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「恋とマシンガン」を英訳してみた。そしたら・・・・・・(小沢健二の歌詞その2)

kenzee「前回の続き。小沢健二さんの歌詞とはなんだったのかのその2。前回、村上春樹のデビュー時における日本語小説へのアプローチと実験の話で終わった。村上はデビュー作をまず、タイプライターで英語で書いた。それを原稿用紙と万年筆で自分で日本語訳していった。結果、今でも議論の分かれる「乾いた文体」が生まれたのである。まず、すでにアルフレッド・バーンバウムによって英訳されたデビュー作「Here The Wind Sing」から有名なチャプター11のシーンを読んでみよう。N・B・EポップステレフォンリクエストのDJのオープニングトークだ」

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DJらしいカッコいい響きの英語であることがおわかりいただけるだろう。英語の優れた点は「Greatest Hits Request Show,~NEB Radio」のようにルーズな発音だとあまり意識しなくても簡単に韻が踏めるところだ。この英語の小説の作者は「カッコいい英語を操るカッコいい発音のラジオDJ」を描きたかったのだな、とわかる。つまり他意が見当たらないのである。次が広く知られている日本語の「風の歌を聴け」の同シーンである。

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なにか微妙な感じがしないだろうか。はっきり言うと「地方のローカルFM局にいがちなちょっとイタイバイリンガルDJ」という感じがする。また、英語のほうはDJの喋り方の抑揚まで伝わってくるようだ。最後の「This one you can just sit back and enjoy.A Great little number,and the best way to best the heat.」のクダリもこの英語だと畳みかけるような語勢の迫力を感じ取れる。いかにもスゴイ曲がかかるんだよ、という感じだ。同じ文でも日本語のほうはこんな感じ。


これをただ黙って聴いてくれ。本当に良い曲だ。暑さなんてわすれちまう。」


これだとDJがどんなトーンで、勢いで喋っているのか見当がつかない。back and enjoyやbest way to best the heatの響きのカッコよさも失われてしまう。それとは別に「作者がこの登場人物に対してどう考えているのかがわからない」という奇妙な効果も醸成している。英語のほうはいわゆるプロのDJだ、というつもりで描いているのがわかる。しかし日本語のほうではカッコいい人物にしたいのかイタイ人物にしたいのかが判然としない。現代の目線から見るとすでにFMのDJといえば関西弁や方言で話すことは珍しいことではなくなっている。今、このような喋りのDJがいたら「アメリカングラフィティの世界に憧れた、イタイバイリンガル系DJ」と見られるだろう。で、作者はこの人物をそう描こうとしていたのかな、と読めなくもない。前回紹介した村上のエッセイ「職業としての小説家」に「外国語で書く効果の面白さ」という記述があったが、この効果の中に「日本語で直接書くよりも人物と作者の距離が離れる、限りなく傍観者的な立場に近づく」というのがあったのではないか。結果、この人物ひとつとっても時代や読者の立場によって見え方の変わる多面的な存在となる。少なくとも「日本人が原稿用紙に向かって万年筆で書く」という姿勢からは逆立ちしても出てこないタイプの文体となる。つまり村上初期作品とは「何を書くか」より「どう(作業工程含め)書くか」が問われるタイプの作品で「原稿用紙と万年筆」の当時の作家や批評家とはそもそも評価する価値観を共有していない作品であったと言える。結果、前回紹介したような「ハイカラぶった青年がいい気になって翻訳調の外国みたいな~」といった批判に繋がるのである。作者、村上はこの作業工程を発見することで「新しい文体を獲得する」「これまでの日本語の小説の文章(すでに耐用年数の切れかけた)をリセットし、再起動させる」という目的をおおむね果たせたと言える。また、この「日本語の小説の文章リセット運動」を経なければあの直球の恋愛小説「ノルウェイの森」を完成させることも難しかったであろう。ただ、このリセット運動の中でひとつ、村上が泣く泣く捨て去ったものもある。ライミングに代表される「英語の響き」の輸入である。上記のDJも長いトークのわりに大したことは言っていない。「今日は暑い日でした。こんな日はゴキゲンな音楽で暑さを吹き飛ばそう」「どんどん電話でリクエストしてね」これぐらいのことしか言っていないのである。ではあの長い英語のトークでは何を表現しているのか? ライムの効いた口調や「象の足ぐらいの太さのケーブル」といった話の要点とは関係のない軽口である。この、英語のコミュニケーションでないとニュアンスの伝わりにくい要素を泣きながらバッサリ捨て去った、つまり決して安くない資産をドブに捨てることで手に入れた「独自の春樹文体」だったのである。上の世代の日本語小説と自身を切り離すためにはこのぐらいの大手術が必要だったわけである。そこで小沢健二さんの日本語歌詞の創作の格闘についてである。


小沢健二の日本語歌詞の作業工程についての仮説


kenzee「その前に英語詞をおさらいしよう。小沢氏が英語(プラス対訳)の歌詞を商業音楽の世界で発表したのはフリッパーズファーストの全12曲と二人組になってからの最初のシングル「フレンズ・アゲイン」の13曲である。これ以降、小沢さんは英語詞を発表していない。対訳だけ読むとどれも「ちょっと切ない外国が舞台の青春小説」のよう。「サリンジャーのような」などと安易に評されることも多い。実際にはどれも大したことは語られていない。「コーヒー牛乳が好き」とか「大好きないとこがくるのでチャリで迎えに行く」といったほとんど内容の無いものである。無論、内容が希薄であることはポップミュージックにとって落ち度ではない。だがすでにこの89年の日本の音楽の世界ではユーミン、松本隆などの日本語を洋楽風のサウンドに載せる実験の過渡期であり恋愛観、人生観をかなり深いレベルで語れるところまで押上げていたのである。また、ブルーハーツや奥田民生のような日本語詞の天才もバンド界隈から登場しはじめていた。すでに日本語のロック、ポップスは成熟期を迎えていたのである。これは逆に言うと誰が書いても何かにに似てしまう、という状況であったと言える。OLさんが恋愛の歌詞を書けばユーミン風になってしまうし平易な語彙で素朴なことを歌ったなら甲本ヒロトのパクリと言われてしまう。賢そうな女子高生が意識高いことを歌おうとすればただちに渡辺美里風になってしまう。そのぐらいには成熟していた時期である。数少ない例外として同じような危機意識を共有していたと思われる電気グルーヴは「ナンセンス」を歌うことでこの引力圏から逃亡を図った。同年にデビューしたスチャダラパーは日本語ラップという未だ実験段階にある表現に取り組むことでこの引力圏から逃れた。小沢さんが歌詞を書こうと思った時点でこれだけの状況が揃っていたのである。」


意味なんてもうなにもない(この時点では飛ばしすぎたジョークではない)


小沢さんはこう考えたのではないだろうか。「日本語の文の意味に拘泥してもしょうがない。別の価値を引っ張りだすしかない。(そこはさすが少年時代より英米文学に精通した人らしく)英語のライミングで突破するしかない」と。意味などどうでも良い、響きやリズムが大事なのだ、と。この視点から小沢英語詞を今一度、音読してみよう。

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英語の韻に意識的だということがおわかりいただけるだろう。無論、英語圏では歌とはもともと韻を踏むのがマナーであり、洋楽育ちの小沢氏がこのような歌詞を書くのは自然だ、という意見もあろう。ただ、「フレンズ・アゲイン」の歌詞は挑戦的(ネイティブでもここまで徹底的に韻ふまないだろう、ドヤ!)と言っても過言ではないほど同じ韻が続く。

https://youtu.be/xloIquo2H3A

小沢英語詞の特徴は「外国の青春ドラマみたい」といった内容面ではなく、ネイティブと張り合うほど徹底したライミングにある。ボクが一番好きなのはやっぱり「The Chime will Ring」だが到達点と言えるのは「フレンズ・アゲイン」である。この曲でで小沢氏としても英語をやりきったという感触があったのではないだろうか。この次のシングル「恋とマシンガン」以降、現在に至るまで小沢氏は日本語詞を書き続けている。この時、日本語詞に移っていった理由として小沢さんは1994年4月号のロッキング・オンジャパン2万字インタビューで「なんで英語なんですかって言われるんで、日本語でもできますよって」と、アッサリした言い方で片付けている。が、すでにサウンド、メロディーについては業界内でも高評価を得ていたわけで周りとしてはすぐにでもタイアップを取りに行きたかったはずである。広告が絡む以上日本語詞は必須である。小沢氏もそう焚きつけられると「できるワイ!」とすぐ啖呵をきる性格なので「日本語のポップス」と向き合わなくてはならなくなった。ただし上記のような状況である。普通に恋愛っぽい歌詞書いても松本風になってしまっては意味がない。そこで小沢氏も悩んだはずである。「自分の文体、言葉を手に入れるには?」

普通の作詞家と違う作業工程を経る。


kenzee「ボクがはじめて「恋とマシンガン」を聴いたのは1990年4月である。TBS系ドラマ「予備校ブギ」の主題歌として15歳の耳に飛び込んできたのだ。この年齢の子どもは歌といえばまず、歌詞に注意が行くのである。「結局、なんの話なのかわからない」というのが当時のわたしの率直な感想であった。「恋とかキスシーンとか言ってるのでたぶん恋愛っぽいことなんだろうけど、よくわかんない」というもの。ところで恋とマシンガンの歌詞とはこんなんである。皆さん、改めてなんの歌なのか考えてみよう。

https://youtu.be/bJxajh5XOgE


ドアの向こう気づかないで
恋をしてた 夢ばかり見てた そして僕は喋りすぎた
ホテルの屋根滑り降りて 
昼過ぎには寝不足の僕にテイクワンの声がする
真夜中のマシンガンで君のハートも撃ち抜けるさ
走る僕ら回るカメラもっと素直に僕が喋れるなら
本当のこと隠したく
嘘をついたでまかせ並べた やけくその引用句なんて
いつものこと気にしないで
1000回目のキスシーン済んで口の中もカラカラさ(恋とマシンガン)


やっぱりなんの話なのかよくわからない。なんとなくイメージとしては古いトーキーみたいな白黒映画で主人公の男がチャカチャカ走り回っているような、ぐらいのボンヤリしたイメージしかない。あまり日本のポップスでは見かけないような雰囲気である。ちなみにこの年のオリコン上位は1位、「おどるポンポコリン」2位米米クラブ「浪漫飛行」3位リンドバーグ「今すぐKiss Me」というもので時代性がわかる。こちらとしてはフリッパーズの代表曲であり(今回の件のニュースでもイチイチこれが流れるのにも辟易する)オリコン10位ぐらいには入っていたかな?ぐらいに思っていたのだがウィキペディアの1990年年間シングルチャートによればトップ50にも入っていない。たまやジッタリンジンにボロ負けの二人である。で、この歌詞、紙とペンではじめから順番に書いて、こんなものが出来上がるだろうか。絶対ムリだと思います。これは普通とは違う作業工程がないとこうはならない。で、やっとオイラの仮説である。
「小沢日本語詞の多くはまず、英語詞を書いて、対訳をして、それから訳の日本語の詞をまた編集して仕上げる」
という工程を経ているのでは。無論、小沢英語詞なので韻バリバリの詞である。そこから→対訳→歌に合うよう編集、切り貼りといった作業。こうすれば納得いく自分の表現になるかはともかく、現行の日本語ポップスの言葉の引力圏から逃亡はできる。つまり誰にも似ていない日本語となる。ここでわたしはこの仮説を検証してみたいのだ。


「恋とマシンガン」を英訳してみる


わたしの仮説が正しければ韻バリバリのいわゆる小沢英語が現出するはずなのである。そしてその最初に書かれた英語詞のタイトルこそが「Young,Alive in Love」ということだったのではないか(たった4語でも韻踏むこと忘れない。小沢英語)
やってみた。


I did'nt notice that you are in the other side of the door,
and I was loving you,I wasdreaming only,and I was too talking it.
I slid down rhe hotel's roof.I was called out from the voice"Take One"
in the Afternoon.
I can shoot through your heart at midnight by the machine gun.
We are runnin',the camera is tunin'
If I can talk to you more obediently
I lied because I wanted to hide the truth.and I said a tall tale.
I cited in desperate. as usual thing.you may not hane to worry about it.
My mouth is drying.reason by my shooting of the thousandth time kissing scene is finished.
I found a room number from the character of the cap.
We laughin'.we are saying the pompous words.if I can talk to you more obediently.
(英訳kenzee)

たぶん間違いありマス。英語得意な方、指摘してください。


司会者「全然、韻なんか踏んでねえじゃねーかバカ!」
kenzee「おかしいな、この仮説からいったら「Young Alive in Love」はもうNasかラキムぐらいのライムの連続のはずなのだが。この歌詞、~ingが結構多いじゃないですかあ。なので書いてから編集をいっぱいしてると思うんでえ。韻バリバリにはならないんですネー。ただし、1コ注目すべき箇所がある。「1000回目のキスシーン済んで口の中もカラカラさ」のところの英訳の
My mouth is drying.reason by my shooting of the thousandth time kissing scene is finished.
で、shooting of the thousands time kissing scene is finishedというラインに注目だ。このス、ス、ス、ス、と「th」(だっけ?)のハイハットみたいなサ行でライムするとこあるじゃないですか! コレもともとの英語詞の名残だと思うんですよね。だいたいね、「1000回目のキスシーン」なんてこの世にないじゃないですか。コレ、日本語で書いてたらこんなフレーズでてきませんて! 最初に上記のライミング英語があったからとしか考えられない。だって
shooting of the hundreds time kissing scene is finished(100回目のキスシーン)だったらなんの韻も踏まないことになる。ここは絶対1000回目じゃないとダメなのです!」
司会者「なんか騙されてるような気がするなあ」
kenzee「イヤほかにもこういう手がかりのあるフリッパーズ詞あるような気がするのよね。オイラ「カメラ、カメラ、カメラ」は怪しいと思ってるのだが。あと渡辺満里奈「大好きなシャツ(1990旅行作戦)」もタイヤキ工法の疑いがある。あと小沢ソロデビューの「天気読み」もあの曲だけ妙に難解だ。怪しい。よって次回は他曲の「タイヤキ工法」疑いを検証してみる。
司会者「いつになったら「Mellow Waves」にたどりつくの~」

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