パンツとか見せてもいいと思うんです(ポジティブ教と連合赤軍)
kenzee「ところで渡辺美里とはなんだったのか? 渡辺美里の登場は女性ソロヴォーカリスト史における転換点だった。渡辺の登場によってロックだのポップだのといったインディー臭漂う世界は急にJ-POPの名の下にメジャー化したのだ。では渡辺以前の女性歌手たちはなにを歌っていたか。まずユーミンさんはいうまでもなく恋愛の女王だ。中島みゆきは女の情念を歌った。竹内まりやはキャンパスライフの青春と恋愛を歌った。80年代はアイドルの時代だった。彼女らが歌ったのはモチロン若い女性の恋愛についてだ。最新のトレンドを折りこみながらね。この70年代から80年代にかけての女性歌手たちに共通しているのは恋愛、つまり性的欲求と性的身体について歌ってきたということだ。「女はホレたハレたと歌っていれば良い」。このような男性原理、マッチョイズムに基づいて女性歌手シーンは回っていた。ところが渡辺はこれらのファクターを一切排除して登場したのだ。彼女の最初のヒットであり、代表曲は86年発表の「My Revolution」だ。
さよならSweet Pain 頬杖ついていた夜は昨日で終わるよ 確かめたい君に会えた意味を暗闇のなか 手を開いて 非常階段急ぐ靴音 眠る世界に響かせたい 空き地の隅に倒れたバイク 壁の落書き見上げてるよ きっと本当の悲しみなんて自分ひとりで癒すものさ わかり始めたMy Revolution 明日を乱すことさ 誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My Tears My Dreams 走り出せる(「My Revolution」作詞:川村真澄 作曲:小室哲哉)
友人なのか恋人なのかわからないが「きみ」を失った主人公が悲しみを振り払い、強い自分に生まれ変わり明日を生き抜くという内容だ。特徴的なのは若い(当時10代ですよ)女性が歌う歌なのにまったく女性性をウリにしていないという点である。次のシングル「Teenage Walk」でも同様、いかに自分の弱さを克服し、強くなるかが問われる。
鳥が空へ 遠く羽ばたくようにいつか 飛びたてるさ 自分だけの翼で ざわめきの中両手で支えたHeart Break 息を殺して人ごみ駆け抜けた ささいな躓きにいつまでうつむいて 自分も愛せずに本気で誰かを愛せるの 君に話せば気持ちは安らぐけど 声にならずに涙が落ちそうで 悲しみ捨てるため 佇むビルの上 最後のため息を せめてこの歌に変えるよTeenage Walk (中略)闇の深さに怯えて迷う夜は 君がいるから歩いてゆけるのさ 粗雑に生きてたら 出会いも気付かない 誰かに言われたよ ホントに自由は真実求める心にあるはずと(「Teenage Walk」作詞:神沢礼江 作曲:小室哲哉)
作詞家が変わっても似たような歌詞を書かせてしまう存在感があったのだろう。当時の美里には。My Revolution同様、人生に躓いた主人公が、自分の弱さを克服し、強く生まれ変わりやがて鳥のように羽ばたける日を願う、というものだ。例によって女性性とか性的身体をまったくウリにしないストイックな世界だ」
司会者「全然関係ない話してもいいですか。この2曲、スゴイ歌にリバーブかかってますよね」
kenzee「ウン、80年代とは今のレベル競争のようにリバーブ競争の時代だった。アイドルから大御所までみんな風呂場で歌ってんのかっていうくらいエコーの嵐の時代だったのだ。89年、中3のときにユニコーンの「服部」を聴いてビックリしたのは歌がノンリバーブだったことだ。スゴイ生々しい音楽に聴こえたのだった。でもレニクラ以降、J-POPもみんなノンリバーブになったけどね。ボクはストリングスとリバーブはセットだと思って生きてたんだけど椎名林檎の「茎(STEM)」('01)を聴いたらストリングスがノンリバーブだったのにビックラこいた。刺さってくるような弦でまさに椎名世界だった。ま、このように美里の歌の世界とは①主人公はまずなにか知らないが弱っている②「きみ」の言葉とやらに励まされる③そして自分の弱さを克服し、強く生まれ変わると決意する、というコンテクストで構成されてま。性的な欲求も性的な身体も登場しない内面だけで構成される、修行僧のような世界だ。「ホントの自由は真実求める心にあるはず」というフレーズなど自己啓発、自分探しの感受性の源流が見られる。それでは次の文章と比べてどうか。
私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。未熟であること。人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間がその不完全を克服しようとする時点ではそれぞれの人間は同じ価値を持つ。そこには生命の発露があるのだ。山小屋のコンパのとき増田さんが言っていた。「おまえは律することができないのが心配だ」と。忍耐である。(高野悦子「二十歳の原点」)
今、はっきり決意できる。自立更正すること、そのことのみが今までの誤った行為を改め、母に対し、また私に対して「批判」と「さげすみ」と「怒り」を持った次兄、弟らに私の意志を正確に理解してもらえる一歩となりうるだろう。今までの、このような結果を生み出した自らの行為は徹底的に否定されなくてはいけない。(大槻節子「優しさをください」)
いかに弱さを克服し、自立した人間となるか。と述べられている。女性らしさ、かわいらしさなど皆無の文章だ。高野悦子の「二十歳の原点」は自殺した女子大生の手記で71年に発売されるやベストセラーとなった。「優しさをください」は山岳ベースでの総括で殺害された連合赤軍女性兵士の手記である。これらはどちらも69年ごろ、学生運動の嵐吹き荒れる時代に書かれた。ここに「自己の確立・人間的弱さの克服」という美里的感性の源流を見ることができるだろう。ところで美里の時代とはまさに日本経済がバブルの坂を駆け上がっていくド真ん中に位置する。消費が美徳であり、消費は女性にとって自己表現の時代であった。上野千鶴子は女性の自己表現を「生産による自己表現」と「消費による自己表現」に大別した。美里が登場するまでの80年代前半とは消費イコール自己実現の時代であった。田中康夫はデビュー作「なんとなく、クリスタル」で80年代の女性の自己実現と消費の関係を442もの註を含むメタ視点を交えながら指摘していった。主人公の女子大生・由利はファッションモデルのバイトで生活費と学費を賄っている。同棲(作中、由利は「同棲」という響きに70年代的な貧乏くささを感じ、自分たちの関係は共生とでも呼びたいという)中の彼氏はフュージョンバンドのキーボーディストだという。膨大なブランドやレストランなどの固有名詞を交えながら理想的な女性の生き方を提示した。また、「ほしいものが、ほしい」「なーんだ、探していたのは自分だった」といった、セゾングループの80年代のコピーなどに当時の女性を取り巻く消費と自己表現の関係を見ることができる。美里の世界とはこの、「自己実現」だけが肥大し、「消費」がスッポリ抜け落ちた世界だったといえる。美里の歌とは「流行やプロパガンダ的言説に惑わされない、自立した自己を確立しよう」というメッセージである。また、「My Revolution」は単なる自己啓発ソングとして登場したのではなく、80年代的な消費社会への批評・警鐘という機能も備えていた。しかし、美里はナゼこれほどストイックに自己の確立を求めるのか。タダの偶然だとは思うが、「My Revolution」の前年、85年に「男女雇用機会均等法」が施行される。つまり、この時代、女性の社会参加が求められる状況が設定されつつあったのだ。「とりあえず2,3年OLやって結婚してあとは亭主元気でルスがいい」という戦後の女性の人生モデルはこのときから崩れはじめる。ビックリしたことにこの「雇用機会均等法」、正式には「雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保等に関する法律」はもともと1972年に「勤労婦人福祉法」として制定・施行されたものだ。あさま山荘の72年だ。そう考えると高野悦子、大槻節子と渡辺美里が15年の時を隔てて同じ感受性を共有していたのもうなずける。美里が否定したのは消費社会的記号、連合赤軍的言語に翻訳するなら「ブルジョア性」である。
大槻節子「私はあなたに自己批判しなければばらないことがある。南アルプスでは、渡辺に似ていたので、あなたに甘えてしまった。自己批判する」植垣康博「今でもそうおもっているの?」大槻「ううん、思ってない。あなたは渡辺とはぜんぜん違う。渡辺との関係は、ブルジョア的なかわいい女でしかなかった」(植垣康博「兵士たちの連合赤軍」彩流社)
美里、大槻に共通しているのは「他人に甘えたり、ブルジョア的なふるまい許すまじ」ということで、高野悦子も「自分を律する」ことを己に課している。そして己の女性性を嫌悪している点でも共通している」
司会者「なんで女をウリにしてはいけないのだろう。もっと肌とか露出してもイイジャン。パンツとか見せたってイイジャン」
kenzee「などと美里に言ったなら殴り返されそうな勢いがある。美里ワールドには。これは結構看過できない問題で、総括に遭った女性兵士のほぼ全員がこの「女性性」を根拠に殺害されていったからだ。たとえばこの、高野、大槻ー美里の線を「フェミニズムに繋がっていく感受性」、「フェミニズムの空気を吸って登場した若い世代」と位置づけて終了することも可能だ。だが、本来女とは「家」に結びつけられ、「母」として夫の後ろに控え、その人生をまっとうするものという社会的通念がある。「家」と「母」を迎え入れることが「大人になること」と、確か酒井順子が「負け犬の遠吠え」で論じていた。ではナゼ、彼女らはそのような「安定」に背を向け、イバラの道の思想をとくに批判することなく素直に受け入れていったか。ここにはやはり戦後教育と近代の問題が横たわっているのだ。
彼に崩壊していく農耕社会で過ごされた幼児期の安息を取り戻そうとする願望がある限り、彼は決して「家」から、つまり「母」の影である妻のいる場所から「出発」しようとはしない。(中略)だが、皮肉なことに、時子にとっての「楽園」は「プール」と「芝生」にあってそれを背景にして俊介が回復しようとした旧い安定した情緒にはない。より正確にいえば、「子」である夫が安息の象徴である幼児期を回復しようとすることは、時子に「母」の役割をあたえることーつまり彼女の青春を奪って、あるいは老年に近づけることを意味する。それは決して彼女に「楽園」をもたらしはしないのである。彼女はいつまでも若くありたい。そして夫の求める「近代以前」の安息のなかにではなく「近代」の解放のなかに「楽園」の幻影を見ていたい。夫にとっては「出世」の希望と同時にoutcastの不安と「他人」に出遭う恐怖を植えつけるものだった学校教育は、時子を「家」から解放し、「近代」に「出発」させてくれたものにほかならない。「近代」とは彼女の青春であり、いつか訪れる美しい王子であり、つまり幸福そのものである。その「近代」というstrangerがどんな顔をしているかを彼女は知らないが、知らないからこそ彼女はそこにあらゆる期待をこめることができ、逆に周囲の「近代以前」は彼女が知悉したものだという理由で「恥ずかしい」ものとならざるをえない。したがってほかならぬ「近代以前」に「楽園」を見ている夫は、彼女にとっては殊に「恥ずかしい」なにものかである。彼女がそこから「出発」しなければならないと感じるのは当然である。(江藤淳「成熟と喪失」講談社文芸文庫)
江藤淳は小島信夫「抱擁家族」を女性の近代への目覚めだと指摘している。
「そこにひとりの女がいる」。それは時子が、「妻」の役割からも、「母」のイメイジからも解放されて、単にひとつのものとして存在するということにほかならない。それは「まぶしく」「重く」かつ俊介から「独り立ち」しているが、そのことによって彼を「圧倒」する。(前掲書)
「成熟と喪失」は1966年に発表されたが早くも後の40年近いスパンで若者を悩ませることになる「近代」の問題を捉えている。尾崎もミスチルも浜崎も結局は江藤が指摘した近代の問題に集約することが可能だ。連合赤軍を含む当時の団塊世代の女性たちはこの国の有史以来、初めて「近代」というキラキラした幻想を与えられた世代であった。シミったれた「家」や「母」から逃れ、「自由」「自立」を手にできるのかもしれない。そしてそれは簡単に革命思想とも結びついていく論理でもあった。そしてそれらはともに幻想であったのだ。尾崎や美里の論理とは近代化を目的とした戦後教育の延長線上にあるもので、だからこそ彼らの歌は安心して「学校」や「先生」を抑圧する対象として描くことができる。なにしろ「近代」という共通のコードを共有しているためその点においては最終的に和解するポイントが予定されているからだ。美里の論理はバブル崩壊などもろともせず、90年代まで支持され続ける。90年代のJ-POPの代表、ミスチルなどは美里からフェミニズム性をさっぴいたものといえる。浜崎以降に登場したケータイ小説作家とは60年代の高野や大槻に代表される「手記を書く女たち」の末裔にあたる人々である。総括の論理とは「世界同時革命、そのための前段階武装蜂起」である。銃による殲滅戦である。そのような厳しい戦いを勝ち抜くには高度に共産主義化された主体を勝ち取らなければならない。そして短期間で一人前の革命戦士にならなくてはならない。自己のなかのブルジョア性、反マルクス主義性、つまり「弱さ」を克服するためなら同志的援助(要は暴力)も必要となろう」こんな感じでたった一ヶ月半の間に12人もの若者たちが命を落としていったのだ。そして戦後の学校教育が捨て去ってきた「前近代」を元・連合赤軍メンバーで死刑囚の坂口弘はうめくように歌う。「ポジティブ教」一色のバブル崩壊後の93年に。
これが最後 これが最後と思ひつつ 面会の母は八十五になる
あと十年 生きるは無理という母を われの余命と比べ見詰めつ
「近代」の最前線へ銃を携え挑んだ革命戦士はやがて、「母」のもとへ「前近代」へ、村落共同体へと想いを馳せるのだ。だが死刑囚の彼にはそれは無理な願いというものだ。「抱擁家族」における俊介のように彼は自然へと還っていったのだ」
司会者「このブログ史上、もっともクラ~イ感じの記事になってしまいましたねえ」
kenzee「ここで一気に意味が反転するところがオレの文章家としてのスゴさだ。88年に発表された渡辺美里12thシングル「君の弱さ」なのだが、このなかで「君の弱さに惹かれていくよ」というフレーズがある。この時点で「コミュニケーションによる人間関係の回復」という近代以降の風景を美里は垣間見ていたのかもしれない。そんなワケで今回はワリとキレイに終わろうと思う」
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