歌詞って大事だったんだね。今頃気づいたヨ。(コーネリアスマラソンその7)
今回で使用した資料。
kenzee「コーネリアスマラソン、アルバム10曲目「The Love Parade」後半です。この曲はコーネリアス史上、もっとも「ソフトロック寄り」な曲でコレ以降、自身の曲ではソフトな曲をやらなくなります。カヒミカリイ提供曲などを除いて自分名義の作品ではディストーションギターとかゴチャゴチャしたサンプリングとかノイジー方向に行くことになる。小山田さんのソフトロック傾向はすでにフリッパーズ出世作「カメラ・トーク」の「1990サマービューティー計画」でクロディーヌ・ロンジェ「Who Needs You('68)」で顔を覗かせていたのだが、「Love Parade」までに全面的に60年代ポップスに取り組む機会があった。プロデュースを担当したピチカートファイヴのアルバム「Bossa Nova2001('93)」である。このバンドのリーダー小西康陽と話し合ったのは「68年前後のA&Mやバーパンクサウンドをはじめとするソフトサウンディングポップで行こう」ということである。確かにアルバム全体にバカラック、セルジオメンデスやハーパース・ビザールのような職人的なこの時代の中流階級のアメリカ人に向けたようなサウンドである。エラいもんでこのアルバムの記事は日本のウィキペディアには存在しないが、英語版には詳細な記事がある。ちなみにジャンルは「Shibuya-Kei」だそうである。ほとんどの楽曲の作曲者はメンバーの小西氏と高浪敬太郎氏であるが最後を飾るのが小山田氏の作曲編曲による「クレオパトラ2001」である。
https://youtu.be/AM299s4a4Vw
小西曲で代表曲の「Sweet Soul Revue」や高浪曲「愛の神話」など錚々たる楽曲がひしめく中、小山田曲は先輩方の曲に引けを取らない名曲をものしたことがおわかりいただけるだろう。このアルバムは1993年6月1日発売で、このタイミングとはフリッパーズ解散後、未だ小沢ソロもコーネリアスもデビューしておらず、ファンは小沢プロデュースの渡辺満里奈「バースデイ・ボーイ('92)」と「Jazz Jersey('92)」収録の小山田曲「Into Somethin'」で飢えを凌ぐしかなかった状況であった。なのでてっきり今後、小山田さんはクレオパトラのソフトなメロディーものの路線を行くのかなと思っていたら数年後「69/96」~「ファンタズマ」へ向かっていくことになる。おそらく「The Love Parade」の企画プロセスとはこういうことである。
ピチカート仕事の時にサンザン68年頃のポップス聴いたワ。元々こういうアメリカの小金持ち向けのソフトサウンドは好きなのだ。(ていうかお父さんがそもそも日本のソフトサウンディング音楽のバンドやないか!とはいえ小山田さんの場合、エルとかペイルファウンテンズ経由でたどり着いたと思われるけどね)フリッパズ1stではハーパースビザールっぽい味つけの「Goodbye,Our Pastels Badge」やったし2ndではサマービューティーやったしピチカートではニック・デカロがアレンジしたみたいな「クレオパトラ」やったし。ああいうのの総括みたいな曲も1曲いれておきたいな。となるとロジャーニコルズか。じゃあ「Don't Take Your Time」か。
というような連想ゲームがあったであろう」
司会者「で、改めて「Don't Take Your Time」およびロジャーニコルズ&ザ・スモ-ルサークルオブフレンズについて考えてみたのです」
https://youtu.be/shSp1DiFI_U
kenze「超有名なロジャニコアルバムがアメリカA&Mから発表されたのは1967年のことである。ただし当時は本国でも鳴かず飛ばずであった。よって日本では当時A&Mの権利はキングレコードが持っていたが日本盤は発売されず。バカラックとかセルメンをバンバン押していた。ロジャーニコルズの名前が世界的に有名になるのはカーペンターズ「We've Only Just Begun('70)」のヒットによってである。クロッカーナショナル銀行のCMソングで一気にメジャー作曲家となる。ところで日本でロジャーニコルズの名前を意識されるようになったのはいつ頃か? 1973年にはすでに森山良子の海外録音アルバム「イン・ロンドン('73)」で「Something Never Change(変わらぬ心)」を提供している。これを企画したプロデューサーは「カーペンターズの作家」として依頼したのであろう、「We've Only~」タイプのバラードである。1980年の竹内まりやアルバム「ミスM('80)」にも「Heart to Heart」を提供している。やっぱりカーペンターズタイプ曲である。では日本では例のロジャニコアルバムは聴かれていなかったのか?例のアルバムの日本の受容について興味深い証言がある。山下達郎さんのラジオ「サンデーソングブック」において2007年4月22日から3週にわたってロジャーニコルズが特集された。この1回目の22日の放送で「Don't Take Your Time」はオンエアされた。この時に山下氏自身がどのようにこのアルバムと出会ったかを話している」
わたくし自身がこのアルバムを一番はじめに聴かせてもらったのは大瀧詠一さんにでありまして、大瀧さんのまえには細野晴臣さんがコレを持ってたそうで結局こういうもののルーツってみんな同じなんですよね。わたくしは、ですから20歳の時に大瀧さんの家で聴かせてもらいまして。1973年ぐらいの話。この1曲目のこの曲が、マーほんとに。日本でこの曲キライな人はいないだろうという曲であります。(書き起こし終わり)
やはり作曲家オタクの人々は70年代初頭には外盤で手に入れていたのだ。たぶん「カーペンターズのこの曲の作家のソロはないんか?」という疑問からの探索であろう。例のアルバムが日本のラジオの電波にはじめて乗ったのは大瀧さんのラジオ「ゴーゴーナイアガラ」に違いない。いつオンエアされたか?文藝別冊「増補新版大滝詠一」のなかに「ラジオゴー!ゴー!ナイアガラ全放送曲リスト」という便利なものがある。1975年6月から1978年9月に終了するまでの全曲リストである。このなかの160回目「さわやかサウンド(1978年7月3日放送)特集」なるものがある。この番組の歴史でも最後のほうの回である。この時、いわゆるソフトロックの曲を10曲流しているが最後に例のアルバムから「I Can See Only You」をオンエアしている。たぶんこれが放送に乗った最初ではないか。不思議なことに「Don't Take Your Time」ではなくアルバム中、わりと地味な「I Can~」を流したのである。おそらくロジャニコ信者の小西さんがはじめて聴いたのもこのオンエア時である。小西著「これは恋ではない(幻冬舎)」収録の解説の中にも「この素晴らしい「グループをはじめてぼくの耳に届けてくださった大瀧詠一氏のように」との記述がある。だがこの時点の日本では「ロジャーニコルズは洗練されたバラードを書く作家」と認知されていたようだ。大滝さんですらもそう考えていたのではないか。では日本に「Don't Take Your Time歌謡」が登場したのはいつなのか。この曲ということになるエポ「Twinkle Christmas('86)」」
https://youtu.be/pVRazSRepNg
まあ、作・編曲小西さんなんですけどもね。このあとピチカートアルバム「カップルズ('87)」で「Love So Fine歌謡」の「そして今でも」を発表するが「Don't Take Your Time歌謡」は長らく控えていたようだ。ようやく渋谷系ブームも落ち着いた1997年に満を持して「Don't歌謡」の決定版「大都会交響楽」を発表する。
https://youtu.be/ewQ14eyFPto
以上が例のアルバムと「Don't Tske Your Time」の日本小史といったところか」
ーところで「Don't Take Your Time」とはどういう音楽なの?ー
kenzee「何回聴いてもAメロのコードが採れない曲。Bメロの「Now the night is right to~」からは単純なメジャーセブンスの2コードなのだけど肝心のAメロは未だによくわからない。もともとこの曲はデモテープでラフに録ったものをトニーアッシャーが絃足して本チャンにした、という逸話もある。このコード感の不思議さは編曲のボブ・トンプソンの手による部分もあるのか?なにしろロジャーニコルズ自身、「Don't~」タイプの曲をこのあと発表していない。ブレイク後は基本カーペンターズ曲のようなバラードタイプの曲がほとんどだ。なのでマネするにしてもベースの5度で「デードーデードー」と4部音符で進んでいく感じとストリングの雰囲気とあと女声を強調した複雑味のコーラス、という部分しか真似ようがない曲なのである。他の有名曲、「Drifter」や「Love So Fine」ならちょっとピアノが弾ける者なら簡単にコードがとれるであろう。「Don't~」だけが不可解なのである。またもともとデモだったというだけあって複雑な割に小編成の簡素なオケでもある。しかも2分足らずで終わってしまう。たぶん「編曲欲」を掻き立てる曲なのだ。結果、「Don't歌謡」は「Love Parade」も「大都会交響楽」にしてもファットな、過剰な、音多すぎじゃね、な音像に仕上がっている。「ついカヴァーが大げさになってしまう、結果いつまで経ってもオリジナルにかなわない曲」という存在で今日に至っている。その手の曲の代表でビートルズの「イエスタデイ」がある」
ー小山田さんの凄さについて。ー
kenzee「作曲・編曲家としての小山田さんのすごさというのはどんな職人芸的、難しそうな音楽でも単純化して自分のサイズに合うようにアレンジしてしまうところなんですよ。ふつう、パンク出身のギター小僧がロジャーニコルズとかバカラックとかニックデカロに手はださないんですよだって難しそうだから。ところが小山田さんはアシッドジャズでもなんでも自分サイズに圧縮して商品化してしまう。「Love Parade」も例の不思議コード進行の部分は普通の循環コードに解釈して結果オーライにしてしまう。で、この人の持っているサイズ感というのが当時の渋谷系の耳にちょうどいい感じのサイズだったのだと思う。これはバカにできない才能で、難しい哲学とか現代思想をチャート化して単純化してヤングに届けた浅田彰とかに近い仕事であったと言える。「本物を知りたかったらどうぞタワーやHMVに行ってバカラックの諸作やハーパースビザールを買いなさい」ということである。渋谷系の購買行動の本質はここにあった。だってね。昨日まで渡辺美里とかプリプリとか聴いてた田舎の子がいきなりTVパーソナリティーズ聴いても意味わかんないですから。でもあの人たちがいいって言ってるからという理由で必死になって聴く、という行為。現代におけるサブスク的音楽消費とは真逆ということがおわかりいただけるだろうか」
司会者「アルバムラスト。11曲目「Moonlight Story」」
https://youtu.be/5KN7yq4PUM8
kenzee「アルバム中、唯一バンドらしい曲。もしコーネリアスを学園祭でコピーするならこの曲だけであろう。元ネタはスタカン「A Solid Bond in Your Heart」である」
https://youtu.be/SIZxNy2i5EQ
kenzee「「デレレローン」と下降していくベースラインも同じ。一応コーネリアスがバンドっていうフレコミでデビューしているのでバンドっぽい曲もいるか、ライブもあるし。。といった理由か。バンドはバンドでもネオアコじゃなくソウル寄りのパンク、というところに「フリッパーズじゃないよ」という意思表示が窺える。ただポールウェラーよりコードチェンジの激しい歌謡曲寄り、というところに小山田曲らしさがある。ほかにあんまり言うことがない曲だな」
以上、First Question Awardは終了。
kenzee「20何年ぶりにちゃんと聴きかえした。やっぱり今聴くと古い音楽だとは思う。でも「カメラ・トーク」を聴いてもそんなに昔の音楽って感じはしないし、小沢さんの「LIFE」を今聴いても27年前の音楽という感じがしない。なぜなのだ。歌唱力という点ではどう考えても小山田さんのほうが勝っているのに。もしかして歌詞って大事なんじゃないだろうか。「歌詞って大事なの?」ってバカみたいな文面だが要因はこれしか考えられない。ふだん歌ものを聴く人の多くが歌詞など真剣に聴いていない、と思っているだろう。ボクもそう思っていた。だが歌詞が不格好だと全体が不自然に聴こえるのだ。聞き流していてもだ。確かにユーミンさんとかドリカムさんとか小沢健二さんの歌詞は自然と音楽的に聴こえる。よく練られた歌詞だからであろう。歌詞、大事だったんだね。日本語の歌詞だけは「最新のロンドンのトレンドを取り入れて~」とかそういうわけにいかないからね」
司会者「じゃあ次はセカンドアルバム「69/96」に突入か」
kenzee「今、歌詞のことを考えていて、ちょっと思いついたことがあるのだ。小沢さんの歌詞についてなんだけど。日本語の歌詞はサウンドみたいに輸入できないじゃない?ロディ・フレームの英詞を日本語に訳して歌っても違うし。それどころかビートルズの歌詞を訳して歌ってもおかしくなる。日本語詞だけは一から構築していかないといけないのだ。まあそれがはっぴいえんどだって言われたらそうなんだけど。じゃあ小沢さんの歌詞ってなんだったんだってことを考えた。フリッパーズの英語詞から。そしたらしゃー。小沢詞ってそんな簡単に真似できるわけがないってことが感覚ではなくて理論的に説明できるってことがわかったのだ。「カメラトーク」風の語彙と文体で相対主義みたいな話をすれば小沢詞っぽくなると思ったら大間違いで小山田さんは必然的に作詞家としてボロ負けに負けた。これを理論的に説明できるとわかったのだ」
司会者「小山田さん擁護ブログだったのでは・・」
kenzee「なので次回はマラソンをお休みして「小沢詞の日本語との戦いの歴史とは」について考察してみようと思う」
司会者「いつに「なったら「Mellow Waves」にたどりつけるの・・・」
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