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2011年12月30日 (金)

kenzeeのひとり忘年会

kenzee「ボクの会社、28日が仕事納めなんですよ」

司会者「はァ、オツカレだったね」

kenzee「で、29日は毎年自分の部屋の大掃除をするワケだが」

司会者「どうせどんどん物が増えて収集つかなくなってるんだろ」

kenzee「本棚を整理してみまシタ」

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司会者「全然整理されてないじゃん!ジャンルもなにもメチャクチャ。音楽も新書も連合赤軍もグチャグチャ」

kenzee「サリゲに木村先生の本とか前に持ってきたりして」

司会者「ヤラセじゃん!」

kenzee「ちなみにこの本棚はコーナンで売ってる自分で組み立てるヤツだが、おわかりだと思うが二列に並べてしまっている。奥の列の本をちゃんと把握してなくて持ってる本また買ってしまうこともシバシバ。でも奥にあるのは普段必要のない本ばっかりなんだ。村上春樹の「1Q84」とか」

司会者「コラコラ」

kenzee「昔の文芸誌とかこんなに」

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司会者「もう捨て捨て捨て!ゴミゴミ!」

kenzee「今年のブックオフ最大の収穫はこのFRONT(ヒップホップ雑誌blastの前身)の昔のバックナンバー一冊100円で一気買いしたことかな」

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そんなワケで一応片付けたので今年の読書を振り返ってみたい。結局今年は新書ばっかり読んでた気がするなあ。で、今年読んだ本の一位はもう決まってるんだ。コレ。「レコード・バイヤーズ・グラフィティ」(ミズモトアキラ著・リットーミュージック)

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「ヴァイナル・マニアの数奇な人生」という副題がついているが、その通りソノシートにとりつかれた女性、岡本みどりさん、レコード博覧強記で知られる常盤響さんがたどりついたアジアレコの世界。レココレのインパクト広告でオナジミ、フラッシュディスクランチの店長椿正雄さんなど、真のヴァイナルアスリートたちのディープなレコード人生を聞くドップリ深い一冊。ボクが一番心に残ったのは馬場正道さんのインドネシアのレコード探訪記だな。馬場さんはGROOVEなどにも時々登場する20代前半の好青年なのにインドネシアのポップスに魅せられてしまった。たったひとりでフィリピン、ジャカルタ、そしてインドネシアのかなり危険な地域まで足を伸ばしてレコードを漁るのだ。で、やっぱりイタイ目にも遭う。これはもはや青春小説だ。彼は「ファンキー・コタがブームのようだが、インドネシアにはもっといい音楽がいっぱいある」と主張する。とにかくボクは誰もしらないレコードをたくさん持っている人は無条件に尊敬しちゃう。次はコレ。「文化系のためのヒップホップ入門」(長谷川町蔵x大和田俊之著・アルテスパブリッシング)

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これは山下達郎もファンクラブの会報で「今年の一冊」と絶賛していた目からウロコの一冊だ。ヒップホップ文化の発生から現在に至るまでの流れを社会学的、文化史的に追っていく。ひとことで言うと理想的な「反ロキノン批評」。これほど「思い入れ」と無縁な音楽評論は見たことない。特に2000年代のUSシーンについてはサッパリついていけてなかったので勉強になりました。後半、ヒップホップとは「場」なのだ、という結論は奇しくも宇野常寛さんの「リトル・ピープルの時代」における「サブカルチャーのゲーム化」という話にシンクロしていてオっと思う。とにかくコラムまで捨てページなし!1800円だが、全然安いよ!」

司会者「今年の新書はどうです」

kenzee「去年の年末から今年にかけては新書は豊作だったなあ。これは去年でた本だけど今年読んだ一位。「創られた「日本の心」神話」(輪島祐介著・光文社新書)

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要は演歌の研究書なのだが、我々が「演歌」という言葉から連想するようなNHK的なイメージとは最近、少なくとも70年代以降に捏造されたものであって、演歌とはもっと反社会的なものだったし、被差別階級の怨歌だったし、また洋楽の輸入音楽でもあった。本来もっと豊かなものだったのだ。演歌が現在のイメージを獲得するまでには左翼文化人に便利に使われたり、藤圭子の登場でアイドル的な金を生むシステムになったり、紆余曲折を経ている。ボク的には藤圭子のプロダクトが後のアイドル歌謡の原型になったというところに目からウロコが。一般には南沙織がアイドル一号とされているが、実際には若年者層を明確にターゲットにし、支持を得た藤圭子こそが最初のアイドルだったのだ。後半、椎名林檎に代表される「昭和歌謡」まで手をのばしているがボクはむしろそっちよりシャ乱Qを取り上げるべきではなかったかと思う。当時近田春夫が「ジャンル名をつけるならハードコアムード」を言ったように正しく演歌的感性を継承していたのは彼らだったと思うのだ。また、演歌をはじめとする日本の大衆歌謡に連綿と見られる女性蔑視の感覚は小室哲哉の歌詞に継承されていたと思うのだがどうか。藤圭子に繋がるのは椎名林檎ではなく、モチロン宇多田ヒカルでもなく、華原朋美だと思うのだ」

司会者「さっきのヒップホップ入門でもラップにおける男尊女卑が論じられていましたね」

kenzee「うん、ポピュラーミュージックの中の女性、というのは最近よく考えてるんだ。70年代まで女の人の歌う歌は女々しいものだったのに、男をヨイショする歌ばっかりだったはずなのに今、そういう歌手っていないじゃん。AKBとか全然女々しくないし。いつからそうなったのかとか考えるんだ」

司会者「アニソン歌手とか女々しそうですよ」

kenzee「新書はいっぱいあってマイったな。荻上チキさんの「セックスメディア30年史」(ちくま新書)エロ本や、AVといった長閑なメディアから出会い系、アダルト動画サイトといったデジタルメディアへの変化、またはTENGAに代表される大人のオモチャのカジュアル化、2000年代の条例改正後の風俗の現在、など当事者のインタビューも交えた力作だ。ザックリ言うとエロメディアがどんどん目に触れにくくなって、より機能的になった10年、という感じかな。アダルトサイトにせよ、派遣型風俗にせよ、パッと目につかなくなっている。一番おもしろいのはTENGAの社長の話です。逆に川本耕次「ポルノ雑誌の昭和史」(ちくま新書)はもう若い人は知らないだろうビニ本、自販機本の歴史を残しておこうという時代の証言だ。コワモテの著者だが軽妙な筆致でエロ本の黄金時代についてあれもこれもと語り尽くす。川本さんは70年代のエロ本についてのサイトも運営していて、これはサブテキストになるのでスマホ片手に読むことをオススメする。

B5判64ページの夢 http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/index.html

あと、ボクはミュージックマガジンに寄稿させていただいたことがあるのだが、今年はミスターミュージックマガジン、中村とうようさんが急逝した。なんとも不思議な亡くなり方だったが、そういえばとうようさんの文章ってちゃんと読んだことなかった。なので

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便利な本がでたので買った。「中村とうようアンソロジー」(MUSIC MAGAZINE増刊)。とうようさんの音楽の趣味のスゴイところはこれだけネットとかが普及して音楽の趣味が多様化した現在から見ても傍流であり続けているということだ。どんな辺境な音楽もすでにとうようさんが通ったあとのような感じがするのだ。あとは、渡辺祐著「歌う国民」(中公新書)。ここでも左翼論壇に歌が便利に使われるという歴史に触れている。面白いです。やっと文庫化した原武史著「滝山コミューン1974」(講談社文庫)70年代の団地の話って時点でワクワク。津田大介+牧村憲一「未来型サバイバル音楽論」(中公新書ラクレ)津田さんはレンタル文化を初めて歴史化した人。前作「だれが「音楽」を殺すのか?」とあわせて読みたい。町山智浩著「トラウマ映画館」(集英社)観たい、しかし観れない。忘れちゃいけない速水健朗著「ラーメンと愛国」(講談社現代新書)。それからというもの、昼メシに天一食う回数増えてる希ガス」

司会者「それに今年はクイック・ジャパンさんにはお世話になりましたね」

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vibesというコラムページに96号~99号にかけて書かせていただきました。maiko、UNISON SQUARE GARDEN、KREVA、ラーメンと愛国と結構好き勝手に書かせていただいてQJさんの太っ腹に感謝。原稿料の大部分が本代とかCD代に消えていったのだ。新手のマッチポンプ産業か」

司会者「違うよ! 今年はあんまり更新もしてなかったのに依頼してくださってありがたかったね」

kenzee「ベタなこと言うとやっぱり震災以降、なにも書く気がしなかったよね。ツイッターすら書く気がしない。なにを書いても虚しいような気がしたし。その証拠に震災直前とかあさま山荘の話で大盛り上がりだったわけで。それが急にやる気がなくなった。ボクは関西人なので直接はなにもないんだけどそれでも影響があったんだね。もし原稿の依頼をいただかなかったらブログ自体やめてたかもしれないね。もちろん今でも3.11の問題はなにも解決してないんだろうけどそろそろ書きたい欲が高まってきてる感じがするね。そろそろ文芸誌のほうに戻ってみたい気もするし」

司会者「今年は夏にスマホ買って以来、スマホばっかりいじってなかった?」

kenzee「ヒマさえあればいじってたなあ。イカンなあ。年末年始は読む本もいっぱいあるんだ。古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)これは途中まで読んだ。仲俣暁生「再起動せよと雑誌はいう」(京阪神エルマガジン社)面白そう。磯部涼「音楽が終わって、人生が始まる」(アスペクト)タイトルいいね。雨宮まみ「女子をこじらせて」(ポッド出版)話題になってるね。東浩紀「一般意志2.0」(講談社)まだ読んでなかった!木村紅美「春待ち海岸カルナヴァル」(新潮社)よく働くなあ。これだけ読みます。正月はコタツからうごけないヨ!」

司会者「音楽は?」

kenzee「今年一番聴いた曲はライムスター「into the light」。一番聴いたアルバムはUNISON SQUARE GARDEN「Populas Populas」。あと岡村ちゃん「エチケット」。スガシカオのベスト「Sugarless2」も良かった。イロイロあった2011年だけど来年はもうちょっと景気がいい感じでいきたいね。これで書き納めということで、あとは飲むだけだね」

司会者「ガンマGTP高かったんだろ?ホドホドにしなよ」

kenzee「ア、追記。夏頃にこの記事で面白いサイトのホテルヘルス梅田「ヒーローズ」 を紹介したところ、店長さんからお礼のメールが来るなどホノボノした展開になったが、当時ヒーローズは狭い路面店だったのが今や広い待合室のあるテナントに引っ越したのだ。だが、相変わらずサブカル丸出し営業のようだ」

司会者「繁盛しているのかな」

kenzee「サイトの文章も相変わらず飛ばしているようだ。商売繁盛でなによりだ。それではみなさんよいお年を!」

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2011年12月 4日 (日)

人生はブログ。がむしゃらに書くブログです。夢。(ラーメンの話です)

kenzee「最近、ネット環境を一新しました。高速モバイルってヤツにね」

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司会者「これはドコモのxi(クロッシイ)! 新しもの好きだなあ」

kenzee「オマケで富士通のネットブックがついてきたのだ」

司会者「やっぱサクサク繋がるんですか?」

kenzee「You Tubeとか余裕でサクサクなんだけど、radikoが時々ブチブチ切れるよ。あと、ウチだとまだクロッシイエリアじゃないんだよね。奈良だとまだFOMA接続なのだ」

司会者「気が早いなあ」

kenzee「これが今まで使っていたPC、IBMThink Padだ」

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司会者「ナニこのコキタナイパソコン」

kenzee「過去6年間に及ぶブログ記事および商業誌原稿はすべてこのコキタナイPC、略してKPCで書かれたのだ! 買ったのは7年前、当時12万円した! 7年ぶりにPC買ったら100円パソコンの時代は終わってゼロ円パソコンだったという!」

司会者「時の流れはスゴイなあ」

kenzee「この富士通のネットブックは軽いのでサ店とかにも持っていける。伊坂幸太郎のようにサ店で原稿書きもできるのだ」

司会者「お店の迷惑にならないようにね」

kenzee「もうすぐでるQuick Japanのvibesというコラムページがありますが、速水健朗さんの「ラーメンと愛国」(講談社現代新書)について書いています。この本の書評というのが一体どれぐらいでてるのか知りませんが速水さんはスゴイ書評がしにくいタイプの作家なのね。速水さんの本の特徴はガッチリ文献を当たってまとめられていて完全防御タイプ、完全ガード戦法の作家なのです。揚げ足をとる余地がない。ところが最近の新書や批評のトレンドとは多少揚げ足を取らせる余地を残す、というか「あえてトンデモなことも言ってまーす」という体で書くというのがある」

司会者「「仮面ライダーがグローバリゼーション社会なのだ」「ちょwwwwおまww」といったような」

kenzee「その「ちょwwwおまww」まで含めたコミュニケーション全体が批評、みたいな空気があるのだ。なにしろ今の新書シーンは10年前と違って点数がケタ違いの上にブログなどのネット上の文章まで含めるとリアクションの量が何倍にも膨れ上がっている。で、書評というものはある程度本体でボケていてくれたほうが書きやすいのだ。というのも「イヤーこの本トンデモなとこもあるが、読むべき点もあるね」という論旨にもっていけるワケで、1200字~2000字ぐらいにまとめるときにこのもっていきかただと大体うまくハマるのである。ところが速水さんという作家はそのようなヌルいコミュニケーションを許さないガチ戦法なので、リアクションが難しいのである。結局、内容をなぞってるうちに1000字ぐらい費やしてしまって、遠足の作文のような悲惨なことになってしまう。しかし、そんな速水さんの本にあえてボクは挑戦した!」

司会者「(アレ?これもしかしていつもの「商業原稿言い訳サブテキストか?)」

kenzee「そうすると「ハハア、アメリカの小麦政策が戦後の食糧難の日本にラーメンやスパゲッティが中華やイタリアンといったオリエンタリズムを偽装して米資本が入ってきたんだな、なるほど巧妙な植民地化だ!」とか言ってるうちに1000字ぐらい行ってしまうので、悩むわけです。そうなると、手は一つしかなくてですね、つまり関係ない話を書く、というワザがあるんですね。というわけでQuick Japan99号は12月12日発売でござる。で、ヤレヤレとか思ってスマイル肉まんでも食おうとファミマに行ったらこんな表紙が目に飛び込んできた。

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コレ、ミーツ・リージョナル別冊「ぞっこん!めんライフ」ですが、たぶん関西でしか売ってないと思うんだけど、要はラーメン店とかうどん店の特集です。するとだね、まさに「ラーメンと愛国」で速水さんが言ってることがそのまんまでワロタみたいなことになってるんですよ」

司会者「大阪はラーメン屋意外と少なくてむしろ京都のほうが激戦区だったりするんですよね」

kenzee「大阪はウドン文化が強いのでこんなにラーメン店が増えたのは意外と最近だ。なにしろミナミを舞台とした映画「ブラック・レイン」でも高倉健が屋台でウドンを食うシーンがあるほどだ。で、半分ウドン店、半分ラーメン店特集みたいな構成なのだが、ここに店主や店員さんの写真が載っている。まず、うどん屋さん。

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これは関西では有名な讃岐うどんでオナジミの「釜たけ」店主とそのお弟子さんたちだ。昔ながらの商店街の魚屋さんとか八百屋さんかのような出で立ちなのだ。ちなみに腕組みしているのは10人中2人。次はラーメン屋に行こう。

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これらは東京の大勝軒や二郎インスパイヤ系でオナジミのラーメン荘夢を語れなどここ数年に間に関西に出店した新参店だ。わかりにくいかもしれないが5店紹介されているなか

4人が腕組みしているのがわかる。次は家系というのでしょうか、お弟子さんたちの系列店を多数擁する麺哲のみなさん。

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司会者「確かに黒や紺のTシャツにタオルやバンダナ、Tシャツには「手ザル一番ダシ自家製麺」などのメッセージが!」

これはおなじく家系、きんせいのみなさんだ。

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おおむねTシャツとタオル、バンダナだ。わりと若い人ばかりなのかと思ってたら40代ぐらいの人もいるようだ。20代ぐらいの若い人も多いがみなさんのれんわけを受けた店長なのだ」

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「麺や輝」はさらにヤングな感じだ。もはやバンダナですらなく、ベースボールキャップの店長もいる。ここまでくると「タダの私服では?」という感じだが、若者の街、堀江ならではの服装だ。ただ、速水さんが指摘した作務衣系と呼ばれる陶芸家のような出で立ちはこの特集では見られなかった。もしかすると関西特有の現象かもしれないが、作務衣のような「制服」のような表層よりむしろ先にカジュアル化が進んでいるのではないかという印象だ」

司会者「うどん屋さんのほとんどが特にポーズを決めずに立ってるだけ、の人が多いなか、ラーメン店の方はみなさんなにかポーズを決めている。同じ麺類でもこれほどその属人性が変化するものなのか」

kenzee「面白いのは編集の時点で、うどん店は「うどん的な」編集、ラーメン店は「ラーメン的な」編集なのだ。たとえばうどん店の紹介は主に商品そのものにスポットがあてられていて、どんな素材でトッピングでウンヌンみたいな話が中心なのだが、ラーメンのほうは、まず、家系図やバイオ(ディスコグラフィってなってますけど、コレバイオグラフィの間違いでは?ミーツ編集部さん)からスタートし、メニューもさることながら、各々店員さんのパーソナリティに焦点が当てられるのだ。上の写真でおわかりいただけると思うが、一人一人、プロフィールが掲載されている。たとえば「麺哲」のイカツイ大将、庄司忠臣さんのプロフィールならこうだ。

ニックネーム:マスター、出身地:静岡県、趣味:パソコン、単車、ラジコン、好きな芸能人:矢口真理、好きな食べ物:肉と魚

といった具合に主に店主のパーソナリティ中心の編集だ。つまり、無意識のうちかもしれないが、ミーツさんも「ラーメン店とは店主のキャラにスポットを当てるもの」と考えているわけだ」

司会者「好きな芸能人と趣味が気になります」

kenzee「ランダムにいこう。趣味……プラスマイナス岩橋(芸人?)、松嶋菜々子、スティーブン・セガール、竹中直人、UVERworld、江頭2:50、篠田麻里子、ロバート・デ・ニーロ、ジョニー・デップ、優香、アンディ・フグ、井川遥、中田英寿、ダウンタウン…という感じ。意外と速水さんが期待するような長渕剛とか矢沢永吉という回答はなかった。てっきりゆずとかミスチルみたいな回答ばっかりなのかと思ったら拍子抜けだ。趣味は競馬、飲み、ラーメン食べ歩き、ホームセンターめぐり、野球、サッカー、大工、釣り…やはりこちらは予想通り、郊外の若者らしい趣味が多い。ニコニコ動画、みたいな回答はなかった。ボクが興味深く思ったのは出身地なんですね。おそらく趣味や芸能人は狙って答えた人もいただろうと思うが、あるいは無回答も多い。だが、出身地はみなさん素直に答えている。群馬、静岡、島根、和歌山、福岡、三重、隠岐の島、長崎、熊本……なんと、大阪以外から来られた方が半数を超えるのだ。来歴もまた、脱サラであったり、学生時代に客として来店していたのがそのまま弟子になったケースがおおいようだ。もちろん和食の世界から来た方もいるが、専門的な料理の教育を受けていない方が大半のようだ。これもまた、文化資産や社会関係資本を持たぬ若者でも飛び込める数少ない業界、と速水さんが指摘した通りだ」

司会者「ラーメンポエムのほうはどうなんですか」

kenzee「ラーメン荘夢を語れ」のようなクドイところは別として、ポエムなのはせいぜい宗家一条流がんこラーメン八代目」ぐらいで関西のラーメンは東京ほど説教臭くない感じよ」

司会者「うどんのほうは夫婦でやってたり、家族的な感じのとこがありますけどラーメンは完全に師匠と弟子の関係、家族というより「ファミリー」な感じがありますね」

kenzee「そこでそろそろ驚愕の結論にいくわけだが、宇野さんの本に話を戻すが宇野さんのサブカルチャー論とはこういうものだ。もはや、圧倒的な天才がシーンを引っ張るという時代は終わった。山口百恵や松田聖子のような天才がアイドルを代表する時代ではなくなった。同様にたけしや松本のような圧倒的な影響力がお笑いを代表する時代ではなくなった。ではどうなったか。宇野さんは「ゲーム」がシーンを動かしているのだという。たとえばAKB48のメンバーは一人一人は個性的な天才とは言い難い。むしろ十人並というべきだろう。しかし、ひとたびAKBというゲーム(それも総選挙などのガチ度の高い)に参加するとどこにでもいる普通の女の子が個を発揮せざるをえない状況となる。そしてネットを通じてそれに対する非難や賞賛がかなりのスピードで可視化される。お笑いでいえば「アメトーーーーク」のような「場」でどうふるまうか。音楽においても宇多田ヒカルのような天才がシーンを引っ張る状況ではすでになく、ボーカロイドのシーンのように「場」に匿名の作家が出入りし、評価を受ける状況がある。同じような話を「文科系のためのヒップホップ入門」(長谷川町蔵・大和田俊之・いりぐちアルテス)のなかで述べている。ロックとヒップホップの違い、という議論がよく起こるが、ロックのシーンとは演者のパーソナリティーが重要視されるもので基本的な表現の回路が「内省」にあるのだという。それは西洋の文化史をたどれば宗教儀礼上の「告白」に遡れるはずだが、内面の表象、というロック信仰はいまだ根強い。だが、ヒップホップ文化には初めから「内から湧き出る」という考えがない、大量のレコードコレクションの中から編集、つまり東浩紀風に言うなら「データベースにアクセスして」創作するのが前提の文化である。

大和田「(ロックの)オリジナル信仰と「天才」を必要とする傾向はセットであると。たしかに相対的にみるとヒップホップって「天才」と呼ばれるミュージシャンが少ないというか、ファンはヒップホップという「場=シーン」(筆者注・宇野さんのいう「ゲーム」もこれに該当するだろう)に注目している。ロックの場合は「俺はボブ・ディランしか聴かない」というようなファンも多いですよね」

長谷川「「俺はKRSワンしか聴かない」なんて言っているヒップホップ・ファンはいません。いたら格好いいけど(笑)」(文科系のためのヒップホップ入門)

kenzee「確かに自分を振り返ってもヒップホップってコンピから入った。とにかくヒップホップ系のコンピのCDって500円ぐらいで投げ売りされているのでそういうのでヒップホップの耳を作っていった、という記憶がある。あるいはミックステープ、ミックスCD、そういうので「場」全体の空気感を知るのが楽しかったという記憶がある」

長谷川「文章に喩えるなら、ロックは単行本で刊行される純文学で、ヒップホップはTwitterのつぶやきなんですよ。前者は個人の著作物だけど後者はまず場があってその上で表現がある。受け手は個々の表現よりもシーンという名のタイムライン上のやりとりを楽しんでいる。表現する側も、自己表現したいというよりは「セックス」や「ドラッグ」ってハッシュタグに対して気の利いたことを言ってフォロワーを増やすことがモチベーションになっているわけです」(前掲書)

kenzee「さらにこの本では「ヒップホップは少年ジャンプであり、プロレスであり、お笑いである、という。確かに日本のお笑いのシーンとヒップホップ文化はよく似ている。まず、日本で金やセックスをあけすけに語って人気があるのはお笑いだけである。そういう意味では日本のヒップホップよりお笑いのほうが本場に近いといえる。

長谷川「彼らは女好きを吹聴していますけど、本当に愛しているのは自分が属する芸人仲間の集団で、すごいホモソーシャルなんですよ」

大和田「たけし軍団や松本軍団ってよくいわれますけど、あれってクルーですよね」

長谷川「いわゆる良識派からは眉をひそめられる一方で、売れているヤツはそれなりに頭がいいっていう了解が世間的に存在する」(前掲書)

kenzee「ボク、このラーメン特集見て真っ先に思ったのは登場する店員さんのなかに女性がいないんですよ。うどんのほうは夫婦とかいるのに。つまり、ホモソーシャル的なのです。もちろんバイトのなかには女性店員もいるかもしれないが、のれんわけされた者はいないのではないか。そう考えると家系の「家」とはヒップホップでいう「クルー」あるいはたけし軍団、ダウンタウンファミリーにおける「軍団」「後輩連中」に極めて相似形に思えるのだ。地方からでてきた、文化資本や社会関係資本を持たぬ若者たちがファミリーを結成する、そして「場」「ゲーム」を通して社会に繋がっていく。彼らの存在が急にラッパーにように感じられるではないですか。つまり「家系」とは師匠feat.弟子、弟子…というポッセカットなのです。または師匠の冠番組なんですな」

司会者「ラーメンシーンとはもはやゲームであったとは。では、どうしてラーメンがゲーム化していったのでしょう。うどんでもカレーでもなく」

kenzee「それほどの専門的な教育を受けなくてもできそう。でもそれだったら居酒屋でもいいじゃないかという感じがするが……郊外化の問題とも関わってるのではないかと思うね。つまり、居酒屋だったら単純にクルマで行けないし。むしろ最近の若者酒飲まないし。この特集に載ってるラーメン店ってキタやミナミの繁華街中心地より郊外店がほとんどなのだ。いまや大阪のラーメン激戦区は繁華街から遠く離れた高井田という工場の街なんだよね」

司会者「ジャンプやプロレスやヒップホップのような「ゲーム」としてのラーメン。でもプロレスやラップは元々が人気商売であり、飲食店は堅実な堅気の商売じゃないですか。なんというのか、人生のサスティナビリティという点でどうなのだろう。たとえば「家」で法人登録すればみなさんを社会保険・厚生年金に加入させることとかできるわけだけど。奥さんや子供を扶養に入れるとか」

kenzee「でも彼らは一国一城の主なので基本、自営業という考え方なのではないかなあ。でも、関西に関しては速水さんが指摘したような国粋主義的な面倒くさい感じはまだないな。ラーメンがお笑いやヒップホップやAKBのようなバトルの要素を内包していると40年以上も前に指摘していた偉人がいる。

ラーメン人間はいつも少し貧しく、そしていらいらしている。あの、地獄のカマユデのように湯気の立ち上るラーメン屋の台所にはなにかしら「戦争」のイメージさえ思い出させるものがある。(寺山修司・書を捨てよ町へでよう)

kenzee「次はまた歌謡曲の話に戻ろうかな」

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