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2011年8月29日 (月)

リトル・ピープルの歌謡史(J-POP校歌編)

kenzee「宇野常寛さんの新刊「リトル・ピープルの時代」(幻冬舎)を読んだ」

司会者「今、話題の」

kenzee「400字詰800枚からなる大著だ。こんな立派なハードカバーの単行本が批評でだせるなんてスゴイ」

司会者「じゃあ書評ブログらしく紹介してください。どんな本ですか」

kenzee「昔はビッグ・ブラザーだったが、今はリトル・ピープルだという話だ」

司会者「(コイツに聞くのがバカだった)あーナルホドね」

kenzee「アナタ、高校野球とか観ます?」

司会者「普通の社会人はそんなの観れません」

kenzee「私はまったくスポーツ観戦という趣味がない。子供の頃、親にイヤイヤ甲子園に連れられたことがあったが、ズーッとトランジスタラジオでMBS毎日放送「ありがとう浜村純」など聞いていた。どんな試合だったとかなにも記憶にない」

司会者「イヤな子供だなあ」

kenzee「前に一度速水健朗さんにお会いしたとき、「kenzeeさんサッカーとか観ます?」って聞かれて「200%観ません」って答えたら「じゃあ、もういいです」って言われた。あの人なんでそんなリア充みたいな趣味があるんだ?」

司会者「リア充なんじゃないんですか?」

kenzee「高校野球なんて高校卒業以来観たことないが、今年はJ-POPみたいな校歌が話題になったので気になっていたのだ」

司会者「愛知県代表至学館高校の「夢追人」ですね」

kenzee「ニュー速などネット上でも話題になったので聴いた人は多いと思う。校歌らしからぬ昨今の歌謡曲のようなメロディーにゆずというかコブクロというか猿岩石というかつまり速水さんの好きそうな歌詞がついた、現代の若者には親しみやすい感じの曲なのだ。聴いてみよう。

一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ 

一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった

海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた

夢を追い続けた そしてここまで来た でもどうしてかな熱い涙がとまらない

うつむきかけた時 君の顔が見えた

差し出された白い腕が翼に見えた

我々の校歌の概念をブっ飛ばす新鮮な歌だ。まず、校歌なのに地元の川だの山だの名所旧跡だのといった固有名詞がまったく登場しない。代わりに「夢」だの「海を渡る風」だの「星」だの「心」だのといった抽象的な、タイムリーな表現をすれば「島田紳助的な」タームが散りばめられる。asahi.com8月6日配信によると至学館高校はもともと中京女子大付属高校という女子校だったのだが、2005年に男女共学となり、そのときにできた校歌なのだという。中京女子大の学生で女子レスリングでアテネ五輪に出場し、銀メダルを獲得した伊調千春さんを取材した中京新聞の記者が取材の体験を元に歌詞を書いたのがこの「夢追人」なのだ」

司会者「学校関係者とかプロの作詞家とかじゃないのね!」

kenzee「違う。ただ、地元の文化人とかが歌詞を依頼されるケースというのはザラにあって、別におかしな話ではない。渡辺裕「歌う国民ー唱歌、校歌、うたごえー」(中公新書)によれば昭和初期に「校歌ブーム」ともいえるものがあって、この頃以降、学校に校歌を制定するのが慣習となった。この時代の作詞者や作曲者の名前を注意してみてみると作詞者では北原白秋、西条八十、作曲者では山田耕筰、信時潔、弘田龍太郎といった同じ人の名前が繰り返しでてくるという。この「校歌ブーム」の時は戦前で、校歌を作詞、作曲できるようなキチンとした音楽教育を受けたインテリはまだまだ少数だったのだろう。これらの人々が校歌ヒットメーカーとなり、膨大な数の校歌を作った。戦前から続く「伝統校」のような学校の校歌にはこれらの作家の作品が未だ歌い継がれているのだろう。しかし、戦後、団塊世代以降の70年代以降のユースカルチャーを経ると、フォーク、ニューミュージック的な校歌が登場してくる。「夢追人」以外にもJ-POP調の校歌というのはいくつかある。今年の高校野球出場校ならなんといっても高崎健康福祉大高崎高校「Be Together」はインパクトだった。

Be Together Let's Be Together

翼に風をまとってはばたく

Be Together 鳥を彼方に連れていってよ

Wow Wow あの風のように

君のココロに寄り添って飛べたら

ああわれらの健大高崎 高崎高校

司会者「河村隆一の新曲ではありません」

kenzee「夢追人、Be Togetherともに特徴的なのはとりあえず「鳥のように翼をひろげてあの風のように大空を飛んでドウタラ」といった西野カナ的な世界観であるところだ」

司会者「西野カナが音大の先生になる日も近いな」

kenzee「大分代表明豊高校校歌「明日への旅」などは作曲、南こうせつ、作詞、奥さんの南育代というある意味ホンモノのフォークソングだ。

司会者「夢をあきらめないで」系ってのがありそうですね」

kenzee「宇都宮工業高校第二校歌「無限大」はなんと布袋寅泰先生の手による校歌だ。

真っ白な画用紙に夢を描け 感じるがままそう自由に

答えは一つかもしれないけれど 探し方は一つじゃない

小さなひらめき重ねあって 無限大の勇気 手に入れよう

いつかは必ず夢は叶う 信じればこそ 明日がある

司会者「あのー、戦前の山田耕筰とか西条八十の校歌にこんな、「夢、夢」言う歌あったんですか?」

kenzee「ない。というのも戦前の校歌ブームとは明治以来の「国民音楽」政策の延長で起こったものだからだ。再び「歌う国民」に戻ろう」

 明治維新で開国の道を選択し、国際社会にうってでることを決断した日本にとって必要なことは日本という国を、欧米列強に伍することのできる近代的な国民国家に作り変えることでしたが、それは生易しいことではありませんでした。というより、極端に言うなら問題はそもそも日本という国を近代国家に作り変えるなどという話ですらなく、これまでになかった日本という国を新たに作りあげることだったといった方がよいくらいだからです。(中略)「日本」という「国」はその意味では明治になってそのような近代国家を打ち立てるために作り上げられた仮想的な共同体という側面を強くもっています。それをより強固なものにするために、万世一系の天皇を中心とした国体という概念が作り出されそれにまつわるストーリーやら証拠やらが「発見」されました。(中略)「日本音楽」という概念や表象もこの時期に作られたものです。(前掲書)

つまり、「国民」という新たな意識を植えつかせるために、共同体意識を根付かせるために手っ取り早い方法として「校歌」がつくられていった。戦前に刊行された「山田耕筰全集」(春秋社)のなかに「国民歌謡集」という巻がある。その目次は「頌歌」「生活賛歌」、といかにもな(天皇関連、修身の教科書的な歌)歌が並んでいて、続いて「市歌、団歌、社歌」「校歌」と続くのだ。

 彼ら(山田耕筰、西条八十)は二人とも、校歌や社歌を一括りにするときに「国民歌謡」というカテゴリーのもとに考えていました。そこに集められているのは、国家体制や、そこに関わる「国民」としての意識や自覚と結びついた曲といってよいと思いますが、校歌がその一端を占めている、というより、その中でも枢要なものとしてはっきり位置づけられているという事実に注目しておく必要があります。(前掲書)

kenzee「このような経緯で戦前の「校歌」は作られた。「国民意識の形成」という明確な目的があったので「夢をあきらめるな」とか「鳥のようにはばたけ」「ココロに沁みるニャー」といった戯言をほざいてるヒマはなかった。校歌に地元の川だの山だの旧跡が織り込まれる理由についてもこの成立過程を考えれば当然だ。

 校歌が「国民歌謡」として位置づけられていたということの中には、いくつかの重要な含意があるように思えます。まず、校歌によって担われている学校にたいする人々の意識が、学校への帰属意識や愛校心、さらには国家への帰属意識や愛国心ともつながるような性格づけをされていたということがあります。(前掲書)

しかし、戦後、それも団塊世代が教育の側に回って以降、このような「共同体への帰属」といったテーマを持たない、フォーク、ニューミュージック調の校歌が登場するようになるのだ。だが、「夢追人」のようなコテコテのJ-POPが登場するのはやはり平成以降だ。理由は多分、簡単なことで、昭和時代はまだギリギリ戦前の教育を受けた先生が現役でエライ立場にあったため、こんな歌謡曲のようなハレンチな校歌は認められなかったのだろう。ギリギリ卒業式に「贈る言葉」やオフコース「さよなら」を歌うのが限界だったのではないか。だが、平成に入ると「校歌の制定」といった重要な権限も団塊以降の世代に委ねられることになった。すると、」

司会者「ホテイさんに頼もう、とか」

kenzee「チャラチャラした事態を招いた、というのが真相だろう。ボクが不思議だったのはさっそくニュー速にて「愛知県・至学館高校の校歌がJ-POPすぎると話題に」(2011.7.30.)とさっそくスレが立ったのだが、私はてっきり揶揄と罵倒の嵐になっているのではないかと想像した。だが、実際のスレの流れは概ね好意的なものだったのだ。むろん「エロゲのop乙」とか「エロゲ高校」とか「オタ芸打てそう」といった揶揄は散見されたが全体的には「いい曲」「CDでたら初回盤買う」といったようなレスで占められ、大きな違和感はなかったようなのだ。これはどういうことか。自分の感覚の方がおかしいのか」

司会者「ボクは違和感ありますよ。だって、こんなミスチルとかゆずみたいな校歌で育った卒業生ってみんな非正規労働者になってしまいそうじゃないですか?」

kenzee「卒業生みんな卒業後、沖縄あたりでボラバイトとか始めそうな勢いだ。「素敵やん」とかいいながら」

司会者「島田紳助作詞、とかありそうで怖いな。J-POP校歌の現状を鑑みると」

kenzee「たぶん作曲はアラジンの高原兄だろう。で、ここで急に宇野常寛さんの本の話に戻るが、宇野さんの本の要旨はこうだ。かつてこの国の価値観は「戦後民主主義」とも呼べる大きな物語に支えられていた。このような大前提として誰もが認める価値観を宇野さんは村上春樹のベストセラー小説「1Q84」の登場する言葉から「ビッグ・ブラザー」と名づける。同様に90年代以降、経済成長が失速し、ビッグ・ブラザー的価値観が壊死していくのと入れ替わるように価値観の断片化が起こる。このような状況をおなじく「1Q84」からの引用で「リトル・ピープル」と名づける。リトル・ピープル化した現代社会において私たちはどのように生きていくべきか、みたいな話だ。宇野さんはビッグ・ブラザーの象徴としてウルトラマンシリーズを、リトル・ピープルの象徴として平成仮面ライダーシリーズを取り上げる。とにかく大著なのでちゃんと要約することが困難なのだが、私が言いたいのは従来的な校歌を「ビッグ・ブラザー校歌」、80年代以降のJ-POP調の校歌を「リトル・ピープル校歌」と便宜上規定すると、このJ-POP校歌の状況が理解しやすいのではないかと思うのだ」

司会者「つまり、もはや「国民国家」や「地域共同体」といったビッグ・ブラザーなき時代の校歌とは共同体の断片化(リトル・ピープル化)に合わせ、地名などの固有名詞を避け、その代わり「夢」「風」といった抽象的な表現で辛うじて島宇宙を繋いだ、といったような」

kenzee「校歌のリトル・ピープル化の問題ははまさに宇野さんの議論に一致する。ただ、リトル・ピープル化したJ-POP校歌はもはや校歌も役割を果たしているか、という問題もはらんでしまう」

司会者「もはや校歌である必要すらなく、適当にミスチルとか歌ってればイイジャン、という問題ですね」

kenzee「ここまで書いて、ふと脳裏によぎった。「オレの母校の校歌はどうか」問題だ」

司会者「まさか……J-POP校歌?」

kenzee「それはないんだけど、ウチの高校って奈良県でも結構最近にできた県立高校で80年代にできたのだ。wikipediaによると我が母校は1987年に開校したようだ。私が入学したのは1990年なので、4期生ということで我々が入学した年にはじめて卒業生がでた。当然、校歌もそのとき(1987年)に制定された。でね、校歌を聴こうにも学校のサイトには音源がアップされてないのだ。また、You Tubeでも探したがなかった。ま、野球が弱いので公式に歌う機会があまりないのだ」

司会者「そんなん言いなさんな」

kenzee「歌詞は卒業アルバム(押入れから引っ張り出した)にあるのでわかるが、メロディーがどうしようもない。ただ、若いときに歌わされた歌なので記憶の断片にはなんとなく残っている。その記憶を元にメロディーとコード進行を再現してみました」

司会者「またアンタのヘッタクソなデモ音源聴かされるのか!」

kenzee「それでは聴いてください。亀井敦宥(当時の校長先生)作詞、植野真奈美(当時の音楽の先生)作曲。アレンジ、ピアノ演奏kenzeeによる18年前(卒業式以来だと思いますので)の記憶だけで再現した「登美ケ丘高校校歌」

司会者「……このメロとコードが正確なのなら、J-POP校歌ではないね」

kenzee「まだJ-POP校歌には時代的に早すぎたのだろう。だが、歌詞の面ですでにリトル・ピープル化が散見されるのだ。亀井校長先生は我々が入学した時点で結構なお年でたぶん還暦近かったのではないかと思うのだが、「空にゆきかう風のように」という一文にリトル・ピープル化の片鱗が認められる。だが、全体としては西条八十以来の「従来型の校歌」(ビッグ・ブラザー的校歌)であり、「生駒を仰ぐ」「富雄の川」「春日を望む」といった共同体意識の形成としての地名が登場する。校歌の歴史という視点から鑑みると従来型の校歌でありながら、共同体が断片化していく社会を87年の時点で予見しているかのような歌詞だ。バブル経済と3年後に訪れるバブル崩壊とその後の(宮台真司が命名した)95年問題までを射程にいれたような巨視的な視線がある。この歌には。実際、You Tube上の写真では山のなかの一軒家のような我が母校だが、実際は周囲の山林は90年代後半頃から近鉄不動産による大規模な造成が行われ、今はマンションや住宅、あるいはイオンに代表される商業施設が立ち並ぶ、典型的なファスト風土(三浦展)へと一変した。今となっては貴重な航空写真だ。このような時代と風景の変化をこの校歌は予見しているように聴こえる。」

司会者「ていうか、キミのようなダメ生徒が校長先生の歌詞、批評してもいいのか?」

kenzee「オレ一応音楽ライターッス。でね、歌詞はこんな感じなんだけど、問題はメロディの方なんですよ。まあこれ耳コピっていうか「記憶コピー」なんでメロディはともかくコードが怪しいと思うんだけど、スゴイ変わったメロだと思いません? 作曲者の植野先生は音楽の先生でやはりボクは芸術科目は音楽とってたんだけど、ピアノの上手い先生で、ボクのイメージでは「ブリティッシュ」「プログレ」の人というイメージなんだな」

司会者「プログレ校歌」

kenzee「あのー、植野先生が合唱曲で指定したのがユーミンさんの「翳りゆく部屋」なんだよ。別にユーミンさんは構わないんだけど「ルージュの伝言」とか「やさしさに包まれたなら」とかアメリカンポップスの世界もあるわけじゃないですか。あの先生、どうも「翳りゆく部屋」とか「ひこうき雲」とか陰鬱なプロコルハルムみたいなクリエイション的なオアシスみたいな音楽がお好みのようだったのだ。そういった趣味性はこの校歌にも反映している。次回は登美ケ丘高校校歌の音楽的分析からだ」

司会者「ちなみに予告しとくと、この話、最後AKB48でオチがつきますよ」

kenzee「楽しみになってきましたネ!」

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2011年8月21日 (日)

ナガヒロ具合悪いんだからふざけんじゃねーぞ事件(前回の続き)

kenzee「いよいよ「レッド」(山本直樹による連合赤軍事件の漫画化。講談社「イブニング」連載中)も遠山批判まできたか…」

司会者「じゃあ時間的にはあと1ヶ月ぐらいで浅間山荘ですか」

kenzee「この1ヶ月が長いんだよ。こっからバタバタ10人ぐらい殺されるので。ところで7月25日のDOMMUNEにてSNOOZERの廃刊記念イベントやってたの観ました? 田中宗一郎さん始め野田努さん、磯部涼さんとか岡村詩野さんといったSNOOZERに深く関わったライターの方々のトークとタナソウさんのDJプレイという二部構成だったのだが」

司会者「ハッ!音楽ライターみたいな話題や!。そういうブログ記事をキミが書く日を世間は待っていたのだよ」

kenzee「で、そのトークのなかでタナソウさんから「後期SNOOZER編集部はさながら浅間山荘のような状態だった」と表現していて皆さんも(笑)みたいな場面があったんですが」

司会者「どういうことです?」

kenzee「つまり、ゼロ年代も後半に差しかかると編集部員も逃げるヤツとか連絡つかなくなっちゃうヤツとかでてきて収拾つかない状態になってきた。やがてライター同士でも内ゲバ状態が起こり、原稿書かせても相手の悪口合戦になってたりしてそうすると編集長としてもどっちかをボツにするわけにもいかず、困った状況だった、浅間山荘みたいだった、と仰っていた」

司会者「廃刊の今となっては笑い話だが、みたいな」

kenzee「内ゲバの比喩として「浅間山荘」と仰ったのだと思うが、浅間山荘内で内ゲバが起こった、という文献はアリマセーン」

司会者「結局、そっち(連合赤軍)の話かい! 音楽ライター的な話かと思ったら!」

kenzee「浅間山荘内の出来事についてもっとも客観的、冷徹に記録した文献と言えば坂口弘「あさま山荘1972(下)」(彩流社)ということになるが、5人のメンバー間で分派闘争や対立が起こったという記述はない。ただ、辛うじて映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」において「クッキー事件」が描かれている。これは坂口本には「第16章・狙撃」という章で「吉野君の怒り」という項目でわずかに触れられている。なにごとかというと銃撃戦の最中に坂東國男が仲間に黙ってクッキーをツマミ食いしていた、これを発見した吉野雅邦が激怒し総括を求めたという件。坂口本では「そういや、浅間山荘のとき、クッキーがどうしたとか言って吉野君、プリプリ怒ってたなあ。オレがまあまあって宥めたんだけど」ぐらいの軽い記述なのだが「実録・連合赤軍」の監督、若松孝二は実際、なにが起こったのかをレバノンに潜伏中の坂東本人に確認した。以下が、映画で描かれた「クッキー事件」だ。

吉野「今日、坂東は作戦中に配給以外の食糧を食べた。これはこの銃による殲滅戦において極めて重大な軍紀違反である。自己批判を求める」

坂東「いや、作戦行動では、一定程度の自主性は容認される。それが重大な結果を招くのでなければ、作戦中の食糧補給は個々の判断に任せるべきだ」

吉野「俺たちは革命的規律を求めて同志たちに総括を要求したのではなかったか? あんたが食べたあのクッキーこそ、反革命の象徴なんだよ!」

坂東「今は戦時中だ! 敵と戦ってんだ。やっと本当の敵と戦ってんだよ。ばかばかしい! クッキーに革命も反革命もあるか!」

吉野「何だと? あんたそれで同志に顔向けできるのか!」

と、坂東に銃を向ける。

倫教「やめてください!」

吉野「自己批判しろ、自己批判!」

坂口「吉野! 何のためにここまで来たんだ! 銃口は権力に向けろ! 同志だろ! 坂東! お前が自己批判すればすむことだろ」

坂東「……任務中にツマミ食いしたことを自己批判します。これからは革命的規律を守り、団結を固くし、殲滅戦を最後まで闘い抜きます!」「若松孝二・実録連合赤軍あさま山荘への道程(朝日新聞出版)

浅間山荘内での対立というかイザコザといえばこの「クッキー事件」が現存する資料では唯一、認められる。基本、彼らは力をあわせて権力と戦ったのであり、内ゲバというような事象はなかった。これは浅間山荘に限らず、一連の連合赤軍事件全体にいえることで、分派闘争や対立から死者が続出したのではない。対立などないまま、次々と仲間が殺されていったところにこの事件の人間の集団の奥深い業かあるのだ。未だ、不可解といわれるのもその所以だ。ということで、恐らくタナソウさんは「クッキー事件」を想定して浅間山荘の比喩を持ち出したのではないと思うので、そのたとえはいかがかと思う」

司会者「それが言いたいだけで、長いなオイ」

kenzee「あのー対立とか内ゲバじゃないんですよ。モチロン統一裁判始まってからは全員バリバリ対立するわけですが。たとえば坂口が法廷において永田に対し、「肥溜めのような女」「お山の大将」「永田にだまされた」といった発言をするようになる」

司会者「その比喩が正確でないのはわかったから、音楽ライター的にSNOOZERになにか言いたいことはないのかね」

kenzee「ああ、長いこと、大変だったと思います。足掛け14年ですかね。昔はいっぱい音楽雑誌もあったけど。SNOOZERはよく頑張ってこられたなあ」

司会者「素人の感想かよ! なんかもっとないのかよう」

kenzee「あのう、ロック系の雑誌だったと思います。判型がデカくて」

司会者「もういいよ」

kenzee「まあ、SNOOZERのことはおいといてですよ、70年代以降の音楽メディアはすべからくそうなんだけど音楽と自意識がイコールのものとして評価するわけですね。前回の記事のコメントで紅さんが仰ってるのはそういうことだ。音楽は自意識の発露だという妙な定義があってそういうものしかメディアは取り上げない。音楽的にしょうもなくてもそのプラットフォームに乗ればある程度評価されてしまう、という話だと思うのだ。言ってることはよく理解できる。世の中変わったのにまだ自意識との同調が音楽ジャーナリズムだと思ってるヤツケシカラン、というのは理解できる。でも。そういうジャーナリズムがなくなってホントにiTunesとナタリーばっかりになったらどうだろうか。ボクは最近思うのは、「やはり、若者相手のポップミュージックは自意識の問題と不可分なのではないか」ということだ。確かにボクは「もっとちゃんと音楽の話をしろ!」と日本の音楽ジャーナリズムを批判してきた。だが、もともと不可分のものを強引に切り離すことで先はあるのか。急に連合赤軍話に戻って悪いが……連合赤軍の話してもいい?」

司会者「みんなあきらめてますから」

kenzee「情況2008年6月号「実録・連合赤軍をめぐって」(情況出版)の特集のなかで若松孝二と西部邁の対談が載っている。西部は「実録」を評価していて、理由は

西部「…とりわけ日本映画は何か自意識というか「俺の気分は憂鬱だ」とか、「俺は淋しい」「やるせない」「目的がみつからない」とか、その手の自意識の心理描写が多い。有名なセリフで小林秀雄が戦前、「自意識なんかには詰め腹を切らせよ」というふうにいったのを、そういう映画を観るたび思い出していた。文筆家であれ、映像作家であれ、お前さん方の自意識の垂れ流しはもういいよと。さっさと詰め腹を切って死んでくれという感じがあった。しかし、今度の映画だけは、そういう監督や製作者の自意識の垂れ流しは微塵もない。成功の第一原因は連合赤軍という問題についてあれこれ自意識に基づいて解釈をし始めるときりがないというか、作品にならないというか、そういうふうに見定めた、さすが年季の入った親分の仕事だなと、映画論としていえばそういうことになる」

ここでは作者の「自意識」を捨て去ることに評価が与えられている。まさに映画職人として事実を残すという目的に特化した映画なのだと。ところでSNOOZER#79「特集レディ・ガガに勝てない日本のロック」の鼎談において作者の「自意識」をどう評価するか、どう扱うかで議論が分かれるのだ。

野田努「なぜ「スヌーザー」は銀杏ボーイズとかまってちゃんを否定するのかが俺はわからない。実は「スヌーザー」こそ一番誉めるべきじゃないの? こんがらがったボーイズ&ガールズっていうコンセプトで「スヌーザー」がやってるんだとしたら、一番正面からやっているのが銀杏だとかかまってちゃんじゃないの?」

田中宗一郎「僕は常に状況に対するオプションを音楽の中に見たいわけです。オルタナティブがみたいわけ。でも、僕からすると彼らは状況のドキュメントでしかないし、状況のリアクションでしかない。でも表現ってのはその先を行くべきだと思う」

磯部涼「二人の銀杏批判的なものを聞く時に疑問に思うのは果たして銀杏ボーイズをちゃんと聴いたことがあるのかっていう。やっぱり彼らの音楽で救われてる人もいるし。俺は救うことがいことだとも思ってないけどもタナソウさんが言ったようにこれは単なる現実を描写しているだけじゃないかっていうんだったら彼らに救われてる子たちの立場はどうなるのっていう気はするけどね」

タナソウ「まさにそう。彼らの音楽とのオーディエンスの繋がりというのは救済って言葉に象徴されるように非常に相互依存性が高い。それが、ちょっと違うんじゃないかって感じてる」

つまり、小林秀雄の「詰め腹切らせ」話からいくと磯部さんは「自意識の表出とそれによって救済されるオーディエンスもまた音楽的なコミュニケーションだ、という反小林秀雄的な立場だ。だがタナソウさんは意外と小林派なのだった」

司会者「そしてキミはバリバリ小林派ということになるわけやね」

kenzee「でもね、胸張って「私は小林派ですよ」と言えるのかオレ?って自問自答してしまうわけですよ。銀杏とかよく知らないけど、やっぱりかつてブルーハーツ聴いてガーン、とかそういう中高生時代とかあるわけですよ、自分にも」

司会者「フリッパーズだって「音楽的に」聴いてたわけじゃないでしょ?」

kenzee「モチロン自意識のナントカで聴いてたわけですよ。だって、音楽的なことで言ったら別段珍しいことやってないからねえ「カメラ・トーク」とか。タナソウさんはナゼ、そこまでドライになれるのだろう」

タナソウ「銀杏ボーイズを熱心に聴いてる人たちのとんでもない社会性のなさを「スヌーザー」のアルバイトという具体的なサンプルから本当に何度も痛感させられたって話ですよ」

司会者「私怨か!」

kenzee「でもわかりますよタナソウさんの怒りも。小沢健二の自意識ファンも痛いもん。オレが小沢の原稿書いたらメールとかでつっかかってくるヤツドッチャリいたもん。小沢ファンどんだけ人生こじらせてるヤツばっかりやねんと。タナソウ、わかるぜその気持ち!」

司会者「そのポイントで共感か!」

kenzee「でも常に人生こじらせる困った子って一定数いるわけじゃないですか。今の子にとっては銀杏なのかもしれないし、ボクの年だとフリッパーズはホントにそういう存在だったし。上の世代の人にとってはナゴムとかがそうなのかも知れないし。永田洋子(元死刑囚)みたいな人って要は40年前の銀杏っ子ってことでしょ」

司会者「そういう子の救済機関としてロキノンがあるとしたらある程度社会に貢献しているとはいえないかと」

kenzee「そう、だからロキノンバカにして溜飲下げる時代はもう終わったんじゃないかと。紅さんの仰る意味はすごくわかるんだけど若者向けの音楽にはそういう「自意識コミュニケーション」の側面が絶対あるし、結局バランスなんですよ。銀杏っ子みたいな人ばっかり音楽雑誌業界に入ってくるから、活字のほとんどが銀杏とかかまってちゃんとかCoccoみたいなのばっかりになっちゃう。ユニゾンとかクラムボンみたいな音楽的なバンドがいっつも隅っこになっちゃうのだ」

司会者「もうちょっと建設的な方向に話戻せませんか」

kenzee「西部邁の話に戻ると山岳ベース(連合赤軍事件におけるリンチ事件の現場)でも自意識の揺れはあったはずだ。だが、その自意識を容認する状況にないと……

西部「あの事件そのものがあそこに登場した連中、殺された人間たちも殺した側の人間たちも、それぞれ当時の一人一人に尋ねてみれば自意識の揺れ動きはあっただろう。あのような事件のある種の恐ろしさというのは、そういうものを当事者自身が微塵もださないし、だすこともできない。それが極端にまでいってしまった政治というものの必然、それがあの事件なのだろう。もう少し言うとこの映画に「もののあわれ」を感じた。僕がここで言う「もの」というのは、ある状況のもとである方向に踏み出すとそれこそ避けようもなく逃れようもなく克服しようもなく進んでいくプロセスということだ。これが連合赤軍の榛名山でのリンチとあさま山荘両方含めて、ほとんど必然に「もの」のプロセスに飛び込んだあるいは巻き込まれた、それを推し進めざるを得なかった人間たちの「もの」になってゆく姿を炙り出した」

人一倍自意識の強い若者たちがあの山岳ベースには集まっていた。たとえば榛名山で殺害された一人、大槻節子の手記「優しさをください」などを読むと、「アレ、銀杏ファンの日記?」と見紛うほどに自意識炸裂の一冊だ。SNOOZERが創刊された98年とはちょうど私もCD屋で働いていたのでリアルに当時の状況を思い出すことができる。

タナソウ「スヌーザー的な文脈で98年世代ってのがあるんですよ。ミッシェルガンエレファントがブレイクして、ドラゴン・アッシュ、椎名林檎、ナンバーガール、くるり、スーパーカーがでてきた98年」

さらに、aiko、宇多田ヒカル、といったメジャーアーティスト、前年まで含めると中村一義、スガシカオといったところまで含めるとスヌーザーとは自意識のロックと共に産声を上げたのだとわかる。

タナソウ「でね、さっきの銀杏の話の流れで言いかけたことがあって。この10年間、これほど世の中の人たちが承認欲求を強く感じながらなおかつ、その承認欲求そのものを隠したがる時代はなかったと思う。で、そういう状況をもっとも表象してるのが銀杏ボーイズと彼らのファンの関係だと思う」

磯部「承認欲求っていうのをわかりやすく言い換えたらメンヘルの時代だと思うんだよね。現代の日本は。そういう意味で言ったらゼロ年代の日本を象徴するドラッグは安定剤だよね」

司会者「承認欲求が強くありながら、それを隠さなければならない状況、ネットを巡る状況についてだと思うが、手軽な承認マシーンのネットだが、リアルの人間関係においてブログやSNSやツイッターにおける自意識を人は隠そうとするもの。それはゆるやかに山岳ベース的な状況だといえるのではないか。そのような閉塞的な状況に音楽が共同性を繋ぐ役割を果たすことがある。

 夕食後は土間で、兵士達みなとストーブにあたりながら、景気づけに歌を歌った。歌は労働歌が多かった。皆元気に歌っていた。山本夫人がきれいなソプラノなのには驚かされた。私と青砥氏、山崎氏、行方氏は新倉ベースで「同志よ、固く結べ」の合唱を練習したので、それを披露した。こうして気分が盛り上がってきたとき、森氏が土間に来て「歌なんか歌ってずに、(行方氏に)皆から総括について教わったらどうだ」といった。盛り上がった気分はたちまちつぶれ、私たちは歌をやめてしまった。(植垣康博「兵士たちの連合赤軍」彩流社)

kenzee「つまり、銀杏のようなガス抜きみたいな音楽やそれをフォローするロキノン的ジャーナリズムもやっぱり必要なのではないかということだ。さて、まとめに入ろうと思います。ボクがナゼ、ロキノン調のジャーナリズムが気に食わないかというと「音楽的な評価ではないから」というのがひとつ。あと、自意識ロック批評ってある種の自動化された言語でナンボでも生成できるんですよ。スーパーのチラシの見出しと一緒で。つまり、才能のないライターの小遣い稼ぎの温床になっているという面は看過できん。。でも、「自意識ロック」を必要としている子は常に一定層いるので駆け込み寺として機能している面もあり、排除はいかがなものか。で、そういうジャーナリズムで育った子がライター業界に入ってくるので音楽についてのジャーナルとはこういうもの(自意識ロック批評)だと思い込んでる人がさらに状況を強化することになる。そうすっと音楽を音楽として語る、という訓練を誰もしないまま、マッチポンプ産業化し、次のかまってちゃん、銀杏がでてくることだけを待望するようになる」

司会者「ホントはキミが編集者に「kenzee、音楽の話担当者」、って認識されてることが気に食わないんじゃないの?」

kenzee「ボクも一応、ブルーハーツとかで産湯を浸かった中学生だからさ。タナソウさんや紅さんのようにドライにはなりきれないな。自意識ロックの話もするし」

司会者「それにしても「なんでもエロ話にもっていく黒木香」のようにキミはなんでも連合赤軍にもっていくな」

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2011年8月16日 (火)

薔薇とノンフィクションと前段階武装蜂起(中身は音楽の話)

kenzee「真崎寧々というあんまり有名でないAV女優がいます。この人がブログをやっているんですが、まあ普通の日記みたいなブログです。今日はSM系の撮影でしたとか、みんなで寿司食いに行きましたとか。でもね、記事タイトルのつけかたがメチャクチャなの。どっからそんなんでてくんの?っていうくらい宇宙空間なタイトリングなんですよ。ボクもマネしようと思ってやってみました」

司会者「もっと文学とかから学べよう」

kenzee「今でてるQuick Japan97号(ロンブーが表紙にヤツ)にユニゾンスクエアガーデンについて書かせていただきました。ホントにユニゾンについて書く日がくるとはなあ」

司会者「去年、ロキノンジャパン茶化し記事を書こうとしてバッタリ出会ったんだよね」

kenzee「そう。揚げ足とりのはずがユニゾンというスゴイバンドに出会ってしまったのだった。でね、はじめユニゾンについて書くはずじゃなかったんですよ。QJの編集者の方からなにか書きませんかってメールが来てね。ワリと「なんでも好きなのでいいですよ」みたいな感じだったんで「じゃあ連合赤軍について書きます!永田洋子について!」って返事したら「それはちょっと…音楽の話でお願いします」って返ってきて」

司会者「好きなモノって言われたらそうなるよな」

kenzee「3度のメシより連合赤軍のこと考えてるからねえ。音楽かあ。でも。最近の若い人の音楽ってボク全然知らないからなあ」

司会者「キミ……音楽ライター、だよね…」

kenzee「で、ちょうど新譜がでたばかりのユニゾンでいこうと打診したところ「それならOK」と」

司会者「7月発売の新譜「Populus Populus」についてですね」

kenzee「スゴイアルバムです。You Tubeにもうかなりあがってるので、とりあえず聴いて欲しいね。これがキライな人っているのかっていうくらい直球のポップス。もっと爆発的に売れてもおかしくないといつも思うのだが」

司会者「アニメの主題歌まであるのに」

kenzee「雑誌とかでもそんな大きくとりあげないジャン。で、書いてみてわかった。多分QJみたいな雑誌がもっともとりあげにくいタイプのバンドなのだと。結局ね、スゴイ言語化しにくいタイプの音楽なんですよ。もっというと純粋に音楽的な音楽なんですよ。要するになにかの文脈に繋がるものではないので書きにくいのです。これが神聖かまってちゃんとか相対性理論とかだと言語化しやすいのですよ。つまり、かまってちゃんとかはネット文化との親和性みたいな文脈があるでしょ? 「オレたちの仲間」感がスゴイあるわけ。そうなってくると言語化は容易いのですよ。ところがユニゾンのようにただひたすら上手くていいバンドって日本の音楽ジャーナリズムってどう評価していいかわからないんですよ。やっぱりひきこもりのオタク青年が密室で叫んでる、これぞロック、みたいなのが書きやすいのです。社会論にすり替えられるから。音楽の話しないで済むから。そうするとそのプラットホームに乗るものはジャンジャン取り上げられるけど、言語化しにくいものは取り上げられもしない、ということが起こるわけですよ。たぶんオレが知らないだけでユニゾン的なポテンシャルを持ったバンドってもっといるんだと思う。でも「このバンドは上手いです」ではジャーナリズム成り立たないのですね。もちろんジャーナリズムの方がおかしいワケだけど。わかりやすく言いましょう。たぶんQJは山下達郎は取り上げても小田和正はとりあげないだろう。この感覚が理解いただければ日本のサブカルチャーがどういう論理で動いてるかおわかりいただけるかと思う。そういえばユニゾンを知ったのと同時期に世界の終わりというバンドも知ったのだけど、ボクは音楽的な戦略のあるバンドだと思ったの。でも、雑誌で世界の終わり見たら、なんか自前でライブハウス作ってエライ」とか「ボーカルの人とキーボードの人が幼馴染で」とか「ボーカルの人は昔精神を病んでたらしい」とかそんな話ばっかりなんですよ。これほど音楽雑誌って音楽の話しないものかと。世界の終わりは音楽的な取り組みのあるバンドだと思ったんだけど」

司会者「もっと音楽の話しろ、話ですか、いつもの」

kenzee「音楽雑誌って今、岐路に立ってると思いますね。音楽の情報はナタリーとバウンスがあればOKって人がいるんだけど、それはある種の真実なんですよ。それにMy SpaceとYou Tubeがあれば完璧だと。最近、xperiaを買ったんですけどMy Space、You Tube、ニコニコ動画、DOMMUNE、Ustream、全部ストレスなく観れる。さすがドコモ3G回線。これだけあれば結構な音楽生活楽しめるなと思った。オレの予想ではあと3年ぐらいで中高生とかもみんなスマートフォンに乗り換えるようになる。そうなったときに音楽雑誌ってどう進化してるかなとか考えるね。私だってホレ、末端の人だから」

司会者「xperia生活どうですか」

kenzee「スゴイよ。近鉄電車の中でラジコ聴いてても全然途切れないんだもん。スマホ生活になってから急にラジオ聴くようになったねえ」

司会者「音楽生活は豊かですか」

kenzee「どうかな。コリャ便利とか言ってる間に気がついたら身の回りからCD屋さんがキレイサッパリなくなった。山下達郎の新譜は店頭買いしようと思ったの。初回盤があるから。アマゾンだと心配でしょ。で、発売日に買おうと思ったんだけど、ないんだよ」

司会者「初回盤が?」

kenzee「いいや。CD屋が。辛うじて近所のツタヤに販売コーナーがあったんだけど、冗談抜きで6畳ぐらいのスペースなのよ。レンタルは違うよ。レンタルは広大なスペースなのよ。で、なんとか達郎初回盤はゲットしたがユニゾンの新譜はそこには置いてなかったな」

司会者「ニューヨークだと「新譜屋」が全滅したと聞きました」

kenzee「音楽ジャーナリズムはどこへ向かうか。音楽を音楽として言語化する技術。今までほったらかしにしてきたこういう普通のことを考えるときにきてると思うね。実はQJ原稿書くにあたって3つ、プレゼンしたんだ。それは西野カナ新譜とユニゾン新譜と山下達郎新譜なんだけど。で、従来のジャーナリズム感覚でいくと西野が一番やりやすいんだよ。社会論にすり替えられるから。ユニゾンと達郎は難しい。だって純粋に音楽的な音楽だから。ボク的には西野論が自信があったのね。ボツネタなのでここで公開しようかね。

まず、西野カナ新譜「Thank You,Love You」で考えていたことですが、よく西野の歌詞はネット上などで「ケータイ小説っぽい」「会いたくて会いたくて震えるってどんだけ」とか「Jポップのテンプレ並べただけ」などと揶揄の対象になることが多い。しかし、テンプレ集のようなラブソングとは昔からあるもので、例えば90年代以降の小田和正がそうだし、松任谷由実や岡村孝子といったバブル期の女性シンガーソングライターもそうであったはずだ。だが、小田や松任谷の歌詞がネット上で揶揄されることはない。では、西野と彼らの歌詞はなにが違うのか。まず、小田や松任谷の時代は未だ経済が成長することを前提に人生のモデルが形成されていたが西野の時代にはすでに経済成長の神話が崩壊していたということが挙げられる。多くのラブソングは私小説を模して書かれるが、どのような実に「私」を立脚させるかで同じ恋愛の風景であっても違う意味を表出させる。西野のラブソングの特徴は失恋や倦怠期のような恋愛の終わりの光景がほとんどを占める。小田や松任谷にも失恋の歌はあるが、長大な私小説のワンシーンとして機能する。だが、西野はショートコントのように失恋ばかりを繰り返す。これはかつてのラブソングのリアリティが現実に立脚していたのに対して、西野のリアリティが、大塚英志言うところの「まんが的リアリティ」(たとえばミッキーマウスが崖から落ちて包帯でグルグル巻きになって登場するが次の場面では元の姿で駆け回っている、というような平面的リアリティ。戦後の日本のまんが、アニメとはこのような平面的な記号のような肉体にいかに内面の奥行き、肉体的奥行きを与えるかという試行錯誤で進化してきた。詳しくは大塚英志「サブカルチャー文学論「キャラクター小説の起源、起源のキャラクター小説」を参照していただきたい)に立脚しているからといえるのではないか。もはや経済成長の期待できない現実など「私」を立脚させるだけのリアリティを持たない。ならば、むしろまんが的な記号としての恋愛の上に西野のラブソングは成立しているのではないか。つまり、小田や松任谷の主人公が自然主義文学の登場人物だったのに対して西野の登場人物とはライトノベルや「空気系」などと呼ばれるマンガの平面的なキャラクターだと思われる。だからこそ何度失恋し、彼氏に裏切られても平然と蘇り、再び失恋を繰り返すのだ。だが、多くのちゃんねらーに代表されるネットユーザーとは自然主義の私小説としてラブソングを聴いてきた世代であり、そのような耳には西野の平面的なリアリティはコントのように映ってしまうのである。しかし平面的なキャラクターであることが最も支持される状況とはなんと皮肉なのであろう。

というたたき台であった」

司会者「話としちゃまとまってるかも」

kenzee「でもQJ的には音楽寄りの話のユニゾンでヨロとのことだった。達郎はもっと難しい。とにかくすり替えようのない、純粋な音楽だから。「震災を経て、マジメなアルバムになった」なんてのは後付でさ。言語でどうこう言うのが難しいアルバムなんだ。今回もいろんなメディアが「Ray of Hope」をとりあげたけど「6年ぶりのフルアルバム、スゴイ、これぞ達郎マジック」ぐらいのことしかみんな言ってないわけです。確かにその通りなんだけど、それぐらしか言えないのが今の日本の音楽ジャーナリズムなわけです。これでもし「反原発ソング」とかあったらみんな書きやすいと思うよ。まあ達郎に限ってそれはないけど」

司会者「じゃあさ、このヘッポコ音楽ライターに聞きたいけど、今、君はどんな音楽メディアを求めてるの。権利関係とか政治的なアレとかこの際無視して、自由に語ってくれたまいよ」

kenzee「個人的にオレ今こんなんあったらなーというのは音楽のデータ」

司会者「音楽配信なんか今、腐るほどあるだろう!」

kenzee「そのデータじゃなくて、要はCDのブックレットに記載されてる演奏者のクレジットとかどこのスタジオで誰がエンジニアでとかそういうデータだよ。各メーカーが大量に保有している歌詞カードやブックレットをPDF化して配信サイトで売ってほしい。音源のデータ化よりは手間かからないと思うんだ。たとえばみんな「だんご3兄弟」が誰が演奏していたのかとか知りたくないですか?」

司会者「需要はあるかもしれない」

kenzee「ボクにとって音楽の情報とはそういう文字通りの「データ」だな。これは価値あるものですよ。オレなんかの駄文より」

司会者「オイ、音楽ライター」

kenzee「たとえば「ドラム、村上秀一」と入力するとポンタが叩いた曲がズラーっとリストされるとか。そんなデータベースができたらホントにスゴイ。でも、これは音楽メディアというよりメーカーさんに頑張ってもらうしかない話なんだけど。もう音質なんてmp3、128kbpsあれば上等だと思ってるボクだけどこういうデータは詳細なのがほしいなあ」

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