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2008年7月 4日 (金)

やっつけじゃないッスよ(磯崎憲一郎「眼と太陽」文藝夏号)

司会者「蘭丸さんから業務連絡がありました」

kenzee教授「タラタラやってるうちに芥川賞候補でちゃったじゃないか」

kenzee「ゴメンネ~。でもいつもそうなんですけど候補が発表されるとこのブログのアクセス数がハネ上がるんですよ」

司会者「Lydwineさんとこもそうらしいですよ」

kenzee「で、昨日は300アクセス越えてたワケ。ログ見たらやっぱり検索ワードで「津村記久子」とか「楊逸」とかで。楊逸とかgoogleとかyahoo!で検索するとかなり上位に来ちゃうんですよウチの記事が」

kenzee教授「で、フタ開けたらコントだった、と」

kenzee「で、そっから淘汰されて新規の読者が増えたりするっていう流れがパターンになりつつあります」

司会者「しかし計画通りに物事を進められない人ですねえ。芥川候補前にkenzee賞発表するつもりだったんでしょう?」

kenzee「ウン。一応こういうラインナップのつもりだったんだ。

柴崎友香「星のしるし」・木村紅美「月食の日」・円城塔「烏有此譚」・磯崎憲一郎「眼と太陽」・楊逸「時が滲む朝」・西村賢太「焼却炉行き赤ん坊」(津村記久子は前回kenzee賞受賞者のため除外)

この6作がkenzee賞候補です」

kenzee教授「柴崎友香はかなりガチ気分で引っ張ってみたんだが芥川候補ムリだったなあ……」

kenzee「結構真剣に残念。でも木村先生が初候補に輝きましたから。ヨカッタネ!」

司会者「石原慎太郎とかが読むワケですね「月食の日」を」

kenzee「選考・発表は7月15日7時のNHKニュースですね!」

kenzee教授「で、やっと磯崎作品にとりかるワケだが例によって文藝作家ファイルを見ると池田雄一氏によるこんな記述がある。

 (文藝賞)授賞式で「オレだってこれがいいとは思ってないですよ」と文芸評論家の石川忠司に食ってかかっていたその負けず嫌いに期待する。(文藝作家ファイル)

司会者「オットコ前じゃないですか!」

kenzee「石川忠司が磯崎さんになにを言ったのか気になるね」

kenzee教授「まあこのブログほど失礼なことは言ってないだろう。じゃ、「眼と太陽」梗概いくよ。「私」は日本企業に駐在員としてアメリカ・ミシガン州に住んでいる。日本に帰る前にアメリカの女と寝ておかなければならないと考えていたがデトロイトのクラブで出会ったトーリとそういう関係になる。トーリは印象的な眼をしていた。彼女は日系のメーカーの工場の現場責任者のようなことをしている。トーリには離婚暦があり、ミアという子供がいる。私はアメリカで素晴らしいのは車の運転が楽しいことと、夏の日がいつまでも暮れない、日没寸前の美しさだと思う。北へ車を一時間ほど走らすとドイツ移民の村がある。そこには一年中クリスマス用品だけを売っているクリスマス用品専門店がある。私とトーリとミアで行ってきました! そこは平屋で体育館ぐらいの広さでたいしたことねーなーと思ってたら扉の向こうにまた同じくらいの売り場がある。それがさらに何度も続くのだ。ナンジャコリャ? その帰り道。私の運転する車は中年の女性の車にぶつけられた。すぐ警察が来て私とトーリとミアを救急病院に運んだ。その診察室で私はトーリの剃り残した黒い腋毛を発見した。そのとき私は直感的に「この秘密を知ってしまったからには結婚しなければならない」と思った。ところで事故の件だが、私はツェッペリンのマネージャー似の弁護士に相談するのだがアメリカ人が日本人に対して抱く差別意識についてその弁護士から聞かされる。公聴会の日、私は裁判所の外で待っていたのだが弁護士は遅刻してしまう。そして裁判所の中から現れた弁護士は、私の無罪を告げ、私はナゼか周囲の人からハデに祝福される。ある日、私は同じ会社の遠藤さんと出張でニューヨークに行く。韓国系のマッサージ店に行ったあとチャイナタウンで食事をしながらトーリとの結婚について遠藤さんに相談する。すると、遠藤さんは自分の恋愛体験についてエンエン語り始めます。そのエピソードだけで一篇の短篇小説のようだ。まあ、ピアニストの女性とつきあっていたのだが、彼女の心変わりで別れちゃったと。ただ、駅で彼女を待つシーンと父親が現れて俺(遠藤)を抱きかかえて去っていくシーンは印象的だ。2001年の春、私とトーリは結婚した。そしてその年の暮れに日本へ帰国することになった。出発の日の朝、家具からなにからなにもなくなった家からミアが消えた。私とトーリは必死で探し回った。庭には小さな犬がいた。そして見つけた、と思ったミアはよく見たらトーリだった。「ミアならずっと部屋にいるわよ。アナタ風邪ひくわよ」俺は間違えた。やはり眼かな。飛行機は定刻通りに雪の中、飛び立った。雲を抜けると太陽が輝いていた。(了)

司会者「例によって変化球です」

kenzee「一見、村上春樹の影響を受けた一連のスカした系作家、片山恭一とか大崎善生とか平中悠一といった名前を思い出す雰囲気だが、やはり磯崎氏の作品だけに一筋縄ではいかないね。一応恋愛を巡るストーリーなんだろうけどつかみどころのない変わった展開だ。でもこんなヘンテコな小説がドードーと芥川賞候補になってるってのもスゴイね」

司会者「じゃ、明日はコレはなんの話なんだというところから」

kenzee「石川忠司はなにを言ったのかなあ」

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コメント

突然異常なアクセスが解析に表れて、なにごとかと思うと、芥川賞候補の発表なのですよね。まぁ、うちはリピート率が極めて低く、kenzeeさんがいう淘汰が激しいので、ほとんど残りませんが・・・。

さて、今年は何かとお騒がせの中国が旬ですから、ここは文藝春秋社もそれに便乗して、楊逸で決まりかな、なんて、姑息な予想を立てています。
2作目で、天安門を書くというのも、今が勝負時だといった編集者の入れ知恵があったのではないか、とまで勘繰ってしまいます。私としては、もうすこし手を抜いたネタで勝負して、天安門は3作目あたりに温存したほうが、のちのちのためにはよかったのではないか、なんて思っているのですけどね。単行本「ワンちゃん」には同時収載作があるそうなので、3作目と捉えることもできますけど。
そこで、kenzeeさんに質問ですが、楊逸は、今後「時が滲む朝」並かそれ以上の小説を書けると思えますか? 5年後や10年後ではなく、2年以内にそれができるでしょうか? 私は「時が滲む朝」を読んでいないので、なんともいえず、kenzeeさんのご見解を承りたいです。彼女のひたすら主題論的なガチな小説作法で、天安門以上のなにかがあるでしょうか?
あっ! もし今回とり損ねたら、秋から年末の間に、北京オリンピックを背景にして、チベット問題でも書くかな? あるいは、四川地震かな? そうしたカードもあるかもしれませんね。

投稿: Lydwine. | 2008年7月 5日 (土) 19時01分

Lydwineさん毎度どうもありがとうございます。
 芥川レースはどうやら楊逸シフトのようですね。楊逸のことを考えるとやっぱり大陸とつながってる土地で育った人にはかなわんな、という感じがします。いくら日本語で書かれていても海外文学なんですね楊逸は。天安門事件は楊逸氏にとって重要な人生経験で今回の作品が必殺のネタで勝負した勝負作品なのは間違いないと思います。100枚規定の文學界新人賞では使えなかった本気の一作だろうと思います。あれだけの(200枚ぐらい?)文量になるのも必然で。良質の青春小説でした。
>楊逸は、今後「時が滲む朝」並かそれ以上の小説を書けると思えますか? 5年後や10年後ではなく、2年以内にそれができるでしょうか?
 私は書き手ではないので、作家が必殺ネタを放出したあとどういう状態になるのか見当つきせんが、楊逸のようなガチガチのリアリズム作家ほど必殺ネタを早いうちにだしてしまうものなのではないかと思います。そして意外とパッタリ書かなくなったりするかも。Lydwineさんの専門の映画の話に例えるなら私には楊逸が70年代の、学生運動に敗れた団塊世代の映画人と重なって見えるんですね。「時の滲む朝」は長谷川和彦にとっての「青春の殺人者」、大森一樹にとっての「ヒポクラテスたち」、神代辰巳にとっての「青春の蹉跌」……みたいな作品なのかな。でねえ、ああゆう人々って20代で必殺ネタを放って、その後何十年も新作が撮れなかったりするじゃないスか。あるいは大森一樹や根岸吉太郎のように商業作家に転向するか。楊逸の場合、必殺ネタが正当に注目されているわけですから幸せな作家人生と言えるのではないですかね。「時が滲む朝」でロマンチックだなあと思ったのは「たった1週間の運動が彼らの一生を変えてしまった」てところですかね。だからまあ、質問の答えとしては「パッタリ20年ぐらい書かなくなる」またはエンタメ(この人の場合は中間小説?)で量産型作家となる」つまり「2年以内に今作を越えれるか?」といわれればNOだと思いますよ。いずれにしても「時の滲む朝」は楊逸の代表作となると思います。なんで私が楊逸を取り上げるのかといえば現在「非リアリズム」とか言われてる若手の小説が理解できなくなっているからですね。一見、ブログでは飛ばしているかに見えるアレですが私は結構ベタに泣かすヤツが好きなのです。だから今の柴崎友香が気になったりするのでね。そんな私が「眼と太陽」をレビューしなきゃならんのもまた人生。
 

投稿: kenzee | 2008年7月 6日 (日) 03時40分

映画が専門と言うことはまったくないのですが、それはともかく、かつて村上龍がデビューまもないころに、誰だったか忘れましたが、たしかアメリカの大物作家に会って、その人に、3作目が勝負だみたいなことを言われたそうです。そういえば、当時の連中で、今や ビッグネーム化している連中を見ると、3作目がなにかだったのですよ。村上龍なら「コインロッカー・ベイビーズ」、村上春樹「羊をめぐる冒険」、高橋源一郎の「虹の彼方に」(第一回三島賞受賞作)。村上春樹は、それを超えましたけど、他の連中は、超えたと明らかに言える作品を書いたとも思えない。それでも、書き継げている。そう考えると、楊逸もそうした計算をしてもよかったのではないかなぁと思います。
ところで、楊逸の大陸性ということでは、たとえば、アメリカは移民の国ですよね。民族性がそのまま文学になりえる土壌といってもよいかもしれない。楊逸は、日本でそれを実践する可能性を持っていて、凄く可能性を秘めた人だと思うのに、「時の滲む朝」で潰れてしまうとしたら、それはそれで、とても残念ですね。アメリカやフランスにわたって活躍している中国人作家がいるなか、楊逸にも活躍して欲しいなぁと思うのですけど。

正直に言うと、芥川賞・直木賞とか文藝春秋社が好きじゃない私なのでした。

投稿: Lydwine. | 2008年7月 6日 (日) 12時30分

まあ同人で活躍されてる人々にとって文春とか講談社って複雑な存在なんでしょうね。
>3作目が勝負だみたいなことを言われたそうです。
 ユーミンさんも著書「ルージュの伝言」でそんな話をしてました。レコード一枚だしただけでは点で2枚目で線になる。3枚だしてはじめて面になるのだ」と。でも、計算してキャリアを築いてる人っているのかなあ。振り返ってみて、の結果論じゃないかと思いますけどね。レコード業界の場合、3作目ぐらいが知名度、業界シンパシー、アーティスト側のモチベーションとかがいい具合に合わさってブレイク、ということが多いのは確かですが、小説はどうなんだろう?
 私の場合は好きな作家に限って一作で消えていったり、単行本が秒殺で絶版になったりすることが多いので、「媒体に載る」ってだけで十分じゃないかと思ったり。今は無名に近い作家でも自分でメディアを簡単に持つことができるようになりましたが(ブログ、My Spaceなど)たった10年前なんて気がついたときには絶版、とかザラにありましたから。Lydwineさんが挙げたような世代の作家は業界内の立ち回り方が上手いってのもあると思いますよ。田中康夫とか。
 「候補になる」ということに価値があるとすれば(「候補になっても1円にもならないんだよ! スイカぐらい送ってこいって話だよ! 中原昌也談)必殺ネタなんかとっくにやりつくして新しいスタイルを模索し始めた矢先に候補になるっていう木村さんみたいな人かな。木村さんの場合もアレがデビュー作だったら多分黙殺されてたと思うけど現在の知名度、業界シンパシー、そして作家本人の新境地を切り開こうというチベーションのバランスが今は最強の状態なのだと思います。「存在を広く知らしめる」ということに関してはコレ以上のイベントはないんで、いずれにしてもイイことばっかりだと思いますがね。とか言いながらヒョッコリ津村さん単独受賞とかなったりするのが芥川賞のコワイとこなんですが。
 村上龍の「半島をでよ」は「コインロッカー」越えた!と思ったんですが…どうですかネ。

投稿: kenzee | 2008年7月 6日 (日) 16時56分

まず、面目ない。「半島をでよ」は、読んでません。村上龍は、社会派の純文学という、今ではきわめて珍しいタイプなので、応援はしていますが、たまーに気が向いたときにしか読めないんです。限りなくエンタメに近い純文学というのもいいんですけどね。
80年代あたりの作家のことで言うと、ちょうど芥川賞が混乱していた時期でもありましたね。単純に、村上春樹にせよ高橋源一郎にせよ、あるいは島田雅彦も、芥川賞を獲っていない。当時の受賞者って、全然生き残れていない。むしろ獲っていない連中が生き残っている。それは、少年マンガにおける集英社にも似て、戦略の脆弱さだと思えます。逆に、「少年ジャンプ」の作家食い潰しは、それでも潰れないほどの才能の選別とも言えるかもしれませんが、新人賞だけで消えていく作家同様に、芥川賞を獲っても消える作家も多い現実が、問題だと思うのです。そうした戦略は、作家より、出版社の側にあるように思えます。とくに今回の楊逸には、それを感じて、彼女には消えて欲しくないな、と。
私の好きなタイプの作家ではないですが、ああいうひとがいてもいいよなぁ、と思うので。
木村さんの候補も、じつは、木村さんのこれまでの作風では長続きしないだろうと思え、それがあの作品で、純文学作家として今後があり得ると認められたということではないか、と思っています。

いや、今回の話は、私もまだ芥川賞のことなど、考えが足りないままなので、かなりいい加減です。このくらいにしておきましょう。

楊逸には、天安門をテーマにしてでも、他の作品を書くという選択肢もあるわけで、すぐに潰れるといってしまうのも、短絡かもしれませんしね。

投稿: Lydwine. | 2008年7月 6日 (日) 17時35分

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