ナガヒロ具合悪いんだからふざけんじゃねーぞ事件(前回の続き)
kenzee「いよいよ「レッド」(山本直樹による連合赤軍事件の漫画化。講談社「イブニング」連載中)も遠山批判まできたか…」
司会者「じゃあ時間的にはあと1ヶ月ぐらいで浅間山荘ですか」
kenzee「この1ヶ月が長いんだよ。こっからバタバタ10人ぐらい殺されるので。ところで7月25日のDOMMUNEにてSNOOZERの廃刊記念イベントやってたの観ました? 田中宗一郎さん始め野田努さん、磯部涼さんとか岡村詩野さんといったSNOOZERに深く関わったライターの方々のトークとタナソウさんのDJプレイという二部構成だったのだが」
司会者「ハッ!音楽ライターみたいな話題や!。そういうブログ記事をキミが書く日を世間は待っていたのだよ」
kenzee「で、そのトークのなかでタナソウさんから「後期SNOOZER編集部はさながら浅間山荘のような状態だった」と表現していて皆さんも(笑)みたいな場面があったんですが」
司会者「どういうことです?」
kenzee「つまり、ゼロ年代も後半に差しかかると編集部員も逃げるヤツとか連絡つかなくなっちゃうヤツとかでてきて収拾つかない状態になってきた。やがてライター同士でも内ゲバ状態が起こり、原稿書かせても相手の悪口合戦になってたりしてそうすると編集長としてもどっちかをボツにするわけにもいかず、困った状況だった、浅間山荘みたいだった、と仰っていた」
司会者「廃刊の今となっては笑い話だが、みたいな」
kenzee「内ゲバの比喩として「浅間山荘」と仰ったのだと思うが、浅間山荘内で内ゲバが起こった、という文献はアリマセーン」
司会者「結局、そっち(連合赤軍)の話かい! 音楽ライター的な話かと思ったら!」
kenzee「浅間山荘内の出来事についてもっとも客観的、冷徹に記録した文献と言えば坂口弘「あさま山荘1972(下)」(彩流社)ということになるが、5人のメンバー間で分派闘争や対立が起こったという記述はない。ただ、辛うじて映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」において「クッキー事件」が描かれている。これは坂口本には「第16章・狙撃」という章で「吉野君の怒り」という項目でわずかに触れられている。なにごとかというと銃撃戦の最中に坂東國男が仲間に黙ってクッキーをツマミ食いしていた、これを発見した吉野雅邦が激怒し総括を求めたという件。坂口本では「そういや、浅間山荘のとき、クッキーがどうしたとか言って吉野君、プリプリ怒ってたなあ。オレがまあまあって宥めたんだけど」ぐらいの軽い記述なのだが「実録・連合赤軍」の監督、若松孝二は実際、なにが起こったのかをレバノンに潜伏中の坂東本人に確認した。以下が、映画で描かれた「クッキー事件」だ。
吉野「今日、坂東は作戦中に配給以外の食糧を食べた。これはこの銃による殲滅戦において極めて重大な軍紀違反である。自己批判を求める」
坂東「いや、作戦行動では、一定程度の自主性は容認される。それが重大な結果を招くのでなければ、作戦中の食糧補給は個々の判断に任せるべきだ」
吉野「俺たちは革命的規律を求めて同志たちに総括を要求したのではなかったか? あんたが食べたあのクッキーこそ、反革命の象徴なんだよ!」
坂東「今は戦時中だ! 敵と戦ってんだ。やっと本当の敵と戦ってんだよ。ばかばかしい! クッキーに革命も反革命もあるか!」
吉野「何だと? あんたそれで同志に顔向けできるのか!」
と、坂東に銃を向ける。
倫教「やめてください!」
吉野「自己批判しろ、自己批判!」
坂口「吉野! 何のためにここまで来たんだ! 銃口は権力に向けろ! 同志だろ! 坂東! お前が自己批判すればすむことだろ」
坂東「……任務中にツマミ食いしたことを自己批判します。これからは革命的規律を守り、団結を固くし、殲滅戦を最後まで闘い抜きます!」「若松孝二・実録連合赤軍あさま山荘への道程(朝日新聞出版)
浅間山荘内での対立というかイザコザといえばこの「クッキー事件」が現存する資料では唯一、認められる。基本、彼らは力をあわせて権力と戦ったのであり、内ゲバというような事象はなかった。これは浅間山荘に限らず、一連の連合赤軍事件全体にいえることで、分派闘争や対立から死者が続出したのではない。対立などないまま、次々と仲間が殺されていったところにこの事件の人間の集団の奥深い業かあるのだ。未だ、不可解といわれるのもその所以だ。ということで、恐らくタナソウさんは「クッキー事件」を想定して浅間山荘の比喩を持ち出したのではないと思うので、そのたとえはいかがかと思う」
司会者「それが言いたいだけで、長いなオイ」
kenzee「あのー対立とか内ゲバじゃないんですよ。モチロン統一裁判始まってからは全員バリバリ対立するわけですが。たとえば坂口が法廷において永田に対し、「肥溜めのような女」「お山の大将」「永田にだまされた」といった発言をするようになる」
司会者「その比喩が正確でないのはわかったから、音楽ライター的にSNOOZERになにか言いたいことはないのかね」
kenzee「ああ、長いこと、大変だったと思います。足掛け14年ですかね。昔はいっぱい音楽雑誌もあったけど。SNOOZERはよく頑張ってこられたなあ」
司会者「素人の感想かよ! なんかもっとないのかよう」
kenzee「あのう、ロック系の雑誌だったと思います。判型がデカくて」
司会者「もういいよ」
kenzee「まあ、SNOOZERのことはおいといてですよ、70年代以降の音楽メディアはすべからくそうなんだけど音楽と自意識がイコールのものとして評価するわけですね。前回の記事のコメントで紅さんが仰ってるのはそういうことだ。音楽は自意識の発露だという妙な定義があってそういうものしかメディアは取り上げない。音楽的にしょうもなくてもそのプラットフォームに乗ればある程度評価されてしまう、という話だと思うのだ。言ってることはよく理解できる。世の中変わったのにまだ自意識との同調が音楽ジャーナリズムだと思ってるヤツケシカラン、というのは理解できる。でも。そういうジャーナリズムがなくなってホントにiTunesとナタリーばっかりになったらどうだろうか。ボクは最近思うのは、「やはり、若者相手のポップミュージックは自意識の問題と不可分なのではないか」ということだ。確かにボクは「もっとちゃんと音楽の話をしろ!」と日本の音楽ジャーナリズムを批判してきた。だが、もともと不可分のものを強引に切り離すことで先はあるのか。急に連合赤軍話に戻って悪いが……連合赤軍の話してもいい?」
司会者「みんなあきらめてますから」
kenzee「情況2008年6月号「実録・連合赤軍をめぐって」(情況出版)の特集のなかで若松孝二と西部邁の対談が載っている。西部は「実録」を評価していて、理由は
西部「…とりわけ日本映画は何か自意識というか「俺の気分は憂鬱だ」とか、「俺は淋しい」「やるせない」「目的がみつからない」とか、その手の自意識の心理描写が多い。有名なセリフで小林秀雄が戦前、「自意識なんかには詰め腹を切らせよ」というふうにいったのを、そういう映画を観るたび思い出していた。文筆家であれ、映像作家であれ、お前さん方の自意識の垂れ流しはもういいよと。さっさと詰め腹を切って死んでくれという感じがあった。しかし、今度の映画だけは、そういう監督や製作者の自意識の垂れ流しは微塵もない。成功の第一原因は連合赤軍という問題についてあれこれ自意識に基づいて解釈をし始めるときりがないというか、作品にならないというか、そういうふうに見定めた、さすが年季の入った親分の仕事だなと、映画論としていえばそういうことになる」
ここでは作者の「自意識」を捨て去ることに評価が与えられている。まさに映画職人として事実を残すという目的に特化した映画なのだと。ところでSNOOZER#79「特集レディ・ガガに勝てない日本のロック」の鼎談において作者の「自意識」をどう評価するか、どう扱うかで議論が分かれるのだ。
野田努「なぜ「スヌーザー」は銀杏ボーイズとかまってちゃんを否定するのかが俺はわからない。実は「スヌーザー」こそ一番誉めるべきじゃないの? こんがらがったボーイズ&ガールズっていうコンセプトで「スヌーザー」がやってるんだとしたら、一番正面からやっているのが銀杏だとかかまってちゃんじゃないの?」
田中宗一郎「僕は常に状況に対するオプションを音楽の中に見たいわけです。オルタナティブがみたいわけ。でも、僕からすると彼らは状況のドキュメントでしかないし、状況のリアクションでしかない。でも表現ってのはその先を行くべきだと思う」
磯部涼「二人の銀杏批判的なものを聞く時に疑問に思うのは果たして銀杏ボーイズをちゃんと聴いたことがあるのかっていう。やっぱり彼らの音楽で救われてる人もいるし。俺は救うことがいことだとも思ってないけどもタナソウさんが言ったようにこれは単なる現実を描写しているだけじゃないかっていうんだったら彼らに救われてる子たちの立場はどうなるのっていう気はするけどね」
タナソウ「まさにそう。彼らの音楽とのオーディエンスの繋がりというのは救済って言葉に象徴されるように非常に相互依存性が高い。それが、ちょっと違うんじゃないかって感じてる」
つまり、小林秀雄の「詰め腹切らせ」話からいくと磯部さんは「自意識の表出とそれによって救済されるオーディエンスもまた音楽的なコミュニケーションだ、という反小林秀雄的な立場だ。だがタナソウさんは意外と小林派なのだった」
司会者「そしてキミはバリバリ小林派ということになるわけやね」
kenzee「でもね、胸張って「私は小林派ですよ」と言えるのかオレ?って自問自答してしまうわけですよ。銀杏とかよく知らないけど、やっぱりかつてブルーハーツ聴いてガーン、とかそういう中高生時代とかあるわけですよ、自分にも」
司会者「フリッパーズだって「音楽的に」聴いてたわけじゃないでしょ?」
kenzee「モチロン自意識のナントカで聴いてたわけですよ。だって、音楽的なことで言ったら別段珍しいことやってないからねえ「カメラ・トーク」とか。タナソウさんはナゼ、そこまでドライになれるのだろう」
タナソウ「銀杏ボーイズを熱心に聴いてる人たちのとんでもない社会性のなさを「スヌーザー」のアルバイトという具体的なサンプルから本当に何度も痛感させられたって話ですよ」
司会者「私怨か!」
kenzee「でもわかりますよタナソウさんの怒りも。小沢健二の自意識ファンも痛いもん。オレが小沢の原稿書いたらメールとかでつっかかってくるヤツドッチャリいたもん。小沢ファンどんだけ人生こじらせてるヤツばっかりやねんと。タナソウ、わかるぜその気持ち!」
司会者「そのポイントで共感か!」
kenzee「でも常に人生こじらせる困った子って一定数いるわけじゃないですか。今の子にとっては銀杏なのかもしれないし、ボクの年だとフリッパーズはホントにそういう存在だったし。上の世代の人にとってはナゴムとかがそうなのかも知れないし。永田洋子(元死刑囚)みたいな人って要は40年前の銀杏っ子ってことでしょ」
司会者「そういう子の救済機関としてロキノンがあるとしたらある程度社会に貢献しているとはいえないかと」
kenzee「そう、だからロキノンバカにして溜飲下げる時代はもう終わったんじゃないかと。紅さんの仰る意味はすごくわかるんだけど若者向けの音楽にはそういう「自意識コミュニケーション」の側面が絶対あるし、結局バランスなんですよ。銀杏っ子みたいな人ばっかり音楽雑誌業界に入ってくるから、活字のほとんどが銀杏とかかまってちゃんとかCoccoみたいなのばっかりになっちゃう。ユニゾンとかクラムボンみたいな音楽的なバンドがいっつも隅っこになっちゃうのだ」
司会者「もうちょっと建設的な方向に話戻せませんか」
kenzee「西部邁の話に戻ると山岳ベース(連合赤軍事件におけるリンチ事件の現場)でも自意識の揺れはあったはずだ。だが、その自意識を容認する状況にないと……
西部「あの事件そのものがあそこに登場した連中、殺された人間たちも殺した側の人間たちも、それぞれ当時の一人一人に尋ねてみれば自意識の揺れ動きはあっただろう。あのような事件のある種の恐ろしさというのは、そういうものを当事者自身が微塵もださないし、だすこともできない。それが極端にまでいってしまった政治というものの必然、それがあの事件なのだろう。もう少し言うとこの映画に「もののあわれ」を感じた。僕がここで言う「もの」というのは、ある状況のもとである方向に踏み出すとそれこそ避けようもなく逃れようもなく克服しようもなく進んでいくプロセスということだ。これが連合赤軍の榛名山でのリンチとあさま山荘両方含めて、ほとんど必然に「もの」のプロセスに飛び込んだあるいは巻き込まれた、それを推し進めざるを得なかった人間たちの「もの」になってゆく姿を炙り出した」
人一倍自意識の強い若者たちがあの山岳ベースには集まっていた。たとえば榛名山で殺害された一人、大槻節子の手記「優しさをください」などを読むと、「アレ、銀杏ファンの日記?」と見紛うほどに自意識炸裂の一冊だ。SNOOZERが創刊された98年とはちょうど私もCD屋で働いていたのでリアルに当時の状況を思い出すことができる。
タナソウ「スヌーザー的な文脈で98年世代ってのがあるんですよ。ミッシェルガンエレファントがブレイクして、ドラゴン・アッシュ、椎名林檎、ナンバーガール、くるり、スーパーカーがでてきた98年」
さらに、aiko、宇多田ヒカル、といったメジャーアーティスト、前年まで含めると中村一義、スガシカオといったところまで含めるとスヌーザーとは自意識のロックと共に産声を上げたのだとわかる。
タナソウ「でね、さっきの銀杏の話の流れで言いかけたことがあって。この10年間、これほど世の中の人たちが承認欲求を強く感じながらなおかつ、その承認欲求そのものを隠したがる時代はなかったと思う。で、そういう状況をもっとも表象してるのが銀杏ボーイズと彼らのファンの関係だと思う」
磯部「承認欲求っていうのをわかりやすく言い換えたらメンヘルの時代だと思うんだよね。現代の日本は。そういう意味で言ったらゼロ年代の日本を象徴するドラッグは安定剤だよね」
司会者「承認欲求が強くありながら、それを隠さなければならない状況、ネットを巡る状況についてだと思うが、手軽な承認マシーンのネットだが、リアルの人間関係においてブログやSNSやツイッターにおける自意識を人は隠そうとするもの。それはゆるやかに山岳ベース的な状況だといえるのではないか。そのような閉塞的な状況に音楽が共同性を繋ぐ役割を果たすことがある。
夕食後は土間で、兵士達みなとストーブにあたりながら、景気づけに歌を歌った。歌は労働歌が多かった。皆元気に歌っていた。山本夫人がきれいなソプラノなのには驚かされた。私と青砥氏、山崎氏、行方氏は新倉ベースで「同志よ、固く結べ」の合唱を練習したので、それを披露した。こうして気分が盛り上がってきたとき、森氏が土間に来て「歌なんか歌ってずに、(行方氏に)皆から総括について教わったらどうだ」といった。盛り上がった気分はたちまちつぶれ、私たちは歌をやめてしまった。(植垣康博「兵士たちの連合赤軍」彩流社)
kenzee「つまり、銀杏のようなガス抜きみたいな音楽やそれをフォローするロキノン的ジャーナリズムもやっぱり必要なのではないかということだ。さて、まとめに入ろうと思います。ボクがナゼ、ロキノン調のジャーナリズムが気に食わないかというと「音楽的な評価ではないから」というのがひとつ。あと、自意識ロック批評ってある種の自動化された言語でナンボでも生成できるんですよ。スーパーのチラシの見出しと一緒で。つまり、才能のないライターの小遣い稼ぎの温床になっているという面は看過できん。。でも、「自意識ロック」を必要としている子は常に一定層いるので駆け込み寺として機能している面もあり、排除はいかがなものか。で、そういうジャーナリズムで育った子がライター業界に入ってくるので音楽についてのジャーナルとはこういうもの(自意識ロック批評)だと思い込んでる人がさらに状況を強化することになる。そうすっと音楽を音楽として語る、という訓練を誰もしないまま、マッチポンプ産業化し、次のかまってちゃん、銀杏がでてくることだけを待望するようになる」
司会者「ホントはキミが編集者に「kenzee、音楽の話担当者」、って認識されてることが気に食わないんじゃないの?」
kenzee「ボクも一応、ブルーハーツとかで産湯を浸かった中学生だからさ。タナソウさんや紅さんのようにドライにはなりきれないな。自意識ロックの話もするし」
司会者「それにしても「なんでもエロ話にもっていく黒木香」のようにキミはなんでも連合赤軍にもっていくな」
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コメント
自分も無罪モラトリアムとかクムイウタとかにしっかりハマってたんでそこまでドライってわけでもないんですけどね。
通過儀礼的にそういうものに惹き付けられるってのは誰にでもありますし、バンプやラッドみたいな中二音楽なんて揶揄されるようなセンシティブな音楽だって駆け込み寺として必要だと思います。
ただ、ハマってて気付いたんですけど同じアーティストの作品でも自意識寄りであるほど奥行きがあってそうじゃなくなるとアクが薄いなんて言われるのが気になってたんです。シリアスで内省的だと真摯で、エンタメ性が強いと軽薄みたいなイメージってどうよ、と。
オザケンのファーストとコーネリアスのファーストに対する扱われ方の違いはずっと気になっていました。
活動休止前のCocco、ミスチルの深海、独身時代のユーミンなどアーティストの自意識とシンクロしちゃう人が多いと熱狂的な支持が起きますが、その支持が時に叩きとセットとなるのが残念な時があります。
特にユーミンなんか松任谷由実になってからは大衆向け云々と散々言われていて、Coccoも元ファンからの批判に辟易していたようですし。
投稿: 紅 | 2011年8月21日 (日) 16時03分
椎名林檎にCocco……。今考えると98年てのどかな時代だったのかな。98年といえばモー娘すら自意識ミュージックだった気がする。AKB48を観てるとみんなちゃんとゲームのルールを理解して役割を全うしているような感じで。モー娘は自意識のぶつかりあいだったじゃないですか。LOVEマシーンで紅白でたとき、明らかマジックが起こってたもん。AKBはマジックは起こせないと思うんだ。99年だからあのデタラメなマジックが起きた。秋元康の怖いところは10代の女の子という難しい生き物の自意識を管理してることだと思うね。上記の磯部涼さんの引用などから鑑みるに磯部さんは音楽をそういう「マジック」のことだと思ってると思うんですよ。確かに95年のさんぴんとか99年のブルーハーブとか2005年の銀杏とかにはマジックがかかってたと思うんですよ。でも、そのマジックを追うことが音楽ジャーナリズムなのかっていったら違うんじゃないかと思うのですよ。だって、たぶんそのマジックって音楽とは別のなにかなんですよ。なんていうのかな、ボクだって98年に戻りたいわけですよ。毎月椎名林檎はでる、宇多田はでる、ミッシェルはでる、スガシカオがでる、小沢さんも辛うじてシングル切ってたし。さんぴんの人たちもいよいよ本気で、ジブラのファーストにライムスターのリスペクト、ソウルスクリームのファースト、ブルーハーブのファースト……、スゴイ年だった。この頃はメーカーも金があったので邦楽の再発が凄かった。70年代のニューロック物の再発が一気にでた。いい時代に現場にいたなあ。でも、あの頃の自意識ミュージックから脱皮できたミュージシャンって何人いるかというと……。椎名、スガシカオ、クレバくらいしかパッと思いつかない。自意識コミュニケーションって次、ミュージシャン自身を追い詰めていくから怖いんですよね。銀杏って完全にそういう状態なわけでしょ。
投稿: kenzee | 2011年8月21日 (日) 23時32分
98年かあ・・・まだフィッシュマンズもいましたね。佐藤さん、99年3月に亡くなっているので。
コッコは私も最初の二枚を生きるよすがのよーにどっぷり聴いてましたが、さいきんのは聴いてないです。是枝監督のドキュメンタリー映画はとても良かったけど
あと、沖縄でやった「ゴミ拾い大作戦」ライヴドキュメンタリーも 泣いてしまいましたが
デビュー時は「メディア嫌い、インタビュー嫌い、唄うだけ、でも唄うのもほんとうは辛い作業で唄いたくない、でも唄わないのはもっと辛い」
みたいなことをよく言っていて。
いまは本も出してるし(一冊めの絵本だけ買った)さらには
「小説」にまで手を出してるのをみて、わけがわからなくなりました
98ごろからいまに至るまで聴いてる邦楽ミュージシャンは、自分にとっては、ソウルフラワーとカーネーション
あと、「たまの映画」で「たま」愛が復活して、知久さんのソロライヴに通ったりしています
それと、「自意識ミュージックから脱出」っていうと、さいきんの七尾旅人くんとか、そんな感じなのでは
むかしは私は濃すぎてついていけんかった(私よりもっとマニアックな友人は自分を投影させてハマッてた)私はいまの風通しのいいほうが好きです、昨年の新譜、ヘビロテでした
そして佐藤さん亡きあとのフィッシュマンズの曲はだれがカバーしても
(ドラムの欣ちゃんは別格として)
「かなうわけねーだろ」と冷たく思ってましたが
七尾くんが唄うのを聴いて 初めて
しんみりしました
投稿: がれき撤去作家 | 2011年8月30日 (火) 17時29分
がれき撤去オツカレサマです!「見知らぬ人へ、おめでとう」「黒うさぎたちのソウル」のことも書かないとなー。七尾旅人はイロイロ苦労してはったみたいだからなあ「Rollin'Rollin'」は宇多丸のラジオでかかってボクもヘビロテでしたよ。たぶん村上春樹とか団塊の世代がずーっと69年頃の音楽の話するように我々ぐらいの年の人間ずーっと98年から逃れられないんですよ。ホイチョイの人がずーっと89年を生きるように。友部正人さんが71年ぐらいからずーっとトシとってないように見えるように。98年はいい時代だったなー。街もデタラメな感じだったし。
投稿: kenzee | 2011年8月30日 (火) 20時37分