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無免でのりまわしちゃいなYO!(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.2)

司会者「本棚の画像が好評のようですよ」

kenzee「そんなんで良かったらもう一丁いきますか」

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司会者「小熊英二の1968上下巻の存在感たるや」

kenzee「こういうのは逆に電子書籍化しちゃダメだよね。ところでさっそく指摘がありました。北じゃなくて南軽井沢だボケ!と。確かに彼らが迷い込んだのは南軽井沢郊外のレイクニュータウンである。当時軽井沢一帯を開発していたのは西武系の資本だったがこの別荘地は地元資本によって開発された地域だ。60年代の後半から開発されたその地域は高度成長期のサラリーマンの所得の変化を見込んで「サラリーマンでも買える別荘」というフレコミで売り出していた。そしてその地域は坂口らの所持していた地図には載っていない新しい別荘地だった。坂口たちは籠沢の洞窟が危険なことを知り、妙義山系からの脱出を試みる。籠沢から標高1104メートルの頂上に出、そこから尾根つたいに標高1162メートルの谷急山に至る。そこから谷急山を下って麓に出、和美峠を経て、群馬と長野の県境沿いを南下し、佐久市にでて、衣類と靴等を購入し、逃げようという作戦だった。下の植垣の手による妙義山越えの地図を見ていただければわかるが、彼らはこんなムチャな逃避行を警察の山狩りの目をくらませながら遂行しかけていた。

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実は左端のレイクニュータウンのもうちょっと先まで行けば佐久に行ける林道にでたのである。もはや数十メートルのところであった。これほど困難な山越えを達成しながらあともう数十メートル行かなかったことが彼らの末路を物語っている」

司会者「ていうか! なんで二日連続投稿なの! もう閉鎖したのかと思っていたこのブログが!」

kenzee「イヤもうトシなんでネタがまとまってる内に書かないと忘れそうで。で、前回の話の続きだが」

司会者「クルマの免許持ってなかったので逃走あきらめました」話ですね。いくつか腑に落ちない点があります。確か彼らはリンチ死した仲間の遺体とか運ぶときクルマに積んで運んだりしてませんでした?」

kenzee「印旛沼事件で運転手を務めた小嶋和子は結局、山岳ベースで殺された。東京で森、永田と面会した坂口の運転手を務めたのは倉沢裕二だが逮捕された。山本順一も免許持ちであったが総括による9人目の犠牲者となった。残されたメンバーで免許持ってる者はいなかった」

司会者「ン? 別に免許持ってなくてもいいんじゃないですか? 無免で乗り回せば」

kenzee「この時代のクルマはすべてマニュアル車なのだ。AT車のようになんとなく見よう見まねでできるのとは違う。もっと感覚的な身体性が要求されるのだ。ボクも昔、教習所でマニュアル車に乗っていたのでわかる。何回エンストさせたことか。なのでホントに運転に慣れていないと軽井沢脱出は困難だったろう」

司会者「今って、大体学生時代に免許ぐらい取るじゃないですか。この時代の学生って免許取りに行かなかったんですか」

kenzee「ボクも気になってこんな資料をゲットしてみた。昭和46年版交通安全白書、「年齢別および性別運転免許取得者数」(昭和45年12月現在)

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司会者「図書館しゃぶりつくしてるなあ」

kenzee「この資料によれば免許所持者の総数が約2640万人、平成22年の調査では約8080万人。これは成人のほとんどを占める数字であろう。この40年ほどの間に免許所持者が3倍以上に膨れ上がっている。この事実はショッピングモーライゼーションを考える上でも重要なのだ。次が平成22年版交通安全白書「運転免許保有者数の推移」(各年12月末現在)なのだが、年々男女比が狭まっていってるのがおわかりだろうか。

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平成21年は男子56.4%に対し、女性43.6%。これが昭和45年の調査では男子81.9%に対して女子18パーセント! 小嶋和子のような運転できる女性がいかに珍しかったかの証左でもある。昭和40年代は急速に自動車保有台数が増加した10年間であり、まさに郊外型ショッピングモーライゼーションを着々と準備していた時代だろう。

 自動車保有台数の増加傾向は一貫して著しく、昭和35年における自動車保有台数を100とした指数は、昭和40年においては239、昭和45年においては563となっている。(昭和46年版交通安全白書(総理府))

司会者「この時代って免許所持者が成人人口の半分以下だったんですね。つまりクルマがなくてもみんな生活インフラに困らない時代だったのかな」

kenzee「そうだ。だが、そんな時代にあって、レイクニュータウンはクルマでしか行けないところだったのだ。実際、坂口隊と別れた植垣隊はレイクニュータウンの麓まで降りるとバスに乗って軽井沢駅へ向かう。そしてそこで逮捕される。坂口らがあさま山荘に侵入した2月19日。この日は男女6人の泊り客があったという。
 
 事件当時の様子を管理人女性の夫、牟田郁夫に聞く。「あの日は男女6人の泊り客があって、昼過ぎに車二台で到着した。チェックインは4時なので、6人はそれまでスケートセンターに行ってくるからと言って、荷物は置いて出かけた」(久能靖「浅間山荘事件の真実」河出文庫)

客もやっぱりクルマで訪れていた。男女6人で冬の軽井沢の眺めの良い山荘で一泊し、スキーやスケート……彼らは連合赤軍が「プチブル」と名指したような高度成長以降に現れた中産階級の子女たちであったのだろう。後にユーミンさんが「スキー天国、サーフ天国」で表現することになる消費社会を一足速く謳歌していた階層なのだ。連合赤軍のような免許すら持っていないガリ勉の田舎者集団などお呼びでなかった。ふたたび問題提起に移る。

 一方、郊外に登場したショッピングモールは、クルマがないと訪れることができない場所でもある。それは実質的に浮浪者やならず者の類を閉め出す効果をもっていた。ショッピングモールは事実上のゲイテッド・スペースである。郊外のショッピングモールとは郊外に移り住んだ中流層にとっての新しい公共圏として求められたものでもあったのだ。(思想地図β・速水健朗「なぜショッピングモールなのか」コンテクチュアズ)

司会者「そう、ショッピングモールは単に買い物をするところっていうか公共圏なんだよなあ」

kenzee「ウォルト・ディズニーがの見果てぬ夢だった、ショッピングモールやホテルを核としたゲイテッド・シティー。そのような想像力をこの70年代初頭のタダの原野を切り開いただけの別荘地帯も共有していたとしたら。先ほどの久能本の続きだ。

ー玄関の鍵はかけてでたのか? 「いや、かけていない。お客さんがいつ帰ってくるかもしれないし、泊り客があるときはかけない。事件後、無用心だとサンザン言われたが…」(中略)家内が心配しているだろうとレイクニュータウンの管理事務所に立ち寄り、同い年で仲のいい篠原宣彦さんに頼んで電話を借りた。電話には知らない男性がでたがすぐに切れてしまった。そこへパトカーが何台もレイクニュータウンに入ってきた。警官に聞いても山狩りだというだけで何も教えてくれないので、警察といえども勝手に他人の敷地に入ってくるとはけしからんと篠原さんが怒り出した」(前掲書)

kenzee「このレイクニュータウン管理事務所の篠原さんの発言は注目すべきものがある。他人の敷地とはどういうことか。警察は決して管理事務所の庭にズカズカ入っていったわけではない。公道をパトカーで占拠しただけだ。おそらく篠原さんをはじめとしてあさま山荘の管理人たちも雇われの身でありながら、ここがゲイテッド・エリアだという感覚があったのではないか。ならばこそ山荘の鍵は「開けっ放し」だったのだ。おかげで坂口たちは扉を蹴破るでもなく、鍵を銃で撃ち壊すでもなく、「チワー、三河屋でーす」ぐらいの軽いノリで山荘内に侵入することができた。もうブーツでドアをドカーッと蹴ってルカーッと叫んでドカドカと銃や爆弾を所持した男たちが入ってきたのだ。というわけで次回はディズニーが夢見たゲイテッド・シティーとしてのあさま山荘だ」

司会者「この調子で毎日続けたらアンタ神だよ」

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コメント

免許証って身分証にもなりますからね。
どこで本人確認するにも運転免許証に敵うものなしってくらいですし。
いまは高校卒業前か大学入ったばかりくらいの時期に親が取らせるのが多いんじゃないでしょうか。

投稿: 紅 | 2011年2月16日 (水) 12時28分

追加します。
あと地方住まいだと買い物とかの用事のほかに免許がなきゃ職にありつけないというのもあります。
ビジネス専門学校みたいなところでも、まずは普通免許取りなさいって言われますし。

投稿: 紅 | 2011年2月16日 (水) 12時49分

免許話の調査で、一個気になってたのは、今、教習所に普通免許取りに行ったら30万ぐらいするじゃないですか。で、なんだかんだで一か月近くかかりますよね。昔、団塊世代の職場の先輩に聞いたら「昔は免許なんて2000円ぐらいで試験場に行って一発で取るのが普通だった。学科がどうたらとか応急処置がコウタラとかなんにもなかった」と言ってました。今回、戦後自動車教習史みたいなものを調べようと思ったんですけどそんな便利な資料見つけられなかったのです。大きめの教習所の社史とかでわかるのかなあ。しかし、そんな簡単な試験ならなんでもっと学生たち取りにいかなかったのですかね。当時の女性の免許率なんて免許人口の2割以下ですからね。

投稿: kenzee | 2011年2月16日 (水) 22時35分

いまは自分の年齢分(万円)かかると言われていますね。実際年取ってからだと時間かかるみたいですし。
昔は自家用車または自分の車を持つと決めた人だけが取るものという観念だったのかも知れません。
交通手段イコール車という考え方がまだ染み着いていなかったというか。

投稿: 紅 | 2011年2月16日 (水) 22時59分

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