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「告白」するとエラくなるというワザが今は通用しない。いい時代なのかな?(我々はアイドルをどう消費…Part.11)

司会者「で、90年代のテレビバラエティ的な「空気読み」の能力がアイドルリテラシーとして強力に求められる時代からゼロ年代に至るまでに「告白文学」の潮流があったという話ですが」

kenzee「ネット文化が花ひらく直前に告白ブームがあった。まず、音楽シーンでまっさきに思いつくのは浜崎あゆみの登場だ。浜崎は元B級アイドルで1998年に歌手として再スタートを切る。彼女の音楽の最大の特徴は自作詞であったことだ。そして、その歌詞は当時の10代の女性の大きな支持を得る。ここまではみんなよく知ってる話だけど、ほぼ同時期に「告白」で大ブレイクした例がある。飯島愛「プラトニック・セックス」である。これは170万部を超えるベストセラーとなり、今ではブックオフの100円コーナーの定番である。のちに映画化もされた。松谷創一郎「ギャルと不思議ちゃん論」によればこの本は単に「告白本」という枠にとどまらず、当初は暴走族に所属するような旧来的な逸脱行動から、ディスコに入り浸り、援助交際するようになるなど、80年代暴走族文化からコギャル文化までを駆け抜けた文化史として読めるということだ。この「プラトニック・セックス」の成功のあと、雨後のタケノコの如く、「紆余曲折な人生を歩んできた作者が、赤裸々に体験を告白する」というノンフィクションが登場し、結構なセールスを残す。乙武洋匡「五体不満足」。武田麻弓「ファイト!」、大平光代「だから、あなたも生きぬいて」、梅宮あんな「「みにくいあひるの子」だった私」、柳美里「命」、岡田美里「しあわせの形」……。そして浜崎の時代には同時期に椎名林檎、Cocco、鬼束ちひろといった告白系シンガーソングライターとでもいうべき歌手が登場した。これは、北田暁大の言う「純粋テレビ」的同調圧力の中では非難の対象となるべき表現だ。ナゼ、急にこの時期に「告白」がアリになったのか」




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司会者「これは真剣に議論すると本一冊ぐらいの話になると思いますが、多分、95年問題、震災以降の世間の空気がようやく反映されたのがこの時期だったということでしょうね。96年のエヴァがその先陣で」

kenzee「で、「告白」という行為もまた、近代文学特有の現象なのだ。何度も登場するが柄谷行人「日本近代文学の起源」に戻る。ここで柄谷は田山花袋「蒲団」をひきあいにだして「告白」という制度について考えるのだ。まず、柄谷は「蒲団」を批判するところからエンジンがかかり始める。

 ところで「蒲団」では、まったくとるにたらないことが告白されている。((注…妻子ある中年の作家が若い女弟子に対する愛欲で悩む、そして彼女の温もりの残るフトンをムギューっとするシーンがクライマックスとなるのだが)たぶん花袋はこんなことよりもっと懺悔に値することをやっていたはずである。しかし、それを告白しないで、とるにたらないことを告白するということ、そこに近代小説における「告白」というものの特異性がある。(前掲書)

ヒドイ話である。柄谷さん、見たんか!とツッコミたくもなります。もちろん花袋は「フトン、ムギューッ」ぐらいで満足していなかっただろう。おそらくフトンにチンコをなすりつけるぐらいのことしているハズだがそれは墓までもっていったということだろう」

司会者「アンタも見たんか!」

kenzee「……最近気づいたんだけど、アイドルの話のつもりが話がでかくなりすぎて、イイカゲン収拾つけたいのでボケてるヒマないよ。飛ばしていきますよ。たとえば柄谷はマタイ伝の「汝、姦淫するなかれ」という一節を引用し、こういう。姦淫するなと戒律はどんな宗教にもある。ただし、キリスト教だけが姦淫という「事」ではなく、姦淫したいという欲望、つまり、「心」の問題にしたところに比類のない倒錯があるという。もしこのような意識を持てば、たえず色情を監視しているようなものである。彼らはいつも「内面」を注視しなければならない。さらにいえば、そのような「注視」が「内面」を存在たらしめたのである、と。「蒲団」における性とはそれまでの日本文学に描かれた性とはまったく異質な性なのだ。単なる性ならば江戸時代にだって近松文学で描かれたりしたが、「蒲団」の性はキリスト的な抑圧によってはじめて存在させられた性、第一号なのだ。エライ先生が抑圧されていた性を告白した、ということは、そこに真理があるのだ、と読者は解釈した。「蒲団」は告白・性・真理という西欧社会を編成してきたコードを見事に輸入したのだ」

司会者「「告白」がやっかいなのはなにか抑圧があって、隠してるものがあって、という前提があって、それに耐え切れなくて告白するんじゃなくて、別になにも隠してないんだけど「告白」という芝居をすると一見、近代人みたいに「エライ人」みたいになる手っ取り早い方法だから柄谷はウサン臭いと思ったんですよね。「実はボク……」って言ってからテキトー言っても「奥深い人間」みたいに見えるヤン、ということですね」

kenzee「隠し事があって、告白するんじゃなくて、告白してから隠し事を探してるような転倒が「告白という制度」だと。浜崎にはこの疑いがある。ボクはあの人は基本、能天気というか楽天家タイプのヤンキーだと思う。98年にデビューするまで自身の来し方にトラウマを感じて生きてきた、ということになってるが、ロキノン2万字インタビュー読む限りでもそんな精神的な外傷を抱えてきたとは思えないのだ。つまり、浜崎には天才的な商売のカンがあったとしか考えられない。「一見、チャラチャラした元B級アイドルだ思ってるでしょ? でも、こう見えても私、奥深い人間なのよ」というキャラ設定は見事に時代に呼応した。そして全国のチャラチャラしたギャルたちに「ア、こういうハッタリのカマシ方あるんだ! 「不幸な生い立ち」とか設定すればちょっと高尚な人間ぽくナルー。奥深い人間ってことで! 援助交際の料金も多少色つけれるワ!」みたいな」

司会者「浜崎ファンホントに怒ってくるぞ!」

kenzee「浜崎の歌の主人公はかよわい少女という設定だが、浜崎自体は浜崎帝国と読んでもさしつかえないほど強大なビジネスと化した。ここにも「告白」という制度のカラクリを知り尽くした天才らしさが現れている。柄谷は「なぜいつも敗北者だけが「告白」し、支配者は告白しないのか、ということを考えた。「蒲団」における主人公も結局、妻子を捨てて、女弟子との恋愛に踏み切れなかった、恋愛の敗北者だ。敗北者が告白するワケ。それは「主体」たること、支配することを狙っている「権力意思」だからだ。「告白」が権力奪取に有効だと浜崎は直感的に理解していたのかもしれない。しかし、「告白」が効力を発揮するためにキリスト教的な抑圧がなければならないのだが、この国のどこにそんな抑圧があったのだろう」

司会者「いうまでもなくそれは、「純粋テレビ」的同調圧力ですね」

kenzee「たけしやとんねるずの圧力が「告白」にパワーを与えていたのだ。つまり、飯島愛や浜崎は戦略的に「告白という制度」をフル活用し、勝利した。しかし、この時代、なにかの間違いだろうが、本物の告白を背負って登場した歌手がいる。椎名林檎だ」

司会者「いつもなら「じゃあ次は椎名林檎からですね」で終わりにするところですが、飛ばしてるので続けていきます」

kenzee「椎名林檎の告白は飯島愛や浜崎のような戦略的な「商売告白」ではなかった。私は未だに椎名林檎という人がなにを考えているのかよくわからない。ここに「RINGO FILE 1998-2008」(ロッキング・オン)という書物があるのだが(要はインタビュー集です)読んでも結局よくわからない。雲をつかむような話ばっかりで終始する本なのだ。たとえば初期のインタビューでは「結婚とか絶対できない。ひとりの人に執着するとかありえない」と発言した半年後のインタビューでは「結婚して楽になりたい」と言って「結婚て決して楽なモンじゃないぞ」と取材者に怒られる一幕とかある。とくにセカンドあたりはいっぱいいっぱいだったようで、「もう椎名林檎という名義の活動は辞める。本名の私を誰も守ってくれないし。もう椎名ミカンとかでいい」など、本人的には切羽詰まったマジメな発言なのだろうが、ネタに聞こえてしまう気の毒な性格なのだった」




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司会者「こういう人いますよ。本人はマジメなのに冗談にしか聞こえないという気の毒な人」

kenzee「椎名林檎の音楽そのものはとっくにいろんな人が書いているし、一筋縄ではいかないモンなのでここでは椎名林檎がどのように受容されたかについて考えてみたい。「ギャルと不思議ちゃん論」にも当然、椎名林檎は登場するのだが、その受容の一例として元おニャン子の我妻佳代の感想を引用している。こういうものだ。

 誰でもそうだと思うけど、若い時というのは絶対に自分の弱さを認めたくないし、その弱さにさえ気がつかないもので、人間の汚さとかマイナーな気持ちとかを隠して生きている。(中略)私が今の彼女と同じ21歳の頃といえばおニャン子クラブからソロになって少し経った頃で、アイドルという敷かれたレールに違和感を覚えながら、ぬるま湯に浸かっている自分が嫌で仕方なかった。けど、彼女みたいな確かな主張ができなくて一度は引退の道を選んでしまったわけだから、尚更、彼女の歌詞に憧れを抱いてしまう。(我妻佳代「あの頃の私とは違いすぎる」「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評6」2000年・宝島社)

この我妻は椎名の「告白」の表現に共感し、憧れすら抱いている。もう一人、椎名の表現にやられ、自身でも「告白文学」をものにした女性がいる。雨宮まみ「女子をこじらせて」(ポット出版)は著者が人一倍強い自意識と性欲を持て余し、いかに「女性AVライター」という肩書きをもつに至ったかを描いた自伝エッセイである。著者は典型的な文系で「不思議ちゃん」属性の女子であったが、大学卒業後、ナゼか水商売のバニーガールになるのだ。その頃、性欲を持て余していた著者はテレクラをよく利用していたという。(まだ出会い系とかない時代、ていうか後述する椎名の「罪と罰」がでたのが99年、そのころに学校卒業したてということはオレと年かわんないなこの人)そこで出会った内装業の男性とセックスのみの関係を続けるようになった。で、まあナンヤカヤで著者は「自分をとても(恋愛に関して)非常に汚い」と感じるようになった。

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 恋愛をするということは、汚い自分を引き受けることです。まったく汚いところのない恋愛なんて、ない。(kenzeeの注…この点の打ち方とかに吉本ばなな世代を感じるのだがどうか)どこかに必ず汚い自分の影が現れる。そのことを知らずに自分は童貞だ、処女だと恋愛している人間を恨んだり憎んだりするのは浅い考えです。(中略)そうでない本当に純粋な愛情を持てる人もいるでしょう。けれど私にはできなくて、いつも汚い自分のことが本当にいやになる。今でもそうです。(前掲書)

そんな罪悪感の日々のなか、著者は彼氏のクルマのラジオで椎名林檎の「罪と罰」を聴く。そこで衝撃を受けるのだ。

 世界に触れたいと思いました。椎名林檎みたいに全身全霊で生きてみたいと思った。テレクラに電話しても、セックスしても、私はまだ肝心なものから逃げていて、だから何にもちゃんと触れられないんだと思いました。(前掲書)

椎名林檎の著者への影響はまだ続く。その頃、著者が愛読していた「Quick Japan」にライター募集の告知が載っていたという。そして手書き原稿で送ったのだ。内容は「椎名林檎に嫉妬して平常心で聴けない、憎しみすら感じる、なんでこんなに自分の言いたいことを歌っているのが自分じゃなくて椎名林檎なんだ!」みたいな文章だったという。したら編集長から電話がかかってきて原稿依頼がきたという。そして憧れのQuick Japanに自分の原稿が載り、原稿料を初めてもらったのだ」

司会者「雨宮さんは、椎名林檎がいて、よかったネ」

kenzee「当時、(99年頃)のQJといえばかなり椎名林檎に入れ込んでいたと記憶している。それにしても明らか常軌を逸したと思しき椎名林檎熱狂的ファンの原稿読んでゴーサインだす編集部もノリ良すぎである」

司会者「こんなブログ読んで原稿依頼してくる今のQJも十分、ノリ良すぎである」

kenzee「そこで、出版関係、という人生の目標というか方向性ができた著者は「S&Mスナイパー」の出版社に入社したのである。それから紆余曲折を経て、現在AVライターとなり、女子こじ大ヒット、という「10年遅れてやってきた告白本」みたいな売れ方の人生である。ここまででわかることは「椎名林檎ってマズイ意味でスゴイ音楽だね!」ということと2012年になっても相変わらず「告白」は強い、ということかな」

司会者「椎名と浜崎はこの時代を代表する2大「告白文学」だが、ゼロ年代も半ばともなるとかつてのような熱狂的な支持は失われる。特に出産以降の椎名はベテラン歌手のような貫禄すら帯びてくる。音楽シーンから「告白」が失われるのと入れ替わるように配信の時代に突入する。今の雨宮さんタイプのこじらせ女子は告白文学なしにどうやって社会との接点を見つけているのだろう」

司会者「ソリャ、mixiとかフェイスブックとかで仲間を見つけるんでしょう。だって、コミケとかでコスプレしてる女の子ってみんな椎名林檎なんでしょう」

kenzee「つまり、「告白」すら管理できるほど我々の社会は高度化したのか。ここまでくるともうすぐAKBの登場でこの話も終わりなのだが、一個、残った問題がある。「女子」の問題だ。この女子とは「大人女子」とか「女子力」とかいうときの痛々しい意味での女子だ。この女子の問題を片付けた時、はじめてAKBの意味がわかるのだ」

司会者「そして、もうこの話、イイカゲン飽きているのだった!」

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コメント

はじめましてkenzeeさん。いつもブログ更新を楽しみにしています。takashizと申します。

最近Kindle Paperwhiteを買いました。Kindleの画面(E-ink)はスマホの液晶より目に優しくて疲れません。
kenzeeさんのブログもKindleで読めたらいいのに…と思いました。ブログのバックナンバーの電子書籍化、Kindleストアでの販売を検討していただければ幸いです。
ブログの愛読者はみんな買うんじゃないでしょうか。

12月になり、ますます寒くなってきましたがお身体に気をつけて頑張ってください。では。

投稿: takashiz | 2012年12月 1日 (土) 14時50分

どうもありがとうございます。
キンドルかあ。確かに今のデザインだと真っ白で目が疲れるよね。もうちょっと目が痛くないヤツに変えてもいいかもですね。

投稿: kenzee | 2012年12月 2日 (日) 23時21分

はじめまして。
「我々はアイドルをどのように消費したか」、すべて拝読いたしました。

前からブログは拝読していたのですが、今回あまりにも自分の中でビビッとくるところがあったので、恥ずかしながら、自分のブログで記事を書かせてもらいました。差し出がましいとも思ったのですが、リンクを貼ったり引用してるのに黙っているのもと思って、コメントさせてもらいました。勝手にリンクを貼ったり引用してしまってすみません!

すべて読んだので最後の回にコメントしようかと思ったのですが、「浜崎ファンホントに怒ってくるぞ!」というのに呼ばれた気がして(笑)、こちらにコメントさせてもらいました。
はい、私、浜崎ファンなんです(笑)。
もちろん、怒ってません(笑)。

ちなみに、椎名林檎は大好きでした。そして、そのときは浜崎あゆみは大嫌いでした。それが今や…。

これからもブログ楽しみにしています!応援しています!

投稿: pineapple | 2013年1月 6日 (日) 21時52分

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