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2008年4月15日 (火)

ギャル撮りは誰だ?(文藝夏号「作家ファイル1998~2008」と木村紅美「月食の日」文學界5月号)

司会者「現在スピリッツに連載中のギャル漫画「パギャル!(浜田ブリトニー著)」によると写メにはギャルに伝わる写真撮影方法があるそうです」

マイマイ「写メってのわなあ、ちゃんとギャル撮りしねえと盛れねえんだよ!!」

ヒメ「すいませんッス!! ティーチングヨロッス!」

マイマイ「カメラの角度わ常時、上から45度!」(第一話パラリスト)

kenzee教授「ふ~ん撮り方があるんだね」

司会者「で、今月の文藝ですがズラーっとプリクラ大の作家の皆さんの写真が載ってますよね」

kenzee「コレ、文藝編集部で撮ったんじゃなくて作家さんに手持ちのヤツを送ってもらったんだね。木村先生がそう言ってたし」

司会者「でね、ギャル撮りの作家さんが何人かいるみたいなんですよ!」

kenzee教授「いくら文学者を気取ってみても心はギャル、ということか」

  ~ここからは「文藝夏号」を手元に置いてお読みください~

kenzee教授「イキナシ青木淳悟がギャル撮りなんじゃないか?」

司会者「ナナメ上45度からの完全なるギャル撮りです」

kenzee「日本のピンチョン」なのに……」

司会者「心はギャルだったんですね」

kenzee教授「イヤ、撮影者がギャルだったのかも知れんぞ。この記事で取り上げた彼女が撮ったんじゃないか?」

司会者「コリャ、あ行から先が思いやられます」

kenzee教授「ヴァシイ章絵さんも上方ナナメ上からのアングルです」

kenzee「40過ぎなのに心が若い!」

司会者「岡田智彦は確信犯ですね。そして……」

kenzee「やっぱり金原ひとみは余裕でギャル撮りだね。ていうかこの人がこのアングルじゃなかったらウソだよ」

kenzee教授「栗田有起までギャル撮りとはね」

司会者「中上紀も完璧なるギャル撮りです。いくらお父さんが戦後文学史を代表する作家でも娘の心はギャルなのだった」

kenzee教授「ギャル撮りするとなにかいいことあるのか?」

司会者「小顔に見えるんだそうです」

kenzee「じゃあ、あの大人気作家はどんな撮り方なんだろう……」

司会者「はい、ドン! (木村紅美氏62ページ)」

kenzee「これは……」

司会者「新手のミニスカポリスかな(帽子とか)」

kenzee教授「現地のな」

kenzee「ほとんどの人が自室かオフィシャル用のアー写を使ってるところに意表を突く南国ムードだね」

司会者「そんな木村先生の新作、「月食の日」(文學界5月号)です」

kenzee教授「待て、それで「文藝作家ファイル」は終わりなの? あんな盛りだくさんの内容なのに」

司会者「ハイ、誰の心がギャルなのかわかっただけでも大変な収穫です。今回の特集は」

kenzee教授「じゃあ、「月食の日」梗概いくよ。有山隆は全盲だ。仕事は新宿のデパートでマッサージ師をしている。今日は6日ぶりの休みだ。アパートの隣の部屋にはOLの鈴木まどかが住んでいる。この間、隆は都営地下鉄新宿線で17年ぶりに津田幸正に出会った。幸正は高校時代、JRCに所属していた。障害のある人の世話をしたりした。隆の盲学校の軽音楽部はレベルが高く、隆はキーボードが一番上手かった。幸正は隆に気付いていたので、杖をつき、歩き出そうとする隆を支えようとした。

隆はかつて恋人だった路子と友人たちとバリ島へ旅したことがある。目は見えなくともそのときの写真は大事にとってある。路子とはよく展覧会に出かけた。隆は見えないので、路子に横で解説して貰いながらだ。路子はピカソやダリの絵の魅力を言葉で説明してくれた。やがて路子は気疲れするようになり、二人は美術館へ行くことはなくなった。

今日は幸正夫婦に隆は夕食を招待されている。幸正夫婦のマンションは駅を挟み、隆のアパートの反対側にある。隆のアパートの部屋で携帯が鳴った。幸正は嫌いなものはないかという。隆は納豆とアボガド、辛いものと答えた。

幸正の妻、詩織は長崎屋の食料品売り場で今夜のご馳走について考えていた。幸正と新婚旅行で行った、スペイン、ポルトガルの料理を考えていた。ポルトガルの名物料理、アレンテージョと呼ばれる豚肉とアサリのワイン蒸し、タコのリゾット、白いんげん豆を使ったサラダ、アスパラガスのマリネ。

幸正は居間のソファーで新聞を広げて、亜由子のことを考えていた。亜由子はもともと幸正の同期だったが8年目に寿退社した。それが5年ぶりに派遣社員として復帰してきたのだった。離婚したのだという。子供の養育権は夫に取られ、今は中野のアパートに一人暮らしだという。9月には幸正と二人でヘヴィメタのバンドのライヴに行く。詩織には内緒だ。

隆はバリ島旅行のアルバムと、職場のデパートの地下にある高級洋菓子店で買ったフルーツゼリーの詰め合わせを用意した。幸正がチャイムを押した。

隆は幸正に連れ添われ、幸正のマンションにたどり着いた。4LDKあるという。隆にも音の反響で広さがわかった。テーブルの上にはワインとビール、クラッカーとチーズとレバーペースト、アスパラガス。BGMはジャズピアノ。詩織はメインの用意をしに、キッチンに戻った。幸正は新婚旅行でのポルトガルの話を聞かせた。隆はバリ旅行のアルバムを持ってきたことを告げた。偶然にも幸正夫婦は来月バリへ行くのだという。やがてメインのアレンテージョ、タコのリゾットが登場した。

亜由子から幸正の携帯に先ほどからメールが届いていた。詩織にバレないように外で電話した。その間、詩織と隆は今夜の料理について、新婚旅行について、バリ島について歓談した。9時ごろになって、血の気のひいた顔で幸正が戻ってきた。精神的な病を患い、休職中の同期が変な発作を起こしている、様子を見てくる。一時間くらいで戻るという。そういって出て行った。初対面の詩織と隆が居間の残された。

今日は皆既月食の日なのだった。食事を終え、隆はデザートのレアチーズケーキを平らげ紅茶を飲み干していた。月は欠け始めていた。詩織はテレビを点け、隆に紅茶を淹れ、ベランダにでた。

幸正は10時になっても帰ってこなかった。電話をかけても繋がらない。おみやげに持ってきたゼリーも二つも食べてしまった。詩織は11時になっても幸正が帰ってこなかったら自分が隆を送っていこうと決めた。それにしても詩織は幸正が許せないと思う。

詩織は全盲の隆に月食というものを説明したいと思い、寝室から地球儀を持ってきた。そして氷水に浸した布巾と乾いた布巾を用意した。濡らした地球儀の表面と乾いた面と触れさせて理解させようとしたが、うまくいかない。何度も二人は挑戦した。地球儀を寝室に片付け、詩織はベランダにでた。月は雲に隠れていた。幸正から電話が鳴った。

詩織は隆を送ることになった。隆のアパートの前で、隆が女に連れ添われて帰って来るのを隣人の鈴木まどかは見ていた。せっかくなので隆は詩織にバリで買ったガムランのCDを貸すという。詩織は玄関の外で待たされた。雲の陰から現れた月は赤銅色をしていた。鈴木まどかに挨拶された。挙動不審な女だと思われただろうか。CDを受け取ると詩織は家路へ急いだ。幸正はもう家に帰っているだろうか。月はまだ赤かった。(了)

司会者「木村先生、新境地って感じですね。旅をしない木村作品なんて」

kenzee教授「この作品は一種の群像劇なのだが木村作品で群像劇といえば「島の夜」を思い出す。だが、視点が従来の木村作品とは全然違うんだね。「月食の日」も意欲作だ。木村ワールドは黄金のパターンができつつあった。都会での日常生活と沖縄や北海道の果て、などといった非日常との往還から登場人物が成長したり、他者と触れ合っていく。それらは一人称、もしくは一人称に近い三人称で描かれることが多かった。つまり、私小説的だったんだけど、この作品ではそういった今まで築き上げてきたトレードマークを捨て去った、新しい木村ワールドが見られるね」

司会者「短篇映画のようです」

kenzee教授「よく作家志望の人が人称がどうだの議論してるけど、日本語で書かれた三人称の視点の小説はほとんどが主語を「ヨシコは」とかを「わたしは」に変えればそのまま一人称になってしまうのだ。さらに言うと日本の私小説の名作と呼ばれている作品は大体が三人称で書かれている。この「月食の日」はそういった伝統的な日本文学にみられる視点で書かれていない。この作品の視点は20世紀以降に生まれた「神視点」とでもいうものだね。モチロン映画をはじめとする映像芸術に影響を受けて生まれた視点だ。「月食の日」は後半、皆既月食が始まるあたりからまさに視点が「月」視点になる。意欲的な試みだ」

司会者「あと、やたらデティールが細かいですよね。今までも地名や料理の名称や音楽などにこだわってきた作者ですが、この作品は本八幡駅周辺からほとんど出ないにも関わらず異常に具体的です」

kenzee「今までになく、抽象的な世界ですよね。「この主人公はこんな経験を通してこんなに人間的に成長しました」みたいなまとめができない小説です」

kenzee教授「日常と非日常との往還、他者との関わりのなかで成長する人物、そして人物の来し方、追憶。こういったワザがこの作品ではストレートには使われない。まるで雲に隠れた月のように何重にもフィクションに折り重ねられ、描かれる。とくに前半は次々に現れる人物と設定を理解するのに疲れるが後半の地球儀のシーンのあたりから静かにそれらが活かされ、盛り上がっていくさまは純文学ならではの迫力だ」

司会者「じゃあ明日は地球儀のシーンあたりの話から、ということで」

kenzee「コレ、木村先生の前のコメントによると年明けから取り掛かってたってことなんだけど、うだるような夏の暑さの描写が魅力的なんですよね。今年の冬はクソ寒かったというのに見事です」

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