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2008年11月28日 (金)

初めて浜崎あゆみをちゃんと聴いてみた。そしたら現存在があった(自分探しソングの世界(Part.3)

司会者「で、いよいよ浜崎論に突入するワケですけども。ブッチャケ後悔してるでしょ?」

kenzee「約3時間にわたってYou Tubeで浜崎映像を漁りまくった。おそらく今夜は夢の中でエンリケやヨッチャンが登場し、激弾きしまくることだろう。しかし映像を観て思うのは浜崎バンドのメンバーの脈絡のなさってどうなのよ」

司会者「一応今やってるのは「J-POPの歌詞から90年代の想像力を読み取る」というものなのでサウンドの話はあとにしましょう」

kenzee「前回、J-POPのリアリズム革命に言及した。98年ごろを境に「無垢である」ことを免罪符に「自分探し」を続けるミスチル槇原ワールド、出会いによって全てがチャラになるコムロワールド、ひっくるめてファンタジーソングと呼ぶが、これらの偽善性を暴こうとする表現が見られるようになるのだ。スガシカオや椎名林檎が代表的だ。彼らはその露悪的な態度で偽善的な価値観を転倒した。例えば、ミスチル的価値観においては「約束」は果たされるもの、または果たすべく努力すべきもの、と規定されるが、椎名林檎はハッキリと「約束は果たされないもの」と規定する。ミスチルは現在が辛くとも未来への希望を失わないが、椎名林檎は未来とは基本、不安定なもの、希望的観測が困難なものと規定する。スガシカオも同様で「自分探し」に疲れ果てた若者の姿を執拗に描く。コムロは「男女が出会えば、永遠にわかりあえるもの」という前提で話を進めるが、リアリズム革命ではディスコミュニケーションが描かれる。99年にはモーニング娘。の「LOVEマシーン」がメガヒットを記録する。従来のアイドル像の偽善性に露悪的に抵抗して見せた彼女たちはこの時代のリアリズムを体現していたといえるだろう。江藤淳の言うように彼らは「無垢」を偽悪的に否定することで「成熟」を体現した、といえなくもない。ところが浜崎あゆみの歌詞からは表面的には過去の価値観を偽悪的に否定しようという意思は感じられないのだ。だが、浜崎は多くの10代の女性から「偶像」としてではなくリアルな存在として受容されていたはずだ。多くの女子中高生にリアリティを与えていたのだ。しかし浜崎リリックにはコムロワールドの価値転倒といったストレートな批評性が見当たらないのでどこがリアルなのかオッサンのオレにはサッパリわからないんだ」

司会者「むしろ浜崎の歌詞はコムロあたりがサンザン使い古した言葉なども結構再利用してますし」

kenzee「で、オレの手には負えなくなってきたので文学者の方に分析していただくことにしました」

kenzee教授「というわけで文学者ですけど。エ~浜崎ソング、いろいろ聴いてみましたけど。で、kenzeeの論考も聴講した。でね、「自分探し」ソングの定義に戻りたいんだけど、まず自分探しソングはメッセージソングだよね。コレ、絶対条件でしょ? 槇原、ミスチル、コムロ、グレイ、ソリマチに至るまで基本、リスナーへのメッセージソングである。で、そんなファンタジーな世界観を否定する勢力が現れ、リアリズム革命が起こる。でも、そんな椎名林檎だって「アンチファンタジー」というメッセージを送ってたんだよね。「人間関係なんて危うくて未来なんて不安なものだろ!」というメッセージを。で、なんでそれが有効だったかというと転倒させるに値する前時代の価値観があったからなんだよ。つまり、椎名林檎まではまだ「自分探し」の連続性の中にあるのだ。そこでkenzeeは浜崎も椎名を始めとするリアリズム一派に含めて一件落着しようとしたのだろうが、そうは問屋が卸さないのが浜崎の凄さだ」

kenzee「その通りです。浜崎ソングを一通り聴いてみたのですが「メッセージ」が見当たらないことに驚いたのです。あれほど大量の同性からの支持を受けているのだからテッキリ浜崎ソングには「メッセージ」があるのだろうと踏んでたんです。例えば相田みつを的な。女子高生向けの人生訓のようなものが散りばめられているのだろうとか想像してたんですがちゃんと聴いたら全然違いました」

kenzee教授「実証的にちゃんと原典あたることの重要性だね」

司会者「(オマエが言うな)」

kenzee教授「浜崎の歌詞には椎名林檎やスガシカオのような明確な個性が見当たらないんだよね。でも浜崎ソングは爆発的なセールスを記録したんだよね。絶対意味があるはずなんだよ。そこでよく聴いてみた。そうすっと浜崎もコムロ同様、似たような話を繰り返すんだが、コムロソングが近代小説以前の物語(ロマンス)のようにプロットだけが肥大した世界であるのに対して浜崎ソングには構造主義でいうところの「語りの形式」が見られるのだよ。まず、浜崎ソングは「運命」を「宿命」として受け止めるフシがある。

 人を信じる事って いつか裏切られはねつけられることと同じだと思っていたよ(中略)一人きりで生まれて 一人きりで生きていく きっとそんな毎日が当たり前だと思っていた(浜崎あゆみ「A Song forXX」99年」

 それでも全てには必ずいつの日にか終わりがやってくるものだから 今日もまたこの街のどこかで 別れの道選ぶ二人 静かに幕を下ろした(中略)誰も見れないでいる だけど信じていたい だけど祈っているよ これが最後の恋であるように(浜崎あゆみ「M」00年)

 私たちは探しあって 時に自分を見失って やがて見つけあったのなら どんな結末が待っていても運命と呼ぶ以外他にはない 君が旅立ったあの空に 優しく私を照らす星が光った(中略)ふたりまだ見ぬ未来がここに残ってるから信じて 愛する人私の中で君は生きる だからこれから先もずっとサヨナラなんていわない(浜崎あゆみ「HEAVEN」05年)

 コムロやミスチルなら「運命なんて自分でよりよい未来を切り開くのさ~」などと能天気に言いそうだが浜崎は「別れ」だとかあるい恋人の「死」とか避けようのない運命をみつめるのだ。そこで解釈学でオナジミのハイデガーの理論を引っ張ってきたいと思うのだ」

司会者「久しぶりに「文芸誌をナナメに読むブログ」らしい展開になってきましたね」

kenzee教授「ハイデガーは人間の分析をするにあたって、「本来性」と「非本来性」に分類したの。「本来性」とは浜崎さんのように自分の意思で歌手という職業を選び取り、自分の人生を他の誰でもない「浜崎あゆみ」として在るというありかたのことだ。「非本来性」というのは逆で自分の存在を自分のものとしないでその場その場で調子を合わせるあり方のことだね。そして浜崎さんのような「本来性」を生き、自分の存在を引き受け、己に問い続ける存在者の在り方、これをハイデガーは「現存在」と呼んだ。このようにハイデガーの哲学とは実存主義的なのだ。なにしろ、後にサルトルやメルロ・ポンティが引き継いで発展させるくらいだからね。浜崎ソングはまだ付き合ってる最中なのに別れを予測して現在に意味を見出す、というような思考が先回りする傾向があるんだけど。ハイデガーは「自分の死」を先回りして関わり、本来的に了解することを「先駆的了解」と呼んだのだが、浜崎ソングにはこういった「先駆的了解」が散見されるのだよ。ハイデガーは「人間的な知は、常にこの先駆的了解から始まる」という。同時にその中からもでられない、と。その限界についても指摘している。ハイデガーの主著といえば「存在と時間」だが、ムチャクチャ要約すると「人間の存在してる意味、そして人間が存在することを可能にしているもの、それが時間性だ」という。人間がこの世界に存在するには「死」という可能性をめざしながら自分を見る、つまり未来を見る(到来)と同時に過去を見て(既在)自分の弱さを知り、同時に現在も見て(現成化)自分を解放する。つまり「過去を見つつ現在にある未来」(既在しつつある現成化する到来)というのが人間存在の意味だという話だ。このような時間性によって存在していると。そして我々の歴史性は「宿命」だという。そして共同体に共通した宿命が「運命」だと論じた。ひらたく言うとハイデガーの理論とは「先駆的了解によって死と相対し、理性を否定して「宿命」を受け止め恋人とは運命をともにしなさい」というえらいストイックな話だ。浜崎ソングは「自分を変えよう」とか社会を変革しようとかメッセージはない。その代わり、この時代に生まれたのも恋人と出会ったのもやがて訪れる別れも「先駆的了解」し、基本、自分の身に起こることは受け止めるんだ。ハイデガーは歴史性ではなく時間性を重視したのだが、浜崎ソングもまた過去、現在、未来の時間性のなかで描かれるのだ。浜崎ソングと「自分探しソング」との決定的な違いはミスチルなどがわかりやすいが過去の描き方で、まあ、失敗ばっかりしてるんですよね。コムロも。でも未来はきっと明るい、だから次の扉を開けよう!という論理なのだが浜崎にとって過去は「美しいもの」「輝いていたもの」なんだよ。そしてそれらは未来において喪失するものと運命付けられているのだ。

 今年もひとつ季節が巡って 思い出はまた遠くなった 曖昧だった夢と現実の境界線は濃くなった それでもいつか君に話した夢に嘘はひとつもなかった 今日がとても楽しいと 明日ももっと楽しくて そんな日々が続いてく そう思っていたあの頃 不自然な時代のせいだよと先回りしてあきらめていた (浜崎あゆみ「SEASONS」00年」

 君を咲き誇ろう 美しく花開いた その後はただ静かに散っていくから(浜崎あゆみ「vogue」00年」

 あの海へと続く道のり 無邪気に笑い転げて走り抜けていった 遠い夏の日 今も胸に残る幼き僕たち その先に待つ未来のことなんて知るすべもなく あれからどのくらい 何かを求めて 見つけてはまた失うことばかり 繰り返しだけど ここにある笑顔が教えてくれたよ 僕たちは今最も永遠に近い場所にいる(浜崎あゆみ「fairy land」05年)

 「SEASONS」において先駆的了解によって先回りしてあきらめる姿が描かれる。このように「自分探しソング」がタダの「居場所探しソング」に堕してしまっている現状に対して浜崎ソングは存在論的に自己同一性を問う、という哲学的な世界なんだね。ところでさっき、浜崎ソングは椎名林檎やスガやaikoと比べて明確な個性がない、匿名性の高い詞だと評した。そうすっと私なんかはアレ?神話?とか思うわけだが古典的構造主義における神話の研究でオナジミのノースロップ・フライによれば文学作品のもっとも普遍的な原型は自己同一性探求の神話だという。自己同一性の成就と喪失という両極を持つ探求神話は四季の循環に対応する4つの語りの形式からなり、それぞれ喜劇・ロマンス・悲劇・アイロニー/サタイアの4ジャンルに分類できるとした。「SEASONS」とか「HEAVEN」に特徴的だが浜崎は季節の話をよくするんだよね。アイロニーとは主人公が幸福を夢見ながら成就できない悲劇のことだが、こういうのを「冬の語り」と呼んだ。また無垢の楽園世界から喪失の現実世界へ向かう移行が語られるのは「秋の語り」だ。浜崎ソングは「春の語り」と「夏の語り」がスッポリ抜け落ちてて秋と冬しかない、神話の分類でいけば悲劇しかない世界なのだ。ちなみに「冬の語り」のアイロニーで代表的な作品はオーウェルの「1984年」スタインベックの「二十日鼠と人間」が該当する。「秋の物語」ならばソフォクレス「オイディプス王」、シェイクスピア「ハムレット」が代表だ。浜崎ソングは……これはマーケティングによるものなのかそれとも浜崎さんが生まれながらに神話を内臓した天才作詞家なのかわからないけど最大公約数みたいなところがあるんだね。オレは思うのだがスガシカオや椎名林檎の歌詞は非常に独創的で、また国内でしか通用しない要素も多く含むので国境を越えることはないと思うんだ。だが神話的構造に根ざした浜崎ソングはうまくすれば国境を越えるのではないかと思う。で、このブログを最初のころから読んでる人はウスウス気付いてると思うけどオレは基本、マルキシストなんだよ。マルクス主義ってむしろ今こそ有効だと思ってる。そこで次回は「マルクス主義的視点から自分探しソングはこう聴こえる」という話をして、コムロ逮捕からエンエン引っ張ってしまったこの論考をひとまず終えたいと思う」

kenzee「あ、それと98年のリアリズム革命に乗じて急速に市民権を獲得した日本語ラップについてもちょっと触れたいかな……」

司会者「もう、一生やってろよ!」

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2008年11月27日 (木)

アナタと出会えた軌跡(笑)(自分探しソングの世界Part.2)

kenzee「昨日、次は浜崎の話するって大見得切ったものの、オレ浜崎ソングってロクにちゃんと知らないんだよな。CDはサンザン売ったけど、CD屋で。それももう7年くらい前の話だし。で、この記事のためにYou Tubeで浜崎ソングを初めてちゃんと聴いてみた。でねえ、「アレも売った、コレも売った」とか思いながら聴いてたんだけど、考えてみたらどれもこれもズイブン昔の歌なんだね。「A Song forXX」とかもう10年前ですか! 「SEASONS」ってのだけは割と記憶に残ってるんだけど8年前。ソリャトシ食うわけだわ」

司会者「最近、ヒット曲って聞こえてこないですよね」

kenzee「ウン、昔は黙っててもグレイの新曲だのミスチルの新曲だの耳に入ってきてたものだが、最近もう紅白観るまでナニが流行ったのかわからんもんな。浜崎の映像を観て、改めてそう思いました」

司会者「ところで「自分探し」の対義語ってなんでしょう? そして反「自分探し」的なJ-POPってあるんでしょうか?」

kenzee「それは槇原リリックを参考にすれば簡単にわかるが「自分探し」とは探し続けるというプロセスに意味を見出すもので「GREEN DAYS」によればそのような時間こそが青春だと。「次の扉をノック」し続ける限り彼らは永遠に若いのだ。そう考えると対義語は「成熟」だということになる。人間として成熟し、なにを捨ててなにを選び取っていくのか。ナイスタイミングで新潮に宇野常寛さんが「成熟」をテーマに連載を続けているのでそこをちょっと参考にしてみたい。

「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに沸いてくるこの「悪」をひきうけることである」

 少なくとも私は、江藤淳という文学者の遺した右の言葉をそう解釈している。「成熟」という言葉がときにアレルギー反応ともいうべき忌避と反発を生むのは、彼らを「老い」と「死」について考えることへの言葉にならない恐怖が縛りつけているからなのだろう。(中略)人が老いて死に行く存在である限り「成熟」は存在し続ける。ただし、獲得すべき完成としてではなく、対峙すべき未完成として。(中略)新しい時代には新しい「成熟」が存在するはずだ。ただし、それは決して新しい到達点や完成形としてではなく新しい「喪失」として否応なく私たちの前に現れるのだ。(新潮11月号「母性のディストピア」-ポスト戦後の想像力)

で、日本の戦後民主主義にとってのシンボルともいうべき「憲法9条」。この憲法改正論議における改正派の論理を「成熟」、反対派を「イノセンス」と解釈することで国家を人格として見立て、そこから戦後カルチャーが「成熟」をどう描いたか、と議論している。宇野氏は江藤淳の言葉から接続し、「成熟」とは偽悪的であり、「無垢」は偽善的である、と便宜的に定義する。でまあそっから例の高橋留美子の話とかでてくるんだけども。で、自分探しソングは「偽善的」な歌なんですよ。コレはもう当然。スガシカオの「マーメイド」は少年の心を持ち続けようとする「偽善的」な友人に向かって、「一生やってろバーカ。オレは決めたよ、歩き続けていこうと」と露悪的にふるまう、確かに江藤淳いうところの「成熟」した人間を描いた歌だ。でね、歌謡曲というものは例え、反社会的な人物であっても「純粋さ」を志向するというルールがある。露悪的にふるまってもサマになるというスガシカオや井上陽水は例外的な存在だ。で、ふたたび江藤淳の言葉に戻ろう。「成熟」するとは喪失感の空洞のなかに沸いてくる「悪」を引き受けることだ、と。じゃあ、「悪」を引き受ける前に「喪失感の空洞」があるはずなんだね。「探し続ける」ことを終えたらまず、目の前には喪失感の空洞が広がってるのだ。でやっと槇原に戻りますけど槇原のスゴイところは「自分探し」が人生さ!とのたまいながら、喪失し、空洞の前で立ちすくむ「成熟の途上」の風景も描くのだ。97年発表の「足音」は槇原ソングのなかでも珍しい抽象性の高い歌詞だ。

 聞こえるよ聞こえるよ 君の足音が 待っていないふりをしてずっと待っていた 自分の言葉だけをずっと信じてた この静かな旅はもうすぐ終わる 愛をひとつ胸に掲げていこう ぼくらの行く先にはなにもないから 愛をひとつ胸に掲げていこう あとに続くみんなの光になるから(中略)消えそうになっていても ぼくにはなにもできないけど 君が君の火を守る間ずっと待っているから(槇原敬之「足音」97年)

司会者「ぼくらの行き先にはなにもない、てのはスゴイですね」

kenzee「この静かな旅はもうすぐ終わるってのもスゴイ。イノセントを卒業しようという心象を描いたものだろう。「喪失を恐れるな、オレが愛を掲げておいてやるからみんな続け」という、だが「消えそうになっていても」ぼくはなにもできないのだ。ただ待っているしかできない。成熟した人間の持つ諦観がある。優れたポップソングである。「自分探し」は「職業探し」でもあるわけで「どんなときも。」において「探して迷ってOK!」と唄っているのだが、一方で「音楽で生きていくんだ」という決意表明の歌もあるのだ。

 東京DAYS なにかいいことないかとグチをこぼしかけて 遊び場探すようになったら最後と言葉を飲んだ(中略)子供が生まれたと友人が 写真つきのハガキをよこした 勇気をくれるものはいつでも 愛を守る人たちの強さ(槇原敬之「東京DAYS」94年)

「自分」ではなく「遊び場」探すようになったら最後、というところに成熟を感じます。登場する友人もバックパッカーとかじゃなくて家族を持ったりしてるわけですよ」

司会者「でも槇原さん、二丁目あたりでサンザン悪いこともしてたんでしょ?」

kenzee「それが人間のアレさ。このように槇原さんはひとりで「無垢」と「成熟」を同時に描く珍しいタイプのシンガーソングライターなのさ。で、J-POP界は圧倒的に「無垢」勢力で占められてるんだが、ごく一部「成熟」を描く勢力もいる。ここで、90年代J-POP史をおさらいすると「自分探しソングの源流はバブル崩壊後、またバンドブーム崩壊後の91年、具体的な楽曲として「どんなときも。」が90年代型自分探しソング第一号と考えていいだろう。この源流は数年後、大就職氷河期、大非正規労働という大河に発展する90年代の想像力を先取りしていた。皮肉なことにこの曲は、当時超売り手市場だった新卒の就職活動を描いた映画「就職戦線異常なし」のテーマ曲でもあった。歴史の皮肉だ。このあと、コムロやミスチルに象徴される「自分探しはいいことだ」ソングが大量生産され、大量消費される。だが、98年ごろから様相が変わってくる。そんな単純な論理に疑問を突きつけるリリックが現れ始めるのだ。その代表者は前述したようにまず、スガシカオだろう。97年にデビューした彼はミスチル的な「イノセントワールド」に露悪的な態度でNOを突きつける。前へ踏み出せなかったり、煮え切らない若者の心情、鬱屈を描いて大きな支持を得る。そして……歴史ってホントに不思議なんだけどスガがデビューした97年にミスチルは、初の東京ドームライブを終えたあと、長期休業に入るのだ。ここに「想像力の世代交代」があったと結論づけるのは勇み足だろうか。だが、こういった流れに呼応するかのように98年、99年あたりのJ-POPはただの「人生応援歌」を超えて多様化するのだ。象徴的なアーティストとして椎名林檎の名を挙げたい。初期の椎名リリックが描くのは徹底したディスコミュニケーションだ。いかに思いが伝わらないか、いかに人間関係というものが危ういか、それゆえ未来は不安に満ちている、だからこそ今、ここで抱きしめてほしいと歌う。

 約束はいらないわ 果たされないことなど大嫌いなの ずっと繋がれていたいわ 朝が来ない窓辺を求めているの どうして歴史の上に言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だったはずでしょう(椎名林檎「本能」99年)

 何時もの交差点で彼は頬にキスする また約束もなく今日が海の彼方に沈む(中略)今の二人には確かなものなどなにもない たまには怖がらず明日を迎えてみたいのに(椎名林檎「茜さす、帰路照らされど…」98年)

 コムロが「出会いさえあればオールオッケー!全部チャラ!」という単純な世界観だったのに対し、スガや椎名林檎は出会ってしまってからのディスコミュニケーションや不安を描くんだよ。椎名の言う「抱きしめて」は「好きだから→抱きしめて」という短絡的なものではなくて「約束もない明日が不安、あなたの本当の気持ちもわからない→だから抱きしめてほしい」という多分にノーフューチャー的、パンクイズムに根ざしたものなのだね。この98年ごろからコムロは急速に失速していくのだが、スガや椎名林檎、aikoといったコミュニケーションのあり方に言及する歌手の登場と無関係ではないと思うのだ。仮に、98年以前の「自分探し」のプロットしかない世界を近代小説以前の「ロマンス」に喩えるなら98年以降は「リアリズム」の時代が到来したといえるだろう。さしずめ椎名や宇多田ヒカル、aikoはJ-POP史におけるジェーン・オースティンかシャーロット・ブロンテといったところか。このロマンスからリアリズムへの変容を図らずもそのまま生きた歌手がいる。広末涼子だ。広末はアイドルシンガーとして他人に詞・曲を発注するというシステムでCD製作を行っていた。デビュー曲は竹内まりやのペンによる「majiでkoiする5秒前」というもの。タイトルで大体見当がつくと思うのでイチイチ詞、書きませんけど。要するにオバハンの目から見た空想的なティーンエイジ・ポップだ。当時の若者風俗を反映して「シブヤ」「プリクラ」といった言葉が登場する。セカンドシングル「大スキ!」は岡本真夜のペンによるもので詞の世界も基本的に「マジコイ」を踏襲するものだ。この路線はサード(原由子)、4th(広瀬香美)と受け継がれていく。広末ソングはここまではステレオタイプな「カワイイ女の子」として描かれていく。だが、5thシングル「ジーンズ」カップリング曲において広末ソングは意識革命を迎える。こんな曲だ。

 これからずっと傍にいても 大人になって冬が来ても あたしを知りたいと思う気持ち 凍らせないように気をつけて 色々葛藤はあるんだけど あたしの云いたいことをすべて 吐き出しちゃえばエゴになるの だからいまちゃんと顔を見せて(広末涼子「プライベイト」作詞椎名林檎)

 これはシングルのカップリングにひっそりと収録された曲だが椎名林檎の提供曲である。従来の広末ソングとはまったく世界が違うことがおわかりだろう。ティーンエイジのファンタジーでお茶を濁してきたオバサンの職業作家たちは椎名のリアリズム表現によって退陣することになる。「プライベイト」以降、広末ソングはオバサンライターを起用しなくなる。この98年に音を立ててJ-POPの想像力が転換したことを物語る好例だろう」

司会者「(ていうか、いくら当時CD屋だったからって、やたら広末ソング詳しすぎね? まさか、シングルとか買ってなくね?)」

kenzee「ホウ、広末の新曲、朝本の曲かァ。まあ朝本もグルーブチューブ(フリッパー)のオルガン弾いてた人だし聴いてみっかァ、とか言い訳しながら買った記憶があります。ええと、だから97年~98年あたりというのは近代小説の発生にも似たリアリズム革命が起こっていたんですよ、J-POPシーンに。この頃「自分探し」ソングは大転換期を迎えていたといってもいいだろう。この98年にリアリズム革命の真打ちが登場します。コイツだ!」

司会者「やっと浜崎かよ! 長すぎるよ!」

kenzee「ウン。満を持して浜崎登場なのだ。上のリンクはデビュー曲「poker face」なのだが、曲調からもわかるようにサウンドやアーティストイメージとしては基本、コムロワールドを踏襲しているようだ。この曲からわかるように浜崎プロジェクとは決してアンチコムロとして出発したのではない。むしろコムロが開発したビジネスモデルをどうゼロ年代向けに展開するか、というコンセプトだったと思われる。意外と浜崎は代理店的な発想からはじまってるんだ。それがナゼかリアリズム革命の急先鋒に変貌してゆく。まるでジャンヌダルクのようにだ。次は91年の「どんなときも。」から始まった「自分探しソング」がどのようにして浜崎へと結実していったのか。そして浜崎以降「自分探し」はどうなったのか、というところで論じてみたい」

司会者「ホントに次で終わりにしてくださいね」

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2008年11月26日 (水)

本当の自分、捜し求めて(笑)(ボクのコム論Part.3~速水健朗「自分探しが止まらない」ソフトバンク新書)

司会者「まだコムロで引っ張るのかよ! アンタ本当にkenzee賞やる気あんのかよ! この半年の小説のレビュー何個だよ! もう、コムロの話はやめなはれ!」

kenzee「速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ。著者の速水氏はボクの一つ上で、1973年生まれ。この年はもっとも出生人口が多い年でいわゆる団塊Jr.といわれる世代だ。73年生まれといえば柴崎さんなどがいる。で、速水さんの同世代の友人などの傾向として成人してから「自分探し」目覚めちゃうヤツが多いのだそうだ。20代を放浪の旅に費やすヤツ、ピースボートで世界一周したヤツ、30過ぎて海外青協力隊でアフリカに行くヤツ。そういうちゃんと就職しないで「自分探し」の方にいっちゃう人が多い、と。そして速水氏自身、就職活動で出版社など数社を受けるも失敗し、アルバイトとして出版社に出入りする内にフリーの編集者になったクチだ。ところで「自分」を「探す」ってナンジャラホイ? というのがこの本のテーマなのだ。本書はまず、中田英寿の引退宣言の引用から始まる。

 今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し「新たな自分」探しの旅に出たい。そう思ったからだった。(中田英寿オフィシャルホームページ)

キャリアの頂点にいながらサッサと「自分」を探すために引退しちゃうスーパースター。コレどういうこと? そして「あいのり」といった恋愛バラエティ、2004年に起こった二つのイラク人質事件。海外での自分探しと格安旅行会社の連動。自己啓発セミナー。90年代以降、激増したフリーターを始めとする非正規労働者。そんな「自分探し」なマインドから搾取しようとするビジネス。自費出版など。また、自己啓発系居酒屋やラーメン屋の出現の意味は? など、社会現象や流行、それ系のベストセラーを紐解きながら、我々団塊Jr.世代がこんなんなっちゃった遠因を探っていくという、豊富なデータに基づく見事な社会評論だ。結論としては今の社会は新自由主義により国家の役割が小さくなり「大きな物語」が提示できなくなった。そして人々は理想的な人生モデルを探し求めて右往左往することになる。バックパッカー、ワーキングホリデー、あいのり、自己啓発ビジネス、新興宗教、全部つながっとるガナ、といったところか。特に「最近のラーメン屋はなんで作務衣を着ているのか」といった論考が光ってたね。本書にムリヤリ文句をつけるなら、そんな「自分探し」に振り回されないで、充実した人生を生きるにはどうすべきか、という対処法をなんらかでも示して欲しかったかな?」

司会者「自分探し」ってなにか言ってるようで、なんにも言ってない奇妙な言葉ですよね。どっからこんな言葉がでてきたんでしょうね」

kenzee「まあ、一言で言えばバブルの崩壊で「経済」という物語が消滅した後に「自分探し」で補充しようとした。カネやモノに価値を見出していたバブル時代への反発もあったのだろう。そして、歴史とは不思議な偶然を招きよせるものだけども最高のタイミングで阪神大震災が起こる。その映像の凄まじさに国民は度肝を抜かれた。そしてこう思った。「家やらナニやら買おても、潰れるときは一瞬やわ…」そんな空気がますますスピリチュアルや自分探しへと人々を駆り立てたのだ。そして90年代の構造不況を背景に「自分探し」なマインドは大量のフリーターを生むことになる。そしてゼロ年代に突入すると小泉政策の規制緩和によって「自分探し」は大量の派遣社員を始めとする非正規労働者を生み出す。そして2008年、サブプライム問題を発端とする世界的な経済破綻を背景に「自分探し」は大量の失業者を生んでいる。なにしろ一ヶ月間の間に一万人もの失業者があふれでているらしいのだ。2009年はこの人たちの雇用をどうするかってとこから始めなきゃならないと思うんだけど。12000円バラ撒いたってナンの解決にもなりませんからね。これほど国民を迷わせ、混乱させてきた「自分探し」だけど、世間的には「自分探し」は大前提的にいいこととされてるでしょ? 学校教育も基本、この方針で運営されている。大体、「迷う」って文字通りそこで停滞するわけなので「いいこと」なわけないのに、大前提的にいいこととされてる世の中ってナニ?って話ですよ。「自分探し」はまた、マジメで親や学校の先生の言うことを真に受けるタイプの人の方が陥りやすいワナという側面もあってね。イラクの人質の人たちが典型だけど虫も殺さないようなタイプの人ほど嵌ってしまうトコがある。まあ、こういう内容の本なんだけど、不思議なのは速水さんはヤンキー、ケータイ小説などの郊外文化の論客であり、また「タイアップの歌謡史」という著書もあるほどのJ-POP評論家でもある。だのに~な~ぜ~「J-POPの歌詞と自分探し」の関係を取り上げなかったんだろ? 映画や恋愛バラエティ番組まで取り上げといて肝心のヤツを」

司会者「90年代のヒット曲もコレ、大概「自分探し」ですからねえ」

kenzee「そしてそのテーマでいくと、待ってましたとばかりにコムロが登場するのだ。なんせ、全盛期のコムロソングはひたすら自分探しの話しかしないんだよ。それもかなり直接的に。リリシズムのカケラもない文体で。こんなんだ。

 真面目な自分は茶化しちゃう自分に負けてるかもね だけど不自然じゃなく素直になれるよ今夜は(trf「Crazy Gonna Crazy」95年)

 Boy Meets Girl 出会いこそ 人生の宝探しだね 少年はいつの日か少女の夢 必ず見つめる(中略)安らぎが欲しかった 誇れる場所が欲しかった だけど大切なのはあなたとあの日出会えたことね(trf「Boy Meets Girl」94年)

 I'm Proud 壊れそうで崩れそうな情熱を 繋ぎとめる何か いつも探し続けた どうしてあんなに夢が素直に見れなくなってた 街中で居る場所なんてどこにもない 体中から愛がこぼれていた(華原朋美「I'm Proud 」96年)

 ……コムロソングの論理は基本、こうだ。純真な若者が社会へ出て行く。そこでさまざまに軋轢があったり、思い通りにいかなかったりする。そんな日常に埋もれ、「自分らしさ」「本当の自分」を見失っていくのだ」

司会者「ハァ」

kenzee「で、こっから急展開しますよ。「あなたと出会えたことによって、私は生まれ変わったり、自分を取り戻したり、するのだ」

司会者「スゲ~(ハナクソをほじりながら)」

kenzee「コムロソングが言いたいのはこれだけ。「私」は社会へ出て、戸惑う。自分を見失う。でも、そこへ救世主のように「あなた」が現れ、私は素直になったり、自分を取り戻したりする。手を変え品を変えコレだけ。あとはシチュエーションが変わるだけだ。クリスマスだったり、ビーチだったりするだけだ。よく、「ケータイ小説にはプロットしかない、ロマンスへの回帰」とか言われるが、コムロソングもプロットしかないのだ。そして、コムロワールドにおいて「自分らしくある」「素直な自分」とは大前提的に「善」とされている。「本当の自分」が実はとんでもない「悪辣な自分」だったらどうしよう、と疑うとかありえないのだ。そして「出会い」「夢」「探す」というフレーズが多いことにも気付く」

司会者「まさに「自分探し」じゃないですか!」

kenzee「そして、これは今回初めて気付いたんだけど、コムロソングは社会的承認を求める歌でもあるんだね。「誇れる場所が欲しい」とか「居場所がない」ことを否定的に描いたりしている。そして、あなたと出会い、あなたやまわりから認められることで私が輝く、と。こういうコンテクストになってま」

司会者「でも、とにかく「あなたと出会う」とこで万事解決する、という安易な世界観ではありますね」

kenzee「安易で短絡的な世界観だと思う。でも「自分が変わって、世界が変わる」という考え方は後のセカイ系などに代表されるライトノベル、美少女ゲームの世界観にも繋がっていくもので、コムロは大衆が求める歌を的確に投下した、優秀な作家であったのは間違いない。いかに単純な歌であろうと。でね、この時代のヒット曲で「自分探し」なのはコムロだけじゃないから問題なんだよ。言うまでもなく、オレはミスチルの話をしようとしてるんだけど。

 閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて きっと きっとって僕を動かしてる いいことばかりではないさ でも次の扉をノックしたい もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅(Mr.Children「終わりなき旅」98年)

いきなりモロのフレーズがでてしまいました。「もっと大きなはずの自分を探す」これがミスチルワールドの基本線といっていい。そして競争社会とか優劣をつける、ということに対して一貫して否定的なんだよね、ミスチルは。

 勝利も敗北もないまま 孤独なレースは続いてく(Mr.Children「Tomorrow Never Knows」96年)

「人生は終わりなき旅」「孤独なレースは続く」と、ミスチルは結論を先延ばしにする傾向があるんだよ。このロジックが学生、フリーターに定職に就くことをためらわせる根拠を与えたと言えなくはないだろう。だが、ミスチルの恐ろしいところはそんなミスチル論理にたまに自己言及することがあるのだ。

 夢追い人は旅路の果てに 一体何を手にするんだろう 嘘や矛盾を両手に抱えて、それでも人だよ、と悟れるの(Mr.Children「Everything(It's You)97年)

 これは「自分探し自由人」への皮肉であり、バックパッカーみたいな人々にとっては強烈なパンチラインとなって響くだろう。このようにミスチルはあーでもないこーでもないとさまざまに自己言及するのだ。まるで碇シンジのように」

司会者「終わりなき旅」に現れているように、若者が社会へでて、大変な目に遭う、ということろまではコムロワールドと同様なんですね。で、コムロは「あなたと出会う」とこによってすべてチャラにしてしまうのですが、ミスチルは「それでも次の扉を開けるんだ」と歯を食いしばって頑張りますね。このような思考が誰にとって都合がいいかというと、やっぱり若年非正規労働者を支配する側にとって便利なロジックだと思います」

kenzee「終わりなき旅」は98年発表です。若者も98年の時点では「次の扉を開けたら新しい自分に出会える」と信じてるんですね。でも、翌99年になると「アレ、もしかして…オレヤバイ?」って気付きはじめます。

 ひとつひとつ仕組みを知れば 子供のままでは生きていけないと 変わりゆく他人を遠くに見ては 時代の息吹に身をさらす ここではないどこかへと胸をこがすよ(GLAY「ここではないどこかへ」99年)

「オレは自由人さ~」とか調子コイてる間に同級生とかちゃんと就職してた! ハッ!っていう話です。ここではないどこか……コンビニとか倉庫とかじゃないどこか…そんな折、小泉政権が誕生する。ところでね、みなさんも「本当の自分」とか「自分らしく」とかで歌詞検索してみればわかると思いますけどスゴイですよ。スゴイでてくるでしょ?で、ほとんどがやっぱりオウムと地震のあとの95年以降の歌が多いワケ。歌は世につれってホントなんだね。で、ミスチルさんとかグレイさんとかはやっぱりたくさん曲を作るなかで逡巡がでてくると思うんですよ」

司会者「むやみやたらと「次の扉」をノックしてもいいのかな、とか」

kenzee「そこで自己言及が始まっちゃう。でもそんなにたくさんまだ歌詞を書いてはらない人なら素の歌。つまり、そっくり世相を反映した詞を書くものではないかと思うのです。そこでこんなの発見しました。反町隆史「POISON」

 いつまでも信じていたい 最後まで思い続けたい 自分は生きる意味があるはずと 小さな夢も見れないこんな世の中じゃ POISON 自分らしさ ずっといつでも好きでいたい 自由に生きてく日々を大切にしたいから 行きたい道を今歩き出す(反町隆史「POISON」97年)

司会者「直球できましたね彼は」

kenzee「どうこう言う必要ないね。つまり、そこらの俳優さんに詞書かせてみたら、無意識にそのままズバリの歌詞を書いてしまうほどの「自分探し」な時代状況だったと言えるだろう。で、この97年あたりから就職氷河期が始まるのだが、この傾向はゼロ年代に入っても続く。

 ありのまま生きるならば今だぞ 涙の数だけ大きくなる訳 そこに本当の自分があるだけ(ケツメイシ「涙」)

司会者「ものすごく手短に「自分探しソング」の全部の要素が入ってる秀逸な歌詞です。自己啓発系居酒屋…「和民」とか、こういう論理で回しているって聞きますけど」

kenzee「速水さんは「自分探し」とスピリチュアルとの関連についても述べられてるんだが、96年の時点でJ-POPはその関連をすでに捉えていた。この歌は変則的な「自分探し」だね」

 僕はここで生きてる 僕はここで想ってる 自分の明日につながりを求めないOh 時は戻らずに強がるから 凛とした魂も泣き笑いで涙があふれる 「自分らしく生きる」ことなど何の意味もないような朝焼け(MY LITTLE LOVER「Now&Then失われた時を求めて」96年)

最後のフレーズがスゴイですね。なんか覚醒しちゃったんですかね。超越性ってヤツですか。自分探しとスピリチュアルは兄弟みたいなモンなんですかね。そして90年代のJ-POPにおいて「自分探し」で俯瞰するなら絶対忘れちゃいけない人がいます。この人だ!

 どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 好きなものは好きと言える気持ち 抱きしめてたい どんなときも どんなときも 迷い探し続けることが 答えになること 僕は知ってるから(槇原敬之「どんなときも。」91年)

この曲のサビもケツメイシ並にスゴイです。だって全部入ってますからね」

司会者「僕が僕らしくあるために迷い探し続ける」ってそのままですもんね」

kenzee「でも、91年の時点でこの歌詞を書いた槇原さんは早かったね。だって、確かに91年にバブルは崩壊したかも知れないが、世の中の空気はまだバブルを引きずっていてフツーに「ねるとん」とかやってたしジュリアナ東京がオープンしたのも実は91年だ。この時点ですでに「あいのり」的な90年代観をすでに掴んでいたということだよね。

 恋と仕事どちらかを選ぶ人もいるけど 僕らしくやってたら両方とも大事だった(槇原敬之「HOMEWORK」94年)

司会者「でましたね。「僕らしく」。でもフツー「恋と仕事どちらかを選ぶ」のは女性の発想だと思うのですが」

kenzee「そこをツッコみだすと話がややこしくなりますので。クィア理論とかやりだしたら永遠に終わらなくなっちゃいますから」

 世界にひとつだけの花 ひとりひとり違う種を持つ その花を咲かせるために一生懸命になればいい(中略)小さな花や大きな花 ひとつとして同じものはないから No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン(槇原敬之「世界にひとつだけの花」03年)

速水さんも本のなかで言ってるけど現代の若者の「自分探し」に共通しているのは、自分を変えるために何か具体的な努力をしようとは考えずに環境を変えることで自分を変えようという心性があるという指摘がある。努力や研鑽や他者との関係性のなかで自分を構築していくのではなく、本人の内部に「自分らしさ」が存在し、本人だけが発見しうると考える傾向がある、と指摘している。この「世界にひとつだけの花」はこのCD不況にあって200万枚を越えるメガセールスを記録したのだが、まさに「自分らしさ」とはもともとあって、いかにしてその花を咲かせるかという他力本願ソングでピッタリ速水さんの議論と一致する論理だ。また、No.1にならなくてもいい、とミスチルの「勝利も敗北もない孤独なレース」と共通の世界観を感じるね。

 わからないことだらけでも 本当のことだけ探していこう そんな気持ちを誰もがきっと青春と呼ぶのだろう まっすぐにまっすぐに伸びる この緑色の道を歩きながら続いていく 僕らのGREEN DAYS(槇原敬之「GREEN DAYS」07年)

司会者「槇原は自分探し界の真打ちといってもいいほど完璧にそっち系ですね」

kenzee「でもこんな自分探しソングに対する抵抗勢力というかオルタナタィブが90年代も後半にさしかかると登場する。「自分探し」をつづけることで挫折する姿をJ-POPは描き始めるのだ。スガシカオの登場は「自分探し」への批評として機能することになる。

 あの頃の未来に僕らは立っているのかな ずべてが思うほどうまくはいかないみたいみたいだ このままどこまでも日々は続いていくのかな 雲のない星空が窓の向こうに続いてる あれから僕たちはなにかを信じてこれたかな 夜空の向こうにはもう 明日が待っている(SMAP「夜空のムコウ」98年)

 ずっと探していた理想の自分って もっとカッコ良かったけれど 僕が歩いてきた日々と道のりを本当は「自分」ていうらしい(スガシカオ「Progress」06年)

 あと少し頑張ってみるよ どうもなんないと思うけど きっと明日いいことあるよ 本当にあったらいいけど 「僕はいつでもそばにいるよ」おざなりなこと言ってる 明日から僕はちゃんとするよ なにひとつできやしないのに(スガシカオ「ひとりごと」98年)

 僕らが昔 唾を吐いて嫌った いやらしい大人の匂い この前君の自慢のそのシャツから そんな匂いがしていたけど 大人じゃないフリしているのは都合がいいから? いつの日からか君は望んだんだろう 汚れてしまわないこと こびりついてしまう汚らしいもの全部 ムリヤリ消毒してきたんだろう? 君がもし少年のままで輝いていたいのなら 伝説の島に住む人魚の肉で 望みどおりの永遠を手にしたらいい 君は僕をどんな風に思う? 許せないくらいに憎いのかな 僕は君のトボケた夢なんか聞きたいと思わないけれど 僕はもう決めてしまったんだ 歩き続けていこうと 伝説の海に舞う人魚の肉は モノスゴイ匂いで僕なんかじゃ近づけないと思う 伝説の波の向こう人魚の群れは 荒れ狂った海でまだ誰もたどり着けないらしい(スガシカオ「マーメイド」01年)

こうやって書き出してみるとスガシカオという作詞家がとんでもない天才だということがわかります。今までサンザン夢を追って、自分を探して、ここではないどこかを目指し、あなたと出会うことを求めた結果ドツボに嵌った「自分探し」に決定的な一撃を喰らわすフレーズを次から次へと繰り出すパンチライナー。「マーメイド」における「歩き続けていこうと」というところはモチロン「夢」に向かって歩いていくのではなくて「現実」に向かっていくのです。そして誰も確認したことのない「どこか」は荒れ狂った海でたどりつけないらしい、と皮肉を交えて言うのだ。また「夜空のムコウ」におけるセンチメンタリズム、後悔、失望といった感情がゴチャゴチャになりながら「夜が明けてしまう」という焦燥までを描いた世界は完全に「自分探しワールド」をひっくり返す強度を持ちえている。そしてこの曲が結構なヒットを叩きだした事実を見ても「自分探し」へのオルタナティブとして機能している。

 安全と冒険で君はどっちへ行く 退屈と充実で君はどっちを取る そんなに簡単に選べるくらいならなんの迷いもなく幸せになれるかい?(スガシカオ「ストーリー」98年)

司会者「スガシカオは完全に「自分探し」を標的にして詞を書いてるようにすら思えます。でも、スガさんの煮え切らない感情とか皮肉のある歌詞が一定の支持を受けているということはやっぱり「自分探し」はウソ臭いとウスウス感じてる人が結構な数いるってことじゃないですか?」

kenzee「実は槇原ソングもわざとソレ系の歌詞ばっかり書き出してみたんだけど、99年あたりから内省的な歌詞が増えてくるんだ。「自分探すことが大事、迷い続けてこそ人生!」とか能天気ではなくなってくる。そしてこのあたりからコムロ人気は急速に凋落していくんだ。ミスチルも長期休業したり自己に言及するようになる。そして「ゼロ年代の想像力」にもあるように99年は決断主義の原型とも言える「バトルロワイヤル」が登場する。そして政治レベルでは派遣業が規制緩和され、自分探しにさらに追い討ちをかける状況が設定されていく。そして98年、「自分探しソング界」にとんでもない怪物が登場するのだ。その名を「浜崎あゆみ」という」

司会者「そこまで手ェつけたらホントに終われなくなりますって! kenzee賞どうすんだよ!」

kenzee「乗りかかった船だよ! 浜崎が「自分探し」にどんな決定打を叩きこんだのか、確認しとかないとオレは次の扉をノックできないよ!」

司会者「もうずっと「自分探し」探ししとけよ!」

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2008年11月20日 (木)

たぶん、某作家は……(昔話)

司会者「某作家の方からコメントをいただきました」

kenzee「この文体は……ハッハ~ン、大江健三郎……かな?」

司会者「(最近、イチイチツッコむのメンドくさくなってきたなァ)絶対違うよ! いくら息子が音楽家だからっJ-POP事情詳しすぎるだろ!」

kenzee「こんなネタでリアクション返ってきたらまたオレの心は90’sにレイドバックしちゃうじゃないスか! どこの作家さんか知りませんけど。多分、大江さんか村上春樹だと思うけども」

司会者「……」

kenzee「ちなみに私がコメントで言ってる「エピック・ソニー」とはwikiではいろいろ書いてますけどここで言うエピックは87年~92年あたりのバブル期のエピック所属アーティストの総称と考えていただけるとわかりやすいですね。代表的なところで渡辺美里、大江千里、TMネットワーク、岡村靖幸、バービーボーイズ、ストリートスライダース、CHARA、松岡英明……書いててだんだんスゴイ恥ずかしくなってきましたけども。こういったアーティストが所属していたソニーレコード内のレーベルです。で、コムロは渡辺美里のヒット曲を多く手がけていたため、エピックといえばコムロサウンド、というイメージがなんとなくあるんですね、われわれぐらいの世代には。前述の山下達郎氏の「エピックメロディー」という揶揄した言い方もlこのイメージによるのだろう。当時はいわゆるバンドブームで楽器屋さんが大繁盛の時代だったんだけど、その市場に当て込んでヤマハが社運をかけて投入したのがFM音源、シーケンサー、スピーカーまで内臓したバンド向けオールインワンシンセ、「YAMAHA EOSシリーズ」だ。この映像でコムロ自身がEOSを使ってイロイロ解説してますけど、ま、当時バンドとかかじってた人だったら懐かしいんじゃないですかね。wikiの方で「EOS」の音色データは実は使い物にならなくてコムロも実際にはEOSをリモートとして使っていた、とありますがクラムボンのミトはあえて実家からEOSを引っ張り出してレコーディングに使用したのだ。さすがに2002年にEOSを使うと得もいわれぬレトロ感が醸し出されたものだ。ここでちょっと試聴してみましょう。ね、中途半端にダサイのんわかります? これはそういう創作上の意図なんだけど作詞を担当した原田さんの歌詞がまったくそういう作曲者の意図を無視しててオカシイんだけど。当時ミトは「キーボードマガジン」のインタビューで(「まちわびまちさび」プロモーション時)「最近のミュージシャンはドイツもコイツも影響を受けたバンドとか聞かれるとシャレた洋楽のバンドを答える。ウソつけみんなエピックで育ったんだろ! 日本の心を忘れるな!」とメッセージしておられました。そりゃ「セルフコントロール」でアゲますワ」

司会者「(なんでkenzee、いくらファンとはいえキーボードマガジンまでチェックしてんの?で、記事の内容を覚えてんの?)」

kenzee「小山田が電気のオールナイトに来たときもくだらなくてよかったな~。一応コーネリアスの初ツアーのプロモーションで来てたのになんにもライブの話しないでtrfの話だけして帰ってったもんなあ。あと、あんまり関係ない話なんだけどピチカートの二人が小山田の番組にでたときにさ、ピチカートといえば小西さんがオタクで、野宮さんはフツーに服とか好きな人ってイメージあるでしょ? で、ピチカートがMステでたとき隣がシャ乱Qだったらしくて、それで野宮さんが「あの人たちの衣装はみんな高級ブランドばっかりだ。誰それのジャケットはなになにであの人のシャツはなんとかで靴が……」とか全部記憶してるんだよ! さすがミス・ピチカートファイヴ!って思ったよ」

司会者「ま~た昔話で終始しちゃいましたね」

kenzee「まあ、某作家の方、多分大江健三郎だと思うけど、こんな話でお気に召したでしょうか。ボクがオールナイトで順位つけるとしたら、1位、大槻ケンヂ、2位、電気グルーヴ、3位、小沢とスチャダラの半年で終わったヤツ、です。もし、オールナイトアーカイヴズというものがあったら絶対聞きたいのは1位、ビートたけし、2位、山下達郎(76年ごろ、3ヶ月で打ち切りになった)3位、タモリ、かな。それにしても大江健三郎もクダラナイ話が好きだなァ。それじゃあ典型的なエピックサウンドを聴いてお別れにしようかね。この大江千里出演の味覚糖のCM(多分84年ごろ)で流れている「十人十色」は大江千里のシングル、アルバムに収録されているものとは別バージョンなのだ。いわゆる「CMサイズ」ってヤツですね。レコードのほうは大村憲司のアレンジなのだがCMのみ、TMでデビューしたばかりのコムロが編曲を手がけている。エピックサウンド以外のなにものでもないのではないでしょうか」

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2008年11月17日 (月)

ボクのコム論Part.2

kenzee教授「まーだコムロの話で引っ張るのかよー」

kenzee「ホントに速水健朗さんがご自身のブログで小室に言及されていたのでビックリしました。なんせ「歌謡論」と「郊外ヤンキーカルチャー」のどっちもカブる存在ですからね。速水さんにとっても重要人物なハズですよ、コムロは。で、そこでは昔のtrfのメンバーとコムロの対談があって、全然音楽の話が噛みあってないって話でコムロ大帝国にも困ったモンだと。ていうかtrfのメンバーが意外とラリーレヴァンやフランソワーズ・ケヴォーキアンらのゲイカルチャーに端を発するハウス・クラシックを好んでいたというの驚きでしたね。国内でサルソウルが一般に認知されるようになったのは間違いなく電気グルーヴの97年のヒット「Shang-Li-La」でシルベッティ「Spring Rain」のサンプルが使われてからですから、trfのメンバーは根っからのハウス好きだったんだね。フツーにユーロとかトランスの方の人々だと思ってたよ。でね、そのエントリーのコメ欄で、コムロがズレてたんじゃなくて視聴者のことを考えてワザとボケたんじゃないかとか、そういうやりとりがあるんですけど、確かに文面だけではコムロがガラージュを理解していたかどうか判断できません。でも、やっぱりよくわかってなかったんじゃないかな。だってコムロのラップ、ヒップホップ理解とかもヒドいじゃないですか。ジャングルとかドラムンベースで何が起こってたのかよく知らないけど当時勃興しつつあった日本語ラップにたいする考慮というものがなんにもあの人にはなかったね。同じレーベルのエイベックスからはすでにブッダブランドとかデビューしてたのに」

kenzee教授「ところでtrfのDJの人って新幹線にソックリだよね」

kenzee「ええ、イマドキの新幹線じゃなくて昔の、「新幹線大爆破」とかの新幹線。コムロ音楽ってデビューから現在に至るまで一貫して言えることは「国際性」ということにたいして無頓着、ハッキリ言って無神経なんだよね。戦後歌謡って進駐軍のジャズとか取り入れたあたりからはじまってること考えてもわかるようにサブカルチャーとしての伝統がある。そしてサブカルチャーの特徴として「国際性」を志向してきたという歴史がある。ロックにせよ、ラップにせよ、映画にせよ、海外の作品との参照関係において成立してきたのだ。例えば、陳腐だけど「黒沢清は日本のゴダール」とかそういう参照関係ね。「日本にもこんな同時代性が!」とか言わせることでサブカルチャーは命脈を保ってきたという歴史がある。90年代のJ-POPに限って言えば「渋谷系」と呼ばれたムーヴメントが存在したわけだが、フリッパーズギターやピチカートファイヴといったバンドはハッキリと海外の作品との参照関係を打ち出していた。当時は「パクリ」といわれることも多かったが。まあそのまんまの曲もありましたし。そういった動きに比して小室はさほど海外のダンスカルチャーやムーヴメントに対して注意を払っていたとは思えない。あったとしても体系的に捉えるというより表象だけマネる、という傾向があった。90年代の小室ワークにおいてもっともその傾向が顕著だったのはやはりglobeだろう。実際、当時小室自身がそのコンセプトをC+Cミュージックファクトリーのような、と説明していたが、つまりバンドの中に作家と歌手が分業体制を敷く、というミニチュア歌謡界みたいな構想だったのではないかと思うのだ。もちろんglobeのサウンドはC+Cとは似て非なるものだった。さらにglobeにはマーク・パンサーというラッパーが在籍していたのだが、この人のラップが当時勃興しつつあった日本語ラップの動きにまったく配慮しない、ある意味独創的なスタイルであった。このように小室の音楽とは恐ろしく感覚的で表面的なものなのだ。そして「国際性」をまったく志向しない世界である。で、速水さんも指摘してるんだけど、そのような「無教養」(国際性という点において)な小室ソングは怪物的といえるほどのマスからの支持を得るのだ。同時期のもう一人のTK,小林武史氏のサウンドはハッキリとビートルズをはじめとするブリティッシュポップス、モータウンなどの60年代ポップスの意匠を借り受けている。でも小室にはそんなのないんだね。考えれば考えるほど小室帝国ってよくわからないんだ。速水さんの言うように明らかな洋楽からのパクリも見当たらないし。ひとつ言えるのはC+Cとglobeの関係などからもわかるように小室帝国とは「歌謡界」あるいは「歌謡システム」のミニチュア版を志向していたとは言えるだろう。また、受容する側もまるで精巧な鉄道模型でも眺めるかのような感覚で小室帝国を見ていたように思う。コムロファミリーって「歌手」というより「メタ歌手」って感じだったじゃないスか。安室のような本物もいたが」

司会者「コント抜きでいっぱい喋りましたね」

kenzee「あと98年ごろから小室帝国は急に失速するんだが、もしかしたら我々団塊Jr.世代がこのころ学校でて就職し始めたのとリンクするのかもしれない。とにかく小室って考え出したらホンットよくわからんのだよ」

司会者「次からはそろそろ文学のほうに戻らないとなんにもレビューしてませんからね。

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2008年11月15日 (土)

藤田さんはホンット、オイシイなあ

kenzee教授「ていうかコムロ論とかやってる場合じゃないだろう? ゼロアカの結果とかで世間盛り上がってるときに」

kenzee「最終批評神話の村上さんの文フリ決戦当日のレビューが青春小説みたいで泣けるんですよね」

司会者「なんでもモノスゴイ人だったみたいですねえ。道場主が翌日高熱だしてダウンしたぐらいですし」

kenzee教授「で、打ち上げに90人ぐらい業界人から講談社の関係ない部署の人まで集まって感動のフィナーレだったそうだ」

司会者「そんなみんな泣いたり抱き合ったり、文学や批評の未来について熱く語り合ったりしてるこの時期に「コムロがどうした」とかMOS取ったとか、kenzeeの空気の読めなさにも困ったもんです」

kenzee「しかし、批評とかさ、そんなんでこんなに盛り上がるってどういうことかね? それもオタクばっかりの集団なのにだんだん矢口史靖の映画みたいな青春的な展開になってるし」

司会者「どうせkenzeeにはそんな青春なかったでしょ。仲間と雑誌作ったとか、芝居を成功させた、とか。で、最終仲間達と抱き合ってピース! オレはこのときを忘れない、みたいな」

kenzee「オレにだって青春の思い出はあります。高校時代、バイトしてお金貯めてMTR(多重録音する機械。バンドで楽器をバラバラに録音するときなどに使う)買ってきて一人多重録音で4ヶ国語マージャン作成。友達にタダで売ったりしてました」

kenzee教授「全然仲間いないじゃないかよ!」

司会者「抱き合うポイントないじゃん! ていうか暗いし」

kenzee「ウソのフランス語のパートとかやってるときに、オカンが「ケンジ~、ママ病院行ってくるからね~カレーが冷蔵庫に入ってるから食べなさいね~」とか、ホンットムカツキますよ。その度にフランス語のとこだけやり直しですよ!」

kenzee教授「家で録ってたのか」

kenzee「あと中原中也の詩で「曇天」てのがあるじゃないですか。アレにコードとメロディーつけて唄ってたら、友達が「PV録ろう」って言ってきて、録ることになったんですよ。で、ウチの高校、屋上が屋根なのね。当然屋根は立ち入り禁止なんだけど「曇天」のイメージにピッタリ! とか思ってギター担いで屋根に上って唄ってるトコ友達がビデオで録ってですね、いい感じになったワケ。そしたら次、降りられなくなっちゃってさあ」

司会者「(アホだ。本物の)」

kenzee「どうにか降りれたんですけど後で先生とかにメチャ怒られましたです」

kenzee教授「村上さんが青春を語るとあんなに泣けるのに、キミが喋るとホントにバカ話にしかならんな」

 そういう状況だった。だから僕はフラコジを買った。秋成に勝って欲しかったという気持ちはもちろんあった。しかしそればかりではなかった。急に地下の喫煙所でした会話を思い出した。「声を出し過ぎて喉がガラガラだよ」「ばーか俺の方がもっと声だしてたよ」「そういえばそうだったよな。他の奴の声が聞こえなくなっても、村上の声だけは響いてたよ。だから俺もつられて、負けていられなくなったのかもしれない」……そんなことを言っていた。

彼はいった。君がずっと苦しんでいたのを知っているから、君が報われて、ここがこんな風に盛り上がって、本当によかった、と。そんなことを言いながら泣くのだ。この男は。まるでそれが僕の代わりに泣いているようで、僕はあてられそうになりながら「バーカ、バーカ」といってやった。いってやって、それで、僕も少しだけ泣いた。(「最終批評神話」村上氏のエントリー「11/9のこと」)

kenzee「泣けるなあ、ホンットここ泣けます」

オレは屋根から降りられなくなった。「ゲ、どうしよう……」それで、ボクは少しだけ泣いた。(kenzee高校時代

kenzee教授「頼むから死んでくれ」

kenzee「それにしても藤田さんはオイシイなあ」

司会者「ホントにあの映像はオイシイですね」

kenzee教授「だって「ヤメテー」とか言いながらモミアゲだしてんだモン。前に前に。オイシイわあ。ホンットオイシイ」

kenzee「ケンカに負けて勝負に勝つ」って言葉をフト思い出しました。こんなみんなキャラが立ってきて、ドラマになってって展開は東浩紀も誰も予想できなかったですよね。これがバンドとかお笑いとかだったらわかるけど……」

kenzee教授「批評」だからな。信じられんよ。なんか奇跡起きてるんじゃないか」

kenzee「小説を書くのが流行るのは定期的に周期でくるけど「批評を書く」のが流行るなんて聞いたことないです」

司会者「つまりもうちょっとこのブログもマジメにコシいれてやれってことですよ。とりあえずまあ」

全員「ゼロアカメンバーのみなさん、お疲れさまでした!」

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2008年11月13日 (木)

ボクのコム論

kenzee「ボクちゃんMOS取りましたよ! ワードだけだけど」

kenze教授「へ~よかったね」

kenzee「もうワードのことならなんでも聞いてくれよ! なんせスペシャリストですから!」

司会者「(プッkenzeeってブログで自慢とか? バカじゃないの? つーかMOSって誰でも取れるし)」

kenzee「イヤ~なんかウレシイですね。で、このブログはフダン時事的なネタをアレしないんだけど、エライ人が逮捕されちゃったしこういう機会ももうないと思うのでやっぱ小室の話をしとこうかなあ、なんて」

司会者「尾崎豊に続いて小室論ですか」

kenzee「コムロってなんだったんだろ? 世間で言われるほどコムロの音楽って軽薄なダメ音楽なんだろうか。でも、セールスだけでいったら……今いろんなとこにデータとかでまくってるからイチイチ表とか載せないけど……」

司会者「(プッ、ワード使いなら図表とかグラフとかガンガン使えよ! 全然役に立ってないじゃんこのスペシャリスト)」

kenzee「戦後歌謡史においてコムロはもう1つのジャンルと言っていい。歌手とプロデューサーの関係といえば戦後はまず、服部良一と笠置シヅ子から始まるだろう。そして作曲家として古賀雅男、遠藤実、浜口蔵之助、中村八大、筒美京平、大滝詠一、呉田軽穂(松任谷由実)、織田哲郎、こういった系譜の後に来ます。コムロは間違いなく90年代のBGMを作った男です。また、コムロが前述の作曲家たちと決定的に違うのは作曲・編曲・演奏、果ては歌唱、コーラスとかまで手掛けてしまうことです。従来、歌謡曲のヒットとは分業体制で作られるものでした。例えば筒美京平という作曲家がいて、橋本淳という作詞家がいて、オーヤンフィーフィーという歌手がいて、演奏者は別にスタジオミュージシャンが手掛けていた」

司会者「(エ!? なんでkenzeeってスペシャリストなのにオーヤンフィーフィー変換できないの? パソコン教室に10万も突っ込んでるのに? バカなの? アホなの? 死ぬの?)」

kenzee「ニャー!(怒)」

kenzee教授「オイ無職どうした?」

kenzee「コイツ(司会)がオイラのことバカにするんだ! 今、マジメにコムロを論じているのに!」

kenzee教授「そんなサギ師の話してるヒマあったら佐川急便の面接にでも行ったらどうだ? つーかオーヤンフィーフィーじゃなくて別の例を挙げれば済む話じゃないか。尾崎紀世彦とか郷ひろみとか」

kenzee「でね、分業だったの! 昔は! そうするとどうなるかっつうと原盤制作費というものがスゴイ高くなるんですよ。ドラムからベースからストリングスからホーンセクションに至るまでアゴアシつけてそれ用のスタジオ押さえてたらジャンジャン費用が嵩んでいくんですよ。でもコムロって作曲・編曲・演奏に至るまで全部一人で完結してたでしょ? ギターとかすら全盛期のヒット連発時には入ってなかった気がする。あんなに売れてたのに制作費はメチャ低予算で済んでたんです。で、昔のレコーディングって時間かけてリハーサルとかできないからワンテイクかツーテイクで結果出さなきゃならない。だから昔のプレイヤーは読譜能力が求められたの。ユーミンさんとか吉田美奈子とかあたりからスタジオに篭ってみんなでアレンジを煮詰めるということが可能になった。これはアルファレコードが自社のスタジオを所有していたからなんだけど、この流れは後のYMOまで繋がっていく。YMOの制作費などは莫大だったのだ。だって、一台数百万もするアナログシンセを経費で何台も購入し、スタジオは月単位で押さえるし。ペイしたから結果オーライなんだけどね。すっかりシンセサウンドが国民の耳に馴染んだ83年、YMOは散開(解散)する。翌84年、小室哲哉率いるTMネットワークがデビューする。デビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」は全編、小室氏によるシンセの打ち込みサウンドであった。では、小室氏はそんな高価な機材を個人で所有していたのだろうか。違う。1983年に画期的な製品が発売されたのだ。それはデジタル・シンセサイザー「DX7」だ。wikiの説明にあるように、とにかく廉価であることが決定的にデカかった。これで素人もYMOみたいになれるぞ、と。で、もう翌年には」TMはデビューしているわけだからいかに小室が戦略家だったかわかるだろう。で、TMがYMOの劣化コピーみたいなサウンドだったらおそらくデビューすらおぼつかなかっただろうが、YMOがベンチャーズのようなシンプルな音楽を志向(初期は)していたのに比してTMってフュージョン、AOR寄り、また当時台頭していたデュランデュランなどのニューロマを意識した音楽だったので画期的だったのだね。80年代のニューウェイヴといえばみんな短髪だったのだがTMのビジュアルは長髪で当時のイギリスのニューロマを意識していたんだよ。つまり、TMとはYMOを含むオルタナティブカルチャー一般(浅田彰のニューアカ含む)に対するオルタナティブだったんだよ。若きアマチュアミュージシャン小室哲哉が凄かったのはDX7が登場するやいなやTMの構想を練り、サッサとデモテープを作り(Get Wildなどはこのアマチュア時代にすでにできていたという)メンバーを集め、まんまとプロデビューをネジこんだことだね。モチロン、ギターロック主流の時代に全編打ち込み音楽のTMは一般には傍流と見なされた。コムロが業界的に初めてブレイクするのは作家として、だ。86年、渡辺美里「My Revolution」がコムロソングの初ヒットとなる。これ以降のサクセスストーリーは現在、報じられている通りだ。ロックのフィールドでコムロのようにシンセやキーボードを全面に打ち出したバンドはいませんでした。ジャズとかフュージョンのほうだったらカシオペアとかT-スクエアとかいたんだろうけどコムロほどハッキリとコンセプトとして打ち出した人はいなかった。昔から見せ方とかを考える人だったんだね。ともあれ、音楽少年たちにシンセやシーケンサーの使い方をレクチャーした功績は大きいと思うよ。88年あたりからTMや他人に提供したコムロソングは安定したヒットを叩きだすようになる。ボクはこの時代、中高生だったけど……売れてたな。88年には角川映画「ぼくらの7日間戦争」のサントラをコムロは担当するのだが、その中のインスト曲でスゲーイイ曲があったんですよ。宮沢りえとかが戦車に乗ってミャーとか言うシーンで」

司会者「(普段ニューウェイヴがどうとかヒップホップがどうたらとか言ってるのにイタイ時代があったんだなkenzeeも。プッ)」

kenzee「それにしてもなんでコムロソングはあんなに売れたんだろう。95年年末の「Cut」誌上にて山下達郎とホイチョイの馬場康夫が対談してるんだけど、テーマは「なんでコムロはあんなに売れるのか?」で、いかに社会現象的な売れっぷりだったかを物語る。その中で、山下氏は「昔、自分トコでキーボードのオーディションしたら小室君が来た。ピアノ弾かせたらあんまりだったんで不採用にした。その後、彼はTMでデビューしたのだが、たまたま竹内まりやのレコーディングで隣のスタジオでTMがやってた。フラ~と見学に行ったらダダダダーって感じの音楽やってて、で、まりやのトコに帰ってきたら「けんかをやめて~♪」というオールドタイプの音楽で。オレ、大丈夫かな!?と思った」と語ってました」

司会者「(なんでkenzeeって10年以上昔に立ち読みした雑誌の記事とか覚えてんの? ナニ?そのムダな才能。このブログなかったらまったくのムダ知識じゃん。ていうかムダ知識じゃん)」

kenzee「さらに山下氏のコムロ論は続いて、彼もなんでコムロソングがあんなに売れるのかワカラン、と。ただ作家業界で通称エピックメロディーってのがあって、譜割にするとタカターターターっていう。そこでホイチョイ馬場「ああ、マイレボリューションですね」とツッコむという一幕があったのさ。とにかくあの頃、バンドにコンテストとか行くと、「タカターターター」ばっかりかよ!って」

司会者「(だからなんでそんなやりとりまで覚えてんの? 記憶力いいの? ムダに? バカなの?)」

kenzee「とにかく山下氏にもなんで売れるのかよくワカラン、という話だったんだな。ボクのイメージだとコムロサウンドは分散和音なんだよね。コムロってあんまりコードをジャーンって弾いたりしないんだ。ところでコムロの時代って暗黒の90年代、つまり阪神大震災とオウムの95年、宇野常寛氏言うところの「エヴァンゲリオンと心理主義」の時代と見事に符号するんだね。意外とコムロはバブルと寝なかった、むしろバブル以降を荒野を反映した音楽だったといえる。ところで例のYou Tube政見放送でオナジミの外山恒一だけど、彼は昔、九州の中洲あたりで弾き語りの路上ミュージシャンをやっていたらしいんだよね。で、酔客のリクエストに応えてブルーハーツなんかを歌っては小銭を稼いでたらしい。で、彼は当時(多分96年か97年)の政治運動家の仲間たちと歌謡曲の評論集を出していて、確かタイトルは「ヒット曲を聴いてみた。すると時代がみえてきた」というものだったと思う。メチャマイナーな出版社だったと思う。でね、ソレオレが20代で読んだ音楽評論でも屈指のオモシロさだったんだけど。もうああいうのやらないんスかね、外山さん。とにかく外山さんはじめ、ひとクセある運動家(矢部史郎、山の手緑など)ばっかりだから歌詞のなかに思想を見出そうとするんだね。ミスチルの桜井は「コイツ話、長いし」、ポケットビスケッツは「底辺の若年労働者の叫び」になるし小沢健二は「宮廷音楽」みたいなもんだとか言われるし」

司会者「(だからなんで10年以上前に読んだ本のハシバシをコイツ覚えてんの? それもう手元にないのに。狂ってんの?)」

kenzee「近田春夫のヤツより面白かったよ。彼ら論客にとってもっとも脅威だったのはシャ乱Qだった。「生殖の欲求しか描かれない恐ろしいほどシンプルな世界観」とか言われてた。外山さんはあんな本にも熱心な読者がいたことをご存知だろうか。でも、そんな彼らでも当時一世を風靡していたコムロソングにはとくに言及してなかったな。こんなもんだろうという感じで。歌詞の程度の低さはネタだろうか、ぐらいの。それぐらい時代の空気にフィットしてたんだろうね。コムロソングは。コムロを語るうえで大事なのは彼はバブルの波に乗って現れたのではないということなんだよね。あるいは「バブル以降」という環境が欲した人材というか。よくコムロのヒットはカラオケ市場にあてこんで成功したとか言われるけど、オレはカラオケでコムロソングを歌う人って見たことないんだよね。実際に華原朋美とか歌う人見たことないんだなあ。じゃあ一体あのコムロ大帝国ってなんだったんだろね。そしてあれほど88年ごろから安定した人気を誇っていたコムロソングが98年あたりを境に急激に売れなくなったのはナゼなのか。これはフシギなんだよ。順当に考えればむしろこっからコムロ時代が始まってもおかしくない。98年ごろを境にJ-POPのレコーディング環境はプロトゥールズをはじめとするデジタル環境に移行していくんだ。この辺からいわゆる「バンドサウンド」がJ-POPから姿を消していく。入れ替わるようにサンプリングミュージックや打ち込み主体のサウンドにトレンドが変わっていく。ヒップホップやR&Bなどが顕著な例だ。コムロにとっては願ったり叶ったりの時代だったといえるが、彼はこの波にまったくノレなかったんだ。そしてそれは本人にも理由がわからなかった。コムロ音楽とはなんだったのか。90年代におけるコムロの成功はケタ違いのものだった。しかもその音楽は制作にほとんど経費がかかっていない。コムロ本人の手によるシンセサイザーサウンドだったのだからコムロにとってTKスタジオとは打ち出の小槌のようなものでCDはお札を刷っているようなものだったろう。だが、99年の携帯におけるiモードの普及、2001年、iPodの登場、ADSLの普及、CD不況……コムロの失速はむしろ音楽的なトレンドウンヌンといったソフト的な問題というより音楽を取り巻く環境の問題だった。コムロは配信ビジネスに乗っかろうと画策して今度の詐欺を思いついたのだろうが配信ビジネスとはいちミュージシャンがどうこうできるようなシロモノではないのだ。モチはモチ屋ってトコですかね。それにしてもコムロ逮捕で霞んでしまったが、元CD屋としてもっと悲しい事件が時を同じくして起こっていたのだ。去年の12月にリアル店舗全店閉鎖し、ネット販売に特化したCISCOがネット店舗もろとも閉鎖し、倒産したようなのだ。音楽ってこれからどうなっちゃうのかね。イオンやら西友やらイトーヨーカドーやら大手スーパーがかなりの店舗を閉鎖するらしいじゃん。そしてトヨタやマツダなどを始めとする製造業で減産のため、大規模な派遣社員のクビ切りが敢行されているようだ。これらの事象は並行して起きているように見えるんだよオレには。なんていうのかな、トヨタをクビになって会社の寮を追い出された30代や40代の人はかつてコムロソングを聴いていたのではないかと。なんか今、恐ろしいことが起こってるんじゃないかと思うんだ。とりあえず、年明けあたりから膨大な若年失業者と住むところのない人々が街に溢れ出すのは間違いないよ。オレは雨宮処凛さんじゃないからどこがどう問題なのかとかうまく言えないけどさ。ま、速水健朗さんみたいな人にゼヒ、コムロ論と若年貧困層とジャスコがなくなった後の郊外論とかやて欲しいな。全部繋がってる気がするんだよ。でね、昔、人にね、「思いついたことは自分でまとめなきゃダメだ」って言われたのを思い出したりするのさ」

司会者「それがオチですか(つーか今日のkenzeeグダグダじゃん、こないだまで飛ばしまくってたのに。死ぬの?)」

PS.TMの初期の映像を漁ってみました。この「1974」はドラム、ベースに至るまでシンセによるシーケンスで生楽器は木根のアコギだけという初期のTMサウンドが特徴的なものであったとわかる映像です。当時の主流のロックとハッキリと差別化を図る意図がああっとわかります。

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2008年11月 3日 (月)

kenzeeさん、アンタァ……Part.3(安戸悠太「おひるのたびにさようなら」文藝冬号)

司会者「アンタの明日は二週間後かこのハゲ」

kenzee「イヤホンット、最近、後退がハゲしくてもうトシだわ…って違うよ! まあホントに後退してきてるんだが」

kenzee教授「しかしキミが失業してから、リーマンショックだわ、株価大暴落だわ、中小企業じゃジャンジャンリストラが始まってるらしいわ、大変なことになってるな」

kenzee「わざとかっちゅうくらいですワ。ハローワーク満員ですよ。最近スーツ新調したんです」

司会者「ボクは常にアルマーニですが、やっぱりkenzeeさんも」

kenzee「そんなの洋服の青山に決まってるだろう!「2着セールで断然オトクです!」とか口車に乗せられて気がついたらスーツ二着ブラ下げて原チャで阪奈道路疾走している、そんな自分がいた」

kenzee教授「そんな中学生日記みたいな語りいらないよ!」

kenzee「カッターシャツにネクタイ、ベルトをお付けしてナ、ナント、ゲーマンもしちゃいました」

司会者「ボラれてますよソレ」

kenzee「そんな就職活動中のボキも明日は椎名誠が生駒市中央公民館に講演にくるので行こうかどうしようか迷い中」

kenzee教授「そんなローカルな話題より人生考えろ」

kenzee「来週はMOSの試験を受けるのでドキドキです。落ちたらツェーマンパーです」

司会者「文学フリマはどうするんですか」

kenzee「今回は、ちょっと、見送らせていただきます。やっぱ江戸は遠いワ。次回(ゴールデンウィークだっけ)ぐらいにはもうちょっと体勢を整えて臨みたいと思います。せっかくお声をかけてくださった方もいたのに申し訳ないですが。ホントは破滅派とかゼロアカの人たちのヤツとか手に入れたいなあとか考えてたんですが」

司会者「そろそろ新人賞関係も片付けとかないと年末きちゃいますよ」

kenzee「一年早いなあオイ。エート前回どんな話したんだっけ」

kenzee教授「エート、まず宇野常寛氏の言う決断主義というのは「ゲームに参加しないでひきこもる」という選択肢がもはや無効なゼロ年代において、ゲームの勝利者になる方法は一つしかない。それはゲームの設計者になること。「メタ決断主義者」になることだ、と。で、そのゲーム設計において設計者のアイデンティティとか思想とかは関係ないんだね。強いて言うならゲーム参加者たちがより燃える設計に常に更新してゆくことが「メタ決断主義者」の責務となるだろう。そこを勘違いするとたちまち「メタ決断主義者」は「野ブタ。をプロデュース」(原作のほう)における桐谷修二のようにゲームからの退場を余儀なくされる。そう考えると決断主義ゲームというのは参加者にせよ、設計者にせよ各々の人生観とか人間観とか要するにアイデンティティというものがまったく勘案されない世界なんだね。むしろ、人生観とかヤボなこと言いだすとたちまちゲームから脱落してしまうのが決断主義の厳しさだろう」

司会者「まるでホスト業界みたいですね」

kenzee教授「ウン、多分、決断主義というのは芸能界とか水商売の世界では昔からあった概念と価値観なのだろうけどそれが現代では我々が生きる日常全般の人間関係にまで敷衍されてしまっている、というのがゼロ年代って話だと思う。で、そんな状況はよくない、もっとみんな腹割ったコミュニケーションしようぜ、というのが宇野氏の今のところの結論のようだ。で、決断主義ゲームではアイデンティティ、つまり日本の伝統的な私小説における「私」を一旦保留しなきゃ参加できないんだ。そのゲームで自分に要求されるキャラを演じることによって承認を得る、というシステムなので「私」よりキャラが優先されるのだ。そこで、私は田中弥生氏の評論「乖離する私」に接続しうるテーマではないかと、純文学の側から解釈してみた。そこにタイミングよく現れたのが今回の文藝賞受賞作、喜多ふあり「けちゃっぷ」だ。この作品において、近代小説の伝統「私」が完全に消滅している。架空のキャラが完全に一人歩きして、終わるのだ。つまり、主人公のHIROは、他の誰でもない「私」ではなく、代替可能な「キャラクター」として描かれる。HIRO以外の人物、例えばヒロシやAV監督などはまだ、アイデンティティを持った、つまり「私」を生きる人物のようなのだが、彼らの存在はHIROによって(厳密にはブログによって)ケチョンケチョンに酷評される。こうなるとサルトル以来の「実存」ってなんだったんだ7デイズといった感じになる」

司会者「小ネタはやめてください。トシがバレますから」

kenzee教授「続いて安戸悠太「おひるのたびにさようなら」だが、この作品も「私」に対して野心的な試みがなされた作品だ。長いので手短にいくけど、まず田舎の一家の食卓のシーンから始まる。6人が食卓を囲んでいると地震が起きる。テレビで地震速報が流れる。震源地は遠くだった。ホッと座が和む。コレがファーストシーンなのだがこれはこの小説の主人公、真司が観ているテレビドラマのワンシーンなのだ。真司は会社員で、毎日、昼休みに病院の待合室のテレビで患者達に混じって帯の昼メロチェックを日課にしている。同僚のOL、水野と福田の指令なのだ。で、その日の展開を真司は彼女らに報告するのだ。だが、その待合室のテレビは病院なので音をOFFっていてドラマ中の会話は聞き取れないのだ。映像だけのドラマを観て、ストーリーを想像して、真司は彼女らに報告する。そして彼女たちは家に帰ってから予約録画していた正解をチェックして真司の想像のストーリーと比べて、楽しんでいるのだ」

司会者「妙な構成を思いつきましたね」

kenzee教授「この作品において、まず真司、水野、福田のテレビ観賞についてウンヌンするという第一のフィクションがある。だが、その中のテレビ内のメタフィクションも等価に描かれていく。で、さらにそのメタフィクション(昼メロ)の役者の日常という別のフィクションが挟まれる。だが、これと真司たちの日常が絡むことはない。で、そのドラマもイロイロあって、真司らのフィクションがやがてメタフィクションに飲みこまれて終了、という、やたら複雑なだけという印象も残るが野心的な作品なのだ。私小説の「私」は現在、どこいっちゃったのか考える上で重要なテクストだと言えるね。東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」によれば「自然主義リアリズム」はどう定義されるかというと、登場人物が一回性の生を生きる、死んだらオシマイというところにある。だが、「ゲーム的リアリズム」はロールプレイングゲームのように主人公たちはセーブした箇所から幾通りもの別の人生を歩むことができる。桜坂洋の小説などを例にだしながら現代のリアリズムとは自然主義リアリズムのように一回性の生では描ききれない領域があり、そこを補完する形で「ゲーム的リアリズム」が誕生したのだと主張している。ひとつのシチュエーションに対して何通りもの生をいきることによってクリアーになってくるリアズムがある、というのは理解できる。ところで東氏はあんまりこういったカルチャー批評を社会評論にあえて接続しないタイプの人なんだけど」

司会者「だから年配の人に嫌われるんでしょうね」

kenzee教授「やっぱり現代社会における過剰流動性の上昇とゲーム的リアリズム繋がってると思うんだよね」

kenzee「例えば昔は職業とアイデンティティは密接に結びついてたワケでしょう。漁師の人とか、いろんな選択肢の中から漁師を選んだというよりはじめっから漁師となるべくして育って漁師になったんだと思う。鳥羽一郎のような人は漁師になるか歌手になるかしか選択肢がなくてはじめから例えばシステムエンジニアみたいな職業は除外して考えてるじゃないですか。昔の農家とかもそうだと思うけど。昔の終身雇用が前提の社会では一回性の生を生きる自然主義はリアルだったと思うけど、これだけ社会が流動化すると職業とアイデンティティを結びつけるのは難しくなる。職場や人間関係がゴロゴロ変わっていくのがフツーになってくると人生自体がメタフィクションみたいになってくるよね。そういう社会状況とゲーム的リアリズムには関わりがあるんじゃないかな」

司会者「と、失業者が申しております」

kenzee教授「おひるのたびにさようなら」は一見、自然主義の手法で書かれた小説のように見えるが、じゃあ彼らが本当に一回性の生を生きてるのかと問われればそこは巧妙に曖昧なままなんだ。例えば自然主義を物理的な現実に向かいあうことを前提として虚構に生きることと定義するならこの小説になかで誰がそれに該当するだろうか。真司たちか、かがわとかいう役者か。ラスト、真司たちの現実が唐突にドラマの最終回となる。でも、この「だから、終わります」は自然主義における「一回性の終わり」というよりあらゆるバリエーションの一つとしての終わりを思わせる。安戸氏はやっぱり自然主義への疑いを持ってこれを書いたんだと思うよ。小説内メタフィクションのテレビドラマがコテコテの昔の自然主義調なのが皮肉だよ。もうひとつ気になるのがこの小説の登場人物、とにかく真司たちの世界、ドラマ内の世界、全部のね。全員の話だけど、ワザとらしいぐらい類型的でしょ。真司は典型的な気の弱い若手サラリーマン。水野と福田は典型的な腰カケOL。ドラマの登場人物たちもそう。典型的な結婚を控えて相手の親に挨拶に行く適齢期の女性。典型的な田舎の大家族。つまり、「私」がないんだよ。「他の誰でもない私」なんかどこにもいなくて「典型」しかいない。実存主義の時代には「私」のことを「実存」、典型のことを「構造」などと呼んだのだが東氏に言わせるとイマドキは「キャラクター」というのだそうだ。この小説もまた、キャラクターしかいないんだよ。東氏によれば、

「キャラクター小説と私小説の違いをシンプルに言うと、キャラクター小説はテクストの向こう側に作者だけでなく、キャラクターのデータベースがある。だから物語に関係なく特定の人物を呼びだせる。(中略)一方、私小説では最終的な紐づけ地点が作者にしかありません」(新潮2月号「高橋源一郎・田中和生・東浩紀「小説と評論の環境問題」)

この小説の人物は我々がパッとイメージする通りのキャラクターを演じている。「私」を生成する最も手っ取り早い方法はステレオタイプなイメージを裏切ることなんだ。昼はフツーのOLなんだけど夜はSMの女王様とか。細かくステレオタイプを裏切って、しかも読者の同意を得られればそれは強固な「私」になってゆく。そもそも田山花袋の「蒲団」から「私」とはそういうものだった。立派な作家先生がヘンタイ、というね。人物が奇形であればあるほど読者の我々はのめりこんでいくんだ。なぜなら我々はみんな奇形だからね」

kenzee「ダウンタウンの病院コントで浜田が患者で松本が医者で、いつまでもグズグズ診察しない松本に向かって浜田が「お前医者やろ!はよ診ろや!」と怒鳴ると松本「ボクは患者ですよ。人間みんな患者ですよ」浜田「?」っていうのがあったけどあれは「実存」の問題を扱った秀逸なコントだったね」

kenzee教授「でもこの小説には奇形も患者もいなくてイメージ通りのキャラクターばかりが登場するんだ。一種のキャラクター小説と言えるんじゃないかね。まだ、「野ブタ。」ぐらいまでは、つまり2005年ぐらいまでは人間がキャラクターとなってゲームに参加することで失われるコミュニケーション、という問題に触れていたが、2008年には完全にアイデンティティが消滅しちゃってるよ。我々オヤジはこれからどうやって小説を読めばいのかね。ついでに「けちゃっぷ」に戻るけど、鈴木謙介 によると、

(インターネットで公表される個人の日記などを通じて)私たちは「私的な私」のまま「公的な場所」に出ることが可能になった今、何も「この私」であることは公的な人間であることを必ずしも意味しない(鈴木謙介 「暴走するインターネット」)

この公と私が曖昧になり、HIROが自分でもブログにおける人格が公的なものか私的なものか判断がつかなくなっている状態。また、主人公のプライベートな行動がブログを通じて世界中に発信されてしまう状況。この公と私が混じりあう混沌とした部分についての問題を東氏は「公共性」の問題として文學界の連載でやってるんだけど」

kenzee「選評よむ限りでは今回の文藝賞、このままほっとくとイロモノとして葬られてしまいそうな感じだったのでフォローしてみました」

kenzee教授「けちゃっぷ」がケータイ小説に対する純文学からの回答。「おひるの……」がライトノベルに対する純文学からの回答、と結論すると書評としてまとめすぎだろうか」

kenzee「さらにイロモノとして葬られてしまいそうな天杢裕文「灰色猫のフィルム」が控えていますぜ。今日の教訓。原チャで阪奈道路疾走は危険」

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