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2009年2月25日 (水)

ジャニーズワールドの現在(日本語ラップと自分探し5)

司会者「もしかして行き詰ってません?」

kenzee「オレはこの2週間ぐらい、嵐及びジャニーズについて考えてきた。そしたらどうにも思考が堂々巡りになっちゃったんだな。コレが。オレはジャニーズ文化を改めてちゃんと捉えなおすべきだと思った。我々が「ジャニーズ」という言葉から連想するのはカワイイ顔した男の子たちがローラースケートで滑ったりバク転したりしながら歌ったり踊ったりするというものだ。そしてタレントたちは訓練生の中からエグゼグティブ・プロデューサーがスターを抜擢するというもので宝塚によく似たシステムといえる。いまや全国に支部を持つ沖縄アクターズスクールも同様のシステムだ。つまり極めて職人芸的なエンターテイメント集団であり、リアリティ重視のジャーナリズムからは仮想敵にされやすいプロダクトなのだ」

司会者「つまり「ロ」とか「キ」とか「オ」とか「ン」とかがつく雑誌などで仮想敵にされやすいということですね」

kenzee「だがいろいろ調べていくともはやジャニーズとは我々が認識しているようなベタなアイドル集団ではなくて、どこまで喜多川さんがコントロールしてるのかわからないポストモダン状況にある。まず、嵐の特徴として、彼らはCD制作においてクリエイティブの面でかなり関わっているという点。櫻井翔は2003年のシングル「言葉より大切なもの」以降、ラップ部分の歌詞の全てを担当している。また嵐のステージプランを担当しているのは二宮和也だ。櫻井は俳優としてドラマ「木更津キャッツアイ」に出演した。この宮藤官九郎の脚本によるヒットシリーズだが、クドカンの脚本というのは通常のドラマのシナリオとは違うようなのだ。文藝クドカン特集によるとクドカン脚本とはコントの台本のように大きな枠組みと設定のみで小ネタなどはその場で作られることが多いという。櫻井もまたクリエイティブの面で多く関わったのだろう。だが、ジャニーズタレントがクリエイティブに関わるのは嵐が最初ではない。もともと90年代からそういう流れはあったのだ。90年代を代表するジャニーズグループといえばSMAPだ。彼らは意識的に従来のアイドル像を壊そうと目論んだ。王子様のような虚構の存在としてジャニーズは芸能界に君臨してきた。だが、SMAPは等身大の若者であろうとした。マッチやトシちゃんや少年隊のようにアイドル然とした衣装を身に着けなかった。ストリートを意識したカジュアルな服装で我々の前に現れた。そして積極的にバラエティ番組でのお笑いトークを買ってでた。そしてSMAPの楽曲は筒美京平先生や松本隆先生のようなプロの作家に発注せず、山崎まさよしやスガシカオ、槇原敬之といった90年代以降に登場したシンガーソングライターに託した。いったい、SMAPが体現していたものがなんだったか、おわかりかな?」

司会者「ま、まさか……「自分探し」じゃ!!!」

kenzee「その通り。バブル崩壊後に登場した彼らは「本当の自分」「本当のジャニーズ」を求めて歩き出した。確かに彼らはジャニーズアイドルでありながらほとんど喜多川さんの影が見えない。彼らが視聴者に訴えたのは「華麗なダンス」でも「きらびやかな衣装」でもなく「セルフコントロールするアイドル」だった」

司会者「しかし、それは欺瞞では?」

kenzee「そうだ。単に彼らは「ストリートワイズ」というコンセプトを掲げたに過ぎない。彼らほどそのストーリーが喧伝されたグループも珍しいのだ。いわく「キムタクは苦労人だ」「SMAPは最初、全然売れなかった、でも敏腕マネージャーとの結束の強さでスターダムにのし上がった」「でも人気がでてもフツーっぽいとこがステキ!」などいかにもな物語に裏打ちされていた。95年以降、SMAPのステージングを監修しているのは中居正広だ。つまり、ジャニーズタレントのクリエイティブへの介入は95年あたりから始まっているのだ。97年デビューのKinki KidsはSMAP人気を背景に「伝統的なジャニーズ文化の継承」をコンセプトに典型的な「王子様」として登場する。デビュー曲「硝子の少年」は「ジャニーズらしい濡れたメロディー」を意識して書かれたものだ。作曲を担当した山下達郎の当時のインタビューを紐解いてみよう。

Q「Kinki Kidsの「硝子の少年」予想外の音作りがすごく興味深かったんですが」

達郎「ボクのファンにはうるさい人が多いから、あの曲に関してはひとこと言いたい人もきっといるだろうな。でも、あの曲をつくるに当っては色々と苦労があってね」(中略)

Q「どのように状況を打破されたんですか?」

達郎「今、筒美京平さんだったらどういう曲を書くのかなって思って。僕にとってのジャニーズっていうのはジャニー喜多川さんが作られた40年近く続く一種の伝統芸能なわけ。(中略)僕はマッチや少年隊のプロジェクトを横から見ることができたんで、そうした「ジャニーズ的」な色合いについてある程度知識があった。それを形作ってきたのには筒美さんや馬飼野さんたちの作ったメロディーラインが大きな役割を果たしてるんだよね。だからひとことで言えば「よろしく哀愁」と接点を持てるような曲にしようと思って、それであれになったの」
Q「なるほど、だからあのマイナーメロディーなんだ」

達郎「販促用のパンフに載せた僕のコメントがあるんだよ。「フォーリーブスを生きたママたちと、今まさにKinkiを生きる娘たちとが、時を越えてつながる何かを表現できたらと思い、この曲を作りました」これがあの曲のコンセプトのすべて。(中略)作家の世界も今、転機でね。作家としてのプロがいない。みんなシンガーソングライターと呼ばれる人たちで。そういう人たちは得てして自己主張を過度にアイドルに押し付けようとする。(中略)自分で歌えない曲を作れるのが作家だって思ってるから。でも、そういう美学って今、あまり通用しないからなあ。素人音楽家に牛耳られてる時代だから」(TATSURO MANIA(ファンクラブ会報)No.23.1997Autumn)

このように山下氏もSMAPのCD制作の方針に違和感を持っていたようだ。だが、果たしてKinki Kidsが山下氏がイメージしたような「伝統的なジャニーズ」の世界を受け継いだかどうか。堂本剛は早くもセカンドアルバムで自作曲を披露する。以降、セルフロプデュースを強く打ち出すようになり、やがてソロで活動するようになる。ところでオシャレで知られる堂本剛だが、CDのジャケットなどのアー写の衣装は彼の自前である。(ことが多い)」

司会者「つまり、山下さんのなかの「ジャニーズ」とは古きよき時代のもので、もはや昔には戻れないっていうことですよね。事実、シンガーソングライターがSMAPに提供した「セロリ」(山崎まさよし)や「夜空のムコウ」(スガシカオ)は大ヒットしたわけで」

kenzee「このような状況を背景に、嵐が即席で結成されたグループの割にサッサとクリエイティブを発揮するようになったのにはすでに90年代に前提ができてたのね」

司会者「ところで、嵐の作家って誰なんですか?」

kenzee「一応CDのクレジット色々見てみたんだが、知らない人ばっかりなんだな。一応こないだのエントリーの「A Day in Our Life」の作曲はスケボーキングによるものだ。嵐の楽曲は主に作曲は飯田建彦、山本博、ZAKI、といった人々、作詞に元東南西北の久保田洋司、戸沢陽美といった職業作家が配されている。つまり、「レコード」という製品単位で見れば Kinkiなんかよりよっぽど嵐のほうが鑑賞に耐えられる出来なのだ。だって素人曲なんか入ってないからね。もちろん、そういったプロのトラックに自作のラップを乗せるのが難しいのは言うまでもない。ところで日本語のラップシーンもこれだけ成熟した現在ならそれらしいリリックを書くのは比較的難しいことではない。オレら登場、気分は上々、ここ東京、王道を暴走とか言ってればいいわけでいまや誰でも書けるんだよ。そうなると「誰が、なにをメッセージしているのか」というリリックの内容が重視されるようになる。多くのアイドルラッパーはこういったラップを取り巻く状況に対して無頓着だ。KUT-TUNの田中聖も例外ではない。2006年発表のデビューシングル「Real Face」において田中は見事な早口ラップを披露しているがラップの定型文を並べただけという印象も否めない。

 俺がハスラーKID これ果たすだけ 声枯らすわけ 越えられるかDis それは誰かだ? Ha-Ha俺はJOKER DoopなRhymeで泣きだす嬢ちゃん 待ちに待ったこれが俺のShowTime 壮大キメろ All Night ヤバめなFLOWで湧きだす場内 Westside Eastside 上げろHands Up!(KUT-TUN「Real Face」2006年)

まあコレ一曲で田中さんをDisるのもアレなんで今後が楽しみだということで。で、櫻井のラップを考える上でどうしても聴いていただきたい曲がるのだ。2008年発表の8枚目のオリジナルアルバム「Dream"A"Live」はCD2枚からなる大作なのだが、Disc.1がニューアルバム、Disc.2がメンバーのソロ曲が人数分、収められている。当然、我々としては櫻井のソロに着目するワケだが、これがちょっとスゴイ曲なのだ。「HIP POP BOOGIE」これ聴いて、みんなちょっと考えてみて欲しい。結論は次回に回したいと思う。ラップとは「誰が、なにを発するか」が重要だって話。さすがにソロ曲までYou Tubeになかったので自分で上げてみました」

司会者「(エ!?コレkenzeeが自分でアップしたの? このアナログ人間のどこにそんな技術力が?)」

kenzee「MP3Tube便利だワ~これから手持ちの音源アップできるからJ-POP評論スゴイよ!」

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2009年2月17日 (火)

ココログガイドとか津村とか嵐とか(日本語ラップと自分探し4)

kenzee「正体不明のkenzeeでーす」

司会者「なんか、ココログガイド(2月12日)で紹介されたみたいですね。この下らないブログが」

kenzee「で、他の紹介されてるヤツ見たら、「絵本作家の○○さんのホノボノ日記」みたいなのとか「現役社労士の○○氏が語る、社会保険講座」みたいな紹介のされ方なんだけど、ウチの…

 正体不明の kenzee さんが、同名の教授たちとともに、文学や音楽を通して現代社会やサブカルチャーを徹底議論。文芸論壇を読み解くためのサブテキストとしてもどうぞ。

こんな紹介のされ方でした」

司会者「だって、アンタ正体不明だもん。たぶん、あのリード文てプロフィールのトコ見て書くんだろうけどウチのアレじゃ、そりゃそう書かれますよ。アレは意図があるんですか」

kenzee「昔、そうバブル絶頂の1989年、バンドブームがあった。その頃、多分宝島だったと思うけど「決定版!バンド図鑑」みたいなムックがでて、ジュンスカとかユニコーンとか当時のバンドの一人一人のプロフィールが載ってたのね。で、フツーは「奥田民生、何年生まれ、広島県出身、担当、ヴォーカル、ギター、みたいな感じなんだけどX(エックス)のヨシキのプロフィールがシビレたんだな、コレが。

 生年月日X(エックス)、出身地X(エックス)、性別X(エックス)、担当楽器、ドラム、ピアノ。

司会者「ついでに楽器もエックスにしとけよ!」

kenzee「それであの時代へのオマージュのつもりであーゆープロフィールにしたんだけど。もし、コメントで「オマエはヨシキか!」ってついたらオイラビックリしたと思うんだけど遂にそんなことはなかったなあ」

司会者「わかるかよ! そんな細かいボケ!」

kenzee「ホンット、大体ウンコかチンコか文学の話しかしてないのにそんな公共的なトコで紹介されてもいいのかな?」

司会者「デタラメも多いのにね」

kenzee「ところで最近、近所の本屋がまた潰れました。奈良の押熊っていう典型的なファスト風土のど真ん中にある本とCDの複合店だったんだが、ブラっと寄ったらもう張り紙してあってさ」

司会者「最近ツタヤとかでもシンドイらしいですからねえ」

kenzee「これから奈良人どこで本買うんだろ? 奈良っていわゆるジュンク堂とか紀伊国屋に代表される「大型書店」てのがないんですよ。文芸誌まとめ買いできる本屋も近鉄奈良駅ヨコの啓林堂のみ。これはもう絶望的な文化状況DEATH。でも救いなのがね、文芸誌のコーナー見たら文學界にも群像にももちろん文藝春秋にも津村さんが載ってて、しかも平台にはドドーンと津村作品が並んでるワケですよ。もう新刊がでてるし。しかも文學界には宇野常寛さんの津村論も載ってるし。しかもそれが結構面白かったんだよ。いつもの「島宇宙化した現代のポストモダン状況をいかに快適に生きるか」という宇野節とデビュー作(君は永遠にそいつらより若い)の持つこの世代特有のモラトリアム感を見事に接続してて。

 現代という時代を生きるとき、多少なりとも考えることができれば、まだ何もなしえていない若者たちはアイデンティティ不安を前に再帰的に物語を選択することを強いられる。自分の物語を、自分で選択する。ただし、その価値は誰も保証してくれない。自分が信じ、賭けることしかできない。だからこそ、自分の決断した物語の正当性を確認したいという欲望、いや不安が浮上する。(文學界3月号「見えざる<敵>のリアリズム)

その「物語の正当性を確認したいという欲望、不安というのがまさに「自分探し」なワケで。津村さんと宇野さんは78年生まれで同い年なんだよ。この78年生まれっていうのがオレは昔っから引っかかってて、つまりハッキリとした世代交代があるの。音楽のほうだと椎名林檎と降谷建志が78年生まれなんだ。この78年組には共通の感覚があるように思う。あの山崎ナオコーラさんも78年生まれなのだがデビュー作、「人のセックスを笑うな」から引用してみたい。

 オレは人生について考えるとき、「自分の中身」や「自分の成功」というようなことより「サバイバル」という感覚のほうが強い。はっきり言って、オレは非常事態のときに力強く生き残る自信がある。(山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」2004年)

たぶんこの、「人生は基本、サバイバルするもの」という感覚なんだ。78年組に共通しているのは。彼らは人生で一番多感な17歳を、あのオウムと地震の95年で迎えてしまった。そして17歳以降、彼らは常に社会が混乱するさまを目撃し続けることになる。そう考えるとナゼ、宇野さんが大きなテーマとして「トライブ間の抗争の調停」とか「楽園を守るがゆえの暴力」という見えざるものに敏感なのかわかる。ナオコーラさんの「非常事態のときに」という設定の仕方がいかにも78年らしい感覚なのだ。我々70年代前半生まれの人間には絶対ない発想なの。それは多分、あのバブルを子供の目で目撃したからだろう。オレとか72年生まれの東浩紀さんとかはまだ、頭のどこかで「バブルってまた来るんじゃね?」とか思ってるフシがある」

司会者「なんとかなるっしょ!みたいな」

kenzee「でもナオコーラさんにせよ、津村さんにせよ、人生とはサバイバルであって、落ちたらオワリという、悲壮感というか覚悟があるよね。そして「人生とはサバイバルである」という集合的な認識をハッキリと形にしたのが「バトルロワイアル」(99年)だったのだろう。偶然か必然か、映画「バトルロワイアル」のテーマ曲はドラゴンアッシュの「静かな日々の階段を」だ。殺し合いの果てに流れる歌は78年組にしか歌えないだろう」

司会者「じゃ、そろそろ日本語ラップ論の続きにいってもらいましょうか」

kenzee「前回、ゼロ年代におけるジャニーズラップってナニ?って話をするって言って終わった。日本のヒップホップを語る文脈では絶対に無視されるフィールドでね。だからこそ、オルタナティブを設定するためにも、ジャニーズラップについて語る必要があった。まず、その先駆者であり、急先鋒となったのは嵐の櫻井翔だ。そして嵐や櫻井の資料をこの2週間ぐらいで集めまくった。オレは最近、音楽といえばあらCDばっかり聴いている」

司会者「なんスか。あらCDって」

kenzee「嵐のCDに決まってるだろう! そして嵐ってオレが想像してる以上にスゴイグループだということが判明した。ハッキリ言う。嵐を、櫻井の軌跡を語れば自動的にゼロ年代を語ることができる。むしろナゼ、宇野さんは嵐の、櫻井の話をしなかったのだろうと不思議なくらいだ。ツベコベ言う前に一曲きいてもらおう。2002年作品「A Day in Our Life」。これは嵐初の全編に渡って櫻井のラップが導入された記念碑的な一曲だ。また「木更津キャッツアイ」のテーマ曲でもあり、広く一般に知られた嵐の代表曲でもある」

司会者「コレ、サンプリングネタ少年隊じゃないスか!?」

kenzee「そうだ。少年隊の「ABC」のイントロがループして使われている。つまり「A Day in Our Life」のサウンドプロダクトは単に、「カッコよさげにラップ決めてみました」という安直なものではなく、「先人(少年隊)へのリスペクト」というヒップホップの基本精神を嵐なりに表現したものだ。このようにこの曲には確信犯的にヒップホップを取り入れようとする意思がある。もちろん、こうしたコンセプトはラップの担当者であり、「木更津…」の出演者でもあった櫻井の提案によるものだろう。この2002年以降、嵐のサウンドはグッとブラックミュージックに接近していくのだ。なにより嵐がクレバーなのは、そういった意匠を取り入れながらも彼らが体現したのは「架空の王子様」でもなければありもしない「ニューヨークのダウンタウン」などでもなく、日本の郊外(ファスト風土)であった点だろう。「PICA・NCH」などでもわかるように彼らは日本の郊外の風景を全肯定している。その点において彼らはSMAPが成し遂げられなかったことを達成したのだ。SMAPは郊外を認めなかった。彼らは都会に生きる若者であり続けた。では、櫻井はどんな戦略でゼロ年代を駆け抜けたか。彼らは2006年にジャニーズ史、または自分探しソング史に足跡を残すことになるんだ。次は2002年から順を追って見て行こう」

司会者「次からは早いですよ」

P.S読者の皆様。更新遅れてゴメンね。そしてココログ事務局のみなさまありがとう。こっからは早めにいきますのでヨロシコ。

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