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いつもありがとうございます!(コント再開と90年ごろの話)

kenzee「今回の一件でひとつ、わかったことがある」

司会者「枡野浩一さんがとてもいい人だということがわかりましたね」

kenzee「「いい人」っていうのもなんかエラそうだな。とても誠実な方ですよね。この一連の流れでその人柄が伝わってきます」

司会者「読んだ人はわかると思いますよ。こんな丁寧にね」

kenzee「ウチみたいなワケのワカランもんにね。私にとってもいい経験だったと思います。やっぱり枡野さんにとって創作とか文章を書くって単純に「仕事」ってことじゃなくて、こう呼吸とかに近いっていうかね。生活にすごく近いんだと思うんですよ。そして気になることをそのままにしておけない人なんだろう」

司会者「それにひきかえウチときたらほったらかしにしてること山積みですワ。kenzee賞はほったらかし、ボ・ガンボスの小説もほったらかし。小沢の話も途中になってるし」

kenzee「でね、小沢健二の話ですけど、

《フリッパーズ・ギターすら彼の「企画」だった。》って、フリッパーズ・ギター時代から知っている人なら思いつかない「独自すぎるSFのような解釈」だと思います。
まあ、「事実」よりも「面白さ」重視なのでしょうね。(枡野浩一氏公式サイト枡野書店【随時追記あり】土俵に立つということ)

 なんか、ボクが「企画」とか「代理店」とか言うと枡野さんはいっつも拒否反応を示すのだけど、なにがヘンなのかな。フリッパーズが小沢さんの企画だっていう話は別にボクが怪電波キャッチしたわけじゃなくて小沢さん自身の発言をもとにそう解釈したんだけど。みなさんご存知のようにフリッパーズギターは89年にデビューしたんだけどデビュー直後に小山田さん交通事故で入院しちゃったんですよ。そこで「バンド体制」としてのフリッパーズは一度、終わってるんですわ。

 小山田が交通事故で寝てるときにはほんと「やめよう」と思ってて。だけどそれと同時に、もしやるんだったら日本語で-そういう風にどんどんきめちゃうのが、たぶんほかの人には気にくわないんだよ。やるんだったら日本語でこんなふうにしてとか、もう「ソウルだ!」とか言い出してるしさ。ヘンなサントラを買うのに凝ったりして、ヘンなほうを勝手に切り開いて、もともとのテクノな感じなんかもうまったく無視して突き進むわけですよ。(中略)そんな調子だから、もう英語でちゃんちゃらなんていうのはヤで、もう丸裸な日本語の歌詞で「俺の魂を見せてやる!」なんて思って、もう勝手に書き始めてて。そうやって暴走してたの。だから、一緒にバンドをやってた人にはほんとに悪かったと思うよ。で、小山田はほんとによく付き合ってくれたと思う。(笑)だって、もうほんと超勝手で」(Rockin' on Japan1994年4月号小沢健二2万字インタビュー)

 普通に考えますと、この小山田入院時でバンドが取る選択肢は限られます。まず、「解散」。なにしろメインヴォーカルがダウンしたのだから順当に考えれば解散という結論がでてもおかしくない。もうひとつはメインライターの二人以外の欠員(ドラム、ベース、キーボード)を補充して再開という選択肢もあるだろう」

司会者「周囲の大人は後者を選ぶでしょうね。経費かけてレコードだした矢先に解散ではレコード会社はたまったものじゃありません」

kenzee「デビュー時のフリッパーズの売りは「(バンド編成の)ネオアコサウンド」「全曲英詞」の2点だ。もしバンドを存続するならこの路線は踏襲しようと、普通の大人なら判断する。バンドの急激な路線変更は大概コケるからだ。だが、彼らは思いきった改革に踏み切った。それは「パーマネントなバンド編成ではなく、スタイルカウンシルのように(作家チーム+ギター)だけは固定メンバーであとは積極的にスタジオミュージシャンを起用し、あらゆるジャンルにフレキシブルに対応するという変則的な編成に切り替えた。そして彼らは2ndアルバムは全曲日本語詞でいくと決断した。これはもはや別バンドといってもいいくらいの大改革だ。ブルーハーツとクロマニヨンズの違いどころの騒ぎではない。そして上記の小沢の発言に従えばこの改革はプロデューサー吉田仁氏の意図でもなければエグゼブティブ・プロデューサー牧村憲一氏の判断でもなく、小沢健二が判断し、「暴走」したのだという。小山田はよくつきあってくれたと回想している。もちろん、小沢健二から見た小沢史観に基づくフリッパーズ史かもしれない。別の人間の目からみればもっと違う歴史が浮かび上がってくるかもしれない。だが、20年もの時を経て、外部の人間である私は残された資料に基づいて判断するしかない。第二期フリッパーズは小沢の「企画」でスタートした、と考えてよいのではないか。これはデビューアルバムについても同様のことが言える。

 いや、だから僕が勉強してるあいだに小山田が「いやあ、なんかヘンな人から電話がかかってきちゃってバンドやんだよ」って言ってピーウィー60’sっていうバンド始めるんだけど、テクノっぽいB-52'sとかそういうのと、その頃に僕らはバンド・オブ・ホリージョイも好きだったんだけど、そういうのをミックスさせたようなちょっとテクノっぽいのをやってたりして。で、「受験終わったら、おまえ入ってよ」って言うんで、入ったの。(中略)乱入ってつもりはなくてお手伝いしますよって気持ちなんだけど。フリッパーズでレコード出すってなったら、僕がむちゃくちゃ複雑なコードに変えちゃうわ、けっこう話題をつくるような歌詞は書くわ、まあ、あんな英語のくだらない歌詞なんか忘れたけど。ていうと泣く人がいるんだよね」(前掲書)

昔はブツ自体が入手困難だったロリポップ・ソニックの音源だが、今は簡単にYou Tubeで聴くことができる。で、実際聴いてみるとビックリするぐらい単純なポップソングなのだ。

  Lollipop Sonic音源「I Would Want To)Go!」

司会者「なんというチープさ! 簡素なリズムマシンにシンセとオルガン。明らかにラジカセ一発録り」

kenzee「他の曲も大体こんな感じなんだけど、これらのなんの変哲もない曲ををファーストのあの、バートバカラックがヒネくれたかのような「洗練」を施したのは(つまり複雑なコード)、小沢の発言によれば、彼自身だという。そして複雑に韻を踏んだあの英語詞ももちろん小沢の手によるものだ。タラレバ話だが、小沢にこのような明確な企画意図がなければ初期フリッパーズサウンドはもっとニューウェイブ、テクノポップ寄りのサロンミュージックみたいな音楽になっていたのではないか。当時のプロデューサーでサロンミュージックの吉田仁氏は彼らの出世作「恋とマシンガン」をこう評価している。

 吉田仁「当時のメジャーシーンでは毛色の変わったバンドとして扱われていました。そういう風潮に対して彼らは売れて、「一発食らわせたかった」のではないかと思います。「恋とマシンガン」は彼らのパンキッシュな姿勢が出ている曲だと思います」(ORICON STYLE「伝説のフリッパーズギターの真実!」2006年8月9日配信)

 いうまでもなく「恋とマシンガン」の作者は小沢さんなのだ。そしてUKインディーポップ一筋の彼らに60年代ポップという教養を与えたのは元シュガーベイブのマネージャーでもある牧村憲一氏だろう。牧村氏のポップスの教養は主に大滝詠一氏、山下達郎氏との仕事の中で吸収していったものだ。牧村氏のインタビューをひもといてみよう。

 コマーシャル仕事を通じて、山下君と出会います。山下君に会えたことからまた新たな出会いが起こるのです。僕には誇れる才能があります。それはまず、人に出会える才能。出会った人たちが持っている技術や知識、それぞれの極めたすごい技術や知識に触れて、影響される才能。(中略)大滝さんや山下君と会う前は、ビーチ・ボーイズの全レコードを聴こうなんて思いもしないし、ひょっとすると「サーフィンUSA」一曲で終わりだったなんてね。フィフス・アベニューバンドなんて知らないよって。たくさんの知識と技術を、夢を教えてもらいました。そういう蓄積が30代になってプロデューサーになろうとしたとき、たいへん役に立ちました。(「外伝インタビュー10 牧村憲一さんPart.2 TATSURO MANIA No.67 2008 Autumn)

司会者「その蓄積が生かされたのがフリッパーズギターだったのですね」

 kenzee「そうだね。牧村さんはフィフス・アベニューバンドを大滝さんや山下さんを通じて知ったようだ。で、牧村さんがフリッパーズに伝えていったのだろう。フリッパーズ唯一のレギュラーFM番組「マーシャンズ・ゴー・ホーム」にてフィフス・アベニューバンドの「One Way or The Other」がかかったのを覚えている。フリッパーズネタ、特に小山田曲で欠かすことができないのがRoger Nichols&The Small Circle of Friendsだが、どうも大瀧→牧村→フリッパーズと受け継がれていったようだ。

 あの幻の名番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でこの素晴らしいグループをはじめてぼくの耳に届けてくださった大瀧詠一氏のようにポップスのすべてを知り尽くした大先輩による詳細な「スモールサークルオブフレンズ物語」を読ませていただく側にまわりたい(「これは恋ではない 小西康陽のコラム1984~1996」幻冬舎)

あの、「Don't Take Your Time」もまた大瀧→牧村→フリッパーズと語り継がれたのか。かくしてスタカンのようなフレキシブルな体制に60年代ポップスの教養、そして得意のネオアコという要素が見事にミックスされたフリッパーズ・ギター2ndアルバム「カメラ・トーク」が制作された。だが、「カメラ・トーク」の完成形を誰より早く、イメージしていたのは(小沢の発言によれば)小沢健二であり、第二期フリッパーズが小沢の個人的なイデアから出発したもの、「企画」だったという言い方は可能だろう」

司会者「なんかオカシなこと言ってましたかね。もしかして枡野さんはロッキング・オン社の刊行物に資料価値を認めておられないのかもしれない。そうであればSF扱いされてもしかたないですが」

kenzee「まあウチらも太田出版の本とかあんまり引用したくないとかあるからね。別に理由はないけど。それに私が小沢さんを「代理店」ウンヌン言うのが古いというのはわかる。で、本人も当時からそういう見られ方をイヤがっていたというのはわかってるのね。

小室哲哉「僕は(小沢健二の音楽活動には)もっと戦略があるのかと思ってました」

小沢「それは東大生にたいする誤解ですよ。東大生ロクなのいませんよ。なんかヘンな宗教とかはいりますよ。僕はいいですよ。僕は努力家ですよ」(フジテレビ「TK MUSIC CLAMP」ゲスト小沢健二 1995年5月17日オンエア)

それまで和気藹々と語り合っていた小沢だが小室氏の口から「戦略」という言葉がでたとたん、先回りして猛然と否定するのだ。.

 すごい自信みたいだけど、でもそれだけの努力を僕はしてるから。僕はちゃらけたふうにはやってないから。時間や体力をすり減らすもの。誰より一生懸命やってるもの。「LIFE」とかは実際のレコーディング時間はすごい短いんだけど、だけどそれに見合うだけのことはやっぱりやってるんですね。努力とかしない作品って、好きとか嫌いとか以前に問題にならないって感じ。(中略)天才でも一生懸命やらなくちゃ話になんなくて。そこでズルはちょっとはしてると思うけど、でもそれを埋め合わせるくらいの努力の部分もめちゃくちゃでかいもの。100倍くらい。最初になんでやろうと思ったとか、どういうものを作ろうと思ったとかっていう時点で努力とかは何にも関係ない世界なんだけど、それをあとで自分が聞いてもいい感じのものにするためには、あたりまえだけど、努力しないとね。(Olive連載DOOWUTCHYALiKE「連載15 独占インタビュー この男はなぜ連載を落とすのか」マガジンハウス)

とにかく当時の小沢さんは「戦略的」とか「計算ずくなんでしょ?」などの言葉に猛然と反発するのだ。上記の発言などオリーブ版矢沢永吉といっても過言ではない」

司会者「最後に「ヨロシク!」って言ってないのが不思議なくらい矢沢な小沢ですね」

kenzee「枡野さんも小沢氏同様そういう見方がイヤなのだろう。でもイヤもオウもなくてそう見えるものはしょうがないって話ですよ。そう見えるものに古いも新しいもないですから。「小沢の音楽活動は戦略などではない。あれが魂の叫びであり、私小説の言葉なのだ」っていうのは試論としては面白いと思うけどホントにそういう人だったらもっと「歌手人生」みたいな方向へ歩んでいっただろうと思いますよ」

司会者「代理店小沢の立場としても「戦略的」とか言われるのはネガティブイメージなわけで必死で否定しなきゃいけなくなるという」

kenzee「東大とか関係ないんだ。「小沢健二」は不断の努力によって築かれたのだ。素朴なキャラなんだ、というイメージが先に念頭にあったのだろう。95、6年ごろは。そしてイメージ管理も度を越すと破綻するよね、と現在の小沢さんは公式サイト「ひふみよ」で述べている(タイガーウッズの話)。当時の小沢さんが自己イメージと世間のイメージとのギャップに苦悩していた痕がうかがわれる。あの小室さんの番組のやりとりで面白いのは小室さんはデビュー当時から「戦略的なバンド、TMネットワーク」というイメージを打ち出していて実際、その通りだったんですよ。小室さんにとって「戦略的」はたぶん、ホメ言葉の感覚だったのだろうけど、小沢さんは猛然と否定するんだよね」

司会者「「アーティストイメージ」の想像力のターニングポイントがここにあったのかも」

kenzee「だが「イメージ」をスゴイ気にするワリにいまひとつ効果があがらないという点で二人はよく似ている。このオンエアの3年後に椎名林檎というイメージ操作の天才が現れ、我々は度肝を抜かれることになる。椎名以降のミュージシャンの「イメージの想像力」がとても複雑になったことを考えれば95年当時の二人の抱いていた「自己イメージ」などマンガのようなものだったと思う。現在の視点から見れば」

司会者「このようにして我々はナゼか小沢健二の「人」について考えざるをえなくなる、と」

kenzee「動けば沈むよまるでアリ地獄」とはこのことだったか。結局、言いたいことは「枡野さんはとてもいい人だ」ということだね」

司会者「とても誠実な方だと思います」

kenzee「そんなわけでいつも読んでくださってどうもありがとうございます!」

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コメント

イメージとか戦略というとロックじゃねえパッションじゃねえみたいなのがあるかも知れませんが、コンセプチュアルと捉えるといいのでは。
彼らはDouble Knockout Corporationという名義に対しても色々とコンセプトを語ってましたから、元々そういうのを考えるのが好きなんだと思います。
そういえばコーネリアスも最初はなんか自己設定してましたね。
猿の惑星からやって来たとか何とか、セカンドアルバムが完全にそんな感じで。
最近の例で言えばTommy february6でしょうか。裏の人格Tommy heavenly6を出して、互いの存在に気付いたらケンカしたけど最後は仲直り
→ブリグリ活動再開とかどこまで自覚的かわからないけど上手いなぁと思いました。
ただこの二者はあくまで趣味的なものをコンセプトに持ってきただけでしたが。

投稿: 紅 | 2010年5月 8日 (土) 00時18分

まあ、もうサンザン日本の音楽雑誌の悪口言ったんで、ボクもう終了だと思うんですけど。終了ついでに言っとくと日本の音楽ライターの人って楽器できない人とか多いですよね。ボク子供の頃にガッチリピアノとか習わされたクチなんでそういうのがよく見えるんですワ。(モチロン中にはバリバリ楽器とか機材わかってるライターさんもいますよ高橋健太郎さんとか)でね、楽器知らない、楽理わからないとなったらもう、あと「人」の話するしかないですもんね。楽器知ってたほうがインタビューとかしやすいと思うんですよ。なにしろ相手は楽器プレイヤーなんだから「この曲、オープンチューニングですね、珍しいじゃない」とか振ったほうが「イヤー最近ストーンズにハマッてて」とか絶対いい返し返ってくるはずなんですよ。楽器のことなにも知らなかったらソリャ、「この曲は混迷のゼロ年代への鎮魂のメッセージですね」とか「この経験を経て、この歌詞が生まれたんですね」みたいな方向しかなくなりますわな。ミュージシャンはみんな自己研鑽して勉強してるんだからライターの人もバイエルくらい習いに行ったらいいのに。とか言ったらまた怒られるかな。小沢さんてギターのコードの押さえ方にスゴイ特徴あるんだけど誰も指摘しないよね。いいとものテレフォンショッキングの映像がYou Tubeに上がってるんですけど「指さえも」とか「ラブリー」とか弾き語りで歌うんですよ。で、「指さえも」とかハイコードで変わった押さえ方なんですよ。アレ、たぶんジャズの押さえ方なんだろうなあ。「ラブリー」も単純なE-A-B7みたいな世界なんだけどローコードでジャーンって弾くんじゃなくて全部ハイコードで弾くんですよ。で、ベースがちゃんと5度でブンチャ、ブンチャと動く。それを弾きながら歌う。ワリと芸が細かい。タモリなんかそういう細かさに気付く人だから(しかも昔ジャズやってた人だから)感心してたですよ。で、小沢さんてソロでデビューした当初はワリとロックっぽくジャンジャカ弾くタイプだったんですね。それがジャズにのめりこんでコードも押さえ方からアンサンブルの考え方から変わっていったんだと思うんですよ。同じAでもローコードでジャーンといくのと5フレットの高いところで押さえるのでは響きが全然違うし、大きな変化ですよ。でも誰もそういうことは指摘しない。そういうジャズの真髄みたいなのを見つめながら同時に「buddy」のようなヒップホップビートもやってしまう。そういう相反するものを同時にやって平気っていうのが小沢さんの個性だと思うんだけど。もしかしたらそれがある種の「国公立出身」らしさなのかもしれない(ここまで考察して初めて「東大」って言葉だしてもいいと思うのですよ)。そういうことを自分で研究したり自分の頭で考えたりってことをしない人が多すぎる。とにかく小沢さんに会って直接話聞けばいいみたいに考えてるヤツが多すぎる。ニューヨークまで追いかけていってつけまわして逆ギレされるヤツまでいる。自分の頭で考えて原稿書けばいいだけの話だと思うんですよ。だってあんなにたくさんCDだしてて、映像はネットで観れるし、昔のインタビューは国会図書館とか行けば読めるわけじゃないですか。あんな気難しい人に直接聞く話なんてないですよ。充分ですよ。もうこれからは「好きなアーティストに会えるから」とか「タダでライブに行けるから」みたいな理由でライターやってる人はどんどん淘汰される時代がくると思う。そしてkindleとかiPadみたいな電子出版が普及したら「プロのライターよりそこらの大学生の音楽評論のほうが面白い」みたいなことがフツーに起こってくると思う。冗談抜きで。事実、ミュージシャンサイドのほうはすでにそういう状況になっちゃってるわけじゃないですか。My Spaceにプロもアマもないじゃないですか。そういうことですよ。たとえばボク、初音ミクってソフトのこと全然よくわかってないんですよ。でも今、商業原稿書く人間が初音ミクわかってないって致命的だろって自分で思うのですよ。なんか、ボクの言いたいことってそういうことなんですよ。

投稿: kenzee | 2010年5月 9日 (日) 00時57分

お返事ありがとうございました。
オザケン氏もひふみよにて、凝ったこと考えてた割に音に関してあんまり話した覚えがないと書いてますね。
彼の戦略性についての考察はたとえばトラットリアは彼も(が)やるはずだったとか、
パーフリ解散後は独立して自分の音源の版権管理を自分のとこでやってるとか(だから東芝が勝手にベストを出せない)、
幻になったスチャダラ再参加の4thアルバムとか、
そんな事実から考えていけそうです。

それにしても枡野さんの記事で、

>小沢健二さんに直に取材していた方、
>小沢健二さん以外のフリッパーズ・ギター関係者と
>交流のあった方など、
>「フリッパーズ・ギター研究家」が知人に複数います。
>http://〜
>彼らが、
>あなたの記事をどんな気持ちで読むのか……、
>想像するだけで胃が痛くなってきました。

というところが大変気になりました。
これって遠回しのおどしになっているのでは…。
ものを書くひとがこういう感情論で語ってよいものですかね。
ブログだから自由かもしれませんけど。

投稿: 紅 | 2010年5月 9日 (日) 01時37分

私も「胃が痛くなってきました。」びっくりしました。「フリッパーズ・ギター研究家」という肩書きは楽しそうでイイですね。私は中学三年のころ、それでした。

投稿: いまやバンギャルと思われつつある作家 | 2010年5月10日 (月) 13時28分

エ? つーかデビュー作の時点でバンギャル的ななにかの萌芽がそこはかとなくアレしてたじゃないスか! 
「フリッパーズギター研究家」かあ。昔、そんなオリーブ少女の子がいましたワ。アレ、オリーブ少女って喫煙者率高いよね。で、いっぱいCD入れるケースあるじゃないスか。で、その子のアレ見たら黄金の七人のサントラとヴァネッサ・パラディと長渕剛の「JAPAN」ていうアルバムと大江千里のベスト(スラッピージョーとかいう)が入ってたんだよなあ。お前、ナニーブよ!みたいな。つまり、今もっともらしく語られるオリーブ伝説って実際はそんなんですよ。「小沢ってさあ」とか言いながら。でもあの長渕、結構名盤だったんだよなあ。ブルーススプリングスティーンのバックの人とか参加してて。LA録音みたいな。あ、長渕聴きたくなってきなあ。長渕、ツタヤ行ってもいっぱいベストとかあってなにから聴いていいのかワカンナイ。ブックオフとか行くと必ず長渕ライブDVDとか3枚ぐらいあるじゃないスか。今度買ってみようかな。あと、ブックオフって絶対ラブ・タンバリンズのCDありますよね。そうだ、ボク、ラブ・タンバリンズ研究家になろう! 

投稿: kenzee a.k.a.ラブ・タンバリンズ研究家 | 2010年5月10日 (月) 22時25分

で、紅さんですね。

>はたとえばトラットリアは彼も(が)やるはずだったとか

ボクは小沢さんがレーベルやるとかいう話は聞いたことないなあ。やっぱりあの人はハックフィンであってね、兄貴じゃないからしないですよ。で、小山田さんは80年代イギリスの3大レーベルっていってポール・ウェラーのレスポンド、トット・テイラーのコンパクト・オーガニゼーション、マイク・オールウェイのエル。コレ通ってないヤツはニセ者!ってトラットリア立ち上げたときに言ってましたですよ。今思えば全部商業的には失敗したレーベルじゃん!って。クリエイションとか挙げないトコが小山田さんらしかったな。

>パーフリ解散後は独立して自分の音源の版権管理を自分のとこでやってるとか(だから東芝が勝手にベストを出せない)、

解散後にベストやらライブ盤やらボコボコ出されたからね。ベストはヒドかったけどライブ盤「on pleasure bent」はポリスターGJだったですよ。本人はたまったもんじゃないだろうが。

>想像するだけで胃が痛くなってきました。

なんか具合が悪くなったんじゃないスか。

今回のツアー、ボーズには真っ先に電話したらしいですね。ボーズ「エ!?小沢くん? あの小沢くん?」みたいな。スチャダラはズーッと現役ですよね。すごいな。ヒップホップを取り巻く環境があんだけ激変してもビクともしなかったというのがね。


投稿: kenzee | 2010年5月10日 (月) 22時54分

fab gearリリース時のインタビューで二人が立てている計画のことを話してて、
オザケン氏も楽しみにしてて下さいとか語ってたんですが、
トラットリアとは別のレーベルだったんでしょうかね?
その辺はよくわかりませんが…。

投稿: 紅 | 2010年5月11日 (火) 04時36分

あーそうかフリッパーズ主催のレーベルっていう計画はあったのかもしれないですね。fab gearって完全にエルの世界で。たぶんLondon Pavillionとかそういうエルのコンピレーションのイメージだったと思うんです。トラットリアってfab gearの延長線上の企画だったのかな。トラットリアの命名もマイク・オールウェイだし。小野島大さんが当時、上手いこと言っててですね、ファーストはチェリーレッドでセカンドがエルでサードがクリエイションだった、と。エルって要するに「貧乏くさいゴージャス」みたいなことでフリッパーズって「貧乏くさく」なかったという点でエルになりきれなかったんですよ。「ラブ・トレイン」のシングルでクリエイション的な世界へ向かっていった時点で急速にレーベルとかプロデューサーみたいなことに興味を失っていったんじゃないかな小沢さんは。「スライド」「ラブ・トレイン」が分岐点だったと思います。「スライド」って完全にエル的世界でフリッパーズ版エルの最高峰だと思う。そもそもネタがルイ・フィリップの「From Season to Season」だし。「スライド」ってたぶん小沢曲じゃないかと思うんですよ。あの作りこみは。「ラブ・トレイン」は完全に小山田さんの趣味かなと思う。まあもしレーベルやるならフリッパーズとしてやりたかったんじゃないかな。「on pleasure bent」の初回プレスには間違ってトラットリアのロゴが入ってたんですよ。要するにメーカーも「ナニ、レーベルって。ウマイの?」ぐらいの感覚だったということですね。混沌としてたんですね。

投稿: kenzee | 2010年5月11日 (火) 23時23分

そうなんですよ、確かオザケン氏がマイクオールウェイと楽しげにお話してて。
カラーミーポップと続カラーミーポップ(on pleasure bent)がリリース時はトラットリアmenuの1と2で、後になかったことにされましたね。

投稿: 紅 | 2010年5月12日 (水) 00時57分

ハッ、デビュー作は、そういえば、追っかけの話でした。
むかし「たま」のライヴで知久さんがチューニング中にとつぜん「ドキドキ、ハートはキドキド」と鼻唄をうたいだしたことがありまして。アンケートで「ファブギアですね?」と突っ込みを入れたら、FC会報で「あの曲好きでした。」と答えてくださったことがあります。ウフフ、ちょっぴり自慢。

投稿: いまやバンギャルと思われつつある作家 | 2010年5月12日 (水) 12時58分

ア! カラーミーポップもトラットリア扱いだったか! アレとsinglesとかいうテキトーなベスト盤結局買わずじまいなのだった。

投稿: kenzee | 2010年5月14日 (金) 00時23分

ハ! 今気づいたけどFancy Face Groovy Nameって名前すごい固い韻踏んでますよね。小沢ライマー。たま高感度だわ。あの曲たまっぽいもん。オモチャみたいな曲。たまとさくらももこは高感度。

投稿: kenzee | 2010年5月14日 (金) 00時30分

「カラー・ミー・ポップ」は「フレンズ・アゲイン」ばっかリピートしてしまいます。英詞曲でいちばん好きです。
そのむかし、ラヴタンのエリーちゃんとカヒミ・カリィ嬢は、「ソウルフルな強い女の子」と「ウィスパーの儚げな女の子」のイメージでエリー&カリィとかいってクルーエルから売り出されてましたが、あれから十五年も経ってみると、エリーよりカヒミのほうが遥かに強い女だったことに、がくぜんとします。カヒミはいまやフレンチロリータというよりナチュラル・オーガニック系ですね。なんかの雑誌で畑仕事やってるグラビアを見ましたが、畑仕事とカヒミだなんて、90年代は絶対結びつかなかった。でも音楽は前衛系のミュージシャンと組んでたりして。年下夫を得て妊婦ヌードは披露するわ(見てないけど)じつに逞しく生き抜いてる印象。

投稿: いまやバンギャルと思われつつある作家 | 2010年5月14日 (金) 13時53分

>エリーよりカヒミのほうが遥かに強い女だったことに、がくぜんとします。

初めからそう見えてましたけど? 見えてなかったほうがびっくり。

投稿: | 2010年5月15日 (土) 22時18分

いや、見えてなかったなあ。いまはナルホドと思うけど、たぶん、若かったからなあ。

投稿: いまやバンギャルと思われつつある作家 | 2010年5月16日 (日) 12時52分

若さは関係ないと思います。
当時、自分も若かったですから。

投稿: | 2010年5月17日 (月) 14時52分

はじめまして!
小沢健二に関する記事、読みました。
小沢のファンです。
これまで読んだ小沢に関する論で一番おもしろく、腑に落ちました。
小沢健二が企画家・戦略家であるということですが、「LIFE」の時期が自作自演の王子様キャラだったことには間違いないと思います。
HEY3の子猫ちゃん発言に象徴されるように、本人はそんな自己演出を楽しんでいたように見えます。
しかし僕は小沢を追っていくにつれ、彼はまず音楽ありきで、それに見合うようにやむなく自らを王子様キャラクターに仕立て上げたのかもしれないと思うようになりました。
小沢を論じるときに「LIFE」とそれに連なるシングル群は「躁期」とよく書かれていますが、
「LIFE」というアルバムを作ることで「無限大がフュッと忍び込んで決定的な魔法をかけて住み着いてしまった」そんな状態に小沢自身がなってしまったようなような気がするのです(同時にそんな時期がやがて終焉するのも歌詞に織り込まれていますが)。

僕がそう感じたのは、「球体」以降のテレビで小沢は、少し挙動不審で、所在なさげだったからです。

「モテる原因っていうのはなんなんですか?」
「いや、恥ずかしくて・・・あ、スタンバイって出てますよ」(FNS歌謡祭)

「好きな女性のタイプは?」
「いや別に・・・あんま・・・なんも」(うたばん)

「東大合格のコツは?」
「ノリっつうか・・・流れっつうか・・・(客席を見て)笑ってるよみんな・・・」(FUN)

文章では伝わりづらいのですが、今なら放送事故じゃないのか、というくらい居心地が悪そうに見えました。
こんな具合に、自らがが作り上げたパブリックイメージに首を絞められているような気がしたのです。
「球体」以降の小沢は「素のキャラでいこう」と確信的に考案したのかもしれません(当時は雑誌でも、TVに衣装で出るのは違うと感じて普段着で出てると発言していましたし)。
しかし、徐々にメディアに違和感を感じて「線路を降りた」ことは間違いがないはずです。
映画の自主上映会のときに小沢はこんなことを話していました。
「カローラのCMを受けるときに、トヨタという会社を根本から考えてみるだけの力は僕にはなかったが『何かがおかしい』という違和感だけはあった」
僕もその上映会には行って、小沢とも言葉を交わしたのですが、ガチで気難しい人でした。
久しぶりにファンと対面した、というようなフレンドリーさはまるでなく、かなり冷たい発表会でした。
もともと音楽を聴いて、小沢への神格化した妄想が膨らんでいたものですから、そのときには少なからず失望を覚えたものです。
そういう意味でも、kenzeeさんの「演奏家と個人を切り離して考える時代だ」という意見は身に沁みますし、小沢は先取りしていたのかもしれませんね。

いちファンとして思ったことを書き綴ってみました。
「ひふみよ」もし行かれるなら、レポ楽しみにしてます!
長々と失礼しました~。

投稿: すぎさく | 2010年6月 1日 (火) 04時24分

続編まだー?

投稿: 読者 | 2010年6月 2日 (水) 05時55分

今、でたトコです!

投稿: kenzee | 2010年6月 2日 (水) 20時45分

元気ですか、「ひふみよ」行きましたか?

私はタイムマシンがあったら見てみたいライヴのナンバーワンがフリッパーズギターとニューエストモデルの対バンなんですけど、あと小沢ソロ→小山田ソロ→ソウルフラワー、と大々的に表紙にしてたころのロキオンジャパンに十代後半異常に感化されましたけど、

今回披露された小沢くんの新曲、一曲もろソウルフラワーみたいで(盆踊り調!)なんかにんまりしてしまいました。日本の大衆音楽に意識的になってきてて・・・しかし私はむちゃくちゃうれしかったんですが、あれとか、島尾敏雄のヤポネシア論と細野さんの「トロピカルダンディ」セルフライナーノーツを思わせた(私には)日本は太平洋の島々の一つ、みたいなMCは、痛快ウキウキ王子様な彼を好きなファンには、いったい、どう受け止められたのでしょう。まあ私はとっても楽しかったです!

投稿: NHKホール初日行った作家 | 2010年6月19日 (土) 15時32分

ああのう……ライブは行ってませんねん。いろいろ漏れ聞くところによるとオザケン感激!(涙)みたいなシーンとか新曲がすごかったという話ですね。…盆踊り調…岡林信康のエンヤトットみたいなことですかね? 大滝のレッツイオンドアゲインていうアプローチも考えられるかな…。ところでいまさら「うさぎ!」を読了いたしました。奈良県立図書館で全コピー! コピー代だけで1500円! ナンダカンダで一時間ぐらいかかりました。たった2台しかないコピー機占領。モノッスゴイ図書館の人に白い目で見られながらテクストゲット。アレ意外と全部読んだ人そんないないと思うんですよ。まあでも1話完結なんで全部読まなくてもいいんですけど。イロイロ考えてしまいました。別に環境問題についてとかじゃなくて。一応ググってみたんですけどネット上にはまともな書評はでてないみたいですね。もちろん文芸誌とかに書評でるわけないし。エッ? ワシ!? みたいな。でも久しぶりに書評ができそう。そういえばウチ書評のブログだったんだよなア。

投稿: kenzee | 2010年6月21日 (月) 20時01分

「うさぎ!」は本になったのがコンサート会場で四千円で売られてたらしいですが、物販の列がスゴすぎてそもそも並ぶのから放棄しちゃって(だめファン)買いませんでした。四千円って・・・
嵐のような拍手がわきおこってる真っ暗闇のなかで「流星ビバップ」から始まるスタート、しびれましたね~。あいだに、「停電になったニューヨークのひと晩の出来事」っていう物語のような朗読が挟まって・・・(みんなネットもケータイもやめてラジオから流れる音楽に聴き入り、「闇のなかで聴く音楽は、雪の上の動物の足跡みたいに、くっきり聴こえた。」というフレーズが印象に残ってます・・・)「ビパップ」再開、それから「ぼくらが旅に出る理由」が始まってもしばらく真っ暗、「ま、まさか、今夜はこのまま真っ暗!?」(←前情報あえてなんも入れず観に行ったもので真剣にそう思いかけた!)
息を詰めてると、サビんとこでいきなりパァーッと電気がつく。
・・・三階席から観た彼は、エンピツのよおに細かったです。・・・いやぁ感極まりました。
犬派の私としては、ゴスペル風「天使たちのシーン」とディスコ風「天気読み」がハイライトだったかな。「カウボーイ疾走」をやんなかったのがざんねんでした。

投稿: NHKホール初日行った作家 | 2010年6月23日 (水) 19時03分

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