« kenzeeのひとり忘年会 | トップページ | 女体とカレーのことしか考えていない(根岸吉太郎「遠雷」) »

中二病デスノート発見(新しい企画考えマシタ!)

kenzee「イヤ~暑いですニャ~」

司会者「ナニ半年もサボってたんだ」

kenzee「この前納戸を掃除してたらエラいもんがでてきてしまいまして」

Dsc_0156

司会者「ナニこのノート類」

kenzee「これは私が高校生の頃から2005年ごろまでつけ続けた映画感想文集なのだ」

Dsc_0157

司会者「こまかい字でビッシリ! アンタホントに根暗だったんだね!」

kenzee「自分の根暗さに自分で笑うワ。1992年頃からの記録が残っているのだが当時私18歳ですからね。1番チャラチャラしてていい年代でしょ?」

司会者「なに観てたんです? ダイ・ハードとか?」

kenzee「青春まっさかりのこの92年、なにを観てたか。ちょっとピックアップしてみよう。ベルトリッチの「シェルタリング・スカイ」。なんか砂漠がスゴイ映画だったみたいだね。これは坂本龍一が音楽を担当していて村上龍がどっかのエッセイで褒めてたから観たんだと思う」

司会者「まあ、背伸びしたい高校生らしいチョイスですな」

kenzee「石井聰亙「狂い咲きサンダーロード」。当時の感想によればオープニングの泉谷しげる「電光石火に銀の靴」の投げやりな歌い方にシビレタそうだ。これは多分、大槻ケンヂさんの「グミチョコ」を読んで、「狂い咲き」の話がでてきたからだと思うよ。オレ、高校生の頃、大槻さんの本よく読んでた。つってもまだエッセイが2,3冊でたかどうかだったと思うけど。「グミチョコ」もまだ小説書きはじめたばっかりだったと思う。「グミチョコ」は月刊カドカワの連載時から立ち読みしてた。まさかこの年になって大槻さんの本、クイックジャパンでレビューすることになるとは思わなかったよ」

司会者「中原俊「櫻の園」」

kenzee「これは当時の文化人みたいな人にはマストみたいな作品だったね。女子校の演劇部の話。これは1990年の映画だけどボクが高校に入学した年だ。これにでてくるの演劇部の部員たちは当時のリアル女子高生だけどほぼ自分と同世代の人々ということになる。当時の感想によれば「間違いなく低予算なのに高級感がある。アイデア商品みたいな映画」とある」

司会者「テキトーな感想だなあ」

kenzee「のちに4年ぐらい前にリメイクされましたが、それはガッカリだったんだよなあ」

司会者「木村淳「あいつ」」

kenzee「これはヘンな映画だったなあ。今でも覚えてるのは石田ひかりがエンエン自動販売機をボコボコ蹴るシーン。ナゼか数年前、文藝のアンケート企画で綿矢りさがこの映画をフェイバリットに挙げていた」

司会者「森崎東「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」」

kenzee「これは原発ジプシーの話。むしろ今、観なおしたいよね。当時の感想によれば「原発犯罪の生き証人、原発労働者は現代の特攻隊、といった言葉が重い」とあります。wikipediaによれば去年、やっとDVD化したらしい」

司会者「台湾映画でエドワード・ヤン監督「クーリンチェ少年殺人事件」」

kenzee「暗~い映画だったなあ。60年代に実際に起きた不良グループ間のイザコザで女の子を刺殺しちゃった事件の話。当時の感想によれば「この映画、長い。なにしろ236分。約4時間である。しかも暗い。話もそうだが画面が暗い。風邪ひきそうな作品だ。。。ヒマだったのかオレ。高校生ならもっとやることあると思うけどな。女子グループとカラオケとか。案の定、DVD化はされてないみたいだな」

司会者「しかもそんなガキンチョの観る映画じゃないじゃない。高林陽一「本陣殺人事件」」

kenzee「これは横溝正史の金田一ものなんだけど金田一役が石坂浩二じゃなくて中尾彬なのだ。脂ぎったヒッピー青年というムチャな設定なのだ。そのインパクトだけが記憶に残ってるな。モチロン、ウケ狙いとかじゃなくてマジメなATG映画なんだよ!」

司会者「アナタが暗い青春時代を送ったということだけはよくわかるよ」

kenzee「この頃、近所にツタヤはまだなくて個人経営のビデオ屋が3軒ぐらいあった。で、どこも個性的だったんだよ。おすすめコーナーってのがあって常に「ゆきゆきて、神軍」が置いてあったりとか。あと回収になったはずのコンクリ事件の映画もずっとレンタルしてたり。最初は大槻さんとか小西(康陽)さんがチラっと「いい」とか言ってた映画は観よう、みたいな感じだったんだけどそのうち佐藤忠男「日本映画」(第三文明社)という本を手に入れてですね。当時は佐藤忠男がバイブルだったね。でも、このノート、軽く500本ぐらいの映画レビューが記録されているのだが、観たという記憶がまったくない映画もあるんだね。たとえば寺山修司の「ボクサー」。寺山だ!と思って観たんだろうけどまったく記憶にない。竹中直人「無能の人」。川原で石売ってたシーンしか覚えてない。ジャン・ジャック・アノー「愛人(ラ・マン)」。なんにも覚えてない。エロイシーンが有名だったはずだがなにも覚えてない。久保田傑「福本耕平かく走りき」。なにも覚えてない。小松美幸というAV女優が普通の高校生役で出演してるのだがそこに欺瞞を感じた、ぐらいかな。井筒和幸「犬死にせしもの」。今井美樹の貧乳ヌードのみ記憶アリ。佐々木浩久「ナチュラルウーマン」。松浦理英子原作のレズビア~ンの話。まったく記憶にありません。ウォン・カーウァイ「恋する惑星」。渋谷系のクズみたいなヤツらが一通り観る映画ね。なんにも覚えてない。村上龍「だいじょうぶ、マイフレンド」。完璧に記憶にございません。人間の記憶なんてイイカゲンなもんだね!」

司会者「というか町山智浩さんみたいな人がいかにスゴイかという話だな」

kenzee「でねえ、軽く10年とか20年とか経っちゃってるわけですよ。特に90年代に観たものは懐かしくてねえ。いくつか観返そうと思ってツタヤに行ったわけです。それも駅前の狭いほうじゃなく、バイクで郊外の国道沿いの在庫多い方のツタヤへ行ったのですよ。今の時代は大抵のものはDVDになってレンタルしてるハズだと思って。そしたらしゃあ!」

司会者「ないものもあった」

kenzee「ないものどころじゃないよ、このノートに記録された作品のほとんどはレンタルしてなかったのだ。アレ。おかしいなこんなに面積あるのに、と思って見渡したところ、答えがわかりました。スペースの3分の1ぐらいを韓流が占めてたのだ! あとは日本のドラマだな。そんなこんなでボクの青春時代に観た映画のほとんどはDVD化してるのかもしれないけど実際に視聴するのが困難になっていたということが判明したのでR」

司会者「中原昌也さんが昔、「ツタヤには観たい映画がない。ツタヤというフィルターにかけられて残ったブタのような映画ばかりだ、とか言ってた記憶ありますけど、それは中原さんの趣味がヘン過ぎるんだろうと思ってたんですが」

kenzee「中原さんは正論だということがよくわかりましたよ。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とかもう観れないのか? 今関あきよしの「りぼん」とか「すももももも」とか。熊切和嘉「鬼畜大宴会」とか。古厩智之「この窓は君のもの」、「まぶだち」とか。これはゆゆしき事態ですよ」

司会者「音楽は配信もYou Tubeも充実してるのでどうしても出会えない音楽ってなくなってきたと思うんですが邦画はマズイ状況ですね」

kenzee「みんなホントにいいのか!? ラッパ我リヤ主演「3on3(スリーオンスリー)」とかもうどこ探しても観れないぞ!」

司会者「それにしてもその映画ノート、相当恥ずかしいシロモノですけど20年の時を経て、ある種の時代の記録という価値がありますよ」

kenzee「そう、ツタヤという大資本が市場を席巻する以前、各地方の駅前にはヘンなビデオ屋がいっぱいあった。ゲーセンと複合店になってたりとか。ちょっといかがわしい感じがあった」

司会者「で、いつも「ゆきゆきて、神軍」押しだったり」

kenzee「そんなのiTunes Storeとか配信で観れんじゃん?とかハゲたことぬかすヤツがでてきそうだがiTunesに「鬼畜大宴会」ありますかって話ですよ! で、話「飛びますけど最近「モテキ」とかいう映画を観ましてな」

司会者「アレはヒット作ですね」

kenzee「映画としての良し悪しはこの際置いときます。あの映画の主人公はヘタレのサブカル野郎という設定なのだが、なにをもってサブカルと定義されてるのか全然わからなかったんだ。確かに彼の部屋は本やCDやDVDでグチャグチャだ。オレの部屋以上だ。だが、そこに置かれているブツはすべてツタヤとヴィレバンで手に入るものばかりなのだ」

司会者「つまり、「恋する惑星」はあっても「鬼畜大宴会」はないだろう、と」

kenzee「モチロン、長澤まさみと「鬼畜大宴会」のVHSパッケージが同じ画面に収まってしまったら地殻変動とか起こってしまうかもしれない。せいぜい「恋する惑星」とか「パルプ・フィクション」が関の山か。しかし、若者たちよ、サブカルとは「長澤まさみと恋する惑星」のことではない。断じてないのだ! 限りなく「ゆきゆきて、神軍」面出し」のことなのだ! ホントにねえ、今の若い子ってツライ経験してないでしょ? 鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」という3時間もあるただひたすらツライだけ、という映画があるのだが、このひたすら耐える、という貴重な経験。そういう経験を通して初めてサブカルといえるのではないかな。そこで一丁、企画を考えてみました!」

司会者「どうせ「映画ブログはじめます」とかでしょ」

kenzee「ただの映画ブログではない。まず、このノートに残された「過去にオレが観た作品」のみを取り上げるのだ。確かにツタヤにはないものだらけだが辛うじて観れるものもある。あと、配信も活用すればもうちょっと観れそうだ。それで10年前、20年前に観た映画を今、観なおすのだ。つまり、作品そのものはもとより当時の感想、若き日のオレがどう感じたか、を2012年を生きるオッサンのオレが重層的に批評するのだ。こんな映画ブログないよ! 打倒空中キャンプですよ。 イヤー人生、なにが資産するかわからないですね!」

司会者「映画批評はここ数年、町山さんや宇多丸シネマハスラーの登場などで盛り上がってる状況がありますね」

kenzee「彼らは基本、新作についての批評だ。だが、このノートに残された映画は結構すでに評価の定まったエライ映画も多い。だからあえてとりあげる人も少ない。だが、オレは映画を批評するのではない。当時、それを観た若きオレ自身を批評するのだ。これは現代のネット状況への批評でもある。あのーボク、一応プロのライターさんじゃないですかあ。そうすっとあんまし昔みたいに人の悪口とかあ、書けないじゃないですかあ」

司会者「そのしゃべり方ヤメロ」

kenzee「そして現代のネット文化とはよりソーシャルネット、繋がってコミュニケーションが生まれてナンボ、という方向に向かっているわけです。そしてよりライブメディアとしての、アップトゥデートな話題に集中する方向に進化している。その両方を兼ね備えたのがツイッターだ。だが、このようなネットの在り様とはせいぜい、この2,3年ぐらいの話なのだ。もともとネットとはデータを蓄積し、いつでもアクセスできる、という側面で認識されていたのだが、今日のネット状況とは、「社交」という側面と時事的な話題にワーっと人々が雪崩れていく、という面が強調される状況となった。かつてテキストサイトやブログ全盛の時代にあった「深く自己を掘り下げる」という中二的なコミュニケーションは忘れ去られてしまった。しかし、日本におけるネット文化とは連綿と中二的思想とコミュニケーションで進化してきたのだ。そんななか、中二病丸出しのこのようなノートが発掘されたことはただの偶然とは思えないのだ。この企画は「映画を語る」のではない。「映画を観た過去の自分」を語るのだ。ソーシャルネットの時代を逆行するような自己完結の世界なのだ。3.11以降、とにかく人が繋がることが大前提的によしとされる風潮が高まった。それは現在のいじめ問題や原発再稼働といった単一のイシューに一気に人が集中し、かりそめの共同性を形成する状況をつくった。しかし、我々は3.11以後にポコランとこの世に生まれたのではない。3.11以前からの人生の連続なのだ。現代のソーシャル状況とは3.11以前をなかったものとする、現在だけが肥大した奇妙な状況だ。3.11以前の自己を見つめることは3.11以後の生き方を考えるうえで重要な作業のはずだ。震災直後の思想地図のイベントにおいて東浩紀さんが「今後は文化を喪に服す作業が重要になる」と話していたのはこういうことだったのかもしれない」

司会者「っていう企画書」

kenzee「とりあえず手始めにナニにしようかナ~とか考えてたんだけど。とにかく時事的な「現代」とあまりつながらないものがいいね。だから「党宣言」とか「太陽を盗んだ男」とかダメだ。どう考えても今、とりあげる必然性がないヤツがいいね。これにしよう。根岸吉太郎監督、1980年、ATG作品「遠雷」。団地が立ち並ぶ郊外のど真ん中でトマト栽培に明け暮れる若者の映画。これは確かツタヤにあった」

司会者「じゃあ第一回目は「遠雷」ということで」

|
|

« kenzeeのひとり忘年会 | トップページ | 女体とカレーのことしか考えていない(根岸吉太郎「遠雷」) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/185233/46352161

この記事へのトラックバック一覧です: 中二病デスノート発見(新しい企画考えマシタ!):

« kenzeeのひとり忘年会 | トップページ | 女体とカレーのことしか考えていない(根岸吉太郎「遠雷」) »