« 未来の音楽、新しい音楽(佐々木寛太郎さんへの返答Vol.3) | トップページ | kenzeeの夢(J-POPのリアリティは幻想の巻) »

J-POP論 外伝

司会者「サア、やっとJ-POP論も一段落したのでやっと文芸誌の話ができますね。ナニナニ、今月の群像は「戦後文学を読む」。コリャ、ウチ的にもぜひ絡みたい企画ですよ! kenzeeさんは戦後の作家だとどの辺が好きなんですか?」

kenzee「やっぱ第三の新人かなって違うんだよバカ。前回のエントリーが大変なことになった。一日で10,000アクセスを越えてしまったのだ。一体今までの苦労はなんだったんだ。kenzee賞とか。アレ実はスゴイ大変な労力を伴う企画なんだぞ」

司会者「プッ。kenzeeもいよいよアルファブロガーってヤツですかい? ヨッ、ネット界の有名人!」

kenzee「前回のエントリーってこのブログの歴史からみたらかなり異色な回なんですよ。普段は一応文芸評論とかやっててですね、本来なら今の時期、芥川賞とかにチャチャ入れてる時期なんですよ」

司会者「そういや磯崎さんにはなにもメッセージなしですか。せっかくコメントとかいただいたのに」

kenzee「終の住処」には大変共感した。スゴイ仕事とかで疲れてるときにデブな女とかにチンコがビーンとなる感覚はとてもよく理解できる」

外回りの営業と寝不足の日々のなかで、彼が本来持っていた美的感覚が麻痺してしまっていたか、もしくは反対に過敏になっていた、そんな理由もあったかもしれない。女は肉感的だった。少しばかり太っていたのだが、太っていることは服の上からでは誰からもわからなかった。(中略)ところが彼だけがどういう拍子にか、女がじつは太っていることを見破ってしまった。(中略)問題はその秘密を知ったことによって、女と付き合うことはもはや避けがたい義務であるかのように彼には感じられた、そっちのほうだった。女と会った翌朝には彼は必ず後悔した。(「終の住処」磯崎憲一郎)

kenzee「さも当然の成り行きのようにヤッてしまうところがニクイ。かのノーベル賞作家大江健三郎でもスカートの中に手ェ入れてゴソゴソするとかその程度なのに(性的人間)。もう三行目ぐらいでホテル行ってしまうのが磯崎文学のニクイところだ」

司会者「イヤ、たぶん……もっと深い話だと思うんですよ、人生とか、家族ってナニ?とか。「終の住処」って」

kenzee「男ならわかるだろう。例えば仕事やスポーツなどで疲れているとき。カラダさえ肉感的ならどんなブッサイクでもオッケー! そんな瞬間がある。そう、男なら……」

司会者「男なら……じゃないよバカ」

kenzee「ちなみにそんな男の心理をかつて「松本紳助」において島田紳助が解説していた。ナゼ、男は疲れているとスグにビンビンになりどんなブサイクでも桶になるのか。(疲れマラとはなにか?)もともと生物には、生殖し、種を保存しよう、という本能が備わっている。疲れている状態というのはつまり「死」に近い状態なので「種を残そう」という本能が働いて、「45歳のオバハンでもオッケー! そんな夕方4時半」みたいな魔の時刻となる、ということらしい」

司会者「そうそう、こういうなんにも「終の住処」の解説にも批評にもなってないムダ話がウチの真骨頂でしたね。久しぶりだワー」

kenzee「あえてマルケスの話とかしないのが、いいんじゃない!この作品は。っていうようなトーンなんですよ、普段。ウチのブログは。ダラトークで。前回はホント番外編みたいなエントリーだったんですよ」

司会者「10,000ってどっから聞きつけてくるんですかね」

kenzee「最初ココログがおかしくなったのかと思った。たぶん……こうリンクとか……インターネット的な技術を駆使してワラワラと集まってくるのだ」

司会者「インターネットスゲー」

kenzee「どこがそんな面白かったんだろう。浜崎論とかリアリズム革命のときの広末論のときのほうが絶対ネタとしてまとまってたし、書き手としてのキャラも打ち出していた。それが、納戸から引っ張り出した昔のサンレコとか使って突貫工事で突っ切った記事で10,000アクセスとは。人生ってなんだろう。大体、オレ、プロトゥールズとかそんな機械、見たこともないし」

司会者「ホンット、文芸評論もインチキ、音楽評論もインチキ。つーかプロトゥールズはサンレコに載ってるじゃないか!」」

kenzee「どうしよう、はてなとかのコメ見てたらマジのエンジニアの人とか見にきてるっぽいし。ゴメンネ。実はコントのネタブログなんだ」

司会者「バカ」

kenzee「でもそんなサンレコ読者みたいな人々にとっておきの驚き話を披露しよう。前回のエントリーで取り上げた2005年10月号山下達郎インタビューにおいての「お家でのプリプロ作業はどんな感じですか」という質問に対する彼の答えだ。

(打ち込み作業は)昔ながらのCOME ON MUSICのシーケンスソフトを使う。家でやる作業なんて小節192分割で充分だもの。大昔、COME ON MUSICにお願いして、僕専用にNEC PC-98 MS-DOS6.1のハードディスク対応のものを作ってもらっていてスタンダードMIDI出力とかいろいろと付帯機能を加えてもらってある。そのソフトでこれも私の愛機だったROLAND D-110っていう音源で鳴らしています。(サンレコ2005年10月号)

スゴイでしょ。クオンタイズもヘチマもないのよ。カモンミュージックだよ? 数値入力ですよ? 2005年に」

司会者「……前回の「レコーディング環境の大変化話」だけど、どうにも腑に落ちない点があるんです」

kenzee「なにかね」

司会者「ロックンロール、いわゆるバンドサウンドとPro Toolsは相性が悪いとみんなウスウス感じながらナゼそっちにみんな移っていったんですか。たしかにPro Toolsは従来のレコーディングシステムの構築を考えればビックリするぐらい廉価で済むし、音は良いし、コストパフォーマンスはムチャクチャいい。それでもあえてPCM録音にこだわるスタジオが1コぐらいあっても良かったんじゃないでしょうか。なんで一人残らずハードディスクレコーディングに移行してしまったんでしょう。結果的にゼロ年代のJ-POPからバンドサウンドがスッポリ抜け落ちてしまった」

kenzee「それはビックリするくらいしょうもない理由だ。長年、レコーディング業界において標準機とされていたマルチトラックレコーダーPCM-3348と2チャンネルUマチックレコーダーPCM-1630。とくにPCM-1630はCDの誕生以来日本のCDのマスターテープはほとんど1630で作成されてきた。で、2004年、メーカーであるSONYがこれらの業務用レコーダーの生産中止、そしてメンテナンスの終了を発表した。これはなにを意味するか。つまりミスチルとか浜崎とかモーニング娘とかなんでもいいがとにかく1630でマスターされている音源は今後、再生できなくなるかもしれないってことだ。そしてメーカーとしては「日本の文化遺産が聴けなくなってもウチは知りません」という態度なのだ。部品が一個でもオカシクなったらその時点でパーだ。ヒドイ話でしょう。好き嫌い言ってる場合ではなくなったのだ。否応なくハードディスクレコーディングに駆りだされていったのだ。ゼロ年代のミュージシャンたちは。そして各レコードメーカーはこの事の重大さに未だ気付いていない。過去四半世紀に亘る膨大なカタログ。メシの種。これらが再生できなくなるという事実に。一部では保管している1630のマスターテープをハードディスクなどのメディアに必死で移行している。しかしそれはいつ終わるとも知れぬ大変な作業だ。しかも途中で1630がボーン言うたらそこでゲームオーバーという過酷なレースだ。こういうとき、矢沢さんのように自分とこの会社で原盤管理してるミュージシャンは強い。誰に断ることもなく、自分の手で新しいメディアにアーカイヴできる」

司会者「ナルホドね。あー外伝長かった」

kenzee「それではJ-POP批評を締めくくるにあたっていっぺんやってみたかったことがある。参考文献の列挙だ!

 速水健朗「自分探しがとまらない」(ソフトバンク新書)、「ケータイ小説的」(原書房)、烏賀陽弘道「Jポップとはなにか-巨大化する音楽産業-」(岩波新書)、「Jポップの心象風景」(文春新書)、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」(早川書房)、「母性のディストピア-ポスト戦後の想像力-」(新潮2008年11月号~)、江藤淳「成熟と喪失-母の崩壊-」(講談社学芸文庫)、「東浩紀のゼロアカ道場 伝説の「文学フリマ」決戦」(講談社BOX)、イアン・コンドリー「日本のヒップホップ-文化グローバリゼーションの現場」(NTT出版)、ロッキンオンジャパン1991年7月号(ロッキング・オン)、山崎洋一郎「激刊! 山崎」(ロッキング・オン)、「音楽誌が書かないJ-POP批評25フリッパーズギターと渋谷系の時代」(宝島社)「音楽誌が書かないJ-POP批評10-浜崎あゆみをめぐる大疑問-」(宝島社)、「ユリイカ4月増刊号」(青土社)「ZEEBRA自伝」(ぴあ)、「ライムスター宇多丸のマブ論」(白夜書房)「思想地図Vol.3」(NHKブックス)「PLANETS Vol.6」(第二次惑星委員会)「Sound&Recording Magazine」2005年10月号、2009年9月号(リットーミュージック)、マルティン・ハイデッガー「存在と時間」、「ヒューマニズムについて-パリのジャン・ポーフレに宛てた書簡」(ちくま学芸文庫)、スガシカオ「731(+1095)」(角川書店)、綿矢りさ「蹴りたい背中」(河出書房新社)、金原ひとみ「蛇にピアス」(河出書房新社)、モブ・ノリオ「介護入門」(文藝春秋)、山下達郎ファンクラブ会報「TATSURO MANIA」No.23,1997Autumn,No.54,2005Spring,No.55,2005Summer、「Quick Japan Vol.74-Perfume「アイドル」の意味を回復する3人」(太田出版)

こんなトコかなあ」

司会者「クッダラナイ本ばっかり読んでるなあアンタは。ボンクラ大学生の本棚じゃないか。タダの」

kenzee「文学とか読んだほうがいいのかなあ。ま、10,000アクセスにはビビッたね。こんな機械のの話がみんな好きだったのか!? 前回のエントリーでウチ知った人はゼヒコムロ論ぐらいから読み返してほしいね。いわゆる「そういう趣旨のブログ」じゃないということがわかっていただけるだろう」

司会者「次からホントに文芸誌に戻りますよ!」

|

« 未来の音楽、新しい音楽(佐々木寛太郎さんへの返答Vol.3) | トップページ | kenzeeの夢(J-POPのリアリティは幻想の巻) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: J-POP論 外伝:

« 未来の音楽、新しい音楽(佐々木寛太郎さんへの返答Vol.3) | トップページ | kenzeeの夢(J-POPのリアリティは幻想の巻) »