これで武道館到着と考えてよろしいか(aikoマラソン、Part.19 10thアルバム「時のシルエット」後編)
kenzee「この前、図書館で「ナンダコリャー」という本を見つけた」
「彼らが夢見た2000年」アンドリュー・ワット、長山靖生、新潮社。初版1999年というから14年も前の本で、たぶんもう絶版だと思うんだけど、これがホントに夢いっぱいの写真集だった」
司会者「100年前、19世紀終わり頃の人類が10年後、2000年をどう予測していたか」
kenzee「これはアメリカの雑誌「Judge」に1890年に掲載された未来の集合住宅。決して九龍城じゃありません。265階までらせん状に蒸気機関車が走る。(エレベーターがまだなかったのかな?)よく見ると映画館だの、レストランだの、美術館も入居しているみたい。絵のタッチがラピュタっぽい!」
司会者「速水さんのショッピングモーライゼーションの原型なのかな。そういえばディズニー的な何かを感じますね」
kenzee「さらに20年後に「Judge」に掲載された「未来の巨大百貨店」。
デパートの中に劇場、ホール、ホテル、学校、野球場とかいろいろ入ってる。海辺に建っていることも興味深い。日本最大のSCといえば埼玉県越谷市のイオンレイクタウンということになるが、巨大SCとはニューヨークのような大都会ではなく、辺鄙な海辺とかにモータリゼーションで訪れるもの、とこの時代から予想されていたのか」
司会者「確かに蒸気機関車や自動車がひっきりなしに行き来している。あと、飛行船で来所することも可能なよう。でも例の上階までらせん状に走る蒸気機関車はないね」
kenzee「思想地図beta Vol.1」の速水さんのショッピングモーライゼーション年表によれば、1911年に白木屋が日本初のエレベーターを設置、1914年に三越百貨店が日本発のエスカレーターを設置、とあるのでこの頃にはアメリカではエレベーター余裕だったのだろう。あと、1907年に高速道路建設(NY)、1908年にT型フォード発売ということなので、1910年版の絵はかなり現在のショッピングモーライゼーションに近づいている」
これはアメリカ「Puck」誌、1877年に発表されたものだが、100年後は美しい河畔の風景も広告に埋め尽くされているだろう、という皮肉を込めた風刺画。だが、現在の視点から見ればまったくその通り、というか大人しい。カード会社や通信インフラ企業の看板が見られないのはまだまだ長閑に思えるのだった。無論、ファスト風土の風景とバカでかい看板は切り離せない。130年も前に、我々の現代の生活空間はある程度予測されていたのである」
これは、いわゆる「カウチポテト族」の原型かな。Albert Robida「Le 20e Siecle」フランス、1883年。中央に映し出されているのは「テレフォノスコープ」。家にいながらにして劇場気分を楽しめます。まだテレビもラジオもない時代に現代のオタクライフをすでに予言していたとはスゴイ。なにがスゴイといって、男性がゴロゴロ自室でオタクライフを楽しむといったらポルノ的な映像に決まっているのであって、やっぱりそんな画。昔の人の想像力YAVAI!」
1911年、アメリカ「Life」誌に描かれた未来のオタクライフ。ネカフェが大体こんな感じだよね。部屋の引きこもって、映像(ポルノ含む)や音楽や軽食を楽しむ、という過ごし方がボクはてっきりウォークマンの登場やレンタルビデオが登場してからでてきたライフスタイルで、少なくとも80年代以降にでてきたものと思ってたんだけど、19世紀からあったんだね。そういえばドストエフスキー「罪と罰」に登場するラスコーリニコフは知性のある貧乏学生なのに一日中下宿に引きこもって、この世を恨んでいるという設定だった。社会が近代化すると男子は引きこもり化するのかな? 近代社会の発展とクルマの進化は不可分だけど、アレも平たく言えば「移動引きこもり部屋」に過ぎませんからな」
日本モノいってみよう。これは「大阪パック」誌、1913年、戦前に発表された「将来の家屋」と題された絵。こんな文章が付されている。
地価が益々騰貴して家屋の建築に莫大な地坪を占める事を自然的に許さぬ事となり、上廓下搾式の建築が追々に流行ることになるだらう。
つまり、将来地価が高騰するので狭い土地を有効利用した建物がでてくるだろう、という皮肉。これで庭や畑や鶏小屋も確保しつつ、家屋もひろーい、というもの。土地の高騰が戦前から予想されていたというのが意外。バブルに入ってからじゃなかったんですね。そういえばマンガ「ナニワ金融道」において主人公の灰原が帝国金融社長、金畑に向かって進言するシーンがある。灰原「もうこれからの時代、土地や建物といた不動産を担保に貸付をするのは古い、ナンセンスだ。そのやり方では焼畑農業と同じで人を不幸にして焼き尽くしてオワリだ。これからは商売のアイデアとか人に投資する、という考え方もアリだろう」と、最近ハヤリの評価経済社会みたいな話をする。すると金畑社長は激怒するのだった。「そんな夢みたいなこと言ってて金貸しが勤まるのか、と。アイデアだの人だの信用できるか。今は土地バブルは終わったとか言われているが、必ず土地神話は復活する。ナゼならこんな狭い国土に1億人からが生きているのだ。土地と不動産が一番確実な担保となり得るのだ」と。ボク自身もこのネット時代に生きていながら、金畑社長の思想は正しいと思う。しかし、1945年生まれの作者、青木雄二氏がまるで梅田望夫や岡田斗司夫のようなWEB2.0みたいな思想を灰原に語らせていたのは興味深い。
これは「日本少年」付録の「少年未来旅行双六」(川端龍子画、1918年)である。電車、エスカレーター、飛行機……。大正7年の日本人にとって、未来とは移動のことだったのか。ボクはどれだけネットが進化しても不動産と移動の問題は今後も残ると思うんだ」
司会者「で、全然話は変わってaiko「時のシルエット」の続き。
(これが初回盤ジャケ)
2003年ぐらいからまともなインタビューをほとんど受けなくなったaikoだが、この「時のシルエット」発表時だけはナタリーにおいてロングインタビューを受けている。珍しく作曲や制作についてフランクに語っている。ボク的に意外だったのは歌メロは完璧にスコアードして臨んでいると思い込んでいたのだが、割と自由に歌って、しかもテイクによってメロディが変わるときもあるという、黒人みたいな感覚であったこと。あと、デモテープは5万円の電子ピアノ一本で作るという点。無論、まさか彼女がMIDIデータとかをギッチリ作成して、スタジオに持参するとは考えていなかったが、今でもこの原始的な方法で作っているという。つまいrオーバーダブとかナシの弾き語りってことですよね。それでどうやって「雲は白リンゴは赤」のような複雑なビートの曲ができるのだろう。あと、独特のコード感覚やメロディについては本人的に狙ってしているわけではないという話。こればかりは才能というほかない。我々が彼女の音楽に、複雑な感情や心の機微を感じ取っているのは歌詞もさることながら複雑な和声やスケールから外れたトーンからも感じ取っているからだ。今にも壊れてしまいそうなボロボロのクラシックカーのような音楽。だが、決して壊れることなく、不思議とハイウェイにも乗ってしまう無謀さ。aikoの音楽が強靭に聴こえるとしたら、あの不思議な曲作りにも遠因がある。しかし、この「時シル」は意外なほど順当なポップスであり、超然としたところがある。
・7曲目「運命」
kenzee「ムチャクチャ進行とクリシェがAメロに同時に存在するというaikoらしい、プログレパンク。こういったパンクロックの曲調で「ホントに私が愛したのはこの男?全然気持ちが通じないワ!」という逆切れ歌詞が乗る、といえば「暁のラブレター」収録の「ライン」を思い出すが、やはり曲調と歌詞が一体説がここにも見られる。ただし、同じパンク調でも循環コードとなると「Power of Love」のように「スキスキ、大好き」となる。ビートとコードの色彩のなかに言葉、というかテーマを見るのだろうか。いずれにせよ、曲ができてから「ヨッコラセ」と歌詞を載せるのではなく、曲と歌詞は一体と考えている、典型的なシンガーソングライター
タイプの作家とわかる。「音楽とことば~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~」(P-Vine Books)のなかに小西康陽さんのインタビューが載っている。作詞作曲は若いときからずっとやってきたわけではなくて25歳のときに、急にスラスラできるようになった、という話。
25歳の時に突然、できるようになったんですよ。それまでは知識だったり、好きなコード進行だったりを蓄積しているだけだったんだけど、ある日コツというものがわかったんでしょうね。
そのコツというのは蓄積されていたメロディと言葉とアレンジを結びつける、いい接着剤を見つけた、みたいなことですか?
違う。もっと、最初からカタマリで生まれる感じ。その感覚を掴んだっていうのかな。詞も曲もアレンジも、その全部が、もう切り離せないものとして降りてくるようになった。好きな曲1曲がいきなりドンと降ってくる感じ。それまでバラバラだったものが脈絡を得たというか。いきなり脳のシナプスが繋がったというか。
カタマリというのがイイね。ヒャダインさんとかもそんな感じなんだろう」
・8曲目「恋のスーパーボール」
kenzee「「milk」のような裏打ちのブルービート。しかし、順当なポップスのコードとメロディ。
詞も「milk」の続編のように思えてくる。「milk」では告白する直前の不安について描かれるが、「恋のスーパーボール」では「あの時あなたに言ったこと失敗だったの」と後悔するさまが描かれる。大変落ち込んでいるようだが軽快なポップである。いずれにせよaikoにとってブルービートの裏打ちとは「幼き日の(うまくいかなかった)恋」のビートなのであろう」
・9曲目「クラスメイト」
kenzee「昔の恋人に再び出会って、ヤってもうたストーリー。「彼女」収録の「気づかれないように」にような穏やかな話じゃありませんな。スラーっと流れるようなポップスに乗せて歌われる痛々しいドラマ。コレ、逆だと成立しない場合があります。たとえな同窓会とか行きますと(メッタに行きませんが)、ナゼかオバハンの集団が待ち構えていたりするわけですよ。アレ?おかしいなと思ったらなんのことはない、20年前の女子高生なのね。100年の恋も覚める、ということが多々あります。そう考えるとaikoさんは全然トシとらないですね。ナタリーインタビューでよゐこ有野さんが仰るように。たぶん子供産んでないよいうのが大きいと思いますよ。子供生んだ人は変わりますワ。だからダメとかいう話じゃないんですけどね」
・10曲目「雨は止む」
kenzee「珍しく抽象的な歌詞。必ず雨は止む、と強く願う、その背景に震災と原発事故を見てしまうのは私だけか。しかし、このようなテーマを取り上げても人生応援歌的なウサン臭いポップスにならない、不穏な空気を湛えているところが彼女の資質か。そういえばaikoの楽曲は合唱に向かない。内省的な歌ばかりだ」
・11曲目「ドレミ」
kenzee「いつもならアルバムの最後にひっそりと収められそうなワルツタイムのバラード。ドラムが右chに寄せている点などファーストのような60年代ポップスのアプローチ。幼き恋への郷愁。「クラスメイト」と「ドレミ」が共存していることの不思議。作家のアルバムだとわかる」
・12曲目「ホーム」
kenzee「ストレートなメジャーセブンス系ポップ。ファースト収録「夏のマフラー」を思い出す。BからB♭に転調とか相変わらずバカラックもビックリなことやってますけども。ピーターゴールウェイとか東海岸とかシュガーベイブとか佐野元春とかそういうタームに引っかかってくる人は好きそうな曲」
・13曲目「自転車」
kenzee「アルバム最後を飾るにふさわしい穏やかなバラード。「えりあし」などと同様、前向きな別れのワンシーン。このアルバムで歌われる「昨日」や「あの日」がどうにも震災前の、比較的平和でモラトリアムだった日本の文化状況に思えてくる。無論、我々日本人の感覚など震災前と震災後で大きく変化したわけではない。相変わらず、イオンのようなSCは休日ともなれば多くの人々がクルマで訪れ、ネットは情報で溢れ、アイドルグループの脱退劇がNHKニュースで取り上げられるようなヌルイ日常を生きている。そして私はそのような状況に批判的ではない。人間、ヌルくない社会では生きられないのだから。なんせ、人間は19世紀からヌルかったのだから。楽曲の穏やかさに比して「こんな自分をいつ許せるだろう」「当分あたしを苦しめるだろう」「知らない明日がやってくることがこんなに辛いなんて」といった言葉が並ぶ。しかし、穏やかなのだ。そして再び「Aka」に聴き手は戻ることになる。こんなにも複雑な2012年にこのCDを手にした人は間違いなく幸福だったといえる」
・アルバムトータルの感想
kenzee「マジメなアルバムだったな」
司会者「いつもマジメだろう! アンタがフザけてるだけで!」
kenzee「震災を経ても、基本的になにも変わらない。いつものaikoのレコードだ。物事に動じない、海のような資質だ。でも「Aka」や「くちびる」や「自転車」を聴いてなにも思わない人はいないだろう。十分、現代に対してアクチュアルなレコードだった。なんかすごいメッセージでも隠されてるのか!とかそんなのなんにもない、いつものaiko。だから強いし、繰り返しの鑑賞に耐えれるのだろう」
司会者「ホントにアルバム10枚走りきったね」
kenzee「これが24時間テレビだったらAKBの子とかがでてきて花束とか渡してくれる場面なんだけど。「最後エライ、アッサリ終わったナー」と思ってる人あるかもしれないけど、ボクも後半、こんな地味だと思わなかったからね。彼女の15年間とは音楽業界がゴローンと変化した15年間だった。音楽の流行もそうだし、聴取環境も変化した。音楽がお金を生み出す仕組みも変化した。そういう中でいかに変わらなかったか、というのがこの人のキャリアだろう。最先端のナントカ、とかネット文化のナントカ、とか海外のナントカ、といった文化コミュニティにまったく帰属しない音楽。つまりオシャレじゃない音楽。世代的な背景すらない音楽。逆に言うと、常にはぐれている音楽なのだよ。だから個人的な音楽なんだね。この人は職人と私小説作家の二つの顔を持っているのだけど、この10枚でもっとも印象に残っているのは「夢の中のまっすぐな道」なんだよね。私小説の世界。ああいうCDは何枚も作るものじゃないし。好きな曲は「彼女」「秘密」に集中している。「時シル」前半の超然とした流れは誰もマネできないし」
司会者「豊かな聴取体験であったと」
kenzee「だって、この10枚にボク、2000円しか払ってないからねー。ツタヤってスゴイね。とりあえず当初宣言していたアルバム10枚は終わったので、あとは余興! シングルカップリング曲を何曲かと「まとめ」の新録、インディー盤を次回でやって、aikoは終了。もう余興ですから、「あの曲がない」とか言うのナシね」
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コメント
とりあえず、当初の予定までの完走お疲れ様でした!
追加公演も楽しみにしております!
ひとつ訂正。
夏のマフラー ではなく、夏にマフラー
でございます★
時のシルエットはファンからすると
久々にaikoらしいアルバムきたな!
って意見が多かったのは
それが、元のaikoらしさに戻ったから
という解釈になるんですかね?
このアルバム後、配信やらYouTubeチャンネルやら
時代というものと向き合い始めるaikoですが…
今年は15周年、4本の別セットリストにて
ライブを4ヶ月間で進行させるという
なんともバンメン泣かせな企画を予定しております。
それが今後の作品作りにどんな影響が出るのかも
楽しみですが、なんとかKenzee様に
最新のライブDVDによるナマaikoの
感想なんかもいただければと思いますが
そのあたり、いかがなものでしょうか?
投稿: りょーくん | 2013年6月 2日 (日) 17時35分
半年がかりでしたか。お疲れ様です。
余興もいいですが、総括をもう少し。してほしいところです。
投稿: まとめ | 2013年6月 2日 (日) 23時48分
マラソン、本当にお疲れさまでした!!
ファンでも大変な苦行になりそうな曲数ですから、正直、最後まで行くのかな~なんて思っておりました。(すみません。)終わりってちゃんと来るんですね。
ファンの目線ではない方の解釈を知ることが出来て、大変興味深く読ませて貰ってました。
私はもうファンの立場からしか見られないので。
「時シル」は個人的には「雨は止む」の衝撃が大きかったです。いい意味でaikoっぽくなくて凄く好きなんです。
次回の更新でaikoは完結ですかね?!
個人的には「テレビゲーム」についてのコメントが聞きたいところです。
投稿: miyu | 2013年6月 3日 (月) 00時03分
アルバム完走、本当におめでとうございます!
本当に楽しく読ませて貰いました。
コアなサブカルとかは、なかなかついてゆくのが難しいかったです^^;
今日も触れられていましたが、一番印象に残ったのはアルバム「夢中」の「青い光」の評論でした。
「時シル」を聴いて、これが最後のアルバムとなっても十分納得できると勝手に思ったりしましたが、久しぶりにライブに行って10代20代の女性ファンの多さに少し驚いたりしました。
ライブ音源の音のみでも十分観賞に耐えるので良くウォークマンに入れて聴いています。"りょーくん"さんも言っていますが、機会があれば観てみて欲しいです。
投稿: はっち | 2013年6月 3日 (月) 03時29分
りょーくん。
ドウモ(TдT)アリガトウ。「夏に!」マフラーだったネ! あのネットに閉鎖的なaikoがYou Tubeチャンネルでは一曲まるごとライブ映像チョイ見せしたり、新曲配信とか今年から大きくプロモーション体制が変わりましたしね。とにかく10枚つきあってくれてアリガトウ!
投稿: kenzee | 2013年6月 3日 (月) 22時05分
まとめさん。
今回の終わりアッサリし過ぎでしょ?総括は次回の冒頭トークでいきますよ。主に「10枚走ったオレ」という自己言及的な話になると思うが。もうaikoの音楽については大概言ったからネ。
投稿: kenzee | 2013年6月 3日 (月) 22時08分
miyuさん。
ホントに次回で終わり。ホントに10枚走るとはね。こ、これで「あんまり好きでもない曲にムリクリちょっかいだす」みたいなことせずに済むなんて。こんな辛いブログ知らんワ。あとは書きたい曲だけ書くべ。しかし、好きじゃない曲にムリクリひねり出して因縁つけたコメントに限って、後で読み返した時に面白いのはどういうワケか。
投稿: kenzee | 2013年6月 3日 (月) 22時14分
はっちさん。
どうも(TдT)アリガトウ。「夢の中のまっすぐな道」がなかったら途中で挫折してたかな? 大きなターニングポイントとなるアルバムでした。自分で選ぶ良コメントは「アンドロメダ」かな? あの屁理屈と「サイコー!」みたいな非論理性が両輪で走るみたいな感じ。なかなかああいう味はだせないものですよ。「アンドロメダ」は歌詞も好きだな。あと「くちびる」のコメントもいいな。無駄口叩いてない感じが。今、思い出したけど「トンネル」だけ、ヴォーカルが尋常じゃない気迫というか、何テイク目なのかわからないけど、逆切れみたいなトーンだったな。あそこもうちょっとツッコムところだったな。ま、もう一回やれと言われてもムリですけどね。
投稿: kenzee | 2013年6月 3日 (月) 22時28分
お疲れ様でした。もうすぐ終わってしまうんですね。。。
「雨は止む」はそうですよ。震災で思うことを歌にしたようです。因みにこの曲は、梅田から十三を歩いてる時に浮かんできたそうです。十三を普通に闊歩する国民的歌手の図は、想像するだけで笑ってしまいましたが。
今回の時シルの評論も納得でした。詩と曲が一体という点ですが、他の歌手では槇原さんから僕は感じてたんですね。んで、前々から思ってたのがこの二人は似てるなあと。ベースの音楽ジャンルは違うのに何でかなあ?と不思議だったんですが、このコメントで妙に納得しました。
これまでの批評では、三国駅が印象的でした。aikoの音楽は基本は変わらないけど、時代に合わせて少しずつ変化している、という部分。僕も短期間で時シルからファーストまで遡ったので分かる気がします。aikoは良くこの言葉を使うのですが、「更新」してってるんだなと。根っこは変わらない安心感と、でも少しずつ新しいことにも取り組んでて、決して聞き飽きることはなくて。
それでは、最後の余興も楽しみにしてます!
最後に、この企画を通して沸々と湧いてきたのが、aikoにはぜひカバーアルバムを出して欲しいことですね!名曲をどうアレンジするのかもですが、何よりaikoの音楽的バックボーンを知る上で。
投稿: ヨシピコ | 2013年6月 3日 (月) 23時12分
完走本当にお疲れ様でした。
私は暁のラブレターの頃から割り入った読者ですが、このブログに出会ってから次のレビューが毎回楽しみで仕方ありませんでした。勿論1stからも後追いで読みましたし、そもそもkenzeeさんが何故aiko評を始めて下さったのかも遡って読みました。
前にも部分的に書かせて頂いたのですが、私は基本的に60'〜70年代の洋楽が好きなもので、日本のロックはあまり精通しておらず、ましてや女性シンガーのアルバムコレクションはほぼ皆無に等しかったのですが、aikoだけは約8年前から強烈にハマってしまいました。でも何故そんなに好きなのかを考えてみた時あまり明確な答えは無かったのですが、このブログを拝読してからというもの、その理由の一つ一つが紐解かれた気分でした。aikoのことがますます好きになりました。
これからも私のaikoライフは続きますが、kenzeeさんのブログに出逢えたことが一つのターニングポイントになりそうです。
夏からのツアーはフル参戦を狙っています。kenzeeさんにもあのアットホームなLIVEに是非参戦してみて欲しいです。
次回がラストランというのがまだピンと来ませんね。それを考えるとすごく寂しいです。
投稿: らば〜そうる | 2013年6月 3日 (月) 23時17分
ヨシピコさん。
ドウモ(TдT)アリガトウ。「三国駅」はちゃんと資料とか集めたワリに冗長だったかな。そもそもあの辺だと新幹線の駅も近いし梅田にも十三にもすぐ出れるし、郊外というには都市に近すぎかな。あれが「ホっとする場所」として受容された、という説は違うんじゃないかなってとこだけで走った、って感じかな。
カヴァーはやってほしいネ。もう椎名林檎やクラムボンの例もあるように。ま、aikoの場合徳永寄りの企画になりそうだが。
投稿: kenzee | 2013年6月 4日 (火) 00時16分
らば~そうるさん。
そうですね! 奥田民生とか斉藤和義とか要するにビートルズとかキンクスとかの日本解釈の音楽が好きな人はaikoを無視しちゃダメね。なにしろ演奏は間違いないのだし。次回、ラストランでゴザイマス。つっても言うこともうないけどね。
投稿: kenzee | 2013年6月 4日 (火) 00時20分
大変お疲れ様でした
明日も朝から仕事ですが、深夜に書き込みます
これまで何度か私の書き込みを利用して頂き、いちヲタとしては、なんかこそばゆい感じでした
いや、嬉しかったんです
過去のブログをちょっと読んで、どーやら同い年だとわかり、ビックリしましたよ
もう少し年上の方だと思ってました
私は関東の人間ですが、aikoに出会わなければ大阪にも行くことはなかったでしょうし、三国のこぢんまりとした商店街を歩くこともなかったでしょう
そして何より、このブログを読むことも…
正直これまで何度も飽きました、aikoの音楽には
でもやっぱり離れられないんです
笑顔(^o^)でイチモツをギュッと握られたようなかんじで…動けない
今後もこちらのブログは時に拝読するとは思いますが、aikoネタ以外で書き込むことは無いでしょう
今の心境をaikoの歌詞をパクって…あ、いや、拝借して表現すれば
「あなたを忘れる準備をしなくちゃいけないから」
みたいな気持ちですかねぇ
なんか今回は自分のことばかりダラダラすんません
最後に、全然関係無いですけど、「あした」の大サビ直前「どこにいる?!」は聴く人が聴けば、一回で分かるものですか?
僕は指摘されるまで気付かなかったもので
投稿: 774 | 2013年6月 4日 (火) 03時02分
お疲れさまでした。自分も遅ればせながらごく最近になってaikoの音楽の異様さ・エグさに気がつき、日々「なんだこれは?」とどんどん巻き込まれていった感じだったので、一連のエントリは自分のaiko探訪の素晴らしいサブテキストになりました。音楽評論の底力というものを感じましたです。
投稿: mucho | 2013年6月 5日 (水) 12時00分
774さん。
どうも(TдT)アリガトウ。また、イロイロサジェスチョンをいただき、774さんのおかげで読み物らしくなったと思います。
>三国のこぢんまりとした商店街を歩くこともなかったでしょう
まあ、大阪の人でも三国なんてこんなことでもないと行かないトコだと思います。これが十三になると関西のSMのメッカだったりしますのでその手の人はアレでしょうけど。あと西中島南方とかは風俗のメッカですし。
「あした」の「どこにいる」3分5秒あたりにあるそうですね。改めてヘッドフォンで爆音で確認しましたが、それらしきサンプリングボイスは聞こえますね。言われて初めて気がつきましたが。「どこにいる」と言ってるかどうかナゾですが…。
投稿: kenzee | 2013年6月 5日 (水) 22時28分
muchoさん。
どうも(TдT)アリガトウ。
これを音楽評論というと怒りだす評論家がいるかもしれない。これぐらい勝手なこと言うのも楽しいじゃないか、という問題提起にはなったかな?
投稿: kenzee | 2013年6月 5日 (水) 22時30分
もう本当にお疲れ様でした。
私も「aiko大好き~」とか言いながら、「何が好きなん」と聞かれたら結局「花火・カブトムシ・ボーイフレンドかな」の人間だったので、この探求心には乾杯です。
今さらですが「全曲解説」というのはいいですね。パブリックなイメージだったり代表的な作例を解説するだけでは語れないところまでやらざるを得ない。「俯瞰」という言葉に逃げられないというかね。
人が作る以上、「本筋から外れた曲」というのがあるはずなんですが、その中のいい曲がどんどん手からこぼれていく。名盤ガイドや配信やベスト盤や、便利なものが作るそういう隙間を埋めるには、こんな草の根(失礼かな?)の地道な努力しかないんだな、と。
サンソンとこのブログが週末の楽しみでした。ありがとうございます。
投稿: 豚に真珠のピアス | 2013年6月 7日 (金) 12時30分
お疲れ様でした。
実は「時のシルエット」には、ホーン・セクションの入った曲が1曲もありません。
投稿: aiko好きドラマー | 2013年6月12日 (水) 21時50分
ホントだ! 管入ってない!
マ、この人昔からブワーっとギャルギャルしい
路線の時は管入るけど、マジメなコンシャス路線というかノーザンソウル路線になるとストリングス中心になってくるんだよね。ちなみにボクは実は管が苦手。なるべくロック系の音楽はコンボ編成であってほしいんだよね。
投稿: kenzee | 2013年6月12日 (水) 23時43分