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童貞ミュージックとヤリチンミュージック(J-POPと自分探しPart.9)

司会者「速水さんから大変に愛のこもったトラックバックをいただきました」

kenzee「イヤー嬉しいですね。ていうか速水さんて「オレはミスターファスト風土」とか言うワリに都会モンだよね」

司会者「瀧見憲司とか神田朋樹のラブ・パレードにフツーに通っていたとは!」

kenzee「スチャダラのLBまつりの打ち上げなども目撃していたのだろう! イエローにおけるU.F.OのJazzin'、DJ BARインクスティックにおける小林径、荏開津広、田島貴男のミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ、橋本徹ののサバービア・パーティーなどにも通っていたに違いない。そしてオレはどれも実際に見たことない」

司会者「プッ。kenzeeって所詮田舎者だからなあ。奈良生まれ渋谷系育ちヒョロそうなヤツは大体友達だからなあ」

kenzee「で、そんな全身小説家ならぬ全身渋谷系の速水さんが「渋谷系はニューヨークの動きとのリンクだ」と。コレ、結構珍しい渋谷系論ですよ。だって基本、一般的には渋谷系はロンドンのレアグルーヴムーブメントとの連動ってことになってますから。確かにデ・ラ・ソウルの存在なくしてスチャダラはありえないですし。例えばピチカートン小西さんはデ・ラ・ソウルこのように激賞していたのさ。

 かなりアートなことをやっても、たとえばクリスチャン・マークレイなんかと違って印象がポップでユーモラスなデ・ラ・ソウルにいちばん近いのはゴダールかもしれない。(小西康陽「これは恋ではない」幻冬舎)

アーティストの側は当然当時のニューヨークのシーンを意識していただろう。ただ、受容する側(渋谷系女子)が圧倒的に支持したのはほとんどブラックミュージックのイディオムを使用しなかったフリッパーズだった。結局渋谷系史はフリッパーズ史観で形成されてしまったためにウィキのような語られ方をされてしまうのだ。もし、これがスチャダラ史観に基づいていれば速水さん的な渋谷系論が形成されていただろう。むしろ教授が「商業的なポップ」を狙って、コムロではなく渋谷系のイディオムを導入して作った「Sweet Revenge」(94年)が商業的には失敗したことがニューヨークと日本の渋谷系との温度差を物語っているのではないか」

司会者「で、ポップミュージックには「童貞ミュージック」と「ヤリチンミュージック」しかない、という論ですが具体的にどういうことなんでしょう?(くだらないオチになりそうだなア、オイ)」

kenzee「音楽には二種類しかない。童貞とヤリチンだ。そしてこれは送り手がどうかという問題ではなくてどう受容されたか、つまり受容理論なのだ。わかりやすい分類の仕方として「ヤンキーの痛車のウーファーでの爆音プレイに耐えられるか」というジャッジの方法がある。TMネットワークはそのプレイに耐えられないがtrfはOKだ。林原めぐみはムリだが浜崎あゆみは当然OK。他のジャッジの方法として夏の湘南や須磨海岸で流すことが可能か、またはゲレンデでのプレイに対応できるか、という判定の仕方がある」

司会者「ははあ。チューブはOKだけどキリンジはムリってことですね」

kenzee「そう。長渕は童貞ミュージックだが矢沢はヤリチンミュージックだ。ヒップホップもそう。服装やスタイルがヤリチン的だからといって音楽までそのままヤリチンとは限らない。例えばブルーハーブは童貞ミュージックだがZEEBRAはヤリチンミュージックなのだ。繰り返し言うが「童貞ミュージック」の演奏者が童貞というワケではない。あくまで受容する側、聴き手の心の童貞な部分を直撃するか否かにかかっている。ナゴムは童貞ミュージックだがBOOWYはヤリチンミュージックだ。ゆずやコブクロは童貞ミュージックでEXILEは当然ヤリチンミュージックだ。そしてこれは今に始まったことではなくて歴史的に分類が可能なのだ。たとえばはっぴいえんどは童貞ミュージックだがCAROLはヤリチンミュージックだ」

司会者「あ、完全にわかりましたワ。モンゴル800は童貞ミュージックでオレンジレンジはヤリチンミュージックってことですね! AKB48は童貞でモーニング娘。はヤリチンだと!」

kenzee「そうさ。だが、音楽の世界にはときどきどうしようもない「天才」がいて、両方を完璧に兼ね備えた世界を描いてしまう者がいる。たとえばブルーハーツなどは見事にヤリチンでありつつ童貞だ。尾崎豊もそうだ。あれほどヤンキーの心を捉えながら童貞ミュージックたりえている。岡村靖幸など眩暈がするほど見事に両方の要素を兼ね備えている。最近、オレが思うのは「人を感動させる」「人の心をえぐる」というのはつまり、この童貞がヤリチンを、あるいはヤリチンが童貞を越境する瞬間に爆発するなにかなのではないかということだ。速水さんの議論ではよく「オタク」と「ヤンキー」に分解し、民俗学的な分類を図ろうとする試みが見られる。「ケータイ小説的」における「再ヤンキー化」なども要はそういう議論だ。だが、人間とはオタクとヤンキーを同時に内包しているものなのだ。考えてみよう。ヤンキー文化は常にオタク的な線の細さを要求される要素を内包している。暴走族のバイクのカスタマイズやチューンアップなど相当オタクな知識や技術が要求されるだろう。ヒップホップ文化においても一流とされるDJの音楽の知識は凄まじいものがある。また、オタクも部屋に閉じこもってばかりいるかといえばそうでもない。コスプレイヤーなどは竹の子族にも似た開き直りがなければ奇抜な衣装で(手作り)人前にでる、ということはできない。おそらくこの両者(童貞とヤリチン)が微妙なバランスで共存するとき、人は「感動」するのだろう。たとえば東浩紀という人物がナゼあれほど若者を惹きつけるのか。彼の書く文章はそれほど優れているのか。それもあるだろう。だが、ザクティ動画などでもわかるように東さんはドがつくほどのオタクなのに同時にヤンキー性も兼ね備えているのだ。そのバランスが魅力なのだろう」

司会者「で、90年代のJ-POPとは渋谷系の童貞ミュージックとコムロのヤリチンミュージックがせめぎあっていた、ということですか?」

kenzee「速水さんのユリイカの原稿では「ネタ」の坂本龍一(GEISHA GIRLS)が「ベタ」のHジャングルに敗れたとあるが、「WOW WAR TONIGHT」は「ベタ」とかいう以前に極めてヤリチン性の高い音楽なのだ。GEISHA GIRLSのアルバムは「Grandma is Still Alive」「Kick And Loud」などはテイトーワのヒップホップトラックなのだが半分はダウンタウンのコントで占められている。ネイティブタン一派のアルバムによくありがちなスキットの役割を果たしている。だがこうしたコンセプチュアルな発想自体が童貞的なのだ。社会不安が増大すると人の心の中にあるヤリチン性が増加するのでこの時代にコムロが勝利を収めたのは当然だ。Hジャングルのセカンドシングル「Going Going Home」は南国の海岸でつかの間のオフを楽しむ、というヤリチンミュージック以外の何ものでもない設定だ。ベースが上昇するコード進行、レゲエのリズム、そして誰の影響も受けてない浜田のナチュラルな歌唱、この曲は名曲ですよ!」

司会者「(グワ~kenzeeイタイわ。やっぱオヤジなんだよなあ。今の若い子Hジャングル自体知らんし)」

kenzee「コムロっていい曲書くよね」

司会者「アンタア…ホンットに90年代の人なんだね」

kenzee「でも人は無意識の内に「童貞」と「ヤリチン」を分類して生きているものなのだよ。例えば木村紅美さんの「花束」という小説がある。この小説は大学受験予備校の女子寮が舞台で設定がすでに童貞的なのだ。(けっして「処女的」などといったキレーなものではない)主人公の一人、あおいは東北の田舎町から希望を抱いて上京し、この女子寮に入る。その理由は実家の民宿にフラリと現れた杉浦さん(東京の大学生で青山のクラブのDJ)への憧れからだった。モチロン、のちに杉浦さんはカスみたいな男だと判明するのだが。だが、田舎者の予備校生あおいは杉浦さんのミックステープを擦り切れるまで大事に聴くのだ。

「The Sugiura Selection」と題されたカセットテープが同封されていた。その名の通り、杉浦さんの愛好する英語のロックやポップスばかりが編集されたそのテープは届いた日からずっと私のウォークマンに入っている。もちろん、東京にも忘れずに持ってきた。(木村紅美「花束」朝日新聞出版)

で、その中身はロバート・ワイアットとかパティ・スミスなのだ。ね、スゴイでしょ? 童貞的な小説世界の小道具としてちゃんと童貞ミュージックを配している。これがマドンナとかマイケルジャクソンみたいなヤリチンミュージックだと小説世界自体が崩壊してしまう」

司会者「木村先生はわかってるなあ」

kenzee「そして我々は純然たる童貞、純然たるヤリチンには心は動かされないんだ。童貞がヤリチン性を獲得する、そのダイナミズムが人を感動させるのだ。たとえばコムロはTMネットワークという完璧な童貞ミュージックから出発し、コムロ帝国というヤリチン世界を実現した。我々はその音楽のみならず、その「童貞」が「ヤリチン」へと越境しようとするダイナミズムに感動していたのだ。あるいはそれは江藤淳なら「成熟」と呼ぶかもしれない」

司会者「エートもう時間なんで、次回は「ナゼ渋谷系を抜かすと98年問題が語れなくなるのか」という問題。そしてPerfumeは「童貞」が「ヤリチン」を獲得したのか、あるいは「ヤリチン」が「童貞」を獲得したのか? そしてそんな逆パターンはありえるのか、という問題まで着地して、J-POP論終了ってことでお願いしますよ!」

kenzee「そう、オレ最近文芸誌とかも読んでるんだよ」

司会者「とか!」

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