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田中さんのマネは口をすぼめるのがコツ(小説の神が降りる瞬間の話)

kenzee「ビックリしたなア、もう」

司会者「ビックリするワなあ。そりゃ」

kenzee「メールチェックしてて「田中康夫です」ってメールきてたらソラ、ビビリますよね」

司会者「ハ!?って言うわね。アレでしょ、前回のウチの記事を読まれたんですよね。「33年後のなんとなく、クリスタル」を茶化したような。どうせこんな感じの反応だったんでしょ」

kenzeeさん。はじめまして。田中康夫です。オマエ知ってるゾ!「ネオ漂泊民の戦後」とかいうヘンな社会評論みたいな本の著者だな! で、その中でオイラのなんクリとか新刊とかを茶化して遊んでるヤツだろ!クビ洗って待ってろ! 

元長野県知事、新党日本代表田中康夫。

↑こんな感じでしょ?」

kenzee「違うよ! 田中氏のオフィシャルサイトの中に「33年後のなんとなく、クリスタル」の書評や番組情報だけを集めたコーナーがある。で、ウチの前回の「33年後」のフザけたような記事を面白がってくださって、「リンクを貼ってもよろしいでしょうか」という確認のメールだったのだ」

司会者「エラい人なのにご丁寧に!」

kenzee「で、オイラも(ホントに本物なのかな?)と半信半疑ながら、「アハ、kenzeeと申します。アハ、これでも一応、ライター?みたいな?一応著書トカ、アリマス。ハア、どうぞあんなフザけた記事でよければデヘ」みたいな返事をしておいた。でもコレ、イタズラなんじゃないかとも思っていた。したら、ちゃんと田中氏のオフィシャルサイトの書評コーナーにウチの記事が紹介されている。ガーン!」

司会者「ホンマの本物だった!」

kenzee「こうなるといよいよ心配なのはオイラの本、ホントに田中さんの本を結構イジって遊んでるワケだが、お気づきじゃないッスよネーということだ」

司会者「もう本屋で売ってる本のこと、心配してもしょうがないだろう! ていうかあんなビッグネームなのにマメだなあ、田中さん!」

kenzee「ウン、なにより「ソラ、モテるわナア」と思った。この神経の細やかさは文学者の性格じゃないものね」

司会者「しかも、ちょっと茶化して遊んでる内容なのに、「ヨッシャヨッシャー」的な太っ腹感とか」

kenzee「口ポカーンとなってしまいましたよ。ちなみにボクのモノマネレパートリーの中に田中康夫のマネ、というのがあるのだが、これは田中邦衛のマネを意識しながら横文字をいっぱい使うと不思議! 田中康夫になります。田中邦衛のマネをするつもりで「パイド・パイパー・ハウス」とか「マイケル・フランクスのブラジリアン・フレイヴァー」とか言ってみましょう」

司会者「コラコラよしなさいっての」

kenzee「でね、ボクも去年、本を書くとき田中小説を使うにあたって、一通り田中康夫を調べたのよ。で、ボクは自称文芸評論家なワケだけども「小説の神」ってなんだろうとか考えるのですよ。あらゆるジャンルに「この人はこのジャンルの神に愛されているとしか考えられない」というアーティストがいますわね。たとえば北野武は映画の神に愛されているとしか考えられない。ポール・マッカートニーとかスティーヴィーワンダーとかポップミュージックの神に愛されているとしか考えられない。大江健三郎とか中上健次は小説の神に愛されているとしか考えられない、といったような。で、田中康夫は決して小説の神に愛されているタイプの作家ではないのですよ。かといって小説家に憧れてスゴイ努力して新人賞を勝ち取った、というタイプでもない。つまり、神はランダムに降りてくる、ということを思うのだね」

司会者「なんか、まわりくどいな」

kenzee「これは田中氏の著書やインタビューでしばしば発言されているので周知の話だけど、学生時代の田中氏はいわゆるリア充の中のリア充みたいな学生であった。とにかく東京のイケてるレストランやバーやディスコやデートなどで忙しく、文学だの小説だのやってるヒマはないというヤングであった。で、これは「33年後」にも登場する話だけど、そういう東京のイケてるスポットを紹介するフリーペーパーを発行するサークルを運営していた。これは一橋大学のOBの大手商社のエラい人などに営業をかけて広告をとるという「広告マネタイズ」で収益をあげるものだった。つまり、同人っていう発想ではないのだね。やっぱりタダの学生ではなかったね。で、そのサークルの収益をアレしたりとかがあって、結果、大学を留年することになる。田中氏もこれははじめての挫折だった、と語っている。内定が決まっていた大手金融機関はモチロン、パーに。それは充分ありえる話だと思える。やっぱりイケ好かない学生ですよ。頭はいいわ、要領はいいわ、女子にはマメだわ、ギャルの好きそうな話題が豊富だわ。文学のブもありえないタイプである。で、その挫折の大学5年生の初夏に「どうして日本の小説って未だに貧困とか差別とか私小説とかやってるんだろう。もっと新しい価値観で消費生活をエンジョイしてる若者が東京には溢れているのに」」

司会者「ここまでは当時も今もよくいるリア充学生でしょう」

kenzee「神はこんな時に降りてくるんだよ。「誰もやらないんだったらボクが書こう。今の若者小説を」。これが「なんクリ」である。どう考えてもボクのようなオタクタイプの人間から見たら田中さんのような学生はイヤなヤツなんだけど、この話だけはクワイエットというか、いい話だと思うんだよ。「誰もやらないんだったら、ボクがやろう」と思った瞬間に神が振り向いたんだ」

Motokuri1


司会者「世の中作家志望がゴマンといる中で」

kenzee「小説の神もフダンは田中氏のようなリア充タイプをキライなはずなんだ。でも、このときばかりは違った。なので、田中氏の著作のなかでも「なんクリ」はなにか特別なオーラがあるんだね。よく「カタログ小説」と揶揄される作品だが、あのコンセプトをたとえば広告代理店とか編集プロダクションがもっと綿密に調査してもっと強力なカタログ小説をつくることは可能だったはずだ。たとえばホイチョイ・プロダクションの仕事はそれに近いものだ。でも「なんクリ」の特別感は再現できていないんだ。神が降りていないからだ。それにしても、田中氏が普通に大学を卒業してそのまま就職してたらこの33年間のキャリアはなかったのだろうか。それは本人にもわからないだろう」

司会者「そんな田中さんの伝説のディスク・ガイド「たまらなく、アーベイン」が春に復刊するそうですね。フリーソウルの橋本徹も愛読したという」

kenzee「そうだね、この春は「マイケル・フランクスが」とか「ニック・デカロのイタリアン・グラフティがAORの元祖なんだよネ」などと田中邦衛口調でボソボソつぶやくことにしよう」

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