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2009年2月17日 (火)

ココログガイドとか津村とか嵐とか(日本語ラップと自分探し4)

kenzee「正体不明のkenzeeでーす」

司会者「なんか、ココログガイド(2月12日)で紹介されたみたいですね。この下らないブログが」

kenzee「で、他の紹介されてるヤツ見たら、「絵本作家の○○さんのホノボノ日記」みたいなのとか「現役社労士の○○氏が語る、社会保険講座」みたいな紹介のされ方なんだけど、ウチの…

 正体不明の kenzee さんが、同名の教授たちとともに、文学や音楽を通して現代社会やサブカルチャーを徹底議論。文芸論壇を読み解くためのサブテキストとしてもどうぞ。

こんな紹介のされ方でした」

司会者「だって、アンタ正体不明だもん。たぶん、あのリード文てプロフィールのトコ見て書くんだろうけどウチのアレじゃ、そりゃそう書かれますよ。アレは意図があるんですか」

kenzee「昔、そうバブル絶頂の1989年、バンドブームがあった。その頃、多分宝島だったと思うけど「決定版!バンド図鑑」みたいなムックがでて、ジュンスカとかユニコーンとか当時のバンドの一人一人のプロフィールが載ってたのね。で、フツーは「奥田民生、何年生まれ、広島県出身、担当、ヴォーカル、ギター、みたいな感じなんだけどX(エックス)のヨシキのプロフィールがシビレたんだな、コレが。

 生年月日X(エックス)、出身地X(エックス)、性別X(エックス)、担当楽器、ドラム、ピアノ。

司会者「ついでに楽器もエックスにしとけよ!」

kenzee「それであの時代へのオマージュのつもりであーゆープロフィールにしたんだけど。もし、コメントで「オマエはヨシキか!」ってついたらオイラビックリしたと思うんだけど遂にそんなことはなかったなあ」

司会者「わかるかよ! そんな細かいボケ!」

kenzee「ホンット、大体ウンコかチンコか文学の話しかしてないのにそんな公共的なトコで紹介されてもいいのかな?」

司会者「デタラメも多いのにね」

kenzee「ところで最近、近所の本屋がまた潰れました。奈良の押熊っていう典型的なファスト風土のど真ん中にある本とCDの複合店だったんだが、ブラっと寄ったらもう張り紙してあってさ」

司会者「最近ツタヤとかでもシンドイらしいですからねえ」

kenzee「これから奈良人どこで本買うんだろ? 奈良っていわゆるジュンク堂とか紀伊国屋に代表される「大型書店」てのがないんですよ。文芸誌まとめ買いできる本屋も近鉄奈良駅ヨコの啓林堂のみ。これはもう絶望的な文化状況DEATH。でも救いなのがね、文芸誌のコーナー見たら文學界にも群像にももちろん文藝春秋にも津村さんが載ってて、しかも平台にはドドーンと津村作品が並んでるワケですよ。もう新刊がでてるし。しかも文學界には宇野常寛さんの津村論も載ってるし。しかもそれが結構面白かったんだよ。いつもの「島宇宙化した現代のポストモダン状況をいかに快適に生きるか」という宇野節とデビュー作(君は永遠にそいつらより若い)の持つこの世代特有のモラトリアム感を見事に接続してて。

 現代という時代を生きるとき、多少なりとも考えることができれば、まだ何もなしえていない若者たちはアイデンティティ不安を前に再帰的に物語を選択することを強いられる。自分の物語を、自分で選択する。ただし、その価値は誰も保証してくれない。自分が信じ、賭けることしかできない。だからこそ、自分の決断した物語の正当性を確認したいという欲望、いや不安が浮上する。(文學界3月号「見えざる<敵>のリアリズム)

その「物語の正当性を確認したいという欲望、不安というのがまさに「自分探し」なワケで。津村さんと宇野さんは78年生まれで同い年なんだよ。この78年生まれっていうのがオレは昔っから引っかかってて、つまりハッキリとした世代交代があるの。音楽のほうだと椎名林檎と降谷建志が78年生まれなんだ。この78年組には共通の感覚があるように思う。あの山崎ナオコーラさんも78年生まれなのだがデビュー作、「人のセックスを笑うな」から引用してみたい。

 オレは人生について考えるとき、「自分の中身」や「自分の成功」というようなことより「サバイバル」という感覚のほうが強い。はっきり言って、オレは非常事態のときに力強く生き残る自信がある。(山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」2004年)

たぶんこの、「人生は基本、サバイバルするもの」という感覚なんだ。78年組に共通しているのは。彼らは人生で一番多感な17歳を、あのオウムと地震の95年で迎えてしまった。そして17歳以降、彼らは常に社会が混乱するさまを目撃し続けることになる。そう考えるとナゼ、宇野さんが大きなテーマとして「トライブ間の抗争の調停」とか「楽園を守るがゆえの暴力」という見えざるものに敏感なのかわかる。ナオコーラさんの「非常事態のときに」という設定の仕方がいかにも78年らしい感覚なのだ。我々70年代前半生まれの人間には絶対ない発想なの。それは多分、あのバブルを子供の目で目撃したからだろう。オレとか72年生まれの東浩紀さんとかはまだ、頭のどこかで「バブルってまた来るんじゃね?」とか思ってるフシがある」

司会者「なんとかなるっしょ!みたいな」

kenzee「でもナオコーラさんにせよ、津村さんにせよ、人生とはサバイバルであって、落ちたらオワリという、悲壮感というか覚悟があるよね。そして「人生とはサバイバルである」という集合的な認識をハッキリと形にしたのが「バトルロワイアル」(99年)だったのだろう。偶然か必然か、映画「バトルロワイアル」のテーマ曲はドラゴンアッシュの「静かな日々の階段を」だ。殺し合いの果てに流れる歌は78年組にしか歌えないだろう」

司会者「じゃ、そろそろ日本語ラップ論の続きにいってもらいましょうか」

kenzee「前回、ゼロ年代におけるジャニーズラップってナニ?って話をするって言って終わった。日本のヒップホップを語る文脈では絶対に無視されるフィールドでね。だからこそ、オルタナティブを設定するためにも、ジャニーズラップについて語る必要があった。まず、その先駆者であり、急先鋒となったのは嵐の櫻井翔だ。そして嵐や櫻井の資料をこの2週間ぐらいで集めまくった。オレは最近、音楽といえばあらCDばっかり聴いている」

司会者「なんスか。あらCDって」

kenzee「嵐のCDに決まってるだろう! そして嵐ってオレが想像してる以上にスゴイグループだということが判明した。ハッキリ言う。嵐を、櫻井の軌跡を語れば自動的にゼロ年代を語ることができる。むしろナゼ、宇野さんは嵐の、櫻井の話をしなかったのだろうと不思議なくらいだ。ツベコベ言う前に一曲きいてもらおう。2002年作品「A Day in Our Life」。これは嵐初の全編に渡って櫻井のラップが導入された記念碑的な一曲だ。また「木更津キャッツアイ」のテーマ曲でもあり、広く一般に知られた嵐の代表曲でもある」

司会者「コレ、サンプリングネタ少年隊じゃないスか!?」

kenzee「そうだ。少年隊の「ABC」のイントロがループして使われている。つまり「A Day in Our Life」のサウンドプロダクトは単に、「カッコよさげにラップ決めてみました」という安直なものではなく、「先人(少年隊)へのリスペクト」というヒップホップの基本精神を嵐なりに表現したものだ。このようにこの曲には確信犯的にヒップホップを取り入れようとする意思がある。もちろん、こうしたコンセプトはラップの担当者であり、「木更津…」の出演者でもあった櫻井の提案によるものだろう。この2002年以降、嵐のサウンドはグッとブラックミュージックに接近していくのだ。なにより嵐がクレバーなのは、そういった意匠を取り入れながらも彼らが体現したのは「架空の王子様」でもなければありもしない「ニューヨークのダウンタウン」などでもなく、日本の郊外(ファスト風土)であった点だろう。「PICA・NCH」などでもわかるように彼らは日本の郊外の風景を全肯定している。その点において彼らはSMAPが成し遂げられなかったことを達成したのだ。SMAPは郊外を認めなかった。彼らは都会に生きる若者であり続けた。では、櫻井はどんな戦略でゼロ年代を駆け抜けたか。彼らは2006年にジャニーズ史、または自分探しソング史に足跡を残すことになるんだ。次は2002年から順を追って見て行こう」

司会者「次からは早いですよ」

P.S読者の皆様。更新遅れてゴメンね。そしてココログ事務局のみなさまありがとう。こっからは早めにいきますのでヨロシコ。

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