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彼はいいとものテレフォンショッキングで憂歌団のようなギターが弾きたい、といった

kenzee「ハァ、また小沢の話せんとアカンのか……」

司会者「別にせんとアカンことないですよ! むしろ文学の話に戻れば」

kenzee「小沢と小山田、二人とも90年代を代表するソングライターだ。当時はホモマンガ書かれるくらいよく似た二人だったが、こと作曲に関してはハッキリとした個性があった。ザックリ言うと小沢曲とはヘンなコードをいっぱい使った音楽系専門学校生のような作風。小山田曲は単純な循環コードのなかでドラマが展開するプロっぽいプリミティブな作風といったところか。90年発表のシングル、「カメラ!カメラ!カメラ!」は典型的な小沢ソングでその個性と欠点が表れている。フリッパーズといえば洋楽オタクだのなんだのとよく言われるが、この曲はサウンドこそアズテックカメラ風だが構成自体は伝統的な歌謡曲のものである。つまりAメロBメロサビ、の繰り返しのあとにブリッジがきて、サビの連打で終わるという筒美京平からつんくにいたるまでみんな使ってるこのパターンを小沢も踏襲している。そしてこの頃の小沢曲の特徴といえばやたらコードチェンジが激しい、ということで、サビなど(GM7)カ~メラの(F#m7)な~か~さんびょ(Em7)お~か(A7)ん~だけ(A#dim)ぼ~くら(Bm7)は~(GM7)とつぜんこい(DM7)を~す(Bm7)る~(Em7/A)そしてすべてわかるは~ず~(DM7)さ~(DM7)(Aaug)(DM7)(Aaug)とこのように大変にせわしない。恋とマシンガンも同様でコードチェンジの嵐のような曲だ。また、は~ず~さ~のあとの2コードの繰り返しだが通常のポップスのセオリーならばここは(DM7)(Em7/A)(DM7)(Em7/A)の繰り返しといういわゆる「タイトゥン・アップ」進行になりそうなものだが小沢はこの流れとまったく必然性のないAaugというコードを持ってくるのだった。おそらくこの曲はコード進行から先につくられたのではないか」

司会者「詞先、曲先という言葉は聞いたことありますけど「コード先」とは」

kenzee「その証拠にこの曲はBメロがグダグダだ。「ツンと澄ましてうえむいて 右手を頬にあててみてこのままでいたいと僕は思うから」なんだけどとってつけたような印象が20年間拭えない。あと、ブリッジの「アーどうせ僕らはイカサマなカードで逃げ回る アー悔しいけど忘れやしないだろう このままでいたいと僕が思ってたこと」てとこがね、もうなんていうかね、美しくないんだよ。習作感が拭えない。転調のための転調というか。ただ、ディミニッシュだオーグメントだフラットフィフスだとヘンなコードをいっぱい使って楽曲にユニークさをだそうという意図は理解できる。なにせ、当時はバンドブームで、CとAmとFとG7が弾けたらもうギタリストという時代ですから、その狙いは一定の効果はあったと思うんですよ。実際、コードで曲の表情というのは決まってしまう。小沢曲で渡辺満里奈の「バースデイボーイ」にしても冒頭の「Love You Love You」のコードなんて未だにサッパリわからんもん。「天気読み」もソロデビューシングルってことでメッチャ肩に力入ってたと思うんだ。だからやっぱりこんな進行

  (F#m)上昇(F#mM7/F)する(F#m7/E)き~おんの(F#m/D#)せいで(DM7)ロードショーは(G7)つ~づ~き~

ベースが半音で下がっていくのはわかるが突然、調性と無関係なG7が登場する。だが、このG7の不安定さがこの曲のイメージを決定づけてもいる。いずれにしても頭で考えて作曲するタイプだ。小沢曲は。そこへいくと小山田という人は同じような循環コードのなかでいくつもいくつもドラマを展開する、天性の作曲家だ。ありきたりの進行のなかで決定的な個性を発揮してしまう。まるで手作りのドライバー1本でコースを回って勝利をおさめてしまうプロゴルファー猿のような作家なのだ。そこへいくと小沢は何番アイアンとかいっぱいクラブは持っていそうだがイマイチ使いこなせず猿に負けてしまう「おっちゃん」のような曲作りなのだ」

司会者「もっとほかにマシなたとえないのかよ!」

kenzee「小山田の凄さはファースト収録の「Goodbye,Our Pastels Badges」一曲で一目瞭然だ。サビがタダの(Cm7)(F7)(B♭M7)(Gm7)の繰り返しだとは信じられない新鮮さだ。セカンドでも「サマービューティー」「午前3時のオプ」にて基本、この循環コードでめくるめく世界を展開する。とくに「午前3時」は傑作で小沢のようにヘンなコードとかに気を取られていると、あの疾走感はでない。とにかく(Dm7)(G7)(C)(Am7)をグルグル回させたら国内でも小山田の右にでる者はいない」

司会者「日本の音楽ジャーナリズムは言葉主体なので「言葉の人」小沢ばかりが取り沙汰されますが小山田曲は小沢曲のような破綻というか破れ目がないんですよね」

kenzee「もうホンットにノビノビとした良い曲ばかりだ。ソロデビューアルバムはそんな小山田のメロディーメイカーぶりの面目躍如なのだが、自作の歌詞があまりにヒドかったので小沢に負けたかのような印象だった。小山田曲の凄さはその意外なほどのバリエーションの少なさだ。例の循環コードか、Dm7-G7などのいわゆる2-5進行ぐらいしかない。表面的なサウンドはその時々の流行を敏感にとらえるので多彩な印象だが、基本、このぐらいのパターンしかない。そして小山田曲の特徴は「サビへのなだれ込み方」だろう。フリッパーのデビュー時から連綿とつづく、知らない間にサビに突入するスピード感である。たとえば「Gobye,Our Pastels Badges」におけるブリッジ部からサビへと流れる「So Let's Take Off Our Favorite Shirt Take,Take off~」滑り込み方、また「午前3時のオプ」における「けっとばすためのブーツはいて話そう 雨の中~」とブレスなしで突入するスピード感。カヒミ・カリイ「Elastic Girl」におけるサビへ駆け上がっていく勢い。97年のアルバム「FANTASMA」収録の「New Music Machine」での「この世界はいつまでもつ~づ~く~ニューミュージックマシーン」というすばやさ。そして先行シングルの「Star Fruit,Surf Rider」はシンプルの極地である。この曲はコードがDm7-CM7とたったふたつしかない。ひたすらこの繰り返しである。日本のロックもののシングル曲でこんなのあったか。そしてゼロ年代に突入すると小山田氏の楽曲は調性という概念から遠く離れていってしまう。楽器もロクに弾けないで「ミニマルだノイズだ」などと言い訳している連中とはラベルが違うのだ」

司会者「もう昔のポップスの曲はやらないんですかねえ」

kenzee「日本人の作曲家の多くは、タイアップ文化の影響もあろうがサビ、ひらうたを別々に作る傾向がある。たとえばコムロがサビ作りの天才なのは間違いないが、そのサビの前提となるAメロを作るのがビックリするくらいヘタ、というより後半あきらめているような曲を連発していた。朋ちゃんとか。モチロンコムロ自身、そのことには自覚的で改善策として編み出したのがglobeの、ひらうた→ラップ、サビ→歌、という構成である。小山田とはまるで昔のR&B作家、リーバー&ストーラーやキャロルキングのように曲の全体が一度に押し寄せてくるタイプの作家だったのだろう。日本人なら浜口庫之助や山下毅雄に近い作家だったのではないか。翻って小沢曲とは筒美京平以降の「パーツを組み立てていく」タイプの伝統的な歌謡曲である。今、これを読んでいる人なら手元にフリッパーズのファーストがあるはずだ。一曲目のイントロのギター2本による短いインストが入っているはずだ。この、循環コードの上で鼻歌のようにメロディーを紡ぐのが小山田の真髄。小沢曲とは「さあつくるぞ!」とハチマキしめて作るような作風」

司会者「ドルフィン・ソングとか世界塔よ永遠にとかコンセプチュアルな曲は小沢曲と考えてよさそうですね。考えて作ったような」

kenzee「ウィニーザプーマグカップコレクションや奈落のクイズマスターなどひたすらパターンを繰り返していくあの世界は小山田曲と考えていいだろう。勿論、同じ作家チームとして小沢がそんな小山田の天賦の才能に気づいていなかったワケはない。ソロデビュー後、小沢曲は恋とマシンガンやカメラカメラとは真逆の、シンプルさの中でドラマを展開する方向に向かっていく。その最初の成果はなんといっても「今夜はブギーバック」だろう。この曲は基本、コードが3つしかない。「心変わりの相手は~」のブリッジの部分以外はCM7-D-Em7の繰り返しだ。「カメラカメラ~」の作者が作ったとは思えないシンプルさの中にある官能的なドラマ。のちにクレバやハルカリなど多くの人にカヴァーされることになる一曲だ。「ブギーバック」のサウンドプロダクト自体はオールドスクールヒップホップのマナーに則っている。つまり、核となるブレイクビーツとベースの上にスタジオミュージシャンのマニュアルプレイを』乗せるという。

小沢「~ちなみにオリジナルの「今夜はブギーバック」のベースとピアノは中西(康陽)さんで、ベースは決めておいたものですが、あのピアノのリフは彼のアドリブをループしたものです」

うさぎ「(中略)あれは生ピアノなのですか」

小沢「生ピアノです。ベースはムーグ」(公式サイト「ひふみよ」インタビュー)

 オレは密かに「ブギーバック」は小山田曲の影響を受けて作られたのではないかと思ってるのだ。後にスチャダラのリミックスアルバム「サイクル・ヒッツ」で、小山田氏がリミックスと称してブギーバックの小沢のパートを歌うのだが、やはりヴォーカリストとしての声の色気、説得力では小山田の方が5枚ぐらいうわてであった。その後、小沢の「16ビートの上にシンプルなコード進行の繰り返し」という手法は98年作品「buddy」で結実する。この曲で小沢はバシバシ日本語で韻を踏みながらラップとメロディーが追いかけあうようなR.KELLYかケツメイシかという雰囲気の歌唱スタイルに挑戦している。恐るべきことにこの曲は1コードなのだ。

buddy 争いも恋も仕方ない それが夏休み Panicそれなりの事態 ムリもない それが夏休み 怪しげな期待を抱えながら Young Ladiesが闊歩きって 思いきり浴びるサンシャイン肩から先真っ黒になって buddy やるせないぐらい変な気持ち それが夏休み シャイニングあやふやな兆し でも絶対 それが夏休み 屋根から屋根のぼりRhyimin' Downtown中をロックして 思いきり浴びるサンシャイン砂漠に水まく苦労が難点 buddy 俺たちはつまり愛のクラークケント 夜のナポレオン Ladiesわかっといてほしい こんな気持ち 男の8割(小沢健二「buddy」'97年作品)

宇多田の登場や日本語ラップの隆盛なども視野に入れていたに違いない野心的な作品である。宇多田と日本語ラップの登場以降、J-POPは韻律に対して自覚的になってゆく。

 だって つまづきながらって 口でいうほど楽じゃないはずでしょ 待って もう少しわかってくれたらきっと もっといい雨が降るから 勝手 そう呼ばれちゃって 時々孤独感じても大丈夫(宇多田ヒカル「Wait&See~リスク」2000年作品)

「LIFE」的世界はこの「buddy」と「ある光」で完成したといっていい。その後、2002年に「eclectic」というどうにも歯切れの悪いアルバムを発表し、小沢は混迷のゼロ年代に突入してゆく。この次はいよいよ本丸、小沢の言葉についてだ。これをやらないと小沢の音楽を語ったことにはならない」

司会者「ア~お気に入りのシャツがスベッた転んだ言う話聴かされるワケやね。コーヒー牛乳とか」

kenzee「ところでコーネリアスのファーストって今廃盤なんだね。なんでかね。アレこそ渋谷系ド真ん中なのに」

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コメント

おかげでオザケンも(何となく)フリッパーズもノビノビ楽しく聴ける日々です。『太陽はぼくの敵』とか『ラヴパレード』入ってるの、廃盤なのですか、エエ~

投稿: NHKホール追加取れた作家 | 2010年3月23日 (火) 21時16分

ナニ〜NHKホール〜ゥ?よく取れましたね。たぶん彼的に95年の紅白以来くらいじゃないでしょうか。これはもうどっかの媒体にレポート書くしかないですな。コーネリアスファースト廃盤なのかなあ。単にアマゾンに在庫ないだけだったりして。

投稿: kenzee | 2010年3月24日 (水) 23時22分

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こことかを読んで、久々に90年代のあれ系の曲を引っ張り出してきて、というかiTu... [続きを読む]

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