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2008年7月31日 (木)

第三回kenzee賞講評その他

kenzee「Lydwineさんが復活しないのでオレが雑記をやるか」

司会者「アンタもサボりまくりじゃないか。エート、だいぶ間が空きましたけど、なんでkenzee賞が柴崎友香「星のしるし」なのかってとこからお願いできますか」

kenzee「今年上半期の純文学シーンにおいて真に注目すべき、読まれるべき作品は「星のしるし」なのです。その前にkenzee賞の理念ってナニ?って話からはじめなきゃならないんだが、kenzee賞て大江健三郎賞と同様、オレ一人で選ぶ賞なのね」

司会者「そんなモンと比べんなよ!」

kenzee「なので完全にオレの独断と偏見なんだけど」

司会者「まさか……柴崎さんからお中元が贈られてきたんじゃ……」

kenzee「イヤ、ホント、エビスビールど~も~。生駒の両親と姉夫婦一家とお盆に飲みま~スって違うんだよバカ! 来るかそんなモン。オレ、前にもう今の非リアリズム文学とか理解できなくなってるって話したじゃないですか。で、柴崎さんて10年前そういう若手の潮流のひとつとして現れたって印象だったのね。モチロン、オレだって初めて柴崎作品に触れたのは文藝別冊の短篇じゃなくて「きょうのできごと」なんだけど。いわゆる通常の、ドラマツルギーを排した、異常に写実的な、写真を次々に見せられるような作風だったワケです。オレはこんなもんそこそこ技術のある作家だったらできるだろうと大して注意を払うとはなかった。それに柴崎作品は今も昔もそうなんだけどある程度裕福な中産階級の人々しか登場しない。ようするに一戸建ての家で生まれ育って、庭に犬飼ってるような階層ね。いわゆる大都市郊外のニュータウンで育った人々の物語なんだ。で、自分がまったくそのとおりの環境で育ってきたので柴崎ワールドを嫌悪すれども他人事とは思えなかったのだよね。オレが生まれ育ったのは奈良県北部のベッドタウンなんだけど。で、あの辺って成金の集まりなんだよね。で、オレの中高生時代ってバブル&バブルの崩壊と見事にリンクしてるんだ。オレ、中学生の頃とか普通に学習塾とか行ってたんだけど、大学生とかがバイトで先生やってるでしょ? オレの行ってたトコはナゼか同志社の先生が多かったんだけど」

司会者「藤野可織さんや丹下健太さんの出身のトコですね」

kenzee「ウン。その昔、関西の赤軍の拠点とも言われ、頭脳警察がライブやったりしてたという。でね、その頃って(’88~’89)大学生の分際でソアラとか乗ってたり、シーマ乗ってバイトに来る先生とか今の感覚でいったらメチャクチャなことがフツーにあったの。なんかみんなテニスサークルに在籍しててポロシャツのエリ立ててるみたいな」

司会者「ホイチョイの漫画じゃないスか!」

kenzee「あの時代スゴかったね~。今、東浩紀さんがやってるゼロアカ道場ってあるじゃないですか。アレ、すごい面白くてズーっとチェックしてるんだけど、アレに出てくる人ってバブル以降にものごころついた人たちなんだよね。一人、元証券会社のトレーダーて人がいるけど。でも、あの、バブルのものすごさを知ってる人はいない。主催者の東さんぐらいなんだよね。でね、東さん、柴崎さん、木村さんとかオレとかって3つぐらいしかトシ離れてなくて世代的には一緒と考えていいんだと思うんだけど。一番多感なときに見てきた風景っていうのが一緒だと思うのね。で、今、東さんが育てようとしてる「ゼロ年代」とかいう人々ってそこと断絶してるんだよ。悪いって言ってるんじゃないよ。悲しいことに断絶してるの。多分、95年の阪神大震災とオウム事件あたりを境に。宇野常寛さんなんて人は東さんを追い落とそうとしてるみたいだけど宇野さんはバブルのメチャクチャな感じを知らない。あの、バブルのムチャクチャな感じを知ってるかっていうポイントは意外とでかいんじゃないかなあ。で、東さんの現在の脱力感もその乖離感をわかれば理解できるっていうか。今、文學界でやってる東浩紀の連載のタラタラぶりも理解できますよね。たった15年ぐらいの間に世の中変わりすぎだろ!っていう」

司会者「でも、いつまでも世代とかその時代に拘っていたのでは現代文学の評論などできないのでは。藤野可織や円城塔といった先鋭的な現代文学を理解するためには「時代と寝ていく」ことも大事なのではないかと思います。柴崎さんだって今の人たちに自身の作品を読ませようと必死なのだと思いますよ」

kenzee「オレは、オレのひと世代上、つまり阿部和重とか中原昌也とか吉田修一とか角田光代とかいった人たちには敬意を払っているんだけど、それはオレより上にも関わらず「現代性」を保っているからさ。大体、円城さんだってオレより年上だし。「星のしるし」が優れているのは、この10年間で柴崎さんが身につけた小説のスキルが凝縮されていて、ちゃんとまっとうな、ベタなリアリズム小説足りえているところ。楊逸の小説が歴史や時代を描いた大作という評価なら、柴崎作品だって負けず劣らずなんだよ。わかりにくいけど。オレは「星のしるし」の登場人物たちは他人事と思えないんだ。柴崎作品だからフワフワしたようなとこもあるけど読むに値する作品だよ。なにより最近の変化球投げてくる若手なんか太刀打ちできないほど上手い小説です。オレは藤野さんや円城さんや谷崎さんのやってることを否定する気はないよ。でも、きっと彼らは直球を投げれないだろうという予想もつく。昔、野球部のヤツに聞いたけど、変化球というのは練習すれば誰でも投げれるようになるらしいね。でも、ストレートの直球というのはホンモノの才能がなきゃ投げれないんだよ。素人ほど変化球に目を奪われガチだけど、直球のスゴさは理解されるのに時間がかかるんだ。楊逸の作品にも言えることだがね。もし、これを読んでる人で「オレは小説の目利きだ」と思ってる人がいるなら「星のしるし」を読んで欲しい。柴崎作品だとかいう先入観なしに。いかに柴崎友香という作家が縮小再生産で延命してるんじゃなくて、常に、「柴崎小説」を更新していく、リアリティーを追求する作家だ、ということがわかると思う。まあ、楊逸受賞を聞いて「デキレース」じゃん。北京オリンピックじゃん、とか言ってる自称書評家みたいな連中には「星のしるし」の切実さは一生理解できないだろうがね」

司会者「トヨザキとかですか」

kenzee「このブログはAll Aboutの純文学カテゴリにリンクを張られているワケだが、ここのガイドの石井千湖さんは豊崎由美の生徒さんらしいんだよね。いつも当ブログではトヨザキの悪口ばっかり言って申し訳ないんだけど。でも、最近のトヨザキさんはあんまりにもヒドいんで、苦言を呈させていただきますけどね。別にトヨザキが「時の滲む朝」を気に入らないのはしょうがない。小説なんて趣味のモンだし。好き嫌いあるし。でも、評価と感想は別モンなんだよ。そんな基本ルールイチイチ説明しなきゃならないのが悲しいんだが」

司会者「ここで音声ファイルがアップされてるようですが」

kenzee「で、そこでもどーでもいいようなことくっちゃべってくワケだが。あのー楊逸作品が芥川賞候補になる前にレビューをアップしてきたオレに言わせていただければですね、「北京オリンピックと「時の滲む朝」とどう関係あるんだよ!」と。アホかと。スタジアムで本読むのかよと。じゃあアレかね。去年、「時の滲む朝」が発表されていればトヨザキ的には納得なのか? ゴメンだけど去年の今頃なんて「楊逸」などという作家は影も形もなかったんだよ。大体、トヨザキってロクに小説とか読んでないよ。原稿読みゃわかるじゃん。ホンット石井さんには申し訳ないんだけど。「時の滲む朝」を余計なノイズカンケーなしに素直にテクストに向き合えばわかることなんだけど、アレ、民主化運動や天安門事件に言及した政治小説じゃないんだよ。アレは非常にアメリカナイズされたニューシネマ的な世界なの」

司会者「トヨザキが小説を読んでいないことは音声ファイルのインタビューでもハッキリわかりますね」

kenzee「60年代のアメリカにも公民権運動というものがあってね、そういった社会を背景に「イージーライダー」や「俺たちに明日はない」とか「ファイヴイージーピーセス」とか「真夜中のカーボーイ」といった低予算だけどリアリズムに根ざした映画が量産されたの。音楽も然り。50年代のポップミュージックといえば「ボクのカワイイマシュマロちゃん」みたいなナメた歌謡曲しか存在しなかったところにビートルズ、ストーンズ、ドアーズといったバンドたちが当時の若者たちのリアリズムを叩きつけていたワケなの。日本の若者たちも影響を受けた。全共闘に代表される学生運動、ニューシネマに影響を受けた60年代~70年代のATG映画、URCに代表される日本のロック、フォーク。そういった40年前の西側諸国のユースカルチャーの空気を20年近く遅れて89年に中国の若者たちも吸っていたということにオレは驚いたの。「自由とはなんであるか」というのは永遠の文学のテーマだけどそれは民族とか社会体制を問わないんだね。トヨザキにはガッカリだよ。あのオッサンには(オバハンだっけ)なにも読めちゃいない。面白いことを言って他人の気を惹きつける芸人ではあるかも知れないがね。「尾崎豊ネタも日本人に媚びたんだろう」とか文句つけるのも聞いててアホらしくなるよ。じゃあ、なんだったらよかったの? 日本へ旅立つ浩遠に志強がなんのカセットを渡せばよかったんだよ」

志強「浩遠、これは日本の音楽のカセットさ。オレたちの魂のロックさ」

浩遠「原爆オナニーズ」か……。ブランキージェットシティの中村達也が在籍してたバンドだな。ありがとう志強。これで日本語を勉強するよ」

オカシイだろ!? なんだったらよかったの? 殺害塩化ビニールだったらいいのか?  「やっぱ頭脳警察ヤベエな」とか言うのか浩遠が。そんなもん手に入るか中国で。 尾崎豊でいいんじゃない? トヨザキの読書感想文にイチイチケチつけるのもどうかと思うけど重箱のスミ突いてなにか言った気になるのもいいかげんにして欲しいね。サブカルチャー業界の人間ほど直球投げられると困るんだよ。だってメシ食いにくくなるからな。でも悪いけど楊逸のような直球投げれる若手って今の日本にはいないんだよ。日本は教育レベルが高いんで上手い人はやたら上手いけどね。「時が滲む朝」のような血の滲む、人生経験の元手のかかった小説を書ける人は残念ながらいないのね。圧倒的な個性を有する以上、賞獲るのは当然なの。それにしても「中国人だからオリンピックでドウタラ」とか「文春だから版元だからウンタラ」とかイイカゲン笑えない2チャンネラーレベルの発言繰り返しててムナしくならないのかねこの人は」

司会者「元から物書きとしての矜持というものがないのでしょう」

kenzee「悪いけど皮肉みたいなこと言わしたらオレはトヨザキの100倍くらい面白く書けるよ。でも、オレあんまりやる気ないんだ、ソレ。だってニヒリズムって感染していくんだよ。で、なんにも生み出さないの。皮肉って簡単だもん。アホでもいえる。偏差値30でも言えるよ。だからこそなにかを生み出すっていうのは価値あることなんだよ。豊崎由美さんや大森望さんのような名前のある人ほど、世の中を……世の中ってイヤになることばっかりだけども、人生って大体クズみたいなことばっかりだけども、少しの知恵で面白くなる、やり方次第で充実する、ということを示していただきたいね。若いヤツをダマすのがプロなんだよ。人生というのは本当はすごくリアルで素敵なものなんだよと勘違いさせるのがプロなの。今は誰もがそういう矜持をなくしてしまった。関係ないけど東さんのやってるゼロアカ道場はそういったポジティブな志が見えるよ。大してカネにもならないだろうによくやってるな、あの人は。そんなモノスゴイ批評家があそこから登場するとはオレも思わないけど志を持ってリスクを負うということにね。カネを払って鑑賞するに値するエンターテイメントと感じるよ。柴崎さんくらいの年齢になってくるとね、二十歳くらいのときには思いもよらなかったことが自分の身に起きるんだよ。で、この10年の業績を考えれば柴崎さんのような人が今後、過去の遺産で食っていくことは割とたやすいことなんだ。そうやって再生産して糊口を凌いでいる作家もたくさんいるよ。でも、柴崎さんは更新していくことを、本当のところはどうなんだろうと、考えていくことを選んだの。「星のしるし」とはそういう小説なんだ。ということは保坂和志も誰も言わないけどさ。まあ、オレが言いたいのは「これ以上、生きていてもロクなことはなさそうだけど、我々には小説でも映画でも音楽でもなんでもいいけど膨大な文化の蓄積を手にすることができるでしょう? それは人生をよりよく生きていく知恵のかたまりなんだよ。「くっだらねーなんだよ今回の受賞結果」とかブーたれるよりいい時間を生きる方法をいくつでも我々は知ることができる。とりあえず「星のしるし」を読むといいね。今回のkenzee賞はそういう理由です」

司会者「この上半期において柴崎友香は完全に黙殺されてしまいましたが。いい仕事してるんですよね」

kenzee「2ちゃんねる以降、皮肉を言うほうがエラいみたいな風潮ありますけどね、もうこればっかりは大間違いですから」

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コメント

社長メッタ斬りと原爆オナニーズに拍手(笑)ところでトヨザキさんて何で「社長」と呼ばれているんでしょう。浅井健一が
「ベンジー」ってのと同じくらいナゾです。

『星のしるし』を私も読んだのですが、
Kenzee評を読んだらですね、
柴崎さんの過去の作品から読み続けている人じゃないと、ちょっと、本当の良さはわかりづらい作品なのかもしれないと(初めて読んだ)私は思いました。


投稿: 木村紅美(本人) | 2008年7月31日 (木) 12時30分

文章は非っっ常に上手いし、真摯に書かれてるのも伝わってくるのだけれど、
モヤモヤしているような・・・掴みどころが
ないような・・・私は読み終わったあと、
かなり暗い気持になってしまった小説だったのです。
評を読んで、いくつか、「なるほど」「こういう変化を経てきて書かれた作品なのか」と、ハッとさせられた箇所があります。勉強になりました。

投稿: 木村紅美(本人) | 2008年7月31日 (木) 13時53分

つか、連続書き込みスミマセン(焦)
「掴みどころがない」って、そりゃ、
拙作『月食の日』にも当てはまるのかも
・・・
ついでに書いてしまうと、「月食」=
「欠けているもののメタファー」という
読み方は、作者としては、いちばんつまらない感じがします。勿論、どんなふうに
読まれてもかまわないですけどね。

投稿: 木村紅美(本人) | 2008年7月31日 (木) 20時55分

今日のブログには素直に感動いたしました。特に「直球云々」のあたり。物書きを目指している者にとってど真ん中のストライクでした。残念ながら振り遅れの空振りばかりですが、いつかジャストミートしたいです。
柴崎さんはまだ未読ですが、ぜひ読んでみます。楊逸さんはワンちゃんしか読んでませんが、表現云々以前に力がありますよね。
生きざまという言葉を思い出しました。

投稿: くうたろう | 2008年7月31日 (木) 21時38分

木村先生。
「社長」は態度が尊大だからだそうですよ。私が働いている創業50年の食品メーカーの社長は外の人間にはメチャメチャ腰が低いことで有名ですが。
「ベンジー」は映画「グローイングアップ」の主人公ベンジー少年に似ている、という理由からです。「どんと」(故人)が「ロッドスチュアートに似ている、でもドン臭いから」という理由でそうなったのと同様ですな。ボクの1993年のフェイバリットアルバムはブランキーの「C.B.Jim」と小沢「犬キャラ」で、ソウルフラワーユニオンの「カムイイピリマ」は一回聴いただけで売り飛ばしちゃいマシタ!(ゴメンネ)
「星のしるし」以前の柴崎作品は読まなくていいですよ。多分、木村さんはキライだと思うな。でも、コイツは違うなーと思っててもトシとると共有する部分も増えてくるのが人生の不思議なアレでね。
 ワタシ、記事書くときに自分に課してることがあって、「この作品にたいして誰もが持つであろう感想(時が滲む朝なら天安門事件ウンヌン)をあえて避けるというもので。ベタを意識的に避ければ自動的に個性的なレビューができあがるのです。月食→欠落のメタファーって一番、言うとサブいポイントなんですよね。

投稿: kenzee | 2008年8月 1日 (金) 03時55分

くうたろう様。
感動していただいてありがとうございます。
でも、ワタシ基本的にネタしかやりたくない人間でして、こういう罵倒の記事ばっかりやってるとコマッタ笙野頼子みたいになってしまうので極力新作のレビューを中心にやっていこうと思っているので…。今回は番外編ぐらいに思っててネ。
「時の滲む朝」は個人的な小説だと思います。「コイツァー商売になる小説だ!」とか言われてますが内省的な作品だと思います。誰もそういう風に言わないですが…。

投稿: kenzee | 2008年8月 1日 (金) 04時03分

態度が尊大(笑)(笑)(笑)
あと、楊さんをあんまり「青木さやか似」どうこう言ってるのは、酷すぎますよね(川上未映子さんを「椎名林檎似の、でも全然売れてない歌手」とは言わなかったのにね?)
それこそ作品とカンケーない。小学生のいじめっこレベルではないですか。たしか、『こんなに読んでどーするの?』とかいう題の著作を出しておられますが、「小説を読みすぎると、こーゆー大人になってしまうのか。。。」とドン引きして、小説を手に取らなくなる人が増えたら、どーしてくれるのでしょう。

投稿: 匿名作家 | 2008年8月 1日 (金) 12時29分

匿名作家さん。
豊崎由美は膨大な量の小説を読破していることになってますが、アレはやり方があります。説明が難しいんですが通常我々が行う「読書」とは違う「商売読み」とでもいうものです。「速読」とかともちょっと違うんですが。優れたDJが大量にレコードを試聴して内容と良し悪しを完璧に把握しちゃうといような能力に近い。新人賞の下読みなどには絶対必要なスキルなのです。
 まあ豊崎さんがホントは大した読書などしてきてないだろうということは本読めば想像つきますし、笑えない冗談でスベリ倒すのも一向に構わないのですが、芥川賞候補作ぐらいはもうちょっとコシ入れて読んできてもバチ当らないんじゃないですかね。
 ていうか今回の記事は別に豊崎バッシングの予定じゃなかったんですけどね。まあ、「オレはこんなにスベリ知らずなのにあの人はなにレビューさせてもスベリまくりだなあ」と思うだけで。

投稿: kenzee | 2008年8月 2日 (土) 02時55分

kenzeeさん、こんばんは。
『メッタ斬り』の弊害で楊逸の受賞なんて全部文春の商売戦略で決まっていたとかほざく人が増えて困りますよね。
そこいくとkenzeeさんは作品と向き合った上で評価を与え、その上で柴崎さん『星のしるし』にkenzee賞を与えていて、とても真っ当♪
それに、柴崎さんといえば、このブログの2007年6月30日掲載の「関西女道(柴崎友香『主題歌』評)を傑作認定している私としましては感慨深いものがあります^^
「関西女道」はこう始まっています。

「関西の女には気をつけろ」

関西人の女性には極力関わらないほうがよい。これは古くからの言い伝えであり、また人生の真実である。キミは関西人の女性を知っているか? 関西人の女性と付き合ったことがあるか? ワタシはある。大変なことになる。あなたがナイーブな文学青年なら身も心も覚せい剤のように蝕まれ、こう言うだろう。

「人間」ってこんなに大雑把でクドかっただろうか?

そして傷つきやすい心はケロイド状にただれ、淀川に入水自殺することになる。悪いことはいわない。関西女に近づいてはいけない。彼女らは女性の皮をカブった横山やすしなのだ。
「西川きよしがいないときの横山やすし」「飛行機に乗らない横山やすし」「タクシー運転手をシバかない横山やすし」と言えば解りやすいだろうか。

↑もしまだ未読の方は、2007年6月30日へプレイバック♪

投稿: 蘭丸 | 2008年8月 2日 (土) 22時02分

蘭丸さん。
まあ、あのこのままだとトヨザキバッシングサイトみたいになってしまうので、いいじゃないですか。水死体に水かけるみたいなことは。イヤ、決して豊崎由美が水死体だと言ってるワケなんですけどね。
 「星のしるし」は見事な小説だと思ったんだがなあ。「副社長」の人物描写は良かったなあ。最後お母さんが黙ってシンクに少ししかない洗い物をし始めるシーンは小説でしか表現し得ないものでね。「本当のところはどうなんだ!」と問い続けるのがロックンロールの価値観なのですが、そういう視点から鑑みれば尾崎豊も楊逸も柴崎友香もロックンロールなのです。キース・リチャーズいわく、「ロックするのは簡単だがロールし続けるのが難しい」過去の、例えば鷺沢萌とか堀田あけみとか俵万智とかはロックしたかも知れないがロールは出来なかった。柴崎さんは40代をもう睨んでるですよね。そういった姿勢を文学的価値とは認めないみたいですよ。文壇というところは。

投稿: kenzee | 2008年8月 3日 (日) 17時27分

kenzeeさん、こんばんは。
う~ん。「火に油を注ぐ」と言わずに「水死体に水をかける」と言って対象を水死体だと締めくくるのは芸ですね(笑)
ただ、上に書いたようなことを偉そうに語っている人がいて、実際プンプン気分だったんですよ、私は。ま、このへんでやめにしておきますけども。
それはそうと、よく考えてみたら今年青山ブックセンターで行われた群像主催の鼎談出席者のうち二人がkenzee賞を受賞したことになりますね! すると最後の一人・山崎ナオコーラの今後の作品が楽しみになります。^^ まだかなあ、現代の源氏物語。
ところで一つ質問があります。「本当のとこはどうなんだ!」と問い続けるのがロックンロールの価値観とありますが、そのようなコンセプトはいつどのような場所で固まったきたものなのですか? もし簡潔に答えられたらお願いします。私もどこかで使ってみたい言葉ですので(笑)

投稿: 蘭丸 | 2008年8月 3日 (日) 23時24分

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