本当の自分、捜し求めて(笑)(ボクのコム論Part.3~速水健朗「自分探しが止まらない」ソフトバンク新書)
司会者「まだコムロで引っ張るのかよ! アンタ本当にkenzee賞やる気あんのかよ! この半年の小説のレビュー何個だよ! もう、コムロの話はやめなはれ!」
kenzee「速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ。著者の速水氏はボクの一つ上で、1973年生まれ。この年はもっとも出生人口が多い年でいわゆる団塊Jr.といわれる世代だ。73年生まれといえば柴崎さんなどがいる。で、速水さんの同世代の友人などの傾向として成人してから「自分探し」目覚めちゃうヤツが多いのだそうだ。20代を放浪の旅に費やすヤツ、ピースボートで世界一周したヤツ、30過ぎて海外青協力隊でアフリカに行くヤツ。そういうちゃんと就職しないで「自分探し」の方にいっちゃう人が多い、と。そして速水氏自身、就職活動で出版社など数社を受けるも失敗し、アルバイトとして出版社に出入りする内にフリーの編集者になったクチだ。ところで「自分」を「探す」ってナンジャラホイ? というのがこの本のテーマなのだ。本書はまず、中田英寿の引退宣言の引用から始まる。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し「新たな自分」探しの旅に出たい。そう思ったからだった。(中田英寿オフィシャルホームページ)
キャリアの頂点にいながらサッサと「自分」を探すために引退しちゃうスーパースター。コレどういうこと? そして「あいのり」といった恋愛バラエティ、2004年に起こった二つのイラク人質事件。海外での自分探しと格安旅行会社の連動。自己啓発セミナー。90年代以降、激増したフリーターを始めとする非正規労働者。そんな「自分探し」なマインドから搾取しようとするビジネス。自費出版など。また、自己啓発系居酒屋やラーメン屋の出現の意味は? など、社会現象や流行、それ系のベストセラーを紐解きながら、我々団塊Jr.世代がこんなんなっちゃった遠因を探っていくという、豊富なデータに基づく見事な社会評論だ。結論としては今の社会は新自由主義により国家の役割が小さくなり「大きな物語」が提示できなくなった。そして人々は理想的な人生モデルを探し求めて右往左往することになる。バックパッカー、ワーキングホリデー、あいのり、自己啓発ビジネス、新興宗教、全部つながっとるガナ、といったところか。特に「最近のラーメン屋はなんで作務衣を着ているのか」といった論考が光ってたね。本書にムリヤリ文句をつけるなら、そんな「自分探し」に振り回されないで、充実した人生を生きるにはどうすべきか、という対処法をなんらかでも示して欲しかったかな?」
司会者「自分探し」ってなにか言ってるようで、なんにも言ってない奇妙な言葉ですよね。どっからこんな言葉がでてきたんでしょうね」
kenzee「まあ、一言で言えばバブルの崩壊で「経済」という物語が消滅した後に「自分探し」で補充しようとした。カネやモノに価値を見出していたバブル時代への反発もあったのだろう。そして、歴史とは不思議な偶然を招きよせるものだけども最高のタイミングで阪神大震災が起こる。その映像の凄まじさに国民は度肝を抜かれた。そしてこう思った。「家やらナニやら買おても、潰れるときは一瞬やわ…」そんな空気がますますスピリチュアルや自分探しへと人々を駆り立てたのだ。そして90年代の構造不況を背景に「自分探し」なマインドは大量のフリーターを生むことになる。そしてゼロ年代に突入すると小泉政策の規制緩和によって「自分探し」は大量の派遣社員を始めとする非正規労働者を生み出す。そして2008年、サブプライム問題を発端とする世界的な経済破綻を背景に「自分探し」は大量の失業者を生んでいる。なにしろ一ヶ月間の間に一万人もの失業者があふれでているらしいのだ。2009年はこの人たちの雇用をどうするかってとこから始めなきゃならないと思うんだけど。12000円バラ撒いたってナンの解決にもなりませんからね。これほど国民を迷わせ、混乱させてきた「自分探し」だけど、世間的には「自分探し」は大前提的にいいこととされてるでしょ? 学校教育も基本、この方針で運営されている。大体、「迷う」って文字通りそこで停滞するわけなので「いいこと」なわけないのに、大前提的にいいこととされてる世の中ってナニ?って話ですよ。「自分探し」はまた、マジメで親や学校の先生の言うことを真に受けるタイプの人の方が陥りやすいワナという側面もあってね。イラクの人質の人たちが典型だけど虫も殺さないようなタイプの人ほど嵌ってしまうトコがある。まあ、こういう内容の本なんだけど、不思議なのは速水さんはヤンキー、ケータイ小説などの郊外文化の論客であり、また「タイアップの歌謡史」という著書もあるほどのJ-POP評論家でもある。だのに~な~ぜ~「J-POPの歌詞と自分探し」の関係を取り上げなかったんだろ? 映画や恋愛バラエティ番組まで取り上げといて肝心のヤツを」
司会者「90年代のヒット曲もコレ、大概「自分探し」ですからねえ」
kenzee「そしてそのテーマでいくと、待ってましたとばかりにコムロが登場するのだ。なんせ、全盛期のコムロソングはひたすら自分探しの話しかしないんだよ。それもかなり直接的に。リリシズムのカケラもない文体で。こんなんだ。
真面目な自分は茶化しちゃう自分に負けてるかもね だけど不自然じゃなく素直になれるよ今夜は(trf「Crazy Gonna Crazy」95年)
Boy Meets Girl 出会いこそ 人生の宝探しだね 少年はいつの日か少女の夢 必ず見つめる(中略)安らぎが欲しかった 誇れる場所が欲しかった だけど大切なのはあなたとあの日出会えたことね(trf「Boy Meets Girl」94年)
I'm Proud 壊れそうで崩れそうな情熱を 繋ぎとめる何か いつも探し続けた どうしてあんなに夢が素直に見れなくなってた 街中で居る場所なんてどこにもない 体中から愛がこぼれていた(華原朋美「I'm Proud 」96年)
……コムロソングの論理は基本、こうだ。純真な若者が社会へ出て行く。そこでさまざまに軋轢があったり、思い通りにいかなかったりする。そんな日常に埋もれ、「自分らしさ」「本当の自分」を見失っていくのだ」
司会者「ハァ」
kenzee「で、こっから急展開しますよ。「あなたと出会えたことによって、私は生まれ変わったり、自分を取り戻したり、するのだ」
司会者「スゲ~(ハナクソをほじりながら)」
kenzee「コムロソングが言いたいのはこれだけ。「私」は社会へ出て、戸惑う。自分を見失う。でも、そこへ救世主のように「あなた」が現れ、私は素直になったり、自分を取り戻したりする。手を変え品を変えコレだけ。あとはシチュエーションが変わるだけだ。クリスマスだったり、ビーチだったりするだけだ。よく、「ケータイ小説にはプロットしかない、ロマンスへの回帰」とか言われるが、コムロソングもプロットしかないのだ。そして、コムロワールドにおいて「自分らしくある」「素直な自分」とは大前提的に「善」とされている。「本当の自分」が実はとんでもない「悪辣な自分」だったらどうしよう、と疑うとかありえないのだ。そして「出会い」「夢」「探す」というフレーズが多いことにも気付く」
司会者「まさに「自分探し」じゃないですか!」
kenzee「そして、これは今回初めて気付いたんだけど、コムロソングは社会的承認を求める歌でもあるんだね。「誇れる場所が欲しい」とか「居場所がない」ことを否定的に描いたりしている。そして、あなたと出会い、あなたやまわりから認められることで私が輝く、と。こういうコンテクストになってま」
司会者「でも、とにかく「あなたと出会う」とこで万事解決する、という安易な世界観ではありますね」
kenzee「安易で短絡的な世界観だと思う。でも「自分が変わって、世界が変わる」という考え方は後のセカイ系などに代表されるライトノベル、美少女ゲームの世界観にも繋がっていくもので、コムロは大衆が求める歌を的確に投下した、優秀な作家であったのは間違いない。いかに単純な歌であろうと。でね、この時代のヒット曲で「自分探し」なのはコムロだけじゃないから問題なんだよ。言うまでもなく、オレはミスチルの話をしようとしてるんだけど。
閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて きっと きっとって僕を動かしてる いいことばかりではないさ でも次の扉をノックしたい もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅(Mr.Children「終わりなき旅」98年)
いきなりモロのフレーズがでてしまいました。「もっと大きなはずの自分を探す」これがミスチルワールドの基本線といっていい。そして競争社会とか優劣をつける、ということに対して一貫して否定的なんだよね、ミスチルは。
勝利も敗北もないまま 孤独なレースは続いてく(Mr.Children「Tomorrow Never Knows」96年)
「人生は終わりなき旅」「孤独なレースは続く」と、ミスチルは結論を先延ばしにする傾向があるんだよ。このロジックが学生、フリーターに定職に就くことをためらわせる根拠を与えたと言えなくはないだろう。だが、ミスチルの恐ろしいところはそんなミスチル論理にたまに自己言及することがあるのだ。
夢追い人は旅路の果てに 一体何を手にするんだろう 嘘や矛盾を両手に抱えて、それでも人だよ、と悟れるの(Mr.Children「Everything(It's You)97年)
これは「自分探し自由人」への皮肉であり、バックパッカーみたいな人々にとっては強烈なパンチラインとなって響くだろう。このようにミスチルはあーでもないこーでもないとさまざまに自己言及するのだ。まるで碇シンジのように」
司会者「終わりなき旅」に現れているように、若者が社会へでて、大変な目に遭う、ということろまではコムロワールドと同様なんですね。で、コムロは「あなたと出会う」とこによってすべてチャラにしてしまうのですが、ミスチルは「それでも次の扉を開けるんだ」と歯を食いしばって頑張りますね。このような思考が誰にとって都合がいいかというと、やっぱり若年非正規労働者を支配する側にとって便利なロジックだと思います」
kenzee「終わりなき旅」は98年発表です。若者も98年の時点では「次の扉を開けたら新しい自分に出会える」と信じてるんですね。でも、翌99年になると「アレ、もしかして…オレヤバイ?」って気付きはじめます。
ひとつひとつ仕組みを知れば 子供のままでは生きていけないと 変わりゆく他人を遠くに見ては 時代の息吹に身をさらす ここではないどこかへと胸をこがすよ(GLAY「ここではないどこかへ」99年)
「オレは自由人さ~」とか調子コイてる間に同級生とかちゃんと就職してた! ハッ!っていう話です。ここではないどこか……コンビニとか倉庫とかじゃないどこか…そんな折、小泉政権が誕生する。ところでね、みなさんも「本当の自分」とか「自分らしく」とかで歌詞検索してみればわかると思いますけどスゴイですよ。スゴイでてくるでしょ?で、ほとんどがやっぱりオウムと地震のあとの95年以降の歌が多いワケ。歌は世につれってホントなんだね。で、ミスチルさんとかグレイさんとかはやっぱりたくさん曲を作るなかで逡巡がでてくると思うんですよ」
司会者「むやみやたらと「次の扉」をノックしてもいいのかな、とか」
kenzee「そこで自己言及が始まっちゃう。でもそんなにたくさんまだ歌詞を書いてはらない人なら素の歌。つまり、そっくり世相を反映した詞を書くものではないかと思うのです。そこでこんなの発見しました。反町隆史「POISON」
いつまでも信じていたい 最後まで思い続けたい 自分は生きる意味があるはずと 小さな夢も見れないこんな世の中じゃ POISON 自分らしさ ずっといつでも好きでいたい 自由に生きてく日々を大切にしたいから 行きたい道を今歩き出す(反町隆史「POISON」97年)
司会者「直球できましたね彼は」
kenzee「どうこう言う必要ないね。つまり、そこらの俳優さんに詞書かせてみたら、無意識にそのままズバリの歌詞を書いてしまうほどの「自分探し」な時代状況だったと言えるだろう。で、この97年あたりから就職氷河期が始まるのだが、この傾向はゼロ年代に入っても続く。
ありのまま生きるならば今だぞ 涙の数だけ大きくなる訳 そこに本当の自分があるだけ(ケツメイシ「涙」)
司会者「ものすごく手短に「自分探しソング」の全部の要素が入ってる秀逸な歌詞です。自己啓発系居酒屋…「和民」とか、こういう論理で回しているって聞きますけど」
kenzee「速水さんは「自分探し」とスピリチュアルとの関連についても述べられてるんだが、96年の時点でJ-POPはその関連をすでに捉えていた。この歌は変則的な「自分探し」だね」
僕はここで生きてる 僕はここで想ってる 自分の明日につながりを求めないOh 時は戻らずに強がるから 凛とした魂も泣き笑いで涙があふれる 「自分らしく生きる」ことなど何の意味もないような朝焼け(MY LITTLE LOVER「Now&Then失われた時を求めて」96年)
最後のフレーズがスゴイですね。なんか覚醒しちゃったんですかね。超越性ってヤツですか。自分探しとスピリチュアルは兄弟みたいなモンなんですかね。そして90年代のJ-POPにおいて「自分探し」で俯瞰するなら絶対忘れちゃいけない人がいます。この人だ!
どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 好きなものは好きと言える気持ち 抱きしめてたい どんなときも どんなときも 迷い探し続けることが 答えになること 僕は知ってるから(槇原敬之「どんなときも。」91年)
この曲のサビもケツメイシ並にスゴイです。だって全部入ってますからね」
司会者「僕が僕らしくあるために迷い探し続ける」ってそのままですもんね」
kenzee「でも、91年の時点でこの歌詞を書いた槇原さんは早かったね。だって、確かに91年にバブルは崩壊したかも知れないが、世の中の空気はまだバブルを引きずっていてフツーに「ねるとん」とかやってたしジュリアナ東京がオープンしたのも実は91年だ。この時点ですでに「あいのり」的な90年代観をすでに掴んでいたということだよね。
恋と仕事どちらかを選ぶ人もいるけど 僕らしくやってたら両方とも大事だった(槇原敬之「HOMEWORK」94年)
司会者「でましたね。「僕らしく」。でもフツー「恋と仕事どちらかを選ぶ」のは女性の発想だと思うのですが」
kenzee「そこをツッコみだすと話がややこしくなりますので。クィア理論とかやりだしたら永遠に終わらなくなっちゃいますから」
世界にひとつだけの花 ひとりひとり違う種を持つ その花を咲かせるために一生懸命になればいい(中略)小さな花や大きな花 ひとつとして同じものはないから No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン(槇原敬之「世界にひとつだけの花」03年)
速水さんも本のなかで言ってるけど現代の若者の「自分探し」に共通しているのは、自分を変えるために何か具体的な努力をしようとは考えずに環境を変えることで自分を変えようという心性があるという指摘がある。努力や研鑽や他者との関係性のなかで自分を構築していくのではなく、本人の内部に「自分らしさ」が存在し、本人だけが発見しうると考える傾向がある、と指摘している。この「世界にひとつだけの花」はこのCD不況にあって200万枚を越えるメガセールスを記録したのだが、まさに「自分らしさ」とはもともとあって、いかにしてその花を咲かせるかという他力本願ソングでピッタリ速水さんの議論と一致する論理だ。また、No.1にならなくてもいい、とミスチルの「勝利も敗北もない孤独なレース」と共通の世界観を感じるね。
わからないことだらけでも 本当のことだけ探していこう そんな気持ちを誰もがきっと青春と呼ぶのだろう まっすぐにまっすぐに伸びる この緑色の道を歩きながら続いていく 僕らのGREEN DAYS(槇原敬之「GREEN DAYS」07年)
司会者「槇原は自分探し界の真打ちといってもいいほど完璧にそっち系ですね」
kenzee「でもこんな自分探しソングに対する抵抗勢力というかオルタナタィブが90年代も後半にさしかかると登場する。「自分探し」をつづけることで挫折する姿をJ-POPは描き始めるのだ。スガシカオの登場は「自分探し」への批評として機能することになる。
あの頃の未来に僕らは立っているのかな ずべてが思うほどうまくはいかないみたいみたいだ このままどこまでも日々は続いていくのかな 雲のない星空が窓の向こうに続いてる あれから僕たちはなにかを信じてこれたかな 夜空の向こうにはもう 明日が待っている(SMAP「夜空のムコウ」98年)
ずっと探していた理想の自分って もっとカッコ良かったけれど 僕が歩いてきた日々と道のりを本当は「自分」ていうらしい(スガシカオ「Progress」06年)
あと少し頑張ってみるよ どうもなんないと思うけど きっと明日いいことあるよ 本当にあったらいいけど 「僕はいつでもそばにいるよ」おざなりなこと言ってる 明日から僕はちゃんとするよ なにひとつできやしないのに(スガシカオ「ひとりごと」98年)
僕らが昔 唾を吐いて嫌った いやらしい大人の匂い この前君の自慢のそのシャツから そんな匂いがしていたけど 大人じゃないフリしているのは都合がいいから? いつの日からか君は望んだんだろう 汚れてしまわないこと こびりついてしまう汚らしいもの全部 ムリヤリ消毒してきたんだろう? 君がもし少年のままで輝いていたいのなら 伝説の島に住む人魚の肉で 望みどおりの永遠を手にしたらいい 君は僕をどんな風に思う? 許せないくらいに憎いのかな 僕は君のトボケた夢なんか聞きたいと思わないけれど 僕はもう決めてしまったんだ 歩き続けていこうと 伝説の海に舞う人魚の肉は モノスゴイ匂いで僕なんかじゃ近づけないと思う 伝説の波の向こう人魚の群れは 荒れ狂った海でまだ誰もたどり着けないらしい(スガシカオ「マーメイド」01年)
こうやって書き出してみるとスガシカオという作詞家がとんでもない天才だということがわかります。今までサンザン夢を追って、自分を探して、ここではないどこかを目指し、あなたと出会うことを求めた結果ドツボに嵌った「自分探し」に決定的な一撃を喰らわすフレーズを次から次へと繰り出すパンチライナー。「マーメイド」における「歩き続けていこうと」というところはモチロン「夢」に向かって歩いていくのではなくて「現実」に向かっていくのです。そして誰も確認したことのない「どこか」は荒れ狂った海でたどりつけないらしい、と皮肉を交えて言うのだ。また「夜空のムコウ」におけるセンチメンタリズム、後悔、失望といった感情がゴチャゴチャになりながら「夜が明けてしまう」という焦燥までを描いた世界は完全に「自分探しワールド」をひっくり返す強度を持ちえている。そしてこの曲が結構なヒットを叩きだした事実を見ても「自分探し」へのオルタナティブとして機能している。
安全と冒険で君はどっちへ行く 退屈と充実で君はどっちを取る そんなに簡単に選べるくらいならなんの迷いもなく幸せになれるかい?(スガシカオ「ストーリー」98年)
司会者「スガシカオは完全に「自分探し」を標的にして詞を書いてるようにすら思えます。でも、スガさんの煮え切らない感情とか皮肉のある歌詞が一定の支持を受けているということはやっぱり「自分探し」はウソ臭いとウスウス感じてる人が結構な数いるってことじゃないですか?」
kenzee「実は槇原ソングもわざとソレ系の歌詞ばっかり書き出してみたんだけど、99年あたりから内省的な歌詞が増えてくるんだ。「自分探すことが大事、迷い続けてこそ人生!」とか能天気ではなくなってくる。そしてこのあたりからコムロ人気は急速に凋落していくんだ。ミスチルも長期休業したり自己に言及するようになる。そして「ゼロ年代の想像力」にもあるように99年は決断主義の原型とも言える「バトルロワイヤル」が登場する。そして政治レベルでは派遣業が規制緩和され、自分探しにさらに追い討ちをかける状況が設定されていく。そして98年、「自分探しソング界」にとんでもない怪物が登場するのだ。その名を「浜崎あゆみ」という」
司会者「そこまで手ェつけたらホントに終われなくなりますって! kenzee賞どうすんだよ!」
kenzee「乗りかかった船だよ! 浜崎が「自分探し」にどんな決定打を叩きこんだのか、確認しとかないとオレは次の扉をノックできないよ!」
司会者「もうずっと「自分探し」探ししとけよ!」
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コメント
もちろんすでにご承知とは思いますが、第二回kenzee賞受賞者である津村さんが、野間文芸新人賞を受賞されましたよ。
投稿: Lydwine. | 2008年11月27日 (木) 04時52分
あ、ホントだ!ココに載ってますね! ありがとうございます。
津村さんおめでとう! ていうか「ミュージック・ブレス・ユー!」で!?
野間賞って純文学の賞だったよなあ…。アレ割とフツーの青春小説なんだけど。しかも、津村作品もっと野間向けのヤツいっぱいあるんだけど…。文学ワカラン。
投稿: kenzee | 2008年11月27日 (木) 13時23分
本人も「賞くれるくれる詐欺!?」って言ってますけど…。
投稿: kenzee | 2008年11月27日 (木) 13時26分