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2009年1月29日 (木)

日本語ラップと自分探しその3

司会者「ラップとか自分探しとか言ってる間に津村記久子が芥川賞獲っちゃいましたよ。津村オシのウチとしてなにかコメントしなくていいんですか?」

kenzee「イヤ、ホントうれしいですよ。津村オールドスクーラーの私としては。「ポトスライムの舟」は奈良が舞台なのね。そして主人公の家に転がり込む友人が後半、アパートを見つけるのだけど、そこが生駒という」

司会者「アナタの住所ですね」

kenzee「柴崎さんの「星のしるし」には石切とかでてくるし。ナニ、この最近の文学における近鉄奈良線の熱さは! しかも「ポトスライム」は奈良のイナタさもちゃんと表現されててリアルだったよ。ホントに奈良市内、いわゆるならまちとか奈良公園とかあの辺の観光地ってサ店か寺しかないですから。確かにカネのかからん街ではあるな。いわゆる歓楽街ってのもないですし」

司会者「全然小説の評価になってませんが」

kenzee「去年の今頃「津村のよさが一般層に届かない」とかウチらブツブツ言ってたわけですけど、心配しなくても届くべきところにちゃんと届いていくんだね。誰かが言うほど純文学はクローズじゃないよ。「ポトスライム」の評価についてはJ-POP論終わってからやろうかな。ちなみにオレの津村最高傑作はなんといってもデビュー作(君は永遠にそいつらより若い)だな。20代の人にしか絶対書けない世界がある。「ポトスライム」では誰かのためになにができるか、という義侠心が描かれるが、その源流はデビュー作に色濃くある。虐待児を救うために携帯で窓ガラスを叩き割って侵入する主人公が形を変えて描かれている。それにしても津村小説がフツーに本屋で平積みになるなんて痛快ですよ。単純に」

司会者「では日本語ラップの続きですが」

kenzee「前回、「Grateful Days」の登場はJ-POPシーンに広く日本語ラップの存在を知らしめた、新しいスタイルを提供することとなった、という話をした。そしてリアリティを失いかけていたJ-POPの「上昇志向」に再び命を吹き込んだ。99年の話だ。この我々が問題にしている「リアリズム革命」「98~99年問題」についてもうちょっと背景を探ってみたいと思う。この99年という年は、来るべき混迷のゼロ年代の状況設定が着々と進んでいった年だと言える。まず宇野常寛さんもいうように決断主義の原点「バトルロワイヤル」のヒットがある。そして今、大問題の派遣法が改正されたのがこの年だ。完全に悪者扱いのこの改正派遣法だが、コレのおかげでゼロ年代はゆるやかに景気を拡大することができた。そして国家国旗法が成立したのも99年だ。ゼロ年代は若者が、ネットユーザーを中心に右傾化していった時代でもある。そして奇しくも2ちゃんねるが登場したのも99年だ。こういった社会の変化をJ-POPは敏感に感じ取っていたのだろう。ミスチル、コムロ、ビーイングの90年代型J-POPが終わりを告げ、多くのCDユーザーは音楽を「カラオケで歌うために」聴くよりも、よりリスニングに比重を置いた受容の仕方へと変化していく。具体的な例を示すなら98年はMisia、UA、CHARA、Cocco、aiko、宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみといった女性アーティストの登場が目立った。また、97年から始まった野外イベント「フジ・ロック・フェスティバル」が恒例化し始める。99年には同様の野外イベント「ライジング・サン・ロック・フェスティバル」も開催される。また、AIR-JAMのようなインディーズ・バンドのイベント、スカ・オブ・イット・オールのようなインディーズレーベルのイベントが商業的に成功を収めるようになる。日本語ラップに関して言えば、98年にはZEEBRAが国産ヒップホップでは初の全国ツアーを成功させている。そしてなにより重要なのはこの98年という年はわが国のレコード産業史上、最高のセールスを記録した年なのだ。ちなみに現在のレコード産業の市場規模はこの頃の約半分ぐらいである」

司会者「そういや、CD屋さんみかけなくなりましたね~」

kenzee「関西人のオレの感覚では、タワーレコード心斎橋店が閉店した瞬間、この産業に大きな空洞ができたように思った。アレとCISCOの閉店でなにかが終わったんだと思う。リアリズム革命までは順調にCDが売れていたので単純にJ-POPの歌詞の変化に着目していればよかったのだがこっから先は産業構造の変化にも目配せしながらでないと大事な論点を見逃してしまうだろう。ついでに言うと烏賀陽弘道さんのJ-POP評論「J-POPの心象風景(文春新書)」は個々のアーティストの論考はそれぞれ面白いのだが(特にGLAYとモーニング娘。を成長の物語として論じたトコは秀逸)社会の変化との関連、また、ユーザーの受容の変化(iPod、音楽配信を始めとするハードの側の変化)J-POP以外のポップカルチャーとの関連についてはなにもナシ、なのが残念だ。烏賀陽さんの論は平面的でつながりがないんだよ。せっかく椎名林檎と浜崎あゆみを取り上げたのなら、同時代に現れたこの二つ(ホントのこと言えば宇多田も足して三つ)の異質なキャラクターに関連性を見出せなかったのはツライ。また、椎名論やるのに「歌舞伎町の女王」一曲に頼りきっちゃうのはどうか。ブルーハーツ論にしても「ブルーハーツ→仏教性」でオワリではリアルタイマーとしては反論したくなる」

司会者「まあ、99年以降は慎重にいかないとダメだ、と」

kenzee「烏賀陽さん63年生まれでしょ? オレとか速水さんの10コ上なんだよ。だからサザン論、ユーミン論とかあの世代のものについてはリアリティあるんだよ、でも椎名論あたりからトンデモになってくるんだなア」

司会者「話を前に進めてください」

kenzee「Grateful Days」以降、ヒップホップの価値観、方法論は各方面へ浸透していく。これが過去のラップのヒット曲、今夜はブギーバック(93年)、DA・YO・NE(94年)との決定的な違いだ。「Grateful Days」の最大の特徴は「日本語によるライミングの可能性」を提示したことだ。例えば純文学シーンにおいて、ラップはどんな影響を及ぼしたか。ゼロ年代における純文学最大の事件はやはり2004年、綿矢りさと金原ひとみという二十歳前後の若い女性による芥川賞受賞だろう。受賞作「蹴りたい背中」「蛇にピアス」についてはすでにサンザンいろんなとこで論じられているのでいまさら文学性がどうこうとか言うアレはない。だが、若い彼女らの作品がこの時代の日本語ラップの影響下にあるという点については未だ論じられていない。まず、綿矢氏の芥川賞「受賞の言葉」をみなさん覚えているだろうか。

 「はやりやまいはやはりやばい」。これが私が初めて創作した文章で、学校の国語の時間に薬屋のキャッチコピーのつもりで作った。2作目がデビュー作で、「蹴りたい背中」は3作目になる。(綿矢りさ「受賞の言葉」文藝春秋2004年3月号)

司会者「↑コレ、ちゃんと原典当った?」

kenzee「当ろうと思って、図書館行ったら2005年以前のは処分しちゃったんだって! 頼むゼ、生駒市図書館YO!」

司会者「(評論家名乗るなら、あらゆる手ェ使って手に入れろよ、出不精が!)」

kenzee「で、オレの記憶を頼りに書き出してみました。もし、当時の文藝春秋お持ちの方、いましたら正確な文面教えてチョ。でね、問題はこのコピーですよ。1984年生まれの綿矢さんにとって、日本語とは初めから韻を踏むもの、という認識があったってことだよね。また、インタビューでは受賞作の仮タイトルが「ファンの不安」というものであった、と語っている。もちろんこれらの文章はラップではないし、綿矢氏が好んでラップミュージックを聴いていたといった文献もない。だが、このゼロ年代を代表する純文学の才能が日本語のライミングに対して自覚的であったという事実は「99年以降」の問題を考える上で重要だ」

司会者「確か、「蹴りたい背中」にもそういう言葉遊びみたいな会話のシーンがあったような気がしますよ。(ちゃんと読み返してから書けよ)」

kenzee「金原作品もまた、ヒップホップカルチャーの影響が垣間見えるのだ。ラスト近く、主人公ルイとシバさんの会話。

 「へえ、ねえオレさ、変な夢見たんだ」「どんな?」「昔仲良かった友達がさあ、ヒップホップやってて、オレその友達と遊びにいくことになったんだ。でもオレ待ち合わせにすげえ遅れちゃってさ、そしたら友達とその仲間が怒りを歌で表現してくんだよ。オレ、5,6人に囲まれて歌われたんだ。ラップで怒りの歌」(金原ひとみ「蛇にピアス」2003年)

フリースタイルで文句を言われるという。5,6人というからマイクリレーものだったのだろう。このように都市の風景としてラップが登場する。まったく作風の違う二人だが、アウトプットは違えども同世代で同じ時代の文化的影響下にあったことがおわかりだろうか」

司会者「コレ、その怒りの歌のリリックまで書いてあったら、kenzee賞受賞だったのにねえ」

kenzee「ホンット、そこはしょったので芥川賞どまりです。彼女たちがもっとも感受性の強い10代に「Grateful Days」以降の環境下に生きていたからこそ書けた作品だ。この、当たり前の文化として身体感覚として入ってるってことが重要です。ナゼなら、この半年後の芥川賞受賞作、モブ・ノリオ「介護入門」はサンザン、ラップ調だのなんだのと評された割にはこの時代の日本語ラップによる言語感覚の変化にまったくついていけてない文体だったからだ。

 YO,FUCKIN’朋輩(ニガー)、俺がこうして語ること自体が死ぬほど胡散臭くて堪らんぜ、朋輩。夢か、リアルかコマーシャル・ビデオか、麻の灰より生じた言い訳か、悟っては迷う魂の俺から朋輩へ、どうしたって嘘ばかりになるだろうから聞き流してくれ。

 おお、SUCKER! 俺の野郎よ、気持ち悪いこと口走りやがって! (中略)YO、こいつに関しては尊大に語らせてもらうぜ、俺は既にこの件の権威なんだ。或る朝スウェーデンからの国際電話で叩き起こされ、俺がノーベル婆孝行賞を授かったとしても、FUCKIN’至極当然だわな。(モブ・ノリオ「介護入門」2004年)

確かに「介護入門」の文体からはN.W.Aのようなギャングスタ・ラップやパブリック・エネミーのようなポリティカルなメッセージ性の強いミドル・スクールのヒップホップミュージックの影響をみることができる。だが、99年以降急速に一般層に浸透していった日本語ラップへの配慮はまるでないのだ。もちろんモブ氏ほどのヒップホップ・フリークなら当時の日本語ラップシーンの存在を知らなかったとは考えにくい。芥川賞受賞のころ、モブ氏はクイック・ジャパン誌上で奈良出身のお笑い芸人「笑い飯」と対談している。で、そのときのモブ氏の写真がさ……。目深に被ったベースボールキャップにブルーハーブの缶バッヂつけてたんだよ! ドコで売ってんのソレ! モブさんYO!」

司会者「また、話それてますよ」

kenzee「ま、要するにモブさんはヒップホップミュージックの影響は受けてたかもしれないけど、綿矢氏などのように身体感覚としてラップ文化は入ってなかったみたいなんだな。また、この2004年頃、ようやく文芸誌でも日本語ラップを取り上げる文章が見られるようになる。当時の群像で陣野俊史さんがブッダ・ブランドの「Don't Test Da Master」の歌詞を引用しつつ、舞城王太郎の小説との類縁性について述べている。そして2005年には中原昌也がブッダのメンバー、NIPPSのソロ曲に詞を提供する。もっとも純文学と日本語ラップが接近していた幸福な時代だったといえるだろう」

司会者「ラップが文学と接近するのは構わないですが、その動きはもはや「J-POPの想像力」とは遠い世界ですね。トゥルーアートの話じゃないですか」

kenzee「ところが日本語ラップは強靭だった。同時にアイドルソングなどにもグイグイ浸透していくのだ。ここでは日本語ラップがどのようにして大衆に受容されたかを計るわかりやすい物差しとしてジャニーズ・アイドルとラップの関わりについて述べたい」

司会者「エ!? フツー、ラップの評論つったら近田春夫のプレジデントBPMとかいとうせいこうの話して、さんぴんCAMPの話とかLBネイションの話するものと相場が決まってるじゃないですか」

kenzee「そんなのとっくにいろんな人がしてるし、いまさらだし。オレがやるなら未だ誰もマトモに論じられたことのないジャニーズ・ラップについて考察したいんだ。まず、何度も言うようにJ-POPと日本語ラップとの関わりにおいてターニングポイントになったのは「Grateful Days」だ。この99年以前と以降とではADとBCくらい違う。では99年以前、J-POPはラップをどう捉えていたのか。97年発表のKinki Kidsのデビューアルバムに収録されているラップソング、「Kissからはじまるミステリー」を聴いてみよう。

 君の向こうに海が青く 透き通るよ不思議 黙りこくった時がほら しゃがみこむよ ねえ優しさの意味教えてよ 君の涙に酔っちまう前に 君の瞳に酔っちまう前に(Kinki Kids「Kissからはじまるミステリー」作詞:松本隆、作曲:山下達郎)

司会者「これは……ラップですかね?」

kenzee「ラップというより「リズムに乗った語り」という感じだ。ラップのキモである「ライム感覚」がまるっきり欠如している。この曲は2005年、作曲を担当した山下達郎によってセルフカヴァーされた。そのときはラップにケツメイシのRYOを迎え、リリックも丸ごと書き直された。

 街さまよう君との距離測る 寄せては返す波より早く 動き続ける 心くすねる 僕ならばきっと君を包める なんてめでたい思いでいたこと 昨日までの君は今どこ 想いは揺れる 隙間埋めるためひたすら悪戯に君に触れる 舞い散る花びら掴むように あやふや不確かに結わく恋 ただ欲しい恋しい何気ないときにも感じるから心奪い取りに 見えない行く手にミステリー 感情握りしめ引く手に 放した僕の手はどこにしまう 気付けば君が離れてしまう 恋はミステリー できるいつ手に 本当の君だけを見つけに のぞく心届くには遠く 望むほどにその恋はもろく また揺れだす気持ちが騒ぎだし 君の心の底触りたい 他になにも要りはしない この悩みすら君には意味ないかい?(山下達郎featuring RYO fromケツメイシ「Kissからはじまるミステリー」2005年)

 コッチはさすが本職の人がやってるだけあって本物のラップです。でもこの曲はキンキのバージョンの方が本領を発揮していたと思うなあ。大体Kinki Kids自体のコンセプトが「王子様」なわけでまさにロマンス(騎士道)を生きてるわけでストリート文化とは本来的に相容れないんだよね。もう一曲、この時代(Grateful Days以前の)J-RAPを考える上で重要なヤツを。モーニング娘。「抱いてHOLD ON ME!」

 You Gotta恋とか愛とかわかんない だから女の子だって泣かない 恋して純情 愛して根性 そして恋愛感情ByeBye なんでいつでも愛してるI Love You 私それでも明日でもきかん坊 恋の劇場愛全て勘定 たぶんこれでさようならWao!(モーニング娘。「抱いてHOLD ON ME」'98年)

司会者「いわゆる日本語ラップのライミングとは違うかもしれませんが音楽的グルーヴがちゃんとありますね」

kenzee「ウン、当時からつんく氏はヒップホップについてよく研究されていて、モーニング娘。の2000年のシングル「I Wish」ではバラードなのにヒューマンビートボックス(ドッパッ、ドッドッパ、などと口でドラムを演奏)を取り入れるなどストリート文化に根ざしたプロデューシングを行っていた。そして99年にはジャニーズの秘蔵っ子「嵐」が登場する。Kinki Kidsが虚構の世界の住人なら嵐はストリートという(早い話が郊外。ファスト風土)リアルを体現したグループだ。デビュー曲「A・RA・SHI」を聴いてみよう」

司会者「典型的なチェケラッチョなJ-RAPですねえ。まだまだ世界はおわらな~いって」

kenzee「この頃はちょうど端境期にあったのだろう。J-POPの側もラップをどう扱っていいのか試行錯誤の状態だったと言えるだろう。では本職のラッパーはこのような風潮をどう見ていたのだろう。

 ①「ヨー、チェケラッチョ」等に代表されるそれ風スラング。②威嚇的に手を突き出したソレ風ポーズ&身振り……ラップとかヒップホップにあまり親しくない、そこらのフツーの人が抱いている「ラッパーぽさ」のイメージというのは、おおむね以上の二点に集約されると思います。ま、少しでもこのジャンルに関する見識があれば「今時チェケラッチョなんて言ってるラッパーいねーよ!」ということになるんですが、どーゆーわけかメディアを通じてこの手のステレオタイプが流布され、すっかり一般に浸透しきっていると。で、そういう恐ろしく無遠慮な「チェケラッチョ」の数々に出くわす度に、特に私のような「もろラップ~ヒップホップ側の人間」は非常に居心地の悪い思いをすることになる。これはロックでもなんでもそうだと思うんだけど、思い入れのある何かの「記号化」にはやはりことさら敏感になってしまうのが人情というものでしょう。(ライムスター宇多丸の「マブ論」BUBUKA2000年10月掲載)

 確かにこの頃から2000年ぐらいまではYOだのHAだの言いながら手を突き出したりしてればラップの記号足りえた。ただ、宇多丸氏に反論させていただくならそのように「ラップの記号化」を推し進めたのはアイドル、アーティスト側ではなくて資本の側の戦略だったということ。ところが2003年ごろからJ-RAP界に不思議な現象が起こり始める。「与えられたものをこなしてナンボ」のアイドル商売のジャニーズタレントが本格的な日本語ラップを自作自演し始めるのだ。その急先鋒は嵐の桜井翔だ。桜井翔こそが虚構の世界の中で「リアル」を叫び続けた男だったのかも知れない。次回は桜井翔からKAT-TUNの田中聖に受け継がれたジャニーズ・ラップの想像力について考えてみよう。それからキックザカンクルーの話してゼロ年代後半まで行こう」

司会者「ナゲ~YO~」

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2009年1月18日 (日)

日本語ラップと自分探しその2

司会者「でもアレですよね、kenzeeも結構言うこといきあたりばったりですよね」

kenzee「エ? なんで」

司会者「オレはマルクス主義者とか言った舌の根も乾かぬうちに「酒場で岡林とか歌われたら酒がマズくなるなあ」とか」

kenzee「でもいるんだよ、たま~にそういうオヤジが。「今日の~仕事は辛かった~あとは~焼酎あおるだけ~」って山谷ブルースとかの人が。どうせ仕事がおわりゃお払い箱さ、今じゃ山谷が故郷、でもビルも道路もオレたちがいなきゃ建ちゃしねえ、誰もわかっちゃくれねえか、と」

司会者「確かに盛り下がりますね。山谷ブルースは1969年の曲で高度成長のピークで万博を控えた年のヒットでした。そんな好景気に沸く社会の裏側を歌った歌なんですね」

kenzee「40年たっても社会構造ってあんまり変わってないんだなあ。派遣村は山谷よりヒドイ気がするし。で、「Grateful Days」の続きなんだけど、去年の末に素晴らしい書物がぴあからドロップされました。その名は「ZEEBRA自伝」。日本のヒップホップシーンを牽引してきたMr.Dynamite、ジブラさんがその半生を語り下ろす、ゼロ年代の「成り上がり」といっても過言ではない熱い一冊です。冗談でなく、コレのおかげで90年代の日本語ラップの歴史を通史として捉えるうえでかなり役立ちました。とにかく波乱万丈な人生で、絶対オモシロイです! 

(降谷建志が)「オケはとりあえずこんな感じでファースト・ヴァースだけ乗せてみたんですけど、ちょっと聴いてください」
ZEEBRA「おっ、ラップになってるぞ、こいつ」って思った。オレはファーストアルバム「THE RHYME ANIMAL」を教科書みたいに作ったつもりだったんで、それに沿って作ってくれたんだなと思った。(中略)じゃあ、オレが書くなら、もうちょっと先のことをやんなきゃなって、ファーストの応用編みたいなヴァースを書いていってカマした。「なんッスか、コレ!」「このフロウ、新しいっすね」すごい、(降谷が)超敏感に反応しまくった。(ZEEBRA自伝)

日本語ラップ史の転換点となる「Grateful Days」はこんな、割と思いつきみたいなノリでできていったようだ。重要なのはこのとき、ドラゴンアッシュの所属メーカーはビクター、ZEEBRAはポリスターで別のレコード会社だった。過去にも企画モノでラップモノのヒットはあったのだが(イーストエンド×YURI「DA・YO・NE」など)大概、同じ事務所とか同じレコード会社で大人の事情で組まされるケースが多かったのだが、「Grateful Days」はホントに音楽的な信頼によって生まれた企画だったんだね。

 単純に「Grateful Days」という曲だけをとったら、すごくいい曲だし、あいつのリリックもいいことを言ってるし、全然、いいなと思ってた。リリースされたら、ドカンといって一位になった。まさかそこまでなるとは思ってなかったけど、受けたことはすごくうれしかった。特にみんなが2番を(ZEEBRAのヴァース)歌いたがるって聞いてうれしかった。そりゃあそうだよねって。オレのラインがデカかったのかなって自負したところもあった。一位になってヒップホップがようやく一般の人にも届く状況になってきた。それまでヒップホップはムリだよ、売れないよと思われていたことが一気にひっくり返った。(ZEEBRA自伝)

司会者「やっぱりラップはカラオケで「歌われていた」んですね!」

kenzee「そのようだね。それにしても不思議なのは、この99年の時点ではドラゴンアッシュもZEEBRAもAcoもほとんど一般的には知名度の低いアーティストだった。また、それぞれ属するシーンもバラバラだった。ZEEBRAは言うまでもなく常にアンダーグラウンドヒップホップシーンのを支えてきたし、ドラゴンアッシュはどっちかというとハイスタンダードなどに代表されるバンドシーンでの知名度のほうが高かった。とにかくカラオケ人種にはほとんど知られていない人々だったのだ。それが、クラブヒットというならわかるがオリコン一位とはどういうことか。自伝でも言っているようにやっぱりこの曲はZEEBRAの存在感に負っている部分が大きい。じゃあ以前のZEEBRAのシングル、「真っ昼間」やリミックス盤が売れたかっていったらそんなことないんだ。そして驚くべきことにこの企画盤はとくにタイアップとかついてないんだ」

司会者「ホンットの自然発生的なヒットだったのですね。電通絡みとかじゃなく」

kenzee「当時のいちCD屋として言わせてもらうとこの99年ごろからまったくイニシャル(初回発注枚数)が読めなくなった、という印象がある。従来、イニシャルというものは以前の販売実績で読めていたものなんだ。例えばミスチルや槇原やグローブなどは前回の実績の通りに発注して無問題だった。ところが99年ごろからその常識が通用しなくなる。因みに今でも覚えていますが、後にオリコン一位となる「Grateful Days」をウチんとこの店では初回3枚しか発注してませんでした。でも、それオレがドン臭かったんではなく、どこの店でもそうだっただろうと思う。また、コムロ系をいい調子で数字書いてたら余りまくったとか。しかもエイベックス全然返品きかないんですよ。aiko「花火」、宇多田ヒカルファースト、Cocco「強く儚い者たち」ブリリアントグリーン「冷たい花」など、全然数字読みようがない商品の瞬発的ヒットが頻発した時代だ。やはり大衆が求めるものに変化があったことの証左だろう。従来の「恋愛か上昇志向を歌って発散できればイイジャン、イエー」というカラオケニーズから歌詞やサウンドにリアリズムを求める傾向がみえだしたのだ」

司会者「でも、その説明ではZEEBRAやドラゴンアッシュの過去のカタログが大して動かなかったことの説明になってないのではないですか。その後も両者ともシングルやアルバムを切ってはいますが「Grateful Days」ほどの成功には及んでいない」

kenzee「うん。やっぱり大衆はZEEBRAの言う「ヒップホップカルチャー」とか「ストリートイズム」とか「スピリッツ」を求めたんじゃなくて「Grateful Days」を求めたんだと思う。では「Grateful Days」は他の日本語ラップの楽曲となにが違うのか。まず、単純な印象としてヒップホップを名乗るにはサウンドが大変にソフトだということ。そして通常、ヒップホップのトラックは音楽理論、和声などに縛られないにワンコードミュージックであることが多いのだが、「Grateful Days」はバンド出身の降谷らしい構成で、いわゆるパッヘルベルの「カノン」進行なのだ。山下達郎の「クリスマス・イブ」の間奏のダーダバダーダバ~のところを思い出していただければわかやすいだろう。王道のコード進行を使用することで一般のJ-POP層にも耳に馴染みやすい楽曲となった。この、「耳に親しみやすいオケ」の作家としては後に登場するKREVAはさらに上をいくことになる。そして肝心なのは歌詞なのだが、作者のZEEBRAはどんな思いでこのリリックを書き下ろしたのか」

 「Grateful Days」は(降谷の)歌詞もいいし、曲もいいけどヒップホップのエッジの部分が表現されているのは「悪そうなヤツはだいたい同じ」というラインぐらいだった。あの柔らかい音、感謝の気持ちをのべたリリックでどうエッジを出すか、悩んだ末に出てきたのがバッド・ボーイ・ストーリー。人に感謝の気持ちを持てるくらいのちょっと悪いヤツって日本全国にはいっぱいいる。多分、そこに刺さったんだろうな、そこにヴァイブスを感じたんだろう。(ZEEBRA自伝)

司会者「ZEEBRAはまるで応用問題を解くように与えられた条件の中で自分に求められているのはなにか、を考えたんですね」

kenzee「たった16小節のなかで最も映える内容は「バッドボーイストーリー」ってZEEBRAは簡単に言うけどたった16小節で複雑に韻を踏んで、ベタとはいえストーリーを完結できるラッパーはそういないよ。普通、日本人のラッパーが客演するときって「オレはヤベエ」とか「オレはスゲエ」とかいった自己アピールに終始してしまうことが圧倒的に多いので。また、ヤンキー国民日本人のマインドに根源的に内臓されている「オレもガキのころはヤンチャしてた、でも夢見つけてからはマジになった。そして一人前になった。それもこれも親や仲間たちのおかげさ。感謝するぜ」という無邪気なまでにストレートな「大きな物語」。95年以降、失われていた「物語」だ。。そのために若者たちは右往左往と自分を探しまくっていたさなか、ラップという新しい衣装を身に着けて直球中の直球をZEEBRAは投げ込んだのだ。それは、エヴァンゲリオンの登場から3年後のことだった」

司会者「だんだん森本レオ調になってきてません?」

kenzee「実は、ZEEBRAが「バッドボーイストーリー」を歌ったのはこれが初めてではない。「Grateful Days」の試作品と呼べる楽曲がキングギドラ(ZEEBRAが在籍していた2MC1DJの構成からなるグループ)時代からいくつかある。

 中坊のオレは渋谷のタワー オアシスとレコード探してたな ライムヘッドとともにハマったクールJ 未だに聴けば身震いするぜ ウッピーで買ったKISSのカセットはレッドアラート チャックチルアウト ヘッドフォンで聴いて街を颯爽と歩けばかかるI Know You Got Soul 10年前に買ったターンテーブル 今じゃYO! 観れる東京のケーブル 街うろつけば目に入るタグ あふれんばかりのダンサーの数 言葉の壁完全に突破 増え続けるリアルヒップホッパー 動き始めたオリジナルシーン ライブだってかなり盛り上がるし ニューヨークから遠くこの東京 海を越えて飛んできたその情報はちょうどオレの頭を直撃 気付くとそれが人生の目的 久々に観たビートストリート 脳のスクリーンのなかでゆっくりと動き出す あの頃の映像忘れずにつかめ次の栄光(キングギドラ「行方不明」95年)

ま、これはむしろ国内のシーンの成長をドキュメントした歌詞でいわゆる「バッドボーイストーリー」ではないかもしれないが、ヒップホップ狂いの中学生がやがて夢をつかもうとする、社会へでていこうとする姿が描かれる。また、相当なヒップホップ好きでなければわからないような専門用語やスラングを多用していたのもギドラ時代の特徴だ。

 レッド・アラートは前から好きだった。もともと西麻布にウッピーっていう怪しいヘッドショップがあって「ニューヨークFMステーション」ていうパイレーツ(海賊版)のテープが毎月入ってきてたんだけど、そのヒップホップ集のテープを買うとレッド・アラートのショーが入っていたんで毎回、買って聴いてたんだよね。で、向こうに(ニューヨーク)行ったら絶対に生で聴きたいと思っていた。(ZEEBRA
自伝)

 中坊のオレは家に帰らず学校の帰りまず 街に繰り出す 公園通りいつものように過ぎる夕方は4時から5時 集まった仲間様々な学校 制服私服いろんな格好 たむろする場所はセンター街プライムジャクベマックケンタ前 補導員や警官達の目ェかすめ 上の人たちの足跡をフォロー 色々あった10代の夏 夢中になって街に刺激探し 無免で親のクルマ乗り回しバカなことばっかしてた頃 なにも考えずにいられた頃(中略)初めてマイク握ってからもう10年 ようやく実り始めた執念 ライトにカメラアクションの日々は予想してたようにかなりシビア だがオレにはこれしかない やがてオレらが世界を取る(「永遠の記憶」98年)

 たぶん「Grateful Days」では誤解されてたと思うんだけどこの人は決して「オレはヤバかったぜ、裏の道歩いてきたぜ」とワル自慢してるワケではないのね。「永遠の記憶」はむしろ青春時代への後悔とか愛憎が滲み出ている。中上健次から村上龍、山田詠美へと受け継がれた日本の青春文学の感性の連続性を感じるね。この「永遠の記憶」の1年後にホントにオリコン一位を取るとはまさか本人も思っていなかっただろうが」

司会者「これらの「バッドボーイストーリー」の試作品を経ていたからこそ「Grateful Days」ではあれほど簡潔にまとめることができたんですね」

kenzee「このあとも、ジブラリリックにはバッドボーイストーリーが何度も登場するのだ。「Children's Story」(00年)、「リアルにやる(02年)、「STREET DREAMS」(03年)、「運命」(07年)と登場する。まあこの人の必殺ネタだったわけだね」

司会者「じゃ、「Grateful Days」の勝因は1、降谷のJ-POPの耳に馴染みやすいサウンド、2、ZEEBRAのエッジの効いた最新型のラップ、3、あんまりクドくないAcoの歌唱、といったところでしょうか」

kenzee「まだある。あまり評価されていないが、ていうか当時からDisられていた降谷のラップも勝因だったのではないかと思うのだ。

 Turn Up The Radioそう今日も聴こえるよ 風に揺られ流れるステレオ 肩で刻む軽快なリズム 思いを乗っけて届けるよライム よく晴れた空の真下ぼくらは遥かな未来目指しました マスターキー握りしめ出発 雑踏のなかKick Down一発(中略)優しい風抜ける昼下がり 虹が覗いたこの雨上がり 日の光映した水溜り(Grateful Days)

司会者「降谷さんのはなんていうのかなー、リリックっていうか……」

kenzee「ポエムなんだよ。日の光が差し込んで、風が吹き抜けて、花が風にそよいでるという、ぼくらはこんなイノセントな場所から未来へ歩き出す、そこは戦場で大変だろう、でも心にいつも百合の紋章を掲げていよう、ていう」

司会者「若年寄みたいなリリックですね。諸行無常みたいな」

kenzee「ふつう、ラップの歌詞ってもっと歌い手の主体に沿った能動的なメッセージであることが多いのだけども。ZEEBRAさんもそうだし。降谷さんはわりと風景を描写するんだよ。イケイケのパーティーチューン、ナンパソングにおいても彼のリリックはメタ視点なのだ」

 真夏の空 羽根のばし弧を描く 見てなホラ羽目外しドデかくYO 昼下がりの外は炎天下 バッコリ盛り上げてくぜ宣伝カー 部屋の窓 日差しがモロ焼けつく暑さ映し出す午後(中略)奥のVIPじゃギャルとCHILL 知った顔が飲み干すラムとキール こんな感じで日々経過 焼ける暑さもやがて不意に低下 次第に赤や黄色で街が染まりもうすぐ短い夏の終わり(Dragon Ash「Summer Tribe」00年)

司会者「オレがギャルをナンパするゼ! じゃなくてナンパする人を描写するんですね、この人は」

kenzee「うん、普通なら今日はパーティーだー騒ぎなー踊りなーパーッとやりなーオレのオゴリだーイケーって主体的に盛り上げるだろうし能動的に働きかけていくものですよ、ラッパーならね。ところが降谷さんは常に一歩引いたメタ視点から観察するようなところがあってね。やっぱリリックというよりポエムなんだな。で、こっからが大事なんだけど多くのカラオケ人口が欲しているのは「リアルなリリック」なんかではなくて「ポエム」のほうなのね」

司会者「ヒップホップのポエム。ヨワ~」

kenzee「でも、「Grateful Days」を驚異的な勝利へ導いたのはやっぱり降谷さんがラッパーというよりポエマーだったからだと思うよ。だって昨日までミスチルやらグレイやら聴いてた層がいきなりZEEBRAみたいなアクの強いラップ、食えませんよ。そこでツナギの役割を果たしたのが降谷さんだったというわけ。また、演歌のように心情をそのまま吐露しないで、風景や情景描写で立体的に世界を構築するという作詞法は70年代以降の歌謡曲の手法だね。その2大巨頭はやっぱり松本隆先生とユーミンさんだろう。

 春色の汽車に乗って海へ連れていってよ 煙草の匂いのシャツにそっと寄り添うから なぜ知り合った日から半年たってもあなたって手も握らない(松田聖子「赤いスイートピー」作詞松本隆)

冒頭から「春色の汽車」という抽象的なイメージ、でも「春色」「汽車」「海」「連れていってよ」と彼女がせがむ。萌え要素爆発の一文だ。今でもライトノベル等でリサイクルされているに違いないイマジネーションだ。そして「手を握る」ことを描くのではなく「握らない」という空白について意味を見出す。つまり、この歌は何かが(恋愛とか心中とかかけおちとか)起こっているのではなくなにかが起こりそうな一瞬のざわめきについて描いている。でも、最後までなにも起こらないのだ。スゴイ歌でしょう。2番なんかすごいよ「4月の雨に降られて駅のベンチで二人 人影もなくて 不意に気まずくなる」なにも起こってないんだけど大変なシチュエーションだってことは思春期の少年少女ならわかるでしょう。昔の歌謡曲の歌詞ってすごかったんだよ。降谷さんの歌詞ってこの歌謡曲、J-POPのDNAを受け継いでると思うのね。パーティーに興じる連中の外では確かに季節が変わり始めてる、という。山頭火とかそっちに近いんじゃないかなあ。このようにして、伝統的な歌謡曲のDNAを内臓した降谷さんを媒介に日本語ラップは徐々に一般層に浸透してゆく。この「Grateful Days」が切り開いた土壌にさらに歌謡成分を注入し、大きく拡げたのは97年からインディーズで活動を続け、2001年にメジャーデビューを果たしたキックザカンクルーだろう。さらにリップスライムがワーナーからデビューする。こうした「ワルさ」(一応、ヒップホップ用語では「サグ」って言いますけど)をさほど売りにしない親しみやすいキャラクターの登場によってさらに日本語ラップは裾野を拡げる。そのうち嵐の桜井翔までが「YO」だの「HA」だの言い出す始末。この間、たった1~2年である」

司会者「イヤ~しかし「Grateful Days」だけでよくこんだけ喋りましたねえ」

kenzee「J-POP評論界の浜村淳の名を欲しいままにしてるよなあ、オレ。次はリアリズム革命によって一旦、壊滅したかに見えた「無垢と自分探し」の価値観。ミスチルなどのオハコのアレだが、スガシカオなどによって否定されたかに見えたあのDNAをしぶとく受け継いだのはキックザカンクルーではなかったかと思うのだ。そこで次回のテーマは「キックはゼロ年代になにを引き継いだのか」という話を」

司会者「そして「ライム」という感覚がゼロ年代の文学に与えた影響について、ですね」

kenzee「長くなりそうだニャ~コリャ」

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日本語ラップと自分探しその1

前回までのあらすじ(自分探しとJ-POP)

kenzee、速水健朗さんの「自分探しがとまらない」を読んで感心する。速水さんの論考は「自分探し」と呼ばれるバブル崩壊以降の若者に特徴的なモラトリアムマインドを社会的な事件やブームから解き明かしたものだ。だが、そこには主に90年代のJ-POPが描いた「自分探し」については触れられていなかった。そこでkenzeeやってみた。そうするとバブル崩壊後の91年あたりから槇原敬之、ミスチル、コムロ系などといったヒットメーカーの歌詞に共通してみられる上昇志向、自己肯定の世界観が浮かび上がってきた。要は、「人生とは迷ったり探したりして見つけ出していくもの」または「人生とは自分との戦い」といった「自己が誇大した思考」に基づいている、と。これはバブル崩壊による経済の信用の失墜とパラレルな関係にある。「経済」という価値観がアテにならない以上、自分の手で物語を発見しなくてはならない。そのような価値観の転換とリンクしている。この傾向は97年ごろまで続く。しかし、阪神大震災とオウム事件の95年を経て、97年あたりからJ-POPの歌詞に変化がみられるようになる。夢見がちな上昇志向の若者が挫折する姿をJ-POPは描くようになる。代表的な書き手としてスガシカオと椎名林檎が挙げられる。この変化をkenzeeは「J-POPのリアリズム革命」と名づけた。そしてこの期に乗じて急速に市民権を得た音楽ジャンルがある。ハウスでもテクノでもジャズでもない。ジャパニーズ・ヒップホップ、日本語ラップだ。この、従来の歌謡曲の快感原則(メロディとコード進行)とは構造的にほとんど共通のコードを持たないように見えるラップはナニを歌ったのか。また、どのようにして一般層に受容されていったのか、さらにここにはリアリズム革命によって失われたものが形を変えて生き残っているのではないか、てなことを検証してきます)

司会者「というわけで速水さんお待ちかねの日本語ラップですYO!」

kenzee「ところでさっき速水さんの2008年オススメ本のひとつ、烏賀陽弘道「カラオケ秘史」創意工夫の世界革命を読んだ。コレ、ムチャクチャオモシロかったです。たぶん、烏賀陽さんは単にカラオケの歴史を整理しようとして企画したんだろうけど思わず日本人論みたいなほとんど民俗学の領域にまで足を踏み入れててスゴイね。書き上げるまでに3年かかったってのも納得ですよ。60年代に神戸の流しの弾き語りのオヤジが8トラでカラオケの機械作ったってのは聞いたことあるけどカラオケボックスは全然別の文脈から登場したんだね。岡山の産業道路沿いの元トラックの運転手の弁当屋のオヤジが思いつきで造ったのが世界初のカラオケボックスなんだよ。それが85年のことで近所の主婦や中高生の間で爆発的人気に! もともとカラオケは都市の繁華街の、接待文化だったのがまったく別の受容を喚起したんだからスゴイオヤジだ。コレが後の「ファスト風土」を全国に生む源流ともなる。そしてカラオケが発展するポイントには必ずヤンキーマインドが注入されるのが不思議なんだ。だって、まず8トラカラオケが生まれたのはスナックやクラブなどの水商売を背景にして、だ。それとは別の流れで全国に高速道路や幹線道路が張り巡らされた地方の田んぼの中でボックスが生まれる。それにしてもオレらぐらいの年代はホンットにカラオケとテレビゲームが好きだよねえ」

司会者「kenzeeさんはカラオケでなに歌うんですか」

kenzee「オレは1974年生まれなのにカラオケもテレビゲームも嫌いなんだよ。一応歌えと言われればミスチルとか歌えますけどね。極力そういう場には近づかないようにしてます。74年生まれでカラオケダメ、ゲームダメ、アニメ文化ダメ、ジャンプ文化ダメ、純文学OK、っつったらいかにマイノリティか速水さんならわかっていただけると思うんですが」

司会者「速水さんも絶対歌いそうな感じじゃないですね」

kenzee「でも、流しのオッサンの伴奏でいっぺん、石原裕次郎とか歌ってみたいですけど。ゼロアカの人とかカラオケ動画とかアップしてるじゃないですか。あーゆー人らでもカラオケOKなんて……」

司会者「でもカラオケなかったら飲み会のあととかなにしていいかわかんないですよ」

kenzee「カラオケってファスト風土とヤンキーマインドを背景に成長したんだよな。でね、スナックとかでオヤジの歌を聴くのはオレ、わりかし好きなんだよ」

司会者「30代なのに。純文学の批評家なのに」

kenzee「焼酎湯割り梅入りとか呑みながら聴くとね、演歌ってのはちょうどいいってのがわかる。でね、カラオケ演歌のの人気曲って大体二種類しかなくて、「色恋(主に失恋)」か「上昇志向」かどっちかしかないんだよ。それかオヨネーズとかオラ東京さいぐだとかのコミックソングか。で、それはスナック特有の傾向ではなくてたぶんカラオケボックスにおける若者ソングもそうだと思う。そしてカラオケで絶対人気ないタイプの楽曲は「社会派メッセージソング」なのね。岡林信康の「私たちの望むものは」とか」

司会者「酒がマズくなりそうですもんね」

kenzee「演歌は大体、「あなたについていきます、すべて捨てても、ああナントカ岬」みたいな悲恋ものか、」

司会者「ああ、ご当地ってジャンルありますよね」

kenzee「人生まだまだこれから、裸一貫ここまできたぜ、みてておくれよおっかさん」みたいな上昇志向ソングとあるんだけど。これはJ-POPにもそのまま当てはまるファクターで前者ならプリプリの「M」などが代表的だろう。つんくがシャ乱Q,モーニング娘等を通して描いてきたのも「悲恋」の世界だ。よく知らないけどヴィジュアル系などもたぶん、悲恋を扱っているのだろう。後者の「上昇志向」は言うまでもなくサンザン我々が言及してきた「自分探し」ソング、槇原、ミスチル、コムロなどが当てはまる。忘れちゃいけないザード、大黒魔季を初めとするビーイング系もだ。これらの楽曲はきわめてカラオケと親和性が高い。逆に椎名林檎のような「ナニいってんのかよくわからない」歌はあまりカラオケでは歌われないだろう。ただ、椎名を始めとするリアリズム革命によってザード、ミスチル、コムロ楽曲にみられる上昇志向が急速にリアリティを失ったのも事実だ。97年ごろから彼らはいっぺんに失速していく。ここで、J-POPにおける上昇志向が一度、消失するんだ。そう考えると椎名林檎は都市の水商売文化とロードサイド風土からなる、「ヤンキーマインド」をほとんど一人でリセットしたことになる。凄まじい破壊力だね。そのあとにMISIAや宇多田ヒカルやaikoなどの非ファスト風土的感性によって単純な上昇志向ではない、「深み」をJ-POPは得ていく。ミレニアム前夜の状況だ」

司会者「そして水商売とファスト風土的感性によって支配されていた90年代の若者風俗もADSLの普及とネット接続料の定額化によって様相が変わってくる。こっからがゼロ年代カルチャーだ、と言いたいところだが」

kenzee「ヤンキー国民の日本人がそう簡単に「上昇志向」を捨てたりしません。意外なサブカルチャーからJ-POPの重要な柱のひとつ、「上昇志向」が復活する。それはちょうどいまから10年前の99年5月リリースのこの曲によってだった。

 オレは東京生まれ HIPHOP育ち 悪そうなヤツは大体友達 悪そうなヤツと大体同じ 裏の道歩き見てきたこの街 渋谷六本木 思春期もそうそうに これにぞっこんに カバンなら置きっぱなしてきた高校に マジ親に迷惑かけた本当に だが時は経ち 今じゃ雑誌のカヴァー そこらじゅうで幅きかすDON DADA マイク掴んだら マジでNo.1東京代表トップランカーだ そうこの地この国に生を預かりJAHに無敵のマイク預かり 仲間たち親たちファンたちに今日も感謝し進むオフロード(「Grateful Days」Dragon Ash featuring Aco,ZEEBRA)

おそらく現在でも「もっとも有名な日本語ラップのリリック」と考えていいだろう。この後雨後のタケノコのように日本語ラップのグループがバタバタとメジャーデビューしては消えていく。未だ、上のリリックは日本語ラップのスタンダードとして残っている。その理由として考えられるのは今から見てもかなり高度な水準の日本語のライミングと、相反するかのように歌われている内容のベタさにあるだろう。とにかくこの曲が、一般的なカラオケ人種のほとんどが初めて触れるコンテンポラリーな日本語ラップであったはずだ。降谷建志のリリックと比べるとわかるが、なんとかドン、なんとかドン、という2拍4拍のポイントにおける単純な押韻である。この時代の大抵の日本語ラップはこの水準である。だがZEEBRAのリリックには六本木、そうそうに、ぞっこんに、高校に、本当にと、三連で踏まれる韻律がある。日本語のラップ、ライムスターやイーストエンドなどが特徴的だがオンビートで畳み掛けるのは割りとみんな上手いんだけど黒人的な揺れのあるビート感を内包したライミングならZEEBRAをおいて他にいない。そんなラップを聴いたことなかったんだよね。フツーの人は。だが歌われている内容そのものは金八先生における加藤もビックリの典型的な「不良が打ち込めるものに出会って更正するストーリー」だったのだ」

司会者「ミスチルやコムロやザードの上昇志向はもはや説得力を失い、ヴィジュアル系は色恋の話ばっかりで頼りない。そんな状況にリアリティを与えたのが、まったくJ-POPと無縁のサブカルの人だったってのは重要ですね」

kenzee「ウン。よその血が混ざることによってジャンルって活性化するからね。それは現在のPerfumeにもいえることで。じゃあ次は「Grateful Days」前夜の日本語ラップの状況とはどうなっていたのか。そしてパーマネントなグループとしての作品ではなく、一回限りの企画性の強いこの曲が最初に支持されたのか。そして、コレが重要だと思うんだけど、若者たちはカラオケでラップの曲をうたっているのか、ということについて。そしてラップのリリックはミスチルや槇原のように「自分を探して」いるか」

司会者「大転換期の2001年まであと2年です」

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2009年1月13日 (火)

自分探しの20年後をシミュレート(「娯楽性について」Part.2)

司会者「……前の記事を読み返して思ったのですがkenzeeさんは「年金問題は将来に直結する問題だ」という点で南京問題とは論争の質が違う、と主張されたワケですよね。で、これからその辺を詳細に検証すると。でも、その「将来の生活等に直接影響を与える」という根拠自体、つまり年金制度が破綻しないという「べき派」の思想に基づいてるワケで、「バーカ派」とは永遠に分かり合えず対立するワケで、「南京」と一緒なんじゃないですか?」

kenzee「南京」と「年金」は違う。まず、ここでナゼ年金制度が破綻しないのかというストーリーを話したところでそれは「べき派」の思想を開陳したに過ぎない。そして将来ホントに年金制度は破綻し、共済年金だろうが厚生年金だろうが関係なく一円も給付されない、という「バーカ派」のシナリオもありうるだろう。ここまでは「南京論争」と同様の図式だ。だが、「南京」はいくら対立したところでお互い利害関係はないんだよ。だから「南京」は趣味でありレジャーだと言い切れるのだ。組織化が可能だと言い切れるのだ。東氏は。でも「年金論争」は「効率的な組織化」が不可能なのだ。ナゼならお互いの将来の利害に関わる問題だからだ。わかりやすく解説するために東さんを例にして考えてみよう。東さんは文筆業で主に収入を得ておられるのでおそらく国民年金に加入している。

 考えてみれば、今年はぼくも38歳。40代直前です。(文學界2月号「娯楽性について(一)」)

20歳から18年、国民保険料を納めていたと考えると約300万ちょっと。結構な納付金額である」

司会者「東さんはご結婚されていて、奥さんとお子さんがいますよね」

kenzee「うん。普通のサラリーマン家庭なら被保険者は会社の社会保険に加入しているので奥さんやお子さんは被扶養者ということでなんにも保険料は払わなくていいんだ(専業主婦、あるいは年間の収入が130万円未満のパート労働者の場合)。でも、自営業者の妻はこのような被扶養者とは扱われなくて(正確には国民年金の第三号被保険者)国民年金に加入しなくてはいけない。つまり、東一家はそこらのサラリーマンよりたくさん保険料を納めているのだ」

司会者「つーか、日本の社会保険制度、サラリーマンばっかり優遇しすぎのような気がします。やっぱり日本の社会保険、年金制度おかしいよ。これじゃ、作家とかミュージシャンとかソンじゃないですか」

kenzee教授「まあ、ワタシのように法人化(オフィスkenzee)すればモーマンタイだよ。なんせ、億単位で稼いでるからねー」

kenzee「(無視)うん、そんな調子だから社保のエライ人が暗殺されたりするのだね。でも東さんの一家はちゃんと納付されていると思うので「年金論争」においては東さんは「べき派」を支持されていると思うんだ」

司会者「南京」でも東さんは「あった派」だと公言してるじゃないですか。「年金」においては「べき派」なんでしょう。それで問題ないんじゃないですか」

kenzee「東氏は「べき派」だろう。だからといって東氏は「べき派」の思想を「バーカ派」に説き広めたりはしないだろう。東さんは「バーカ派」に対して思想を共有しろ、と圧力をかけたりはしない。東氏は現代社会に生きる現代人だからだ。むしろ「バーカ派」の社会における居場所の確保を主張するだろう。「べき派」の思想に介入しない限り「バーカ派」の存在を認めると思う。そして「バーカ派」の存在を認めながら東氏は今後も保険料をコツコツと納めていくと思うんだ。でも、なんか、なんかオカシクない?」

司会者「なんにもおかしくないんじゃないですか? だってロクに年金払わないでトシとってからバカみるのは「バーカ派」なワケで。それに「バーカ派」が必ずしも間違ってるとは限りませんよ。確実に少子高齢化は進んでるんですから」

kenzee「いま現在、この時点では「べき派」と「バーカ派」は「南京」と同様対立はすれども利害はとくに対立しないんだよ。でも「思想の効率的な組織化」とかノンキなこと言ってる間に、あと20年、30年経ったときにその利害が急に顕在化するときがくるんだよ」

司会者「つまり何十万人、ヘタすりゃ何百万人の無年金の老人たちが発生するというシミュレーションですね。でもそれも「べき派」の思想が前提のシミュレーションじゃないですか。「バーカ派」には「バーカ派」なりのシミュレーションがあるんじゃないですか」

kenzee「そうやって「バーカ派」を放置するとどうなるか。この年末から年明けにかけての派遣村とか非正規労働者の問題を考えればわかると思うが20~30年後、65歳を越えた彼らはほぼ全員無年金になるだろう。それはおそろしいことなんだぞ。例えば40年間、厚生年金に加入していた元サラリーマンで65歳無職のオジイオバアの夫婦。彼らは毎日プラプラしてても国から年間300万近い年金を受け取れる(夫婦で)。共済年金なんかもっとスゴイぞ。夫婦で余裕で500万近く受け取れる。だが、無年金の元非正規労働者たちはどうか。無だ。文字通りのゼロだ。当然バイトしなくては生きていけない。だが、70歳近い老人に与えられる仕事は少ない。仮に警備員の仕事を得たとしよう。警備員はアレで結構肉体労働なのだがおそらく年間200万稼げるかどうか。片や、毎日遊んでても200~500万ゲットできる層がいる。これはナミの格差ではない。「バーカ派」のほとんどはまだ若いのだろう。派遣村の人たちも30~40代が多かったらしい。つまりなにも財産を持っていなくても「若い体力」という名の労働資本を持っている。まだ辛うじて希望があるのね。でも65歳過ぎた無年金者はどうだろう。今回の派遣騒動で相当数の貧困層が存在していると学んだ厚労省はたぶん生活保護のハードルをグイっと引き上げるだろう。そうなったら……」

司会者「自殺が増えそうですね」

kenzee「うん。でも60代ってまだ頭も身体もしっかりしてるもんジャン。それでトシ相応のプライドがある。仕事がない。金がない。夢も希望もない、となったら…」

司会者「ふと、住宅街を歩いてたら、同じくらいの年代の人間はずいぶん幸せそうだぞ、アイツラ働きもしないで年間何百万も貰いやがって…」

kenzee「当然、犯罪に走る者もでてくるさ。あるいはなんせ数が多いので犯罪的な組織などに吸収されたりするかもしれない。新興宗教か、極端な思想を持つ政治結社か。もちろんその頃には東さんはチャッカリ年金を受け取っているワケだけども、そんな無年金の彼らの犯罪に東さんが決して巻き込まれないとは限らないよ。つまり、政治に限っては「効率的な組織化」は語義矛盾なんだ。東さんは「べき派」である限り「バーカ派」を排除するべきなんだよ。それは低収入でも払える制度を構想するとかそういう方向もアリだろう」

司会者「だからそれは「べき派」の論理でいった場合のシミュレートじゃないですか。「バーカ派」には「バーカ派」の未来像が…」

kenzee「だからね、そうやって物語をちゃんと提示しなかったのが昨今の問題(派遣・非正規労働)の要因なんだよ。同じ「自分探し」を続けるにしても「自分探しはリスキーでヘタこくと多大な人生の損失を伴う」というアナウンスが広報されている社会と「自分探しはいいことだ。ガンバレヨ!」という社会では若者の社会とか人生への認識がまるで違ってくる。それでボクは前々回のエントリーで「ウソでも物語とか規範が必要だ」と言った。そして近代文学は大きな役割としてこの「社会の規範と物語を周知させる」という機能も担っていたのだ」

(思想の共有化圧力が消滅したポストモダン社会に)抵抗することは、前近代的で退行的な信念に助けを求めない限り論理的にできないのです。(娯楽性について)

司会者「趣味・レジャーとしての思想の組織化は一向に構わないが、政治の話にまで敷衍するとオカシクなるぞ、というのがこのブログとしての反論、ということですね。ところで「べき派」のkenzeeに聞きたいのですが、年金制度はどうして破綻しないと言い切れるんですか?」

kenzee「メディアではサンザン「消えた年金」とかやってる割に全然喧伝されてないけど社会保険庁及び社会保険業務に関わる組織は来年廃止される。そして日本年金機構という非公務員型の公法人が生まれる。そして多くの部門を民間へのアウトソーシングで賄う。つまり国の機関ではなくなるのだ。エーっと思う人がいるかも知れないが、すでに一部はそうなっている。社会保険の医療保険の部分については昨年の10月より全国健康保険協会というやはり非公務員型の法人に委譲されている」

司会者「そっちメチャ重要じゃないですか、なんでテレビとか報道しないんですかね」

kenzee「これどういうことかというと独立法人なので料率とか変えようと思えば独自の判断で変えれるのね。国のアレじゃないんで。たぶん近い将来、医療保険の料率はグッと上がると思う。さらに3年後には消費税が引き上げられる。これが年金の財源だ。こっから共済年金や厚生年金は保証されると思う。でも納付期間が300ヶ月に満たない未納者や国民年金未加入者は切り捨てざるをえないだろう。いつものこの国のやり方だよ。まあ「バーカ派」がどうなろうとオレもホントは知ったこっちゃないんだけど今、ビクッとした人は40歳以下ならまだ充分間に合いますので未加入の方はお手続きを」

司会者「自分探し」は20年後、無年金の老人の暴発までいたるかもしれない、kenzeeの「自分探し」論もエライとこまでいきましたね」

kenzee「じゃあ次は日本語ラップです」

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2009年1月12日 (月)

「南京」に「年金」を代入してみた。(東浩紀「なんとなく、考える」第七回娯楽性について)文學界2月号)

司会者「じゃあ早く日本語ラップ片付けましょうか」

kenzee「そのつもりだったんだけど今月の文學界の東さんの連載のヤツ読んだらアレッ?と思ったんで今年最初はコレについて考えてみたい。あの人は以前からネットとかブログ論壇とかマメにチェキってることで有名だ」

司会者「2ちゃんの自分のスレに降臨したりしてますよね」

kenzee「でね、偶然だとは思うんだけどアレ読んだらウチのこの記事への反論みたいに読めるんだ。今回の「娯楽性について」は」

 (海外のソーシャルニュースサイトを例にだし、現代社会においては文学や批評は趣味やレジャーとして扱われている現実を指摘したうえで)

ぼくの著作をお読みになった方なら、ぼくが現代社会の基本的な性格を「大きな物語がなくなった」ことに求めていることはご存知かと思います。しかし、そこでひとつ頻繁に誤解されていることがある。「大きな物語の崩壊」というぼくの主張は、実は教養が崩壊しただのイデオロギーが信じられなくなっただの共通の規範意識が失われただのといった社会のもろもろの局面で「物語」があまり大きな役割を果たさなくなったという現象、それそのものを意味するものではありません。そうではなく、ぼくが重要だと考えているのはもう少し抽象的な変化なのです。(中略)どちらかというと「みなが同じ物語に関心をもつべきである」という信念、ちょっと学問的な匂いのする表現を使えば「特定の物語の共有化圧力」とでもなりますが、そういうメタ物語的な信念のほうが消失していることです。問題は、みなが信じる大きな物語がなくなったことにあるのではない。「みなが信じる大きな物語があるべきだ」とみなが信じなくなっていること、そちらのほうにこそ深刻な問題がある。(娯楽性について(一)文學界2月号)

司会者「確かに前の、「文学、批評の全体性の回復、思想の組織化」といった東氏の意見に言及した我々の記事にまるで反応したかのような内容ですね」

kenzee「まあ、ウチで言ってることなんてヨソでもカブってたりするんで、アレですけど。でも、偶然にもキレーに対になってるのでもったいないのでコレでちょっと考えてみたいと思う。電波とか思わないでネ」

 現代社会は、物語そのものを個人的に信じる、それはいくらでも許すけれど、彼らが「みながその物語を信じるべきである」と決意し、他人の信条に強引に介入することは決して許さない、(中略)社会になっているのです。(中略)ぼく個人は、その傾向を必ずしも「歓迎」してきたわけではない。ただ不可避だと考えてきたにすぎない。そして、その前提のうえで、もしこれからも思想が生き残りたいと願うのであれば趣味としてのしそう、サブカルとしての思想をより効率的に組織するほかないのだ、と主張してきたにすぎない。

kenzee「で、なんでポストモダニズムを定義する際の定番フレーズ、「物語の終焉」を東氏がここでウンヌンすることになったのか。まず、大塚英志との対談集「リアルのゆくえ」において東氏は上記の現代社会の特徴を説明する際に例として「南京大虐殺はあったかなかったか」論争をひきあいにだして説明する。で、両者とも一定の根拠があり、どちらかがどちらかを論破し、排除するという状況ではない。これはあらゆる議論に敷衍しても言える状況である。そして東氏が問題にしているのは排除不能という状況そのものではなく、イデオロギーを共有化しようとする圧力自体消滅している、という現状のほうだ」

司会者「昔の言葉で言えば「オルグする」って感覚がなくなった、て感じですかね」

kenzee「つまり現代社会とはなんらかのイデオロギーを共有することによって全体性を獲得する、という方法論自体ムリッス、という話です。そして所詮、レジャーなんだから効率的に組織化するはかないでしょう、と結論づけている」

司会者「その、思想を効率的に組織化、っていうところがイマイチよくわかりませんよね」

kenzee「オレは元CD屋なのでイメージはつかめるよ。CD屋はいうまでもなく音楽ソフトを販売してるわけだけど、世の中にはあらゆる音楽ジャンルがあって、パンクにはパンクの思想、アニソンにはアニソンの思想、演歌には演歌の思想があるわけさ。で、もしかしたらパンクの思想と演歌の思想は対立する要素を含んでいるかもしれない。アニソンにせよ、クラシックにせよ、クローズな思想があるわけね。今はひとくちに「ロックが好き」といってもオアシス好きなヤツとビーチボーイズ好きとではまったく話がかみ合わないだろう。でもCD屋は特定の思想に肩入れしていては商売にならないので全ジャンルを効率的に組織化して売るワケね。タワーやHMVといった外資系大型店はコレをうまくやって成功したのだろう。90年代までは」

司会者「紅白なんてその組織化が成功している例かも知れませんね。北島三郎と羞恥心がお互いの音楽的思想、信条に介入するなんてことはしないでしょうから」

kenzee「東さんの言いたいことはよく理解できる。東さんは「ぼくはその傾向を必ずしも「歓迎」してきたわけではない」といわれてるけど、ぼく(kenzee)はその傾向は大歓迎な人間なんですよ。だって若いヤツらのほとんどがBボーイみたいなファッションになる状況はおかしいと思うもの。Bボーイもいる、皮ジャンリーゼントのヤツもいる、パンタロンのヤツもいるってのが理想的な状況に決まってるジャン。若い女がみんなギャルになってどうすんだと思うモン。ぼくは歓迎でーす」

司会者「kenzeeは東氏に同意、と。話おわっちゃうじゃないですか」

kenzee「ここまで読んできた読者なら東氏は南京論争~思想の組織化までの展開において周到に言及することを回避してきた問題があるのだがおわかりかな」

kenzee教授「で、そここそが大塚英志の逆鱗に触れる部分だ」

kenzee「カンのいい読者ならわかると思うけど、もともと東氏は社会工学の話をしてたはずなんだけどいつのまにかレコード棚の分類の仕方、みたいな話でまとめちゃった。東氏は政治の話にはあえて敷衍しなかったんだ。よく考えれば南京論争はもともと趣味の話なんだよ。だって南京があろうがなかろうが現代に生きる我々の生活にはほとんど影響ないもん。まあ、「南京なかった派」があんまり強くなると日中関係に多少影響はあるかもしれないけどね。南京の話は趣味だ→思想、批評は趣味だ、というもっていきかたは間違ってないよ。そしてそれらの組織化は可能だと思う。だが、それらを組織化する主体というのは政治的イデオロギーを持たざるをえないのではないか。東氏が編集を務める「思想地図」のVol,1では新進の批評家が集って国家論について議論しているのだが萱野稔人氏の国家論が興味深い。萱野氏は国家という概念を定義するときに重要なのは合法的に集団的な暴力を行使できる、暴力を独占できるということだと言っている。もちろん国家はのべつまくなし暴力を振るうのではなく、あるイデオロギーに基づいて暴力が行使される」

司会者「CD屋の陳列棚は「政治的イデオロギー」でしょうか?」

kenzee「政治だよ。オレが働いてたのはあるジャンルに特化した専門店とかじゃなくてフツーの街のCD屋だけど千日前のようなバラバラな人種が集う繁華街においては結局最大公約数的価値観に基づいて棚を構築することになる。ようするにオリコンを参考にしてたのだけども、あと場外馬券売り場が近かったので演歌のカセットがよく売れたんだ。だから演歌のチャートは常にチェックしてた。そして返品率(そのメーカーの仕入れ金額に対して返品可能な金額)の低いメーカーや単に売れないジャンル(クラシックとか)は発注担当者の政治的、経営的判断によって店頭から排除される。暴力的にね。たとえ音楽的に優れたイデオロギーを志向した商品であったとしてもだ」

司会者「最後は絶対政治の出番がありますよねえ」

kenzee「ウン。でも東氏はかたくなに政治の話はしないんだ。具体的にやってみよう。東氏は「例として」南京論争をだしたのだが、ホントにあらゆる論争に敷衍できるのか? たとえば「南京」に「年金問題」を代入しても東氏は同じ結論を導きだせるだろうか」

司会者「年金? あれですか、今問題になってるあの年金問題ですか?」

kenzee「ウン。ボクは今、年金業務に関係したアレで働いてるんだけども。で、東さんのような文筆業や講演、講義で主な収入を得ている人は分類上、自営業者になるので当然、国民年金に加入していると思うんだ。もちろん将来の受給額のことを考えて国民年金基金などにも任意加入されているかもしれない。でも、このブログの読者はフリーターなど非正規労働者の方も多いと思うので、そして往々にしてそういう人は国民年金に加入していない、または未納の人が多いのでザッ説明させていただきます」

司会者「(プッ。ソレ先月から働きはじめたんジャン。生知識もいいとこジャン。ホンット、kenzeeってひけらかしたがりなんだよなあ)」

kenzee「年金とひとくちに言っても国民年金、厚生年金、共済年金といろいろあるわけだけども。で、転職とかいっぱいしてる人は時期によって加入してる年金がバラバラだったりするんだけど、年金というものは基本、最低25年間(300ヶ月間)納付していないと受給されないのね。一円も。で、現在国民年金保険料は月々14.410円です。そして国民年金の加入期間は20歳から60歳まで。そして65歳から老齢基礎年金の給付が始まります。小説家とか批評家は大抵この国民年金に加入しているはずです。だが、この国民年金の納付率は他の厚生年金、共済年金と比べてハンパじゃなく悪くて6割(2007年)である。これでもまだマシになったほうで2006年なんか5割切った。たぶん、八百屋さんとかフツーの商店主の人とかはちゃんと払ってると思うので非正規労働者だけで統計とったら2割ぐらいにあるんじゃないかと思うんだ」

司会者「今年の納付率なんかガクっと下がりそうですね」

kenzee「ウン、だって派遣村の人たちとかフツーに財布に1000円しかなかったりするじゃん。月々14410円て高すぎると思うな。でも収入が低くててとても年金払えねえ、という方には免除制度があって、社会保険事務所に申請して承認されれば(2ヶ月ぐらいかかる)免除される制度があるんだが、意外とフリーターみたいな人々は知らない」

司会者「で、「南京」に「年金」を代入するとどうなるんですか」

kenzee「年金納付率の低さからもわかると思うんだけど、基本、国民年金は強制加入なので払わなきゃならないものなのね。だが、一方で「つーか、テレビとかで将来年金破綻するとか言ってんジャン。偉い人とかでも言ってるし。つーか高ェし。どーせ受け取れないんダロ? 絶対払わんし」という思想の人々がいるわけね。で、前者を「年金払うべき派」後者を「誰が払うかバーカ派」と便宜上名づけよう」

司会者「でも「バーカ派」が完全に間違ってるとも思えません。年金制度はホンットに破綻しないんですか? kenzeeさん」

kenzee「ぼくは「べき派」なので年金制度が破綻しないストーリーについて説明することはできるけどそれは別の機会にしよう。つまり「べき派」には「べき派」のロジックがある。だが、「バーカ派」にも「バーカ派」なりの根拠がある。つまり、この両者の対立、溝を埋めるのはきわめて困難だと思うんだ。「年金」は「南京」同様思想的に対立している。そして東氏の言うようにお互いがお互いの思想、信条に介入することはない。もちろん、社保庁としては一応、納付を呼びかけるがせいぜいポスター貼ったりする程度だ。未納だからといって逮捕されたりすることもない。つまり「べき派」は「バーカ派」の信念を尊重し、決して圧力をかけることはない。また「バーカ派」も「べき派」に対して特に介入することはない。たとえば「国民年金保険料は高すぎる、もっと下げろ」といった内容の訴訟があったとか聞いたことがない。まさに東氏の言うようにこの年金論争をみても「みながたがいの信念の適用範囲を監視し制限しあってる」状態だ」

司会者「じゃあ「南京」も「年金」も一緒じゃないですか。結局は東さんの言うように両者は対立したまま、お互いを排除することなく生き残るのではないですか。そして彼らの言い分は効率的に組織化されるのでは」

kenzee「南京」はそれでいいんだけど「年金」はそうはいかないんだよ。なんでかというと「南京論争」は趣味、レジャーの範疇を決して超えない、我々の生活や未来にはたいしてなにも影響を与えないけど「年金」は直結していく問題だからなんだ。次で、「年金論争」を「効率的に組織化」して放置するとどうなるかシミュレートしてみよう。そして、デリダをはじめとするポストモダニズムに見られるイデオロギーを疑う姿勢が果たして来たる2010年代においても有効かどうか。という話をします」

司会者「ていうか早く日本語ラップやってPerfumeやって文芸誌戻れよ!」

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2009年1月11日 (日)

エ、どこまで行ってましたっけ?

司会者「新年の挨拶もナシかよ! 「自分探し」論もグダグダのまま、芥川賞も発表されちゃうし、アナタは一定の読者を持つブロガーとして無責任だね!」

kenzee教授「kenzeeも忙しかったんだよな、年末年始は。正月は姉一家が子供つれて帰ってくるし」

kenzee「ウ~ン、でも正月休み自体は9日間あったんだよなあ。ネタもちゃんとメモしてた。なのにまったくパソコンに向かう気力がなかった!」

司会者「なかった!じゃないですよ」

kenzee「世の中にはホントにマメにブログ更新する人いるじゃないですか。しょこたんとか」

司会者「あの人は異常」

kenzee「で、この年末わかったのはオレはまったく「書くのが好きな人」じゃないんだなあということだな。でもあのジャンジャン書く人って90年代とかどうやって生きてたんだろう?」

司会者「日記とかじゃないですか。今後の予定を聞かせてください。とりあえずやる気はあるのかどうか」

kenzee「今後の予定はね、まずkenzee賞ね。コレ、文芸誌をぜんぜん読んでないワケじゃないんですよ。でも今回はシンドイかも。木村先生のハワイに慰安旅行に行くヤツも読んだし。木村さんてだんだん音楽で言えば細野晴臣とかヴァン・ダイク・パークスとか島唄の人みたいなアプロ-チになってきてるよね。文化へのアプローチが。細野さんの70年代の「トロピカルダンディー」とか「泰安洋行」といったアルバムのコンセプトは「外国人の目から見たヴァ-チャルな架空のニッポンなんだ。細野さん自体は音楽的には根無し草でさ。デラシネなんだ。だってはっぴいえんどやキャラメルママはあんな土の匂いのするダウントゥア-スなものだったのがYMOは完全に都市の音楽だからね。その後も音楽的変遷を重ねていく。木村文学も根を持たない世界で、ハワイに対しても沖縄に対しても距離を自覚したアプローチの仕方でたぶん盛岡に対しても距離を持っている。その距離こそが木村文学のキモでね」

司会者「故郷がないってことですか」

kenzee「ウン、盛岡に生まれ育って、盛岡に根を張った人なら違うアプローチになるはずなんだ。沖縄も同様。でも根を持たない者にしか見えない美というものがあるはずで、「島の夜」~「イギリス海岸」~「ハワイアンブル-ス」と旅モノに一貫した構図がある。細野さんは音楽の世界観光旅行で自分のアイデンティティを発見していく。木村さんが今後、対象との距離をどう見つめていくのか、楽しみだね」

司会者「ハ! 我々がボンヤリしてる間に木村先生秋に新刊でてたんですね!」

kenzee「ホントだね! 小説すばるにもイロイロ書いてるみたいだしね! マイッタなコリャ。去年の下半期は谷崎由依さんがスゴイ活躍してましたね。大著の翻訳も著し、創作もグイグイいってるみたいです。群像のヤツ読もうと思います」

司会者「読んでなかったのかよ!」

kenzee「すばる新人賞の天杢裕文「灰色猫のフィルム」には触れるつもりだったが時は過ぎた!」

司会者「アナタ、以前より時間あるじゃないですか。今の仕事は完全に9時5時だし。なんで停滞するんですかね」

kenzee「それが人間のアレですかね。あと、藤野可織さんが単著を上梓されましたね。ここにはデビュ-作「いやしい鳥」、文學界新人賞受賞第一作「溶けない」そして書き下ろし「胡蝶蘭」が収められているのだがこの「胡蝶蘭」がコンパクトなんだけど良いんだ。これが収録されることで作家の輪郭が明確になったような気がする。シングルヒット、みたいな。一番ストレ-トに作家のカラ-がでてると思う。「藤野可織ってどんな作家?」っていう人はとりあえず「胡蝶蘭」を読んだらいいと思う。去年下半期はこれくらいかな?」

司会者「は!? たったコレだけ? 全然読んでないじゃん。なにが(書評)だよ!」

kenzee「あと津村記久子の「ミュ-ジック・ブレス・ユ-」をやろうと思ってたんだけど、読み終わってハタと気づいたんだよ。まず良質な青春小説だと思った。で、「津村さんとはあんまり音楽の話が合いそうにないなあ」と思った。津村さんは80年代以降のブリティッシュ・パンクがお好きなようなのだ。アノラックとかティーンエイジファンクラブをこういう文脈で聴く人がいるのかと驚いたね。多分、初期のクリエイションとか好きな人なんだと思うんだ。ジ-ザス&メリ-チェインとか、初期のプライマルスクリ-ムとか。でねえ、オレはオアシス全盛期の90年代にオアシス嫌いのCD屋だった人間なんで「こうも話のあわなさそうな人がいるものか」と思った」

司会者「津村さんは、陰鬱なギターがギャ-ッと鳴ってる音楽が好きそうですね」

kenzee「ウン。テレヴィジョンとかヴェルヴェットアンダ-グラウンドとかそっちの人みたいね。アズテックカメラみたいな「アコギがジャラーン」みたいなのはダメなんだろうな。でもまさか「ミュ-ジック…」が野間文芸新人賞獲るとはなあ」

司会者「(そんだけしか読んでないのか?)今後の展開はどうします? もう(書評)って看板はずします?」

kenzee「とりあえず「自分探しとJ-POP論」は最後まで行きます。ええと、自分でもどこまで行ったかわかんなくなってるけども。ミレニアム直前の99年ごろに日本語ラップが急速に支持を得たのはどういうコト?ってところから行きます。そして最終的には2008年に急に浮上したPerfumeとはなんなのか。ここまではいく。Perfume論に関しては藤田直哉さんがかなりワキの甘い論をやってるのでちょっと看過できませんので。「オレならここまでガッチリ固めるゼ」というものをやりますよ。それで99年から2008年までいけるんじゃないかな」

司会者「もう早くソレ片付けて文芸誌に帰りましょう」

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