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2008年8月18日 (月)

なんとなくつぎの著者にクリスタル

kenzee教授「久々に円城塔「つぎの著者につづく」を読み返してみた」

司会者「このブログ史上もっとも難解で奇妙な作品でした」

kenzee教授「単行本に収録された際に作者自身の手による註が付記された。これのおけげで膨大な引用から成り立つが結局破綻してしまう、作品中の言葉に倣えば「敗北」してしまう、永遠の未完の塔「バベルの塔」のような作品世界を知る手がかりを我々はつかむことができた。例えばyutakkoさんが冒頭の「ベコス」は「ロゴス」の暗喩ではないかと思われたようだが「ベコス」は註によればヘロトドス「歴史」松平千秋訳、岩波文庫。巻二(エウテルペの巻)二、三からの引用である」

司会者「プサンメティコスが二人の幼児を羊飼いに預けて人間の言葉から隔離して育てたとして最初に発した言葉が原初の言葉だという実験ですね。「ベコス」はプリュギア人におけるパンの意味だったのでプサンメティコスはエジプト人よりプリュギア人をより古い民族と認めたという」

kenzee教授「このようにまるでサンプリングミュージックのように全編これ引用と参照によって成り立つ奇妙で衒学的な世界だ。SF作家として知られる円城氏だが引用の対象が広範で多岐に亘っていて圧倒される。フォン・アッシェンバッハのエピソードからyutakkoさんはヴィスコンティの名を想起されているがやはり註の7でトーマス・マン「ヴェネツィアに死す」8でルキノ・ヴィスコンティ「ベニスに死す」9で「この非三段論法(べきである。はずはない。にもかかわらず)がヴェネツィアに死す」中で直接的に言及されている箇所は見当たらない」と解説がある」

司会者「yutakkoさんの指摘に「マリオ」という名前がイタリア文学者で美術家のマリオ・プラーツの名を想起させる、とありますがこれは話者がプラハの古書店に立ち寄るシーンでその品揃えの凄まじさを示すのに挙げられる書名のひとつとして登場するS・マリオ「とどのつまりは何も無し」のことですね」

J・マビヨン師「メルクのアドソン師の手記」

M・テメスヴァル「チェスのゲームにおける鏡の効用について」グルジア語原本

P・メナール「塔の一つを除くことによってチェスをより豊かにする可能性についての技術的考察」

S・マリオ「とどのつまりは何も無し」

kenzee教授「↑の4つが挙げられているのだがこれらの書物も実在、もしくはエーコ「薔薇の名前」やボルヘス「伝記集」に登場する書名なのだ。ソランジュ・マリオ「とどのつまりは何も無し」(スタニスワフ・レム「完全な真空」沼野充義訳(文学の冒険シリーズ)国書刊行会)。この短篇もまたメナールについての言及を含んでいる、と註28にある。この調子で凄まじいまでの引用元が明かされていく。ざっと挙げるとこんな感じだ。最初に、

「つぎの著者につづく」註。複数の邦訳が参照可能である場合には入手の容易なものを挙げた。引用は原則として当該邦訳をそのまま使用したが、場合により若干の字句訂正を行った箇所がある。

と、但し書きがあり、次いで怒涛の書名攻撃が始まる。

ウンベルト・エーコ「完全言語の探求」、ヘロトドス「歴史」、吉本隆明「言語にとって美とはなにか」、ウィトゲンシュタイン全集八「哲学探究」、エドガー・アラン・ポー「黄金虫」、ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」、セルバンテス「ドン・キホーテ」、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ「ライプニッツ著作集」、R・A・ラファティ「つぎの岩につづく」、ルーディー・ラッカー「57番目のフランツ・カフカ」、フランツ・カフカ「掟の門前」「皇帝の使者」「町の紋章」「万里の長城」、J・R・R・トールキン「指輪物語」……。

ざっと拾っただけでもこの調子だ。小説以外の資料も多岐に渡る。Lydwineさんも当時読書雑記のなかで記事にしておられるが最後の転落するR氏の魂をbababadalgharaghtakammi~とナゾの凝音で表現していて「謎を解く気などさらさらない」と書いておられるがやっぱりネタがあってジェイムズ・ジョイス「フィネガンズ・ウェイクⅠ」(柳瀬尚紀訳、河出文庫)なのだ。冒頭転落部の柳瀬訳はこうなっているのだという。

「ババババベラガガラババボンプディドッヒャンプティゴゴロゴロゲギカミナロンコンサンダダンダダウォールルガガイッテヘヘヘトールトルルトロンブロンビッピカズゼゾンンドドーッフダフラフクオオヤジジグシャッーン」

司会者「↑コレを引用すればよさそうなモンなのにわざわざフィネガンズ・ウェイクの原典当ってちゃんとアルファベット表記するあたりのムダな労力がまさに円城ワールドの真骨頂です」

kenzee教授「これだけのナゾと一応の答え合わせまで用意されているのに、大森とかトヨザキとかSFファンを自認する連中はこの作品についてなんとも思わないのかな」

司会者「まーたトヨザキバッシングですか? いいじゃないですかもうあの人たちのことは! まさかそっち行くとは思わなかったよ」

kenzee教授「これらの資料をすべて読破した読者などいないだろう。多分この先も。一体どういう動機で書かれたのかさっぱりわからない。これだけ丁寧な解説を読んでも「つぎの著者…」のワケのわからなさは相変わらずだ。だが、単に作者の博覧強記ぶりを自慢するためだけの作品ではないと思う。そういうのは気配でわかるんだ。手がかりとして文學界7月号の座談会「リアリズム小説の挑戦状」のなかで円城氏はこんな発言をしている。

(「私」の扱いについてどう考えているか、という質問にたいして)

円城氏「前提となっている私小説のような「私」をダイレクトに書くという方法、それからその「私」を分解して書く方法というのがありますが、僕の場合、「私」とは集めてきて再構成するもの、という意識が強いですね。自分の想像がダイレクトに外側に繋がっているということには疑いを持っていなくて、疑ってもしょうがない。ただ、内と外の影響関係が切れたとしたときに、もう一度影響関係を再構成するにはどうすればいいのか、というのを考えます。そのわりに一人称で書いたりすることが多いのでいかがなものかとは思うんですが。(中略)(私)が構成される仕組みが気になる。

こういう発言から鑑みるに、「つぎの著者…」は円城氏の作家的自我がどのようにして構築されたのか、一種の自伝のようなものだったのではないかと思うのだ。自伝にしちゃあまりに風変わりだが」

司会者「自分とは読んだ本や好きなものの寄せ集めではないか、という藤野可織氏の私小説論とも通じるものがありますね」

kenzee教授「yutakkoさんの言うように「自己主張」はあるだろうね。なにしろ自伝だし。ただ、こんなヘンテコなやり方で自己を表出させる作家というのも稀有だ、ということは言えるね」

司会者「で、わたしからkenzeeに提案なのですが」

kenzee「エ? 連休中は新梅田食道街にて飲み歩きの旅に出ていたオレになんの用だい? しかし韓国の濁り酒マッコリは旨かったニャ~」

司会者「次回の予告をしてください。そうでもしないとアンタ永遠にサボりそうだし」

kenzee「次回のテーマは「芥川賞選評」だろ。どう考えても。珍しい人が珍しい人ホメたりしてるし」

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コメント

えっと、ご無沙汰しています。毎度、私の記事をご紹介いただき恐縮です。
ところで、教授に、2点ほど、指摘します。
まず単純な間違いと思われますが、「ヘロトドス」は「ヘロドトス」ですね。
それから、「げられているのだがこれらの書物も実在、もしくはエーコ「薔薇の名前」やボルヘス「伝記集」に登場する書名なのだ。ソランジュ・マリオ「とどのつまりは何も無し」(スタニスワフ・レム「完全な真空」沼野充義訳(文学の冒険シリーズ)国書刊行会)。」とありますが、これは微妙です。レムの「完全な真空」という本は、実在しない本について書かれた書評集なのです。したがって、「とどのつまりは何も無し」は、実在もせず、「薔薇の名前」や「伝記集」にも登場していない本であるというわけです。細かい点ですが、念のため、指摘しておきます。

投稿: Lydwine. | 2008年8月18日 (月) 07時33分

こんなおばさんの気まぐれな妄想と夢にお付き合いくださり恐縮至極です。
「ベコス」は絶対「ロゴス」のパロディだと思ったんですがねえ・・・。ヘロドトスですか。
 読めてないのですが、円城さんがやろうとしていることって、全体としてはわからなくもない、と(ろくに読みもせずに)勝手に思ってます。リアルと虚構の構造転換を目論んでいるのでは。私たちが実在する世界と思っているリアルを虚構にして、言葉によって構築された世界をリアルなものにしてやる!という、とんでもない野望。やっぱそこは「バベルの塔」ですから、倣岸不遜なお方なのですよ。なんかムカシ、「人生は芸術を模倣する」と言った人がいるんですが、そんなことなのかなと。
 kenzee教授の手になる「つぎの著者につづく・承前」、楽しみにしています。

投稿: yutakko | 2008年8月18日 (月) 17時17分

Lydwineさんお久しぶりです。
イヤ~タハハ~。そのようですね。どんな細かい註つけても猫に小判なのだった。出直します。あれらの作品群を読むのはさすがにムリそうですが(まともに集めたらいくらかかるんだ!?)R・A・ラファティ「つぎの岩につづく」(ハヤカワ文庫SF)とR氏のネタらしいルーディ・ラッカー「57番目のフランツ・カフカ」(「ラッカー奇想博覧会」ハヤカワ文庫SF)だけは興味深いですな。
yutakkoさん。よく書けたリアリズム小説よりこんな手のこんだ虚構のほうがあとあとまで引っかかるもんですよね。やっぱり作家は不遜なぐらいじゃないとダメですよ。

投稿: kenzee | 2008年8月19日 (火) 02時02分

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