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ボケるのもセンス。渋谷芸を堪能(渋松対談・青盤)

kenzee「この前、古本屋で見つけた。500円だった」

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司会者「コ、コレは…対話形式エッセイの原点、ロッキング・オンにて35年以上に亘って連載されている長寿企画、渋谷陽一と松村雄策による「渋松対談」!」

kenzee「なんか、赤盤と青盤があるらしいんだけど、コレしかなかったのでコレしか読んでない。ここ5年ぐらいの73本をピックアップしたもの。でね、オイラ渋松対談って今までそんなちゃんと読んだことないのね。いっつもオッチャンたちがツェッペリンかビートルズかクラプトンの話ばっかりしてるってイメージで。今回、初めてちゃんと読んでみたらやっぱりツェッペリンかビートルズの話で驚いた。AKBのエの字もでてきません。真の男かもしれん」

司会者「初期の、つまり創刊期の1972年頃がどんなだったか知らないけど、今はすでにロック老人となりつつある二人がひたすらボケ倒す、というコンセプトになりつつありますな」

kenzee「最近、渋松みたいな対談形式のブログとか多いじゃないですか。もう渋松知らないでやってる人もいるだろうけど。で、渋谷さんの前書きを読んでちょっとビックリ」

 この対談は、実は対談ではなく、僕や松村が一人で書いていた創作対談なのだ。ロッキング・オンに入社した社員が例外なく入社後に一番驚くのがこの事実を知ったときだ。たいてい目が点のようになる。いつからこうなったか正確には思い出せないが、この単行本上下巻に収められているものは全て一人で書いた架空対談である。(「渋松対談・青盤」渋谷陽一・松村雄策(ロッキング・オン))

司会者「社長一人で……「参院選終わったけど、マ、ツェッペリンに例えると自民党ってロバート・プラントみたいなモンだな」松村「またなんでもツェッペリンかよ!」(例)とかガリガリやってたんだ…。自社ビルある会社なのに…。大丈夫なのかな」

kenzee「オレ、うすうす感づいてた」

司会者「ホントにい?」

kenzee「オイラも一人対談ライターでやってるわけだけども、リアルに対談してるワリに都合良すぎるとは思ってたんだよ。いくら気が合うとしてもピッタリ合いすぎだろうと。ただし社長一人でやってるとは思わなんだ。ボクが予想してたのは実際に喫茶店とかで二人がよもやま話をひとしきりして、録音したテープを社員の誰かがゴーストでまとめてるんじゃないかと思ってた。たけしのオールナイトニッポンのテープ起こし本のように」

司会者「そういう世代か」

kenzee「冒頭で必ず、「こんにちは、山本太郎です(例)(←いつもその時期の話題の人が入る。たけし同様)とかいうのも含めて。でも一人対談だったのだ。でね、一人対談大先輩の渋谷さんを考えてみたい。コレがもっとも威力を発揮する時がどういう時かというとズバリ自虐ネタのときなのね。おそらく初期の70年代の渋松はTOTOやジャーニー、エイジアのような産業ロック批判とか、最近のポールどうよ、といったようなマジでガチなロック対談だったハズだ。ところが80年代になるとパンクを通過したポストパンクの時代となる。ガチ批判を脱臼させるような、音楽自体が批評性を帯びるという面倒な時代だ。たぶんその頃に「ガチ批判とか意味なくなってきたなあ」と感じたのではないか。その頃に「ガチ批評家、渋谷陽一自体をネタにする」というアイデアを思いついたに違いない。「アイツ、頭古いんだよなあ、80年代のニューウェーブ時代に突入してんのにまだツェッペリンとかビートルズとか言ってるし。ワープロ打てないし未だ手書き原稿で若手社員からも疎ましがられてるし」といった自虐ネタを自身で開発していったのだろう。それは時代的にも「ビックリハウス」や「ひょうきん族」のようなニューウェーブ感覚と呼応していったハズだ。で、そうなるとよほど気心の知ったツッコミ役がいないことにはうまくいかないものだ。一番いいのは一人でやってしまう。その気持ちはボクはよくわかるんだよね。そもそも社長に向かってそんなにボコボコツッコんでくれる人もいなくなるし」

司会者「もうハゲヅラかぶるぐらいのことしないとツッコんでもらえないですよね」

kenzee「まさに「社長はつらいよ」なのだ。(←社長のブログのタイトル)で、そんなアナログツェッペリン老人の社長がブログを始める、の巻みたいな話がある。そのなかで「ブログは強迫観念になる。日常をブログに書いてるのか、ブログのために日常があるのかわからなくなる」と。

渋谷「ネタを探したってそんなにないから、ネタを作ろうという発想になってくるんだよ。転んだっていうことを書きたいから、ここで転んでみようか、とか思いだすんだよ。(中略)あれだって苦労してるんだよ。でも、ブログにはまる奴の気分がわかってきた。中毒性があるね。何か、人とつながってる気になってくるんだよ」

松村「なにか思いっきり寂しいこと言ってるな」

渋谷「俺の場合、雑誌もテレビもラジオもやっていて、情報の発信という点では職業化してるわけじゃないか。でもブログのコミュニケーションって違うんだよ。訪問者数はすぐにわかるわけだよ」

松村「インターネットはその辺が便利だよな」

渋谷「だから自分のブログをどれだけの人が読んでいるかすぐにわかるわけ。そうすると、なんだかそういう人と繋がってる気分になるんだよ。雑誌の部数とかテレビの視聴率とかと全然違うリアルがあるわけ」(前掲書)

kenzee「ここでしつこく松村さんが「お前、友達すくないんじゃないの?とか大変だな、とか呆れるとこまで含めて渋谷芸だった、ということなんだね。でね、渋谷さんほどメディアに影響力のある人でもブログには違うリアルがある、とか感じるんだね」

司会者「持たざる者の最後の手段ぐらい思ってましたが。我々」

kenzee「確かに思い当たるフシもあって、雑誌に書いた原稿がネットで話題に上がることはまずない。やっぱりダイレクトな反応があるのはネットに公開された文章なんだよね。小野島大さんが前にツイッターで仰ってましたが「ホントに言いたいこと、拡散したいことは雑誌に書くよりツイッターとかネットに書いた方が確実に拡がる」と。そうなるとますます紙のメディアの意義ってなんだろうみたいな話になる」

司会者「でも私はネットで読んだ文章ってすぐ忘れちゃいますけどね。やっぱり紙で読んだっていう印象は強く残る。あと物理的にもブツとして残るし」

kenzee「あと渋谷さんの一人対談師として優れてる点は、徹底的にボケ役に回ってるということに尽きるな。ボクもボケのつもりでやってるんだけどここまで徹底してない。とにかく渋谷さんが口を開けば松村さんがボコボコに叩きにくるというこの構図。これが真の一人対談なのだ。昨今の一人対談のブログとかはこの勘所がわかってない人が多い。潰し合いになっていく様が面白くて、その荒野の中からなにかテーマとかが浮かび上がってきたときが感動的なのであって、二人が同調してたら意味ないんだよね。渋谷さんのヤツは、だから緊張感がある。とにかく松村さんが四方八方から揚げ足を取りに来る。あと、コントの基礎ができている。音楽評論家なのに。お通夜にいく話とかスゴイよ。要約するとこんな感じ。

 冠婚葬祭の服や靴って時々しか使わないからイザって時見当たらないんだよな~そんなのタンスか靴箱に入ってるだろ?オマエん家は冷蔵庫にでも入れてるのか?~そういえば冷蔵庫って半年前の糸コンニャクとかでてくるよな~どうでもいいわ~で、久しぶりに着てみたらなんかヘンな感覚なんだよ~わかった、上着の胸ポケットから糸コンニャクがでてきたんだろ?~違うよ、靴の底が取れたんだよ、パッカーンと。で、ヒョコタン、ヒョコタン歩いてたんだ~チャップリンの映画だってそんなシーンないわ

↑この流れ。とくに糸コンニャクって話と無関係な小道具がサラっとでてきてちゃんと落すじゃないですか。これは一人の人間の頭でないとこんなに綺麗に流れないワナ。こういう無駄話が上手い人がやるとこんな生き生きとなる。こういうのをグルーヴというのだろうか。とにかくロック漫談のレジェンド、渋松対談は対談形式の人、必読だよ! でもよく考えたらツェッペリンだけで35年音楽評論家やってるってだけで壮大なボケだよね!」

司会者「とくに…ツッコまないよ…(ビクビク)」

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コメント

僕が面白いと思った回に限ってコメントがなかなかつかない傾向があるのはなんでなのでしょうか……

個人的に面白可笑しく書こうと言うその矜恃がどストライクなんで、次も期待してます。

投稿: 葛西悪蔵 | 2013年7月29日 (月) 20時17分

そうなんですよ。どうもボク、ネットのコミュニケーションってモンに懐疑的になってて。イヤ、やってる側にも問題あるのかもしれないけど、「そのボケ、オモシロイッスね!」とか「葬儀屋ケンちゃんてwwwwww」みたいなコメントがつくことはまずない。「鋭い批評だ(キリッ)」とか「個性的な視点だ」みたいな感じなんだよね。ネットの受容って。ボクはネット言論界イチ、ボケていると自負しているのだけど。そこへいくと日本でもっとも有名なロック評論家、渋谷さんはスゴイよ。いかに自分が若者の音楽を間違って評価するかに命かけてるところがあってね。だんだん渋谷×村松が「井上陽水×タモリ」とか「杉作J太郎×吉田豪」みたいに見えてくる不思議。なるほど代わりがいないワケだ。

投稿: kenzee | 2013年7月29日 (月) 23時00分

ツェッペリンだけで35年評論家やるなんて壮大なボケ、なんてくだりかなり巧いですよ(笑)
さりげなく今回は自己批評的な意味合いも兼ねてるし、僕は少なくともネット上でkenzeeさん以外に対談形式を巧みに使ってる(読んでて必然性が感じられない人が多いと思うんですよね)人を見た事がないです。
自分自身、暇潰し程度にネット上に文章書いてみたりする事がありますが、ネットでの受容のされ方って不可解な部分多いなと感じなくもないです。


笑いって自己批評的な物だし、ある種の批評性を帯びる以上、まっとうな評論手段の1つだと思うのですが……

僕個人、渋谷陽一は嫌いですが(笑)
渋谷対談は嫌いではないです。
とにかく、僕は笑いを取ろうと言うスタンスを断固支持しますし応援しています。

因みに、高田渡が前回取り上げられてたのがまたツボでした(僕も酒飲みなもので)

投稿: 葛西悪蔵 | 2013年7月30日 (火) 00時27分

あのーかんけいないんですけど、
先日のあくたがわ賞について
なにかコメントはないんですか。

もう4、5年まえになるけど
(ここがまじめ?に文芸誌について
取りあげていたころ・・・)
共通の担当編集さんから、
「藤野さんもここのブログ
好きで読んでるんですよ」と
聞いたことあるけど・・・

投稿: 来月、ぶんがくかいに新作♪ | 2013年7月31日 (水) 23時12分

ア、先生。ア、「踊れ、踊らされる前に」ヘヴィローのkenzeeです。たぶんソウルフラワー史上、最も聞きやすいメジャー感ある一枚。最近はECDの「THE BRIDGE」とコレを交互に聴いてるぐらい。

芥川賞ネ! 藤野さんネ! アッソウ。昔、(6年ぐらい前かな?)デビュー作の「いやしい鳥」について書いたら藤野さんからメールがきたことがある。「私、作者の者です」みたいな。なんでも編集者とか知り合いとか以外の他人が感想を述べた一発目だったんですって。ボクが。それでお礼を言いに来ました、みたいな鶴の恩返しみたいな内容でした。その時に思ったのが「明るい性格なのかな、ああいう作風だけど」ということで。でもボクはあの作風と純文業界は合わない思ったんです。つまりボクの予想はマッタク、当たらない。まあ、こういう明るい人はどこででもやっていけるだろうなあとか思ったんですよ。それが芥川賞か…。さっきこのブログ内で検索したら初期の3作ぐらいまで言ってますね、ボク。で、毎回言ってるのが「社会を映す、みたいな気負いのない、ジャンル性の強い作風でどこの星からきたのかね」とか言ってますな。

でもフダンからウォッチしてないヤツが祭のときだけ「藤野さん、オメデトウ!」とか言うのもヤラしいなア、とか思ってアレだったんですけど…。一応記者会見とか見ながら、「あーこの人があのメールの人か」とか思って観てました。そうか、6年も前の話か。

でも、今も文芸誌はちょっとはチェックしてますよ! 最近バカバカしかったのが群像新人賞「鶏が鳴く」。深夜にイケてない男子高校生が自意識丸出しの哲学論争を繰り広げるという。「ギターはオレのほうが上手い」とか文学史上最強の厨二ぶり。

というわけで8日発売の文學界ッスね! そういえば先生の本の話も5年ぐらいしてないんじゃないかな。昔の感じだとシンドイけどユルーいフリートークみたいな感じでやってみると楽しいかもなあ。イヤ、昔の藤野さんとか円城さんとか先生のヤツとかの記事を読み返したらガチガチでね。なんか自分じゃないみたい。でも思い出深い時代ですよ。読者も100人ぐらいしかいなくて。なんか顔が見えるような気がした。ブログやってる人ってアクセス数が増えるのが醍醐味だったりするじゃない? でも一度、1000人規模になっちゃうと元に戻れなくなるよ。コレ、経験者は語る。ま、先生オツカレでした。

ア、藤野可織さん、受賞オメデトウ(^▽^)

投稿: kenzee | 2013年8月 2日 (金) 00時15分

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