« 10代の恋愛絡み事件で自分の10代に起こったことを考えるPart.1(日記ブログです) | トップページ | 2016年、素人ダンスがエロイと発見!(最近のAVの話) »

10代の恋愛絡み事件で自分の10代で起こったことを考えるPart.2

kenzee「さて、前回の続きで「バス停の別れの場面」について考えてみる。「別れを切りだす」のは切りだす方も気が重いはずで、マジメなモー子らしく、そのシチュエーションには細心の注意を払っていたのだと今となってはわかる。たとえばネットには「恋愛指南サイト」とでもいうべき西野カナ的な若年女性向けの恋愛の疑問に答えるインターネットサイトが溢れている。今回、当時の現場を検証するにあたって「恋愛 別れ 場所」「恋愛 別れかた 安全」「恋愛 上手に別れる」などの検索ワードでどのような指南がなされているのか調べてみた。すると不思議なことに「告白の仕方」とか「上手なデート」などの項目だとライターの主観でわりと好き勝手なこと書かれているのだが、「別れ方」だけはほとんど言うことが似ているのである。つまり、一歩間違うと重大な結果を招きかねない行為だけに先人の知恵と経験が蓄積されているのだろう。あらゆる恋愛サイトで注意が促されているのは次のような点だ。

(1)別れ話は人目のある場所で・・・(当然、逆上した者が暴力行為に及ぶのを防ぐためである)

(2)できれば夜より午前中・・・(比較的、午前中のほうが精神が落ち着いているため。)

(3)二人の行動範囲(家の近く、学校ということになる)を避ける

(4)必ず顔をあわせて別れよう(LINE、メールでの別れなどナンセンス)←これは当時なら電話で、ということになる。

(5)誕生日やクリスマスなどのイベント時を避けてなんでもない時に・・・(なにか準備していた場合、それがさらにショックを増幅してしまう)

(6)言うべき必要事項をまとめ、余計なことを言わない・・・(キライになったわけじゃないの、など抽象的なフレーズを挟んでしまうと余計に相手を混乱させることになる。法律の条文の如き、なるべく誤読しにくい表現を心がけるべきである)

また、別れを決心するうえで、頭のなかだけで考えず、紙に理由を書き出してみる、ということを勧める者もいた。そして当然、クルマのような密室は避けろ、という箴言は多くのサイトでみられた。(どうなるかは想像に難くない)

このような知識、というか情報は1992年当時なら女性向けの雑誌のコラムページなどが担っていたのだろう。モー子も何らかの手段で情報を手にいれ、実践したと思われる。まとめてみて、感心するのは恋愛ドラマや少女マンガでは決して見かけることのなさそうな具体的、実践的な指南であるということだ。それまでの告白だのなんだのだと月9ドラマのごとき抽象的恋愛フレーズの飛び交うこの手のサイトの中で、この別れ方の項目のみ、「救命胴衣の使い方」のようなマジ文体となる。それほど、恋愛においてこの場面だけはヒドイ事件を引き起こす事例が多いためだろう。そして、改めてモー子のスゴイところはこれらの6項目すべてを踏まえて場面に臨んだということだ。この先人の知恵の結集のような6項目を遵守することによって、ボクはとんでもない事件を起こさずに済んだし、モー子も事件に巻き込まれずに済んだということになる。前回の記事でボクは「人目があって、恥ずかしいので逃げ帰った」と言ったが、もし、人目のない場所だったら「逃げる」という発想にでなかったはずなのだ。たとえばいつもの夜の公園などだったら大変危険だったとわかる。夜、という気が昂ぶりやすい時間帯と人目のないシチュエーションで、逃亡という発想がでてこなかったら・・・・・・結構、カジュアルにボクはモー子を殺害していたのではないかと思うのだ」

司会者「ソンナー、極端ナー、ナハハ(鼻毛を抜きながら)」

kenzee「昨今、この手の事件は刺殺事件が多い。今回の福岡の事件だとナイフ2本に斧が使用されたようだ。三鷹のチャールズトーマスの事件だと凶器はペティナイフ(刃渡り13センチ)ということだ。無論、ボクは当時も今も、ナイフや刃物を普段から持ち歩くということはない。ボクがこの場面で逆上していたら、絞殺という方法をとったに違いない。力の弱い10代の女性の首を絞めて失神させるのは意外なほど容易だ。事件モノのドラマ等でよく犯人が両手で相手のクビを包み込むように絞め殺すシーンがあるが、あのやり方では気管を圧迫しているだけで苦しいばかりで思うようにはいかないだろう。クビを締めるというのは要するに頚動脈を締め、頚動脈反射を起こす→気絶する、ということだ。柔道における締め技のことである。ボクは柔道をやっていたので締め技を使うことはあったし、実際に落とされたこともある。つまり、気絶したわけだが、痛さや苦しさというものはほとんど感じない。十数秒でスーッと意識を失うのである。無論、そのまま放置すれば死に至る。また、演劇やSMプレイなどで首を吊るパフォーマンスがあるが、あれは頚動脈を避けることで成立しているのである。昔、バンドの黒夢の清春はインディーズ時代、首吊りパフォーマンスをよくやっていたようだが、(ロキノンジャパン2万字インタビューで首吊りについて語っている)彼はそのあたりを熟知していたのである。格闘技の経験のないモー子を締め落とし、殺害するのは当時のボクなら容易だったはずだ。福岡や三鷹の事件だと刺殺時に悲鳴を聞いたという近所の人の証言が繰り返し報道されていたが、この方法ならそれすら起こらなかっただろう。思えば柔道というスポーツは危険だ。情緒不安定な10代の子供に簡単に素手で人を殺せる方法を実践的に教育するである。モー子は最悪の事態を想定して難を逃れた。ボクも、ハタから見れば、「彼女にフラれてションボリしている根暗な受験生」ぐらいの感じで収まったのである。一歩間違えれば大事件だったのが、若いモンがひっついて別れた、ぐらいのことで済んだのである。寺山修司は言う。「起こらなかったこともまた、歴史なのだ」と。無論、寺山らしい嘯いたポーズなのだが、このモー子との一件だけは自分に「起こらなかったもう一つの人生」を想起させるのだ」

司会者「話がエライ飛んでしまったけれども、そこでなんで逆上して殺そうと思った(はず)なの? 急に猛烈にハラが立ったの? 一瞬にして憎くなるということ? 世間が理解できないのは、そういうことだったらまず口ゲンカになるだろうし、せいぜい殴るとか蹴るといった暴力になりそうな気がするんだけど」

kenzee「世間がこの手の事件でもっとも理解できない部分がこの「殺害」の部分である。これは世間の「殺害」の認識が「相手が憎い」か「自己防衛」ぐらいしか動機がないと考えているからだ。ホントのところ、他の事件の容疑者の心理のことはボクにはわからない。なのでボクに限ったひとつの症例ぐらいにとらえてほしいのだが、今も昔もモー子が憎いと思ったことはないのだ。ではナゼ、「起こらなかった歴史」においてボクはモー子を絞殺しているのか。別れを告げられたボクの心理をもう少し覗いてみよう。よく、人は死ぬ瞬間、走馬灯のように人生を振り返る、という。事故に遭った人が数秒の間に数十年の人生を思い出す、と。これと同じようなことがフラれた10代男子の心理に現れる。フラれた→もうダメ→もう会ってくれない→やがてボクの知らないどこの馬の骨かわからない男と出会う→同じようにチューしたりする→セックスとかするかもしれない、いや、する→確実にそのような未来が訪れる→想像しただけで頭がおかしくなりそう→ボクにはその未来を阻止する力がない→なんと無力なのだろうか、あんなに幸せだったのに→いや、その未来を阻止する方法がある。今、ここで終わりになればいいのだ→一緒に死ねばいいのだ→待てよ、あのレンタルビデオ、まだ返却してなかったな」

司会者「そんな小ボケいいよ」

kenzee「このような心理である。つまり、憎悪とか痛めつけてやりたい、とかいう動機とはもっとも遠いものなのだ。なので、暴力で済まないのである。むしろ「痛めつけてやりたい」とはまったく思っていないのだ。とにかく全部「終わり」になることが最善の策なのだ、という結論に至る。逆上、という心理からは実際には遠いプロセスを経ている。無論、起こったファクトだけを追っていけば「逆上し、殺した」と看做されることになる」

古市憲寿さんのような若者「そんな、この先彼女が見知らぬ男とイチャイチャするのが耐えられないのなら、自分が別の女の子とイチャイチャすれば払拭できる問題なんじゃないですカー」

司会者「ホントだ、じゃあ他の子でも当たるカーって思わないの? それが世間では健全な発想とされているわけだが」

kenzee「ここがこの年代の子の難しいところで、本気で「この子しかいない」と思っているのだ。往年のアイドルの親衛隊と同じ病だ。ここからが自分でも不思議なのだが、モー子以降にも別れというものを何度か経験することになるのだが、いたってカジュアルに別れることができるようになっていた、ということだ。なんというか、もうエンターキー押すのと同等ぐらいに」

司会者「カジュアル過ぎだよ!」

kenzee「もっと不思議なのは、20歳あたりでモー子と出会っていたら、確実にボクはモー子に気付いていない、ということなんだ。たとえば高校の同級生とかじゃなくて、20歳ぐらいで合コンみたいなことでモー子とであっていたら・・・たぶん、記憶にすら残っていないと思う。そもそもモー子は「学校でも有名な美少女」とかそういうタイプではないのだ。地味な人で、そういう場では不利なタイプだ。「アー、キミは教職とかとってるんだダー。ヘー(この子は違うナー)」ぐらいで消去していたはずである。あの年齢でそういう環境で出会ったから、こういうことになった。あるいは職場で出会っても同様だっただろう。「ああいう、マジメで細かいタイプ、ダメなんだよネーボク」とか言って気にも留めなかった可能性が高い。しかし、別の歴史では殺していたかもしれない相手なのだ」

司会者「なんか、ゼロ年代のSFみたいな話になってきたな」

kenzee「実際、「時をかける少女」とはこういうテーマだと思うのだが・・・・・・出会いってなんだろうね」

司会者「西野カナファンのブログです(それは事実)」

kenzee「これでモー子との恋物語はオシマイなのだが、イマドキの若い婦女子は上記の6項目を頭に叩き込んで、別れの場面がきても最悪の事態を招かないように注意を払っていただきたいのでR」

司会者「モー子がいなくなって心にポッカリ穴が開いたようになってしまったワケだけども、どうやって穴埋めしていったの? 新しい彼女でもできたの?」

kenzee「当時、心にポッカリ穴が開いて、どうしていいのかわからなくなった。誰に、どう相談していいのかもわからなかった。それに、できればこういう話は見ず知らずの人に聞いてほしいものなのだが当時はYahoo!知恵袋みたいなモンもない時代で、なにかを大人に聞こうと思ったら親か学校の先生ぐらいしかいない時代で、現在の感覚から見れば人間関係で生じる情報の偏差が異常だ。当時ネットがあったら間違いなくボクは自分のコミュニティを作って、慰めてもらったりしていただろう。こういうことは見ず知らずの人の言葉のほうがありがたいものなのだ。ならばネットのない時代に思春期を生きたボクは不幸だったのだろうか。ボクは相談相手も相談の仕方もわからなかったのだが、「アレ、もしかしてこういうことってアレじゃね? 恋愛とか人生の悩み系って文学とかいうヤツが教えてくれるんじゃなかった? なんか現代文の先生がチラっとそんなこと言ってた希ガス」と思った。これが私の物書き人生のスタートラインである。ここから乱読が始まるのでイチイチ書名とか挙げると大変なことになるので割愛する。ひとつ、当時の印象的なエピソードを記すと同じ1974年生まれの高知の高校生の中脇初枝さんが「魚のように」でデビューしたことがある。ここでボクははじめて表現力とはなにか、ということを考えたのだ。「魚のように」はこの年齢の子が書く小説にしては抽象的な内容だ。主人公は男子高校生なのだが、ある日忽然と姿を消した姉と、その親友の女子生徒との濃密な人間関係を、あとを追うように家出した主人公が四万十川をエンエンと上りながらグルグル考え続けるという神経症みたいな話である。この中に「姉が失踪して、学校から姿を消しても、最初は学校中が騒ぎになったがやがてみんな飽きてしまった。まるでワイドショーネタのように消費されてしまった」というようなことをボヤくシーンがある。当時、ボクも「kenzeeとモー子別れたんだって。エ~、と噂が拡がったが、自分にとっての重大さとはウラハラに一瞬で噂は消費されてしまった」ということに苛立ちを覚えていたものだ。つまり、このとき脳内に浮かんだイマジネーション自体はボクと中脇さんでそれほど大差はなかったといえる。ただしそのイメージをアウトプットする時の表現力の底力がケタ違いだったのだ。ボヤきシーンを「魚のように」から抜粋してみる。

 けれど僕は納得できなかった。こんな思いは、この学校という狂熱的な世界においてのみ存在しうるものなのだとわかってはいても、それでは気は休まらなかった。理詰めに納得したって、そんなものはちっとも慰めにはならない。
 根がいなくなってから、落ちつかない自分の感情をもてあますようになった。そうして、情緒不安定な自分の精神が、かつての姉に似ていることに気付いた。
 僕はとうとうわかってしまった。
 僕は結局最後まで姉に愛されなかったのだ。(中略)僕たちの関係は終わってしまった。姉が自分に気付き、僕が姉を知ってしまえば鏡は砕けるしかない。終わりの前兆を僕は知らない。当然父も母も君子さんも知らなかった。知っていたのは姉ばかりだ。姉は一人で秒読みしていたのだ。けれどもし、一連の出来事を全てを前兆としてみるのなら、僕はこの終末を予感していたように思う。そしてこの終焉を急がせたのもきっと僕なのだろう。(中略)僕はぼんやりともう一つの可能性について考えていた。それは希望に近かった。姉は、一蓮托生に僕を破滅させようとしたのではなく、ただ僕に逃げ込む場所を求めていたかもしれないのだと。(「魚のように」新潮社)

とにかくイメージを具体的な文章にして出力する際のボキャブラリーの違いに圧倒された。なにしろ同い年なのだ。ボクは将来、どうしようという職業的なヴィジョンはまったくなかったが、「中脇さんみたいな文章が書きたい」とは思ったのだ。「中脇さんみたい」とはどう捉えていたかというと「複雑な心情をまるで複雑ではないようにシレーっという」みたいな感じだ。エモいこと言ってるはずなのに文章自体はエモくない、みたいな」

司会者「それがなんでこんなチンコの作家になっちゃったの? 夢、大失敗ジャンwww」

kenzee「ナゼ、自分がこんなチンコになったのかわからない。中脇さんは「ボッキンボッキンにボッキ」とかいわないからな。のちに「中脇さんのような文章」というものは一朝一夕にマネできるようなものではないとわかる。数年後、、まったく音沙汰のなかった中脇さんが珍しくメディアに登場した。SPA!の「ニュースな女たち」という巻頭グラビアページである。6年ぶりの新刊、「稲荷の家」(現在は「こんこんさま」と改題。河出文庫)のプロモーションだったのだが、その篠山紀信の手による和風なグラビアに付されたプロフィールに驚く。(おそらく同企画のコラムを担当した中森明夫の手によるもの)

 幼い頃から文学に親しみ、愛書家の父に買ってもらった世界文学全集を中学時代に読破する。夏目漱石と柳田國男が愛読書だった高校3年の1991年、「魚のように」で第2回坊ちゃん文学賞を受賞。(SPA!1997年12月24日 ニュースな女たち372)

司会者「アハハハ、世界文学全集読破とか、そんなヤツ、いまどきプロの文芸評論家でもあんまりいないヨ!」

kenzee「しかも、デビュー作の雰囲気だけ味わえば、どこか天然の人柄が感じられるが実際には確信犯の文学少女だったのだ。未だ高校在学中の1992年、サンデー毎日のインタビューでこう答えている」

サンデー「好きな作家は?」

中脇さん「はっきりいって乱読です。冒険のように、いろんな作家の作品を読むんですが、結局、柳田國男や夏目漱石、あとは古典なんかに戻ってきます」

サ「最近の若い作家の作品はどうですか」

中脇さん「ウーン・・・。表現とか、すごくあからさまで、私には生々しすぎる。別に今の出版界を憂いたり、批判するつもりはないんやけど、同世代の女の子たちは、みんな同じような本読んでて、その本の質が悪かったりするのをみとると、かわいそうになる。(中略)みんな「これいいよね」とか言っとるけど、本当にわかっとるっていうよりベストセラーっていう言葉に振り回されとるみたい」

サ「今年、女流作家としての活躍が期待されていますが」

中脇さん「そういわれると困るんです。私、まだ作家になるかどうかもわからんし。文学賞とか雑誌とかなんも知らないし。小説なんて何書いていいかわからんのです。自分に才能とかも感じんし。だって、作家とかって書きながら血吐くイメージとかあるでしょ。私、全然そんなんやないもん。ハハッ。やけん、そんなこといわれるとすごくはずかしい」(サンデー毎日 1992年 1月26日「今週の顔 「質の悪い本を読んでる友達はかわいそう」坊ちゃん文学大賞受賞中脇初枝さん(18)」)

司会者「アハハハ、「きみはいい子」でもはやモノホンのベストセラー作家になった今、「イマドキの本ってくだらないワ~」とか改めて言ってほしいもんですナ!」

kenzee「厚みが全然違かったのだ、とのちに気付く。とにかくボクはたくさん本を読むようになったのだ。しかも効率よく読むきっかけとなったのは三田誠広「書く前に読もう超明解文学史」で、タイトルは「どうなの?」という感じだが、これは三田先生の早稲田大学での講義をそのまま文字起こししたものだ。これとシリーズの「天気の好い日は小説を書こう」と「深くておいしい小説の書き方」を読めば、体系的な文学史の流れとポイントがつかめる。たとえば「構造」を解説するのに、レヴィ・ストロースの「婚姻規制」の話から始めるなどマジメで「これをわかってないとポスト構造主義もわからない」というところは丁寧な解説なのだが、「新人賞のとり方」のようなウサン臭い話も満載で、「南米文学って要するにどういうことか」みたいな話もでてくる。ここから大江健三郎や中上健次へ踏み出せたボクは幸せ者に違いない。「文芸誌をナナメに読むブログ」はこの時代の乱読がベースになっている。このように三田誠広さんの本には結構お世話になっているのだが、三田先生が連合赤軍事件を取り上げた「漂流記1972」はビックリするぐらい面白くなかったりした。とにかく本を読んだり音楽を聴いたりするのに忙しくなったのでモー子のことなどスッカリ忘れてしまって四半世紀たっていたというワケだ。しかもその間にボクもまさかの単著をだしていたりする。ホント、人生ってわからないネ。それもこれもあの時、モー子が大事に至らないようにちゃんと段取りして別れてくれたからなのではないかと、例の事件以降考えたのだ。中脇さんは長年、寡作の時代が続いた。ウィキペディアすら編集されない無名時代が続いたが、2012年にポプラ社からでた「きみはいい子」で大ブレイクを果たし、以降、精力的に新刊を発表しているは周知の通りだ。なんとデビューから20年経ってからだ。ボクも本をだした。40になったら急に人生が面白くなってきたのだ」

司会者「あの頃、ネットがあったら、こうはならなかったかもね」

kenzee「なので、今、彼女を殺そうと思って、アマゾンでサバイバルナイフなど購入してる若者よ、その金で風俗にでも行ったほうがいいヨ。
で、SNS的なものにはなるべく近づかないで本を読んだらいいと思うんダ」

司会者「ヒドイ終わり方」

kenzee「とにかくモー子でよかったよ。ほかの雑な女だったら殺してたかも知れないもんな。モー子。どうもありがとう」

|
|

« 10代の恋愛絡み事件で自分の10代に起こったことを考えるPart.1(日記ブログです) | トップページ | 2016年、素人ダンスがエロイと発見!(最近のAVの話) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/185233/64540395

この記事へのトラックバック一覧です: 10代の恋愛絡み事件で自分の10代で起こったことを考えるPart.2:

« 10代の恋愛絡み事件で自分の10代に起こったことを考えるPart.1(日記ブログです) | トップページ | 2016年、素人ダンスがエロイと発見!(最近のAVの話) »