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歌の中の怒りの成分について(一応J-POP論)

kenzee「ボクは、世の中に怒ってるんだ!」

司会者「なんで?(メンドくさそうなイントロだなア)」

kenzee「この前ユーチューブをおすすめされるままにパラパラ観ていた。若手のバンドがイロイロでてきた。その中でね、20代ぐらいのワリと、V系なのかロックなのかわかりませんけど、コワイイメージがウリのようなバンドがコメントしていた。

リーダーさしきメンバー「今度、○月×日にニューシングルナニガシをリリースさせていただくことになりまして・・・・・・」

kenzee「オイラ(ワナワナワナ・・・)」

司会者「ハア、新曲の告知ね」

そのメンバー「iTunesさんでもイツイツから先行配信させていただくことになりまして・・・・・・」

kenzee「「新曲がでるんで、オマエラよくチェックしとけよ!」とかじゃダメなの? イヤ、だってロックでしょ? ナニ?そんな言い方したらSNSが炎上すんのか?」

司会者「アイドルとかでも、「自分レベルがこんな素晴らしいステージに立たせていただいて・・・」みたいなこと言いますな」

kenzee「「男子はみんな私のことが好きなんでしょ?」ぐらい勘違いするのがアイドルというものですよ! しかもソレをチョイブサぐらいの大根足の女の子が言うとかがエンターテインメントだと思うんだよね」

司会者「でもそういう人って定期的にでてきてはちゃんと炎上したりしてるのでは」

kenzee「もっとみんな世の中に怒ろう! ボクは毎日怒ってますよ。そうねえ、昨日でもクルマの信号待ちとかで何台か止まるじゃないですか。で、もう青になってるのに先頭車両なかなか発進しないでジーっとしてるヤツいますよね。で、よく見たらやっぱりスマホいじってますワ」

司会者「確かにそれはハラが立つ」

kenzee「でね、オイラがその先頭車両のヤツにハラ立ってると思うでしょ? 違うんですよ、そんなヤツに対する怒りはすでに通り越してるんですよ、それより後続の二台目のヤツはちゃんと青に気付いてるハズなのに全然クラクション鳴らさなかったりするじゃないですか!」

司会者「(なんだこのブログ)」

kenzee「ボクは二台目の立場だったらバンバンクラクション鳴らす派なんですよ! で、オイラが3台目だったとしよう。こうなると鳴らすのが難しくなるわけです。

・先頭車両の論理「自分に向けて鳴らしているのではないのでは(音が遠い)


・二台目の論理「青に変わっているのは気付いているが、先頭のヤツがヘンなヤツだったら面倒。クワバラクワバラ」


・三台目オイラ「ここでバンバン鳴らしたところで意図が正確に先頭車両に伝わるものか?」

kenzee「これを結構、混雑気味の交差点でなったりするからね。わかるんです。スマホいじりだす心理が。そういう交差点の信号って長いんですよ、でも先頭だけは信号見とく義務があるからね。二台目以降はケータイイジってても気配でわかるので」

司会者「小さい話だなあ」

kenzee「世の中ハラ立つことばっかりですよ」

司会者「思う存分ブチまけたら? どうせ無名のブログだし」

・(怒りの話その1)レッツダンスベイビーでクラッカー配る客

kenzee「山下達郎さんのライブの後半で必ずやる曲に「レッツダンスベイビー」という曲があります。で、2番の「心臓に指鉄砲」のところでクラッカーを鳴らすのが慣わしなのです。最初は70年代に自然発生的に生まれたそうです。で、別にクラッカーはいいんです。みんなで楽しめばいいじゃないですか」

司会者「なにがダメなの?」

kenzee「「レッツ」が始まると、おもむろに周囲にクラッカーを配る客というのがいるんですな。もう箱買いしておいて。キミは、オマエは、テマエは、アホなのか」

司会者「いいじゃない。配っても」

kenzee「チョット考えよう。達郎ライブ初めての人もいる。だったらレッツダンスベイビークラッカーなんて知るはずがない。そんなモン貰ってもどのタイミングで鳴らせばいいかわかるわけないじゃない。知ってて、持参しない客もいるだろう。最早説明不用。その人はクラッカーを鳴らしたくないのだ。でね、達郎ライブってそもそもそんなキャパ広いとこでやらないのですよ。大体2000人ぐらいのホールなのです。そういうトコで1番始まって各所でソワソワするヤツでてくると・・・緊張感なくなりますよね。あんなモンは鳴らしたい人だけが黙ってパーン鳴らしとけばいいのです。世の、アホばっかりや!」

・(怒りの話その2)リニューアル

kenzee「リニューアル死ね!」

司会者「うるっさいなあ」

kenzee「昨今のスーパーとか百均って、なんであんなしょっちゅう商品の置き場所変えるの? やっと「文房具はココで~箱ティッシュはこの辺かア」とか覚えたのもつかの間、そっくりヘンゲ! もうメロンパンがどこにあるのかなんて永遠にわかりまへんで!」

司会者「もうメロンパン食わなきゃいいじゃねえかヨ~」

・(怒りの話その3)職場の紙コップのコーヒー

kenzee「あのさア、職場でパソコンとか書類とか広げてる机の上にスタバ的なカップのコーヒーとかポーンと置いてるヤツ。アホなの?バカなの?死ぬの?」

司会者「ああ、こぼすだろってコト?」

kenzee「そんなモン、いつか倒すに決まってるじゃないですか、電話とったりもするんだし。アレ、なんで誰も怒らへんの? オイラが社長だったら「フタの閉まる容器以外厳禁」て張り紙しますよ。まあ、それで危機管理能力わかるってのもあるけどネー。なもんでボク、映画館でもカップのドリンク買わない派なんだ。ペットボトル持参派ですよ」

・(怒りの話その4)逆走女子高生

kenzee「イチイチ説明するまでもないです。道路逆走チャリンコ女子高生。もう問答無用で轢き殺していい法律作るネ。ボクが自民党なら」

・(怒りの話その5)3分間写真

司会者「なんのブログなんだよ!」

kenzee「マイナンバーを登録せえ、とお上からなんか通知がきたので必要事項記入し、送り返そうと思ったらアンタ、写真貼れっていうじゃなーい。しょうがないんで近所の3分間写真行きました。そしたら4枚綴りで800円でした。ヨ~ン~マ~イ~も~、いらんっちゅうねん! 1枚300円とかで売ってくれませんかねえ! 余った3枚コレどうするよ! オレが死んだ時の遺影用ぐらいしか思いつかんワ!」

司会者「マ、それでもまだ2枚余るんだけどネ(プッ)」

kenzee「自分の本のプロフィール欄に貼り付けて遊んだりしています」

司会者「しっかり活用してるじゃないか!」

・(怒りの話その6)クルマに貼ってあるステッカー

kenzee「あれはナニを目的としているの?」

司会者「「BABY in CAR」「赤ちゃん乗ってます」ってのは一応意味あるらしいですよ」

kenzee「「水曜どうでしょう」とか。ここ奈良県だし。「赤ちゃんをつくっています(赤ちゃん乗ってますに似たデザインで)」」イヤイヤ、オモロないから。「グリーン車」オモロないから。ペラッペラのスズキアルトじゃないですか。「少林寺拳法○×支部」威嚇・・・? それね、たとえウケたって、爆笑とったとしても(ありえないが)キミ自身がそれを知ることはないワケじゃない。目的がワカランよ」

・(怒りの話その7)「~ミステリーツアー」と「~をめぐる冒険」

kenzee「上記の文字列で検索かけてみてください。その手の本とか記事とかバンバンヒットします。コレは「オレって気が利いてるでしょムフ」のアホ発見機なのです。ウンザリです。こんなんで気が利いてると思ってるヤツが結構出版業界人だったりした日にゃ・・・。あとSEO対策としても最悪です」

・(怒りの話その8)図書館の奇声を発する知的障害者(に注意しない図書館)

kenzee「これは注意するべきなんじゃないですか。ナンボ障害者でも図書館まで来るぐらいなんだから幼児並みの理解力ぐらいあるんでしょ。コレなんで図書館注意しないの? で、ウルサイのでオイラ、ウォークマンしたのサ。そしたらしゃー。警備員がツカツカやってきて「ウォークマンはほかのお客様のご迷惑になりますのでご遠慮ください」イヤイヤイヤイヤ」

司会者「憤死しそうになっとるよ」

kenzee「どうしたらいいのかねコレ」

・(怒りの話その9)サークルKサンクスのホットスナック、「カレーパン」と「カレーまん」

kenzee「↑コレは店員さんが気の毒ですよ。絶対聞き間違えますって」

司会者「食わなきゃいいんだよ。そんなモン。医者にいろいろ言われてるクセに」

kenzee「このようにボクは日々、怒って生きている。そしてそれは正しいことだと思っている。みんな、物分りが良すぎるヨ! かの寺山修司も「家出のすすめ」のなかで「一日一回は怒れ」と激を飛ばしている」

 一日一回、怒りましょう。もし、怒るような腹立たしいことがあなたの身の回りになにもないというのなら、無理してさがしださなければならない。よく気をつけて見ると、かならず「怒るべきこと」があなたの周囲に何かあるはずです。(中略)怒りは自動車のガソリンのようなものです。怒りはようするに明日への活力です。
 日本人のなかにはながいあいだ、忍耐の美徳・・・・・・という不衛生な道徳的習慣がありました。人々はさまざまな不合理を我慢し、その我慢のなかに「無常感」といったムードを構成して生きながらえてきました。しかし、怒りというのは排泄物のようなもので、一定量おなかのなかにたまりとどうしても吐き出さざるをえなくなる。日本の女は忍耐の美徳を備えている、といわれながら、日本の女ほど自分の子供を殴る・・・・・・という例もあまり少なくないのは一つの排泄現象の現れだとみていいでしょう。(寺山修司「家出のすすめ」角川文庫)

司会者「これが60年代に書かれたとは信じられませんな。まるで50年以上も前に高嶋ちさ子問題に言及しているようにも読める」

kenzee「あと、都内の公衆便所(今、こうしゅうべんじょを変換したら「広州便所」と変換しやがった。そんな言葉あるか?ムカーッ)をくまなく巡って、便所の落書きを読破する話とか、軽く2ちゃんねる論みたいなことになってて面白いヨ。ホントに60年代に書かれたものなんだろうか。でね、ボクは歌ものの音楽が好きなワケなんだけども、どうやらボクは歌声のなかに怒りの成分がある音楽が好きらしいということが最近わかった。でも、怒りを前提とした音楽スタイルで怒ってるものは好きじゃないんだ」

司会者「? どういうこと?」

kenzee「つまり、パンクとかフォークとかで怒ってるのは面白くないんだ。ヒップホップも怒り関係はあんまり好きじゃない。ポップスのような商業的なスタイルの中で怒ってるものが好きなんだ。本来、怒るような音楽じゃないところで歌が怒ってるという状態がボクにとってのポップスだったのと気付いたのよ。たとえば山下達郎さんは「パレードがゆくよ~」とか「ダウンタウンへくりだそう」とかポップで明るい情景について歌うことが多い。でも、その声には怒気が込められているんだよ。というかボクにはそう聴こえるんだよ。とくにライブヴァージョンの怒気がスゴイ。なんかシックリこない人はライブ盤「JOY」を聴いていただきたい。

Joy1


今までナニに感動していたか。怒気だったんだ。コレ、自分のなかでは大きな発見で。たとえば「山下達郎のようなAOR系J-POP歌手」っていっぱいいるワケじゃない。杉山清貴とか」

司会者「チューブとか」

kenzee「濱田金吾とかいろいろいるのに、達郎とは決定的になにかが違う。アレンジか?プレイヤーの問題なのか?エンジニアか?楽曲そのものか? なにか言い切れていない。そういうことじゃないんだ。杉山清貴と山下達郎は全然違う音楽なんだ。ボクにとっては」

司会者「杉山清貴ファンの速水健朗さんがそろそろ怒ってくるゾ」

kenzee「ポップスでも声のなかに怒気のない歌手は納得いかないんだ。そう考えるとボクがナゼ、エグザイルに興味がないのかもわかる。エグザイルがやっているのは現行のR&B、ヒップホップなワケで、本来ボクの好きなものなんだ。でも、好きじゃない。彼らは見た目はイカツイけれども声に怒気がないんだ。ジャニーズソングも基本好きじゃない。イイ曲多いのは知ってるけど。声に怒気がないからだ。(ア、サクラップだけは別かな) 翻って、ボクは安室奈美恵が好きなのだが、どうしてそんな、ボクのようなオタク気質の人間が安室に惹かれるのか。彼女の声は一貫して怒気が込められているからなのだ。全然そんな怒りの歌じゃないのに。でも、多分その怒気に対して彼らは無自覚だ。なにしろ達郎さんは自分でも「ボクの音楽は喜怒哀楽のなかで怒が抜け落ちたものだ」と言っている」

司会者「パンクとかはなんでダメなんですか。もっと怒ってるよ」

kenzee「「怒り」が目的化されてるものは面白くないんだ。目的化された怒りの行き着く先は大体決まっている。せいぜい「安部政権反対」とか「NO WAR」とか「原発反対」とかあたりと相場が決まっている。いいことを言ってるのかも知れないけど、そんなの全然面白くないんだよ。もっと、無自覚で抽象的な怒りなんだ。ボクの共感するのは。そういう怒りこそ人間らしいと思える。パンクみたいな音楽にはまったく現れえないものなんだ。最近、バカ売れの星野源のアルバムをボクはよく聴いているけど、最初はよくできたポップソウルのレコードかと思ってたんだけど、繰り返して聴いていくと、これは(抽象的な)怒りの音楽だとわかってくる。「SUN」や「FRIEND SHIP」はなにかに怒っている。無論、怒りのカケラもないポップな歌詞だ。でも、そこに怒気を感じるんだ。そういう表現になにか人間味を感じてしまうんだね。ボクが長渕剛が好きなのも、長渕の怒りはどこか、抽象的なところがあるからだと思う」

司会者「aikoさんもそういうタイプじゃないでしょうか」

kenzee「そうだね。「花火」とかあんなポップな情景を描いて、声は怒っている。でも、そういう歌を「はしたない」という文化もあると思うんだ。日本の場合。下品だ、みたいな。とくに演歌の世界は許されない気がする。エグザイルは←この価値観に近いのだと思う。怒気の歌がイキイキとした人間味を感じるとしたら、そこにポップスの本質があるからなのかもしれない。でも、まだビートルズすらロクに浸透してない時期に寺山はそういうことに気付いてたとしたらやっぱりあの人は天才だったんだね」

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コメント

「~させていただいて」
↑この言い方、いつの間にかみんなするようになったけど何故広まったんでしょうね?ムズムズして仕方ないです。
お仕事頂きましたというニュアンスなのかも知れませんが、それは自身の人気の証拠なんだからそこまでへりくだらなくても…。

「怒りの目的化」
↑意義申し立てしたきゃすれば?とは思いますが、あまり興味のないジャンルです。結局サブカルそのものの行きつく先が「憲法9条」と「エコ」しかないという根源的な問題があるのではないかと。

投稿: 紅 | 2016年2月14日 (日) 19時05分

紅さんは全部わかってくれていると思うんだけど、目的のある怒りって、最初は盛り上がるけどだんだん人に対する許容がなくなっていくと思うのよね。要するにSEALDsのコールってイヤなものだし、アレを「音楽的」とかいって評価する評論家とかオカシイと思うって話なんだよね。音楽ってもっと惨めだったり情けないものも描いたりもできるからさ。

投稿: kenzee | 2016年2月15日 (月) 22時12分

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