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洋楽聴いてないのに聴いたかのような若者音楽ってのがあるんですヨ。

kenzee「レジーさんとこで「若者の洋楽離れ」という問題提起が各方面でバズを起こしている」

司会者「レジーさんはくるりとかユニゾンの田淵さんとかにリアクションされててスゴイなあ」

kenzee「オレ、さんざん小室の話とかしてるのにそろそろ小室さんからリアクションきてもいい頃だけどな」

小室哲哉(のツイッターアカウント)「やあ、kenzeeこんにちは。華原と小室コンビのアイドルプロダクトはビジネスモデルとしては大失敗。その後のアイドル産業にとって教訓となった、とか悪口ばっかり言ってテメー。あの頃、若い女の子が年をとるってとこまで勘定にいれてなかったんだよなあ」

 kenzee「ア、小室さんはじめまして。昔、中学生のときに近所のレンタルレコード屋の優&愛で(ちょうどその頃、メディアがレコードからCDに切り替わる時期だったので)レコード100円大処分バコのなかにスピードウェイ(TM NETWORKの前身バンド)のベスト盤があったので種ともこのファーストとか大江千里のファーストとかと一緒に100円で購入し、家で友人たちと聴いてみたところTM的なチャカチャカしたサウンドを期待していたのにコテコテのアメロックでガッカリした思い出があります。そのスピードウェイのレコードはのちにTMファンの女の子に300円で売りました。小室さんのおかげで200円儲けたヨ」(※妄想トークです)

みたいなやりとりがそろそろオレもミュージシャンとの間で起こってもいい頃なのになあ」

司会者「ありえるか! そんなバカ会話。やっぱりレジーさんはいろいろ対応が丁寧だからだ。結局、人柄なのだよ」

kenzee「レジーさんの人気に嫉妬。今までの論点をまとめると、くるりの人のように「今は世界中の音楽とアクセスが可能になった。今の人は教条的な「洋楽」ではなく、自由に音楽を楽しんでいるのだろう、という性善説みたいな話と、田淵さんのような「洋楽のキュレーターが必要なのではないか」というリスナーの育成を促す意見。また、石井恵梨子さんの「洋楽は教養であって(業界人なら)通っとかないとナメられる。という話。あとボクの「教養の意味が変容しているのではないかという話」

司会者「自分の話を一般論にもっていくのが図々しいな、キミは」

kenzee「というところにまとめられるのではないかと思った。そこで個別具体的な例をだして検証してみたいのだが、前回チラっと紹介した転校生。まず、この「東京シティ」を聴いていただこう。

これ1曲で普通の音楽ライターなら相当音楽を、具体的には80年代のUKポストパンク、ニューウェーヴに精通しているな、と感じだろう。エルヴィス・コステロやアズテック・カメラのようなポップ色の強いポストパンク、あるいはトットテイラーやフェルトのような鍵盤系のポップの影響を強く感じる。「ふと気づく 空しい気持ち 心に住む悲しい気持ち まばたきすれば景色は ほらすぐ変わるよ」というBメロのコードプログレッションに独特のセンスがある。そして「行けたらいいな 東京シティ」とポーンと転調する。もしかするとXTCなどのヒネクレポップも経由しているのかも。大体、こんな感じの感想をもつと思うんですよ。で、気になって転校生のインタビュー記事などないか検索してみた。したらナタリーに特集があった。そのインタビューでボクはビックリするわけですよ」

司会者「けっこう長大なインタビューにも関わらず、ミュージシャン名はaikoだけ!」

kenzee「どうやらaikoに多大な影響を受けたようなのだが、それ以外(思いついたようにSIGAR ROSSとかリリィ・シュシュとか言ってるが)に参考にした音楽がほとんどなさそうなのである。でも、だからといって転校生の音楽が貧しい、aikoのパクリのような音楽かというとまったくそうではない。むしろ「空中のダンス」のような抽象的な死への憧れ、といった文学的なテーマはaikoにはないものだ。つまり、転校生はそれなりに豊かな音楽なのだ。だが、彼女はaikoとかリリィ・シュシュとか…と頼りなげな音楽背景しか述べない。にも関わらず「東京シティ」はニューウェーヴ的な豊穣さがある。これどういうこと?」

司会者「こういうと「プロデューサーの趣味でしょ(プッ)」とかで話が終わりそうですよ」

kenzee「それもあるだろう。フェルトっぽいオルガンの音色とかマーチっぽいドラムのパターンまで彼女が指定したとは考えられない。しかし、曲の骨格の時点ですでにオシャレなのだ。オレがここで悩むのはね、もしボクが転校生のプロデューサーだったら上記の洋楽を聴け、aikoとかツタヤのレンタルで手に入る音楽ばっかり聴いてちゃダメだ、とか説教すると思うんですよ。でもレンタル屋で見つけたaiko大好き! で、「東京シティ」ができるんだったら、確かに洋楽いらんかな?とも思えるのだ。そこで「洋楽」という言葉を「ポップミュージックの教養」と定義するとナゼ転校生のような現象が起きるのかわかるのではないか、という話」

司会者「年末に長い話はやめてネ!」

kenzee「同じような現象は文筆の世界でも起こっている。早稲田大学で教鞭をとる東浩紀さんはこう語る。

東さんは大学で教え、若い人たちの文章に触れる機会が多いと思いますが、どのような感想をお持ちですか。

 東浩紀「若い人たちの文章を読んでいて思うのは論理的な文章を構築する力というのは昔も今もさほど変わらないということです。エッセイのような文章を書く能力はここ数年高まっています。それと特徴的なのは、いまや、ただ文章を読んだだけでは書き手の知識量がわからなくなっているということです。というのも文章を書くうえでインターネットの検索が非常に大きな力を発揮しているんですね。ネットが普及する以前であれば、これだけの用語を使って論を立てているなら、ある程度文献を読みこなし一定水準以上の知識があるだろうと、書き手の知識量を推し量ることができた。しかし、今は違います。これぐらいのことを書いているなら知識もあるだろうと思って本人と話してみると、実はあまりよく知らないということがある。(中央公論2009年3月号、東浩紀インタビュー「日本のネット空間と文学産業の現在ー中途半端な規模こそ問題だ」)

テクストだけ読めば、相当な読書量だと推測するのだが、実際には…ということが早稲田の学生レベルでも起こっている、と東氏は指摘する。だが、東氏はこの現象を批判はしないという。結局、ネットで簡単に情報が手に入るのでうまく言葉をつないでいけばそれなりのものができてしまう。それはハッタリとも言えるのだけど、学生が社会にでて、必要とされるのはそういうデッチあげ能力だ、と。コピペに頼ってもいいからとりあえず論理的な文章をデッチあげる力、これこそ学校で教えるべきだ。

語弊があるかもしれませんが、実社会において多くの人間が日々求められるのは、必ずしも本質を深く見定めることではないはずです。緊急の課題が起きて、それを解決しなければならないというときは、とりあえずの辻褄合わせが必要なことが多い。(中略)つまり、求められるのは実際的な問題処理能力です。(前掲書)

ボクは決して転校生の「東京シティ」がUKニューウェーヴをよく知らない者が、それらしきフレーズをうまくつないでデッチあげた曲などと言っているのではない。逆に、上記のような音楽を具体的には知らなくくとも、ネット上から必要な情報、ポイントだけつかんでいっぱしのそれらしい曲に仕上げてしまう「実際的な処理能力」をこそ賛えたいのだ。たとえば「空中のダンス」は自殺願望の歌だが、音楽ライターなら真っ先に荒井由実「ひこうき雲」と比較するだろう。

だが、やはり「空中のダンス」の作者は「ひこうき雲」を知らないで作ったはずだ。(なにしろナタリーのインタビューで「角川映画ってなんですか?」と聞いているぐらいだ)従来の教養主義者なら、「ひこうき雲」も知らないでこのテーマに取り組むなんて10年早い」みたいなことを言うだろうが、そんなこと関係なく「空中のダンス」は優れた楽曲なのだ。石井恵梨子さんの「(音楽ライターで)洋楽知らないとナメられるよ」という意見は渋谷系育ちの私なら深く首肯するところだ。従来の音楽ジャーナリズムなら、「東京シティ」を聴いて、上記のアーティスト名ぐらいでてこないとバカにされるであろう。だが実際には上記の洋楽ミュージシャンと「東京シティ」は直接的な影響関係にない。となると、上記のような教養に基づいた批評方法自体、現代では無効になっているのかもしれない。そして教養主義に頼ることで現代のポップの本質を見誤ってしまう危険すらある」

司会者「よく知らないのに、それらしきものができてしまう、ていうのは知識の蓄積の仕方が変わった、ということですか?」

kenzee「ここからは推論だ。ボクの世代が10代だった頃、多少気の利いた音楽を手にいれようと思ったら、まずレンタル屋に向かった。有料だが確実な定番をゲットする方法だった。逆に言うと、それほど音楽に興味のない者はこの時点でハードルが一段上がった。今の若い世代には目の前にニコニコ動画とYou Tubeがある。そしてひとつの動画を観れば次々に関連動画が提示される。たとえば転校生のPVを視聴するとタルトタタンやそれでも世界が続くならといったバンドのPVがおすすめされるのだ。そしてそういった音楽を聴くときテレビのザッピングのように次々視聴することはないだろうか。我々のように「カネを払って借りた(あるいは買った)ので一応ガマンして全部聴く」といった修行僧のような聴取経験を行っていないのではないか。そうすると今の子たちというのはカネは使わないでも世界中の音楽の「テイスト」みたいな部分だけは我々が同年代だった頃の何十倍、何百倍の蓄積はあるのかも。だったらフリッパーズ・ギターを知らずにそれらしきギターポップ曲を作る10代がいてもおかしくない。つまり」

司会者「なんやかんやいうて、今の子はいろいろ音楽を、実は聴いている。ということやね」

kenzee「としか考えられないのだよ。ユニゾンにしたって彼らの演奏力は相当なモンだけど別に洋楽オタクではないじゃない」

司会者「彼らの教科書は「ゆずのバンスコ」だったらしいですからね」

kenzee「このような現象を、つい、我々オッサンは「教養の崩壊」と言ってしまうのだけど、違うのではないか、という話。東さんはこう解釈している。

(2ちゃんねるの東スレッドで議論があった。彼らはジョン・ケージのような現代音楽とアニメソングを同等に語るのだった。そのとき、ケージの説明はYou Tubeのリンクを直接貼って済ませてしまう。アニソンも同様)このような現象を見ると、いわゆる「教養」へのアクセスは確実に容易になっていると感じます。しかし、同時に2ちゃんねる上でケージがYou Tubeで理解され、アニソンと同等に論じられてしまうというこの現象は、ある世代から見れば「教養の崩壊」そのものでしょう。だがそれは本当は教養の崩壊ではなく、教養をとりまく「環境」が変化したにすぎない。上の世代が下の世代を「教養がなくなった」と非難しているとき、実際には知識の問題ではなく振る舞いを問題にしている場合が多い。(中略)いわゆるオタクたちが典型ですが、グローバル経済の下で、多くの人々が今までの生き方の規範から解き放たれ、ある意味では快楽肯定主義的な、異形なライフスタイルを採用しつつあります。問題は、新しい環境のなかで新しい知をどのように形成するかです。「新しい教養」という言葉はそのような新しい試みを指すべきです。(前掲書)

「東京シティ」のような楽曲をもはや、旧来的な教養主義で解釈することはできない。無論、ロキノン人生論などとっくに無効だ。これらをとっぱらったうえでの批評が必要な時代がやってきた。その理論はまだ、確立されていないと言える。つまり、その分野においては未だブルーオーシャン(まだ開拓されていないオイシイ市場、ぐらいの意味)なのだ」

司会者「なに、最後のIT社長のブログみたいなイタイタしい終わり方。要は今の子は、「ボクはパンクが好きだからピストルズとかジャムとかクラッシュとか聴かなければならない」といった聴き方じゃなくて「パンクの歴史とかよく知らないけどこ~んな感じ(頭の中に膨大な蓄積を背景としたイメージはある)の音楽でしょ?」みたいな感じで入ってるってことかね。ヒャダインさんがそんな感じだもんね。ピチカートとか小室さんとか好きですって貧しい発言をするが実際の音楽はあらゆるジャンルのカタログみたいなトコあるよね」

kenzee「音楽って実は教養いらなかったんじゃ!ていうふかーい問題です。彼女らもヒップホップ、ラップの歴史など一ミリも通ってないだろうが十分に楽しい、鑑賞に耐える音楽だ。教養ってなんだろうね。DJみそしるとMCごはん「五目ご飯」

司会者「ア、今回は今年読んだ本ベスト10のハズだったのに! 明日大晦日だよ!」

kenzee「年明けにやろうかなあ…」

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コメント

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。

とても面白かったです。
YouTubeで無限ザッピングできることの影響ってのはものすごく大きいですよね。

今回の話のように「ありとあらゆる“テイスト”に触れる」契機になる場合もある反面、「特定アーティストの代表曲しか聴かない」人たちを生み出しているという部分もあるかもなあという印象があります。
(アルバムを買わない/借りないでYouTubeにあるシングル曲だけ聴いてる→ライブでアルバム曲やってもしーん、みたいな)
こういう状況も織り込んでどう作品を発表するのがいいかという話はまだ答えがないですよね

投稿: レジー | 2013年1月 3日 (木) 19時33分

あけましておめでとうございます!

サンザン「戦後社会の近代化政策とアイドル表現」とかワケワカンナイ話一生懸命やってもたいしたリアクションもなく、ショボーンと終わっていったのにレジーさんとこの話題にタダノリした瞬間、アクセス数ボーン!15000アクセスですワ。ワシのアンテナもうアカン…。というわけで今年もよろしくお願いします。You TubeはJPOPに関してはあるようでない、というのが私の感想です。各メーカーとも削除部隊ががんばっているのでね。ボクは昔みたいにモノラルとかの悪音質で全曲試聴可能、のほうがプロモーションになるし、結果将来の客を育てることになると思うんですけどね。

投稿: kenzee | 2013年1月 3日 (木) 21時40分

J-POP自体があらゆるジャンルの坩堝のようなところがありますから、
J-POPばっかり聴いていても自然にその曲が参照した洋楽の情報の断片が次々入り込んでいるのかも知れません。
それが隔世遺伝のように現れたのでしょう。
マーティ・フリードマンが湘南乃風「睡蓮花」やTommy heavenly6「PAPERMOON」を聴いて洋楽ではありえないクロスオーバーっぷりに驚いたと言ってましたから。
でも自分たちはフツーに聴いて過ごしてるわけです。

投稿: 紅 | 2013年3月25日 (月) 10時10分

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