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フリッパーズのギターです

kenzee「例によってフリッパーズのギターのヤツの話を続けようと思うのだが、フラリと立ち寄った本屋でモノスゴイタイミングで素晴らしい書籍がドロップされていたので報告したい。
 
THE GROOVY 90's 90年代日本のロック・ポップ名盤ガイド(MUSIC MAGAZINE増刊)

バンドブーム絶頂の90年から渋谷系、ヒップホップ、R&Bブーム、に至る日本のロックのガイドだ。なんというかパラパラめくうてるだけで、甘酸っぱいものがこみ上げてきます。タダのレコードガイドなのになんでこんなに恥ずかしいのだろう。とくに96年以降のヤツとか自分が売った商品なので、こう青春のアレが、蘇ります。ていうかねえ、シラフで読めないよ、こんな本」

司会者「(パラパラめくりながら)ウワ~。コレ、ボ・ガンボスの小説書いた人もシラフでは読めないでしょうね」

kenzee「選盤が絶妙でねえ、もう今さらフリッパーズや小沢やスチャダラや電気とかいう名称が並んでても恥ずかしいとか言いませんよワタシ。だが、KANの「愛は勝つ」が入ってるアルバムとか稲村ジェーンのサントラとかフライングキッズとかたまとか高野寛とかロッテンハッツとかブリッジとかYMOのテクノドンとかキョンキョンとかコソーっと忘れ去りたいブツたちも名盤として収録されているのだ。こんな赤面必至の一冊があろうか」

司会者「なんで恥ずかしいんですか。稲村ジェーンとかいい音楽じゃないですか」

kenzee「当時オレは中古CDの買取と値付けもやっていた。つまり、今でもここに載っているカタログの中古市場における流通量を把握している。つまり、読みながら一枚一枚値付けしているオレがいるのだ。つまり、稲村ジェーンとかドリカムの「Swinging Star」とか竹内まりや「Quiet Life」とか山下達郎「ARTISAN」とか鈴木雅之「Fair Affair」とか森高千里「古今東西」とかでてくると「あ~300円だなあ」とか考えてしまう自分がいるのだ。でも渡辺満里奈「a piece of cake!」はちょっと高めに設定しても売れるな、とか。2000円くらい付けたりして」

司会者「そのうえ、「あのフリッパーズが唯一楽曲提供したアーティスト、2曲収録!」みたいなキャプションつけて」

kenzee「まんまとホントにその値段で売れたりして。もうすべてが赤面だよアノ時代。もし、今その満里奈の2曲「大好きなシャツ」と「レイニーカインドオブラブ」聴きたい人はフツーにmoraで売ってますよ。スチャダラの5th WHEEL 2The Coachもアナログ余ってしょうがなかったなあ。ピチカートのアナログも売れんかった。そしてあーゆーものは返品不可なのだった」

司会者「で、このgroovy 90'sには当時を代表するアーティストのインタビューが載っているいるのだが、曽我部恵一さんの発言が我々の感じる「恥ずかしさ」の正体を説明しているのではないか。

……今思うと、ホント、モラトリアム期っていうか、何も考えてなかったんですよね。渋谷にでたら面白いレコード屋さんがたくさんあったし、夜はどこかで誰かがライブをやっていて、クラブも割りと平和な状態でそういうなかでワクワクしながらもぼんやりしていたんですよね」-それは、ある種の「ぬるさ」があったと? 「そう、ぬるいぬるい! ぬるい中からしかこういう音楽は生まれなかったでしょうね。ただ、当時はそれをぬるいとは思ってなかったんですよ。こういう時代がずっと続くと思っていた。(The Groovy90's曽我部恵一インタビュー)

曽我部さんの渋谷とか下北とかオレはよく知らないんだけどたぶん西心斎橋とかと似たような感じだったと思うんだ。シスコとかマンハッタンみたいなちゃんとした、こう修学旅行生が出入りするようなレコ屋の陰でデタラメな店がいっぱいあった。ロコジョージなんか輸入盤7インチシングルが裸で一律一枚20円。20円て! なに時代だよ! みたいな。あと大阪には西成という東京でいうところの山谷のような労務者の町があるんだけど至るところに物売りの屋台があってフツーにCDからダビングしただけのカセットテープとかAVが300円とかで売ってたりとかデタラメな時代だったなあ。今はそういうヘンな物売りも規制でいなくなっちゃったみたい。寂しい時代だよなあ。だってフツーのマクセルのUD1とかに「中村美律子・全曲集」ってマジックで殴り書きしてあるんだよ! 世の中からそういうデタラメなものが全部消えていったんだよなあ、ゼロ年代って。今思えばフィッシュマンズとかサニーデイとかそういうデタラメな90年代の空気を背景にしないと成立しない音楽だったと思うよ。

……最近、サニーデイの音楽を振り返って考えるのは、ネット以前の音楽なんだよなあってことなんですよ。サニーデイ・サービスの曲って携帯があった時代には成立しないような歌ばかりなんですよね。ネットなき時代の個人主義、その中の優しさを歌ったものというか。まだネットがなかったから「心」とか「思い」がギリギリ想像力のトップにあった時代(前掲書)

曽我部さんはマジメな人で、客観的に、ワリと冷静にあの時代を振りかえってますけど、スチャダラのアニはスゴイわ。

BOSE「とくにアニは、みんながうらやましがるような楽しい感じだったよね。朝までゲームやっても誰にも怒られないし、好きなレコードばんばん買って。羽振りもいいし」

アニ「遊ぶのが仕事だったから(笑)」

BOSE「ガチャガチャとか昼間から袋パンパンに持って歩いてて」

渡辺「完全に不審者でしょ(笑)」

BOSE「ガチャガチャを開けるのが仕事。ある意味、子供の夢だよね」(前掲書)

…ああ、オレもそんな、自由な風のように生きたいなあ。イヤ、いい時代だったと思いますよ。タワーで新譜とかチェックしてタワーの本屋行って音楽雑誌とか一気に立ち読みして、レコ屋巡って古本屋巡って、カレー食ってビール飲みながら買ってきた本とかパラパラ読んでるうちに日が暮れてきて……いい時代だったなあ。若かったし。曽我部さんの歌にもこんなのがあった。

 昼真っからレコード屋 新入荷からチェックして ふと気付くと隣には長い髪の女の子 ああ急に僕は吸い込まれそうになったのさ(曽我部恵一「3つの部屋」

どうでもいい感じがなんともいえませんなあ」

司会者「まあ、このような90年代のデタラメ感を背景に小沢さんの音楽は受容されていった、と。そろそろ小沢さんの音楽の話の続きを」

kenzee「小沢さんの体内ビート感覚がどういうものであったか。90年代の後半、小沢さんはオリーブにドゥーワチャライクという連載をもっていた。「これからはホクロのことをラブリーと呼ぶ」とか「仔猫ちゃんがドウタラ」といった寝言ポエムばかりが続く連載で、私は発売日になるといきつけのローソンにて漫画ゴラクなどとともにチェックしていたのだ」

司会者「チェックしてたのかよ!」

kenzee「女性誌のコーナーにあるのでこう、ルーズソックスの女子高生とかに挟まれながら。ある日、いつものようにオリーブ立ち読みしているとチラチラこちらを見る女が。「ウゼーなトウの立った元オリーブ少女かァ。オレが小沢の連載読み終わるまで待てよな~とか思ってみたら高校の同級生だったのだ。「ケンジくんなにしてるの?」(訳:なんで二十歳過ぎてローソンでオリーブ立ち読みしてんの?)ああ、90年代はホントに恥ずかしい思い出がいっぱい」

司会者「話をすすめろよ!」

kenzee「その連載のなかで一回だけ毛色の違うマジメな回があった。

 ……二人といえばフリッパーズ・ギターの話もしよう。二人でなんとなく決まっていたのはリードボーカルは小山田が歌う。歌詞とかタイトルは僕が作る。そのくらいのことで、あとは混然としていた。二人の共同の名前でクレジットしたが、作曲では、僕が一人でしたのは「フレンズ・アゲイン」「恋とマシンガン」「カメラ!カメラ!カメラ!」「全ての言葉はさようなら」小山田一人なのが「ヘアカット100」「偶然のナイフ・エッジ・カレス」「ビッグ・バンド・ビンゴ」「午前3時のオプ」「ラテンでレッツ・ラブ」あと、「ラブ・トレイン」「パパ・ボーイ」ってのもあった。(中略)で、二人でいれば混然としていられるのだが、人目にさらされるとそうはいかない。二人っていうくらい、微妙な関係はない。それは他の誰かが「あいつこう言ってたよ」というだけで余裕でグラつく関係じゃないかと思う。そして二人でいる人たちにすかさず貼られるレッテルー「仲が悪い」。オーケー。世の中のすべての二人組を代表して言っておこう。「お前らに言われる筋合いはない」以上。(小沢健二、オリーブ連載「Doowachalike」75回 無色の混沌)

司会者「小沢さんて、素で文章書くと、村上春樹調になるんですね!」

kenzee「この回の不思議なところは、このころの小沢はフリッパーズの話はタブーだったのだ。なにしろ雑誌で自分の記事を載せる際、「フリッパーズ・ギター」という名称を使うことを禁じたほどだ。「ロリポップソニック改名バンド」などと苦肉の表現が見られたのもこのころだ。そんなフリッパーズの話を自発的に、それもオフィシャルには明記されていない、作曲のクレジットを明かすとはどういうことか?(フリッパーズの作曲者はセカンド以降二人のイニシャルをとってDouble Knockout Corporation名義となっている)」

司会者「小沢さんも人の子ってことじゃないですか? そういう話をしたくなるときもあったんでしょう」

kenzee「たったこれだけの記述だが、音楽家小沢を考える上で重要な示唆が含まれている。つまり「恋とマシンガン」「カメラ!カメラ!カメラ!」は小沢曲なんでしょう? あと、なんのインタビューだったか忘れたけど「Groove Tube」のネタのセッソマットをすみやで購入したのが小沢で、アレの骨組み作ったのも小沢ってどっかで読んだ。つまりだ、恋マシは4ビートのスイングジャズでしょ? カメラカメラは8ビートのギターポップでしょ? Groove Tubeは16ビートのファンクなのですよ! つまり、フリッパーズ時代から4と8と16がこの人の中では同居していたのだ。小沢さんが8と16をどのように解釈していたのかわかりやすい事例がある。フリッパーズのファーストに収められた小沢曲、「Boys,Fire The Tricot」は8ビートなのだがライブバージョンは16ビートにリアレンジされているのだ。前回、「ラブリー」は来るべき98年以降の感覚を予見していたと書いた。小沢はいち早く16ビートが席巻する時代を読んでいたのだ」

司会者「まて、小山田曲のビッグ・バンド・ビンゴも16ですよ!」

kenzee「小山田は8と16が同居する作家なんですよ。それはコーネリアスのファースト「The First Question Award」を考えればわかる。「太陽は僕の敵」が8ビート。「What You Want」が8ビート。「Silent Snow Stream」が16ビート。「Bad Moon Rising」が16。「Cannabis」が8。「Raise Your Hand Together」が16。「Back Door To Heaven」が16。キューピーマヨネーズの曲が8。「Love Parade」が8。「Moonlight Story」が8だ」

司会者「意味ある? それ勘定して」

kenzee「ゼロ年代以降、コーネリアスの音楽は複雑なポリリズムやポリループを駆使するようになるが、基本、8ビートでものを考えているようだ。日本人のよくあるタイプのビート感覚の持ち主だろう。でも、4って感覚はないんだよね。小沢は4,8,16が同時にいるのだ。小沢の恐ろしいところはそのとき、一番流行ってないビートの曲をぶつけてヒットさせてしまうところにある。たとえば恋とマシンガンは4ビートジャズだが周知の通り、この曲が発表されたのはバンドブーム華やかなりし90年だ。(つまり8ビートの時代)国内のどこを探しても4ビートの歌謡曲などない時代だ。今もないけどね。そんな曲で恋~は結局10万枚のヒットとなる。また、「今夜はブギーバック」にしてもまだ国内に16ビートのメロウファンクが歌謡曲として受け入れられる素地のない時代に当ててしまう。「ラブリー」にしても当時のメインストリームのビートではない。そしていよいよヒップホップ、R&Bの台頭で国内の歌謡シーンも16ビートが席巻する98年に小沢は「ある光」というコテコテの8ビート曲を放つ。この、常にハズす感覚っていうのはわざとなのかね」

司会者「ハズすのは簡単ですが、それで売れるのはスゴイことですよ」

kenzee「ソロになって以降も小沢さんは状況に対して批評的な作家だったと思うんだよね。「LIFE」も今聴くとわざとらしいくらい初期モータウンかマッスルショールズかっていうくらいレイドバックした70年代南部の音像なんだよね。当然、当時のトレンドであったコムロサウンドなどへの批評ではなかったかと思う。だって小沢って結構シンセの音とか好きな人なのに、96年くらいまで封印しちゃうしね。やっぱり見せ方、見え方を以上に気にする人なのだ。それは曲作りにも表れている。上記のドゥーワチャの記述にてどの曲が誰の手によるものか明かされているわけだが、そこから二人の作曲家としての個性も見えてくる」

司会者「じゃあ、次はそれですね」

kenzee「ボ・ガンボスの小説も読まなきゃだしなあ。忙しいなあ」

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コメント

音楽状況の変化といえば、年末クイック・ジャパンに載ってたカーネーション直枝×曽我部の対談、涙ナシでは読めませんでした。ドゥワチャライク単行本にならんのかな。

投稿: ボ・ガンボスの小説書いた人 | 2010年3月15日 (月) 19時04分

それは読んでないわあ。ところで例の本にはユニバーサルインベーダーとアジールチンドンとイデオロギークッキングがとりあげられています。あと、ゴマの世界だな。豊かな時代だったです。あと小西さんが小室の本読んで感激したとか。

投稿: kenzee | 2010年3月16日 (火) 22時07分

三木道三が好きです、今から結婚しようと思うんですけどもう遅いでしょうか?

投稿: | 2010年3月16日 (火) 23時00分

三木道三は生駒山上の山頂から颯爽と参上したおなじ生駒市民ですが結婚はムリじゃないでしょうか

投稿: kenzee | 2010年3月17日 (水) 21時17分

小沢がドゥワチャライクでパーフリの話をしてたのは、連載最終回だったからだよ。

投稿: | 2010年5月11日 (火) 20時04分

ここで問題になってるのは文脈(人間とは混沌であり切り分けることなどナンセンス)と無関係に作曲者クレジットの話がでてくるというとこです。二人って関係はムズいよね、たとえばフリッパーズてのも二人組でさあ、という話の流れは最終回だしナルホド、である。だが、オフィシャルに公開されていない「フリッパーズ作曲者クレジット」を小沢の独断で明かす、という行為は後にも先にもこのドゥーワチャ最終回だけだ。しかもこの時期、小沢さんはフリッパーズの話をタブー視していたほどなのにだ。たぶん、話の流れでツルッとでてしまったんだろう。この人はそういうところがある。だが、フリッパーズのシングル曲のほとんどが小沢曲だと我々はこのとき初めて知ったのである。それは衝撃の告白だったのだ。

投稿: kenzee | 2010年5月12日 (水) 00時11分

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