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2010年11月 8日 (月)

オレってブロガーちゃんだからやっぱ都内の抜け道完璧じゃん(前回の続き)

kenzee「古市さんのピースボートの本がアマゾン品切れってどゆことコレ!?」

司会者「2480円とかマケプレで付けてる業者ってなんなの?(11月8日時点)」

kenzee「そんなに面白い本かなあ」

司会者「イヤ、面白いから取り上げたんでしょ!」

kenzee「新書の中古なんて普通、定価下回るのが普通なんだけどなあ。ところでライブドアのブログでヘンなのが始まったんですよ

         sweet 90 blues

司会者「コレ、個人のブログじゃなくてライブドアがオフィシャルにやってるブログなんですね」

kenzee「ライブドアのプレスリリースによるとこうだ。

2010年11月5日 ライブドア、90年代カルチャー回顧ブログメディア「sweet 90 blues~懐かしさと恥ずかしさと心強さと~」をオープン。~は21世紀に語り継ぎたい90年代のカユさ・豊かさ・カッコよさをコンセプトに、20年近くが経過して再評価が進む90年代の文化について、その時代に多感な時期を過ごした世代を対象に「たまごっち」や「サザエボン」や「DA・YO・NE」などの「あったあった!」という興奮と懐かしさを共有できる、友達に教えて盛り上がれる話題を提供します。

司会者「ハア、そらそら~」

kenzee「でね、ボクちゃんやっぱ人気ブロガーちゃんじゃないですかあ」

司会者「プワ~(鼻ちょうちんの音)」

kenzee「で、コレ見たら書いてあるコト、全部ネットで検索して調べたようなことばっかなのね。8割ウィキとYou Tubeみたいな。大手ネット企業がオフィシャルでやってるというコトなのだが。鈴木謙介先生も「ネットで調べて一丁あがりみたいな学生のレポートはひとめでわかる」と仰ってましたけど、不思議とわかるもんですね。でね、ボク的に一応ブログ哲学みたいなのもあるワケですよ。良質なブログって「才能」とかそういうことじゃないんですよ。ネット上にない情報を少しでも盛り込めたら価値として認めてくれるのですよ、ネット界って。ワリと単純な足し算の話なのね。「DA・YO・NE」にしてもウィキ情報だけで構成されてる悲しさ? たぶんこの記事書いた人の手元に「DA・YO・NE」のCD無いと思うのよね。因みに私の手元にはブックオフ100円コーナーでゲットしたEAST ENDxYURI「denim-ed souL」があるのですよ。そうするとだね、歌詞のなかの「佐々木って24だよなー、えっ25だよ(ですよねー)」で「25だよ」って言ってるのが今をときめくラジオ界の帝王宇多丸師匠だとか歌詞の共作者はマミーDだとかブラザーコーンが参加してるとかマメ知識拾えると思うのだが」

司会者「ライブドア仕事らしい大雑把なサイトですね」

kenzee「で、あまりに寂しい記事なので私がネットに載っていない「DA・YO・NE」話を披露しよう。例の記事にもあるように「DA・YO・NE」のサンプルネタはジョージ・ベンソン「Turn Your Love Around」なのだが、「DA・YO・NE」が大ヒット中の94年、丁度ジョージ・ベンソンはブルーノートでのライブのため東京にいた。

 彼はマネジャーとタクシーに乗っているときにラジオで流れた「DA・YO・NE」を耳にしたらしい。ベンソンはマネジャーに、日本で何らかの契約が進んでいるかどうかを尋ね、マネジャーはないと答えた。事態は進展し、このシングルの販売元エピック・ソニーはベンソン側に10万ドル(当時の為替で約1500万円)を払うハメになったといわれている。この一件でソニーは解雇者が出たとさえ噂された。(後に他のミュージシャンは、サンプリング使用が明確になっていた場合の通常の使用料の10倍以上だったとしても、この曲のヒットは大きかったため、ソニーにとってそれでも十分な利益になったに違いない、とコメントしていた)。結果として大半のレコード会社は使用するサンプルに対して非常に用心深くなり、アーティストにサンプル元の曲が有名だったり、わかりやすかったりする場合には差し替えを要求するようになったという。(イアン・コンドリー「日本のヒップホップ-文化グローバリゼーションの現場」133頁~134頁・NTT出版)

この事例は後の日本のヒップホップの成長にも有象無象に影響を与えた。いわゆる「さんぴん世代」のトラックが往々にしてDJプレミア風のチョップ(サンプリングしたフレーズをスネア、シンバルの一音一音に至るまで粉々にバラし、再構築する手法)のサウンド一色に染まっていく一因となった。この一件がトラウマとなったのか後のGAKU-MCのソロ曲ではほとんどサンプリング音源は使われず、バンドによる演奏のトラックが増える。2003年発表のEAST END名義のアルバム「Beginning of The Endless」収録の「DAYONE」は当時を回顧するような内容で泣ける」

司会者「そんなマニアックなサイトにするつもりじゃないんだと思いますよ、ライブドアの人も」

kenzee「このぐらい気合入れてもネット界バチ当らないですから。で、承認の共同体の続きなんですけども、本の中で古市さんも言っているように「共同体」という言葉にはコミュニティーとアソシエイションと二通りの意味があるのだがあえて「共同体」で統一している。コミュニティーはとくに目的を持たない生活を維持するための集団、家族がそうだ。そしてアソシエーションとは共通の目的を持った集団、企業がそうですね。と、大きくふたつにわけることができる。でね、連合赤軍事件ってこのふたつの共同体が野合したために起きた悲劇とも考えられるんだ。赤軍って「世界革命」とか「前段階武装蜂起」とか一応なんか目的があるんですよ。その目的の元にワラワラと人が共鳴して集まってくるというイメージ。なので、同じ赤軍派でも山で初めて顔を合わす人もいたという。後の日本の大企業に組織体として似てるのだ。それにひきかえ、革命左派とはわりとコミュミティーな組織だったのだ。彼らは元々山の生活に慣れていて、コミューンのようなノリがあったという。いわゆる「水筒事件」(わからなかったらググろう!)は山に不慣れな森恒夫が山での主導権を手に入れるために革命左派に難癖をつけたのだ。だが、沢づたいに移動すれば水筒はいらないのだった。「自己批判」も元々革命左派の作法で、コミュニティー内で行っている内は反省として機能していたのだろう。だが、連合赤軍となり、アソシエーションとしての組織にその作法が導入された途端、「総括」に変わった。ピースボートにおける「対立」だが、正当な要求を求めた年配グループはそのような事件がなければ共同体の一員だったはずだ。仲間が簡単に敵に認定される極めて脆弱な繋がりは一見、コミュニティーと見えて、コミュニティーになりきれていない、かといってアソシエーションともいえない、グニャグニャな空間だったのだ。山岳ベース同様。ピースボート内において彼ら年配グループの要求は完全に無視される」

司会者「年配グループは「旅」という商品を買った、という感覚なのだと思います。だが、若者たちは「承認」という値段のつけようのないワケのわからないもののために船に乗っていた」

kenzee「もし、彼らの要求が通れば、承認の共同体とは砂上の楼閣だったとバレてしまう。苦労して逃れてきた社会の一部だったんだということになってしまう。だからこそ、つっぱねなくてはならなかったのだ。この母性のディストピアに父親を踏み込ませるわけにはいかないのだ。なにしろ若者グループは論理に論理で対抗していない。彼らの生活空間に「言葉」が存在しない。LIFEでも古市さんが発言してたが彼らの「マンガは字が多いから読まない」というのは悪い冗談のようにみえて本当なのだろう。それではビューティフル・ドリーマーの作者、押井守はディストピアを取り巻く言葉をどう考えているか。

押井守「「レッド」にでてくる若者たちは、言葉で自分自身を追い込み、自分も破滅し、他人も破滅させていく。そういう世界が今の日本にまったく無縁だと本当にいいきれるのか。劇中の彼らと同世代の、今の20歳前後の読者が「レッド」を読んでどう思うのか。まるっきり別世界の話だと思うのか、気になります。

山本直樹「ボクは人間である限り、「レッド」で描いてるようなことはまた起こるような気がするんです」

押井「ただ、言葉で人が人を追い詰める以上に、言葉で救われる部分もある。今の若い世代って、言葉にものすごく冷淡だよね。言葉になにも期待してないという態度が目に付いて仕方がない。僕らの世代はなんだかんだいって言葉を信じる世代だと思う。言葉以外に救いがないということも、どこかで信じている。(山本直樹「レッド1969~1972第二巻・巻末対談」講談社)

kenzee「それは若い人が悪いというより、今は言葉の数も種類も多すぎるっていう問題のような気がする。でも言葉を持っていなくても「敵」らしきものが現れたときに「排除しよう」という感情は立ち表れるわけだよね。それはやっぱり暴力だし、山本直樹さんの言う通りだと思うんですよ。でも若い人は感覚が鋭敏なので、意味のある言葉にはワっと飛びつくじゃないですか。浜崎あゆみがそうですよね。浜崎が登場したとき、我々オッサンは全然注意を払ってなかったわけだけど若い子はその辺の歌謡曲と浜崎の言葉は違う、と見分けたわけでしょ?」

司会者「なんか、いっぺんにいろんなこと考えてるぞ。整理したほうがいいです」

kenzee「承認・共同体・言葉・浜崎っていう4題噺だなこりゃ」

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2010年11月 4日 (木)

「非」承認の共同体へ(古市憲寿「希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想」(光文社新書)

kenzee「浜崎の話の途中ですが、とても興味深い本を読んだので紹介したいと思います。

古市憲寿「希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想」(光文社新書)

三浦展・柳内圭雄「女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?「承認されたい自分」の時代」(光文社新書)

希望難民ご一行様はピースボート、よく街角にベタベタ貼られている「世界一周、99万円」「地球一周の船旅148万円」といったポスターのアレ、あのピースボートに著者自らが乗り込み、取材した労作だ」

司会者「そのポスター、は津村記久子の芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」にも登場しましたよね。

 長瀬由紀子はパイプ椅子の背もたれに手をかけ、背後の掲示板を見上げたままだった。(中略)さるNGOが主催する世界一周のクルージングと、軽うつ病患者の相互扶助を呼びかけるポスターだった。右のポスターには「世界を見よう、世界と話そう、語り合おう」、左側のものには「心の風邪に手をつなごう、みんなでつらさと向き合おう」とそれぞれにコピーがつけられている。(中略)ひととおり内容を読み、写真を、とくにカヌーに乗った現地の少年の写真を眺めたあとは、でかでかと書かれたその代金に視線を固定していた。163万円。(津村記久子「ポトスライムの舟」講談社)

kenzee「このモデルはもちろん、NGOピースボートの世界一周の船旅のポスターだろう。大体150万前後かかるのだ。で、大体3ヶ月で世界をクルーズするのだ。ピースボートの最大の特徴は安い、ということで例えば他の民間の旅行会社の世界一周クルーズ、「飛鳥Ⅱ」なら435万円から2500万円、「ぱしふぃっくびいなす」も320万円から1800万円するのだ。それがナント、たったの150万円足らずなのですから、これは魅力的で、ピースボートの乗客のほとんどは20代の若者なのだ。バックパッカー的、貧乏旅行のノリで乗り込むのだ」

司会者「でも、150万円って結構な金額ですよ。フリーターが貯めようと思ったら最低1年はかかってしまう。「ポトスライム」でも主人公が「163万円は自分の年収とほぼ同じだ」と気付いて落ち込みます」

kenzee「ピースボートにはオトクな割引制度があるのだ。実際に150万用意して船に乗り込む若者は実は少数だ。割引制度とはNGOピースボートのボランティアスタッフとなり、ポスター貼りなどのボランティア活動によって割引を受けられるのだ。ちなみにポスターを3枚貼ると乗船賃1000円割り引かれるという仕組みだ。300枚貼ると10万円の割引となる。つまり、3000枚貼ると乗船賃はタダになるのだ。そんな、まさか3000枚貼るくらいならフツーにバイトしたほうが早いだろうと考えてしまうが、実際に3000枚以上貼って全クリしてしまう者もいるのだという。もちろん違法風俗のチラシのようにそこらじゅうにベタベタ貼るわけにはいかない。ちゃんと施設やお店屋さんに断って貼らせてもらうのだ。このボランティア活動の拠点となるのがピースボートセンター、通称ピーセンだ。全国5箇所の大都市にある。ボラスタはここに通ってポスターを受け取ったりするのだ。このピーセンは単なる事務所というよりボラスタの交流の場、居場所になっているようだ。多くのスタッフがここで顔見知りになり、船に乗り込むころにはすでに打ち解けあっているという寸法だ」

司会者「なんか、速水さん好みの自分探しのロマンティックがとまらない臭気が濃厚に漂ってきましたよ」

kenzee「さらに、ピーセンにおいてはスタッフ同士は基本、ニックネームで呼び合うのだ。それも「ケンちゃん」のような実名をもじったものではなく、2ちゃんねるにおけるハンドル名のように本名とまったく関係のない名前を名乗るのが習慣のようなのだ。ラッパーのようだ。一応、NGOピースボートには世界平和とか国際協力とかいったもっともらしい理念があるのだが、大抵の者はそんな理念に共鳴してピーセンを訪れるわけではない。だが、ポスター貼りやボラスタとの交流を通してそれらの理念が内面化していくのだ。なんと効率のいい人の使い方だ。ポスター一枚貼るのに、目的の店舗や施設を訪ねて、担当者に説明して、貼らせて貰う。これを3回繰り返してやっと1000円。もちろん断られることもあるだろうから、これは効率の悪いバイトだ。だが、彼らはその労働を喜々としてやるのだ。なぜなら、彼らは元をただせば寄る辺なきプータローなのだ。それがピーセンに行ったとたん、ニックネームで呼び合う仲間には出会え、やるべき仕事(ポスター貼り)は与えられ、平和だかなんだかの理念という目的まで供給されるのだ」

司会者「なんだか痛々しい感じになってきましたよ」

kenzee「ピースボートのプロモーション映像がYou Tubeにあがっているのでちょっと観てみましょう。こんな感じです。意外と老人が多いのに驚きました。親子ほども年の離れた世代同士が同じ目的を共有して旅をするのだから美しいね。この図式が後に興味深い対立に発展するのだが。で、いよいよ旅です。3ヶ月間、のほとんどを船内で過ごすことになります。ピースボートは老朽化した客船をチャーターしたもので、かなりデカイです。これがエンストするわ、船底に穴が開くわ、基準満たしてないわで珍道中を演出することになる。オレ、これ映画化できると思うんですけどどうかな。マヌケなラブコメみたいなことになりそうじゃないですか! で、3ヶ月もの長い期間、デカイとはいえ、狭い船内で300人近い人間が生活するのだ。毎日なにをするのかというと、まあ、「毎日が文化祭の前日」的なビューティフルなドリーマーな日々がエンエン続くのだ。押井守もビックリなのだ。宇野常寛なら「母性のディストピア」と呼ぶだろうか。とにかく、自主企画とかいう文化祭の出し物みたいなものを毎日やるんですよ。で、誰でもがこの狭い船内では有名人になれるし、承認を受けられるというわけなのです。だんだんこの「承認の共同体」の意味がつかめてきましたね。これがピースボートっつうものの概略なのですけども。続きはゼヒ、買って読んでいただきたいです。ところで、古市さんの文体が変わっててですね、新書でこういう文章は初めて見たなあ。

 それはイケメン政治学者の萱野稔人が指摘したように

司会者「その通りやね」

 いつも後書きが秀逸な社会学者の樫村愛子は、

司会者「読みたくなるね。後書きだけ」

 若者のお悩み相談まで引き受ける社会学者の鈴木謙介は、

司会者「スターやからね」

 顔を見れば泣く子も黙るマーケター原田曜平は、

司会者「ムギャー!」

 キャンパスではよく学生に間違われる社会学者の小熊英二

司会者「ヘー」

 文学少年的な風貌を維持する社会学者の北田暁大は、

司会者「だんだん長くなってきたな」

 Hey!Say!JUMPファンの教育社会学者・荒川葉も、

司会者「ムダ知識が増えていくな」

 高校時代の唯一の反抗が「サザエさん」を立ち読みすることだった本田由紀は、

司会者「どんな新書や!」

kenzee「中川淳一郎さんのネットバカもそうだけど、最近新書の文体ヘンよ」

司会者「「新書の文体がヘン!」て新書がでかねない勢いですからね」

kenzee「でもこれはマネしたいなあ。何回でも使えるじゃないですか。「ソウルフラワーユニオンのおっかけとして知られる作家の木村紅美さん」とか。

 大学時代、すでに大金つかんでたのに浜崎あゆみのコンサートの警備員のバイトをしていた綿矢りさによれば、

司会者「長いな」

 ツイッターのつぶやきで語尾に「あっぷっぷ~」などとつけることでウザかったことで知られる糸井重里は、

司会者「さすがにけっこう前にソレやめたみたい」

 「だろ~」という語尾がこれまたウザい菊池成孔は、

司会者「これはウザいです」

 和光中学時代はゲタで登校していたという小沢健二さんは、

司会者「小山田談」

「音楽配信メモ」というサイトをやっていたにもかかわらず、配信ではほとんど音楽を買ったことがないという津田大介さんは、

司会者「これは意外でしたね」

 元共産同赤軍派議長で、今はショッピングセンターの駐車場のバイトをしている塩見孝也さんは、

司会者「らしいねえ」

 「かまやつ女」という言葉は絶対流行らないのでそろそろあきらめるべきな三浦展さん

司会者「あきらめよう!」

 初めて貰った原稿料はソックリ、ブックオフで使い果たしたkenzeeさん

kenzee「そうそう、本とCD、紙袋2つぶんバイクの荷台に積んだら沈んじゃって、帰りしなスピードでないでないってうるさいよ!」

司会者「何回でも使えますね」

kenzee「これは発明だよ。みんなもやってみて! 面白いの思いついたらコメント欄に投稿してね! っていうかホントは承認の話をしようとしてたんだけど! 古市さんは偶発的な事件に巻き込まれるのだ。要は老朽船が船底に穴が開いていたりと危険な状態のため、しばらくフロリダに滞在せざるをえなくなり、予定を大幅に変更することになった。若者チームはそんなトラブルも旅の醍醐味ぐらいの感覚で楽しんでいたのだが、老人チーム(団塊の世代だったのだ)が黙ってなくて、ピースボートに対し、賠償を求める訴えを起こしたのだ。もちろん、老人チームの主張はもっともなものだ。だが、結局、ピースボート側と若者チームは老人たちの訴えを強引に握りつぶしてしまう。これは偶発的な出来事とはいえ、実に社会学的な事象ではないか。宇野さんなら「これぞ母性のディストピアである証左だ」と大喜びするだろう。今まで同じ目的を共有した仲間であった老人たち。当然の権利を主張した途端、排除される対象にされてしまったのだ。つまり、一見平和、笑顔に満ちたピースボートだが、その共同性を脅かす者が仲間内からでてきた途端、敵にされてしまった。まさにビューティフルドリーマーにおいて、ラムの楽園の欺瞞に気付いたチェリーや温泉マークなどを石柱にしてしまう排除の力学が船内でも起こっていたのだ。と、ここまでは前回のLIFEに古市さんがゲストで登場したさい、澁谷知美さんにも指摘されていたことなのだが、そんなフィクションを持ち出すまでもなくリアルで、しかも戦後犯罪史に残る事件で、承認の共同体を守るために仲間内から排除すべき敵を選出し、仲間を次々と殺害していった事件があったじゃないですか。「敵」と名指して、全員で暴力を行使し、共同性を深める。そう、ピースボートは紛うことなき母性のディストピアだが、山岳ベースもまた、ディストピアだったのだ」

司会者「まーたそうやって連合赤軍とか自分の得意ジャンルに強引にもっていくう」

kenzee「さらにさかのぼれば日大におけるバリケード、東大闘争における安田講堂もまた、ディストピアであった可能性が高い。「笑顔がいいね。生きてるって素晴らしい」とか言ってる集団ほど容易くファシズムに寝返ってしまう。承認の共同体が「非」承認の共同体に裏返ってしまう。ということでもうちょっとかんがえてみよう。続きはとりあえず、最近ホモネタで人気の宇野常寛さんのゼロ想の復習からだ」

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