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2009年5月31日 (日)

kenzeeさん、アンタァ……Part.5ぐらい?(佐々木寛太郎さんへの回答)

司会者「えーと前のエントリーで引用させていただいた(「東浩紀のゼロアカ道場伝説の文学フリマ決戦」収録の「Xamoschi」掲載の佐々木寛太郎「日本のヒップホップ「現場」とジャンル論の関係から)佐々木さんから反論がありました」

kenzee「……」

司会者「ところでアナタ、そもそもこの佐々木論文で紹介されてるイアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」読んだんですか?」

kenzee「モチロン、読んでないヨ」

司会者「なーんで、読みもせんとチョッカイだすかねえ、アナタは。円城さんときにもそんなことがあったでしょ?」

kenzee「でもオレ、このコンドリーとかいう外人の記事、昔BLASTで読んだような希ガス。でねえ、いろんなクラブとかフィールドワークしてたみたいで。で、ウサンくさいなあ、と思った記憶があるんだよね」

司会者「でも、ソレ最初のほうの囲み記事でしょ? 一応単著がでてるんだから読めよ!」

kenzee「で、佐々木さんの反論を整理してみよう。

①(「現場」に「批評」はない、というワタシの批判に対し)ヒップホップは他の表現形態と比べて消費者と表現者が反転しやすい環境にある。つまり、受容者が次の日には批評的な表現者になりうる、ということ。

②また、そういった批評を判断するのが「現場」であり、また、判断に必要な教養を供給する場としてクラブやレコ屋といった現場が機能していた。

③そもそも海外文化のヒップホップを日本に輸入し、翻訳するという行為自体にすでに「アメリカのヒップホップ」への批評がある。この時点ですべてのプレイヤーは批評家である。そのようなシーンに対して整理し、マッピングを施すことにどれほどの意味があるのか。

④「批評」を行う者が、「歴史」を踏まえていなければならないというルールはない。文化・ゲームの流れを変えることができれば批評たりうる。

司会者「現場に批評なんかあるカイ、というアナタの乱暴な批判に対し、真摯に回答いただいてると思うんですがねえ」

kenzee「フ~ン(流し目)」

司会者「まさか文章の流れ上、思いつきで書いた批判がこんなマジメにリアクションされると思ってなくてビクビクってトコでしょう? だが佐々木さんはマジだぜ。いつものようにコントで逃げようったってそうはいかないよ!」

kenzee「あのね、コレは佐々木さんのみならず、たとえばゼロアカ参加者にもに言えることなんだけど、みんな視野が狭いんだよ」

司会者「(ハッハ~ン、逆ギレに逃げる系?)」

kenzee「たとえば「最終批評神話」における峰尾俊彦さんのニコマス論とか。で、ニコマスのことはよくわかった。わかむらPさんの作品も見た。でね、ここまで追い込んでいながらなんでヒップホップを始めとするサンプリングミュージックとの類似性について論じないんだろう。ニコマス動画はサンプリングミュージックとよく似た歴史を歩んでいるように思うんだ。著作権侵害という違法性も含めてね。峰尾さんはニコマスに作家性は宿るか、ということを問題にしてるみたいだけどサンプリングミュージックの世界では元の著作権者に許諾を得ることで法律的に作家性をゲットしたりしている。また「WAKAMURA RECYCLE」という表記が示すようにリサイクルという概念がとてもヒップホップ的だよね。ニコマス作家とはつまりリミキサーだと思うんだ。例えば勝手に安室のリミックスの12インチをインディーズでだしてたダブマスターXのような人のキャリアをたどることでニコマスの今後もみえてくるかも知れない。機材やソフトが進化すればニコマスも進化するだろう。ニコマス界のDJプレミアのような人物も現れるかも知れない。ただ、決定的な違いはヒップホップにおいてはいかにありもののリサイクルアートであろうとも「One For The Money,Two For The Show」(まずは金だ)であるのに対し、ニコマスは視聴者からのプロップスが最大のモチベーションになりそうなところだろう。そしてそれは国、時代、人種の違いとしての表れとなる」

司会者「峰尾さんはカンケーないじゃん。佐々木さん問題は?」

kenzee「佐々木さんはヒップホップ文化について述べている。だがオレは「歌謡史におけるヒップホップ」という文脈で論じている。この時点ですれ違いが起こってしまうのはしょうがないんだよね。たとえば③なんだけど戦後歌謡史は輸入文化をいかに翻訳するかの歴史であったといえる。ヒップホップも例外ではない。この点については大滝詠一が「分母分子論」のなかで詳しく述べている。いわく、歌謡曲とは常に洋楽という分母の上に翻訳モノとしての日本的叙情という分子が乗っかったときに初めて成立する。フランク・シナトラという分母ありきでフランク永井は成立している。だが、やがて分母は小さくなってゆく。いわゆる「演歌」が登場したのは60年代に入ってからだけど演歌には洋楽という分母がほとんどない音楽なのだ。これはロックにも当てはまる。はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールド、バンドといった分母を携え、日本の叙情へと翻訳した(風街ろまん)。CAROLも初期ビートルズという分母を持ちつつ日本のツッパリ文化という分子と接続したのだ。だが、やがてユーミンさんとか甲斐バンドとかツイストとかまでくると洋楽分母が減少していく。たぶん、ヒップホップもさんぴん世代までは海外との参照性、同時代性を意識していた。つまり分母を持っていた。でも、ゼロ年代、ケツメイシやKREVA、リップスライムなどの時代には分母は失われていった。アンダーグラウンドシーンにおいてもMSCや韻踏合組合などのサウンドやリリックに最早、海外との参照性はみられない。確かに、さんぴん世代までは佐々木さんの言うように「アメリカのヒップホップの批評」でありえたかも知れないが、その分母が守られていたのはせいぜい2000年までだ。むしろ、洋楽分母を失って久しい現代のドメスティックなヒップホップを論じるほうが今日的な批評となりえたかも知れない」

司会者「Perfumeってああ見えて海外との同時代性皆無ってとこが逆にコワイんですよね。あれほど特徴的なサウンドなのに「~の日本版」みたいに名指しできる海外のグループがいない」

kenzee「④の問題だけど、パフ・ダディがいみじくも言ってたのは「歴史をつくる者にだけルールを破ることが許される」と。現代の読者とコミュニケーションがとれれば歴史なんか知らなくても批評になるんだよ。今回の群像新人賞評論優秀作・伊東祐吏「批評論事始」はあざといまでにこの問題について思考した佳作だ。なにしろこんな人を食ったイントロで始まるのだ。

一、私が批評をしてみようと思ったわけ。

 論壇の人々のすなる批評というものを、私もしてみむとてするなり。しかし私は批評が何かを知らない。それどころか、有名な批評家たちが書いたものをほとんど読んだことがない。そんな私に批評ができるのか? むろん、できるのである。(伊東祐吏「批評論事始」群像6月号)

そしてこんな加藤典洋の文章を引用して「批評ってなに?」という佐々木さんや藤田さんが問題設定しているテーマについて答えてみせる。

批評が何か、そんなことは知らない。しかしお前にとっては、批評とは、本を一冊も読んでいなくても百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ。(加藤典洋「僕が批評家になったわけ」)

そして伊東氏は知識ではなく、自身の感覚でもって、批評の古典中の古典、小林秀雄の「本居宣長」を読み解いていくのだ。2009年に「本居宣長」を読むためには確かにこんなアクロバティックな方法が有効だろう。「批評論事始」はストリート批評のひとつの成功例かもしれない」

司会者「しかし、まさか絲山秋子にあざといとか言われるとはね! アナタの「沖で待つ」も相当ですよ!」

kenzee「②の問題だけど。現場(クラブ・レコ屋)の人的ネットワークによって教養・価値観が養われるという機能を果たしていたというトコね。オレも必死でムロのミックステープとか買い漁ってたクチだから人のこと言えたアレではないんだが。ムロっていっつも「ホコリの被ったファンク」みたいなこと言うけど実際には中身は80年代のブラコンが多かった。キラキラした曲ばっか入ってたワ。ホンマ百円ぐらいで転がってそうな曲ばっかり入ってるんだけどムロが繋ぐと輝きだすんだな、コレが。確かにメディアとしての役割は果たしてたかもなあ。でも批評を生成するだけの力、場として機能してたかはナゾだなあ。オレが藤田さんの言う「2ちゃんねるの批評の生成力」という論にどうしても馴染めないのは、批評というものが…まあ表現一般にいえることなのだが、文学、批評、音楽。それらは個人的なイデアから出発するものだ、という定義があるからなんだよなあ、オレのなかで。だから音楽でも集団的なセッションでワーッといくタイプの……Pファンクとか韓国のサムルノリとかアフリカンドラムとかダメなんだよ。要は「計画性のない表現」がダメなんだと思う。ヒップホップでもフリースタイル合戦とかダメなの。ちゃんと家でリリック書いてきて、リハーサルしてっていう音楽じゃないと楽しめない。だから同様にジャズもダメなの」

司会者「エ! それ趣味の話じゃん!」

kenzee「で、ウチの文脈ってのが「歌謡史におけるヒップホップ」なので残念ながらグラフィティ、ブレイクダンスについてはバッサリ切らざるを得なかった。オレが佐々木さんの論文で違和感を持ったのは……佐々木さん自身気付いてると思うけど、コンドリーの本に引っ張られちゃったのかもしれないけど現代のヒップホップ論とするにはチト古い感じがする。冒頭で、今の日本のヒップホップを取り巻く環境についてかなり正確に把握してるのに本論に入ると10年ぐらい昔の感覚になる。今の問題は「現場」が横に繋がらなくなった、「現場」という全体性がなくなったってことだと思う。

ライムスター宇多丸「95年だったら「とりあえず現場行けよ」で済んだんだよ。でも今は現場っつっても東京にもいろんなクルーがいて、みんなそれぞれで盛り上がってるし。そんな状況で「現場行け」って言うことにどんだけ意味あるかっていう…(映画「DEAD NOISE」2008年)

最大の違和感はね、「今、現場なんてあんのか?」っていうことかな。クラブは潰れる、レコ屋も潰れる。レコ屋のサイトは試聴し放題で便利だけどそれは「現場」なのか? ヘイ、批評の現場ってドコにあるんだい?」

司会者「それは佐々木さんに聞いてもしょうがないですよ」

kenzee「でも佐々木さんの評論は本当に興味深く読ませていただきましたよ。コレでSerato Scratchって言葉初めて知りました」

司会者「そんなトコで感謝かよ!」

kenzee「批評ってなんだろうなあ。最近読んでガツーンとヤラレたのは大澤信亮さんの「柄谷行人論」なんだけど、あの人は全部自分の問題として引き受けていくんだよね。「ネタ的に、今コレがオイシイ!」とか戦略みたいなのがあの人にはなんもナシ。いかに柄谷と訣別していったかというドキュメントなのよ。実はオレ、柄谷行人って「日本近代文学の起源」一冊しか読んでないんだけど」

司会者「オイ!」

kenzee「でもこれは柄谷がどうとかじゃなくて大澤さんの心のドキュメントなんだな。批評ってなに?ってことだと当事者性ってポイントはこれからは必要かもしれない。ゼロアカ同人誌見てても自分語りする人が全然いないんでビックリだったよ。もっと自分探しして自分語りすればいいのに。批評って対象にかこつけた自分トークだもん。「ニコマスの現在」よりニコマスに夢中な峰尾さんの内面、のほうがじつはエンターテイメントだっていう。批評ってそういう恥ずかしいものだとボクは思うんですよ」

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2009年5月24日 (日)

レイプ・ファンタジーでもEE JUMP!(自分探しとJ-POP Part.10)

kenzee「で、前回の続きなんですけどね。98年問題と渋谷系の問題。童貞→ヤリチンとPerfumeの問題」

司会者「(もうイイカゲン終わろうゼ~。もう半年もJ-POP論引っ張ってるし)」

kenzee「最近、興味深いDVDを観ました。m-floのVERBAL監督作品「DEAD NOISE」2008年作品。「ノイズは死んだのか」と題されたこの作品、ノイズとは90年代の後半に盛り上がりを見せたあの日本のヒップホップのことだ。こんなイントロで始まる。

 日本のヒップホップは90年代、ピークを迎えた。(中略)しかし日本のヒップホップは突如、衰退を始めた。CDセールスの落ち込み。ヒップホップ音楽専門誌の廃刊。アーティストのメジャー契約解消。日本のヒップホップに何が起こったのだろうか。

こんな問題提起で実際のシーンの当事者たちに監督自らがインタビューを試みる。そのメンツがスゴイ。ZEEBRA、ライムスター宇多丸、MUMMY-D、DJ JIN、スチャダラパーBOSE、NIGO、DABO、KREVA、MURO、ILMARI、DJ KAORI、CRAZY-A、高木完などそのまま日本のヒップホップ史だ。そして現在の衰退した状況についてズバズバ聞き出すのだ。で、「ヒップホップの現状はヤバイ」という問題意識はみんな同様に抱えてるのだが、分析は人それぞれ違うところが面白い。たとえばZEEBRAは「メディアの問題」だという。アメリカでは新譜のプロモーションはFMラジオを通じて行われるが日本の場合はMTVやスペースシャワーTVといったテレビメディアとなる。するとPVを作れないアーティストは新曲を届けるとこもできないのか。(ZEEBRA)日本は驚くほど政治的でラジオで曲ひとつかけるにも会議で決まる。(DJ KAORI)宇多丸氏はジャーナリズムの不在を指摘する。「批評の場がネットに移ったというが、実際には批評として機能していない(宇多丸)」また、DABOはネットの功罪について述べる。「ネットの普及でタダで音楽が手に入るようになった。たとえばYou Tubeあたりでテキトーに10曲くらいチェキればもう今のシーンがわかった気になってしまう」。ZEEBRAはシーン内部の問題についても指摘する。「現場のDJたちがクラブで日本のヒップホップをプレイしない。一晩で2曲かかればいいほう。それじゃアウトプットはテレビしかなくなる」KREVAは言う。「日本のヤツはリリックとか言葉とか言う以前にサウンドがショボイ。ノリじゃなくて鳴り」と、メディア、シーン内部、ネットの普及など様々な問題点を指摘するのだ。あと、サクラップにもインタビューしてたら完璧だったんだけどねえ、VERBAL。個人的にはやっぱり宇多丸の「BLASTのようなオピニオン誌を失ったことによるジャーナリズムの不在がジャンルとしての全体性を空洞化させてしまった」という指摘が一番グッときたな。ヘッポコブロガーのオレが言うのもアレだけど「ブログ論壇」なんかないよ。どこまでいってもブログだの掲示板だのはアテにならないと思う。「紙」は違うよ。「紙」あってのオルタナティブなの。文芸誌が「権威」である内はウチもワケのワカランもんとして機能するんだよ。「ゼロアカ道場伝説のフリマ決戦」収録の「Xamoschi」に掲載された佐々木寛太郎「日本のヒップホップ現場とジャンル論の関係から」によると90年代、クラブやレコ屋といった「現場」においては良い表現と悪い表現が選別されていて、「批評」の場として機能していたという。つまり、クラブでのヘッズたちの雑談などが批評であったと」

司会者「文化人類学者イアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」を参考に論じていますね。でも、彼らって(現場に集う若者たち)ほとんどが「ドラゴンアッシュクソだろ」とか「ジブラもセルアウトになったな」とか言い合うだけだったと思いますけど」

kenzee「ウーン。佐々木さんの議論は悪いけど楽観的にすぎると思う。批評と雑談は違う。いいたかないが夜な夜なクラブに集まる若者ほどプロパガンダの影響をマトモに受ける層もないよ。ボクはやっぱりFMラジオ(ナイトフライトなどのヒップホップ番組)などの電波やBLASTを始めとする「紙」だったと思うな。そういったジャーナリズムを失ったとたんに求心力を失った。と考えるのが自然だろう。でね、R&Bとヒップホップは98年前後、ほぼ同時に盛り上がりを見せた。入れ替わるようにコムロと渋谷系は失速した。まあ、ポップミュージックは流行り廃りのモンだからしょうがない。でも、ヒップホップは上記のような凋落を検証するような書物や映画がつくられるのに、渋谷系は落ちたら落ちたままだった。この違いはどういうわけか。おそらく渋谷系はデータベース理論によって成立していたので「渋谷系」というデータベースが失効したところで屁でもなかったのだろう。落ちたら落ちたで新しいネタを探せばそれでよかったのだ。だが、ヒップホップは違った。彼らにとってヒップホップはデータベースではなく、「物語」なので失効してしまえば彼らの存在そのものが問われ、アイデンティティの危機となる。それはヒップホップというジャンルが根源的に内包している要素ではなくて、たとえばヒップホップ第一世代、近田春夫やいとうせいこうなどはヒップホップを当初からネタとして捉えていたので、流行らないとわかるとサッサと別のネタへと移動していった。渋谷系の態度は彼らに近い。だが、さんぴん世代と言われる人々はヒップホップという「物語」を生きていたので、まあ上記の映画のように真剣に悩まざるをえなくなるのだ」

司会者「アレ? 東浩紀のアレでは近代化が進行するにつれて人々は「物語」から「データベース」に読み方を移行するんじゃなかったでした? ナゼ、データベース理論の渋谷系から物語のR&B、ヒップホップへ逆に進行したのでしょう?」

kenzee「95年問題に対応しようとする動きが顕在化したのが多分、98年だ。この時代、まだネットはロクに普及してなかったし、ケータイはi-modeサービスがやっと始まった程度だ。つまり、ギリギリ「物語」が全体性を確保することが可能だった。その場その場で消費してオワリの「動物化」データベース消費がリアリティを失った。価値の比重が「物語」へ移行していった。必然的に渋谷系は凋落せざるをえなかった。つまり、渋谷系失速→ヒップホップ、R&Bの台頭とは「データベース消費」→「物語の復権」への移行である。そしてこの変化を宇野常寛なら「決断主義」と呼んだだろう」

司会者「決断主義」って言葉がうまくないですよね。たぶん、「物語の再帰的選択」とでも言い換えたほうが適切。でも、コムロはデータベース消費じゃないですよね。コムロ世界は速水さんも指摘するように徹底して「ベタ」だったじゃないですか。なんでコムロまで一緒に凋落しなきゃならんのですか」

kenzee「まず、ヒップホップのストーリーを確認しよう。

 常に奮戦、ヒップホップ文明とともに生き、ともに死ぬのが運命(ZEEBRA「Original Rhyme Animal」)

今年はヒップホップが旬、とかじゃなくて人生ヒップホップなのですよ。R&B歌手もそうだろう。ブラックネスとともに生きともに死ぬのが運命に違いない。ところがコムロのストーリーとは生き方の問題じゃなかったんだな。

 なにからなにまであなたがすべて私をどうにか輝かせるため 苦しんだり悩んだりしてがんばってる いつからかどこからか Hate tell a Lie 輝きたくて(華原朋美「Hate tell a Lie」

コムロのストーリーとは「無力で無名な田舎者のお嬢ちゃんをこのボクちゃんの力で輝かせてあげよう」というものだ。

(レイプ・ファンタジーとは)弱めの肉食恐竜たちのマチズモ=「自分より弱い女の子への所有欲」を、彼らの肥大したプライドを傷つけないように満たすため極めて周到な構造が提供されているのだ。(宇野常寛「ゼロ年代の想像力」早川書房)

司会者「……弱めの肉食恐竜、まさにコムロ! 「自分より弱い女の子」…トモちゃん! いろんな意味で! 極めて周到な構造! コムロ帝国! そうかコムロ世界が美少女ゲームさながらのレイプ・ファンタジーだったとは! 意外と誰も気がつきませんでしたね」

kenzee「オレは宇野さんみたいに「レイプ・ファンタジー」そのものを糾弾する気はない。大体、サブカルチャーってエゴイズムと欲望のコミュニケーションだし。歌謡曲ってもともと反社会的、反倫理的な要素を含むものだからそこで常識人ぶってもしょうがないと思うんだよ。しかも、97年まではホントに「無名の少女が一躍スターダム」というストーリーが支持されてたわけだから。以前、コムロソングとは「少女が(コムロと)出会うことによってアイデンティティを獲得する」「(コムロが)生きる意味と承認を与える」という二つのプロットで成立していると説明した。つまり、「モノ」はあっても「物語」がない90年代、自前で「承認」や「物語」をゲットするのは大変なコストがかかるのでコムロ先生に代わりの調達してもらおう、そのかわり、コムのレイプ・ファンタジー欲求はワタシが埋め合わせてあげるわ~ん」というコムと少女のギブアンドテイクの構造で成り立っている。それがナゼ、98年にR&B歌手たちに取って代わらねばならなかったか。ふたたび「ゼロ年代~」から引用しよう。

 国家も歴史も社会も(物語や承認を)与えてはくれない。だがこれは不幸な世の中を意味するだろうか。私はそうは思わない。確かに世界は冷たくなったかもしれないが、そのかわり「自由」になっている。佐藤青年(滝本竜彦「NHKへようこそ!」の主人公)のような「与えられたロマンをまっとうする」古いタイプの人間には生きづらい世の中かもしれないが、逆に「自分で立ち上げる」新しいタイプの人間には非常に生きやすい世の中である。そういう意味では、世界は変化しているだけで、トータルでは良くも悪くもなっていないと考えることができるのだ。(第14章「青春」はどこに存在するか)

そして、人々は宮藤官九郎ドラマのようにローカルな共同体のなかから自前で物語を調達するようになった、というのが宇野さんの話なんだけどヒップホップがなぜローカリティーにこだわるのかという問いへの答えにもなっている。要は、95年から3年が経って、「コムロに物語と承認を調達してもらうのはやめよう、多少、リスクやコストがかかってもそれは自前で調達しよう」という前向きな決断主義とR&B、ヒップホップの思想が合ってたんだね。そうしてコムロは凋落し、R&B、ヒップホップが台頭したのです」

司会者「この「ローカルな共同体から物語を立ち上げる、という方法論を一貫して続けている柴崎友香さんがデビューしたのは99年です」

kenzee「だが、そんなR&B、ヒップホップ的「前向きな決断主義」な価値観もゼロ年代初頭にはアッサリと無効になる。これは価値観ウンヌン以前に下部構造に大きな変化が訪れたのだ。早い話がCDが売れなくなった。

 98年は日本の音楽産業にとって記念碑的な年だった。オーディオレコード生産金額が未到の最高記録、6074億9400万円に達したからである。(中略)ところが、その成功も長くは続かなかった。この98年をピークに、オーディオレコード生産金額はまるで突然死したように急激に減り始めたのである。6年連続で減少は止まらず、2004年にはとうとう3773億690万円にまで落ち込んでしまった。率で言えばマイナス約38%、なんとレコード市場の三分の一以上が吹き飛んでしまった計算になる。(烏賀陽弘道「Jポップとはなにか」岩波書店)

 2008年の時点だとすでに半分が吹き飛んでます。そしてネットの普及とi-Podの普及。J-POPから全体性が失われ、音楽の価値は相対化された。R&B、ヒップホップのアーティストたちの多くが契約切りに遭い、むやみやたらとベストアルバムばかりが乱発されたゼロ年代。人々は音楽に物語を求めなくなったのか」

司会者「DABOの「You Tube観て、音楽聴いた気になるな」という発言は結構胸に突き刺さります」

kenzee「実際オレがそうだからなあ。You Tubeの最大の功罪は、音楽をふたたび、PV文化に戻してしまったことかな。ZEEBRAも言うようにPV作れないアーティスト、またはPVのない名曲もいっぱいあるわけですよ。You Tubeってあるようでないからなあ。あと、宇多丸の言うジャーナリズム不在の問題。もう音楽雑誌全部bounceかよっていう状況ですからねえ」

司会者「次は、そんなゼロ年代後半にナゼPerfumeが浮上したのか。もう大詰めってコトでね」

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2009年5月18日 (月)

童貞ミュージックとヤリチンミュージック(J-POPと自分探しPart.9)

司会者「速水さんから大変に愛のこもったトラックバックをいただきました」

kenzee「イヤー嬉しいですね。ていうか速水さんて「オレはミスターファスト風土」とか言うワリに都会モンだよね」

司会者「瀧見憲司とか神田朋樹のラブ・パレードにフツーに通っていたとは!」

kenzee「スチャダラのLBまつりの打ち上げなども目撃していたのだろう! イエローにおけるU.F.OのJazzin'、DJ BARインクスティックにおける小林径、荏開津広、田島貴男のミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ、橋本徹ののサバービア・パーティーなどにも通っていたに違いない。そしてオレはどれも実際に見たことない」

司会者「プッ。kenzeeって所詮田舎者だからなあ。奈良生まれ渋谷系育ちヒョロそうなヤツは大体友達だからなあ」

kenzee「で、そんな全身小説家ならぬ全身渋谷系の速水さんが「渋谷系はニューヨークの動きとのリンクだ」と。コレ、結構珍しい渋谷系論ですよ。だって基本、一般的には渋谷系はロンドンのレアグルーヴムーブメントとの連動ってことになってますから。確かにデ・ラ・ソウルの存在なくしてスチャダラはありえないですし。例えばピチカートン小西さんはデ・ラ・ソウルこのように激賞していたのさ。

 かなりアートなことをやっても、たとえばクリスチャン・マークレイなんかと違って印象がポップでユーモラスなデ・ラ・ソウルにいちばん近いのはゴダールかもしれない。(小西康陽「これは恋ではない」幻冬舎)

アーティストの側は当然当時のニューヨークのシーンを意識していただろう。ただ、受容する側(渋谷系女子)が圧倒的に支持したのはほとんどブラックミュージックのイディオムを使用しなかったフリッパーズだった。結局渋谷系史はフリッパーズ史観で形成されてしまったためにウィキのような語られ方をされてしまうのだ。もし、これがスチャダラ史観に基づいていれば速水さん的な渋谷系論が形成されていただろう。むしろ教授が「商業的なポップ」を狙って、コムロではなく渋谷系のイディオムを導入して作った「Sweet Revenge」(94年)が商業的には失敗したことがニューヨークと日本の渋谷系との温度差を物語っているのではないか」

司会者「で、ポップミュージックには「童貞ミュージック」と「ヤリチンミュージック」しかない、という論ですが具体的にどういうことなんでしょう?(くだらないオチになりそうだなア、オイ)」

kenzee「音楽には二種類しかない。童貞とヤリチンだ。そしてこれは送り手がどうかという問題ではなくてどう受容されたか、つまり受容理論なのだ。わかりやすい分類の仕方として「ヤンキーの痛車のウーファーでの爆音プレイに耐えられるか」というジャッジの方法がある。TMネットワークはそのプレイに耐えられないがtrfはOKだ。林原めぐみはムリだが浜崎あゆみは当然OK。他のジャッジの方法として夏の湘南や須磨海岸で流すことが可能か、またはゲレンデでのプレイに対応できるか、という判定の仕方がある」

司会者「ははあ。チューブはOKだけどキリンジはムリってことですね」

kenzee「そう。長渕は童貞ミュージックだが矢沢はヤリチンミュージックだ。ヒップホップもそう。服装やスタイルがヤリチン的だからといって音楽までそのままヤリチンとは限らない。例えばブルーハーブは童貞ミュージックだがZEEBRAはヤリチンミュージックなのだ。繰り返し言うが「童貞ミュージック」の演奏者が童貞というワケではない。あくまで受容する側、聴き手の心の童貞な部分を直撃するか否かにかかっている。ナゴムは童貞ミュージックだがBOOWYはヤリチンミュージックだ。ゆずやコブクロは童貞ミュージックでEXILEは当然ヤリチンミュージックだ。そしてこれは今に始まったことではなくて歴史的に分類が可能なのだ。たとえばはっぴいえんどは童貞ミュージックだがCAROLはヤリチンミュージックだ」

司会者「あ、完全にわかりましたワ。モンゴル800は童貞ミュージックでオレンジレンジはヤリチンミュージックってことですね! AKB48は童貞でモーニング娘。はヤリチンだと!」

kenzee「そうさ。だが、音楽の世界にはときどきどうしようもない「天才」がいて、両方を完璧に兼ね備えた世界を描いてしまう者がいる。たとえばブルーハーツなどは見事にヤリチンでありつつ童貞だ。尾崎豊もそうだ。あれほどヤンキーの心を捉えながら童貞ミュージックたりえている。岡村靖幸など眩暈がするほど見事に両方の要素を兼ね備えている。最近、オレが思うのは「人を感動させる」「人の心をえぐる」というのはつまり、この童貞がヤリチンを、あるいはヤリチンが童貞を越境する瞬間に爆発するなにかなのではないかということだ。速水さんの議論ではよく「オタク」と「ヤンキー」に分解し、民俗学的な分類を図ろうとする試みが見られる。「ケータイ小説的」における「再ヤンキー化」なども要はそういう議論だ。だが、人間とはオタクとヤンキーを同時に内包しているものなのだ。考えてみよう。ヤンキー文化は常にオタク的な線の細さを要求される要素を内包している。暴走族のバイクのカスタマイズやチューンアップなど相当オタクな知識や技術が要求されるだろう。ヒップホップ文化においても一流とされるDJの音楽の知識は凄まじいものがある。また、オタクも部屋に閉じこもってばかりいるかといえばそうでもない。コスプレイヤーなどは竹の子族にも似た開き直りがなければ奇抜な衣装で(手作り)人前にでる、ということはできない。おそらくこの両者(童貞とヤリチン)が微妙なバランスで共存するとき、人は「感動」するのだろう。たとえば東浩紀という人物がナゼあれほど若者を惹きつけるのか。彼の書く文章はそれほど優れているのか。それもあるだろう。だが、ザクティ動画などでもわかるように東さんはドがつくほどのオタクなのに同時にヤンキー性も兼ね備えているのだ。そのバランスが魅力なのだろう」

司会者「で、90年代のJ-POPとは渋谷系の童貞ミュージックとコムロのヤリチンミュージックがせめぎあっていた、ということですか?」

kenzee「速水さんのユリイカの原稿では「ネタ」の坂本龍一(GEISHA GIRLS)が「ベタ」のHジャングルに敗れたとあるが、「WOW WAR TONIGHT」は「ベタ」とかいう以前に極めてヤリチン性の高い音楽なのだ。GEISHA GIRLSのアルバムは「Grandma is Still Alive」「Kick And Loud」などはテイトーワのヒップホップトラックなのだが半分はダウンタウンのコントで占められている。ネイティブタン一派のアルバムによくありがちなスキットの役割を果たしている。だがこうしたコンセプチュアルな発想自体が童貞的なのだ。社会不安が増大すると人の心の中にあるヤリチン性が増加するのでこの時代にコムロが勝利を収めたのは当然だ。Hジャングルのセカンドシングル「Going Going Home」は南国の海岸でつかの間のオフを楽しむ、というヤリチンミュージック以外の何ものでもない設定だ。ベースが上昇するコード進行、レゲエのリズム、そして誰の影響も受けてない浜田のナチュラルな歌唱、この曲は名曲ですよ!」

司会者「(グワ~kenzeeイタイわ。やっぱオヤジなんだよなあ。今の若い子Hジャングル自体知らんし)」

kenzee「コムロっていい曲書くよね」

司会者「アンタア…ホンットに90年代の人なんだね」

kenzee「でも人は無意識の内に「童貞」と「ヤリチン」を分類して生きているものなのだよ。例えば木村紅美さんの「花束」という小説がある。この小説は大学受験予備校の女子寮が舞台で設定がすでに童貞的なのだ。(けっして「処女的」などといったキレーなものではない)主人公の一人、あおいは東北の田舎町から希望を抱いて上京し、この女子寮に入る。その理由は実家の民宿にフラリと現れた杉浦さん(東京の大学生で青山のクラブのDJ)への憧れからだった。モチロン、のちに杉浦さんはカスみたいな男だと判明するのだが。だが、田舎者の予備校生あおいは杉浦さんのミックステープを擦り切れるまで大事に聴くのだ。

「The Sugiura Selection」と題されたカセットテープが同封されていた。その名の通り、杉浦さんの愛好する英語のロックやポップスばかりが編集されたそのテープは届いた日からずっと私のウォークマンに入っている。もちろん、東京にも忘れずに持ってきた。(木村紅美「花束」朝日新聞出版)

で、その中身はロバート・ワイアットとかパティ・スミスなのだ。ね、スゴイでしょ? 童貞的な小説世界の小道具としてちゃんと童貞ミュージックを配している。これがマドンナとかマイケルジャクソンみたいなヤリチンミュージックだと小説世界自体が崩壊してしまう」

司会者「木村先生はわかってるなあ」

kenzee「そして我々は純然たる童貞、純然たるヤリチンには心は動かされないんだ。童貞がヤリチン性を獲得する、そのダイナミズムが人を感動させるのだ。たとえばコムロはTMネットワークという完璧な童貞ミュージックから出発し、コムロ帝国というヤリチン世界を実現した。我々はその音楽のみならず、その「童貞」が「ヤリチン」へと越境しようとするダイナミズムに感動していたのだ。あるいはそれは江藤淳なら「成熟」と呼ぶかもしれない」

司会者「エートもう時間なんで、次回は「ナゼ渋谷系を抜かすと98年問題が語れなくなるのか」という問題。そしてPerfumeは「童貞」が「ヤリチン」を獲得したのか、あるいは「ヤリチン」が「童貞」を獲得したのか? そしてそんな逆パターンはありえるのか、という問題まで着地して、J-POP論終了ってことでお願いしますよ!」

kenzee「そう、オレ最近文芸誌とかも読んでるんだよ」

司会者「とか!」

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2009年5月17日 (日)

コムロと渋谷系とわたし(自分探しとJ-POPPart.8)

kenzee「速水さん相変わらずクダラナイこと言ってるなあ

司会者「ディスコ葬は当然サタデーナイト・フィーバーの曲とかじゃなくてユーロとかかけるんでしょ?」

kenzee「オレはさしずめ渋谷系葬かな」

司会者「プッ。カフェとかでやるワケ? フリッパーズとかカジヒデキとかかけんの?」

kenzee教授「スチャダラまではセーフなのか?」

司会者「脱線3とかは違うんでしょうね」

kenzee「こう、セルジュ・ゲンスブールとかボリス・ヴィアンとか流れてるような」

司会者「リアルにありそうですよソレ」

kenzee教授「暴力温泉芸者はフツーにアリなんだろ?」

司会者「イヤな葬儀だなあ」

kenzee教授「みんなベレー帽とかボーダーシャツとか着てくるのかなあ」

kenzee「オレ、10年ぐらい昔カラオケとか行くとねえ、♪オレは奈良生まれ渋谷系育ち、ショボそうなヤツは大体友達、ヒョロそうなヤツと大体同じ、とか歌ってたよ」

司会者「ネロリーズ奈良のCD屋でバイトしてたんでしょ?」

kenzee「ああ、90年代初頭よ! そういやなんで速水さん渋谷系の話しないんだろ? 速水さんの歌謡史って「ザ・ベストテン」的な80年代から急にコムロ帝国の90年代に移行しちゃうんだよなあ。確かにそれは間違ってないんだが、それでいくと98年問題を語るのが難しくなる。速水さんの捉えかたはこうだ。

 さて、作者や演奏者の特権が消滅した「工学的」作曲メソッドで90年代中盤の音楽市場を制した小室哲哉だが、1998年頃を境に凋落の一途を辿る。その原因は、宇多田ヒカルやMisiaといった「本物志向」のR&B色の強い歌手たちの登場によるものだったと考えられる。つまり、人々はあまりに「工学的」になったポップミュージックに背を向けたのだ。しかし、それは一時的な揺り戻しにすぎない。「本物志向」の歌手が飽和したあとにでてきたのがPerfumeのような「工学的」なアイドルであり、さらにはアイマスMADや初音ミクというインターネット登場後の「作者や演奏者の特権が消滅した」世界を象徴する記号たちであった。(速水健朗「90年代の坂本龍一またはGEISHA GIRLSは如何に戦いそして敗れたのか」ユリイカ4月号)

 だが、90年代をコムロがひとりで牽引していたワケではない。コムロが本格的にプロデュース業を始めたのは1993年、篠原涼子やtrfのヒットを契機に本格化する。そんなメインストリームの動きに対して、J-POPのオルタナティブの動きも活発化していた。要は「渋谷系」の登場だ。93年7月に元フリッパーズギターの小沢健二が「天気読み」でソロデビューを果たす。9月には同じく元フリッパーズの小山田圭吾がコーネリアスとしてデビューする。この年の3月、ピチカートファイヴがスマッシュヒット「Sweet Soul Revue」含むアルバム「Bossanova2001」を発表する。6月にはオリジナル・ラヴ、サードアルバム「EYES」がオリコン一位になる。モチロンオリジナルラヴを除いてセールス的には彼らはコムロ帝国には比べるべくもない。だが、コムロが地方のファスト風土カラオケ需要に戦略的なマーケティングを行ったのに対し、彼らは都市のクラブ文化を背景に自然発生的に需要を喚起してきた、という経緯がある。モチロン、単に自然発生、というワケではなく再開発前の下北カルチャーとかセゾン文化とか、バンドバブル直後でまだレコード会社に内部留保があったとかいろんな要素が絡んでのアレだが、オルタナティブ勢力として機能し始めていた。速水さんはコムロとは作家としてニコマスPとかに近い、と新しい視点で論じている。

 カラオケボックスの普及、音楽製作環境のコンピュータ化という90年代前半の音楽のシーンが、特権的な作者を消滅させるような作用をもたらした。そうした90年代だったからこそ、自ら「僕は音楽をマーケティング的に作っている」と標榜する匿名的な作家として活動した小室哲哉を全面に押し出したのだ。(前掲書)

kenzee「コムロなら①匿名的なサウンド②戦略的なマーケティング、で定義できるだろう。では渋谷系は? それでは「音楽誌が書かないJ-POP批評25フリッパーズギターと渋谷系の時代」から社会学者南田勝也さんの原稿から引用してみよう。

 さらにいうと、音楽ジャンルとしての渋谷系には、もっとはっきりとした輪郭が与えられていたはずだ。その特徴とされてたものを便宜的に整理すると、おおよそ次のようになる。前記した(流行の最先端地区の都会的センス)渋谷発の流行現象を①として、②音楽的素養の深さと音の断片への偏執狂的こだわり、③フライヤーやジャケットのアートワークに凝る姿勢、④ポップなメロディーとキャッチーなフレーズ、⑤過去の作品や同時代の洋楽から引用したサウンド、⑥価値の重さや意味の深さへのシニカルな態度、などである。これらの特徴があいまって「音楽の膨大な情報をデータベースとして処理し、ゲームを楽しむ感覚で楽曲を次々と生み出していく」渋谷系のアーティスト像は造形されていった。(南田勝也「渋谷系とは何だったのか」)

司会者「ハッ! もしやコレって……」

kenzee「そう、例の動物化するナントカだ。ビートルズを神として崇めるのではなく、「ビートルズ」という記号をデータベースとして組み込む。あらゆる価値観をベタに信じるのではなくネタとして捉え、常にオイシイ立ち位置を求めて情報の海を泳ぎ続ける。これが渋谷系」

司会者「なんでそんなに得意気なんですか」

kenzee「ま、東さん得意の「ジャンルの越境」「全体性」をサラっと補完してやったゼ、ぐらいの?」

司会者「(ていうか必死ジャン)」

kenzee「速水さんがユリイカの原稿で「WOW WAR TONIGHT」を引用している。この部分だ。

 温泉でも行こうなんていつも話してる 落ち着いたら仲間で行こうなんて でも 全然暇にならずに時代が追いかけてくる(WOW WAR TONIGHT)

この部分はコムロのベタさを象徴している。だが、「自分探しがとまらない」の著者、速水さんはナゼ、次の箇所を引用しなかったのか。

 自分で動きださなきゃ なにも起こらない夜に なにかを叫んで 自分を壊せ(WOW WAR TONIGHT)

こんなメッセージを含んだ唄が200万枚を越えるセールスを記録したという事実にもうちょっと触れてもいいだろう。こんな陳腐なフレーズがホントにメッセージとして機能していたのだ。だが、上記のようなメッセージ性はコムロ特有ものではなくて当時のJ-POP全般の空気としてあったものだ。オウムと地震の95年に発表された楽曲という点も見逃せないだろう。だからこそオルタナティブとしての渋谷系のシニカルさもそれなりの意味を帯びる。1991年、フリッパーズギターラストアルバム「ヘッド博士の世界塔」発売時のロッキンオンジャパン誌上でのインタビューで、インタビュアーで当時の編集長でもあった山崎洋一郎氏は二人にこう感想を述べている。

山崎「例えば僕がこの曲で感じたのは…まあアルバム全体からでもあるんだけども…要するにロックとかいったっていつまでもブルース的姿勢の延長線上で「人生はツライけどでも俺はこれを見つけたぜ」的なものが色々と相変わらず並んでいるだけじゃない? そういう姿勢とは全く離れたところに立ってみようよ、という解放に向けてのすごく誠実なメッセージだったんだけども」

小山田「最終的にポジティブなものがないと、それはダメですよ」

小沢「そう、その辺で僕らはすごく誤解されている。最終的にそういう救いのあるものは必要なのよ。でもそれをただやればいいっていうんじゃなくて、それには手続きをちゃんとやんなくちゃいけないんですよ」(ロッキンオンジャパン1991年7月号)

もはや神も物語もない社会において相対的に価値を並べる、そんな手続きを経て、「意味」へとたどり着く。ロキノン2万字インタビュー(94年4月号)によれば小沢さんは浅田チルドレンだったようだ。これほどシニカルだった小沢さんが「オザケン」となりポップス歌手となるのに2年とかからなかった。小沢さんは「成熟」したのだと思ったよ。小沢さんの歌詞は89年のフリッパーズのデビューアルバムから一貫して「成長」することがテーマだ。いかに青春と、イノセントと訣別するか。現在、父である小澤俊夫責任編集「子どもと昔話」連載中の小説「うさぎ!」は高度に近代化が達成された現代社会を啓発する内容だ。なにしろデビュー作で「RED FLAG」をカヴァーしていた小沢さんだ。一貫した姿勢だといえるだろう」

司会者「問題は速水さんは98年ごろにR&B歌手の登場でコムロ人気が凋落したと言ってるが、渋谷系も一緒に落ちた、ってことでしょ?」

kenzee「ウン、コムロと渋谷系はサウンドは全然違うけど方法論としては同じなのだね。速水さんは作者や演奏者の特権性が消滅した時代にコムロが浮上したのは必然だと論じた。渋谷系も膨大な音楽の歴史をデータベースとして捉え、好む物語を生成していった。例えば、コーネリアスデビューアルバム「First Question Award」は70年代のソウルミュージックや90年代イギリスのアシッドジャズなどの引用が見られた。では、作者の小山田氏がブラックミュージック信者なのかといえばそうではない。現在のコーネリアスの音楽から黒人音楽の影響を見るのは難しい。彼にとってブラックミュージックはデータベースなのだった」

司会者「渋谷系もまた「動物化」してたんですね。でもなんでコムロと渋谷系、メインストリームとオルタナティブの関係にあったわけですけど。90年代。なんで98年ごろ一緒に落ちていったんでしょう? そして宇多田やMisiaと入れ替わったんでしょう? R&Bだってサンプリングミュージックという点でサウンド面では渋谷系と変わんないじゃないですか。ある程度音楽的教養が要求される点でも」

kenzee「それはね、時代がどうとか環境がどうとかいう問題じゃなくてもっとポップミュージックの根源的な問題なんだ。速水さんの論はそこをスッポリと抜かしてしまっている。つまり、音楽には二種類しかないということさ」

司会者「ははあ。ダンスチューンとバラードってことですか?」

kenzee「違うね。そんな表面的なことではない。つまり、ポップミュージックには「童貞ミュージック」と「ヤリチンミュージック」の二つしかないってことさ! 常にこの二つが入れ替わりながら音楽は前進し、進化しているのだ」

司会者「ハッ! (速水さんの呆れる顔が目に浮かぶようだ!)」(次回につづく)

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