについてはリアリティあるんだよ、でも椎名論あたりからトンデモになってくるんだなア」

司会者「話を前に進めてください」

kenzee「Grateful Days」以降、ヒップホップの価値観、方法論は各方面へ浸透していく。これが過去のラップのヒット曲、今夜はブギーバック(93年)、DA・YO・NE(94年)との決定的な違いだ。「Grateful Days」の最大の特徴は「日本語によるライミングの可能性」を提示したことだ。例えば純文学シーンにおいて、ラップはどんな影響を及ぼしたか。ゼロ年代における純文学最大の事件はやはり2004年、綿矢りさと金原ひとみという二十歳前後の若い女性による芥川賞受賞だろう。受賞作「蹴りたい背中」「蛇にピアス」についてはすでにサンザンいろんなとこで論じられているのでいまさら文学性がどうこうとか言うアレはない。だが、若い彼女らの作品がこの時代の日本語ラップの影響下にあるという点については未だ論じられていない。まず、綿矢氏の芥川賞「受賞の言葉」をみなさん覚えているだろうか。

 「はやりやまいはやはりやばい」。これが私が初めて創作した文章で、学校の国語の時間に薬屋のキャッチコピーのつもりで作った。2作目がデビュー作で、「蹴りたい背中」は3作目になる。(綿矢りさ「受賞の言葉」文藝春秋2004年3月号)

司会者「↑コレ、ちゃんと原典当った?」

kenzee「当ろうと思って、図書館行ったら2005年以前のは処分しちゃったんだって! 頼むゼ、生駒市図書館YO!」

司会者「(評論家名乗るなら、あらゆる手ェ使って手に入れろよ、出不精が!)」

kenzee「で、オレの記憶を頼りに書き出してみました。もし、当時の文藝春秋お持ちの方、いましたら正確な文面教えてチョ。でね、問題はこのコピーですよ。1984年生まれの綿矢さんにとって、日本語とは初めから韻を踏むもの、という認識があったってことだよね。また、インタビューでは受賞作の仮タイトルが「ファンの不安」というものであった、と語っている。もちろんこれらの文章はラップではないし、綿矢氏が好んでラップミュージックを聴いていたといった文献もない。だが、このゼロ年代を代表する純文学の才能が日本語のライミングに対して自覚的であったという事実は「99年以降」の問題を考える上で重要だ」

司会者「確か、「蹴りたい背中」にもそういう言葉遊びみたいな会話のシーンがあったような気がしますよ。(ちゃんと読み返してから書けよ)」

kenzee「金原作品もまた、ヒップホップカルチャーの影響が垣間見えるのだ。ラスト近く、主人公ルイとシバさんの会話。

 「へえ、ねえオレさ、変な夢見たんだ」「どんな?」「昔仲良かった友達がさあ、ヒップホップやってて、オレその友達と遊びにいくことになったんだ。でもオレ待ち合わせにすげえ遅れちゃってさ、そしたら友達とその仲間が怒りを歌で表現してくんだよ。オレ、5,6人に囲まれて歌われたんだ。ラップで怒りの歌」(金原ひとみ「蛇にピアス」2003年)

フリースタイルで文句を言われるという。5,6人というからマイクリレーものだったのだろう。このように都市の風景としてラップが登場する。まったく作風の違う二人だが、アウトプットは違えども同世代で同じ時代の文化的影響下にあったことがおわかりだろうか」

司会者「コレ、その怒りの歌のリリックまで書いてあったら、kenzee賞受賞だったのにねえ」

kenzee「ホンット、そこはしょったので芥川賞どまりです。彼女たちがもっとも感受性の強い10代に「Grateful Days」以降の環境下に生きていたからこそ書けた作品だ。この、当たり前の文化として身体感覚として入ってるってことが重要です。ナゼなら、この半年後の芥川賞受賞作、モブ・ノリオ「介護入門」はサンザン、ラップ調だのなんだのと評された割にはこの時代の日本語ラップによる言語感覚の変化にまったくついていけてない文体だったからだ。

 YO,FUCKIN’朋輩(ニガー)、俺がこうして語ること自体が死ぬほど胡散臭くて堪らんぜ、朋輩。夢か、リアルかコマーシャル・ビデオか、麻の灰より生じた言い訳か、悟っては迷う魂の俺から朋輩へ、どうしたって嘘ばかりになるだろうから聞き流してくれ。

 おお、SUCKER! 俺の野郎よ、気持ち悪いこと口走りやがって! (中略)YO、こいつに関しては尊大に語らせてもらうぜ、俺は既にこの件の権威なんだ。或る朝スウェーデンからの国際電話で叩き起こされ、俺がノーベル婆孝行賞を授かったとしても、FUCKIN’至極当然だわな。(モブ・ノリオ「介護入門」2004年)

確かに「介護入門」の文体からはN.W.Aのようなギャングスタ・ラップやパブリック・エネミーのようなポリティカルなメッセージ性の強いミドル・スクールのヒップホップミュージックの影響をみることができる。だが、99年以降急速に一般層に浸透していった日本語ラップへの配慮はまるでないのだ。もちろんモブ氏ほどのヒップホップ・フリークなら当時の日本語ラップシーンの存在を知らなかったとは考えにくい。芥川賞受賞のころ、モブ氏はクイック・ジャパン誌上で奈良出身のお笑い芸人「笑い飯」と対談している。で、そのときのモブ氏の写真がさ……。目深に被ったベースボールキャップにブルーハーブの缶バッヂつけてたんだよ! ドコで売ってんのソレ! モブさんYO!」

司会者「また、話それてますよ」

kenzee「ま、要するにモブさんはヒップホップミュージックの影響は受けてたかもしれないけど、綿矢氏などのように身体感覚としてラップ文化は入ってなかったみたいなんだな。また、この2004年頃、ようやく文芸誌でも日本語ラップを取り上げる文章が見られるようになる。当時の群像で陣野俊史さんがブッダ・ブランドの「Don't Test Da Master」の歌詞を引用しつつ、舞城王太郎の小説との類縁性について述べている。そして2005年には中原昌也がブッダのメンバー、NIPPSのソロ曲に詞を提供する。もっとも純文学と日本語ラップが接近していた幸福な時代だったといえるだろう」

司会者「ラップが文学と接近するのは構わないですが、その動きはもはや「J-POPの想像力」とは遠い世界ですね。トゥルーアートの話じゃないですか」

kenzee「ところが日本語ラップは強靭だった。同時にアイドルソングなどにもグイグイ浸透していくのだ。ここでは日本語ラップがどのようにして大衆に受容されたかを計るわかりやすい物差しとしてジャニーズ・アイドルとラップの関わりについて述べたい」

司会者「エ!? フツー、ラップの評論つったら近田春夫のプレジデントBPMとかいとうせいこうの話して、さんぴんCAMPの話とかLBネイションの話するものと相場が決まってるじゃないですか」

kenzee「そんなのとっくにいろんな人がしてるし、いまさらだし。オレがやるなら未だ誰もマトモに論じられたことのないジャニーズ・ラップについて考察したいんだ。まず、何度も言うようにJ-POPと日本語ラップとの関わりにおいてターニングポイントになったのは「Grateful Days」だ。この99年以前と以降とではADとBCくらい違う。では99年以前、J-POPはラップをどう捉えていたのか。97年発表のKinki Kidsのデビューアルバムに収録されているラップソング、「Kissからはじまるミステリー」を聴いてみよう。(試聴)

 君の向こうに海が青く 透き通るよ不思議 黙りこくった時がほら しゃがみこむよ ねえ優しさの意味教えてよ 君の涙に酔っちまう前に 君の瞳に酔っちまう前に(Kinki Kids「Kissからはじまるミステリー」作詞:松本隆、作曲:山下達郎)

司会者「これは……ラップですかね?」

kenzee「ラップというより「リズムに乗った語り」という感じだ。ラップのキモである「ライム感覚」がまるっきり欠如している。この曲は2005年、作曲を担当した山下達郎によってセルフカヴァーされた。そのときはラップにケツメイシのRYOを迎え、リリックも丸ごと書き直された。

 街さまよう君との距離測る 寄せては返す波より早く 動き続ける 心くすねる 僕ならばきっと君を包める なんてめでたい思いでいたこと 昨日までの君は今どこ 想いは揺れる 隙間埋めるためひたすら悪戯に君に触れる 舞い散る花びら掴むように あやふや不確かに結わく恋 ただ欲しい恋しい何気ないときにも感じるから心奪い取りに 見えない行く手にミステリー 感情握りしめ引く手に 放した僕の手はどこにしまう 気付けば君が離れてしまう 恋はミステリー できるいつ手に 本当の君だけを見つけに のぞく心届くには遠く 望むほどにその恋はもろく また揺れだす気持ちが騒ぎだし 君の心の底触りたい 他になにも要りはしない この悩みすら君には意味ないかい?(山下達郎featuring RYO fromケツメイシ「Kissからはじまるミステリー」2005年)

 コッチはさすが本職の人がやってるだけあって本物のラップです。でもこの曲はキンキのバージョンの方が本領を発揮していたと思うなあ。大体Kinki Kids自体のコンセプトが「王子様」なわけでまさにロマンス(騎士道)を生きてるわけでストリート文化とは本来的に相容れないんだよね。もう一曲、この時代(Grateful Days以前の)J-RAPを考える上で重要なヤツを。モーニング娘。「抱いてHOLD ON ME!」

 You Gotta恋とか愛とかわかんない だから女の子だって泣かない 恋して純情 愛して根性 そして恋愛感情ByeBye なんでいつでも愛してるI Love You 私それでも明日でもきかん坊 恋の劇場愛全て勘定 たぶんこれでさようならWao!(モーニング娘。「抱いてHOLD ON ME」'98年)

司会者「いわゆる日本語ラップのライミングとは違うかもしれませんが音楽的グルーヴがちゃんとありますね」

kenzee「ウン、当時からつんく氏はヒップホップについてよく研究されていて、モーニング娘。の2000年のシングル「I Wish」ではバラードなのにヒューマンビートボックス(ドッパッ、ドッドッパ、などと口でドラムを演奏)を取り入れるなどストリート文化に根ざしたプロデューシングを行っていた。そして99年にはジャニーズの秘蔵っ子「嵐」が登場する。Kinki Kidsが虚構の世界の住人なら嵐はストリートという(早い話が郊外。ファスト風土)リアルを体現したグループだ。デビュー曲「A・RA・SHI」を聴いてみよう」

司会者「典型的なチェケラッチョなJ-RAPですねえ。まだまだ世界はおわらな~いって」

kenzee「この頃はちょうど端境期にあったのだろう。J-POPの側もラップをどう扱っていいのか試行錯誤の状態だったと言えるだろう。では本職のラッパーはこのような風潮をどう見ていたのだろう。

 ①「ヨー、チェケラッチョ」等に代表されるそれ風スラング。②威嚇的に手を突き出したソレ風ポーズ&身振り……ラップとかヒップホップにあまり親しくない、そこらのフツーの人が抱いている「ラッパーぽさ」のイメージというのは、おおむね以上の二点に集約されると思います。ま、少しでもこのジャンルに関する見識があれば「今時チェケラッチョなんて言ってるラッパーいねーよ!」ということになるんですが、どーゆーわけかメディアを通じてこの手のステレオタイプが流布され、すっかり一般に浸透しきっていると。で、そういう恐ろしく無遠慮な「チェケラッチョ」の数々に出くわす度に、特に私のような「もろラップ~ヒップホップ側の人間」は非常に居心地の悪い思いをすることになる。これはロックでもなんでもそうだと思うんだけど、思い入れのある何かの「記号化」にはやはりことさら敏感になってしまうのが人情というものでしょう。(ライムスター宇多丸の「マブ論」BUBUKA2000年10月掲載)

 確かにこの頃から2000年ぐらいまではYOだのHAだの言いながら手を突き出したりしてればラップの記号足りえた。ただ、宇多丸氏に反論させていただくならそのように「ラップの記号化」を推し進めたのはアイドル、アーティスト側ではなくて資本の側の戦略だったということ。ところが2003年ごろからJ-RAP界に不思議な現象が起こり始める。「与えられたものをこなしてナンボ」のアイドル商売のジャニーズタレントが本格的な日本語ラップを自作自演し始めるのだ。その急先鋒は嵐の桜井翔だ。桜井翔こそが虚構の世界の中で「リアル」を叫び続けた男だったのかも知れない。次回は桜井翔からKAT-TUNの田中聖に受け継がれたジャニーズ・ラップの想像力について考えてみよう。それからキックザカンクルーの話してゼロ年代後半まで行こう」

司会者「ナゲ~YO~」

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