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リトル・ピープルの歌謡史(J-POP校歌編)

kenzee「宇野常寛さんの新刊「リトル・ピープルの時代」(幻冬舎)を読んだ」

司会者「今、話題の」

kenzee「400字詰800枚からなる大著だ。こんな立派なハードカバーの単行本が批評でだせるなんてスゴイ」

司会者「じゃあ書評ブログらしく紹介してください。どんな本ですか」

kenzee「昔はビッグ・ブラザーだったが、今はリトル・ピープルだという話だ」

司会者「(コイツに聞くのがバカだった)あーナルホドね」

kenzee「アナタ、高校野球とか観ます?」

司会者「普通の社会人はそんなの観れません」

kenzee「私はまったくスポーツ観戦という趣味がない。子供の頃、親にイヤイヤ甲子園に連れられたことがあったが、ズーッとトランジスタラジオでMBS毎日放送「ありがとう浜村純」など聞いていた。どんな試合だったとかなにも記憶にない」

司会者「イヤな子供だなあ」

kenzee「前に一度速水健朗さんにお会いしたとき、「kenzeeさんサッカーとか観ます?」って聞かれて「200%観ません」って答えたら「じゃあ、もういいです」って言われた。あの人なんでそんなリア充みたいな趣味があるんだ?」

司会者「リア充なんじゃないんですか?」

kenzee「高校野球なんて高校卒業以来観たことないが、今年はJ-POPみたいな校歌が話題になったので気になっていたのだ」

司会者「愛知県代表至学館高校の「夢追人」ですね」

kenzee「ニュー速などネット上でも話題になったので聴いた人は多いと思う。校歌らしからぬ昨今の歌謡曲のようなメロディーにゆずというかコブクロというか猿岩石というかつまり速水さんの好きそうな歌詞がついた、現代の若者には親しみやすい感じの曲なのだ。聴いてみよう。

一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ 

一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった

海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた

夢を追い続けた そしてここまで来た でもどうしてかな熱い涙がとまらない

うつむきかけた時 君の顔が見えた

差し出された白い腕が翼に見えた

我々の校歌の概念をブっ飛ばす新鮮な歌だ。まず、校歌なのに地元の川だの山だの名所旧跡だのといった固有名詞がまったく登場しない。代わりに「夢」だの「海を渡る風」だの「星」だの「心」だのといった抽象的な、タイムリーな表現をすれば「島田紳助的な」タームが散りばめられる。asahi.com8月6日配信によると至学館高校はもともと中京女子大付属高校という女子校だったのだが、2005年に男女共学となり、そのときにできた校歌なのだという。中京女子大の学生で女子レスリングでアテネ五輪に出場し、銀メダルを獲得した伊調千春さんを取材した中京新聞の記者が取材の体験を元に歌詞を書いたのがこの「夢追人」なのだ」

司会者「学校関係者とかプロの作詞家とかじゃないのね!」

kenzee「違う。ただ、地元の文化人とかが歌詞を依頼されるケースというのはザラにあって、別におかしな話ではない。渡辺裕「歌う国民ー唱歌、校歌、うたごえー」(中公新書)によれば昭和初期に「校歌ブーム」ともいえるものがあって、この頃以降、学校に校歌を制定するのが慣習となった。この時代の作詞者や作曲者の名前を注意してみてみると作詞者では北原白秋、西条八十、作曲者では山田耕筰、信時潔、弘田龍太郎といった同じ人の名前が繰り返しでてくるという。この「校歌ブーム」の時は戦前で、校歌を作詞、作曲できるようなキチンとした音楽教育を受けたインテリはまだまだ少数だったのだろう。これらの人々が校歌ヒットメーカーとなり、膨大な数の校歌を作った。戦前から続く「伝統校」のような学校の校歌にはこれらの作家の作品が未だ歌い継がれているのだろう。しかし、戦後、団塊世代以降の70年代以降のユースカルチャーを経ると、フォーク、ニューミュージック的な校歌が登場してくる。「夢追人」以外にもJ-POP調の校歌というのはいくつかある。今年の高校野球出場校ならなんといっても高崎健康福祉大高崎高校「Be Together」はインパクトだった。

Be Together Let's Be Together

翼に風をまとってはばたく

Be Together 鳥を彼方に連れていってよ

Wow Wow あの風のように

君のココロに寄り添って飛べたら

ああわれらの健大高崎 高崎高校

司会者「河村隆一の新曲ではありません」

kenzee「夢追人、Be Togetherともに特徴的なのはとりあえず「鳥のように翼をひろげてあの風のように大空を飛んでドウタラ」といった西野カナ的な世界観であるところだ」

司会者「西野カナが音大の先生になる日も近いな」

kenzee「大分代表明豊高校校歌「明日への旅」などは作曲、南こうせつ、作詞、奥さんの南育代というある意味ホンモノのフォークソングだ。

司会者「夢をあきらめないで」系ってのがありそうですね」

kenzee「宇都宮工業高校第二校歌「無限大」はなんと布袋寅泰先生の手による校歌だ。

真っ白な画用紙に夢を描け 感じるがままそう自由に

答えは一つかもしれないけれど 探し方は一つじゃない

小さなひらめき重ねあって 無限大の勇気 手に入れよう

いつかは必ず夢は叶う 信じればこそ 明日がある

司会者「あのー、戦前の山田耕筰とか西条八十の校歌にこんな、「夢、夢」言う歌あったんですか?」

kenzee「ない。というのも戦前の校歌ブームとは明治以来の「国民音楽」政策の延長で起こったものだからだ。再び「歌う国民」に戻ろう」

 明治維新で開国の道を選択し、国際社会にうってでることを決断した日本にとって必要なことは日本という国を、欧米列強に伍することのできる近代的な国民国家に作り変えることでしたが、それは生易しいことではありませんでした。というより、極端に言うなら問題はそもそも日本という国を近代国家に作り変えるなどという話ですらなく、これまでになかった日本という国を新たに作りあげることだったといった方がよいくらいだからです。(中略)「日本」という「国」はその意味では明治になってそのような近代国家を打ち立てるために作り上げられた仮想的な共同体という側面を強くもっています。それをより強固なものにするために、万世一系の天皇を中心とした国体という概念が作り出されそれにまつわるストーリーやら証拠やらが「発見」されました。(中略)「日本音楽」という概念や表象もこの時期に作られたものです。(前掲書)

つまり、「国民」という新たな意識を植えつかせるために、共同体意識を根付かせるために手っ取り早い方法として「校歌」がつくられていった。戦前に刊行された「山田耕筰全集」(春秋社)のなかに「国民歌謡集」という巻がある。その目次は「頌歌」「生活賛歌」、といかにもな(天皇関連、修身の教科書的な歌)歌が並んでいて、続いて「市歌、団歌、社歌」「校歌」と続くのだ。

 彼ら(山田耕筰、西条八十)は二人とも、校歌や社歌を一括りにするときに「国民歌謡」というカテゴリーのもとに考えていました。そこに集められているのは、国家体制や、そこに関わる「国民」としての意識や自覚と結びついた曲といってよいと思いますが、校歌がその一端を占めている、というより、その中でも枢要なものとしてはっきり位置づけられているという事実に注目しておく必要があります。(前掲書)

kenzee「このような経緯で戦前の「校歌」は作られた。「国民意識の形成」という明確な目的があったので「夢をあきらめるな」とか「鳥のようにはばたけ」「ココロに沁みるニャー」といった戯言をほざいてるヒマはなかった。校歌に地元の川だの山だの旧跡が織り込まれる理由についてもこの成立過程を考えれば当然だ。

 校歌が「国民歌謡」として位置づけられていたということの中には、いくつかの重要な含意があるように思えます。まず、校歌によって担われている学校にたいする人々の意識が、学校への帰属意識や愛校心、さらには国家への帰属意識や愛国心ともつながるような性格づけをされていたということがあります。(前掲書)

しかし、戦後、それも団塊世代が教育の側に回って以降、このような「共同体への帰属」といったテーマを持たない、フォーク、ニューミュージック調の校歌が登場するようになるのだ。だが、「夢追人」のようなコテコテのJ-POPが登場するのはやはり平成以降だ。理由は多分、簡単なことで、昭和時代はまだギリギリ戦前の教育を受けた先生が現役でエライ立場にあったため、こんな歌謡曲のようなハレンチな校歌は認められなかったのだろう。ギリギリ卒業式に「贈る言葉」やオフコース「さよなら」を歌うのが限界だったのではないか。だが、平成に入ると「校歌の制定」といった重要な権限も団塊以降の世代に委ねられることになった。すると、」

司会者「ホテイさんに頼もう、とか」

kenzee「チャラチャラした事態を招いた、というのが真相だろう。ボクが不思議だったのはさっそくニュー速にて「愛知県・至学館高校の校歌がJ-POPすぎると話題に」(2011.7.30.)とさっそくスレが立ったのだが、私はてっきり揶揄と罵倒の嵐になっているのではないかと想像した。だが、実際のスレの流れは概ね好意的なものだったのだ。むろん「エロゲのop乙」とか「エロゲ高校」とか「オタ芸打てそう」といった揶揄は散見されたが全体的には「いい曲」「CDでたら初回盤買う」といったようなレスで占められ、大きな違和感はなかったようなのだ。これはどういうことか。自分の感覚の方がおかしいのか」

司会者「ボクは違和感ありますよ。だって、こんなミスチルとかゆずみたいな校歌で育った卒業生ってみんな非正規労働者になってしまいそうじゃないですか?」

kenzee「卒業生みんな卒業後、沖縄あたりでボラバイトとか始めそうな勢いだ。「素敵やん」とかいいながら」

司会者「島田紳助作詞、とかありそうで怖いな。J-POP校歌の現状を鑑みると」

kenzee「たぶん作曲はアラジンの高原兄だろう。で、ここで急に宇野常寛さんの本の話に戻るが、宇野さんの本の要旨はこうだ。かつてこの国の価値観は「戦後民主主義」とも呼べる大きな物語に支えられていた。このような大前提として誰もが認める価値観を宇野さんは村上春樹のベストセラー小説「1Q84」の登場する言葉から「ビッグ・ブラザー」と名づける。同様に90年代以降、経済成長が失速し、ビッグ・ブラザー的価値観が壊死していくのと入れ替わるように価値観の断片化が起こる。このような状況をおなじく「1Q84」からの引用で「リトル・ピープル」と名づける。リトル・ピープル化した現代社会において私たちはどのように生きていくべきか、みたいな話だ。宇野さんはビッグ・ブラザーの象徴としてウルトラマンシリーズを、リトル・ピープルの象徴として平成仮面ライダーシリーズを取り上げる。とにかく大著なのでちゃんと要約することが困難なのだが、私が言いたいのは従来的な校歌を「ビッグ・ブラザー校歌」、80年代以降のJ-POP調の校歌を「リトル・ピープル校歌」と便宜上規定すると、このJ-POP校歌の状況が理解しやすいのではないかと思うのだ」

司会者「つまり、もはや「国民国家」や「地域共同体」といったビッグ・ブラザーなき時代の校歌とは共同体の断片化(リトル・ピープル化)に合わせ、地名などの固有名詞を避け、その代わり「夢」「風」といった抽象的な表現で辛うじて島宇宙を繋いだ、といったような」

kenzee「校歌のリトル・ピープル化の問題ははまさに宇野さんの議論に一致する。ただ、リトル・ピープル化したJ-POP校歌はもはや校歌も役割を果たしているか、という問題もはらんでしまう」

司会者「もはや校歌である必要すらなく、適当にミスチルとか歌ってればイイジャン、という問題ですね」

kenzee「ここまで書いて、ふと脳裏によぎった。「オレの母校の校歌はどうか」問題だ」

司会者「まさか……J-POP校歌?」

kenzee「それはないんだけど、ウチの高校って奈良県でも結構最近にできた県立高校で80年代にできたのだ。wikipediaによると我が母校は1987年に開校したようだ。私が入学したのは1990年なので、4期生ということで我々が入学した年にはじめて卒業生がでた。当然、校歌もそのとき(1987年)に制定された。でね、校歌を聴こうにも学校のサイトには音源がアップされてないのだ。また、You Tubeでも探したがなかった。ま、野球が弱いので公式に歌う機会があまりないのだ」

司会者「そんなん言いなさんな」

kenzee「歌詞は卒業アルバム(押入れから引っ張り出した)にあるのでわかるが、メロディーがどうしようもない。ただ、若いときに歌わされた歌なので記憶の断片にはなんとなく残っている。その記憶を元にメロディーとコード進行を再現してみました」

司会者「またアンタのヘッタクソなデモ音源聴かされるのか!」

kenzee「それでは聴いてください。亀井敦宥(当時の校長先生)作詞、植野真奈美(当時の音楽の先生)作曲。アレンジ、ピアノ演奏kenzeeによる18年前(卒業式以来だと思いますので)の記憶だけで再現した「登美ケ丘高校校歌」

司会者「……このメロとコードが正確なのなら、J-POP校歌ではないね」

kenzee「まだJ-POP校歌には時代的に早すぎたのだろう。だが、歌詞の面ですでにリトル・ピープル化が散見されるのだ。亀井校長先生は我々が入学した時点で結構なお年でたぶん還暦近かったのではないかと思うのだが、「空にゆきかう風のように」という一文にリトル・ピープル化の片鱗が認められる。だが、全体としては西条八十以来の「従来型の校歌」(ビッグ・ブラザー的校歌)であり、「生駒を仰ぐ」「富雄の川」「春日を望む」といった共同体意識の形成としての地名が登場する。校歌の歴史という視点から鑑みると従来型の校歌でありながら、共同体が断片化していく社会を87年の時点で予見しているかのような歌詞だ。バブル経済と3年後に訪れるバブル崩壊とその後の(宮台真司が命名した)95年問題までを射程にいれたような巨視的な視線がある。この歌には。実際、You Tube上の写真では山のなかの一軒家のような我が母校だが、実際は周囲の山林は90年代後半頃から近鉄不動産による大規模な造成が行われ、今はマンションや住宅、あるいはイオンに代表される商業施設が立ち並ぶ、典型的なファスト風土(三浦展)へと一変した。今となっては貴重な航空写真だ。このような時代と風景の変化をこの校歌は予見しているように聴こえる。」

司会者「ていうか、キミのようなダメ生徒が校長先生の歌詞、批評してもいいのか?」

kenzee「オレ一応音楽ライターッス。でね、歌詞はこんな感じなんだけど、問題はメロディの方なんですよ。まあこれ耳コピっていうか「記憶コピー」なんでメロディはともかくコードが怪しいと思うんだけど、スゴイ変わったメロだと思いません? 作曲者の植野先生は音楽の先生でやはりボクは芸術科目は音楽とってたんだけど、ピアノの上手い先生で、ボクのイメージでは「ブリティッシュ」「プログレ」の人というイメージなんだな」

司会者「プログレ校歌」

kenzee「あのー、植野先生が合唱曲で指定したのがユーミンさんの「翳りゆく部屋」なんだよ。別にユーミンさんは構わないんだけど「ルージュの伝言」とか「やさしさに包まれたなら」とかアメリカンポップスの世界もあるわけじゃないですか。あの先生、どうも「翳りゆく部屋」とか「ひこうき雲」とか陰鬱なプロコルハルムみたいなクリエイション的なオアシスみたいな音楽がお好みのようだったのだ。そういった趣味性はこの校歌にも反映している。次回は登美ケ丘高校校歌の音楽的分析からだ」

司会者「ちなみに予告しとくと、この話、最後AKB48でオチがつきますよ」

kenzee「楽しみになってきましたネ!」

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